【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star― 作:春風駘蕩
放課後、臨時のHRから解放された渚たちは、夕暮れの光に照らされながら砂の舞う通学路を歩いていた。今日は妙に風が弱く、突風にさえ気をつけていればゴーグルもマスクも必要ないほど良好な天気だった。
うすら明るい太陽を見上げ、漂う砂塵に阻まれながらも降り注ぐ日差しに目を細める渚は、湧き出る汗を拭うカルマたちとともに、人通りの減った商店街の通りを黙々と歩いていた。横を見ればシャッターの閉まった店が多く、つい最近まで開いていた店まで潰れてしまっている。物悲しい気分で、渚は目をそらした。
「……渚はさ、その…どうするつもりだ? ZECTの奴らがまたやってきたら」
杉野が汗を袖で拭い、烏間の話を思い出しながら尋ねた。ともに下校していたカルマたちも、同時に渚の方に視線を向けて彼の返答を待つが、当の渚はどこかぼんやりとしていて、ただ黙々と道を歩くだけだった。
「どうするって言われても……」
「ガタックってやつの装着者になって、ZECTのライダーになるのかとか…そういうのだよ」
「ろくなもんじゃなさそうだけどねぇ…いまのZECTって」
カルマが平坦な声で呟くと、少し前を歩いていた渚の足がピタリと止まった。
「……どうするかな。わからないよ」
力無い笑みを浮かべ、困ったように渚は頭を掻く。襲われるわ、訳のわからない機械の適合者だなどと言われるわ、正直手一杯な彼は、ちゃんとした答えを用意できないでいた。
「まだ本当に選ばれた訳じゃないし、もし選ばれたとしても、僕に何かできるとも思えない。ZECTがどんなに騒いだとしても、一緒に戦いたいとも思えないんだ」
「……そりゃ、あんなんに巻き込まれればね」
納得したカルマが、自身にあきれるように呟く。誘拐まがいの真似をしてまで身柄を拘束されそうになった上、怪我まで負わされた相手をそうそう信用できるはずもない。ライダーという存在がいかに重要だったとしても、所詮自分たちは子供なのだ。
「悩む必要はないんじゃないかな」
「わ、私もクラスメイト一人に責任を押し付けるつもりはないです‼︎」
神崎と奥田も、まだどこか迷っているそぶりを見せる渚をフォローする。朗らかに笑うクラスのマドンナとどもりながらも励ましてくれる理系女子に礼を言い、渚は微笑んだ。期待をかけられることに慣れていないため、どう反応したらいいか困っていたのだ。
「俺としては見てみたかったけどなー。リアル変身ヒーローなんてそうそう見れるもんじゃないじゃん。写メ撮りてー」
「……俺も、ちょっと羨ましいと思ってた」
「二人とも…面白がってない?」
意地の悪い笑みを浮かべるカルマと、若干期待に目を輝かせる杉野。クラスの仲間が悩む問題ではあるが、彼らも男の子。そういった非日常的なワードには大いに興味があった。割と正直な二人に頬を痙攣させる渚に、女性陣は苦笑を隠せなかった。
渋い顔になり、ため息をつく渚は肩をすくめる。自分が、ZECTの欲するに足る存在だとは思えない。それなのに一体なぜ、自分は狙われるのだろうか。
その謎が、渚の頭からこびりついて、離れなかった。
† † †
同じ時、ヒバリは一人廃墟の街を歩いていた。風化が激しく、建築物がほとんど崩れかけたその場所には人一人おらず、風が唸る音だけが響いている、はずだった。
しかし今、ローブをなびかせて歩くヒバリの前には武装した白い兵士達が何人も集い、銃を手に侵入者の前に立ちはだかっていた。シロアリを模したようなマスクがヒバリの姿を映し、黒光りする銃口がヒバリを寸分たがわず狙う。
だが、無数の殺気のこもった包囲を受けながらも、ヒバリは平然としていた。銃など目にもくれていないかのように悠然と歩き、みるみるうちに距離を詰めていく。
「……手厚い歓迎だな」
思わずニヤリと笑みを浮かべ、そう呟くヒバリ。
すると、武装した兵士達が塞ぐ道の先の廃墟から、一つの影が姿を現した。
「よぅ、来ると思ってたぜ」
くらい建物の入り口から姿を見せた織田は、片手で兵士たちを制して銃を降ろさせ、ヒバリに向かってニヤリと獰猛な獣のような笑みを浮かべて見せた。
ローブを外したヒバリが、廃墟の中に置かれたボロボロの椅子にどっかりと乱暴に腰を下ろす。ギシギシと嫌な音が起こるがヒバリは気にせず、不遜な態度で足を組んだ。
「あのガキが適合者……なるほどな。ようやくいくつか合点がいった」
ヒバリの話した内容に納得し、織田は何度も頷き顎を撫でた。以前の邂逅からずっと抱いていた疑問がようやく解け、胸のつっかえが少しだけ取れた気がした。
だが、そばにいた風間はまだ険しい表情のままだった。腕を組み、くつろぐヒバリの方を見たまま口を固く引き結んでいた。
「……しかしなぜ、あそこまで執拗に?」
「それだけガタックの力が強大だからだよ。全ゼクターの内最大の出力を誇るゆえ、ZECTにとっては何としても確保したい。しかし同時に適合者も今じゃ貴重だからな。子供であっても関係がないんだろう」
「…なるほど」
まだ疑問は残るが、風間もヒバリの話に一応納得したらしい。組んでいた腕をほどき、近くにあった台に腰を下ろした。
ヒバリは足を組み替えると、頬杖をついて虚空を眺め始めた。碧の瞳が細められ、剣呑な光を放ちだし、彼女の持つ雰囲気も刺々しいものへと変わっていった。
「…問題は、何に使うためなのかということ。色々と施設を回ってみたけど、結局一人じゃ調べるには限界があった。拠点もボクにはないしね」
「それで、俺たちのところに来たわけか……なんでZECTに反抗するんだ?」
この少女がZECTに反旗をひるがえすテロリストであるという話は聞いている。たった一人で一大組織を相手取るという無茶を犯す彼女の動機に興味を抱き、織田は尋ねた。
ヒバリはしばらく黙っていたかと思うと、不意にふっと笑みを浮かべて振り向き、織田と風間の目をまっすぐに見つめ返し、口を開いた。
「……僕は、このクソッタレな世界をブッ壊したいんだ。そのためには、
少女の言葉に応えるように、真紅の甲虫・カブトゼクターが飛来して彼女に寄り添う。まるで忠犬のように付き従うゼクターの姿に、織田の笑みが深まった。
「……いいぜ。力を貸してやる。借りもあるしな……いいよな、風間」
「ええ。彼女が吹かせる風がどんな結果をもたらすのか、私も見てみたい」
「そう言ってくれると思ってたよ」
よっ、と掛け声をあげ、ヒバリは椅子から腰をあげる。パタパタと尻についていた埃を払い、ヒバリは長い銀の三つ編みをなびかせて織田たちに背を向けると、そのまま出口に向かって歩き出した。
「…どこに行く?」
織田が尋ねると、ヒバリはひらひらと手を振りつつ、足を止めずに進んで行く。
「ZECTの動向を見張んのに、ちょうどいい
一瞬だけ振り向き、ニッと笑みを見せたヒバリは、織田の元からさっていった。
† † †
うっすらと砂の混じった風を受けながら、烏間は大きく開かれた窓の前に立ち、淀んだ黄土色の空を眺めていた。古い校舎は風が吹くたびにガタガタと音を立て、不気味に骨組みを軋ませていて、通う者に不安を抱かせる。しかし、それが気にならないほど烏間の精神は乱れ、そして荒れ狂っていた。固く握り締められた拳が、それを顕著に表していた。
荒ぶる内心を抑え込むこともままならない烏間の隣に、同じように不機嫌そうな表情のイリーナが音もなく立った。腕を組んだ彼女は、目を向けることもなく口を開いた。
「……その様子だと、アンタの訴えは却下されたみたいね」
「……ああ」
ギシッと拳に込める力を強め、烏間は低い声で答える。下された判断への不満で、普段冷静な精神はかき乱され、かろうじて理性が当たり散らすことを止めていた。
イリーナも相当な烏間の怒りを感じ取り、いつものちょっかいをかける様子もない。小さな声で「…そう」と返すだけで、それ以上の詮索はしなかった。
「愚痴ってもいいんじゃない? 私が付き合うわよ」
「…………」
イリーナにそう言われると、烏間の表情がさらに険しくなる。ぎりぎりと歯を食いしばり、湧き上がる激情を押さえ込もうと必死にこらえる。烏間の怒りを察したイリーナも目をそらし、気まずそうに唇を尖らせた。
「……愚痴をこぼそうと、何も変わらん……!」
数時間前の記憶に、烏間の血管は今にもブチギレそうになっていた。
「決定は覆らない。潮田渚の身柄は、ZECTが預かる」
本部に戻り、ZECTの強引な干渉に対する抗議を行った烏間への返答は、あまりにも最低で、最悪のものであり、それを聞いた烏間の表情は思わず険しくなった。眉間のシワは深くなり、軽く殺気まで迸ったほどだ。
「……‼︎ お言葉ですが、一介の学生に対してこの責任は重すぎます‼︎ 我々に彼の人生を決定づける権限など……‼︎」
「ことは、個人の問題ではないのだよ」
食ってかかる烏間を、冷酷な声が制した。まるで氷のような冷たい声に、沸騰しかけていた烏間の脳が一気に冷える。この声の主は、少年一人の命運など駒の一つとしか考えていないのだろう。そう思えるほど相手の声は冷めていて、烏間は反論を止めた。道徳など持ち出したとしても、この場では何の意味もないのだろう。
「ガタックゼクターの適合者……それだけでも貴重だというのに、彼はこれまでの被験者を上回る数値を表している。……彼にしか、今度のプロジェクトは成功させられない」
「…その、プロジェクトとは」
「君が知る必要はない」
情報の開示さえ拒否され、烏間の表情がさらに歪む。声の主は凄まじい形相になっている烏間に気を止めることなく、爆発しかけない部下に釘を刺した。
「烏丸君……妙なことはしないほうがいい。我々の今後の邪魔をするというのなら、君にはあの教室から離れてもらう他にない」
「…………」
「それが嫌なら、大人しくしていることだな」
声の主はそう命じ、烏間に退出するように指示した。
「…………」
上層部との会話、いや、一歩的な命令を思い出した烏間は黙り込み、爪が皮を突き破らん限りまで拳を握り締める。自分は所詮従うしかないただの駒に過ぎず、上が決定した以上他に何もできることはないというのが、歯痒かった。
「……らしくないわね。言いなりなんて」
「俺が騒いでこの任を外されれば、俺の他の者が代わりに来るだけだ。……俺より動かしやすい、従順な犬をな。それだけは……避けなければならない」
それだけが、烏間にできる唯一の抵抗だった。かつて送られてきた烏間の同期・鷹岡の時のようなことだけは絶対に回避しなければならない。生徒たちの危害を加えてまで暗殺任務を遂行しようとするものにE組を任せては、烏間は自分を許せなくなる。
それを阻止するために、生徒たちを危機に晒すという矛盾に苦しみながらも、汚名をあえてかぶる覚悟を持って、烏間はこの場所に立っていた。
悲痛な顔で佇む烏丸を、イリーナはじっと見つめてため息をつく。堅物とまで呼ばれるこの男は、どうしてここまで己の身一つに責を負おうとするのか。
呆れた表情のイリーナは、視線をすっと下げると、烏間の足元を見下ろした。
「…それで、
「…………渡すしかないだろう」
ため息をついた烏丸は、重い気分でZECTのマークの入ったソレーーーベルトの入ったジュラルミンケースを持ち上げた。大した重さではないはずのそのケースが、今はやたらと、重く感じた。
陰鬱な気持ちで一歩を踏み出した烏間は、キッと表情を改めて進む。せめて生徒たちには自分の弱いところを見せまい、と固く決めたE組の教師は校舎から歩き去って行った。
その背を、もう一人の教師がじっと見つめる。その背がやがて見えなくなると、悲しげに顔をうつむかせて大きなため息をつくのだった。
「ままなりませんねぇ……にゅや?」
そこでふと、殺せんせーは気づいた。今まで比較的穏やかだった風が徐々に強くなり、天にいくつもの暗雲が蠢き始めていることに。
「……嫌な風ですねぇ」
その空が、何か不運を運んできそうな気がして、超生物教師は妙に心がざわつくのを感じ、小さな目を不機嫌そうに吊り上げ、天空を見上げていた。
† † †
ーーーZECTが渚を狙う理由はわかった。
けどまだ情報が足りない。
陽の光が減り、怪しげな風が吹き荒れ始めた街を、ヒバリは一人歩いていく。手にした情報と憶測をパズルのように頭の中で組み立てながら、深い深い思考の渦の中に入っていた。
人口が減った現在、適合者が集中している椚ヶ丘中学校の存在は重要であり、その中でもさらに希少なガタックの適合者である渚が執着されるのも納得できる。しかし、それだけでは組織全体が動く理屈としては薄い。なぜ今なのか、なぜガタックが必要なのか、情報が足りず、全体を見渡すには穴が空きすぎていた。
ーーーZECTの動きを見張り、先手を打つにはまだピースが足りない。万全の準備をしておかないと、
砂塵が吹き荒れる中を歩き続けるヒバリはやがて、廃れた時計の真下で足を止めた。隕石落下の影響で、時計の針は二度と動くことはない。だが、世界の時間は、終わりへのタイムリミットは着々と近づいてきているのは確かだ。
ーーー急がなければ、けど…焦ってはいけない。
アイツに、もう一度会うまでは。
碧の瞳が、明確な殺意を持って輝く。己を極限まで鍛え上げ、刃を研ぎ澄ました若き暗殺者は、燃える感情に蓋をし、己の力を蓄え続けていた。
そんな時だった。
ぬるり、と。濃厚な“死”の気配を感じたのは。
「‼︎」
瞬時に臨戦態勢に入ったヒバリは、全身の筋肉を活用させて右腕を振るっていた。背後に立ったその存在の首を狩らんと、全力を込めた裏拳を敵の首筋に打ち込もうとした。
だがその一撃は、相手に直撃する寸前に急停止した。なぜならそこにいたのは敵などではなく、青い顔であわばばばと震え、若干涙目になって硬直している渚だったからだ。
「…………?」
「お前っ……渚っ、離れろ‼︎」
一時離れていたらしい杉野とカルマたちが大急ぎで駆け寄り、固まったままの渚をヒバリの前から引き剥がす。ヒバリはただ、眼の前で何が起きているのか理解できないというような顔で目を見開き、呆然と渚を見つめていた。
今のは確かに、殺気だった。まるで猛毒を持った巨大な蛇に全身を絡め取られ、自由を奪われたまま急所を取られたかのような強烈な死の気配を前に、ヒバリの体は本能的に動いてしまっていた。目の前で学友たちに守られている少年の潜在能力の高さを改めて感じさせられたヒバリは、動揺を無表情の仮面で隠し、渚たちに向き直った。
「……何の用? いきなり背後に立たないでくれないかな」
「…できれば俺も、会いたくはなかったんだけどさ。クラスメイトがピンチの今、事情に詳しい奴ってアンタ以外に知らないもんだからさ」
笑みを浮かべながら、顎を引いてじっと見据えてくるカルマの目を、ヒバリもじっと見つめ返す。思考を読ませないこの少年の雰囲気は油断できないが、対処できないほどではない。構えを解いていたヒバリは、目を細めて深いため息をついた。
「…何が聞きたいの?」
「とりあえずは、アンタの持っている情報全部だ。俺たちはただ、渚を守る
杉野の答えに、ヒバリは呆れたようにため息をつく。甘いのだ、その考えは。その程度の心意気で相手にできるほど、ZECTは甘くない。足元をすくわれ、首根っこを押さえつけられ、利用されるだけだと、少年少女たちの真っ直ぐな目を見ていて彼女は思っていた。
我ながらひねくれていると苦笑しながら、ヒバリは拒否の言葉を吐こうとした。
だがそれよりも早く、ヒバリの体は動いていた。耳に届いた
渚を守るために立っていた杉野とカルマを勢いよく突き飛ばし、渚ごと後方に押しのける。反動でヒバリもその場から後退し、直後に大きく跳躍した。
その直後、渚たちとヒバリたちの間に、水色の人型の蟲が降り立った。
「‼︎ げっ、ワーム⁉︎」
「い…今お昼ですよ⁉︎」
蜻蛉型の蟲の異形は唸り声をあげ、すぐ近くにいる渚たちに狙いを定める。逃げ出そうとした渚たちだったが、振り向いた方向にも何体ものワームが群がってきていることに気づき、戦慄に顔を強張らせた。
ヒバリは徐々に集まってくるワームの群れに舌打ちし、忌々しそうに表情を歪めながら、懐から取り出したベルトを巻きつけ、片手を天に向かって掲げた。
「来い、カブトゼクター」
真紅の甲虫は少女の手に収まり、少女はそれを腰に巻いたベルトし装着した。
「ここにきてとは、ボクも運に恵まれていないな……変身」
【HENSHIN】
ベルトにゼクターを組み込み、ヒバリは群がってくるワームに猛然と立ち向かう。苦笑した暗殺者は、嫌悪感を沸き立たせる虫の異形の群れを前に、邪魔となる敵を殲滅するために勇ましく吠えた。