Summon Devil   作:ばーれい

96 / 130
第95話 明かされた出自

「フェアはまだ寝たままか?」

 

 あのマナ枯らしの一件がフェアの手で解決した翌日、朝に起きてきたネロは食堂にいる者達に尋ねた。

 

「おそらくはな、まだ姿も見ていない」

 

「じきに目を覚ますはずですわ。怪我もなかったようですし」

 

 クラウレにリビエルが続く。特にリビエルは昨日意識を失って帰ってきたフェアの状態を確認もしたのだ。彼女の言葉は真実だろう。

 

「あるいはもう覚めているのかもしれぬ。ただ、混乱はしているだろうな」

 

「自分が普通の人間じゃなかったって知ったら、そりゃ混乱もするか……」

 

 セイロンの言葉にネロは溜息をついた。今フェアが陥っている状況は、かつてネロが自身に悪魔の血が流れていることをキリエに知られたときと似たようなものなのかもしれない。

 

 その時はキリエが彼を人間であると認めてくれた。だからネロは体に流れる血に惑わされずに生きてこれたのだ。

 

「……いまだに信じらんないわ。あいつが昨日のあれを浄化したなんて……」

 

 セイロンのネロの話を聞いていたリシェルが呟いた。体の具合はもう万全のようで、同じく復調したルシアンと共に今朝も忘れじの面影亭に来ていたのだ。

 

「だが、それは紛れもない事実だ」

 

「ああ、それにお前も聞いただろう。フェアが妖精の血を引いてるって話を」

 

 アロエリの冷静な言葉に続いてネロが口を開き、食堂の端に座り話を聞いている一人の女性を見た。彼女こそがフェアの母であり、幻獣界メイトルパの古き妖精でもあるメリアージュだった。

 

 彼女は昨日、フェアがマナ枯らしを浄化した直後に現れたバージルが振るった閻魔刀によって、突然空間から現れたのである。

 

 そしてバージルは値踏みするように、混乱するメリアージュと意識を失ったままのフェアを見た後、そのまま無言で踵を返したのだった。

 

 当然ネロは「おい、一体何のつもりだ?」と彼を質したが、バージルは「今する話ではない。日を改める」とだけ答え、泉から去って行った。

 

 そして困ったのはネロだ。ネロのもとには意識を失ったフェアと、混乱したままのメリアージュ、そしていつの間にか倒れていたギアンがいたのだ。ギアンに関していえば、別に放っておいてもよかったのかもしれないが、これ以上余計なことをされても困るため、やむなく連れて帰ることにしたのである。

 

 ネロはメリアージュに事情を話し、協力を得ることにした。具体的にはフェアを彼女が運び、ギアンをネロが運ぶことにしたのである。

 

 そして忘れじの面影亭へ着いて、メリアージュは自分がフェアの母親であり古き妖精であることを簡単に説明したのだ。その際には復調したリシェル達も同席していたため、ネロは彼女に「聞いただろう」と言ったのである。

 

「昨日は本当に助かりました。……ところで昨日私を助けてくれた方は……?」

 

 話が自分のことに移ったのを聞いたメリアージュは改めて礼を言うが、助けた張本人はここにいない。それが一体何者なのかと彼女は気になっているようだ。

 

「…………」

 

 食堂にいた全員がネロを見る。彼に答えろと言わんばかりの視線だ。

 

「……親父だ。俺の」

 

 渋々と言った様子で答える。バージルが自分の父親ということにはもう納得しているが、父がやったことを自分が言ったのでは、どこか父を自慢しているような気がして乗り気ではなかったのだ。

 

「まあ! 素敵なお父様ですね」

 

 メリアージュのその言葉がお世辞なのか、心からの言葉かはネロにわからなかった。もっとも、たとえわかってもどう反応すればいいか非常に困っただろうが。

 

「……で、なんであんたはあんなところにいたんだ」

 

 そのためネロは話を変えることにした。

 

 メリアージュは「助けてくれた」と言っていたため、あの場所にいたのは彼女の本意ではないはずだ。

 

「あの泉にあった大きな切り株を見ていますね?」

 

「あ、ああ……」

 

 確かにネロはメリアージュの言う通り、あの泉に一際大きな切り株があったのを覚えている。しかしそれが、彼女があの場にいたことと何の関係があるのかと疑問に思っているようだ。

 

「あれはラウスの命樹、魔力を宿すことで異空間を生み出す特別な樹……。私はラウスブルグを離れて以来、あの場に植えたラウスの命樹の作り出した異空間で隠れ住んでいました」

 

 メリアージュもかつてラウスブルグでメイトルパからリィンバウムへ渡ってきた古妖精の一人だった。しかしリィンバウムの人々に受け入れてもらえなかったため、魔力の供給を担っていた守護竜は多くの者とラウスブルグでひっそりと暮らし、かじ取りを担っていた古妖精はラウスの苗木を持って散らばり、その力で各地に隠れ住んだのである。

 

「ラウスブルグもその樹が生み出した異空間を使って界を渡るのですわ」

 

 リビエルが補足するように口を開いた。そもそもラウスの命樹はその目的のために生み出されたとさえ言われているのだ。

 

「そしてあの人と出会って、あの子達が生まれて少し経った頃、あの木が帝国の貴族に切られて……、それっきりずっとあの場所に閉じ込められていたの」

 

 ラウスの命樹は異空間を生み出す存在であると同時に、その異空間とこちらの世界を繋ぐドアのようなものでもある。だからそのドアを壊されてしまえば、ずっと異空間に閉じ込められてしまうのである。

 

 そのままなにもしなければ異空間自体も消滅してしまうが、魔力を供給すれば維持は可能だった。幸いにしてメリアージュは大きな力を持ち、飲食も必要ない妖精だったため、その異空間の中で生きていくことは可能だったのだ。

 

「随分気の長いことだな。旦那にでも出してもらえばよかっただろうに」

 

 ネロが呆れたように言った。具体的な年数は言わなかったが、リシェルもその時のことを覚えていないのであれば十年以上前なのは間違いない。それだけの時間があれば助け出すのも十分可能ではないかと思ったのだ。

 

「馬鹿なことを言うな。閉ざされた異空間の扉を開けるなどそう簡単にできるものか」

 

「……不可能とまではいかないが、少なくとも新たなラウスの命樹と莫大な魔力は必要だろうな」

 

 アロエリの言葉にクラウレが付け加える。ラウスの命樹もリィンバウムではまず見かけない樹木であり、異空間への扉をこじ開けるための魔力も簡単に準備できるものではない。現実に即して考えれば、まず不可能と断言していいだろう。

 

「そうなのか? 見た感じ俺にもできそうだったけどよ」

 

 バージルやったのを見る限り、ネロは自分には絶対にできないとは思わなかった。今すぐには無理でも十年あれば余裕だろう。

 

「もういやになりますわ、この人達……」

 

 ネロの言葉を聞いてリビエルが呆れるように肩を落とした。バージルも大概だが、その息子であるネロも相当なものだ。正直、こんなことでいちいち反応していたらきりがない。

 

「しかし、異空間に囚われながら店主殿の力を封じていたとは……」

 

「母親らしいことは何もしてあげられなかったから、せめて、ね……」

 

 驚嘆したようなセイロンの言葉にメリアージュが答える。

 

「え、どういうことそれ?」

 

「店主殿の力をずっと封じていたのだよ。生まれ持った力に振り回されぬように、ずっとな」

 

 リシェルの疑問にセイロンが答えた。異空間を維持するのにも魔力が必要なのにもかかわらず、我が子の平穏な生活のためにも魔力を使う。それはきっとメリアージュにとって大きな負担だったのは間違いない。だが、それと同時に負担は彼女とフェアと結びつける絆でもあったのかもしれない。

 

「……今は大丈夫なの?」

 

「身体的には大丈夫よ。でも、あの子がそれを受け入れられないならもう一度封じるわ」

 

 まだ成長していない幼い体にとって古妖精の大きな魔力は肉体を蝕む毒にもなるが、それに耐えられる体ができてさえいれば問題ない。だが今のフェアにとって問題なのは肉体的ではなく精神なのだ。

 

 体という古妖精の能力を扱うための器が出来ていたとしても、精神がそれについていっていなければ意味がない。むしろ魔力を暴走させる危険さえ孕んでいるのである。

 

 だからこそ、メリアージュはフェアが己の出自を受け入れない時は、再びその能力を封印することを考えていたのだ。助け出されたことで異空間の維持に魔力を使わなくて済むため、それほど大きな負担にはならないことは幸運だと言えるだろう。

 

「フェアさんならきっと大丈夫だと思うよ」

 

「そうね。あいつならなんだかんだ言って受け入れるわよ」

 

 しかしルシアンとリビエルは、メリアージュが危惧しているようなことが起こらないと確信していた。伊達に幼い頃から一緒に過ごしてきたわけではない。フェアならきっと自分の生まれとも向き合える。そう信じているのだ。

 

「……そうね。私は母親なんだからあの子を信じてあげなくちゃね」

 

 二人の言葉を聞いてメリアージュもまずはフェアを、自分の娘を信じようと思った。いざとなれば再び能力を封じるのに躊躇いはないが、できることなら彼女とてフェアが己の生まれに向き合って欲しいと願っていたのだ。

 

 

 

 

 

 浮遊城ラウスブルグの城内で向かいから歩いてきたバージルを見かけたハヤトは軽い気持ちで声をかけた。

 

「あ、そういえば昨日何かあったのか? いきなり出て行ったけど」

 

 昨日、息を切らせたポムニットが帰ってきたと思ったら、その後すぐにバージルが出て行ったとクラレットから聞いている。とはいえ、その日の夕食の場には戻って来ていたため、たいしたことではないだろうと思っているようだ。

 

「マナ枯らしとか言う奴がトレイユに召喚されたらしくてな。様子を見に行っていた。……もっとも俺が着いた時には片付いていたが」

 

「ありゃ、無駄足だったんだ」

 

 残念そうにハヤトは言うが、クラレットは先ほどのバージルの言葉を聞いてから少し顔を青くしていた。

 

「マナ枯らしって……だ、大丈夫だったんですか?」

 

 彼女は無色の派閥でも有力家系であるセルボルト家の直系だ。当然、召喚師としての英才教育が施されている。そのせいか彼女はマナ枯らしについても知識を持っているようだ。

 

「降り始めてから半日も経たずに消えた。あれの性質を考えればたいして影響はないと思うが?」

 

 それ以上は本職のお前が判断することだと言わんばかりにクラレットに視線を向ける。そもそもバージルは召喚獣に関する知識は素人に毛が生えた程度のものしか持っていない。マナ枯らしについてもポムニットから簡単に聞いただけだった。おまけに彼は当然のようにマナ枯らしの影響を受けておらず、直接ネロのいる場所に向かったため苦しんでいる者すら見ていないのである。

 

 これではバージルにマナ枯らしについて尋ねてもまともな答えは返ってこないだろう。

 

 だがクラレットにしても、得意とするのはサプレスの召喚術だ。メイトルパに属するマナ枯らしのことは知識として知っているだけで、それ以上のことはわからないのである。

 

「……それほど気になるならポムニットが帰ってきたら聞いてみればいい。遅くとも二、三日中には帰って来るはずだ」

 

 一言付け加える。ポムニットはバージルが帰ってきて状況を聞くと、すぐにまた出て行ったのだ。ミントの無事を確認しに行ったのは言わずとも分かることだ。

 

「あ、そういえばもう少しで出発だっけ」

 

 ハヤト達がラウスブルグに来てから出発は秒読み段階に入っていたのだ。今日もハヤトとクラレットはアティに頼まれて色々と買い物をしてきており、特にハヤトは両手に大きな袋をぶら下げていた。

 

「それもあるが、ポムニットには仕事も任せているのでな」

 

 バージルはトレイユに行くポムニットに仕事を預けていた。一つはネロ達に間もなく出発すると伝えること、そしてもう一つはマナ枯らしの件で明らかになった古き妖精に関することだった。

 

 ラウスブルグを動かすためには至竜と古妖精が必要なのは言うまでもない。至竜に関してはハヤトの仲介もあって、メイトルパのエルゴの守護者であるゲルニカが代役を担っている。さらには竜の子の存在もあるため、十二分に準備は整っていると言えるだろう。

 

 だが舵取りの古妖精は十分とは言えない。半分とはいえその血を受け継いでいるエニシアが、その役を担えると判明したことは幸運だったが、それでも休息や食事や睡眠を取らなければならない以上、バージルも舵取りをしなければならなかったのである。

 

 だが、昨日トレイユ近くの汚れた泉で妖精を見つけたことで、それが解消される可能性が出てきた。あの妖精がエニシアの親と同類の古妖精であるのはほぼ間違いなく、共にマナ枯らしを浄化したフェアもエニシアと同じような響界種に違いない。

 

 ここにきて不足する舵取り役をこなせそうな者が二人も出てきたのだ。とはいえ、見ず知らずの妖精が素直に協力すると思うほどバージルは楽観的ではなかった。

 

 そのためポムニットには古妖精の血を引くフェアに話をするように言ってあった。

 

 彼女ならネロとも親しく、ラウスブルグに来る予定の竜の子の親代わりでもある。エニシアと交代で舵取りを行うことを前提にすれば、休息などが必要になることも大きな問題ではない。少なくともあの古妖精を連れてくるよりは無難な選択と言えるだろう。

 

「はぁ、仕事ですか。……もしかして一緒に行ったエニシアさんと何か関係が?」

 

 ポムニットが再びトレイユに行った時、一緒にエニシアも連れて行っていた。何か関わりがあると思うのが自然だろう。

 

「関係はない。あれはギアン・クラストフに会いに行っただけだ」

 

「クラストフって、まさか……」

 

 クラレットがまたバージルの言葉に反応した。どうやらギアンの家名のことは知っていたらしい。もっともクラレットの出身であるセルボルト家と同じく、クラストフ家は無色の派閥を構成する家系なのだから彼女が知っていても何もおかしくはないが。

 

「知ってるの?」

 

「は、はい。クラストフ家は魔獣調教師の異名を持つ無色の家系です。でも、何でそんなところに……」

 

 ハヤトに尋ねられたクラレットが口を開く。しかし彼女も彼女で疑問を持っているようで、それにはバージルが答えた。

 

「マナ枯らしを召喚したのがそいつだろうな」

 

「確かにメイトルパの召喚術に優れているクラストフ家の者ならできるでしょうね……」

 

 バージルもギアンが召喚するところを直に見たわけではないが、あの時の状況から見て彼で間違いないと考えていたのだ。それはクラレットから見ても十分納得できるもののため、バージルの推測は当たっていたのだろう。

 

「……無色の派閥なのに、今もトレイユに?」

 

 帝国は聖王国以上に無色の派閥に対して厳しい態度で臨んでいる。少し前にも一斉摘発があったばかりなのだ。にもかかわらず昨日からトレイユにいるということはハヤトには不思議に思えた。

 

「しばらくは動ける状態ではなかった。逃げたくとも逃げることなどできはすまい」

 

 バージルが泉で見た時のギアンは、命に関わるような怪我はなかったが、それでもだいぶネロに痛めつけられたのかボロボロだったのだ。いくらギアンが幽角獣の血を引く響界種だからと言ってもすぐに動くことはできないに違いない。

 

「あー、そういえばトレイユには息子さんがいるんだった」

 

 バージルの息子がトレイユにいることを思い出した。そこに滞在しているのなら知人の一人くらいはできるだろうし、その知人がギアンの使った召喚術で害されたとなれば怒るのも無理はない。おそらくその結果、ボコボコにされたのだろう。

 

 それを悟ったハヤトは顔も知らぬギアンに心中で合掌した。

 

「……あの、ところで、先生はどちらですか? 買ってきたものを渡したいのですが」

 

 思いがけず話が長引いたため、ハヤトはずっと両手に荷物を持っている形となっている。さすがにこれ以上話し込んでは、彼も疲れてしまうだろうと思ったクラレットが割り込んだのだ。

 

「今の時間なら授業まがいのことでもやっているはずだ。邪魔はするな。荷物は預かる」

 

 少し前までラウスブルグは隠れ里としてメイトルパの獣人などが暮らしてきたのである。主が変わってもそれは変わらない。小さな社会が出来上がっているのだ。その中にはクラウレやアロエリのように、隠れ里で生まれた者も少なくない。

 

 アティはその中で幼い子供の亜人や獣人に算数のようにどこでも役に立つようなことを教えているのだ。もっとも、やはりリィンバウムの人間であるアティには警戒感を抱いているのか、現在のところカサスを慕う子供達くらいにしか授業はしていないが。

 

 とはいえ、それが授業中に荷物を届けていい理由にはならないのだ。

 

「いいよ、俺達が頼まれたことだし」

 

 ハヤトとしても授業を邪魔するつもりはなかったが、一応頼まれた者の責任としてちゃんと届けたかったのだ。

 

「その中のほとんどが俺とポムニットが頼んだ物だ。あいつに渡しても中の確認はできん」

 

 実のところアティは買ってくるものを取りまとめたメモをポムニットから預かっただけなのだ。授業があるからハヤトとクラレットに任せたのだが、どうやらその辺の事情は伝えていなかったようだ。

 

「なるほど、そうなんだ。それなら任せるよ」

 

 それを聞いたハヤトは素直に荷物を引き渡した。バージルはそれを受け取ると、踵を返して自身の部屋の方に歩いていった。実のところ、彼はアズリアと話をしに行く予定だったのだが、別に荷物の確認をしてからでもさほど遅れることはないだろう。

 

「でも、どうしてあんなものをわざわざ買ったんだろう? あれなら向こうに行ってからでも買えるのに」

 

 先ほどの言葉を聞いて買い物の最中に浮かんだ疑問がぶり返した。

 

 今回、買ってきた物は大きく二つに分けられる。日用品と貴金属の類だ。ポムニットが頼んだのが日用品だということは分かるが、なぜバージルがそんなものを買ってくるように言ったのかいまいちよくわからなかった。

 

「たぶん向こうでのお金の代わりだと思います。向こうじゃこちらのお金は使えませんし」

 

 クラレットの予想は当たっていた。バージルはリィンバウムの通貨である(バーム)を金や白金などに換えて、人間界での資金に充てるつもりでいたのだ。どちらの世界でも貴金属には高値で取引されている。いわば貴金属は二つの世界共通の通貨であるとも言えるのだ。

 

「なるほど、あっちじゃ金なんて使ったことないから気付かなかったよ」

 

 納得したように頷く。ハヤトは人間界出身でどちらの世界にも金や白金などがあることは知っていたが、それを通貨の代わりにする発想はなかったのだ。ハヤトの場合は人間界に両親がいるため、お金のことを気にする必要がなかったせいだろう。

 

「でも本当にもう少し出発みたいですから、私達も忘れてるものがないか確認しましょう?」

 

「うん、そうだな。そうしよう」

 

 そして思いがけずここで頼まれていたことを果たせた二人も自分達の部屋に戻って行った。

 

 

 

 

 

 朝に仲間達と話したネロはそれからしばらく町で時間を潰してきた。部屋にいてもよかったのだが、どうも一つのところで何もせずじっとするのは性に合わないため、気晴も兼ねて外出していたのである。

 

「ネロ……」

 

 ちょうど玄関のところでフェアが待っていた。どうやらネロが出かけている間に起きてきたらしい。

 

「随分遅かったな、寝坊したか?」

 

 その言葉にフェアは「うん」と頷くと、ネロに尋ねた。

 

「あのさ、時間ある? 話したいことがあるの」

 

「ああ。……とはいえ、こんなところじゃおちおち話もできないな。庭にでも行くか」

 

 ネロとしても彼女と話すつもりはあったため、その申し出を断る理由はなかった。ただ、玄関で話すというのはさすがにどうかと思ったので、場所を変えることにしたのである。

 

 そして、庭まで来た二人は物干し竿の近くに据え付けられたベンチに腰掛けた。暖かい日差しと穏やかな風が吹いており、実に心地のよい場所だった。

 

 自分の右隣りに座って地面を見つめていたフェアを見たネロは口を開いた。

 

「その様子じゃ、頭じゃ分かっていても心の中じゃ受け入れられないってところか?」

 

 フェアはまだ悩んでいるようにネロには見えた。

 

「……さっき、あの人と、お母さんと話したの。だから自分がどういう生まれなのかは分かったつもり」

 

 メリアージュと実際に会って話をしたことで、自分が彼女の子供であることは否が応でも理解できた。それ自体の文句はない。とうの昔に死んでしまったと聞かされていた母が生きていたこと自体はとても嬉しいことだ。

 

「……でも、怖いの。自分が自分じゃなくなったみたいで」

 

 それでも突き付けられた事実は変わらない。ずっと普通の人間だと思って生きてきたのに、いきなり半妖精、響界種だと知らされたのだ。これまでの人生を丸ごと否定されたように感じるほどの衝撃だった。 

 

 見慣れたこのベンチからの景色でさえ違うものに見える。それが不安からくるものだということは分かっていたが、フェアにはどうすることもできなかった。

 

「ネロは、ネロはどうだったの? ネロも私と同じじゃなかったの?」

 

 だがそこでフェアは、ネロが自分と同じように人間とは異なる存在の血を引いていたことを思い出した。彼なら自分と同じような経験があるのかもしれない。もしそうなら、どうやってそれを乗り越えたか知りたかったのだ。

 

「……俺の右腕はいきなりこうなった」

 

 フェアの言葉を、空を仰ぎながら訊いたネロが一目で人とは異なると分かる右腕に目を落としながら答えた。

 

「こいつを見られたら悪魔だって思われる。そう思ったから、怪我が治ってないってことにして、一ヶ月くらい包帯を巻いて隠してたんだ」

 

 フォルトゥナでそんな腕を見られてしまえば、悪魔と判断されるのは容易く想像できる。そして何よりネロにとっては、キリエにそう思われたくはなかった。だからずっと隠していたのである。

 

「それでもやっぱりバレちまってな」

 

 ネロの腕のことがキリエにバレる原因となった教団が引き起こした事件については、あまり関係のあることではなかったため語ることはしなかった。

 

「だけど、キリエは俺を人間だって認めてくれた。俺にとってはそれだけで十分だった。……それ以来、この腕も自分の一部だと思うようなって隠さなくなったんだ」

 

「…………」

 

 じっと無言で顔を見てくるフェアを見返したネロは最後に苦笑して言葉を続けた。

 

「ま、俺は単純なんだよ、俺は。大切な人の言葉でこいつを受け入れられるくらいにはな」

 

 キリエが人間として認めてくれる。それだけでネロは自分にどんな血が流れていようと気にすることはなくなった。バージルが父と知った時も意外と簡単に受け入れることができたのもそのおかげなのだ。

 

 そしてネロはフェアの頭に手を置いて、さらに言葉を続けた。

 

「俺の見立てじゃお前も同じだ」

 

 それを聞いたフェアは一瞬、目を見開いたかと思うと、すぐに半目にして心外だと言わんばかりに口を尖らせた。

 

「……それ、私も単純だってこと?」

 

 それでもネロの言わんとしていることは伝わったようだ。先ほどより声に本来の明るさが戻っている。

 

「そもそもお前は難しく考えすぎなんだよ。別に生まれがどうであっても今のお前じゃなくなるわけないし、あいつらもそんなことで態度を変えるわけないだろ」

 

 そもそもフェアの生まれは彼女が知らなかっただけの話だ。彼女がいつ知ったところでその事実が変わるわけではない。だから大事なのはフェアがそれをどう捉えるかだ。自分の今後の人生を左右するような、あるいはこれまでの自分を変えてしまうような事実なのか、あるいは自分のバッググランドに新しく加わった一点に過ぎないのか、全てはフェアの考え一つなのである。

 

「そうかも知れない。……でも、やっぱり怖かったの、みんなに嫌われたらどうしようって……」

 

「もしそうなったら俺と一緒に来るか? お前の腕ならあっちでもやっていける」

 

 冗談めかして言うネロの言葉に、フェアはようやくクスりと笑った。

 

「ふふ、そうだね。そうなったらお世話になろっかな、その時はよろしくね!」

 

 絶対にそうならないと分かったからこそ言える冗談だった。そんな冗談を言えるくらいだ、もうフェアは大丈夫だろうとネロは確信する。

 

「……ところで、さっきの話で出てきた『キリエ』って誰? 恋人?」

 

「まあ、そんなもんだ」

 

 先ほどははっきりと「大切な人」と言ったのだが、あらためて恋人だと言うのはどこか気恥ずかしさもあって、ネロは同意を示すのみに留めた。

 

「ふーん。……美人なの? その人」

 

 フェアは無関心を装っているが、その実、並々ならぬ関心を寄せているようだ。

 

「そりゃあ、お前よりは……」

 

 キリエとフェア、お人好しという点ではよく似ている。しかしもちろん、異なっている点も非常に多い。殊に外見でいえば――とネロがフェアの体に視線を向けた瞬間、彼女は叫んだ。

 

「い、今、どこ見て言ったの!? わ、私だってまだ大きくなるんだから!」

 

 何がとはいわないが、キリエとフェアは比較するのが可哀そうなくらいの差がある。フェアもそれは自覚しているが、やはり気にしているせいかコンプレックスになっているようだ。

 

 それでもこのような反応ができたということは、彼女が元の調子に戻ったのだろう。それを確信してネロは笑うが、フェアはそれを自分の体形への笑いと捉えたようでネロへ懇々と説教を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 




どことは言いませんが、きっとフェアはミントを見て超えられない壁だと思っていることでしょう。どちらかと言えば壁はフェアの方ですが。

さて次回は12月8日か9日に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。