ソードアート・オンライン 黄昏の剣士   作:京勇樹

17 / 201
この後に、少し無理やりですが、あの子の話を入れます


巨大魚イベント

第二十二層

 

そのあるコテージに、アスナとキリトの二人は居た

 

二人でそのコテージを買う際に、多少トラブルが起きたが

 

ここは割愛させて頂く

 

二人が居る第二十二層は、アインクラッドで最も人口が少ないフロアの一つである

 

低層故に面積は広いが、その大部分は森林と無数に点在している湖に占められており、主街区も他に比べて小さく、村と言ってもいい規模だ

 

フィールドにはモンスターも現れず、迷宮区の難度も低かった

 

その為に、わずか三日で攻略されてしまい、プレイヤー達の記憶にはほとんど残っていないだろう

 

「うわー、いい眺めだねぇ!」

 

寝室の南側の窓を大きく開け放ち、アスナは身を乗り出していた

 

確かに絶景である

 

コテージは外周部の間近にあるため、輝く湖面と濃緑の木々の向こうに開けた空を一望することが出来る

 

普段は頭上百メートルにのしかかる石の蓋の下で過ごしている為、空が間近にあるという開放感は筆舌に尽くしがたいだろう

 

「いい眺めだからって、あんまり外周に近づいて落っこちるなよ?」

 

「大丈夫だって、キリト君は心配性だなぁ」

 

そう言ったアスナをキリトは、アスナの背後から抱きしめた

 

「キ、キリト君……どうしたの……?」

 

アスナは困惑気に問い掛けた

 

「怖いんだ……」

 

そう言ったキリトの体は、震えていた

 

「怖い?」

 

アスナは、なぜキリトが怖がっているのかわからなかった

 

「ああ…………なぁ、アスナ」

 

キリトはそこで一瞬口ごもると、意を決したのか

 

「俺達の関係って、ゲームの中だけのことなのかな……? あの世界(リアル)に帰ったら、無くなっちゃう物なのかな……」

 

キリトの言葉を聞いたアスナは怒った様子で、キリトの顔を覗き込んで

 

「怒るよ、キリト君」

 

キリトに向けられた彼女のはしばみ色の瞳は、純粋な感情が込められていた

 

「たとえこれが、こんな異常じゃない普通のゲームだとしても、わたしは遊びで人を好きになったりしない」

 

そう言いながらアスナは、キリトの頬を両手で挟みこんだ

 

「わたし、ここで一つだけ覚えたことがあるの。諦めないで最後までがんばること。もし元の世界に戻れたら、わたしは絶対にキリト君ともう一度出会って、また好きになるよ」

 

それを聞いたキリトの眼は潤み、全身をアスナに預けた

 

アスナもそんなキリトを優しく抱きしめた

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

「やってられるか……」

 

キリトは小声で毒づくと、持っていた竿を投げて寝転んだ

 

アスナとキリトの二人が二十二層に引っ越してきて、早一週間が過ぎた

 

キリトは日々の食料を求めるために、以前習得しかけていた大剣スキルを消して代わりに釣りスキルを習得

 

そして、太公望を気取っていたのだが…………

 

「全然、釣れやしねぇ……」

 

閑古鳥状態であった

 

スキル熟練は六百を超えたので、大物とまでは欲張らないが、なにかしら釣れてもいいはずであった

 

だが現実は、村で買った餌箱を無駄に消費するだけであった

 

現在、アインクラッドは<イトスギの月>に入っていた

 

日本で言えば、十一月

 

冬間近ゆえに、湖面を渉ってくる風は冷たい

 

だが、キリトはアスナが裁縫スキルで作った分厚いオーバーを着込んでいるので、暖かかった

 

そのことを幸せに思っていたのか、ニヤニヤしながら寝転んでいたら

 

「釣れますか?」

 

と、唐突に声を掛けられて、キリトは仰天して飛び起きた

 

声のした方向を見ると、そこに居たのは五十代半ばと思える恰幅のよい男性だった

 

銀縁の眼鏡をかけおり、顔には初老と表現してもいいほどの歳をキリトは感じた

 

(重度のゲーマー揃いのSAOで、この歳のプレイヤーは珍しい……てか、見たことない。もしかして……)

 

と、キリトが首を傾げていたら

 

「NPCじゃありませんよ」

 

キリトの考えがわかったのか、男性は苦笑混じりにそう言った

 

「あ、すいません。つい……」

 

「いやいや、構いませんよ。多分私はここでは突出して最高齢でしょうからな」

 

男性は肉付きの良い腹を揺らしながら、ハッハッハと笑うと、ここ失礼します。と言って、キリトの隣に座った

 

男性は座ると、腰のポーチから餌箱を取り出し、不器用な手つきてメニューを表示させて、竿をターゲットして餌を取り付けた

 

「私はニシダと言います。ここでは釣り師。日本では東都高速線という会社の保安部長をしとりました。名刺が無くてすみませんな」

 

「ああ……」

 

キリトは男性、ニシダの言った会社名を聞いてなぜSAOに居るのか納得した

 

東都高速線はアーガスと提携していたネットワーク運営会社だ

 

つまり、ニシダは仕事上で今回の事件に巻き込まれたのだ

 

「俺はキリトと言います。最近上の層から越してきました。……ニシダさんは、もしやSAOの回線保守の……?」

 

「一応、責任者ということになっとりました」

 

キリトの予想通りだった

 

キリトは複雑な心境で、ニシダを見た

 

「いやあ、何もログインまではせんでいいと上には言われたんですがな、自分の仕事はこの目で見ないと収まらん性分でしてな。年寄りの冷や水がとんだことになりましたわ」

 

ニシダは笑いながら、竿を振った

 

その動作は見事の一言に尽き、年季が入ってることがわかった

 

ニシダは話し好きな人物のようで、キリトの言葉を待たないで、再び口を開いた

 

「私の他にも、何だかんだでここに来てしまったいい歳の親父が二、三十人ほどは居るようですな。大抵は最初の街で大人しくしとるようですが、私はコレが三度の飯より好きでしてね」

 

そう言って、ニシダは竿をクイっと動かした

 

「いい川やら湖を探して、とうとうこんな所まで登ってきてしまいましたわ」

 

「な、なるほど……この層にはモンスターも出ませんしね」

 

キリトは、ニシダの思わぬ行動力に苦笑いしか出来なかった

 

しかし、ニシダは意味深に笑っていた

 

「どうです? 上のほうにはいいポイントがありますかな?」

 

ニヤリと笑いながら、ニシダはキリトにそう聞いた

 

「うーん……六十一層は全面湖……というか海で、相当な大物が釣れるようですよ」

 

キリトの言葉を聞いたニシダの目が輝き

 

「ほうほう! それは一度行ってみませんとな!」

 

ウキウキとした様子で、決心していた

 

そのタイミングで、ニシダの竿のウキが勢いよく沈み込んだ

 

その瞬間、ニシダは大きく竿を引いた

 

その動きもそうだが、釣りスキルの熟練度はかなり高いのがわかる

 

「うおっ! で、でかい!」

 

見えた魚を見てキリトは思わず声を出し、身を乗り出した

 

しかしニシダは悠然と竿を操り続け、水面から一気に大きな魚を釣り上げた

 

魚はしばらくの間、ニシダの手許でピチピチと跳ねると自動でアイテムストレージに消えた

 

「お見事……!」

 

キリトの称賛にニシダは、照れるように笑い

 

「いやぁ、ここでの釣りはスキルの数値次第ですから」

 

と言って、頭を掻いて

 

「ただ、釣れるのはいいんだが料理のほうはどうもねぇ……煮付けや刺身で食べたいもんですが、醤油無しじゃどうにもならないんで……」

 

と、苦い表情をした

 

「あー……っと……」

 

キリトは一瞬迷った

 

醤油に似た物になら覚えはあった

 

だが、キリトとアスナは隠れて二十二層に住んでいるのだ

 

だが、彼。ニシダはゴシップには興味がなさそうとキリトは判断して、再び口を開き

 

「……醤油にごく似ている物になら、心当たりがありますが……?」

 

「なんですと!」

 

キリトの言葉にニシダは、眼鏡の奥で目を輝かせながらキリトの肩を掴んだ

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

キリトがニシダを伴って帰宅すると、それをアスナが出迎えた

 

「お帰り、キリト君。お客様?」

 

「ああ、ただいまアスナ。この人は釣り師のニシダさん。で、えっと………」

 

キリトはアスナにニシダのことを軽く紹介すると、口ごもった

 

ニシダに、アスナをどう紹介しようか迷ったのだ

 

それがわかったアスナは、ニシダににこりと微笑み

 

「キリトの妻のアスナです。ようこそいらっしゃいませ。ニシダさん」

 

と、元気よく頭を下げた

 

ニシダはポカンと口を開き、アスナに見入っていた

 

アスナの服装は地味な色合いのロングスカートに麻のシャツ、シャツの上にエプロンを着けて頭にはスカーフを巻いていた

 

その姿はKOB時代の凛々しい剣士とは違うが、その美しさは変わらない

 

何度か瞬きすると、ようやく我に返ったらしいニシダは

 

「い、いや…これは失礼。すっかり見とれてしまった。私はニシダと申します。厚かましくお招きにあずかりまして……」

 

頭を掻きながら、わははと笑った

 

アスナはニシダから大きな魚を受け取ると、その料理スキルを如何なく発揮して刺身と煮物に調理して、食卓に並べた

 

部屋中に例の合作醤油の香ばしい匂いが広がって、ニシダは感激した様子で鼻を盛んにひくつかせた

 

魚は淡水魚というよりは、旬の鰤のように脂が乗った味だった

 

ニシダ曰く、スキル値九百五十はないと釣れない魚だそうで、三人は会話もそこそこにしばらく夢中で食べ続けた

 

たちまち食器は空になって、熱いお茶のカップを手にしていたニシダは陶然とした面持ちで長いため息をついて

 

「……いや、堪能しました。ご馳走様です。しかし、まさかこの世界に醤油があったとは……」

 

「あ、自家製というか、合作なんです。よかったらお持ち下さい」

 

そう言うとアスナは台所から小瓶を持ってきて、ニシダに渡した

 

「合作ですか?」

 

「はい。知ってるかわかりませんが、<黄昏の風>のヨシアキ君と一緒に作ったんです」

 

アスナが告げた名前を聞いて、ニシダは驚いていた

 

「ヨシアキくんですか! 彼も関わっていたんですな!」

 

「知り合いなんですか?」

 

キリトが聞くと、ニシダはうなずき

 

「ええ。以前に、盗賊プレイヤー達に襲われた時に助けてもらったんです」

 

ニシダの言葉を聞いた二人は、内心納得した

 

それは確かに、ヨシアキがやりそうなことだと

 

「あ、そういえば、お魚ありがとうございます」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

アスナがお礼を言うと、ニシダは恐縮した

 

「でも、キリト君はろくに釣ってきたためしがないんですよ」

 

と、アスナがからかい半分でキリトに話題を振った

 

話題を振られたキリトは、憮然とした様子で

 

「この辺の湖が難易度が高すぎるんだよ」

 

と愚痴ると、ニシダは手を左右に振って

 

「いや、そうでもありませんよ。難度が高いのはキリトさんが釣っておられたあの大きい湖だけです」

 

「な……」

 

ニシダの言葉を聞いたキリトは絶句して、アスナはお腹を押さえて笑っていた

 

「なんで、そんな設定になってるんだ……」

 

と、キリトがorsになっていたら

 

「実は、あの湖にはですね……」

 

と、ニシダが声を潜めながら二人の耳元で喋り始めた

 

「どうやら、主がおるんですわ」

 

「「ヌシ?」」

 

二人の言葉に、ニシダはニヤリと笑い、眼鏡を押し上げながら続けた

 

「村の道具屋に、一つだけヤケに値の張る釣り餌がありましてな。物は試しと使ってみたことがあるんです」

 

その言葉にキリトは、固唾を呑んだ

 

「ところが、これがさっぱり釣れない。散々あちこちで試したあと、ようやくあそこ、唯一難度の高い湖で使うんだろうと思い当たりまして」

 

「つ、釣れたんですか?」

 

「ヒットはしました……」

 

ニシダは深く頷いたが、すぐに残念そうな顔になって

 

「ただ、私の力では取り込めなかった。竿ごと取られてしまいましたわ。最後にちらりと影だけ見たんですが、大きいなんてもんじゃありませんでしたよ。ありゃ怪物、そこらにいるのとは違う意味でモンスターですな」

 

ニシダは両腕をいっぱいに広げた

 

キリトは、あの湖でモンスターは居ないと言った時に、ニシダが意味深な笑みを浮かべた理由がわかった

 

「わあ、見てみたいなぁ!」

 

アスナが眼を輝かせながらそう言うと、ニシダが顔を近づかせて物は相談なんですが、と切り出して

 

「キリトさんは筋力パラメーターのほうに自信は……?」

 

「う、まあ、そこそこには……」

 

「なら、一緒にやりませんか! 合わせるところまでは私がやります。そこから先をお願いしたい」

 

ニシダの提案を聞いたキリトは腕組みをして

 

「ははぁ、釣竿版の<スイッチ>ですか……できるのかな、そんなこと……」

 

と、首をひねった

 

「やろうよ、キリト君! おもしろそう!」

 

アスナがワクワクといった様子で、キリトにそう言った

 

(相変わらず、行動力のある奴だなぁ)

 

と、キリトは思ったが、キリトも好奇心を刺激されていた

 

「……やりますか」

 

キリトの言葉を聞いたニシダは、そうこなくてはな、わっはっは。と笑っていた

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

その夜

 

寒いから、一緒に寝ようとアスナがキリトの布団に入ってきた

 

「……いろんな人が居るんだねえ、ここ……」

 

アスナは眠そうに眼を瞬きしながら、笑みを浮かべている

 

「愉快なおじさんだったなぁ」

 

「うん」

 

アスナはしばらくクスクスと笑っていたが、不意に笑いを引っ込めると

 

「今までずーっと最前線で戦ってばっかいたから、普通に暮らしてる人もいるんだってこと忘れてたよ……」

 

と呟いた

 

「私達が特別だなんて言うわけじゃないけど、最前線で戦えるくらいのレベルだってことは、あの人達に対して責任がある、ってことなんだよね」

 

「……俺はそんなふうに考えたこと無かったな……強くなるのは生き残るためってのが第一だった」

 

「今はキリト君に機体してる人だっていっぱい居ると思うよ? わたしも含めてね」

 

とアスナが言うと、キリトは意地悪そうな笑みを浮かべて

 

「……そういう言われ方されると逃げたくなる性分なんだ」

 

「もう」

 

キリトの言葉に、アスナは口を尖らせた

 

そんなアスナの髪を撫でながら、キリトは

 

(もう少しだけ、この生活が続いてほしい……)

 

と願っていた

 

ニシダや始まりの街で待っているプレイヤーの為にも、いつかは最前線に戻らなくてはいけない

 

そう分かっていても、キリトは

 

(せめて、今だけは……)

 

と、願った

 

エギルやクラインから届くメッセージで、七十五層の攻略が難航していることは教えられていた

 

だが、キリトにとってはアスナとの暮らしが最優先で大切なのだと、心から思っていた

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

ニシダから主釣り決行の知らせが来たのは、三日後の朝であった

 

どうやら、釣り仲間に声をかけたらしく、ギャラリーは三十人を超えるとか

 

それを聞いた二人は、念のために変装をして向かった

 

当日はこの季節にしては、暖かかった

 

巨大な針葉樹が立ち並ぶ森林を歩いていると、幹の間に輝く水面が見えた

 

湖畔には既に、多くの人影が集まっていた

 

二人が少し緊張しながら近づくと、見覚えのあるズングリとした男性が立っていた

 

「わ、は、は! 晴れてよかったですなぁ!」

 

「こんにちは、ニシダさん」

 

二人はニシダに頭を下げた

 

年齢にバラつきのある集団は、ニシダが主催している釣りギルドのメンバーらしく、アスナは内心緊張しながら挨拶したが、変装が功を奏したらしく、気がついた者は居なかったようだ

 

しかし、ニシダはそうとうアクティブな人物だったようで、会社でもいい上司だったのだろう

 

二人が到着する前から景気付けに釣りコンパをいていたらしく、すでに相当盛り上がっている

 

「え~、それではいよいよ本日のメイン・イベントを決行します!」

 

という、ニシダの開催宣言に全員雄たけびを上げた

 

キリトは何気なく、ニシダの持っている長大な竿と、その先の太い糸を視線で追いかけ、先端に付いている物を見て、ギョッと眼を見開いた

 

そこには、男性の二の腕ほどの大きさのトカゲがぶら下がっていた

 

赤と黒の毒々しい模様のトカゲは、新鮮さを物語るようにヌメヌメと光っている

 

「ひえっ……」

 

少し遅れてアスナがトカゲに気付いて、二、三歩後ずさった

 

(これが餌ってことは……獲物は一体?)

 

とキリトが思っていると、ニシダが竿を大上段に構えた

 

「ふっ!」

 

と気合一発、見事なフォームで竿を振ると、巨大なトカゲが弧を描いて飛んでいき、水面に盛大な水しぶきを上げながら着水した

 

SAOの釣りには、待ち時間はほとんど無い

 

仕掛けを水に放り込めば、数十秒で魚が釣れるか、餌が消えて失敗する、のどちらかである

 

キリトたちは緊張した様子で、ウキを見つめた

 

そして、数十秒後

 

竿の先がピクピクと、二、三度震えた

 

だが、ニシダは動かない

 

「き、来ましたよ! ニシダさん!」

 

「なんの、まだまだぁ!!」

 

普段は好々爺然としている目を爛々と輝かせながらニシダは、竿の先を見つめていた

 

そして、一際大きく竿の穂先が引き込まれた瞬間

 

「いまだッ!」

 

ニシダが体を大きく反らせて、全身を使って竿をしならせた

 

傍目にもわかるほどに、糸が張り詰め、ビィン、という効果音が空気を震えさせた

 

「掛かりました!! あとはお任せしますよ!!」

 

と、ニシダは竿をキリトに渡した

 

渡されたキリトは、竿を恐る恐るといった様子で引いた

 

竿はまったく動かず、まるで地面を引いてるようだ、と思ったキリトは不安そうな視線をニシダに向けた

 

その瞬間、猛烈な勢いで糸が水中に引っ張られた

 

「うおっ!?」

 

姿勢を崩しかけたキリトは慌てて両足で踏ん張り、竿を引いた

 

「こ、これ、力一杯引いても大丈夫ですか!?」

 

竿や糸の耐久力が心配になったキリトは、ニシダに問いかけた

 

「最高級品です! 思いっきりやってください!」

 

興奮しているらしく、顔を真っ赤にしているニシダにキリトは頷き返し、キリトは竿を構えなおして、全力で竿を引いた

 

すると、竿が逆Uの字に大きくしなった

 

SAOでは、レベルアップ時に筋力値か敏捷力のどちらかを上げられるのだが、それはプレイヤーの任意によるのである

 

例えば、エギルやサジのような斧を扱うならば、筋力値を最優先に上げ、アスナのような細剣使いならば敏捷力を上げるのである

 

キリトはオーソドックスな剣士なので、両方のパラメーターを上げてあるが、好みで言えば敏捷力なので敏捷力に傾いている

 

そして、キリトのレベルが高いからか、この綱引きはキリトに旗が上がったようだ

 

キリトは踏ん張った両足を少しずつ後退させ、遅まきながらも確実に主(?)を水面に近づけていった

 

「あ、見えたよ!」

 

と、アスナが身を乗り出して水中を指差した

 

しかし、キリトは岸から離れて身を反らしていたので、見えなかった

 

ギャラリーは我先にと岸に駆け寄り、急角度で深くなっている湖水を覗き込んだ

 

その様子に、キリトは好奇心を抑えきれなくなって、竿を大きく引いた

 

その途端、ギャラリー達がビクリと体を震わせた

 

「……?」

 

しかも、後退してきた

 

「どうしたん」

 

キリトが問いかけるよりも早く、ギャラリーは全員振り向いて、一斉に走り出した

 

左をアスナが、右をニシダが顔面を蒼白にして駆け抜けた

 

その様子にキリトが振り向こうとした瞬間、突然両腕から重さが消えて、大きく身を反らせていたキリトはバランスを崩して後ろに転んだ

 

(ヤベっ! 糸が切れたか!?)

 

と、キリトは慌てて竿を放り投げて湖に向かって走ろうとした

 

その瞬間、キリトの目の前で湖水が、丸く大きく盛り上がった

 

「は……?」

 

ポカンと眼と口をキリトが開けて呆然としていたら

 

「キリトくーん、危ないよー!」

 

と、遠くからアスナの声が聞こえてきた

 

振り向いて確認すると、アスナやニシダを含む全員が岸辺を駆け上がり、かなりの距離を離れていた

 

それでようやくキリトは事態を把握しかけていたが、背後で盛大に水温が響いた

 

キリトは嫌な予感をヒシヒシと感じながらも、ゆっくりと振り向いた

 

そこには

 

魚が立っていた

 

もう少し詳しく説明すると、魚類から爬虫類への進化途中の生物、シーラカンスも少し爬虫類寄りといったところだろう

 

その謎生物が、全身から水滴を滝のようにしたたらせながら、六本のがっしりとした足で地面を踏みしめて立っていた

 

しかも、その大きさが大体二メートル程あるのだ

 

牛すらも丸呑みにしそうな巨大な口は、キリトの頭より少し高い位置にあって口端からは見覚えのあるトカゲの足が見えた

 

巨大古代魚の、バスケットボールサイズの目とキリトの眼が合った

 

すると、キリトの視界に自動で黄色いカーソルが表示された

 

その時キリトはニシダが、この湖の主は怪物、ある意味モンスターだと語ったことを思い出した

 

ある意味どころではなく、完全にモンスターだった

 

キリトは引きつった笑みを浮かべて、数歩後退。そのままくるりと転進して、脱兎の如く駆け出した

 

巨大魚は轟くような咆哮を上げると、地響きを立てながらキリトを追いだした

 

敏捷度全開で宙を駆けるようにダッシュしたキリトは、数秒でアスナの傍まで到着すると、猛抗議した

 

「ず、ずずずるいぞ!! 自分だけ逃げるなよ!!」

 

若干、涙目である

 

「わぁ!! そんなこと言ってる場合じゃないよ、キリト君!!」

 

キリトは背後に視線を向けた

 

巨大魚は遅いが確実な速度で、キリト達のほうに走ってきていた

 

「おお、陸を走ってる……肺魚なのか、あれ?」

 

「キリトさん、呑気なことを言ってる場合じゃないですよ! 早く逃げんと!!」

 

ニシダが腰を抜かさんばかりに、慌てながら叫んだ

 

その叫びを皮切りに、ギャラリー達も逃げ出した

 

だが、過半数が硬直していて、中には腰を抜かしている者も居た

 

「キリト君、武器は?」

 

「すまん、持ってきてない……アスナは?」

 

「私も持ってきてない……どうしよう……」

 

と、二人が言った時だった

 

「全員、動かないでくださーい!!」

 

二人の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた

 

その直後、黄色い閃光が駆け抜けた

 

その閃光は、二人の間近まで来ていた魚に直撃

 

一撃で、HPを赤まで持っていった

 

その攻撃により、巨大魚は大きく後退

 

そこへ、突風が駆け抜け

 

「ピアース・ストライク!!」

 

更なる攻撃が当たり、巨大魚のHPが消えた

 

その直後、巨大魚は大きな爆砕音と共にポリゴンとなって散った

 

その中心に立っていたのは……

 

「ヨ、ヨシアキ!?」

 

見慣れたオレンジ色の装備ではなかったが、確かにヨシアキだった

 

ヨシアキは槍を回収して、剣を鞘に収めると歩いてきた

 

「よく来てくださいました、ヨシアキくん!」

 

「釣る瞬間を見れなかったのは、残念だったなぁ」

 

どうやら、ニシダが呼んでいたらしい

 

「それより、なにかドロップしましたよ」

 

と、ヨシアキが指差すと、ニシダは思い出したらしく、駆け寄り

 

「お、おお! こ、これは!?」

 

と、眼を輝かせながら何かを手に取っていた

 

そんなニシダを尻目に

 

「やっほ、御二人さん」

 

「まさか、お前が来るなんてな」

 

「でも、助かったよ」

 

と、三人は会話していた

 

すると、若い男性プレイヤーが近寄ってきて

 

「まさか……血盟騎士団のアスナさん……ですか?」

 

と、聞いてきた

 

その言葉にアスナは慌てて、頭に手を伸ばすが

 

頭に巻いていたはずのスカーフが、無くなっていた

 

どうやら、先ほどヨシアキが駆け抜けた際に飛ばされたようだ

 

「そうだよ、やっぱりそうだ! 俺、写真持ってるもん!」

 

男はアスナの顔をマジマジと見つめてから、顔がパッと輝いた

 

アスナは困惑した様子で、数歩後ずさった

 

「か、感激だなぁ! まさか、こんな低層で出会えるなんて! あ、サインお願いしていいで……」

 

そこまで言って、男の視線はアスナとキリトの間で数回左右に動いた

 

そして、呆然とした様子で

 

「け……結婚、したんすか……」

 

その言葉に、キリトが強張った笑みを浮かべた

 

そして、ヨシアキがごめんと両手を合わせて、頭を下げていた

 

そんな三人の周囲で、悲嘆に満ちた叫び声が上がったが、ニシダだけは何のことかわからないと言った様子で、眼をパチクリとさせていた

 

こうして、キリトとアスナの密かな蜜月は僅か十日余りで終わりを告げたのだった

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。