【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star― 作:春風駘蕩
空に現れた巨大な塊に向けて、白い塔に似た物体が発射された。大きさは比べるべくもないが、人が数人乗れるほどの機械の船ーーーミサイルが、巨大隕石に向けて舵を切りロケット噴射で近づいていく。
本来内部は無人のはずだが、この時ミサイルの中には二人の搭乗者がいた。
「……ハァッ…………ハァッ………」
「……ヒュー……ヒュー……」
円筒形の個室のような空間に寝転がり、死にかけのような呼吸を繰り返す渚とヒバリ。宇宙エレベーターをクロックアップを用いて自力で登ってきた彼らは、なんとかミサイルの位置を特定し発射される前に内部に侵入するという荒技を成し遂げて見せたのだ。
流石に疲労も凄まじく、たどり着いた瞬間倒れこんだ二人はしばらく動くことができなかった。さらに発射の重圧で疲弊した体をさらに押しつぶされ、鞭打たれる死人の気分で転がり続けていた。
「…何が最後の希望だ。ハリボテじゃないか」
ゴロンと仰向けに寝転がり、ミサイルの内部を見渡すヒバリがボソッと呟く。入り込んだミサイルは渚とヒバリが入れることから見てもわかるようにがらんどう、爆薬など一つも積まれておらず、ハリボテと呼ぶにふさわしかった。あるとすれば弾頭部分の空間だろうが、これでは隕石を破壊するどころか罅さえ入るまい。
いや、とそこまで考えてヒバリはハッとなる。
最初から破壊が目的でないのなら、このミサイルはなんのために撃ったのか。
「ーーー‼︎」
その時、強烈な殺気を感じ取った渚とヒバリは表情を変え、床を叩くようにして起き上がるとすぐさまその場から距離をとった。
その直後、二人が転がっていた場所に真っ黒な外套とシルクハットを纏った大柄な男が着地し、渚とヒバリに回し蹴りを繰り出した。二人はそれぞれ跳躍して距離を取り、狭い壁に足をつけて体制を整えて襲撃者を睨みつける。
「……まだここまで動けるとは。楽しめそうで何よりですよ」
「来ると思ってたよ……ZECTの飼う最強の掃除人、黒崎!」
ヒバリは眼光を鋭くしながらも、獲物を待ちわびた獣のような獰猛な笑みを浮かべて黒崎に拳を構える。
黒崎と呼ばれた男は外套を翻し、ハットの下からどこか見下すような目をヒバリに向けていた。己以外を矮小で貧弱な存在と蔑むような濁った目に、渚は本能的な恐怖を感じて一筋の冷や汗を流した。
「こいつに乗り込んでるってことは、ZECTの真の目的を知ってるってことだよね。……あんたもみんなもまとめて死ぬんだよ」
「構いません。私は私が最強であればいい。身の程をわきまえず、私の前に立つ者は誰であろうと許しません。恨むならノコノコとここまでおびき出された愚かな自分たちを恨んでください」
言葉遣いこそ丁寧だが自己の存在しか見ていない黒崎の言葉に、渚は思いっきり顔をしかめる。あまりにもこの男は歪で危険だ、人と繋がることを捨て、絶対的な強さだけを求めるこの男からは大切なものが欠けている。かつての糸成とも異なる存在に、渚はこれまで会ってきた大人の中で最大の嫌悪感を抱いた。
ヒバリは表情を強張らせる渚をそれとなく背で庇い、黒崎に挑戦的な目を向けた。
「……黒崎、言っとくけどおびき寄せられたのはあんたの方だよ。ボクの目的は最初から……」
「存じていますとも。だからこそ…………」
挑発するヒバリの言葉を遮り、黒崎が告げる。
そして空手の型であるセイエンチンに似た型をとって床を踏みつけ、右腕とそこに巻かれたライダーシステムを晒す。そこへ黄金色のコーカサスオオカブトを模したゼクターが飛来し、勝手に装着された。
「あなた方をここで始末しにきたのですよ。変身」
【
途端に右手首を中心に六角形状のエネルギー膜が形成され、黒崎の体を覆い尽くして金色の装甲を生み出していく。カブトの鎧と似た胸の装甲に、右肩から生える角型の外装。大きな三本角の仮面が光沢を放ち、青い目がギラリと光る。
記されしその名は、別の場ではギリシャ神話の賢者と同じ呼び方をされる最強の甲虫、コーカサス。
「ーーー‼︎ 渚、行くよ‼︎」
「はい‼︎」
【
これ以上の問答は不要と判断し、ヒバリは渚とともに駆け出した。クロックアップを即座に発動し、ただ真っ直ぐに黒崎の首を狙って刃を一閃する。本能が危険だと警告するが恐怖を精神力でねじ伏せ、同時に二方向から鋭い苦無と双剣を振りかざす。
だが。
【
その音声が響いた瞬間、激しい衝撃とともにヒバリの体は宙に浮いていた。思考も追いつかない中、激痛が全身を襲うと同時にミサイル内の壁に思い切り叩きつけられる。べコンと凹んだ壁が衝撃の激しさを物語っていて、床に落ちたヒバリは声を出すこともできずに身悶え、痛む身体を抱きしめるように背を丸めた。
「ヒバリさっ……⁉︎」
反応することもできなかった渚が我に帰った瞬間、彼自身も襲いかかってきた衝撃に吹き飛ばされ、壁に背中から突っ込んでいった。火花が散って倒れ込んだ渚の上に降りかかっていった。
ヒバリは激しく咳き込みながらも体を起こし、先程から一歩たりとも動いていない黒崎を鋭く睨みつけた。男はバラを手で弄んだままヒバリと渚を見下ろしており、何かをした様子もない。いや、何かをしたように見えない。
ーーー間違いない。
これは、あの時の……‼︎
「クロックアップ‼︎」
「く……クロックアップ!」
ベルトを叩き、再び加速して黒崎を迎え撃とうとする二人だったが、クロックアップ空間に入った瞬間黒崎の姿は消え、逆に渚とヒバリは再び衝撃により吹き飛ばされた。
「ぐあっ‼︎」
壁に叩きつけられた渚がうめき声をあげ、困惑した表情で黒崎を凝視する。加速したはずなのに、なぜこうも敵の姿を見失い攻撃を食らわされているのか分からない、これではまるで、
するとズルズルと体を引きずって体を起こしたヒバリが、忌々しげに黒崎をーーー正確には黒崎のベルトの左側に装着されていた銀色の機械を睨みつけていた。
「ハイパークロックアップ……文字通り、クロックアップを超えたクロックアップ……やっぱり厄介だな。その力は……‼︎」
「……? 妙なことを言いますね。私が相対した者は、例外なくこの手で始末したはず。この力を知るものはいないはずなのですが…………‼︎」
首を傾げた黒崎だったが、ややあってから何かを思い出したのか顔をあげヒバリを凝視し始めた。
「……ああ、そうでした。どこかで見た覚えがあると思えば、あなたはあの時の……天道総司とともにいた幼い娘でしたか」
黒崎が何度も納得したように頷くのを、ヒバリはぎりっと歯を食いしばって睨みつける。黒崎は少女の見せる憤怒の表情など気づかぬように、反対にヒバリの顔をジロジロと良く観察し始めた。
「そうでしたか……君があの時の、私が引導を渡した彼の忘れ形見でしたか。髪の色が変わっていたので気づきませんでしたよ」
黒崎の言葉に、渚はハッと目を見開いて振り向いた。引導を渡した、という言葉の意味を悟り悲痛さに眉を寄せると、ヒバリは憎々しげに黒崎を睨みつけた。
「…勘違いするな。ボクは別に仇をうちにきたんじゃない」
「ええ、わかっていますよ。……あなたの狙いは、こちらでしょう?」
黒崎はそう言って、自身のベルトの左側に装着された銀色の機械に触れて見せた。赤いラインの入った、カブトムシを思わせる白銀の甲虫型のゼクターが妙な存在感を発して黒崎の懐に鎮座している。
ヒバリはその輝きをじっと見据え、ついで黒崎を射殺すように睨みつけた。
「…やはりお前が持っていたのか。ハイパーゼクターを」
「あなたの目的がこれであることは最初から検討がついていましたよ。これがあれば、クロックアップを超えた最強の力が手に入る。大方アレも、この力でどうにかできると思ったんでしょう?」
黒崎の嘲笑に応えることなく、ヒバリはその一挙一動から目を離さない。そして何より、ハイパーゼクターから目を離さなかった。
黒崎はフンと鼻で笑い、ヒバリに向けて腰から抜いた苦無を突きつけた。
「兄を奪われ、仲間を奪われ、愛するものをことごとく奪われながら、なおも私に争いますか。全て失った悲しみに、艶やかだったあの黒髪もそれほど真っ白に染まるほど私を憎んで……哀れですね、天道ヒバリ」
「黙れえぇ‼︎」
荒々しく吠えたヒバリは、苦無を手に黒崎に斬りかかる。金色の刃が空中に三日月状の軌跡を描いて何度も振るわれ、同時に装甲で守られた四肢が武器として振るわれる。しかし、その全てが軽々と躱されていった。
目を狙った貫手は横から弾かれ、首を狙った苦無は同じ苦無で防がれ、胴を狙った回し蹴りは同じ技で止められ、繰り出されるヒバリの攻撃はことごとく黒崎の手で無効化されていく。ただでさえ体力を消費していたヒバリは徐々に勢いを落としていき、呼吸も荒く狙いも大雑把になっていった。
「くっ……あああああああああああ‼︎」
苛立ち混じりの咆哮をあげたヒバリが、黒崎の顔面に向けてまっすぐに拳を突き出す。しかしそれは手のひらで難なく止められ、黒崎はその拳を払ってヒバリのバランスを崩させると、ふらついた彼女の首をガシッと掴んでギリギリと締め上げ始めた。
「うあっ⁉︎ あがっ……あ、ぐあああ‼︎」
「ヒバリさん‼︎」
か細い悲鳴をあげるヒバリ。
渚は双剣を構えて走り出し、ヒバリを捉えている黒崎の腕を狙う。だがそれも届かず、振り向きもしていない黒崎の蹴りにより顎を蹴り上げられる羽目になる。脳を揺らされた渚は双剣を取り落とし、ガクガクと膝を揺らして項垂れる。
黒崎は一瞬だけ渚を一瞥し、無防備な腹に強烈な蹴撃を叩き込んで軽い体を大きく吹き飛ばした。
渚は壁に激突し、今度は大きな穴を開けてミサイルの中を破壊する。幸い宇宙空間にまで開く穴はあかなかったが、壁の中の管や電子機器が露出し、バチバチと散った火花を倒れた渚に大量に振りかけた。
「……ぅ、あっ……ま、まだ……」
ブルブルと震える体を叱咤し、捕らえられたヒバリを救おうと床に手をつく渚。しかし、渚は全く立ち上がることができなかった。それどころか全身に力が入らず激しい倦怠感が襲い、意識までもが少しずつ薄らいでいくのを感じていた。
渚は戸惑いながら、ふと違和感のある腹部に触れ、そこでようやく気づく。
砕けた壁の中のパイプが尖った鋭利な槍となって、渚の脇腹を貫いて床に縫い付けていることに。
自分の腹を貫く金属の棒を呆然と見つめていた渚は、次の瞬間口からゴボリと大量のドス黒い血を吐き出し、僅かな呻き声を溢してうつ伏せに倒れた。ガシャンと装甲が音を立て、床に赤い液体が広がっていくのを、力の抜けた渚は虚ろな目で見るほかになかった。
「⁉︎ 渚ァァ‼︎」
「フン‼︎」
「あぐっ⁉︎」
渚を案じるヒバリを殴り飛ばし、黒崎が苦無を持ち直す。そして咳き込むヒバリの両手を掴み、ひとまとめにすると彼女の背後の壁に苦無で縫い付けるように突き刺した。
「⁉︎ ぐっ……うっ……」
磔にされたヒバリは激痛に悶えながら拘束から離れようともがくも、黒崎の力は強く振りほどけない。
争う少女を見下ろしながら、黒崎は右腕を掲げてゆっくりと拳を握りしめていく。多くの血を吸ってきた装甲は、未だその輝きを失ってはいなかった。
「君も運がない。……あの世で兄と再会するといい」
最後の宣告を残し、黒崎はベルトに装着されたハイパーゼクターに手をかけ、その角を掴んで縦に起こした。
【
ハイパーゼクターから紫電が発生し、コーカサスゼクターを通して仮面の角に、そして右拳へと集まっていく。放たれるのは覇道に仇なす賊への処刑の一撃、命を容赦なく狩る最強の男の死神の鎌。抗う術を全てもがれ、羽をむしられた虫けらのように慈悲もなく放たれる、絶対的強者の一撃。
それを目の前で見せられている少女の目からは、徐々に抵抗の意思が消えていった。
ーーーこれで、終わり……?
ボクの、にいさんの遺志は、こんなところで終わるの……?
心を絶望が占めていく。滅びゆく世界で巨大な組織を相手にたった一人で争い続け、荒地のような道を歩き続けてようやく辿り着いたのは、こんな最後を迎えるためだったのか。だとしたら。
ーーーああ。
なんて無様なんだ、ボクは……。
もはやもがくこともやめた少女は、兄を殺した男が掲げる紫電を纏った拳を最後に見て、ゆっくりと目を閉じる。もう、疲れた。
黒崎は死を受け入れた少女に、仮面の下で冷たい笑みを浮かべた。
「せめて痛みなく、眠りなさい」
そして死神は、発光する拳を振りかざし。
赤い花が、弾けた。
だが、それは少女から発せられたものではなかった。
肉と骨が裂ける音を耳にしながらも、腕を突き刺される以外の痛みを感じなかった少女は目を見開き、その光景を改めて目の当たりにする。頬を汚す血が流れ落ち、胸の装甲に垂れていくことにも気づかず、呆然と目の前の光景に目を奪われる。
黒崎の放った拳がヒバリの寸前で止められ、血に濡れたそれが目の前でポタポタと赤い雫をこぼしている様を。
背中から手を生やした、少年の姿を。
「渚ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ‼︎」