ミント達とアルマンの農園に行った翌日、ネロはミントとポムニットと共に食堂で彼女から言われた通りのことをフェアに話していた。その場にはフェア以外にも彼女の母親であるメリアージュも同席している。
「城を……ほんとにそんなことできるの?」
不足しているラウスブルグの舵取り役をしてもらいたいという話を聞いたフェアは、受けるか受けないか以前に自分にそれができるのかが気になった。なにしろ、彼女はつい最近まで普通の人間だと思って生きてきた身だ。古妖精の血を引いているからラウスブルグを動かすことができると言われても、正直そんなことができるとは思えなかったのだ。
「意外と簡単にできるみたいでしたから、きっと大丈夫ですよ!」
「あのお姫様もできたみたいだしな、なんだったら本人に聞いてみろよ」
ポムニットの言葉に続き、ネロがフェアの向かいに足を組んで座りながら答えた。エニシアという前例がいる以上、舵取りとは経験や技術とはあまり関係のないことなのだろう。それに、そのエニシアはこの忘れじの面影亭にいるのだから、気になるなら彼女に直接聞けばいいだけだ。
「心配しなくてもあなたにもできるわ。あの時みたいにあなたの中にもそんな力が眠っているもの」
「お母さん……」
母の言葉を聞いてフェアが顔を向ける。確かにマナ枯らしを浄化した時は母の助けこそあったとはいえ、自分自身が成し遂げたことだ。そのためもしかしたら、と彼女は考えているのかもしれない。
それを見ていたネロは、そもそもメリアージュ自身が古妖精だったことを思い出して口を開いた。
「そういや本家本元だったな。あんたに聞けば済む話か」
「そうねぇ……、アドバイスくらいはできるかもしれないけど、やっぱりエニシアちゃんから聞いた方がいいと思うわ」
「私もその方がいいと思うよ。いくら親子とは言っても、フェアちゃんは普通の妖精とは違うだろうし」
ネロの言葉をやんわりと否定したメリアージュの言葉をミントが補強する。フェアの母親であり、これまでずっと妖精としての力を抑えてきたメリアージュならそれなりの指導はできるだろうが、やはり同じ人間と妖精のハーフであり、実際に舵取りをしたこともあるエニシアの方が適任なのかもしれない。
「まあ、あいつもそのあたりは考えてるだろうし、そこまで深刻になることもないだろ」
ネロの言った「あいつ」とはバージルのことだ。フェアへの話はポムニットが持ってきたとはいえ、その裏にいるのはバージルだ。あの男の性格からして不確実な手は用いないだろうし、フェアが実際に舵取りを担えるようにする算段あると見ていいだろう。
「そうですよ、バージルさんだっていきなりやれとは言わないでしょうから、後はやってみたいかどうかです!」
むしろ問題はポムニットが口にしたように、フェアがそれを受けるかどうかなのだ。
「そうはいってもなぁ……、お店もあるし……」
「行ってきたらいいんじゃないかしら。こんな機会まずないんだから」
悩んでいるフェアの背中をメリアージュが押した。彼女の言う通りリィンバウムとは異なる世界に行く機会などまずない。そのための力を持つラウスブルグでさえ、最初にリィンバウムに来て以来使われていないのだ。
しかし今回は、目的地とされる名もなき世界出身のネロも同行する以上、ラウスブルグがリィンバウムに来た時のような拒否される危険は少ない。だからメリアージュも一種の社会勉強のつもりで勧めているのだ。
「うーん……」
「まあ、今ここで決めろって言うんじゃねぇし、もう少し時間はあるだろ」
「そうですね。私は明日までいますから、それまでに――」
ポムニットは明日には一度ラウスブルグに戻るつもりでいたので、それまでが回答がもらえればよかった。明日帰る前にもう一度寄るからそれまでに決めておいてほしいとポムニットは言おうとしたのだが、突然忘れじの面影亭に走り込んできたグラッドに阻まれた。
「大変だ! 今すぐここから逃げろ!」
「はぁ? 一体どうしたんだ?」
いきなり逃げろと言われても、理由がわからないんじゃそう簡単に従うわけにもいかない。まずはそのワケを聞こうとネロが尋ねた。
「軍が来るんだよ! それもギアンみたいな召喚師だけじゃなく、はぐれ召喚獣も捕まえようって奴らが!」
グラッドは口にしなかったが、トレイユに来たのは設立されたばかりの「異端召喚師審問会」所属する部隊であり、犯罪者に関わっている召喚師や身元が不明な召喚獣を撲滅するための軍の組織である。
設立自体はだいぶ前から検討されていたのだが、先の摂政アレッガが殺害された一件の影響で一気に設立されたのだ。摂政が殺された直接の原因は悪魔とされているが、それは一般的に無色の派閥のような外道召喚師に呼び出されるとされている。したがって、こうした事件を防ぐためには外道召喚師を撲滅する必要がある。
その考えから異端召喚師審問会は設立され、そうした召喚師が利用することもあるはぐれ召喚獣の撲滅という任務も付与したのである。
だが裏事情では、軍は帝国の摂政の命を守れなかったという貴族からの非難や不満を逸らすための対応策として、急いで組織を設立したため、他の組織との兼ね合いが取れていない部分があった。
例えばアズリアが指揮する無色の派閥や紅き手袋へ対応している部隊がそうだ。本来であれば外道召喚師への対応をアズリアに任せるなど、任務が重複しないように調整する必要がある。
しかし軍としては、軍の名門とはいえ貴族であるレヴィノス家の影響がある部隊の権限を強化するより、自らの命令でのみ動かせる部隊が欲しかったのだ。
なにしろ、軍はアズリアへの指揮権こそ持っているが、命令によってはレヴィノス家ひいては帝国貴族にまで話が伝わってしまう恐れがある。先の一件で貴族からの信頼が揺らいでいる軍はできるだけ貴族の影響を排除したいという思惑もあって、全くの別組織である異端召喚師審問会を設立したのだ。
「え? 狙いはギアンだけじゃないの?」
「分からない。だが、あいつらの数を見ればどう考えたってみんなを狙ってるとしか思えないんだ」
首を振ってフェアの疑問に答えた。なにしろここにいる御使い達は特段姿を隠していたわけではない。その情報をどこかで入手していたとすれば、はぐれ召喚獣もまとめて一掃しようと思うのは当然だろう。
「なるほどね。それじゃここにいる奴はみんな御用ってわけだ」
切羽詰まった状況であるにもかかわらず、ネロは面白くなってきたと言いたげな口調いで答えた。
忘れじの面影亭にいるのは帝国軍の解釈ではほとんどがはぐれ召喚獣だ。数少ない例外であるフェアも古妖精の血を引くと明らかになればどのような扱いを受けるか分からない。
対象から除外されるのはグラッドやミント、ブロンクス姉弟など軍人や召喚師といったしっかりとした身分があるものに限られるだろうが、それも自分達とよく行動を共にしていたと明らかになれば危ういかもしれない。
今度はそこへリシェルとルシアンが血相を変えて飛び込んできた、
「ち、ちょっと、何なのよ、あいつら!」
「何かを探してるみたいに町中に散らばりながらどんどんこっちに向かっているんだ!」
「あいつら、とうとう町の中まで来たのか……」
リシェルの声にグラッドが呻いた。グラッドが確認した時はまだトレイユの外で待機していたのだが、ついに動き出したのだろう。彼らへの命令は帝都の司令部から命令である以上、グラッドにはどうすることもできない。だから彼らが来る前にネロ達には逃げてほしかったのだ。それがうまく軍を誤魔化すことができなかったことへの償いだった。
「ど、そうするの……?」
ミントが不安そうに尋ねと、ネロは鼻を鳴らして答えた。
「どうするもこうするもねぇよ。来るならぶっ飛ばすだけだ」
それは昨日グラッドに言っていたことだ。もっとも、ネロが思っていた以上に帝国軍の動きは早く、それを言った日の次の日に実行することになるとはさすがに予想できなかったようだ。
「ぶっ飛ばすって……」
「心配すんな、やるのは俺だけだ。もし後でお前らが何か聞かれたら俺に脅されたとでも言っとけ」
驚きと呆れが入り混じった声のミントにニヤリと笑って答える。相手は帝国の正規の部隊だ。一応はぐれ召喚獣として扱われる御使い達はともかく、彼女達を戦わせるわけにはいかない。これまでに協力していたことを問い詰められても、全てネロに脅されてやむなく、という形にすれば彼女達の立場もあって何とかなるだろう。
「全部お前のせいにしろっていうのか!?」
「仕方ねぇだろ、お前らはこれからの生活もあるんだ。それともここで軍の奴らと事を構えてお尋ね者にでもなるつもりか?」
結果的にネロが全ての泥を被る形になるが、どうせ間もなく元の世界に帰る身だ。この世界での汚名などいくら被ってもたいしたことではない。それよりも、ネロとは違ってこれからもトレイユの町で暮らしていくミント達を巻き込む方が問題なのだ。
「だからって……」
「よく考えろ。今協力したら下手すりゃお前の家族まで疑いをかけられるかもしれない。……それにどんな悪人にされたところで、俺はお前らが本当のことを知ってさえいれば文句はない」
まだ納得できない様子のルシアンをネロが諭した。今回のやり方を見ると帝国軍はだいぶ焦っているように見える。いくら召喚師の家系とはいえそんな相手の目の前でネロと言う犯罪者に協力すれば、親族にもその累は及びかねないのだ。
それにネロからすれば、さほど縁のないこの国から犯罪者として扱われたところで痛くも痒くもない。真実は仲間さえ知っていればそれでいいのだ。
ネロの言葉にその場にいた者達は何も言えなかった。実際、あと僅かの間に現状を打破できるようなアイデアを思いつくのは難しく、ネロの案を足らざるを得ないことを頭では納得しているが、やはり彼一人に全てを押し付けることには抵抗感があるらしい。
一時の静寂の中、外を眺めていたネロは揃いの制服を着て武器を携えた者達が近づいて来るのが見えた。
「来たみたいだな。派手に歓迎してやるとするか」
テーブルから立ち上がったネロはドアに向かって歩く。そして、右手を隠すために着けている手袋を外した。向こうには自分に対して悪感情を抱いてもらった方が都合がいいため、あえて外したのである。
「フェア、ミルリーフ達を呼んでおいてくれ。あいつら片付けるからすぐに出て行く」
そう言うと今度はポムニットへ目を向けた。それでいいな、という確認の意を込めた視線を受けた彼女は頷いた。もとより近々出発の予定だったのだ。ネロ達を連れて行っても問題ないだろう。
外へ行くと既に一隊の戦闘の兵士は目と鼻の先に迫っていた。ネロはわざと見せつけるように右の袖をめくり人間とは異なる腕を露出させて、彼らの正面に立ちはだかる。
兵士達もネロの腕の異質さに気付いたのだろう。武器こそ構えていないが警戒しながら小走りに向かってくる。数は十五人程度であり、おそらくトレイユに来た部隊の一部だろう。
彼らは円弧状にネロを取り囲むと、一団の上官らしきネロより少し年上と思われる男が口を開いた。
「貴様、名を名乗れ!」
「名乗ってもいいが、あんたらが知ってるとは思えないぜ?」
肩を竦めて答えた。ネロがリィンバウムに来て半年も経っていない。トレイユ以外でネロのことを知っている者などいるはずもないだろう。それにネロが正直に名乗っていたとしても彼らが見逃してくれるとは思えないのだ。
「ふざけたことを……!」
上官らしき男は声を荒げた。ネロの態度は右腕を見て不信感を抱いていた一団に実力行使を決断させるには十分な効果を発揮した。上官が片手を上げて攻撃を命じたのだ。
その合図と共に槍を持っている者は穂先を、帯刀していたものは抜剣して切っ先をネロに向け、そしてサモナイト石を持っている者はそれに魔力を込めた。だが、誰も口火を切ろうとしない。あとは意思一つでネロを攻撃できるというのに、誰もそれをしなかったのである。
「っ……」
上官の頬に一滴の汗が流れた。攻撃を命じたはいいものの、上官を含めた全員がネロの放つ異質な雰囲気に気圧されていた。果たしてこのまま仕掛けたとして勝てるのだろうか、他の隊が来るまで待った方がいいのではないか、という疑問が消えることなく頭の中に浮かび続けていたのだ。
そんな一種の膠着状態を破ったのは背負った武器すら抜いていないネロの言葉だった。
「逃げてもいいんだぜ」
そう言ったネロに彼らを貶める意図はなかった。彼とてどうしても戦いたいわけではない。避けられるものなら避けたいという思いがあったからこそ出た言葉だった。
しかし、一団にはネロの言葉は挑発にしか聞こえなかった。武器も構えていない男一人に怖気づいた自分達を嘲り、情けをかけたとだと受け取ったのだ。
帝国の正規軍が与えられた任務の一つも果たせない脆弱な集団と見られ、あまつさえ情けをかけられるなど耐え難い屈辱だった。
「何をしている! 早くやれ!」
だから上官は声を張り上げて再度攻撃を命じた。それを受けた周囲の部下達も震える手を抑えてネロに剣を振るう。
しかしネロは避けない。右腕を盾にして剣を受け止めた。かつてはフォルトゥナの教団騎士の長の一撃さえも無傷で弾き飛ばしたこともある。一兵士の斬撃程度苦もなく止めることができたのだ。
「大人しく逃げてりゃいいのによ……」
溜息をついて呟いたネロは、受け止めていた剣を握り手前に勢いよく引き寄せた。たまらず剣から手を放してしまった兵士の鳩尾に左の拳を叩き込み悶絶させると、兵士から奪い取った剣を左手に持ち替え肩で担いだ。
剣自体は扱いやすい金属製のものだが、普段からレッドクイーンを使っているネロにとっては軽すぎる代物だ。
「せっかくだ。これで相手してやるよ」
だがネロはハンデにはちょうどいいとばかりに言うと、左右から迫っていた兵士をまとめて剣の腹で薙ぎ払う。次いで一人目の後ろから迫っていた二人の槍を持った兵士による刺突を、一つは剣で弾き、もう一つは右腕を掴んで見せると、もう一度二人まとめて打ち払った。
結果、僅かの間に二度、四人を吹き飛ばした剣は少し歪んでいた。しかし、この剣が特別不良品だったわけではない。確かに人間界などに比べれば製造技術の差から性能は落ちているが、一番の原因はもちろんネロの使い方だ。さすがに腹の部分に武装した人間二人分の荷重がかかれば歪むのもやむを得ないだろう。
「チッ、案外脆いな」
もっともネロは自分の使い方が悪いとは自覚せずに悪態をついた。その時、さきほどの五人がやられている間に詠唱が済んだらしく、ロレイラルの召喚術が発動された。
だが、現れた名も知らぬ機械が何かをする前に、ネロはその召喚獣に向かって歪んだ剣を投げつけた。もとよりあまり頑強なボディを持っていなかったためか、その召喚獣は召喚された目的を果たせずまま、破壊された。
「仕方ねぇな、次はこっちだ」
そう言ったネロが持っていたのは、また地面に突っ伏している兵士が持っていた槍だった。ハンデ代わりの兵士の剣がすぐに使い物にならなくなったとはいえ、レッドクイーンを使うのはさすがに情けない。だからこそ、剣の代わりに槍を手に取ったのだ。
ネロは左手で槍を器用に回す。手慣れたように扱っているが、実のところネロが戦闘で槍を使ったのは初めてだった。故郷フォルトゥナで騎士をしてはいたが、そもそも母体の魔剣教団がその名の通り剣を特別視していたので騎士に支給される武器も剣だったのだ。
それでもネロがまるで熟練の使い手のように槍を扱えるのは生来の才能によるものだろう。あるいはその体に流れる伝説の魔剣士の血によるものか。
いずれにしても槍の扱い方は巧みだった。人間界のパイクに似た槍を時には兵士の持つ武器を突いて吹き飛ばし、時には薙ぎ払って意識を断った。それでも誰の命も奪っていない。敵をぶっ飛ばすつもりではいても、殺そうとは思わなかったようだ。
「さて、あとはあんた一人だぜ」
瞬く間に残りの兵士を倒したネロは荒っぽい使い方のせいで、またも曲がってしまった槍を上官に突き付けながら口角を上げた。
「く、くそっ……」
上官はそう吐き捨ててあとずさるが、事態が好転することはない。彼の部下はみなネロの手によって意識を奪われてしまっていたのだ。かといって、これまでの戦いを見て一人で戦って勝てるとは思えない。
「ん……?」
その時ネロが上官の後方、ちょうど彼らが来た道の方を見ながら声を漏らした。
「……?」
怪訝に思った上官が振り向くと、そこに見えたのは彼らの本隊だった。これ幸いに上官は踵を返して、一目散に逃げて行った。
「ようやく本番ってところか」
ネロであれば逃げて行った上官を倒すのは難しいことではなかったが、その必要もなかったためあえて見逃したのだ。
そして少し歩いて玄関前から忘れじの面影亭に至る道の上まで移動した。そこは玄関の前に比べれば開けていて、相手とも真正面からやり合える場所だった。
そんなネロの動きに対し、相手側も武器を構えて一気に距離を詰め始めた。先ほどのような問答はせずにすぐさま戦おうというのだろう。
そして双方の距離が十メートルくらいまで縮まったとき、帝国軍とネロの間に無数の剣が降り注いだ。
「こいつは……!」
ネロが小さく声を上げる。剣自体を目にしたことはなかったが、それから感じる力には覚えがあった。バージル、自身の父親の力である。
そこまで思い至った時、瞬間移動で来たかのようにネロのすぐ近くにバージルが現れた。そしてバージルの出現に僅かに遅れて、いきなり目の前に降り注いだ剣によって混乱する帝国軍の背後からよく通る声が響いた。
「何をしている貴様ら! 攻撃は今すぐ中止だ!」
そう言いながら軍の先頭まで、若い男と共に歩いてきたのは筋肉隆々の男だ。年の頃は四十代後半といったところか。
「……これはこれは、『紫電』のギャレオ殿」
帝国軍の指揮官が、制止を命じた男ギャレオに頭を下げた。言葉遣いこそ丁寧だが、慇懃無礼なその態度からは「辺境の国境警備部隊風情が何の用か」という本音が透けて見えた。
「これは誰の命令だ」
「ウルゴーラの命令です。先にこの町を襲った凶事の原因、無色の派閥の召喚師を捕らえよ、というね。これはあなたの上官であるアズリア将軍もご存じのはずですよ」
ウルゴーラの命令といえば帝国軍トップの命令であるのと同義。理解したらさっさとどけと言わんばかりに指揮官は笑みを浮かべた。
「それは聞いている。俺が尋ねているのはその目的の果たすのに、このような攻撃は不要だろうということだ」
「少々手強いはぐれがいるようでね。そうした者を相手にするのも我らの務め、必要なことですよ」
異端召喚師審問会の任務は怪しげな召喚師のみならず、身元が不明なはぐれ召喚獣への対処も含まれる。だから強力なはぐれ召喚獣への武力行使も正当であると指揮官は言っているのだ。
その言い分を黙って聞いていたギャレオと共にいた若い男が口を開いた。
「ふーん。なら、そいつがはぐれ召喚獣だっていう証拠はどこにあるの? 姉さんは君達の存在も仕事も認めたかもしれないけど、法に反した行為まで認めたわけじゃないよ」
「おい、イスラ……」
ギャレオがイスラを諫めるように名前を呼んだ。彼をここに連れてきたのは、彼の舌鋒が必要だったわけではない。軍の名門であり帝国貴族でもあるレヴィノス家の名前が必要だったからだ。
「……むしろ、身分を証明しなければならないのはあの男の方でしょう。しかし彼はしなかった。これは明らかに――」
イスラの言葉から彼がレヴィノス家の嫡子であり、アズリア将軍の片腕であると悟った指揮官は、僅かに逡巡しながらも答える。自らの身分を証明しなかったのだからはぐれ召喚獣であることは明白である、そう口にする前にイスラによって遮られた。
「僕は知ってるよ。その彼がどこの誰かをね」
「それは……、是非お聞かせ願いたいですな、イスラ殿」
一瞬狼狽した様子を見せた指揮官の言葉を聞いてイスラはにやりと笑い頷いた。
「彼はね、レヴィノス家の客分の息子だよ。……ああ、言っておくけどうちが庇ってるとか思わないでね。蒼の派閥の総帥からも言われているだから。帝国ではよろしくって」
黙って聞いていたバージルは首を振って呆れを露にしているように、イスラは事実を都合よく解釈して話しているだけだった。しかし、それもあながち嘘ではないのだ。
客分という扱いはレヴィノス家の嫡子であるイスラが自由に決められることであるし、バージルが蒼の派閥の総帥と繋がりがあるのも事実である。それに彼に尋ねれば似たような趣旨の言葉を言われるのは想像に難くない。
「……荒唐無稽な話ですな。まさかそれを信じろと?」
「信じる信じないは僕が決めることじゃないよ。何かあったときの責任は君がとらなきゃいけないんだから」
「…………」
その言葉を受けて指揮官は押し黙った。彼にしてみればイスラの話は到底信用できるようなものではなかったが、万が一にでもそれが事実だった場合、軍は極めて微妙な立場に立たされる。ただでさえ、貴族からの信頼を失われかけている。そのうえ、信頼回復のために創設された異端召喚師審問会が蒼の派閥と揉め事を起こしたとなれば、審問会は解隊となり上層部もただでは済まないだろう。
「……わかりました。あの者からは手を引きましょう」
審問会は極めて政治的な理由で創設された部隊だ。当然、指揮官も戦のことだけではなく政治のことまで考えが及ぶ者で固められている。それはイスラと話していた男も例外ではなかった。
つまりは、さすがに一人のはぐれ召喚獣を捕縛するために組織の存続を賭け金にすることはできなかったのである。
「ただ、無色の召喚師の身柄は我々が預かります」
これだけは譲れないとばかりに指揮官は言った。もともと彼らが受けた命令は無色の召喚師であるギアンの身柄を確保することだけだ。それさえ果たせれば他は譲歩するということなのだろう。
「だめだ。あれはアズリアに引き渡す」
これまで呆れた顔をしつつも沈黙を守っていたバージルが遂に口を開いた。
「き、貴様! なんのつもりで……」
そんなことになれば帝都からこんな田舎まで来た目的も果たせなくなると叫ぶが、バージルの視線で射竦められ言葉を止める。
「既に話は通してあるし、受取人も来ている。何ら問題はない」
話を通したからこそ、バージルと同じタイミングでギャレオとイスラが来たのだ。本来であれば審問会がトレイユに来る前にギアンの身柄を確保したかったのだが、アズリア本人は忙しすぎて直接トレイユを訪れることは不可能だったため、ギャレオとイスラに代役を頼んだのである。ただ、その調整に時間もかかったため、トレイユに着いたのは審問会とほぼ同じ時刻となってしまったのだ。
アズリアとしては最悪の場合、審問会との無用な軋轢を避けるためギアンの身柄を諦めることも視野に入れており、ギャレオにもそれは話していたが、そんなことなど知らないバージルは先んじてギアンの引き渡し先を指名したのだ。
わざわざ自分まで出向いてきたのだ。向こうの都合だけでこの取引を台無しにされることは許せなかったのだ。
「ならば奪ってみるか?」
そして最後に、できるものならやってみろと言わんばかりに言い捨てる。それと同時に軍の周囲を取り囲むように無数の幻影剣が現れた。今のところ切っ先は地面を向いているが、指揮官の回答によってはそれが兵士達に向くことは明白だ。
「おい、連れてきたぞ」
そこへネロがギアンとエニシアと共に現れた。先ほど姿が見えなかったのはギアンを連れてきたためだろう。
「さっさと連れて行け」
それを確認したバージルはギャレオとイスラに言った。
「しかし……」
「いいさ。ギャレオ、さっさと連れて戻ろう。後は知ったことじゃないよ」
指揮官の方を見たギャレオにイスラが声をかけた。二人からすればできれば穏便に済ませたかったが、バージルがあそこまで言った以上、それはもはや望めない。ならば面倒な事が起こる前に戻った方が賢明な判断と言えるだろう。
「ギアン……」
エニシアがここで別れることになる者の名を呼んだ。帝国軍にとっては忌むべき犯罪者集団の召喚師であるギアンも、エニシアにとっては迫害から救った恩人なのだ。これから彼がどうなるか心配しないわけがなかった。
「いいんだ、エニシア。これは応報なんだ。僕のしてきたことへの……。だから君が心配する必要なんてないんだ」
忘月の泉で見たギアンとは別人と思うほど落ち着いた声だった。彼の計画が破綻し、全てを失ったからこそ得られるものがあったのだろう。顔も憑き物が落ちたようにすっきりしている。
「ギアン・クラストフ、貴様を逮捕する。罪状は――」
「分かっている。全て認めるよ」
ギャレオの言葉を遮って答えたギアンを見てイスラは肩を竦めた。
「そう、ならさっさと行こうか。僕達だって暇じゃないんだし」
そしてギアンは、そのまま二人と共に忘れじの面影亭から遠ざかっていく。それを見つめながらエニシアは永遠の別離にならないことを祈っていた。
「……さて、貴様らはどうする?」
審問会の部隊にバージルは尋ねた。既に彼らの目的の人物はギャレオとイスラという帝国軍に引き渡している。もはや奪うことさえ不可能だ。このまま帝都に帰れば叱責は免れない。少なくない数の兵士を動員したにもかかわらず、手柄はアズリアと彼女の麾下の部隊に取られてしまったのだから当然だ。
この失点を取り返すためには何らかの実績を上げなければならない。指揮官はネロへと視線を向ける。はぐれ召喚獣への対処という方策が頭の中に浮かぶが、すぐさまそれを打ち消す。そんなことをすればいまだ周囲を囲んでいる浅葱色の剣によって串刺しにされるのがオチだ。
なにしろそれを出現させたバージルからは一切の躊躇いもないよう見える。その上、周囲の剣といい底知れぬ力を感じていたのだ。
「……撤収する」
指揮官は決断した。たとえ叱責を受けたとしても、自分も部下も無事であれば汚名を返上することはできる。それよりも相手の力すら分からない現状で戦いを挑むのは危険すぎると判断したのだ。
「向こうにお前らの仲間がいる。回収していけよ」
このまま放置されても困るとネロが口を出すと、指揮官は無言で部下に命じ何人かと共に、ネロの手で意識を刈り取られた兵士達のもとへ向かった。
「バージルさん、あの……」
そこへポムニットがやってきてバージルに尋ねる。しかしその視線は、ずっとギアンが去った方向を見つめて祈るエニシアに向けられていた。ギアンがこれからどうなるのか気になっているのだろう。
「……アズリアはあれを通して派閥の情報が欲しいらしい。大人しく情報を渡せばそう酷いことにはならんだろう」
それは二日ほど前にアズリアと話をした時に切り出された話だった。無色の派閥を構成する家の当主が持つ情報となれば、その価値は計り知れない。アズリアとしてもそれを利用できるとなればギアンも無碍にはしないだろう。
もっとも、当のギアンが協力しないのなら話は別だが。
そう答えたバージルは改まって「さて……」とネロに向かって切り出した。
「明日には出発する。お前もポムニットと、一緒に来い」
それはネロにとっては待ちに待った故郷へ帰るための第一歩であると同時に、この世界で会った仲間との別れが目の前に来ていることを示す言葉でもあった。
今回が今年最後の投稿になると思います。ほぼ一定のペースで投稿できたのもみなさまの応援あってのものでした。ありがとうございます。
さて、次回でこの章も終わる予定です。できれば正月三が日のいずれかには投稿したいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。
ご意見ご感想等お待ちしてます。
ありがとうございました。