がたん!
「む?」
「え?」
武道とランサーの戦いが終わり、まさに今ランサーの肉体が消滅したところであるが、そこで物音がした。
その方向を見ると……ひとりの少年がいた。
「目撃者!?」
「うわあ!」
「グロロー! 魔術師とやらのルールは人知れずの戦いよ~!」
少年は、明らかにまともでない武道とランサーの戦いを盗み見ていること、それが当事者たちにバレてしまった恐怖から逃走を選んだ。
しかし武道から逃げられるわけも無く、アッサリと捕まってしまうのだった。
「ぐえっ!」
少年の首根っこを引っつかんだ武道は素早く凛ちゃんの元に戻り、少年を地べたに投げ捨てる。
少年は受身も取れずに倒れるのだが……凛ちゃんはどうしたものか、と思ってしまう。
「はぁ……衛宮くん、なんだってこんな時間に学校に」
「そ、それはストーブが壊れたのを直したり弓道部の掃除とか色々あって……いや、でも、と、遠坂の方が……なんなんだよ」
凛ちゃんの基本方針として人目につかないように心がけて夜に動いていたのに、その夜に活動しているとはなんと運の悪い男だろうか、と思わざるを得なかった。
「さ、さっきの男……死んだのか? なんでこんな学校で殺し合いをしてんだよ! そもそもそいつは何だよ! 確か今日遠坂が学校に連れてきてたって噂の保護者の大男だろ? お、お前一体何をやってるんだよ」
困ったなぁ、と頭を抱えたくなる案件にどんな言葉を出せばいいのかと凛ちゃんが思案していると、少年は調子に乗ったのかまくし立ててきた。
人間は自分の周りで必要以上に慌ててる人がいると逆に落ち着くということもあるそうだが、この場合はその逆、自分の周りで落ち着いた人がいるとなんだか気にならなくなってしまう、という状況なのだろう。きっと。
だから少年は、明らかに自分の命が他人に握られている状態で喚くことができるのだ。
「黙れ」
「はっ、はいっ!」
しかし、恐怖というのはいつでも人間を縛る万能の鎖。
武道がひと睨みしたら少年は姿勢を正して口を閉じた。
3メートル近い筋肉パンパンの巨人が目を血走らせて睨みかければ、誰だってそうなる。
「グロロー。で……凛よ。どうするのだ?」
「そうよね……聖杯戦争に関係なく、魔術師たるもの神秘は秘匿しなきゃならないのよ」
「グロロー、実にくだらんルールよ。己の持つ力をひけらかして何が悪い。他者に見せぬ力に何の価値がある。そんなだからキサマら魔術師という存在はいつまでたっても下等なのだ~」
「うっさいわね、魔術は一般公開して使い手が増えると出力が減るのよ、空の境界でも読んで魔術師のルールを予習してきなさい」
「グロロー」
静かになった少年……衛宮くんの前で、凛ちゃんは考える。
考えるといっても、結果はひとつしかないのだけど。
「さて……魔術師の掟に従って、一般人が神秘に触れたときは……殺すか、記憶を消すか、しないといけないわけだけど」
「殺すのだな」
凛ちゃんの中での決断が出たのを確認した武道はボボボと炎を纏う竹刀をどこからか取り出す。
どうやら武道の竹刀には火属性付与の能力があったようだが……なぜランサーとの戦いでその能力を使わなかったのか?
まぁ使わずに勝てたからいいのだけど。
いまの問題はそんなことではない。
「殺さないわよ。あんたどんだけ凶暴なのよ」
「グロロー」
慈悲深いあやつは、かつてその慈悲深さから、下衆な下等超人どもの成長を願い命を見逃したこともあったのだが、長い年月の末その慈悲こそが間違いであったと悟ったこともあり、決断すれば迷いは捨てるようになったのだが、凛ちゃんはそんなことを知らない。
だからこそ凛ちゃんは武道を凶暴の一言で切って捨てたのだが……はたして、そんな事情を知らない小娘の言葉は武道の心にどう届いたのか……それは武道しか知らない事である。
「さて、と……衛宮くん。殺す殺さないとか言われて恐怖を感じたかもしれないけど大丈夫。私は正義魔術師だからね。ちょっと衛宮くんの記憶を消すだけよ。魔術師じゃない一般人に対して必要な処置だから我慢してね」
どうせ今ここで言ったことも忘れるだろうけど、魔術師のくせに妙なところで義理堅い凛ちゃんは無用な説明をする。
しかし、この説明がひとりの少年の運命を変えることになるのだから、人生何があるかわからないものだ。
「ま、魔術? 魔術師? と……遠坂も魔術師、なのか?」
魔術を知らない一般人であれば、殺すか記憶を改ざんして神秘の秘匿を守る必要がある。
しかし相手が一般人でなかったのなら?
「へー、まさか衛宮くんが魔術師だったなんてね~。へー」
凛ちゃんは不機嫌である。
すごく不機嫌だ。
冷たい視線を衛宮くんに向ける。
その視線を向けられる衛宮くんは放課後の学校の校庭に、正座である。
「いや~、まさかねぇ。この冬木の地の魔術師としての管理者である遠坂になんの断りもなく、野良魔術師が潜り込んでたなんて……舐めてるのかしら?」
だんっ! と足を鳴らす凛ちゃん。
そうとう怒っているらしい。
それに対し衛宮くん。
「い、いや、魔術師って言っても……俺の父親、義理の父親なんだけど、その人から教えてもらった程度だし、その人はそういう魔術師のルールを教えてくれなかったから」
と、言い訳をする。
「はっ、親が悪い自分は悪くねぇ、って言いたいわけ? でも衛宮くんは自分の意思で魔術を習いたいって言って、我流のへっぽこなりに魔術の鍛錬は続けてたんでしょ? だったら知らなかった、では済まされないのよ。知ろうとしなかった、知るまでに至らなかった。これは魔術師としては致命的な罪よ」
しかし凛ちゃん一刀両断。
普段はここまでトゲのある性格でもないのだが、初めての実戦、知り合いを処理しなければならない覚悟、その覚悟が無駄となった拍子抜け、野良魔術師が自分の庭をいいように徘徊してた屈辱、さらに武道の存在感に対するストレスなどが合わさり、ちょっと性格が悪くなってしまっているのだ。
ひと晩休めば「ちょっと言いすぎたかも」と思い到れるはずなのだが、そのひと晩休む前の怒りで凛ちゃんは動いているのだから止まらない。
しかし武道は飽きてきたようだ。
聖杯戦争のサーヴァントとして呼ばれた時にその時代の常識や聖杯戦争のルールはインストールされるが魔術師のルールは世界の常識や聖杯戦争のルールとやや外れていて知識がなく、あまり興味を持てる内容でもないのだから飽きても仕方ない。
「グロロロー。凛よ、いい加減話が長いが結論はどうするというのだ」
武道の投げやりな態度にはイラつきを覚える凛ちゃんだが、これ以上文句を言ってもただ結論を先延ばしにしているだけだ、と気づくくらいの冷静さはあった。
だから結論を出す。
「そうね……衛宮くんは、魔術師としてもへっぽこもいいところだから今日のことは記憶から消して、後日自宅訪問して魔術師として搾り取ってやらないとね」
この結論。
口ではきついことを言うようだが、魔術師であろうとも今までちょっと気になる同級生、としか見ていなかった衛宮くんを聖杯戦争という恐ろしい戦いの舞台に引っ張り出さないための、凛ちゃんなりの優しさであった。
なんとも慈悲深いこと。
「グロロー、ならば私に任せてもらおう!」
さて、と凛ちゃんが暗示の魔術を衛宮くんにかけようとしたのだが、それを遮るストロング・ザ・武道。
指からビババと光線を放出する。
衛宮くんに向けて。
「ちょっ、あんた何やってんのよ!」
「グロロー、人の記憶の操作は私もまた得意とするところ。マスターの代わりにやってやったのだ、感謝して欲しいくらいなのだがな~」
凛ちゃんは怒るが武道はどこ吹く風。
ステータス、戦闘能力という一点においては武道以上に信頼できる存在を知らない凛ちゃんだが、短い付き合いで確信できていることもある。
こいつは性格がハチャメチャなやつだ、という事を凛ちゃんは確信しているのだ。
「あんたやる事がいきなり過ぎるのよ……え、えーと、衛宮くん。大丈夫?」
とりあえず正座したまま武道の謎の光線を受けガクリと項垂れている衛宮くんに話しかける凛ちゃん。
変なことになってなければ良いのだが。
「う、うう」
「衛宮くん、わかる? どうして自分がここにいたのか、とか……」
「ばぶー」
バッチリ、変なことになっていた。
衛宮くん、記憶がリセットされて赤ちゃんになってしまったのだ。