間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
高校の制服らしい白い半袖のワイシャツと黒のスラックスにローファー。
染めていない黒髪に、無気力そうな表情を浮かべた顔。
見た目だけで言えば、これで髪を染めれば間違いなく
日は落ちてはいるものの夜というにはまだ明るいせいか、自転車のライトはついていない。この時代のライトは周囲の暗さに反応する自動点灯型にまだなっていないのかもしれない。手動式であればペダルが重くなるので、それが面倒で付けたくない気持ちはわかる。
私が立ち止まって彼を見ていることに向こうも気がついたようで、怪訝な表情を浮かべた。
そして、だんだん近づいて来るに従い彼は驚愕の表情を浮かべながら、私に視線を向けたまま通り過ぎた。
……そう、視線を
前方を見ていない自転車が。
街道とはいえ、田園風景が広がるのどかな田舎道である。
真っ直ぐな道というわけではない。
「……あ」
「……のわぁぁぁぁぁっ!?」
私の目の前で、そのまま丈の低いガードレールにぶち当たり、自転車はその勢いで前転し用水路へ落ち、ぶつかったショックでハンドルから手を離した彼は、まるでギャグマンガのごとく放物線を描いて水がはられている田圃の中に背中から落ちていった。
バシャーンという、水飛沫と泥の跳ねる音を耳にしながら、あまりのことにマンガのような出来事も実際にあるのだなと感心してしまった。
しかし、さすがにこれは放って置けない。
打ち所が悪ければ、大怪我をしているだろう。
驚いた表情を浮かべていたのも気にかかるが、とりあえず今は置いておくことにした。 元を正せば、私が不躾に彼を見ていたせいだ。
慌てて、ガードレールに走りよって声をかける。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……う~……いてて……」
呻きながら、背中をさすりつつ彼は立ち上がる。
立ち上がれるということは、打ち所が悪かったということはなさそうだ。
水の量が膝くらいまで来ているところを見ると、水と泥がクッションになったのだろう。
「ふむ……怪我はなさそうですね」
「――――人事だと思って! 元はと言えば、あんたのせいだ!」
「おや、そうですか?」
「そこ動くな! コンチクショウ」
怒りながら田圃から出ようとするのだが、泥に足を取られて転びなかなか前に行けない。靴を脱いで手に持ってようやく田圃から脱出した。
しかし、かわいそうなくらい全身泥だらけで、その姿は申し訳ないが笑いがこみ上げてしまう。
律儀に待っていた私も私だが、必死に道まで戻ってきた彼も彼である。
肩で息をして、私の目の前の道端に座り込んだ。
「おい、おっさん。なんで俺を見てたんだよ! 気になって、コケちまったじゃねーか」
「……暗くなってきているのに、自転車の無灯火は危ないなと思っただけですが?」
私は、いくつかある言い訳の中から、正論を返してみた。
「なんだよ……まだ明るいから大丈夫だと思ったんだよ」
「そうですか。では、今後は気をつけた方がいいですね。それに、よそ見はしないほうがよろしいかと。今みたいに危険な目にあいますから」
「う……」
発言といい行動といい……見た目以外は雨生龍之介とは似ても似つかない。
普通のどこにでもいる高校生にしか思えない。
しかし、何か引っかかる。
そう、こちらを見て、驚いた表情を浮かべていたこと。
「……ああ、一つだけよろしいですか?」
「なんだよ……」
「どうして、私を見てあんなに驚いた顔をされていたのでしょう。どなたかお知り合いの方に似ていましたか?」
その言葉に、言いにくそうに彼は言いよどむ。
「…………知り合いに似てただけだ」
「ふむ……」
「もう、いいだろ? 俺帰って着替えたいし。おっさん呼び止めて悪かったよ」
何かに怯えるように、慌ただしく立ち上がると彼は私に背を向けて家路へと着こうとした。
「……その知り合いとは……槍使い……いや蟲使い?ですかね。雨生龍之介くん」
ビクンっと彼は背を震わせると、死刑宣告を受けたかのようにゆっくりとこちらに振り返った。
「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」
「私の質問に答えていませんよ、龍之介くん。それとも、そのどちらにも似ていると言いたいのですかね?」
無言の時間が続く。
日は完全に暮れて、周囲はいよいよ暗くなっている。
頼りない街灯ではさほど明るくは感じられない。
やがて、彼が口を開いた。
「あんた……何なんだよ……? ディルムッド……じゃないだろうし、まさか蟲爺? いや、あれは……確かトラぶる花札道中記の若返りネタだしこんな中途半端に年食って……」
「ええ、私は間桐臓硯ですが」
「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
驚きのあまり固まった彼が動き出すのは、それからしばらく後のことだった。
「……つまり、三年前に龍之介に憑依してしまったと……そういうことですか」
雨生龍之介は、やはり間違い無く彼だった。
問題は中身が違ったことか。
私と同じ時期に憑依してしまったらしい。
「そう! 龍之介が生きてきた十三年間の記憶もちゃんとあるんだけど、俺が俺として生きてきた二十八年間の記憶もあるんだよ。だから俺は龍之介であって龍之介じゃない」
用水路の自転車を引き上げ、泥だらけの顔と服を水で流しながら龍之介は返事をした。 軽く自己紹介したついでに話をしてみると、彼は私よりもFateについて詳しく、ほとんどの関連ゲームやアニメを見ていたそうだ。
「おっさ……いや、中身はおっさんじゃないんだよな……なんて呼べばいいんだ。うーん……」
「おっさんで構わないですよ。元の名前は捨てましたし、もう慣れましたからね」
「じゃ、お言葉に甘えて。大体の経緯はおっさんと一緒だよ。まあ、年代が違う気がするけどね」
「土蔵の古文書は処分したんですか?」
「あれは、憑依してすぐに探して、シュレッダーにかけて処分したよ。聖杯戦争に出るつもりはないし……俺みたいに憑依したのが俺を殺しに来るとも限らないから」
ちらりと、私に視線をあわせて龍之介は苦笑した。
私も思わず苦笑するしか無い。
「俺さ、生前?高校教師してたんだよ。だから、将来は同じ教師になりたい。折角もう一度チャンスが来たからね。わざわざ死亡フラグ満載の聖杯戦争に出たいとも思えなくてさ」
「原作知識があるのに、活かさないんですか」
「だからこそ平穏に生きたいっていうのもあるかな。ま、原作のヒロインたちに会ってみたいっていうのはあるけど……所詮、俺は一般人でしか無いからさ」
そう言って彼は、とても楽しそうで――それでいて悲しそうに見える笑みを浮かべた。
新幹線のグリーン席に座り、移り行く車窓の景色を見ながら、私は考えをまとめる。
自分以外の憑依者がいる――――
そんなことを全く考えなかったかといえば……少しは考えてはいた。
しかし、その確率は低いと思っていたし、恐らく原作通りの展開になると私は思っていたのだ。
だが実際に憑依者はいて、面識と繋がりを持つことになった。
もし仮にあの時、古文書が自分の手に入り、龍之介が原作のままの人格だったとしたら私はどうしていたのだろうか?
連続殺人、快楽殺人の犯人の考えは私には理解できない。倫理観がずれているのだから、理解しようとすることは深淵を覗くような事で……下手をすると私が私ではなくなる可能性もある。
では、死を知りたいという彼の望みをかなえること――つまり、原作での彼の最期のように――で殺人を止めようと言うのならば、私は彼を殺す一歩手前まで持っていかねばならないだろう。
果たして、それが私に出来たのだろうか?
おそらく、躊躇した……と思う。
覚悟は決めていても、思うこととやることは別だ。
雨生龍之介が憑依者だったことは、幸いといえば幸いだったのだ。
無駄な血も流れず、憂いは消えた。
本当に……?
――――自分以外の憑依者がいる。
つまりは、原作知識が通じなくなることがあるということだ。
私の知識は果たしてどこまで通用するのだろう。
助ける……というのはおこがましいかもしれないが、私の知る限りの悲劇は起こしたくないのだが……。
これは、第四次に参戦していた他のマスターたちの動向を今から把握しておいたほうがよさそうだ。