間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
私が臓硯になってから、三年の月日が流れた。
家を出ていった鶴野さんが、小説家になっていた。しかも、結婚もしたらしい。
ペンネームは『
続けて出した『淫蟲の箱』『死蟲の檻』も同じように分厚いもので、巷ではその読み応えがある内容はもちろんのこと、人が殺せそうなほど分厚い文庫本が話題になっている。
その分厚さに、元の世界での小説家が二名ほど私の頭に浮かんだのだが、この世界には彼等は存在しないようなので、分厚い文庫本といえば鶴野さんが代名詞になりそうだ。
たまたま見かけた雑誌に、話題の人物として鶴野さんの写真と記事が載っていなければ私は知らないままだったと思う。まあ、よく考えれば読みは全く一緒なのだから、いつかは気がついたかもしれないが……
彼は彼なりに幸せになったようだ。
このまま順調に
タイガーこと、大河ちゃんには懐かれてしまったようで……マウント深山に買い物に行くと高確率で彼女がいる。
私は「おやつをくれるおじちゃん」という認識が彼女の中ではできたようだ。
……あの傍若無人な性格の一端を自分が担ってしまったような気がしてならない。
街の人たちからも、私は悠々自適の穏やかな人という印象を持って貰っているので関係もおおむね良好だ。
屋敷に通ってきてもらっていた家政婦さんは随分前に辞めた。
見た目で言えば、今の自分よりもはるかに歳をとっていたので、通いで続けるのが辛くなったらしい。
新しい家政婦を雇うことも考えたけれど、別に家事はできるし、屋敷の掃除が面倒なだけなので、屋敷の掃除を業者に頼めばいいかという結論になってしまった。
目下、空き部屋の解決方法が見つからずにいて、困っている。
そんな日常だが……
一番変わったことは、蟲蔵の中だろう。
臓硯が飼っていた一部の蟲を最近やっと死滅させたのだ。
死滅させたのは、淫蟲。
蛭のような蟲で、男にたかれば脊髄を砕いて脳髄をすすり、女にたかれば肌をその粘液で刺し、肉ではなく快楽中枢を高揚、崩壊させて飢えを満たす。そして、脳神経を焼ききるほどの快楽を与えながら胎盤を食い尽くして心と体を完全に破壊する。
餌も与えず、ずっと放置していたのになかなか死ななかったので本当にしぶとかった。
私はこの蟲も臓硯に並ぶ諸悪の根源の一つだと思っている。
だから、たとえ間桐の魔術に必須だろうと処分することは決めていた。
それに、臓硯自身は蟲の使役に全ての魔力をつぎ込んでいたから、多少少なくなったほうがその分を別のことに回せる。
そして、黙祷を捧げながら、一人でコツコツと蟲蔵である地下埋葬所に放置されている
常人が見れば、恐らく発狂しかねない蟲の群れと成れの果てだが、私は臓硯としての予備知識もあるし、覚悟さえしていればさほど怖いものではなかった。
ただ、こんなに落ち着いて物事ができるほど私の神経は図太かったのだろうかと、疑問にはなっていたが……。これも、臓硯の魂を取り込んだ副産物だと思うことにした。
冷静に物事を進められるのは、いろいろな意味でアドバンテージとなるのだから。
「それにしても……変われば変わるもの」
鶴野さんが書いた小説の最新作『蟲毒の夢』を読みながら思わず呟いた。
こんな文才がある人とは思っていなかったので、感心しきりだ。
変わるといえば、史実とはだいぶ変わってきてしまったが、未来はどうだろうか?
自分の知る原作の未来と余りにもかけ離れてしまうと、その原作知識は生かせない。
次の聖杯戦争には、今のままなら恐らく自分も出ることになるだろう。
令呪が手に現れる気がするのだ。
願わくば、聖杯を破壊したい。聖杯は穢されているのだから。
……何か、大事なことを忘れている気がする。
小説を読み進めながら、何を忘れているのか思い出そうとするのだがわからない。
ちなみにこの小説は、数日前に行方不明になった友人が蟲の群れに襲われる姿を、ある日主人公が夢の中で見ることから始まる、陰惨な犯行の連続殺人事件の話である。
連続殺人事件……あ。
雨生龍之介とキャスター!
殺人鬼と狂人の組み合わせ!!
なぜ、彼等のことを忘れていたのだろう。
特に雨生龍之介は、あと数年のうちに姉を殺してシリアルキラーになる。
それを止めなければ。
私は、情報を集めることにした。
着慣れた着物にタスキがけをし、長く伸びた髪は邪魔にならないように後ろで一つにまとめ、臓硯の書斎で聖杯戦争に関する資料を漁る。
かれこれ、半日が過ぎようとしているのだが見つからない。
恐らく、この中に今必要としている情報の手がかりがあるはずなのに。
雨生龍之介。
道徳や倫理観が破綻した、ナチュラル・ボーン・キラー(生まれながらの殺人鬼)。
声を当てていた人が超人気声優だったのもあって、ボーイズラブが好きな女子に人気が高かった。
そんな友人たちが、キャスターとの組み合わせを嬉々として語っていたのを苦笑いしながら聞いていた覚えがある。
私はというと申し訳ないけれど、あの鬱エンドが至上というシナリオライターが好きそうなキャラだなあという感想しか浮かばなかった。根本的にハッピーエンドが最良と思っている私にとっては、彼の主義は正反対に位置するのだ。別に彼のアンチというわけではないので、鬱シナリオ自体否定しているわけではないのだが……
そんなわけで、あまり龍之介には興味がなく……いや。むしろ、犠牲者たちと同じくらいの子供を当時育てていた私は、さっさとキャスター陣いなくなれば良いのにと冷ややかにみていた。
龍之介がシリアルキラーになる前に思い出して良かった。
正確な年齢は小説には出ていなかったが、第4次聖杯戦争時に二十代前半くらいだったはず。
仮に当時二十四歳と仮定しても……今はまだ高校生以下。親の庇護の元にいる年齢か。
彼の居所と実家を探さなくては。
折角未来を知る上に、止められるかもしれない手段を持っているのだから、将来の悲しみは防ぐべきなのだ。それによって、未来が変わるとしても。
手がかりは、第二次聖杯戦争の手記を残している先祖がいて、元を正せば魔術師の家系だったこと。
もしかすると参加者の一人か、関係者だったのかもしれない。
聖杯戦争は、一次から三次まで臓硯はその全てに参加している。
参加した際の「記憶」は曖昧でも、きっと「記録」を取ってあるはずなのだ。
が……今、私の目の前には背丈以上に高い棚に積み上げられた資料が目を通すのはまだかと待っている。
若いころに見た二次創作は、こんなことをしなくても欲しい情報がすぐに手に入る話ばかりだった。どうやって手に入れたのか過程を飛ばし結果しか見ないという風潮に、あまりにも納得がいかなかったのは私だけではないだろう。
だからといって、このように労力と根気が必要なのもまた、どうなのか。
手の届かない場所のものは、蟲を使い取って来させて、ため息をつきつつ、一冊一冊目を通していく。
埃だらけになること更に三時間。
ようやく、1866年・慶応二年という年号の書かれた魔術的鍵のかけられた本を発見した。
既に、周囲は真っ暗になっていた。
そして結果だけ言えば、その資料には「雨生」という人物は一切出て来なかったのである。
まさにくたびれ儲け……と言いたいところだが、漢字は違うが「右龍」と呼ばれる東洋魔術師が第二次聖杯戦争に出て、死亡敗退したらしい。
そもそも、この「右龍」という人物は、魔術師というか陰陽師だったようだ。
彼の出身地についても、この資料には書かれている。
もしかすると鶴野さんのペンネームではないが、読み方を変えて子孫は生きていったのかもしれない。魔術師として衰退したのも、当主が魔術刻印を子孫に残せずに亡くなったため……そう考えると、この人物があやしい。
とりあえず、この出身地に行ってみよう。
小旅行と言うには、距離があるのが難点だが。
新幹線と電車を乗り継ぎ、五時間近くかけてたどり着いた関東にあるその街。
東西をなだらかな山、北を霊山に囲まれ、江戸時代は宿場町として、また川の舟運により商人の町として賑わい、今なお川面に影を落として並ぶ蔵屋敷が残る静かな場所だ。清流と堀割に群れ遊ぶ鯉が目を楽しませてくれる。
北関東の小京都とも呼ばれる地だが、観光地としては同県内の温泉地に客足は取られているので、余り有名ではないらしい。
資料によれば、右龍と呼ばれる人物は、代々この街で唯一の御祓屋として暮らしていたらしい。
当時は霊山から流れ出る川や、地をはしる地脈がこの地に霊力を運び、ここも
おそらく、管理者がいなくなり、なおかつ内陸部の片田舎にあるため、新たな管理者が現れなかったせいもあるのだと思われる。
こういう事を感じることができるのも、臓硯の知識によるものだが、昔の自分では考えもしなかったことだ。
「御祓屋……か」
彼が、何を考えて冬木の地にまで来たのかはわからない。
わかっているのは遠坂のつてで参加し、遠坂の手によって亡くなった。
そして、召喚したクラスはキャスター……ということまで。
時を超えて、子孫がまた同じキャスターを呼び出したというのも、あながち定められていたのかもしれない。
とりあえず、手がかりである資料に記された右龍の家紋を頼りに、同じ家紋が彫られた扉のある土蔵を探すことにした。
川縁で、ひとけがないことを確認してから、蚊よりも小さな羽蟲達を足元から放つ。
この羽蟲達は使い魔だが、通常の虫とほぼ変わらない。
だから、簡単な探査・調査目的くらいにしか使用できないのが、欠点ではあるが。
この街に雨生龍之介がいるのであれば、小さな街であるし数日中には見つかるだろう。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
「御免下さい」
その家に、見かけない初老の男性が現れたのは梅雨時期の珍しい晴れ間のある日のことだった。
羽織袴の和服姿に大ぶりの日傘を持ち、白髪交じりの長い髪を一つにまとめたその男はここまで歩いてきたようだ。
この時点で、地元の人間ではない事がわかる。街外れでバスは通っていない、そして街道沿いとはいえ電車の駅からも遠いため、この辺の住人は、免許が取れれば一人一台が当たり前のように自家用車で行動するからだ。
「土蔵の中を見せて欲しい?」
間桐と名乗った男は、お近づきの印にと地元の和菓子店の銘菓を対応に出てきた家の主人に渡した。
たまたま今日は休日で、普段は教師の仕事をしている家主とその妻は在宅していた。
地元の短大に通う娘と高校生の息子は、どちらも友人と出かけていて今は居ない。
「ええ。私、骨董品や古書を趣味で集めていまして、あちこち訪ねているんです。ガラクタしかないとおっしゃられますが、土蔵に意外なお宝が眠っていることが多いのです」
そう言って、これまでに訪れたという地元の名士を数軒あげた。
この家も昔はそれなりに名前は知られていたらしいが、代を重ねるごとに衰退したらしく、その名残は屋敷の立派な門構えと、裏庭の潰れかけた土蔵くらいのものだ。
「もちろん、見せていただくだけでも結構ですし、譲って頂く際もタダではなく、買い取らせていただきたいと思っています」
悪くない条件だった。
土蔵にある物は、ガラクタとして処分するのも面倒でそのまま放置していたモノである。
売れるのであれば、売ってしまった方が片付くし、土蔵を処理する区切りにもなる。
また、見せてもらうだけでいいというから、仮に価値の高い品物が出たとしても売らなくてもいいのだろう。
そこまで考えた家主は、彼を土蔵へと案内した。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
結局、土蔵の中はガラクタばかりで、骨董品価値のある絵皿や茶碗が少量見つかったくらいだった。
「ここで間違い無いと思ったんだけど……」
買い取った茶碗の入った木箱を手に、立派な門の前で振り返る。
雨生という苗字、龍之介という名前の高校生の息子、そして家族構成。
間違いないはずだった。しかし、土蔵にあるはずの古文書はなかった。
ここではなかったというのだろうか?
それとも……考えたくはないが、自分と同じように未来を知るイレギュラー的な何かが既にそれを手に入れているのだろうか?
悪い方向に考えて気が滅入っていくが、まだ時間はあるのだ。
たまたま、同姓同名の人物がいたというだけだと前向きに考えて、また一から探せばいい。
頭を切り替えて、街に戻ることにした。
土蔵を探しまわったので、日が長いとはいえ日は暮れはじめており、タクシーを呼んでくれるという家主の親切を断ったので徒歩である。
田園風景が続く街道を歩いていると、前方から自転車が向かってきた。
私は、思わず足を止めた。
……近づいてくるその自転車の乗り手は、羽蟲によってわかっている。
あの家の息子、雨生龍之介だと。