【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star―   作:春風駘蕩

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第19話 決戦の時間

 目を見開いたまま固まるヒバリの目の前を、鮮やかな紅色が彩る。わずかな光を受けて輝くそれは真珠のように透き通り、無数の粒となって宙を舞う。

 しかしそれは決して美しいものなどではなく、少女を庇った一人の少年の腹を貫き放たれた、生命の飛沫だった。

「渚ぁぁぁぁああああ‼︎」

 頬を鮮血で濡らしたヒバリの悲鳴が木霊し、その顔が悲痛で彩られる。腹部に大穴を開けられた渚は黒崎の腕を掴んだままうなだれ、ゴフッと大量の血反吐を吐く。

 ピクピクと痙攣する少年を見下ろし、黒崎はフンと冷笑する。

「……無駄なことを」

 しかし身を呈して味方を、それも女をかばうとは天晴れだ。まだ年端もいかない子供といえど侮れない覚悟を持ってなしたこと、せめてもの敬意を示し、これ以上苦痛が続かないようにとどめを刺して楽にしてやろうと再び拳を構えようとする、だが。

「…………何?」

 少年の胸を貫いた腕がどうしても引き抜けない。何かが引っかかっているかのように抵抗し、何度も力を込めてもそれ以上腕を動かすことができない。ハッとなった黒崎は、俯き気味になっている渚の顔に目を向け、戦慄した表情を浮かべた。

 渚は、笑っていた。口元をどす黒い血に濡らしながら、顔から血の気を失いながら、すれ違う隣人に会釈するかのような安らかな微笑みを浮かべ、黒崎を見上げていたのだ。片手に、銀色に光る双剣の片割れを掲げて。

 ようやくそこで、黒崎は気づく。この子供はただ少女を庇ったのではなく自らが枷となり、獲物の動きを完全に止めるために前へと出たのだ。その微笑みと雰囲気に、黒崎はまんまと闘志を忘れさせられていた。

「貴様ッ……‼︎」

 我に帰った時にはもう、遅かった。

 ザンッ‼︎

 黒崎が逆の手で殴り飛ばそうとするよりも早く、渚が掲げた刃が一閃され、黒崎の鎧とベルトの一部を破壊される。縦一文字に刻まれた跡からは鮮血が吹き出し、持ち上げられていた腕ががくりと下がる。

 そして破損したベルトからハイパーゼクターが解放され、黒崎の前から飛び立っていく。

「しまっ…………待ちなさい‼︎」

 慌てた黒崎が手を伸ばそうとするも、渚の手によって両腕は全く使い物にならず目で追うことしかできない。絶対の力を失った男はみっともなく声を張り上げ、拘束されたままもがく。

 しかしこの時、黒崎は気付くべきだった。

 目の前にいるもう一人の暗殺者の存在から、決して目を離してはいけなかったことを。

「ーーーぁああああああああああああああああああああああああ‼︎」

 金色の刃を掲げ、ヒバリが吠える。

 振り向く黒崎だがもう遅い、宙を走った苦無は金の軌跡を描いて黒崎の肩に食らいつき、同時に渚の体が取り返される。支えを失った渚を抱え、ヒバリは倒れていく黒崎にさらに接近する。

 カブトゼクターの角を反転させ、横のボタンを順に押して再び反転。途端に溢れ出すエネルギーを右足に纏い、バチバチと青く発光する蹴撃を黒崎に向けて放つ。

 脇腹に、鳩尾に、顎に、人体の急所に続けざまに放たれた怒りの乱舞は容赦無く黒崎に襲いかかり、両腕を潰されて抗うこともできない男の体は衝撃でガクガクと揺れる他にない。

「ハアアアアアアアアアアアア‼︎」

 咆哮とともに構えたヒバリが宙へと跳び上がり、最後に渾身の力を込めた回し蹴りが放たれる。まるで三日月のような軌跡を描いた蹴撃は黒崎の首に決まり、ゴキン、と鈍く嫌な音が響き渡った。

 黒崎は一瞬ビクンと大きく体を痙攣させると、糸の切れた人形のように全身から力を失いその場に膝をつく。その身体が倒れていくと同時に右腕のツールからコーカサスゼクターが離れ、黄金の装甲が六角形状のエネルギー膜となって崩れていった。

 うつ伏せに倒れた黒崎の屍からはダクダクと鮮血が流れ出し、床に広がってヒバリの足元に伝っていく。

 しかしすでに、ヒバリは長年追い求めていた仇には注意を向けず、腕の中でぐったりとしている血まみれの少年に向いていた。

「渚っ…………おい、渚‼︎ しっかりしろ、おい‼︎」

 青白い顔の少年の体をかき抱き、必死に呼びかけ続けるヒバリ。胸と腹を貫かれ、多くの血を失い、かすれた虫の息となっている渚の状態は誰がどう見ても手遅れだというほど酷い状態だった。

 それでもヒバリは渚の淀んだ瞳を見つめ、決して誰にも渡さないとばかりに強く抱きしめる。周りから見ればあまりにも痛々しく、目を背けたくなる光景だった。

「……お願いだから……渚……ボクを見てよ……ボクを…………ひとりにしないで…………‼︎」

 歯を食いしばり、悲痛な顔で懇願するヒバリ。

 その頬に、細く華奢な手が触れた。

「…………‼︎ 渚…………」

 目を見開くヒバリに、渚はふっと微笑みを浮かべる。

「……僕にできるのは……こんなことぐらいだから……」

 そう言って渚はヒバリに何かを差し出し、ヒバリは再び目を見開く。

 渚が持っていたのは銀色に輝くゼクター、黒崎がその力で最強の名をほしいままにし、ヒバリが最後まで求めた奇跡をつかむための最後の希望ーーーハイパーゼクターだった。

 差し出されたそれを見つめ、ヒバリはさらに悲痛げに顔を歪めて渚を凝視する。

「…………君は、これのために……?」

 ヒバリの問いに、渚は照れ臭そうに笑う。ヒバリの胸に溢れるのは、どうしようもないほどの呆れと激しい後悔の念だ。

「バカッ…………どう考えても釣り合わないだろ‼︎ それにっ……誰かを庇って自分が死ぬって、ボクが一番嫌いなパターンだよ⁉︎ 庇われる方の身にもなれよ‼︎」

「でもこれで…………みんな助かるん、でしょ?」

「ッ…………!」

 ヒバリの表情がくしゃくしゃに歪み、目尻に涙が滲んでいく。溢れ出す感情の雫を震える指でぬぐいとり、渚は微笑みをやめない。ヒクッ、ヒクッと嗚咽を漏らす少女を少年はただ穏やかな顔で見つめ続ける。

 痛いほどに体を抱きしめ、カタカタと震える少女に渚は口を開いた。

「もし……これに、本当に……世界、を……すく、う、力が…あるなら…………僕は、君を………………信じるよ」

 ヒバリの胸にハイパーゼクターを押し付けると、ヒバリはそれをぎゅっと握りしめる。

 手のひらに収まる小さな機械。こんなものに本当に世界を左右する力があると本当に信じてくれた、曖昧な少女の言葉を信じてここまで付き合い、命を懸けてくれた。その気持ちが、たまらなく嬉しい。そして、なぜか苦しい。

 胸が熱くなり、頬が真っ赤に染まっていく。それが涙のせいだけではないことを、ヒバリは心の何処かでわかっていた。

「僕じゃ…きっと、ダメだった……けど、こんなことしか、できないから……君を、守ることだけでも、やり遂げたかった……だから、ごめんなさい………」

 かすれる声が、か細く虚空に消えていく。わずかに聞こえていた荒い呼吸も少しずつ小さくなっていき、目の焦点も合わなくなっていく。鼓動が次第にゆっくりになっていき、視界がぼやけていく中、もうぼんやりとしか見えないが確かに目の前にいる少女に、渚は願う。

「……みんなを、助けて」

 その願いをこぼし、少年は最後に微笑む、そして。

 すとん、と。

 少年の手が床に落ちる。涙が一筋零れた目からは光が消え、虚ろとなった目は何も映さない。

 ヒバリは渚の顔をじっと見つめ、ぎゅっと抱きしめる。軽く華奢な体を、きつくきつく抱き続ける。

「……おばあちゃん、言ってたなぁ。男はみんなバカだから、常に見張っとけって。どこにもいかないように、ちゃんと見とけって。……その通り、だったよ」

 自分の命の価値を軽く見ていた少年は、最後まで自分ではなく誰かのために戦い続け、そして散った。なんと馬鹿な(ひと)なのだろう。そんなことをされても、喜ぶわけがないのに。

 皮肉げに笑ったヒバリは渚の体を支えて顔を覗き込み、そっと頬に手を添える。虚ろに開かれていた目を閉じると、顔にかかっていた髪を払いのけてゆっくりと自分の顔を近づけていく。

 そして、桜色の唇が、少年の血によごれたそれと重なった。

 長い、長い時間そうやっていた。時計を見れば数秒のことでも、ヒバリにとってはまるで永遠にも等しい感覚を過ごし、ヒバリはようやく渚から離れた。

 動かなくなった軽い体を横たえさせ、託された銀のゼクターを握りしめる。ヒバリはそれを、自身のベルトの左側に装着した。

「…………ごめん、渚。ボクは君の願いを叶えられない」

 ヒバリは目を閉じ、少しの間思いに耽る。

 最初の出会いは、良好とは確かに言えなかった。心配してついて来た年下の子を邪険に扱って、命に関わる危険な場所に巻き込んだ。あの時出会わなければ、彼がこんな目に会うことはなかったかもしれない。

 その後も最悪だった。大切なことは何も伝えず彼を縛りつけようとして、本当は言いたくないことを言って喧嘩をして、結局間に合わなくて彼に辛い思いをさせて、挙げ句の果てに犠牲にして……なんてひどい女なんだろう、自分は。

 でも、彼との出会いがなければ、自分はここまで来られなかっただろう。無謀に奴に挑み、無残に敗北して兄や仲間と同じように死んでいただろう。

 こんな思いを知ることも、無かっただろう。

「こんな世界に…………君のいない世界に、救う価値なんてないから。だから、ボクはーーー」

 装着したハイパーゼクターの角に手をかけ、レバーのように倒す。

HYPER CAST OFF(ハイパー・キャスト・オフ)

 ハイパーゼクターから野太い電子音声が響き、同時にヒバリの纏う装甲も姿を変えていく。

 仮面の角は先端がさらに二股に分かれ、鎧は銀色に変色して胸と肩、二の腕と脛の装甲には角を模した真紅の装甲が追加される。背中には甲虫の羽を模した装甲が生成され、光を反射して輝く。

CHANGE HYPER-BEETLE(チェンジ・ハイパービートル)

 そして、さらなる変化が起こる。体の各所についた真紅の装甲が展開し、青い粒子のような光を放出し始めたのだ。背中の羽が左右に開き、その粒子がまるで翼のように噴き出し広がる。

 その姿は、まるで天使のようだった。

「ーーーボクは、世界を壊すよ。君のいない……世界を」

 ヒバリの手が動き、ハイパーゼクターの上に移る。銀色に輝くその背を、ヒバリは軽く叩き呟いた。

「ハイパークロックアップ」

HYPER CLOCK UP(ハイパー・クロック・アップ)

 その瞬間、ヒバリの見る光景が一瞬にして変わる。

 時計の針が巻き戻るように、あるいはビデオの逆再生のようにあらゆるものが逆さまに動く。その中の一瞬にヒバリは介入し、片腕を前に突き出す。

 次の瞬間その手には目障りで憎たらしい黄金の装甲に覆われた腕が掴まれ、逆の手には小柄な人影が抱え込まれる。

 二人は一瞬何が起こっているのか理解できず、一方は仮面の下で大きく目を見開き、もう一方は呆けた表情で硬直する。だが黒崎は自身の手をギリギリとつかむ少女の顔を驚愕の表情で凝視し、ワナワナと体を震わせた。

「…………馬鹿な、なぜ貴様が⁉︎ それに……その姿はなんだ⁉︎」

「……………………」

 冷たい目で黒崎を睨むヒバリは、何も答えない。

 狼狽する黒崎の様子があまりにも滑稽で、矮小さに呆れ果てる。こんな男に、大切なものたちは奪われたのか、タネさえ分かり失ってしまえばもう、黄金の鎧もただの金メッキにしか見えない。

「……くだらない」

 そう吐き捨て、ヒバリは未だ喚き続けている黒崎の拳を払う。そして、再びハイパーゼクターの角を倒して今度はカブトゼクターのボタンを押し、真紅の角を反転させた。

MAXIMUM RIDER POWER(マキシマム・ライダー・パワー) 1.2.3】

 仮面の角に凄まじい、今までにないほどのエネルギーが収束していき、眩いまでの紫電が発生する。紫電はベルトを中継して右足に集まり、凄まじい破壊のエネルギーを蓄え込んでいく。

 黒崎はその光景に戦慄しながら、なおも現実を認められないように頭を抱え、ヒバリを激しい憎悪のこもった目で睨みつけた。

「私の力を……ハイパーゼクターをなぜ……⁉︎ まさか……時間を超え……⁉︎ み、認めん……許さんぞ‼︎ それは私のもの……私が最強のーーー」

「ーーーハイパーキック」

 喚く黒崎の声を耳障りとばかりに遮り、ヒバリはカブトゼクターの角を反転させる。一瞬のうちに溜め込まれたエネルギーが噴き出し、ヒバリはそれを黒崎に向かって勢いよく振るう。

 放たれた回し蹴りは黒崎の首に決まり、ゴギン‼︎ と以前聞いた時よりも凄まじい音を立てさせる。不自然に首を曲げた黒崎は断末魔の悲鳴すらあげることなく絶命し、ゆっくりとその身体が倒れていく。床に倒れた瞬間、手首から火花を上げるコーカサスゼクターが外れ、黒崎を元の黒衣の姿に戻した。

 ヒバリに抱えられたままの渚は安堵で微笑み、不意に襲ってきた激痛に背を丸める。

 ヒバリは力の抜けた渚の体をゆっくりとおろし、壁にもたれ掛けさせる。最後にぎゅっと華奢な体をきつく抱きしめ、渚と同じように安堵の表情を浮かべて頬をすり合わせた。

 すると急に立ち上がって歩き出し、倒れ伏している黒崎の元へと近づいていく。事切れた黒崎の黒衣を引き裂いて即席の包帯を作ると、渚の腹に刺さったままのパイプを動かないように巻きつけて固定していった。

「……一体、何が起こったの?」

「……聞かなくていいよ。もう君のやることは果たされたから」

「え……」

 ヒバリの言っている意味が分からず呆ける渚だが、ヒバリは再度渚を抱きしめてきてそれ以上答えようとしない。されるがままで戸惑う渚も、それ以上聞こうとはしなかった。

「……今度は、ボクの番だから」

 渚の耳元で囁いたヒバリは名残惜しそうに渚から離れて立ち上がり、背を向けてミサイル内の一部に近づいていく。そこにあるのは渚たちが入ってきたハッチであり、唯一外に通じる出口だった。

 何をするつもりなのか検討もつかない渚は、ただただ心配そうな表情でヒバリの背中をじっと見つめた。

「……戻って、くるよね?」

「…………おばあちゃんが言っていた」

 不安げな渚の雰囲気を感じ取り、ヒバリは不敵な笑みを浮かべて人差し指を天に向ける。いつものように兄の真似をして、天道家の祖母の語録を披露する。

 

「飯がよっぽどまずかった時なら、ちゃぶ台をひっくり返してもいい、ってさ」


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