武道の零の悲劇で子供になってしまった桜ちゃん。
その事に対して武道は一体どう言い訳するのか?
「グロロー。子供の頃から人生をやり直せるのであればむしろ良い事ではないか~。こんな家で過ごした記憶など百害あって一利なしよ」
全く悪いと思っていなかったようだ。
むしろ良い事したぜ、とでも思っていそうである。
「しかし、彼の言うことも尤もかと。サクラには……この家での記憶などない方がきっといい」
「グロロー。こやつもこう言っているではないか~」
「ぐぬぬ」
正直、文句の一つも言ってやりたい。
しかし、しかし。
武道の言うことは確かなのだ。
凛ちゃんとて、妹が送られた家がこんな腐臭に満ちたゴミ溜めに劣る下劣な環境だったなんて、という思いがある。
そんな事も知らずに生きてきたことを申し訳なくさえ思う。
たしかに桜が「間桐桜」として積み上げてきた人生、出会いは……全くの無価値ではないのかもしれない。
しかしそれは間桐家という呪われた家での生活の上に積み重ねられたもの。
受けなくていい苦痛を理不尽に受け続けてきた記憶に拘泥してまで、これからの桜ちゃんの人生を否定していいものか? と思う。
今までの経験がなくなってしまったのなら、これからより良い経験を積ませて桜ちゃんに新しい人生を歩ませてあげるべきではないのだろうか。
凛ちゃんは無理やりそう思って納得することにした。
「桜はまだ意識はないみたいだけど……無事、なんだよな?」
「ええ、そうみたいね。ところで衛宮くん、いくら子供だからっていつまで桜を裸にしてるつもり?」
責任とってあげるのかしら? と軽口混じりの凛ちゃん。
「いや、責任っておま……っ」
言われた衛宮くんは顔を真っ赤にして大慌てで自分の上着を脱いで桜ちゃんに被せる。
ちなみに彼の顔が赤いのはロリコンだからではない。武道の零の悲劇を受ける前なら衛宮くんはロボット状態で、自分に向けられた好意もよくわかってない部分もあったが、今の彼は完偽……むしろ完玉の魔術師としての技術こそ身につけたが、性格は「普通の高校生」になってしまっている。
だから、ふと思い返せば「あいつってひょっとして俺に気があるんじゃないか?」という思春期の男の子なら誰しも思う勘違いも身に付けてしまったのだ。
だから「桜って俺のこと好きだったんじゃね?」と思う感情が有り、桜だったら悪くないかなー、なんて思いから「俺が守ってやらねば!」という悪魔の方程式が発動してしまっていたのだ。男にとってこれは回避不能な一種の呪いである。
そんなわけで、桜ちゃんを意識してしまっているのだ。今は子供になっているのでちょっと残念、な部分もあるけれど。でも成長すれば巨乳になるわけだしツバ付けておくのも悪くないかも……と思ってないといえば嘘になる。
「ところで士郎はいつまでその貧相な体を晒しているのかしら?」
何ともかんとも、などとキモい葛藤をしている衛宮くんに冷たいイリヤのツッコミ。
別に衛宮くんは同年代男子と比べて貧相な体はしていないのだけど……
「ぐぬっ」
この場では正直、深く強く突き刺さる言葉だ。
なにしろ武道を筆頭に、武道の呼び出した完璧始祖の連中がいるこの場では、衛宮くんの体はマッチ棒のように頼りなく見える。
みんな筋肉パンパンだもの。
「だからって桜を裸にしてたら問題だろ」
「そうね、でもここは間桐家なんだから、間桐くんの服もあるでしょ。体格にそれほど差はないから着れないこともないと思うんだけど」
衛宮くんが上半身裸であることの言い訳をすれば、凛ちゃんの正論。
臓硯相手に頭にキてた事はあったが、桜ちゃんの問題もひとまず解決したとあって心は軽くなっているのか、表情は柔らかい。
「慎二の服……って言っても今となってはイメージが悪く感じるなぁ。ま、いいか。適当に漁ってくるよ」
「シロウ。でしたらサクラも連れて行ってください。今は意識がないとは言え、サクラをこの場に置いておくのは好ましく思えません。これから行われることを考えても」
「ん……わかった。あんたは、良いのか?」
「私もすぐ向かいます。用事が終われば」
いつまでも上半身裸で女の前をうろちょろするな、と言われた衛宮くんはとりあえず地下室を去るのであった。意識の戻っていない桜ちゃんを伴って。
そうして、桜ちゃんと衛宮くんが去ったのを確認して、再び向き直る。
彼女たちの視線が向けられるのは、力なくビチビチはねる間桐臓硯と、その隣で尻餅ついて震えているワカメ少年こと間桐慎二。
「おっ、おっ、おまっ……おまえっ!」
そのワカメ少年、ついに口を開いた。
彼の糾弾する相手は凛ちゃんではない。
イリヤでもない。
当然、武道ではない、怖いから無理だ。
完璧始祖たちも同じ理由で怒鳴りつけるのは不可能。
ワカメ少年が怒鳴る相手、それは。
「なんですか? シンジ」
「おまえ! ライダー! 死んだんじゃないのかよ!」
背の高い、紫っぽいストレートロングヘアの女性、ライダーである。
しかし、その姿はワカメ少年の知るものとは違う。
たしかにライダーは美人ではあったのだけど、常に分厚いアイマスクで目を隠していたし、来ている服も黒いレザーのボンテージ風の服であった。
今は白い清楚な感じのする服である。スカートも長い。
そして、魔術の素質が一切ないワカメ少年でも本能で気付くほどの差異がある。
サーヴァント、ライダーとしてその場にいた頃には、確かに人間離れした気配を放つ美人だが、その気配の正体はどちらかというと負の印象をまとうものだった。
しかし、今の彼女からは負の気配はせず、逆にいるだけで空気が正常になるかのような、そんな神聖な気配を放っているではないか。
死んだはずのライダーが生きていて、こんな印象が変わるなんて……何があったのか? 裏切って属性が裏返ったりしたというのか?
「シンジ、私はライダーではありません」
「はぁ!?」
ライダーは説明する義理などないと思いながらも、一応訂正はしておきたいと思って、真実を口にする。
「私はすでにサーヴァントではなくなったのです」
「な、なにを言って……」
「はい、イリヤ解説」
「なんで私が……まぁ良いわ。ゴホン! では解説するわね。ライダーは偽臣の書を使ってたワカメの支配が切れてサーヴァントの力を取り戻したあと、武道に挑みかかったけど手も足も出ずにやられたのよ。でもマスターのためという理由で根性で立ち上がるライダーに対し、武道は恩赦を与えた。ご存知、零の悲劇よ。バーサーカーは人間になったけど再びサーヴァントへと戻った。キャスターは人間になった、そしてライダーは……真名がメドゥーサ、という事からもわかる通り、一時は怪物になったのだけど、怪獣と戦うのは超人の役目と武道が巨大化して一発殴ってそれでKOされたわ。その後ふたたび零の悲劇をかけると、メドゥーサの本来の姿……そう、神々に呪いをかけられる前の、美しい女神の状態になったのね。でも武道がまたまたウッカリ、力を入れすぎたみたいで女神になったというより女神の性質も持った人間、になったわけよ。だから今の彼女は人間。まぁ神代の時代の存在だけに、現代の魔術師とは存在の桁が違うんだけど……それでも人間なのね。だから前回、間桐臓硯は私たちの気配をサーヴァント1、人間4とカウントしちゃってたのよ。彼女……あえてライダーと言わせてもらうけど、ライダーが消滅したものとしてまさか一緒にやって来たとは考えなかったみたいね。ちなみに前回にライダーが出てこなかったのは、武道が負ける事こそないけど、臓硯が何らかの悪あがきをした時に伏兵として不意打ちするためだったのよ。杞憂に終わっちゃったけど。解説終わり」
と言う訳です。と、イリヤの解説に言葉を添えるメドゥーサ。
しかし残念、ワカメ少年にそんな説明を理解することはできなかった。
「訳わかんないことを言ってんじゃない! お前っ! 生きてたんならそいつらを倒せよ! 僕を守れよ!」
と、怒鳴りつける。
それに対し、彼女はまってましたと言わんがばかりの心境でニヤリと頬を歪めサディスティックに嗤う。
「守れ? おかしいですね。私がサーヴァントでああったとしても……私が守るべきはマスターですが?」
「ぼ、僕だってマスター」
「いいえ? シンジ、あなたは偽臣の書を持っていましたが、マスターではありませんよ? 私もあなたをマスターと呼んだことは一度もなかったのに気付きませんでしたか?」
メドゥーサはこの一言をすごく言いたかったのかもしれない。
すごく良い笑顔でワカメ少年に残酷な事実を叩きつける。
もし彼女がサーヴァントのままであれば、反英霊という立場に対する後ろめたさや劣等感などからも、事実であろうとあまり他人を傷つける言葉は吐かなかっただろうけど、今や彼女はまっとうな人間である。神の呪いすら無くなった彼女を縛るものはもはやない。
超ノリノリのイケイケである。ちょっとセンスが古いが古代の人だから古くてもいいのだ。
「とてもスッキリしました」
ふー、と一息し爽やかな顔でかいてもいない額の汗を拭う仕草をするメドゥーサ。
その姿にサーヴァント・ライダーであった頃のどこか夜を思わせるイメージはなく、真昼のお日様を思わせるほどの爽やかな姿だった。
正直、凛ちゃんはちょっと引いているが、もっとひどいサーヴァントのマスターをやってるので今更だと気を引き締める。
「さて……私は冬木の街を管理する遠坂の魔術師として……私のシマを荒らす悪徳魔術師にヤキを入れないとだめなんだけど……間桐くんは、なんだったかしら?」
「うう……僕は……僕は……」
「聖杯戦争のマスター? 間桐の魔術師? それとも事件に巻き込まれた無力な一般人? あなたは一体なにものかしら?」
ニヤニヤ笑いながらワカメ少年を追い詰める凛ちゃん。
実は前回と今回の間、幕間において、恐怖で気絶したワカメ少年に暗示をかけ彼の生い立ちや何を思って今まで生きてきたのかの尋問を済ませていた。
最初は問答無用で殺すつもりだった凛ちゃんだが、衛宮くんが一応理由だけでも……と待ったをかけたのだ。
聞いてやる必要は感じなかったが、衛宮くんの投影魔術は想像したより便利なので、これからの人生で言うことを聞かせるための貸しとして、ちょっとくらい衛宮くんの言うことを聞いてやってもいいか、と考えた。
その結果わかったのが、ワカメ少年の魔術に対する劣等感など、である。
そしてワカメ少年が魔術師として見れば果てしなく無力なこともわかったので、凛ちゃんなりの恩情をかけ……ワカメ少年には圧力をかけ、自分の口で「僕は魔術師じゃないでちゅ」と言わせてやる事で決着、としてあげようと思った。
彼に自分の口でそのことを認めさせるのは、それなりの精神的苦痛にはなるだろう。
桜ちゃんが受けた痛み苦しみの何億分の1にもならないけれど、それでも人の苦しみを知ればいいのだ、と凛ちゃんは思ったのである。
そして間桐臓硯の方はといえば。
「ギラギラ」
武道が呼び出した完璧始祖が一人、シングマンがドバドバと部屋中に謎の液体をぶっかけている。
この液体は速乾性のコンクリート、コンプリートコンクリート。
これで間桐臓硯の使い魔の蟲たちを固めて圧死させるのだ。
面倒な一手間であるが、細かく小さくたくさんいる間桐臓硯の蟲どもを、わざわざバカ正直に戦ってやる必要などないのだから、こんな処理の仕方で十分であろう。
いや、本来なら間桐臓硯の本体が死んでしまえばやがて力を失い死滅するのだが。
せいぜいが汚く臭いものに蓋をする精神、といったところか。
「次は私だな。ゴバッゴバッ。石に囲まれた部屋というのは殺風景すぎていかん」
ダメ押しとばかりに完璧始祖が一人、ミラージュマンが間桐家地下の蟲倉に幻術をかけ、幻想的な風景を作り上げてしまう。
「この幻影は私が死んでも消えることはない。破壊されない限りはな」
ちなみに破壊しようと思えば1500万パワーくらいの超人が氷のダンベルによる一撃を打ち付けるくらいしないとダメだろう。
ミラージュマンが生きて張り続ければガンマンの真眼でさえ破ることのできない幻影は人間の魔術師では幻影であると気づくことすらできまい。
「や、やめて……やめてくれぇ……助けて……くれぇ」
部屋をコンクリートで圧迫されるわ謎の幻影で上書きされるわと、今までの人生を否定された臓硯は悲鳴を上げる。
一寸の蟲にも五分の魂斗でも言うつもりか。
そんな間桐臓硯の前に立つのは、完璧始祖が一人ジャスティスマン。
彼はその手に持った天秤の秤に臓硯が人間の姿の時に手に持っていた木の杖の残骸を乗せる。凛ちゃんの魔術でぶっ飛ばされたが欠片くらいは残っていたのだ。
そして秤の反対に自分のコスチュームの腹の部分の菱形を乗せる。
「この天秤が貴様の罪を計る……ギルティ? オア、ノットギルティ?」
ギルティだった。
「ひぃー!?」
何がなんだかわからないが、自分が確実に殺される運命を悟ってしまった臓硯の悲鳴が上がる。
しかし誰も彼を助けようとはしない。
そして。
「モガッモガッ! たかが虫けら一匹にまどろっこしいんだよ!」
そう言って、完璧始祖の一人、アビスマンがなんの情緒もなく臓硯を踏み潰してしまった。
「テハハ、せっかくジャスティスが罪を暴こうとしたのに無駄な労力になってしまったな!」
「モガッモガッ! 違いねぇ!」
何百年も生き、彼なりに生にしがみつく理由もあったはずの間桐臓硯だが、彼は誰にも顧みられることなく、あっけなく踏み潰されるという形で人生に幕を下ろしてしまった。
彼の死で何が起こったかといえば、せいぜいがペインマンが一回笑うネタを提供した程度である。
「カラカラ、なんとも無情なものよ。まぁあんな虫けらでは私のペット、ネバーとモアの餌にもならんのでアレが妥当な落としどころであろうなぁ」
完璧始祖が一人、カラスマンにとっては臓硯の生死なんてどうでも良いらしい。そりゃそうだ。
「グロロー。終わったようだな」
「ええ、これで聖杯戦争、全ての敵を倒したわ」
激しい戦いだった。
凛ちゃんは闘いの日々を思い出す……武道を呼んで次の日、学校に実体化したまま付いてきてたせいで先生に怒られたのはきつかった。
そしてランサーとの戦い。武道が勝った。
武道のせいで完偽の魔術師になった衛宮くんとの戦い。凛ちゃんが勝った。
衛宮くんに召喚させたセイバー。自害させて労せず倒した。
イリヤとともに襲ってきたバーサーカー。武道が倒した。
その後に襲ってきたギルガメッシュ……おそらくアーチャーのサーヴァント。武道が倒した。
柳洞寺で戦うことになったアサシン。武道が倒した。
アサシンのマスターでもあるキャスター。武道が倒した。
6人倒して終わったと思ったらまだ居た謎のサーヴァントライダー。武道が倒した。
「……思い返せば楽勝だったわね」
武道が圧倒的すぎるのが悪いのだけど、まさか一夜でサーヴァントと7戦して全勝するとは思いもしなかった。
聖杯戦争なんていうくらいだからもっと激しく互角の戦いと思っていたのだが、終始圧倒していたなぁというのが凛ちゃんの感想である。
「ともあれ、これで聖杯戦争は終わったのね」
「そうね、遠坂凛。御三家のひとつ、アインツベルンの魔術師であり、聖杯でもある私が認めます。あなたは此度の聖杯戦争において完璧なる勝利者。これからは完勝の魔術師とでも名乗りなさい」
「いや、私は完璧超人じゃないのだけど」
色々あったが戦いは終わった。
この時、凛ちゃんもイリヤもそう思っていた。
確かに、此度の聖杯戦争におけるサーヴァント同士の戦いは終わった。
だが……本当の戦いはこれからだという事を、凛ちゃんとイリヤはまだ、知らない。