今コイツ、何ト言ッタ?
驚きで思わず片言になってしまった。
聞き間違えでなければ、「かっこいい」と言ったようだが。
雪ノ下が言ったのは何の変哲もない正論だ。しかも結構きつめのものだぞ。
逆に言えば、ただそれだけのことでしかないのだが。
某元首相は言った。
「成功している人を妬み、足を引っ張るような社会にしてはならない」
某有名実業家は言った。
「できないこと、始められないことの理由を他者に求めてはならない」
「『自分には才能がない』『凡人だからできない』と言った時点で『今のままでいい』と言っているのと同じ」
「どんな功績をあげた人でも、その人の努力によるところが、ないはずがない」
これらのように、比較的似ている内容であれば、そこら中に満ち溢れている。
ただ、それを実行できるかどうかで。
もし雪ノ下がさっき言ったことを実行できるのであれば、きっとそれはかっこいいことなのだろう。
だが俺は雪ノ下のことを知らない。故に雪ノ下が有言実行をするタイプか否かは分からない。
だから、あの言葉程度では俺は何も思わない。
まあ、その辺の認識の差は問題にするものでもないしな。胸に仕舞っておくとしよう。
ふと、チラリと雪ノ下の方を見てみると、強張った表情で二歩ほど後ろに下がっていた。
「何を言っているのかしらこの子……。話聞いていたのよね?私、これでも結構キツイこと言ったつもりだったのだけれど」
よかった。自覚はあったようだ。
ちなみに、歯に衣着せぬ物言いは関西、特に大阪で好まれる傾向が強く、また関東や京都では忌避される傾向にある(らしい)。
あの某元大阪市長が地元では大人気なのに対し、全国的にはそこまででもない、と言うのはこのことも要因の一つだ。
だが勿論、歯に衣着せぬ物言いをする政治家の中には関東に地盤のある人もいた。
炎のオウンゴーラーの父親とか。
だいぶ話逸れたな。
「確かに言葉はひどかったし、ぶっちゃけ軽く引いたけど……でも、本音って感じがするの。あたし、人に合わせてばっかりだから、こういうの初めてで……ごめん。次はちゃんとやるから、ご指導お願いします」
ペコリと、由比ヶ浜は頭を下げて雪ノ下に頼み込む。
「……わかったわ。ならちゃんと言うことを聞きなさい」
雪ノ下の強張った表情が一変し、優しい微笑へと変化する。
こうして再び、クッキーづくりに挑戦することになったのだが……
「やめて、隠し味に桃缶は止めてちょうだい。そんなに水分入れたら生地が死ぬわ」
……今のうちにクリ○イトにでも行って胃薬買ってこようかな。
× × ×
結果
少々黒くはあるものの、十分にクッキーと呼んでもいいレベルのものができている。
さっきの毒物まがいの物体Xと比べれば随分とマシなものになっている。
寧ろ前回何があったというレベル。
一枚、手に取って食べてみる。
パリッと割れる良い音がする。
ただし、時々ジャリッという音もする。
少々の苦みはあるものの、普通に食べる分には文句のない出来となっている。
けれど、由比ヶ浜と雪ノ下は納得がいかないようだ。
「どう教えれば伝わるのかしら……」
「なんで上手くいかないのかなぁ……。言われた通りにやってるのに」
言われた通りにやっても上手くいかないのはただの経験不足だと思うぞ。
技術系や職人が、若手とベテランが同じことをやっても作られたものの質が同じではないことと同じで。
だが、手作りクッキーとして渡すのなら何も完璧まで近づける必要はないのだ。
寧ろ「ん、……一応美味しいのかな?」くらいの方が手作り感がある。
あくまでかかわりが薄い人に渡すのなら、だが。
「別にいいんじゃねえのか?手作りクッキーならこれくらいで十分だろ」
別に金をとるわけでもないし。
「え、なんで!?」
「どういうことかしら?」
由比ヶ浜と雪ノ下は二人してこちらを向く。
「由比ヶ浜、お前はお礼の方法で手作りを選んだんだ。なら手作りの部分をアピールしなきゃ意味がない。美味しいものを渡したいのなら市販のもので十分だ。なら、味はちょっと悪いくらいのほうが丁度いい」
「そんなものかしら……」
「ああそうだ。何故なら、上手に出来なかったけど一生懸命作りました!ってところをアピールすれば、簡単に勘違いを起こしてしまうくらい悲しい生き物だからな。男子って」
「そうなの!?」
「ああ、男ってのは残念なくらい単純なんだよ。だから」
一拍置いて
「最初の物体Xは論外だが、さっきお前が作ったような少し味が悪いクッキーでも十分なんだよ。それだけで相手の男心は揺れるんだ」
「そ、そうなんだ……ヒッキーは揺れたりするの」
俺か……。元々知っている相手なら真意がある程度読めるし、知らない相手なら警戒しかしないんだよな。
「さあ、どうだろうな」
だからと言って、自分がさっき言ったことを自分で否定するのも癪だがら、とぼけた。
「そっか……」
そう言いうと由比ヶ浜は鞄を掴んで立ち上がり、俺たちに屈託のない笑みを向けた。
「ありがとね、雪ノ下さん、ヒッキー。今度は自分でやってみるね」
手を振って由比ヶ浜は帰っていった。……エプロンをつけたままで。
「……本当によかったのかしら」
パシャリとドアが閉まる音がしてから幾秒か過ぎた後、雪ノ下はドアの方を見つめながらポツリと呟きを漏らす。
「私は自分を高めるためなら限界まで挑戦するべきだと思うの。それが最終的には由比ヶ浜さんのためになるから」
「いいんだよあれで。今回の依頼はお礼でありクッキーはあくまでもその手順。ならクッキーばかりに時間をかけるのはあまりよろしくないだろ」
お礼と言うものは、先延ばしにすればするほどできなくなるものだ。
ならば、手段でしかないクッキー作りを優先させるべきではないのだ。
食べられるレベルにまで持っていけばよいのだ。
由比ヶ浜がお礼をしたい相手のことも、その後どうなりたいかも興味はない。
だから――
「次、上手になりたいと依頼に来ることがあったら、限界まで挑戦させればいいんじゃねえのか?」
次があるかどうかは知らんがな。
こうして、俺が参加した初の依頼は終わった。
数日は確実に晴れると確信できるようなきれいな夕焼けが、窓の外には広がっていた。
P.S
後日、由比ヶ浜が入り浸るようになった。
何故だ……