【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star―   作:春風駘蕩

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第10話 招待の時間

 渚が目を覚ましたのは、医務室のように白一色の殺風景な部屋だった。窓はなく、空調のための換気扇のみが備えられた箱のような一室。その中心に置かれた真っ白なベッドの上に寝かされていた渚は、ガバッと毛布をはねのけて身を起こした。

 いつの間にか病院着のような格好に着替えさせられており、軽く狼狽する。見知らぬ、それどころか明らかに異質な空間に自分がいることが理解できず、渚は思わずキョロキョロと辺りを見渡す。ここはどこだ、一体なんだ。必死で頭を働かせていると、渚の正面にあったスライドドアが音もなく開いた。

「……目を覚ましたようだな」

 ドアの奥から姿を現したのは、きっちりとした軍服をまとった、それもかなり階級の高い雰囲気を放つ、中年の男だった。目は鷹のように鋭く、烏間や、イリーナの師であるロヴロのような近寄りがたい覇気を放っていた。

「体はどこか不調はないか」

「……ここは、どこですか?」

 男の質問に答えず、渚は尋ねた。とは言っても、半ば予想はできていたが。

「ZECTの本部だ。気を失っている君を、ここまで運ばせてもらった」

 男の答えに、渚の表情は険しくなる。前々から手荒な手段で接触してきていた組織の根城に、まんまと囚われてしまったのだ。しかも本部ということは、烏間先生でも迂闊には手を出すことはできないだろう。いわゆる詰んだ状態だ。

 そんな心境を読み取ったのか、軍人の男は呆れたようなため息をついた。

「……誤解があるようだが、君に危害を加えるつもりはない。ただ、我々のトップが君に直接頼みたいことがあったのだ。信用してほしい」

「…………」

 渚は、まっすぐ見つめてくる軍人の男を見つめ返し、じっと観察する。高岡のような嘘臭さや偽りは感じられず、職務をただ全うするという意思だけを感じる。烏丸とはまた違った堅物さだ。特には、こちらを害そうという気配はなかった。

「……わかりました」

 熟考の末、小さくうなづいた渚はベッドから足を下ろし、軍人の男がいる方へと歩き始めると、背を向けた彼の後をついていった。

 

 制服に着替えさせられ、身なりを整えた渚は、大きな扉のある部屋へと案内された。

 見るからに偉い人がいるとわかる一室の扉を叩き、軍人の男が入室する。促された渚はその後を追い、広いその部屋の奥へと足を踏み入れた。

 左右には、大量の本が収められた本棚。天井にはシャンデリア、奥には大きなデスクと、豪華さと壮大さを感じさせる広い部屋。その先に、一人の初老の男性が座っていた。

 一見柔和そうに見えるが、その目には確固たる意志の炎が宿っている。侮れない雰囲気を放つその男性を前にして、渚は静かに息を飲んだ。

「……手荒な歓迎をしてしまってすまないね。潮田渚くん、私はこのZECTを率いている最高責任者、加賀美だ」

 烏間のような身体的な気迫ではなく、知略・策略を働かせる知能的な気迫に圧されながらも、渚は自己紹介する老人、加賀美に小さく会釈する。なおも動けない少年に苦笑し、加賀美は姿勢を正して願力を緩めた。

「緊張しないでくれ。私たちはただ、君に力を貸して欲しいだけなんだ」

「……ガタックの力、ですか?」

「そう…、これから言うことは、ガタックの力を使える者……つまり、君にしかできないんだ」

 鏡の言葉に、渚はぎゅっと拳を握り締める。

「……それは、一体……?」

 思わず渚が尋ねる。これから分かるZECTの真意が、渚の今後を左右するのだ。組織を用いてでも、個人を欲するまでの動機がなんなのか、目の前にある答えに、渚のひたいを汗が伝った。

 そしてややあってから、加賀美は口を開いた。

「……この地球(ほし)に、海を取り戻すためだ」

「⁉︎」

 渚は今度こそ言葉を失った。放たれた言葉の意味を理解しきれず、放心してしまった。

 海を取り戻すとはどういうことか。隕石によって全て蒸発させられ、7年もの間失われてきた母なる海を、どうやって人間の力で取り戻すというのか。そんな神のような御技が、可能なのか。

 戸惑う渚に、加賀美はふっと笑って見せた。

「正しくは、大量の水を手に入れる、というべきか」

「ど、どうやって、そんなことを……」

 ようやく我に返った渚が、加賀美を凝視して呟く。

 加賀美は軍人の男に目配せし、男はそれに従って何やら機械を操作し始めた。すると、天井から白い幕と映写機が姿を見せ、自動的に点灯して映像を流し始めた。

「ZECTの研究者が、地球の近くを通る彗星を発見した。…驚くことにこの彗星は全て氷でできていて、不純な物質は何一つ含まれていないらしい。私たちはこれを、クロックアップシステムを利用して地球に墜落させるつもりだ」

「…………⁉︎」

 目をみはる渚に、加賀美は大きく頷いてみせる。

「クロックアップシステムは、空間を操作して使用者を一定の物理法則から分離し、爆発的な加速を得る力だ。これを利用し、宇宙空間において特殊な磁場を発生させ、彗星を誘導する“穴”を生成する」

 加賀美は立ち上がり、大きく手を広げて渚に自身の高揚を伝える。プロジェクターの放つ光により、加賀美にまるで後光が差しているように見えた。

「これが、ZECTの……『天空の梯子』計画だ」

 

     †     †     †

 

「天空の梯子……それが奴らの狙いか」

 朽ちた椅子の上で踏ん反り返るヒバリを前にして、織田が忌々しそうに呟いた。苛立ちをぶつけるように手のひらに拳をぶつけ、感情をあらわにしている。

「なるほど……大量の水を手にすることで、ZECTは世間からより多くの支持を受ける。そして、よりZECTの権力は強大化し、逆らう者はいなくなる……。やっかいですね」

 風間も自らの顎を撫で、ZECTの計画の重要性に感嘆し、表情を険しくさせる。この計画が成功すれば、織田達NEO-ZECTの力は削がれ、逆に力の増したZECTに問答無用で潰されてしまうことだろう。まさに、織田達にとって致命傷となる計画だ。

「しかしお前……よくこんな重要情報収穫できたな」

「……多分、ZECTはこの計画を公表するつもりだったんだろう。むしろ、ZECTの本部に忍び込む方が命懸けだった」

「そうか。ご苦労だったな」

 織田がしきりにヒバリに笑いかけると、ヒバリはふんと鼻で笑って見せた。どうということもないという強がりなのか、手のかかる奴らだというような嘲りなのか、はたまたその両方か。

 すると、苦笑していた織田が何かを思いついたように顔を上げ、風間の方に振り向いた。

「…なぁ、その計画……俺たちで乗っ取れないか?」

「…………?」

 訝しげに、頬杖をついていたヒバリが織田の方を見やった。少ししてからその言葉の意味を理解したのか、いらだたしげに目を細めて織田達を睨みつけた。

「……手柄を横取りし、逆にNEO-ZECTの賛同者を増やすつもりか?」

「ああ! ここらで奴らにも痛いしっぺ返しを食らわせてやりたかったところだ。ちょうどいいだろう」

「……そううまくいくのか?」

 織田の言いたいこともわからなくはないが、あまりに無謀で短絡的である。向こうは何年もかけて築き上げた計画であるだろうに、ついさっき計画を聞いたばかりのこちらが下手に介入すればろくな結果にはならないだろう。

 風間もヒバリと同意見なのか、それともZECTと真っ向からやりあうことに興味がないのか、やれやれと肩をすくめてため息をつくばかりだった。

 だが織田は、獰猛な獣のような笑みを浮かべ、ヒバリと風間を見渡した。

「俺はコソコソするのは性に合わん。それにヒバリ、お前はZECTを潰したいんだろう? そして俺は、自由を邪魔する奴らを潰したい。……利害は一致しているだろう?」

「……無様に命を散らせる気はないんだが……仕方がないか」

 ヒバリは呆れたようにため息をつき、織田を見つめ返した。

「……いいだろう。僕も付き合ってあげる」

「ならば私も……、その風に乗るとしましょうか」

 二人の同意に、織田は「決まりだ」と返して膝を叩く。

「それで、引き続きお前にはZECTの監視を頼みたい。…この計画には、どうあっても外すことができねぇ“要”があるからな」

「……わかってる」

 織田の言う“要”が何か理解し、ヒバリは険しい顔で頷く。天空の梯子計画を遂行するために、必ずいなければならない要素。ZECTが、外聞を捨ててでも手に入れようとした、最強の力を自在に使いこなすことができる、唯一の存在。

「潮田渚。……奴こそが、われわれと奴らにとっての切り札(ジョーカー)だ」

 

     †     †     †

 

「君が了承さえしてくれれば計画はすぐにでも決行の準備を進められる。できることなら、この依頼を受けて欲しい」

 黙り込む渚に加賀美はまっすぐ見つめる。

 渚はうつむき、深く考え込む。ZECTが渚の身柄を是が非でも欲しがる理由もわかったし、ガタックでなければならない理由もおのずとわかる。計画を確実に成功させるためには、全ゼクター中最強の出力を誇るガタックを使用することがか確実となるのだろう。

 しかしそれでも、渚には納得できないでいた。

「……どうして、僕が」

「…………」

 思わず漏れた言葉に、加賀美は眉をひそめた。そして、彼の担任教師がまとめた資料の内容を思い出し、背筋を伸ばして考え込む。

 身体能力は平均以下、学力もかの学校においては特筆する点もない。いたって目立つ特徴もない、平凡な少年である彼がなぜ選ばれたのかは加賀美にもZECTの研究員にもわからなかったが、重要なのは適合者であるという点である。

「それこそ、神の采配というものだろう。だが、神は君こそがふさわしいと見込んだのだ。私は、そう思って君に頼んでいる」

「…………」

 たとえどんなに追われても、人の性格はすぐには変わらない。すぐに答えを出すことができずに立ち尽くす渚は、力無く地面に視線を落とし続けていた。

 加賀美は落胆する様子もなくため息をつき、渚から目をそらした。

「……これは、君の自由だ。戦うことを拒絶してもいい」

「えっ……」

 意外そうな顔で、渚は顔を上げた。散々聞かされた計画の重要性から、てっきり了承するまで帰らせてもらえないか、それどころか拘束されるものだと思っていたぶん拍子抜けだった。最初の邂逅の印象から、子供であろうと容赦などされないものだとばかり。

「部下の暴走のことは謝罪しよう。確かに計画は必ず成功させたいが、人権を無視してでも遂行させようとまでは考えていない。…我々は、独裁者ではないのだ」

「…………僕は」

「この勧誘に関しては、君の学校の理事長にも釘を刺されているのだ。『教育者として、生徒の自由を束縛することはできない』とね」

「…………‼︎」

 思わず、渚は言葉を失う。教育の鬼と呼べる浅野理事長は、E組という学校の底辺を明確にすることで生徒の向上意識を高め、敗北のない強い生徒を輩出させてきた傑物。そんな人が、E組の生徒の一人を庇うようなことを言ったのだ。裏があると勘繰りそうになる。

 だが、ある意味で選択の自由があるということは精神的な負担でもあった。

 もし断れば、渚は後悔することだろう。自分にしかできないことを蹴り、計画が失敗に終わるかもしれない。もしくは、他の誰かが責任を負うかもしれない。

 しかし受けたとしても、失敗のリスクが大きく感じる。自己評価の低い渚には、どうしても成功のイメージを持てず、計画の要たる自信を持てなかった。

「我々は、恥を忍んで君に頼むのだ。このままでは人類は、残り少ない資源を巡って醜い争いを続け、自ら滅びの道を選んでしまう」

「…………少し、考えさせてください」

 絞り出すような声で、渚はようやく答えた。

 もう、居心地の悪さが身の内で溢れ、正気でいられない。加賀美の視線すらもまともに受け止めきれず、渚の顔はずっと俯いたままだった。足元すらもおぼつかなく、自分がしっかりと立てているのかすらもわからず、グラグラと体が揺れ動いているような錯覚すら感じる。

 加賀美は目を細め、青い顔でうつむく渚をじっと見据える。

「君に、とても酷なことを言っているのはわかっている。君のような少年に、人類の運命を左右する選択をさせているのだからな」

 すると、加賀美は椅子から立ち上がり、黙り込む渚を見下ろす。それだけで、静かなプレッシャーが渚を襲い、呼吸までもが困難になる。心臓が大きく鼓動し、体の震えが止められなくなる。気のせいかもしれないが、少なくとも今の渚には、強すぎる毒だった。

「……だが、改めて頼もう」

 あえて加賀美は、何度も少年に頭をさげる。

 

「人類の未来を救う、英雄(ヒーロー)となってくれないか」


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