間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
「こんにちはー! ヤマネコクロトですー」
ヤマネコクロトの宅配便のドライバーが、いつものように詠鳥庵の入口をくぐった。
新作の反物や、窯元などから届く品物を納めたり、客注品を預かったりと呉服と陶磁器を商いしているこの店でも割りと見かける光景である。
そして、いつもなら応対するのは抑揚のある声の若い店主なのだが、今回出てきたのは店主の妻の方だった。
「いつもご苦労様です。今日の荷物はそこにある分だけかしら?」
「そうです。じゃ、受け取り印お願いしますねー」
額の汗を拭きながら、ドライバーは受取証を渡した。
「夏用の反物と浴衣ね。あ、ちょっと待ってくださいな」
奥に行った彼女は、盆の上に氷水の入ったグラスを持ってきた。
「今日は、夏日でしょう? そんなに汗かいてらっしゃるし、よろしければどうぞ」
確かに、今日は日差しが強い。
車で移動しているとはいえ、外に出ただけで汗が出るほどだった。
「あー……じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」
冷たい水が、乾いた喉に染みこむ。
「……は~、暑いですねえ……春を迎えたと思ったら、もう夏。ほんと季節がすぎるのは早い」
ふと、仕立て上がりの着物やあつらえ用の反物を並べてある畳の方を見ると、店主が反物を広げて男性客と話をしていた。
今時珍しい着物姿。群青がかった黒髪に白髪混じりのやや長めの髪。恐らく四十から五十代前後。若い頃はさぞやいい男だったであろう、優しそうな切れ長の眼をした男。
この店この地区を担当になってから初めて見る客だ。
「あのお客さん、はじめてですか?」
グラスを店主の妻に返却しながら、何の気なしに質問してみる。
「ああ、ほら。最近改修されて綺麗になった洋館があったでしょ? あそこの御主人よ」
「え、あのお化けやし……ごほん、あの洋館の?」
内部は常に薄暗い。何年も花を咲かせない桜や、鬱蒼と茂った木々、無駄に丈が高くなった生垣に蔦だらけだった屋敷と、お化け屋敷以外の何物でもなかったあの洋館が綺麗になったのはここ数ヶ月のことだった。
「最近まで御病気だったんですって。今は、ウチをご贔屓にして下さってるお得意さまなのよ」
「へー……」
商談が終わったらしく、軽く会釈をして大きめの日傘を手にして、男性客が立ち上がった。
視線に気がついたのか、こちらを見て微笑んでから会釈をすると日傘を広げて外に出ていった。
「日傘ってことはまだ本調子じゃないのかな」
「直射日光がダメらしいわ。日陰とか屋内なら大丈夫らしいけど」
「なるほど。紫外線がダメなんですかね? たしかそんな病気が……」
「……って、そろそろ時間まずいんじゃ?」
腕時計と壁にかけた時計を確認して、ドライバーは顔色を青くする。
「……ああっ、ヤバイ! じゃ、失礼します!」
慌てて、ドライバーは外に止めた車に戻っていった。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
臓硯に憑依してから数ヶ月。季節はもうすぐ夏。
「それでは、雨ゴートを一枚とこちらの
店主は夏用の最高級と言われる越後上布の白地に繊細な模様のついた反物を広げている。
着物は
幸いなことに、誰の物か定かではない古い着物の中に身幅・着丈の合う着物が何着もあったので困りはしなかったのだが、さすがにそのままでいるわけにも行かない。
特に雨ゴートは梅雨の時期、着物で出歩くなら必須だ。
洋服?レインコート?
それは邪道というモノ。臓硯は着物で過ごしていたのだから、せめてその名残は残しておきたい。
「もうすぐ梅雨入りですし、それまでには間に合わせますよ」
「ええ。急いではいませんが、それがないと夏場困るのでよろしくお願いしますよ」
軽くお辞儀をして大振りの日傘を手に取って立ち上がる。
視線を感じてそちらを見ると、入口近くの陶磁器を置いている棚前にヤマネコクロトのドライバーと店主の妻がいた。
そちらにもお辞儀をしてから、店の外に出て私は日傘を開いた。
よく晴れた空である。陽射しは強い。
何か冷たい物が食べたい。
商店街に寄って買い物して帰ろうか。
商店街を歩きながら店を見ていると、かなり昔からあるという惣菜屋の前にかき氷機が置いてあった。
ちょうど冷たいものが食べたかったので、これ幸いに注文することにする。
「イチゴを一つ」
「はいよー。今日は暑いねえ、間桐さん」
最近よく買い物に来るので、顔見知りになった店員(恰幅のいいおばさん)が、懐かしい手回しのかき氷機を回す。シャリシャリと小気味良い音が聞こえ、やがて発泡スチロール製の器に白い山ができた。そして、手前に並んだシロップの中から、赤いイチゴシロップをその山にかけた。
代金を支払ってから、それを受け取ると軒先の日陰にある簡素なベンチに座って私はそれを食べ始めた。
口に入れると冷たいかき氷が溶け、甘ったるいイチゴシロップのチープな味が広がる。
急いで食べると頭痛が起きるので、さすがにそのような食べ方はできない。
傍目から見たら、初老の着物姿の男がかき氷を食べているのは、かなり珍しい絵面なのか、路上を行く人がこちらを見ていく。
客寄せになったつもりはないのだが、やはりそばで誰かが食べていると食べたくなるのが常のようでちらほらとかき氷を買う客が増えてきた。
梅雨もまだだというのに暑い日が続いているせいか、売れ行きも良さそうだ。
ふと、六~七歳くらいの女の子が、子供用の補助輪付き自転車に乗ったまま、こちらをじっと見ている事に気がついた。
いや、こちらというか……かき氷を凝視しているというべきか。
「……欲しいのかい?」
そう声をかけると、ハッとした表情で真っ赤になって頭を左右にプルプルと振る。
あー、欲しいけど我慢してるって感じかな?
小さな子がこういう行動を取るのは、本当に微笑ましくて可愛い。
買ってあげてもいいのだが、子供の教育上それは良くないだろう。
それに、今の私は中身はおばさんとはいえ、外見はおじさんだ。下手に関わりになって、面倒を起こすのも自分の願うところではない。
とりあえず、気にしない事にして残りのかき氷も食べ……ようとしたのだが、相変わらず子供の視線がかき氷に注がれている。
「はあ……」
私はため息をついて苦笑した。
タイミングがいいことに客も切れたので、残った氷を発泡スチロールの箱にしまおうとしていた店員に小銭を渡しながら小声で話しかけた。
「すみません。あの子にもかき氷を」
「おや……大河ちゃんじゃないか」
私の視線を追って、女の子を見た店員はそう言った。
顔見知りの子供だったらしい。
あれ? 大河って……何か聞き覚えがあるような。
まあ、余り大したことじゃないだろう。
「さっきから、かき氷を凝視しているから欲しいのかなとお節介ながらも思って」
「ああ、なるほど! あの子、食べることが好きだからねえ」
くすくす笑いながら、店員は氷をセットした。
「ほら大河ちゃん、かき氷あげるからこっちおいで!」
相変わらず、遠巻きでかき氷を凝視していた大河ちゃんは、店員に突然声をかけられてびっくりしつつ、かき氷機の側によってくる。
「おばちゃん、いいの?いいの? ブルーハワイがいいな!」
「はいはい。ちょっとまってねー」
やがて、白い山になった氷に青いシロップをかけたかき氷ができると喜ぶ大河ちゃんに渡された。
「ありがとう、おばちゃん!」
「お礼なら、そこに座ってるおじちゃんに言うんだよ? 大河ちゃんの分のお金出してくれたんだからね?」
「うん! ありがとう、おじちゃん!!」
ニコニコと笑って私にお礼を言うと、勢い良くかき氷を食べ始めた。
このままでは、すぐに頭が痛いと泣く様子が幻視できてしまい、また私は苦笑を浮かべる。
「間桐さん、藤村さんとお知り合いなんです?」
「いや? 全く知らないけれど、子供には勝てないからねえ」
すっかり、溶けてしまった残りのかき氷を飲むようにして空にすると立ち上がって、店に備え付けのゴミ箱に放り込む。
「それじゃ、ごちそうさま」
「またどうぞー」
店員の挨拶と大河ちゃんの「あたまいたいー!」という言葉に送られて、私は屋敷に戻ることにした。
帰宅後、あの女の子がタイガーこと藤村大河だということにやっと気がつき、飲んでいたお茶を吹き出したのはまた別の話である。
※雨ゴート
和服用のレインコート。男性用は泥除けも兼ねているので着物の着丈よりも長い。
お坊さんがよく雨の日のお葬式などで着ているのを見かけることができる。
(最近は洋服で来て、葬祭会場で袈裟に着替えるお坊さんもいますが)
市販品(仕立て上がり)だと丈が合わないため、必要な場合はあつらえたほうが良くなることも。