突然現れた謎の超人。
その姿揺るぎなし。
ライダーを使役する立場になった彼から見ても、圧倒的な迫力を感じずにはいられないのが、ストロング・ザ・武道なのだ。
そんな武道を前にしてワカメ少年は頭が真っ白になり口をパクパクさせるしかなくなる。
尋常じゃない存在を前にしても動けるものがいるとすれば、それはその者もまた、尋常の存在ではないということだろう。
だから咄嗟に動けるサーヴァント・ライダーはやはり彼女も、尋常ではないということ。
ぐいっとワカメ少年の襟首を引っ張り自分の後ろに投げ捨てながら、腰を落とし油断なく構える。
分厚い目かくしに隠されて彼女の表情はわかりにくいが……やはりプレッシャーを感じているのだろう。
口元は固く歯を食いしばっているように見える。
「シンジ、撤退を。あなたの聖杯戦争は終わりました」
ワカメ少年の方を振り返ることもせず、ライダーは武道と対峙する。
ずいぶんと殊勝な態度ではないか~、グロロー。
などと言うわけがない。
「グロロー。それで主に忠誠を誓っているサーヴァントを演じているつもりか~」
「……」
武道はライダーを嘲る。
だがライダーは答えずに、しかし普通の人間では気づかない程度に後ろに下がる。
「へぇ、間桐くんじゃない。まさかあなたがマスターやってたなんてね……ところでそこに倒れてる人は何?」
一方、今回は衛宮くんが埋まる事もなく着地できたので、凛ちゃんたちも周りの状況の把握ができる。
どうもここは公園らしいのだが……そこに、サーヴァント、マスター、そして無関係と思しき人間の姿があることに気づく。
無関係の一般人は倒れているようだが?
「お、おい! 大丈夫か!?」
「ダメよシロウ。素人が下手に頭を動かすのは危険だから、救急車を呼ばなくちゃ」
「あ、あぁそうか……救急車って119だったっけ?」
「というか監督役の聖堂教会に電話したらいいわ。そこのスタッフの回す救急隊員なら私たちにも多くを聞かないと思うし」
「なるほど」
と、衛宮くんとイリヤは迅速に行動をしているが、どうやら二人の見立て的に倒れてる女性は死んではいないようだ。
凛ちゃんはそれを確認すると、より一層冷たい表情をしてワカメ少年に目を向ける。
ワカメ少年はその視線に「ひぃっ」なんて悲鳴を上げかけるのだが、アタフタしながらもせわしなく目を動かして周りの状況を把握しようと必死である。
それでわかるのは、凛ちゃんが目の前にいること、衛宮くんと見ず知らずの銀髪少女イリヤが一般人を救助しようとしていること、そして、ライダーの前に立つ巨人。
恐ろしく巨大で目も歪んだ菱形でつり上がってて血走ってて怖いが……傷だらけだ。
両手、両足は痛々しい切れ込みが走り血が滲んでいる。
胸だって大きく陥没しているじゃないか。
……ひょっとして死にかけなんじゃないのか?
このワカメ少年、基本的に器が小さい。
だから他人の悪い点を指摘する能力は結構秀でていたりするのだ。
この場合、相手はダメージを受けているのが悪い点、といえよう。
そんな弱った相手と思えばちょっと気も大きくなってこようというもの。
本能は逃げろと言ってるのだが、人間はいつでも思考より本能を優先できるようには出来ていない。いないのだ。
「あ、あぁ……はは、遠坂。遠坂も聖杯戦争のマスターなんだ?」
思い立ったら行動に移す。
この選択は彼に何をもたらすのだろうか?
ワカメ少年は立ち上がりながら土を落とすためにパンパンとお尻を叩く。
余裕ぶった表情を作ろうとしてはいるが、無意識にビビっているので腰は引けていて足も震えている。
気づかないのは本人ばかり。
「ええ、私は聖杯戦争の参加者よ。……で、そこの倒れてる女性は、なに?」
一方の凛ちゃんは、相変わらず冷たい表情で見下している。
立ち上がれば若干腰が引けていても男子であるワカメ少年の方が目線は高いはずなのだが、凛ちゃんは身長ではなく態度で相手を見下すのだ。ドSの片鱗ここにあり。
そして、ワカメ少年に聞くのは倒れている女性はなんなのかという質問である。
「あ、あぁ……はは、僕も聖杯戦争に参加するマスターだからね。サーヴァントを強くするために、ちょっと……遠坂も魔術師だから、わかるよな?」
はははっ、と乾いた笑い声とともにワカメ少年は言った。
このワカメ少年、凛ちゃんに片思いしてたのだが、まぁ彼なりに複雑な思いがある。
凛ちゃんは自分にない魔術の才能を持ってる人間である、とか。
だけど自分と同じ古い魔術師の家系の人間である、とか。
自分に釣り合う才能の持ち主だ、とか。
そういったコンプレックス的な感情が複雑に絡み合っていてなんとも面倒な少年なのだ。
で、この場においてだが。
彼は自分たちが同じ「聖杯戦争の参加者」として並んでるわけで、完璧に釣り合った存在となっていると思っているフシがある。
だからだろうか。
こんなことを言うのは。
「そうだ。遠坂のサーヴァントも弱ってるみたいだしさ、適当に近場で狩るか? ははっ。僕のライダーは吸血で殺さずに一般人から搾り取れるけど遠坂のサーヴァントってそんな感じじゃなさそうだな」
完全に舐めきった態度であろう。
武道の実力を、ではない。
冬木の街を管理するセカンドオーナーである、遠坂の魔術師である、凛ちゃんを舐めきった態度、だ。
「へぇ。つまり、あの倒れてる女性は間桐くんがやったのね」
「え? ……あ、あぁそうさ。ま、言ってみれば魔術師としての嗜みってやつ? ははっ、魔術と関わりのない一般人でも魔術の役に立てるんだから感謝してくれてもいいくらいだろうさ」
彼は気づいていない。
今、自分が地雷を踏みまくっているということを。
「でさ。聖杯戦争って参加者は全部で七人いるんだろ? だったらさ、僕と共闘しないかい? 遠坂のサーヴァントもずいぶん痛んでるみたいで、一人じゃ心もとないだろうしさ」
「必要ないわ、そういうの」
凛ちゃんは意図してかしないでか、抑揚を抑えた声を出すのだが、それはワカメ少年には弱気の中の強がり、に映ってしまう。
「ははっ、強がるなって。遠坂にとっても悪い話じゃないだろ? 聖杯戦争の決着は御三家で付けたいってのは遠坂の先祖だって願ってるさ。僕と共闘しない理由がないじゃないか」
「必要ないって言ってるでしょ。……でも、そうね。必要というか、聞かなきゃならないことはあるかな」
ワカメ少年はなかなか自分の思い通りにいかない凛ちゃんに焦れる気持ちはあるが、逆に簡単に手に入ったらそれはそれでつまらないよね、などとズレた感想を抱いているのだが、そんな中で凛ちゃんから「聞きたいことがある」と言われてちょっと興味津々である。
おやおや、あの遠坂が僕の何を必要としているのかな? などと軽々しく思っている。
「私たちの通ってる学校、今へんな結界が張られてるじゃない? 知ってる?」
「お、さすが遠坂だね。気づいてたんだ。ああ、ライダーに作らせた結界で、あれが作動すりゃライダーの魔力も大きく補充ウボァー!?」
凛ちゃんの質問とは、学校の結界について。
学校の結界……凛ちゃんの調査でわかるのは、時間が経てば完成し、内側の人間を生贄にし魔力を吸収しようとする非人道的な装置の事だ。
破壊したいのだが、結界に使われている魔術が
そんなものを仕掛けたマスターに対して、凛ちゃんは当然、良い感情を持つわけがなかった。
元々、魔術師としては甘いところのある凛ちゃんだ。
神秘の秘匿のために一般人を殺す事にさえ良い感情を思っていないのに、秘匿のためではなく、利用のために一般人を、それも大量に殺そうなどという行為を行おうとした、件の結界の責任者には一発ぶちかましてやりたいと思っていたのだ。
それが今叶った。
まさか当日に叶うとは思ってもいなかった凛ちゃんであるが、気分はちっともスッキリしない。
「うぐぐ……な、なにを」
「間桐くん……私はね。遠坂なのよ。この、冬木の土地を管理する魔術師の、遠坂なのよ。この街の人間は言ってみれば私の所有物なわけ……わかる? 別に全部を管理運用してるわけじゃないんだけど……それでも目に見える範囲でああも街の人間を犠牲にすることを前提とした結界なんて張られて、怒ってないとでも思ってた?」
ボキボキと指を鳴らしながら口元を歪める凛ちゃん、気分は世紀末救世主だ。
衛宮くんとイリヤの脳内ではテーレッテーとBGMが流れていることだろう。
そのくらいに怒っている。
「なんでだよ! う、うちの爺さんだってしょっちゅうやってるんだ……べ、別に非難されるようなことじゃないだろ!? 魔術師なんだぞ! 有象無象の愚民に何をやったって許されるのが魔術師なんだ!」
「間桐くん、もう黙ってなさい」
凛ちゃん、呼吸とともに強化の魔術を静かに、しかし強固に全身に回す。
このパワーで殴られたら並の人間は死ぬかも知れない。
もし仮に、ここで衛宮くんがまだ武道の零の悲劇でリセットされる前の「無差別な正義の味方」だったら一方的な加害者であろうワカメ少年であろうと、もはや無力化に成功してるんだから殺さんでもええやんねん……などと言っていたかもしれない。
しかし、ここに居るのは完偽・衛宮士郎である。
だから。
「アチャー……慎二のやつ……死ぬかもな」
くわばらくわばら、といった態度で巻き込まれたらたまらん、と距離をとっている。
イリヤはアインツベルンの魔術師であり、自分と無関係の魔術師がどこでどう死のうとそれ程深く考えることはない。
せいぜい思うことがあるとすれば
「あれがマキリの末裔……ねぇ。かつては聖杯戦争のシステム作りにアインツベルンから協力を要請されるほどの家が……惨めな末路だわ」
というもの。
魔術師の家系として哀れにこそ思えど、ワカメ少年の進退には興味なしである。
これに困るのはワカメ少年。
そりゃそうだ。
彼は魔術という「一般人とは違う特別な力」に強い憧れを持っている。
そして、凛ちゃんもまた魔術師なんだから自分と同じように、超越者であると思っていたのだ。
自分が彼女と同じ力を持てば、彼女も自分と同じ価値観を持つはず。
ワカメ少年はそう考えていたのに、なぜだろう。
自分は魔術師として魔術のために一般人を犠牲にしているのに、なぜ彼女はそう言わないのか?
そんな疑問が頭をよぎる。
もっとも、それ以上に今は自分の命の危険のほうが大きいのだが。
「ら、ららら、らっ、らっ……ライダー! ぼ、僕を助けろ!」
だからワカメ少年、ここは今の自分の手札で最強の一手を切る。
なぜかはわからないが、凛ちゃんが自分に殺意に近い感情を向けているのを悟った彼は自分の身の安全を守るために、最善と思える手を取るのだけど。
「不可能です、シンジ。私ではこのサーヴァントに勝てません」
ライダーと武道は動かずに見合っているだけだが、実は今この瞬間にも数十、数百に及ぶ攻防を繰り広げているらしい。
視線や呼吸、小さな身じろぎなどをフェイントとした複雑で高レベルな攻防である。
イリヤに解説させればまた小うるさい解説が聞けそうなほどの。
しかし、ワカメ少年にそんなものわかるはずがない。
「ななななな何言ってんだよバカァ! お、お前っ! これでも言うこと聞かないのか!」
ライダーの攻防をわからないワカメ少年にはライダーがただ突っ立ってるだけに見えたので、彼は懐から取り出した赤い本を手に持ち、思いを念じる。
すると。
「ぐっ!」
ライダーの体に青白い稲妻が走り、苦しみを生んだ。
大きな隙だ。これは殺されるか!?
ライダーは自分の死を覚悟する。
しかし、目の前の対敵はライダーに攻撃をしない。
「グロロー。なるほど。あれが貴様を縛る首輪か」
「なるほど。偽臣の書、ね」
「偽臣の書? なんだそれ?」
「うむ!」
分かっていない衛宮くんの質問にイリヤは答える。
「偽臣の書、それは令呪を消費して作り出す、サーヴァントの所有権を他人に渡すアイテムよ。本来はサーヴァントの貸し借りなんてしないんだけど、聖杯戦争でマスターが再起不能の大怪我を負ったりして動けなくなったりしたら、そのマスターが信頼できる人間にサーヴァントの所有権を委託して戦ってもらうため……に、使うのかしら。でもまぁ、ある程度の魔術師なら令呪をそのまま譲渡したほうが良いと思うんだけどね」
「ふーん。そういや令呪に逆らったら今のライダーみたいに苦しんだりするものなの?」
「その質問の、答えはNoよ。令呪は逆らえないのだから。偽臣の書は所詮はその名のとおり、偽物でしかないのよ。効果も弱いしサーヴァントをパワーアップさせられるわけでもない。そもそも、多少苦しんでいても英霊が人間の魔術師を殺せない道理はないんだから、本当の意味では偽臣の書にサーヴァントを縛る力はないのよ」
「なるほどなぁ。てことは、そんな物を持ってる慎二は本当のマスターじゃないのか?」
「偽マスターね。見たところ魔力も何もない一般人みたいだし」
偽臣の書はどういうものなのかを説明し終われば、そこに残るのは敵マスターではなく、偽の敵マスターである。
そんな偽物、偽物、一般人と言われてワカメ少年は怒りを感じるのだけど、今は怒るよりも怯える時である。
凛ちゃんマジ怖いし。
説明を聞きながらも一歩一歩、ゆっくりとだけど確実に歩を進めているし。
「グロロロー。ただでさえ下等サーヴァントが偽の下衆マスターに従っていては力の発揮もクソもあるまい。そこの下衆人間はとっととマスターの権限を本人に返上してこやつを本来のスペックに戻すのだ~」
一方、凛ちゃんのサーヴァントである武道が動かないのは、そういう理由があったそうだ。
敵が強くなるのならいいが、弱くなられては戦う意味がないという態度である。
「ふ、ふ、ふざけるな! 僕は聖杯戦争のマスターなんだ! ぼ、僕が! 間桐の長男なんだぞ! その僕を見下す権利なんて誰にもないんだ! ら、ライダーだってこれがあれば僕に従うしかないんだよぉ!」
そしてボロカスに言われてキレたワカメ少年は、より強く偽臣の書を握り締め、その命令を強く実行させようとする。
だがしかし。
「グロロー!」
武道の竹刀が偽臣の書を貫く。
「あ、あぁーっ! 熱っ!」
そして竹刀が勢いよく燃え、偽臣の書も一瞬にして燃え尽き残りカスすら残さず消滅してしまう。
「……」
偽臣の書の消滅により、ライダーを痛めつけていた稲妻は消え、ステータスも本来のものになる。
ライダーはそんな自分の体を確認するかのように手の指を開閉し体を軽くゆする。
「ら、ライダー?」
一方のワカメ少年は、偽臣の書の消滅で今まで支配下においていたライダーがどうなったのか気になる様子。
「……どうやら、もう私はあなたに従う義理はなさそうですね」
ライダーはワカメ少年の視線に気付いたので、本当は言う必要すらないと思いながらも、最低限の義理人情でもって、もはや自分とお前は無関係だと言ってやる。
「そ、そんな……僕は、僕は……」
「グロロー……消え失せい!」
せっかく手に入れた魔導の力、それが完全に失くなって絶望がワカメ少年の心を満たすところに、武道の一括。
「ひゃいいいいいいいいい!」
それにより、ワカメ少年はすごい勢いで走って逃げ去ってしまった。
凛ちゃんは何やってんの、と武道を睨むが、当然武道は気にしない。
「グロロー、凛よ。私のマスターはあのような小虫などにかかずらう小者などではないはずだ。違うか?」
「はんっ。いくら小虫、羽虫でも目の前にいたら潰すのが人情ってもんでしょうが」
ワカメ少年を殺りそこねて、凛ちゃん相当不機嫌なのが見て取れる。
「グロロロー。だがなぁ、凛よ。やつの言葉を忘れたわけでもあるまい」
「なに?」
「やつは自分の祖父もやっている、という内容を口にしていたではないか~」
「……ああ、なるほど」
不機嫌そうだった凛ちゃんだけど、武道の言葉を聞いて納得したのか、多少なりとも不機嫌度が下がったように見える。
ふたりの会話の内容はどういう事かというと、ワカメ少年は自分の爺さんも同じことをやっている、と言っていた。
つまり、遠坂の土地で魔術のためという言い訳を盾に、一般人を害する下等魔術師が存在するということだ。
完璧魔術師を目指す凛ちゃんは当然、そんな輩を粛清せねばならないのだが、どうせやるのなら一度にまとめたほうがいい。
ワカメ少年は雑魚の末端だが、彼の帰還する場所には下等魔術師の親玉がいるはずなので、そこでまとめてガツンだ! と、武道は言っているのだ。
となれば。
「イラつくのは止められないけど……間桐くんの家にお邪魔する前に、やる事をやっておきましょうか」
「グロロー」
言って、凛ちゃんはライダーに向き直る。
ライダーも今の会話は聞いていたので、すでに構えている。
不意打ちをしなかったのは、英霊としての矜持か、あるいはしても勝てないという諦めか……
「夜の公園にサーヴァントが二人……勝負でしょう」
カァーン!
ここに、第五次聖杯戦争、サーヴァント同士の最後の戦いが始まる。