ソードアート・オンライン 黄昏の剣士   作:京勇樹

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長いよ
一万字だよ


キリトの実力と世界の歪み

シルフ族の少女、リーファは目の前に突如落下してきたプレイヤーを見て驚いた

 

影妖精(スプリガン)!? しかも、初心者(ニューピー)!? なんで、初心者のスプリガンがこんなところに!?)

 

リーファが驚くのも、無理はなかった

 

なんせ、スプリガンのキリトの装備はいかにも初期装備のもので、しかも、スプリガンの領土は央都アルンを挟んだ反対側なのだ

 

すると、立ち上がって体に付着していた葉っぱを払ったキリトは、リーファと三人のサラマンダーを見比べて

 

「重戦士三人で女の子一人を襲うのは、ちょっとカッコよくないなぁ」

 

と呆れた様子で告げた

 

「なんだとテメエ!」

 

「鉄屑漁りのスプリガン風情が!」

 

キリトの言葉を聞いて、二人のサラマンダーが怒って地面に降り立った

 

それを見たリーファは、血相を変えて

 

「何してるの! 早く逃げて!!」

 

と叫ぶが、キリトはノンキに屈伸などしていた

 

「くっ……」

 

リーファは助けたかったが、頭上に居るリーダー格のサラマンダーに狙われていて動けなかった

 

「一人でノコノコ出てきやがって、馬鹿じゃねえのか? 望み通り、ついでに狩ってやるよ!」

 

キリトの前に着地していたサラマンダーはそう言うと、上げていたパイザーを下ろした

 

その直後、広げた羽からルビー色の燐光を放出しながら突撃を始めた

 

もう一人はキリトが回避した所を仕留める気らしく、時間差で突撃するようだ

 

その状況は到底、初心者にどうこう出来る状況ではなかった

 

突撃槍が体を貫く場面を予想したリーファが、唇を噛んで目を逸らそうとした……その直前

 

リーファにとって、予想外のことが起きた

 

右手をポケットに突っ込んだまま、無造作にキリトは左手を伸ばすと、必殺の威力をはらんだ突撃槍の先端をガシッと掴んだのだ

 

ガードエフェクトの光と音響が、周囲の空気を震わせた

 

その光景に、リーファがあっけに取られていると、キリトはサラマンダーの突進力を利用して体を独楽のように回して、掴んでいた突撃槍ごと、背後に投げ捨てた

 

「うわあああ!」

 

「ちょっ! おまっ!?」

 

投げ捨てられたサラマンダーは、突撃しようと待機していたもう一人のサラマンダーと衝突して、二人は絡まったまま金属音を鳴らして、地面に落下した

 

キリトは投げ捨てた勢いのまま、くるりと振り返ると、背中の剣に手を掛けたが、そこで動きを止めると少し戸惑った様子で

 

「ええと……あの人達、斬ってもいいのかな?」

 

と、リーファに聞いてきた

 

何がなにやらわからないリーファは、呆然としながら

 

「……そりゃいいんじゃないかしら……少なくとも、先方はそのつもりだと思うけど……」

 

と、頬を掻きながら答えると

 

「それもそうか。そんじゃ失礼して……」

 

と答えると、背中の剣を抜いて、ダラリと構えた

 

斬るとか言いながら、一切の気合いを感じず、リーファは思わず訝しんだ

 

すると、キリトは重心を少しずつ前にしながら左足を擦るように前に出した

 

と思った瞬間、キリトの姿が消えて遅れてズバァン!! という衝撃音と振動がリーファを耳朶を襲った

 

リーファが慌てて顔を右に向けると、遥か離れた位置にキリトが剣を振り切った形で止まっていた

 

すると、二人のサラマンダーのうち、立ち上がろうとしていた方の体が赤いエンドフレイムに包まれて、その直後に爆散し、ソフトボールサイズの残り火だけとなった

 

(は、速過ぎる!!)

 

キリトの速度に、リーファを戦慄が襲った

 

リーファが見たキリトの速度は、一年間プレイした中でも別次元だった

 

リーファは自分の動体視力に自信があった

 

今まで、リーファの目に捉えられない動きなどなかった

 

それなのに、キリトの動きは一切見えなかった

 

その別次元の速さを見て、リーファの全身がゾクゾクと震えた

 

この世界(アルヴヘイム・オンライン)でキャラクターの運動速度を決めているのは、たった一つだ

 

フルダイブシステムの電子信号に対する脳神経の反応速度である

 

装着しているアミュスフィアが電磁パルスを発して、脳がそれを受け取って、処理、運動信号としてフィードバックするという流れである

 

そのレスポンスが速ければ速いほど、キャラクターのスピードも上がるのだ

 

生来の反射神経に加え、一般的に長期間の経験によって、その速度は向上していく、と言われている

自慢ではないけど、リーファはシルフの中で五指に入るスピードの持ち主と称されている

 

長年鍛えた反射神経と、一年間のALOプレイ歴により、一対一ならば、どんな相手だろうと遅れは取らないと最近は自信を深めていたのだが……

 

(ダメだ……彼に勝てるビジョンが浮かばない……)

 

リーファと飛んでいるサラマンダーのリーダー格が呆然と見守っている中、キリトはのそっと立ち上がると、再び剣を構えながら振り向いた

 

突進をいなされたサラマンダーは、未だに状況を把握しきれてないらしく、見当違いの方向をキョロキョロと見回していた

 

そのサラマンダー目掛けて、キリトは容赦なく再び攻撃する仕草を見せた

 

(今度こそ、見失わないように……っ!)

 

リーファはそう意気込むと、よく眼を凝らした

 

初動は決して速くはない

 

気負いのない、ゆったりとした動き

 

だが、一歩踏み出した足が地面に触れた瞬間、再び大気を揺るがす大音響とともにその姿が霞んだ

 

今度はどうにか、ギリギリ見えた

 

映像をまるで早送りしているような、コマ落ちのような絵がリーファの目に焼き付いた

 

エフェクトフラッシュすら一瞬遅れる速度で、キリトは下段から剣を跳ね上げてサラマンダーの胴体を分断

 

キリトはそのまま数メートル移動して、剣を高く振り上げた姿勢で停まった

 

その直後、再びエンドフレイムが噴き上がり、二人目のサラマンダーも消えた

 

数瞬後、落ち着いて考えてみてリーファはキリトの攻撃が発生させたダメージ量の凄まじさに気がついた

 

キリトが倒した二人のサラマンダーのHPは全快状態ではなかったが、それでも半分近くは残っていた

 

それをたった一撃で削るとは、尋常ではなかった

 

ALOにおいて、攻撃ダメージの算出方法はそれほど難しくない

 

武器の攻撃力、装備している防具の防御力、攻撃スピード、ヒット位置。それだけである

 

今回の場合、武器の攻撃力はほぼ最低、それに対してサラマンダーの鎧はかなりの高レベルと予測できる

 

ゆえに、武器をただ当てただけでは大したダメージにはならない

 

それを考えると、キリトが如何に正確に速く攻撃を当てたのかわかるだろう

 

二人のサラマンダーを倒したキリトは、ゆっくりと立ち上がると剣を肩に担ぎながら上空をホバリングしていたサラマンダーのリーダー格を見上げて

 

「どうする? あんたも戦うか?」

 

とリーダー格に問い掛けた

 

すると、サラマンダーのリーダー格の男は降参とばかりに両手を上げて

 

「まったく勝てる気がしないし、もうすぐで魔法スキルが九百なんだ。デスペナが惜しい」

 

と告げた

 

それを聞いたキリトは、視線をリーファに向けて

 

「お姉さんはどうする? 最初に戦ってたのは、そっちだし」

 

と問い掛けた

 

問い掛けられたリーファは数瞬悩むと、持っていた剣を鞘にしまい

 

「私もやめとくわ……ただし、一対一で会ったら、次は勝つからね?」

 

と言った

 

それを聞いたリーダー格は、二人に背を向けながら

 

「正直言うと、君にも勝てる気がしないよ……」

 

と言って、飛んでいった

 

キリトはそれを見送ると、剣を背中に戻してリーファに振り向いた

 

すると、リーファは僅かに腰を低くして

 

「……で、あたしはどうすればいいのかしら? お礼を言えばいいの? 逃げればいいの? それとも……」

 

リーファがそう言いながら、右手を腰の長刀の柄に持っていくと、キリトは腕組みをして

 

「うーむ……俺的には、正義の騎士が悪漢からお姫様を助けた、っていう場面なんだけどな」

 

そこまで言うと、次に意地の悪い笑みを浮かべて

 

「感激したお姫様が、涙ながらに抱きついてくる的な……」

 

と言うと、リーファは顔を真っ赤にしながら

 

「ば、バッカじゃないの!? なら、戦ったほうがマシだわ!!」

 

と叫んだ

 

「ははは、冗談冗談」

 

リーファの反応に満足したのか、キリトはヤダなーもう、と言わんばかりに笑った

 

そんなキリトを見て、リーファがギリギリと歯軋りしていると

 

「そ、そうですよ! そんなのダメです!!」

 

と、何処からか幼い女の子の声が聞こえた

 

リーファが何処から? と周囲を見回していると、キリトが胸ポケットを見て

 

「あ、こら。出てくるなって」

 

と声を出した

 

リーファが視線を向けると、キリトの胸ポケットから光が飛び出した

 

小さな光は鈴の音を鳴らしながら、キリトの顔の周りを飛び回ると

 

「パパにくっついていいのは、ママとわたしだけです!」

 

と声を張り上げた

 

その小さな少女、ユイの言葉を聞いて

 

「ぱ、パパァ!?」

 

リーファは驚愕した

 

リーファはキリトへの警戒も忘れて、ユイを注視した

 

「あ、いや、これは……」

 

キリトはユイのことをどう説明すればいいのか分からず、言葉を濁らせながら頬を掻いた

 

すると、リーファはユイを指差しながら

 

「ねえ、これってプライベート・ピクシーってやつ?」

 

とキリトに問い掛けた

 

「へ?」

 

「あれでしょ、プレオープンの販促キャンペーンで抽選配布されたっていう……へぇー、初めて見るなぁ」

 

キリトが呆けているなか、リーファはそう言いながら、ユイを見つめた

 

「あ、わたしは……むぐ!」

 

恐らく、自己紹介しようとしたのだろうユイの口をキリトは指で押さえて

 

「そ、そう、それだ。俺、クジ運いいんだ」

 

と言った

 

「ふうーん……」

 

キリトの言葉を聞いたリーファは、ユイを見てからキリトの全身を見た

 

「な、なんだよ」

 

内心では冷や汗をかきながら、キリトが精一杯の虚勢をはっていると

 

「や、変な人だなあと思って。プレオープンから参加してるわりには、バリバリの初期装備だし。かと思うと、やたら強いし」

 

リーファからの追求に、キリトは視線を虚空に向けて

 

「ええーと、あれだ。昔、アカウントだけは作ったんだけど、始めたのはつい最近なんだよ。ずっと他のVRMMOをやってたんだ」

 

と、早口でまくし立てた

 

「へえー」

 

リーファとしては、どうも腑に落ちなかったが、他のゲームでアミュスフィアに慣れているというならば、ずば抜けた反射速度にも頷けた

 

「それはいいけど、なんでスプリガンがこんな所をウロウロしてるのよ。領地はずうっと東じゃない」

 

とリーファが問い掛けると、キリトは頬を掻きながら

 

「み、道に迷って……」

 

「迷ったぁ!?」

 

キリトの言葉にリーファは思わず、大声を上げてから吹き出し

 

「ほ、方向音痴にも程があるよー。君、変すぎ!!」

 

と笑い出した

 

リーファが笑い出すと、キリトは傷ついた様子で地面にのの字を書き出した

 

ひとしきり笑うと、リーファはキリトを見下ろして

 

「まあ、ともかくお礼を言うわ。助けてくれてありがとう。あたしはリーファっていうの」

 

リーファがお礼と自己紹介をすると、キリトは立ち上がり

 

「……俺はキリト。こっちはユイ」

 

と自己紹介してから、肩に乗ってるユイを指差した

 

指差されたユイは、最初は頬を膨らませていたが、紹介されると可愛らしくペコリと頭を下げると飛び立って、キリトの肩に座った

 

この時リーファは、キリトともう少し話したいと思い出している自分に少々驚いていた

 

兄程ではないが、友人の少なく、更に友達を作ることが苦手な自分にしては珍しいとすら思った

 

(感じからして悪い人じゃなさそうだし……)

 

そう判断したリーファは、思い切って口を開いた

 

「ねえ、君この後どうするの?」

 

リーファが問い掛けると、キリトは頬をポリポリと掻きながら

 

「や、特に予定はないんだけど……」

 

と言った

 

それを聞いたリーファは、これ幸いにと

 

「そう。じゃあ、その……お礼に一杯おごるわ。どう?」

 

と提案した

 

リーファの提案を聞いたキリトは、にこりと笑みを浮かべた

 

その笑顔を見たリーファは、内心で感心した

 

感情表現が大雑把なVR世界では、キリトの笑みは自然だった

 

「それは嬉しいな。じつは、色々教えてくれる人を探してたんだ」

 

「色々って……?」

 

「この世界のこと。特に……あの樹のことを」

 

リーファが問い掛けると、キリトは睨むように世界樹を見つめた

 

「世界樹? いいよ。あたし、こう見えても結構古参なのよ。……じゃあ、ちょっと遠いけど、北のほうに中立の村があるから、そこまで飛びましょう」

 

とリーファが言うと、キリトは首を傾げた

 

「あれ? 確か、近くにスイルベーンって街がある筈だけど……」

 

キリトがそう言うと、リーファはため息を吐いた

 

「そりゃそうだけど……ほんとに何も知らないのねえ。あそこはシルフ領だよ」

 

「なんか問題あるの?」

 

リーファはキリトのあっけらかんとした態度に、思わず絶句した

 

「問題っていうか……街の圏内じゃ、君はシルフを攻撃出来ないけど、逆はアリなんだよ」

 

リーファの言葉を聞いたキリトは納得したように

 

「へえ、なるほどね……でも、別にみんなが即襲ってくるわけじゃないんだろう? リーファさんも居るしさ。シルフの国って綺麗そうだから見てみたいなぁ」

 

という呑気なキリトの言葉に、リーファは肩をすくめて

 

「……リーファでいいわよ。ほんとに変な人。まあ、そう言うならあたしは構わないけど……命の保証まではできないわよ?」

 

というリーファの言葉に、キリトは頷いた

 

リーファとしては、愛着のあるシルフ領を見てみたいと言われれば嫌な気はしなかった

 

「それじゃあ、スイルベーンまで飛ぶよ! これから、賑やかになる時間だわ」

リーファの言葉を聞いて、キリトは頷いた

 

それからキリトは、リーファに習って随意飛行を覚えた

 

リーファ曰わく、筋は良いらしい

 

そして、十数分間飛び続けて、キリト達はスイルベーンに到着した

 

ただし、到着した際にキリトは止まりきれずに塔に激突。そのまま、地面に落下した

 

リーファとしては、よくHPが全損しなかったなぁと思ったそうな

 

そして、目的地に向けて歩いているとキリト達はある少年に出会った

 

名はレコンと言った

 

レコンはキリトがリーファと会う直前に、サラマンダーと相討ちになったらしい

 

レコンは出会い頭にキリトを見て、短刀を抜こうとしたが、リーファに止められた

 

そして、思い出したように今回得たアイテムを分配すると言ったが、リーファは自分が得たアイテムを渡すとキリトとユイを伴ってリーファお気に入りの酒場兼宿屋のすずらん亭に入った

 

そして、二人はメニューから色々なデザートと飲み物を頼んだ

 

不思議なことだが、この世界で食事をすると仮想の満腹感が発生して、それは現実に帰還してもしばらくの間は消えない

 

カロリーを気にしないで甘い物が好きに食べられるのは、リーファとしては最大級の魅力の一つなのだが、それで現実世界での食欲が無くなると母親にそれはもう、酷く怒られるのだ

 

実際にこのシステムを利用してダイエットを試みたプレイヤーが栄養失調に陥ったり、一人暮らしのヘビープレイヤーが食事を忘れて衰弱死したりというニュースは今となっては、珍しくもない

 

二人が注文したデザートや飲み物が来たので、二人は乾杯して色々と話し合った

 

サラマンダーとシルフは仲が悪いらしく、更に領地が隣だから戦闘になるのは珍しくないらしい

 

そして、キリトが世界樹の上に行きたいと言ったら、リーファは全員がそうだろうと告げた

 

それはグランドクエストクリアの為だが、ALOが始まって一年が経過するというのに、未だに誰もクリア出来ていない

 

理由は単純

 

ドームを守護しているNPCが、有り得ないほど強いらしい

 

一回、運営にバランスの改善を要求したが、帰ってきたのはお決まりの定型文だったとか

 

そして、キリトがどうしても世界樹の頂上に行きたいと言うと、リーファが案内すると宣言した

 

最初は躊躇ったが、押された形でキリトは了承した

 

そして夜

 

キリトはユイと寝る形で、ログアウト

 

いわゆる、寝落ちを行った

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

アスナが閉じ込められていたのは、歩いて二十歩ほどしかない狭い空間だった

 

その空間は円形に作られており、見た目的には鳥籠と言ったところである

 

柵は無理すれば、アスナが通れるくらいの隙間が空いているが、システム的に不可能である

 

アスナはしばらくの間、空を眺めてから中央に配置されている大理石に似た素材で作られた椅子に座った

 

頭上には、鉄格子が交差しており、そこにあるリングを恐ろしく太い枝が貫いて、アスナが居る鳥籠を支えている

 

鳥籠と言うよりかは、アスナだけを閉じ込める監獄

 

華奢で、優雅で、美しいが、冷徹な樹上の監獄だった

 

アスナがこの監獄に囚われてから、すでに2ヶ月近くが経過している

 

しかし、アスナは正確な日数は把握していない

 

理由を挙げると、この世界の1日は二十四時間ではないからだ

 

アスナが自身の体内時計に従って寝起きすると、夜だったり、夕方だったりしたのだ

 

この世界に来た時、アスナは何が起きたのかわからなかった

 

だが、少ししてわかった

 

アインクラッドではないが、今自分が居るのは、新しい仮想世界だと

 

その証拠に、アスナの背中には不思議な透明な羽が存在している

 

そして、悪意によってこの世界に囚われていることもわかった

 

だが、アスナは負ける気はさらさらなかった

 

自分の愛した黒い剣士が、現実に帰れているのならば、彼が何もしないわけがないと確信しているからだ

 

だから、彼が、キリトが来るまでは絶対に挫けない。とアスナは誓った

 

(だから……早く……早く助けに来て、キリトくん……)

 

と、アスナが心中で愛する人物を呼んだ時だった

 

「その表情が一番美しいよ、ティターニア」

 

という、声が響いた

 

「泣き出す寸前のその顔がね。凍らせて飾っておきたいくらいだよ」

 

「なら、そうすればいいでしょう」

 

アスナはそう言いながら、声のした方向に顔を向けた

 

その方向には、檻の一カ所

 

《世界樹》と呼ばれている巨大な樹に面している部分に、小さなドアが設けられており、ドアまでは階段が刻み込んである枝が伸びて、世界樹の幹との通路となっていた

 

そのドアから入ってきたのは、一人は波打つ金髪と白銀の円冠

 

長身を包む、銀糸で細かい装飾が施された濃緑の長衣

 

そして、背中からはアスナと似ているが色はビロードのような黒地にエメラルドグリーンの模様の羽

 

そして顔は、如何にも作り物とわかる端麗で、滑らかな額に鋭い鼻梁、切れ長の羽と同じ虹彩の双眸

 

だが、それらを台無しにしているのが薄い唇に張り付いている微笑みである

 

まるで、全てを蔑んでいるような歪んだ笑み

 

そして、その男の背後に立っているのは全身を黒で統一した鎧を纏った騎士だった

 

右腰には片手直剣、太ももには投剣、背中には槍という装備の騎士が居た

 

その騎士は、約十日程前から現れた

 

そしてアスナは、その騎士が知っている人物では? と思えてならなかった

 

アスナは長身の男の顔を一瞬だけ見ると、汚らわしい物を見たかのようにすぐに視線を逸らして、抑揚を押された声で

 

「……あなたなら、何でも思いのままでしょう? システム管理者なんだから、好きにしたらいいわ」

 

アスナの言葉を聞いた男は、肩をすくめて

 

「また、そんなつれない事を言う。僕が今まで君に無理やり手を触れたことがあったかい? ティターニア?」

 

と言うと、アスナは男を睨んで

 

「こんな所に閉じ込めておいて、よく言うわ。それに、その変な名前で呼ぶのはやめて。私はアスナよ、オベイロン……いえ、須郷さん」

 

と男の現実での名前を呼ぶと、オベイロンこと須郷は唇を不機嫌そうに歪めて

 

「興醒めだなぁ。この世界では、僕は妖精王オベイロン。君は、女王ティターニア。プレイヤー共が羨望を込めて見上げるアルヴヘイムの支配者……それでいいじゃないか。一体いつになったら、君は僕の伴侶として心を開いてくれるのかな?」

 

「いつまで待っても無駄よ。あなたにあげるのは、軽蔑と嫌悪。それだけだわ」

 

アスナがそう言いながら、顔を逸らすと須郷は首を振って

 

「やれやれ、気の強いことだ……」

 

と言いながら、アスナの隣に立った

 

すると、須郷は気味の悪い笑みを浮かべて、右手でアスナの顔を自分に向けさせた

 

アスナはそれに伴う悪寒を必死に堪えながら、須郷を睨んだ

 

「でもねえ……なんだか最近は……そういう君を力ずくで奪うのも楽しいかなあと、そんな気もするんだよね」

 

アスナはその言葉を聞いて、顔を逸らそうとしたが、まるで万力のような力によってなかなか動かなかった

 

すると、次いで須郷は左手の指が顔を虫のように這いはじめた

 

アスナはその不快感を堪えるために、歯を食いしばり、固く目を閉じた

 

その間に、須郷の指は頬から唇、首筋と這っていき、肩に触れてから、胸元の真紅のリボンに伸びて、リボンを解こうとするように端を摘まんだ

 

そのタイミングで、アスナは目を開き須郷を睨みながら

 

「やめて」

 

短いがはっきりと、須郷の行為を拒絶した

 

それを聞いた須郷は、喉の奥をククッと不気味に鳴らしながら指を離して、手をヒラヒラとしながら、笑いの混じった声で

 

「冗談さ。言ったろう? 君に無理矢理手は掛けないって。どうせ、すぐに君の方から僕を求めるようになる。もう、時間の問題さ」

 

「……馬鹿なことを、気は確かなの?」

 

須郷の言葉を聞いたアスナが、正気か疑うように睨むと須郷は目を細めて

 

「ふふ……そんな口を利けるのも、今のうちだけさ。すぐに君の感情は僕の意のままになるんだから……ねえ、ティターニア」

 

そういうと須郷は、大仰に手を開きながら鳥籠の外に体を向けた

 

「見えるだろう? この広大な世界には、今も数万人のプレイヤーがダイブし、ゲームを楽しんでいる。しかしね、彼らは知りゃしないのさ。フルダイブシステムが娯楽のためだけの技術ではないという事実をね!」

 

その須郷の言葉に、アスナは嫌な予感がした

 

「冗談じゃない! こんなゲームは副産物に過ぎない。フルダイブ用インターフェースマシン、つまりナーヴギアやアミュスフィアは電子パルスのフォーカスを脳の感覚野に限定して照射し、仮想の環境信号を与えているわけだが……もし、その枷を取り払ったらどういうことになるか……」

 

そう言いながら須郷は目を見開くが、そのエメラルド色の瞳に宿された狂気的な光にアスナは本能的な恐怖を感じた

 

「それはね……脳の感覚処理以外の機能……すなわち、思考、感情、記憶までも制御できるってことなんだよ!」

 

そのあまりにも常軌を逸した須郷の言葉に、アスナは絶句した

 

そして数秒後、絞り出すように

 

「……そんな、そんなことが許されるわけが……」

 

と言うと、須郷はアスナの方に体を向けて

 

「誰が許さないんだい? すでに、各国で研究は進められている。でもねぇ、この研究にはどうしても人間の被験者が必要なんだよ。自分が何を考えてるか、コトバで説明して貰わないといけないからねぇ!」

 

そこまで言うと須郷は、ヒッ、ヒッと甲高い声で笑ってからテーブルの周囲を早歩きで歩き始めた

 

「脳の高次機能には個体差も多い。だからどうしても、大量の被験者が必要だ。だが、脳をいじくり回すわけだからね。おいそれと人体実験なんかできない。そのおかげで、この研究は遅々として進まなかったんだ……ところがねえ、ある日ニュースを見ていたら、居るじゃないか、格好の研究素材が、一万人もさぁ!」

 

その言葉に、アスナの肌に怖気が走った

 

須郷が何を言おうとしているのか、わかってしまったからだ

 

「……茅場先輩は天才だが、大馬鹿者さ。あれだけの器を用意しながら、たかがゲーム世界の創造だけで満足するなんてね。SAOサーバー自体には手をつけられなかったが、あそこからプレイヤー共が解放された瞬間に、その一部を僕の世界に拉致できるようにルータに細工するのは、そう難しくはなかったさ」

 

つまり、この男は

 

SAOプレイヤー達を実験動物にしているのだ

 

「いやあ、クリアされるのが実に待ち遠しかったね! 全員とは行かなかったが、結果三百人もの被験者を僕は手に入れた。現実なら、どんな施設でも収容できないほどの数さ。まったく、仮想世界様々じゃないか!」

 

妄念の熱に浮かされているように、須郷は饒舌に語り続けた

 

アスナは昔から、この男のこういう性質が大嫌いだった

 

「三百人の旧SAOプレイヤー諸君のお陰で、たった2ヶ月で研究は大いに進展したよ! 人間の記憶に新規オブジェクトを埋め込み、それに対す情動を誘導する技術はほぼ完成! 今は洗脳の研究中さ! あぁ……魂の操作……実に素晴らしいじゃないか!」

 

その悪魔の所業に、アスナは思わず立ち上がり

 

「そんな……そんな研究、お父さんが許すはずがないわ!」

 

と大声を張り上げた

 

すると須郷は、笑いながら

 

「無論、あのオジサンは何も知らないさ。研究は私以下、極少数のチームで秘密裏に進められている。そうでなければ、商品にもできない」

 

「商品……!?」

 

アスナが目を見開きながら言うと、須郷は笑いをこらえながら

 

「アメリカの某企業がよだれを垂らしながら、研究の終了を待っている。せいぜい、高値で売ってやるさ。そこに居る商品と……レクトごとね」

 

と言いながら、背後に居た黒騎士を指差した

 

「え?」

 

須郷の言葉を聞いたアスナがその黒騎士を見ると、須郷は笑いながら

 

「そこに居る黒騎士はねぇ、洗脳被検体の第一号なのさ! いやぁ、その実験動物(モルモット)は素晴らしいよ! 解放された旧SAOプレイヤーの中では、トップクラスの熟練度を誇っていてねぇ、なんと十種類近い剣を使えるのさ!」

 

その言葉を聞いたアスナは固まった

 

(そんな……そんなことをさせるために、私たちは命がけで……あの人は死んだわけじゃない!)

 

「僕はもうすぐ、結城家の人間になる。まずは養子からだが、やがては名実ともにレクトの後継者になる。君の配偶者としてね。その日のためにも、この世界で予行演習しておくのは、悪い考えじゃないと思うけどねぇ」

 

背中を這い回る悪寒と、体の中を駆け回る怒りを堪えて、アスナはきっぱりと首を振って

 

「そんな……そんなこと、絶対にさせない。いつか現実世界に帰ったら、真っ先にあなたの悪事を暴いてやるわ」

 

と言うと、須郷は理解しがたいというように首を振って

 

「やれやれ、まだ理解してないのかい? 実験のことをペラペラと喋ったのはね、君がすぐに何もかも忘れてしまうからさ! あとに残るのは僕への……」

 

須郷はふいにそこで言葉を区切ると、首を傾けて沈黙した

 

そして左手を振ってウィンドウを出すと、それに向かって

 

「今行く。支持を待て」

 

と端的に言ってから、ウィンドウを消して再びニヤニヤと笑みを浮かべて

 

「……というわけで、君が盲目的に僕を愛し、服従する日も近いということがわかってもらえたかな? しかし僕も勿論、君の脳をあんまり早くに実験に供するのは望まない。次に会うときは、もう少し従順であることを願うよ。ティターニア」

 

そう言うと須郷は、黒騎士を従えながら鳥籠から去って行った

 

須郷が去る間、アスナは須郷ではなく、黒騎士を見ていた

 

(誰だかわからないけど、待ってて……あなたもすぐに解放してあげるから……)

 

アスナはそう意気込むと、鳥籠に備え付けられている天蓋付きのベッドに倒れこんだ

 


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