【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star―   作:春風駘蕩

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第12話 相違の時間

「ーーー渚、例の話受けるってさ」

 E組の教室は、その話で持ちきりになった。水資源の確保のため、宇宙から巨大な彗星を呼び寄せるという荒唐無稽な計画に一人の少年が挑むという噂はすぐにクラス内に広まり、様々な感情を生徒たちに抱かせた。

「でも……、本当に成功すんのか? そんな計画…」

「ZECTの研究員がみんな関わってるって話だぜ? うまくいくんじゃないか?」

 E組の俊足・木村と菅谷が話すところに、三村も近寄って聞いてくる。

 別の場所では磯貝と前原が話す側に、仕事人気質の速水と千葉が寄り、腕を組んで渚の噂に耳を傾ける。誰もが、硬い表情で視線を落としていた。

「それに、うまくいったら大勢の人が助かるし、渚も真っ当な評価受けられんだろ?」

「英雄扱いか……想像もつかねーなぁ」

 木村と前原が前向きな気分にしようとしてか、明るい声を上げるも、周りの雰囲気はどこか沈んでいて、二人の言葉は空回りする結果となった。木村たちは気まずげに冷や汗を流して、黙り込んでしまった。

 クラス全体が静かになった時、杉野が小さく口を開いた。

「……渚の奴、戻ってくるよな」

「…………」

 最後に別れたクラスメイトたちが、不安げに目をそらして黙り込む。

 烏間から、ZECTの詳しい計画は聞かされた。だがその壮大さに誰もが想像さえつかず、気休めの言葉も口にできずにいた。不安げな顔の茅野も、不機嫌そうに鼻を鳴らす寺坂も、虚空を見上げる中村も、誰もが、何も言えなかった。

 結論から言うと、渚がE組に戻ってくることは、二度となかったのだった。

 

     †     †     †

 

 渚はその晩、たった一人で橋の上で佇んでいた。

 上空で強い風が吹いているのか、時折月の光が雲に覆われてはまた顔を出すというのを繰り返し、壊れた電燈のように渚を照らす。誰もいない橋の上は不気味なほど静かで、風のおどろおどろしい音が嫌によく聞こえていた。

 ふと、そんな静寂の中。渚の元へ近づいてくる足音があった。

 耳に届いた靴音の方へ、渚は振り向く。そこにいるのが誰か半ば予想していたらしく、姿を見せた訪問者を相手にしても、その表情は微塵も変わらなかった。

「……警告したよね、関わるなって」

 低い、怒りを込めた声で、ヒバリは渚に開口一番に言った。

 同時に、ナイフのように鋭く尖った殺意に似た眼差しが渚を射抜くが、少女の前に立つ少年はもう怯まなかった。それどころか、少女の顔とよく向き合おうと数歩近づき、真正面から視線を合わせた。

「…覚えてるよ。でも僕は覚悟を決めたんだ」

「考え直しなよ。君は今、力を手にして浮かれてるだけだ。君が思ってるようにうまくなんて行くはずがない。今すぐに断りに行ってこい」

 ヒバリの忠告に、渚は静かに首を振る。

「選択肢があるのなら、僕は勝負に出たい。……もう、逃げたくない」

「…………‼︎」

 渚の答えに、ヒバリはギリリと歯をくいしばる。

「いいから黙って引き下りなよ……‼︎ 邪魔すんなって言っただろうが……‼︎」

「そっちこそ。僕は僕の意思で決めたんだ!」

 次第に剣呑に立って行く両者の雰囲気。互いの殺気がぶつかってギシギシときしみをあげ、あたりの空気を重く沈めて行く。少年と少女の表情もまた、相手への苛立ちで歪み始めていた。

「…だったら、力尽くで言うことを聞かせてやるよ」

 スッと表情の消えたヒバリが、天に片腕を掲げる。その動作に応えるように、彼女の掲げた手の中にカブトゼクターが飛来し、掴み取られる。わずかな夜の明かりがゼクターの鋼の甲殻に反射し、赤い光を放った。

 渚は殺気をほとばしらせるヒバリを前に表情を歪め、悲痛な顔で声を荒げる。

「…! どうしてわかってくれないんだ⁉︎」

「それこそこっちのセリフだよ……情で人は救えないんだ。それがなんでわかんないの?」

 渚をじっと見つめるヒバリ。

 その剣呑な瞳に宿るのは、たとえ相手を押しのけ踏み潰してでも我を通そうという強い意志と、目的のためなら何を犠牲にしても構わないという容赦のない覚悟。

 そのまっすぐでブレない目を前にして、悔しげに顔を歪めた渚はスッと目を閉じ、フゥ……と息をついて心を落ち着かせていくと。

 覚悟を、決めた。

「なら僕も、押し通る」

 渚が前に差し出した手の上に、鋼鉄の甲虫ガタックゼクターが降り立つ。

 渚とヒバリはにらみ合ったまま、己の手にあるゼクターをゆっくりと掲げ、腰に巻いたベルトへと装着する。研ぎ澄まされた殺気と集中が、まるで示し合わせたかのように二人の動きを同調させた。

『変身‼︎』

HENSHIN(ヘンシン)

 渚とヒバリの体を、ゼクターを中心として発生した六角形状のエネルギー膜が多い、重厚な装甲を形成していく。防御に特化した銀色の鎧が、二人の呼吸に合わせて揺れ動き、わずかな金属音を鳴らす。一見すれば、遠距離武装を備えた渚の方が有利に見えた。

 だが二人は、同時にゼクターに手を伸ばし、自ら鎧を手放す機能を発動させていた。

「ああああああ‼︎」

「アアアアアア‼︎」

CAST OFF(キャスト・オフ)

 角と牙が展開し、ライダーの鎧が一瞬でパージされる。咆哮とともに駆け出した二人の装甲がまるで弾丸のように弾け飛び、互いにぶつかりあって威力を相殺していく。

 渚とヒバリはそれぞれの武器を掴み取り、裂帛の気合いとともに引き抜く。すでに見えているのはお互いだけで、他のものには一切の注意が向いていない。

 己の意地をかけた戦士は、甲高い衝突音とともに、激突した。

 

 闇の中で火花が散る光景を、超生物教師はただ黙って見下ろしていた。表情の読めないその顔は何を考えているのかはわからないが、放つ雰囲気からどこまでも真剣に考え込んでいることはわかった。

「……自分の意地を通すための喧嘩、大いに結構。ですが、見ているだけというのはもどかしいですねぇ」

 自分はもう、手は出さない。そう殺せんせーは決めていた。

 覚悟を決めた子供達の道に、もはや自分の言葉は不要。たとえその道がどこに繋がっているのかわからずとも、歩いていくその足を止めさせる真似はするまいと、そう決めていた。

 だが、だがもし、子供たちの手に負えない茨の道であったならばーーー自分は命をかけてでも、彼らの力になるだろう。それが、“先”を“生”きる者である、自分の使命だから。

 それまでは、ただ彼らを信じよう、そう思っていた。

 人一人いない夜の闇の中、青と赤の戦士が振るう刃が激突して火花が散る。オレンジ色の輝きは両者の装甲を照らし出し、憤怒の表情にゆがんだ二人の顔をも暗闇の中に浮かび上がらせる。歯を食いしばり、ギラリと激情に燃える瞳を光らせた少年と少女が相手の急所を狙って刃を振るい続けていた。

 

 ヒバリの持つ金色の刃の苦無が、渚の持つ白銀の刃の双剣が、宙に軌跡を描いては甲高い音を鳴らして風を切る。様々な形に構えられる苦無の斬撃と斬ることに特化した二本の曲刀が、まるで食い合う獣のように互いに襲いかかり喰らい付く。

 金属音が何度も大きく響き渡り、暗闇の中で長く木霊する。ギリギリと歯を食いしばった渚とヒバリは、互いに大きく振りかぶって刃を振り下ろした。

 ガキン‼︎ と大きな金属音が鳴り響き、あたりに波のように火花が弾けた。

「……絶対に、退かない‼︎」

「ガキが……‼︎」

 ギチギチと刃を噛み合わせながら渚が必死の形相で宣言すると、ヒバリは苛立たしげに眉間に皺を寄せて歯を食い縛る。戦闘能力や技術的にはヒバリの方がはるかに格上だったが、渚の底知れない暗殺能力やガタックの出力が底上げし、二人の戦況は拮抗していた。

「はぁぁぁぁ‼︎」

「うっ……‼︎」

 しかしとっさの不意をつき、懐に入り込んだヒバリが渚の腹を思い切り蹴り飛ばす。思わぬ反撃に渚が腹を抑えて後退すると、体勢の崩れた渚に向かってヒバリが怒涛の猛攻を加え始めた。

 苦無の斬撃に加え、長い足から繰りだす蹴撃が渚の装甲に突き刺さり、鈍い音と衝撃を与える。一撃が当たる度に渚は苦悶の声をあげ、体に走る衝撃にグラグラと体を揺らす。

 チッ、と舌打ちしたヒバリは左足を軸に回転し、渚の顔面に向けて回し蹴りを放つ。すでに猛攻を食らって満身創痍だった渚はろくな受け身も取れず、ヒバリによる本気の一撃をまともに受け止めてしまった。

「あぐっ……‼︎」

 渚はわずかな声をあげて背をそらし、そのままばたりと倒れた。

 ヒバリは多少息を乱しながらも気を抜かずに渚を見下ろし、やがてピクリとも動かないことを確認して近づいていく。苦無を持ったまま、力尽きた少年を拘束しようと手を伸ばす。

 小さな声で「……意地を張りさえしなければ、ここまでしなかったのに……」と思わずそう呟き、まずはガタックゼクターとライダーベルトを回収しようと膝をつく。打ち身だらけになった顔に少しだけ罪悪感を感じながら武装を解除させようとした時。

 失神していたはずの渚の手が静かに持ち上がり、少しだけ警戒を解いていたヒバリの前に掲げられていく。一瞬、ほんの一瞬惚けてしまったヒバリにできたわずかな間を狙って渚の手が動き、手のひら同士を打ち合わせた。

 

 パァン‼︎

 

 炸裂したそれは、傍から見ればただの虚仮威しの取るに足らないもの。だが暗殺者にとっては、人間の意識の波長が敏感になる瞬間に放たれた、音の爆弾。やり方はただの猫騙しだが、人の意識の波を視認するという驚異的な感覚を身につけた渚にとっては、ターゲットに確実に隙を作ることができる奥の手。

 その名を、“クラップスタナー”と言った。

「ーーーぐっ、ガッ…………⁉︎」

 その一撃は確かにヒバリにも届き、彼女の動きを一瞬とはいえ停止させていた。しかし完全ではなく、ヒバリはクラップスタナーが炸裂した瞬間咄嗟の判断で自らの舌を噛み、激痛を以って麻痺(スタン)を防いで渚を睨みつけた。

「……おっ、前………‼︎」

 まともに動かない体を無理やり動かすヒバリの横腹に、右肘を地面についた渚が蹴りを放つ。麻痺しかけていたヒバリはその衝撃で倒れ、渚は転がるようにして起き上がった。

「……ハァッ、ハァッ……‼︎」

 渚は荒い息を吐きながら、怒りをこらえるかのようにブルブルと体を痙攣させるヒバリを睨みつける。両者は先の攻防の最中にかそれぞれの得物を取り落としており、残る武器は己の肉体だけであった。

「それでも僕はやるんだ……‼︎ 少しの延命だとしても構わない……でもせめて、もう少しだけみんなと一緒に……‼︎」

 気を張っていた渚が、ほんの少しだけ本音を漏らす。

 少年が覚悟を決めたのは、そんなささやかな願いがあったから。エロくて器が小さくて、でも自分たちのことを真っ直ぐに見てくれる先生や絆で繋がった個性的なクラスメイト達と一緒に、勉強したり励ましあったりバカやったり、同じ時の中で喜びも悲しみも分かち合いたい。ただそれだけだった。

 そんな渚の叫びに、ヒバリは小さな声で答えた。

「……君達には、無理だ‼︎」

 冷たく、明らかな拒絶。その一言は、渚の中の最後の緒を完全に引き千切った。

「この分からずや‼︎」

「お人好しは引っ込んでろ‼︎」

 もはや二人は止まらない。罵り合いながら互いの持つゼクターのギミックに触れ、エネルギーを蓄えさせて構える。

RIDER KICK(ライダー・キック)

 稲妻が二人の纏う仮面の角と牙に流れ込み、凄まじいエネルギーを放って右脚に送り込んで行く。バチバチと帯電するする右脚を構えた渚とヒバリは、互いを睨みつけたままジリジリと体勢を低く落とし、備える。

「やぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

「ハァァァァァァァァ‼︎」

 バネのように足の筋肉を収縮させた渚が空中に跳び上がり、ヒバリに向けて右脚を鎌のように振るう。同時にヒバリも左足を軸にして右脚を掲げ、激突させて渚の一撃を真っ向から受け止める。

 ズン‼︎ と青い稲妻が爆発のように炸裂し、凄まじい衝撃と轟音が響き渡る。ぶつかり合ったエネルギーが弾け、まるで昼間のようにあたりを照らし出した。

 閃光がおさまった時、渚とヒバリは互いの背中を合わせるようにして立っていた。激突の余韻がまだ木霊のように残る中、二人のベルトにおさまっていたゼクターが離れて飛び立ち、装甲が破片となって崩れ落ちていく。

 一言も声を発さず、立ち尽くしていた二人だったが、ややあってからヒバリの方が肩を震わせ始めた。

「…………もういい」

 渚は背後を振り向き、顔を全く見せないヒバリの背中を見つめた。

「もういい‼︎ ……勝手にしろ」

 一瞬だけ声を荒げたヒバリは、それっきり振り返ることもせずに歩き去ってしまう。歩調は早く、もう二度と渚の声は聞くものかというような気迫が漏れていて、渚はそれ以上話しかけることもできず、同じように足早に去ることしかできなかった。

 

     †     †     †

 

 ヒバリは遠く離れた廃工場の地面の上で、仰向けに寝転がっていた。

 大きく崩れて穴の空いた屋根の下に寝転がり、目元を片手で覆って天を仰ぐその姿は、まるで小さな子供が必死になって泣く姿をだれかに見られないように隠しているように見えた。

 事実、ヒバリの心境は揺れに揺れていて、それ以上感情を表に出さずに済んでいるのは一度我を忘れて喚いた自分を恥じていたためだ。

 自分でもなぜ、あの年下の少年に対してだけ感情的になり、わざわざ手助けしたり自ら構うような真似をしているのかがわからなかった。そんな義理などないはずなのにリスクもデメリットも承知で関わろうとしているのかも、自ら危険に身を投じようとしている彼を案じているのかも、分からずにいた。

「……なんで、男の子ってみんなそうなのかな……」

 ふと漏れた言葉。

 その時の彼女の脳裏には、同じように自ら危険に関わって愚かな行為を行い、そして力尽きた男の最期の姿があった。

 

 ーーー今になって、情けない話だが……、

    こんなことになるなら、もう少しお前と話をしておくべきだったな……。

 その男は記憶の中で、土煙が舞う廃墟の壁に背を預け、荒い息をつきながら今よりずっと幼い少女ーーーヒバリにそう話しかけていた。左手で抑えている腹部からは真っ赤な命がダクダクと流れ出し、彼の足元をどす黒く染め上げている。

 恐怖のあまり涙をこぼす少女は、ぐったりとしている男の体を必死にゆさゆさと揺すって叫んでいた。

 ーーーイヤ…、イヤだよ、お兄ちゃん……‼︎

 お願いだからボクを……ボクを一人にしないでよ……‼︎

 ーーー……悪いな、ヒバリ。

    こんな不甲斐ない、兄で。

 少女の願いも虚しく、男の顔色は徐々に血の気を失っていき、呼吸も弱々しく薄れていく。生気を失っていく兄の体に縋り付く幼い頃のヒバリは、唯一の家族を失う恐怖に耐えきれず涙を止められずにいた。

 そんな妹を見つめ、苦笑した兄はただ泣きじゃくる妹の頭を撫で、ポンポンと叩いて落ち着かせて言う。

ーーー…おばあちゃんが言っていた。

    出会いには必ず別れがある。だが出逢って繋がれた(えにし)は、決して途切れることはない、ってな。

 兄の慰めに、少しだけ我を取り戻したヒバリは、満身創痍の体で微笑む兄を見つめ、その言葉にの意味を問うた。

 兄は答えず、妹の体を最期に強く抱きしめた。いつもの抱擁より弱々しいそれをヒバリはただ黙って受け止めた。

 ーーーヒバリ。

    あとのことは、他の仲間に頼れ。

    俺はここでお別れだが、決していなくなるわけじゃない。

    俺はいつでもお前の隣で、一緒にいる。

    ……約束だ。

 ーーー……うん。

 兄はそれだけ言うと、再び廃墟の壁に背を預けて目を閉じ、それっきり動かなくなった。

 ーーー……お兄ちゃん? …お兄ちゃん……‼︎

 二度と目覚めることのない眠りについた兄に縋り付いたまま、それが永久の別れだと理解できない……理解したくない妹はずっと兄の名を呼び、泣き続けていた。

 

 あれから、長い年月が過ぎた。

 兄の遺言に従い、兄の仲間を頼って過ごしてきたが、皆自ら戦いを挑んでは散っていき、二度と戻ってはこなかった。貴族だったという(サソリ)の剣士も、深い闇の世界にいながら強く生きた飛蝗(バッタ)の兄弟も、多くの仲間も、ヒバリ一人を残していなくなってしまった。

「…………もう、失う物なんかない。怖いものなんてない」

 天に伸ばした手を掴み、ヒバリは己に告げる。

「ZECTは、ボクが潰す」

 もうそこには、泣きじゃくっていた頃の弱い少女の姿はなかった。

 そこにいるのは、失った全てを小さく華奢な背中に背負い、復讐の刃を研ぎ澄ませた一人の暗殺者だけだった。


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