Summon Devil   作:ばーれい

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第92話 帝都に潜む魔 後編

 外で取り押さえた男が案内したのは、酒場からしばらく歩いた場所だった。そこが男の雇い主の居場所であるらしい。男は案内が終わるとすぐに逃げるように姿を消し、この場にはネロとフェア、ミルリーフだけが残った。

 

「悪いな。こんなことに付き合わせて」

 

 まだコートを被ったままのフェアにネロが言う。先ほどの酒場で別れることもできたのだが、あの男達以外に誰か潜んでいる可能性は否定できなかったため、彼女とミルリーフには悪いと思ったが、同行してもらったのだ。

 

「いいの。……でも本当にここなの? ここって貴族の家じゃない」

 

 案内されたのは貴族の邸宅が軒を連ねる帝都の中心部にある一軒の屋敷だった。忘れじの面影亭やリシェルとルシアンの屋敷よりも大きく、壮大でよく手入れされた庭を持った豪邸だった。

 

 明らかに周囲の住宅よりも豪華な造りをしているため、この屋敷の所有者は帝国でも相当の地位を持っている人物であることは間違いないだろう。

 

「貴族だろうが関係ねぇよ。……それに、ここに悪魔がいるのは間違いない」

 

 ネロは屋敷を見ながら断じた。右腕が疼き、薄く光を放っているのが何よりの証拠だ。そして先ほどの男たちの雇い主もここにいると言うのなら、酒場にいた悪魔とも繋がる。恐らく悪魔に関わる一連の出来事の糸を引いているのがその人物だろう。

 

「気をつけてね、パパ」

 

「ああ、お前もフェアから離れるなよ」

 

 ネロを心配するミルリーフの頭を撫でてやる。今はフェアの腕に抱かれずに立っているが、フェアが被っているコートの中にいるのだ。窮屈な思いさせているのは否めないが、フェアと同じように彼女も姿を見られるわけにはいかない。

 

 じきにこの世界を去る自身はともかく、二人ともこれからもリィンバウムで生きていかなければならないのだ。自身が始めたことに巻き込んだ挙句、見るからに危険な奴らに顔を覚えさせるわけにはいかない。

 

「うん!」

 

「私もちゃんと見てるから大丈夫。でも、本当に気を付けてよ」

 

 これから屋敷の悪魔を始末するにあたり、フェアとミルリーフはずっとネロの傍にいるわけではないが、何かあっても対応できる場所にいてもらうことになる。屋敷から少し離れた今の場所にいるより、ネロの近くにいた方が悪魔との物理的な距離こそ縮まるが、安全なのである。

 

「心配すんな。悪魔なんて腐るほど相手にしてきたんだ」

 

 フェアの心配に軽口を叩いた。しかし、ネロの言葉は経験に裏打ちされた確かなものだった。たとえ、今屋敷から感じる悪魔の数が十倍になったとしても、鼻歌まじりに片づけてしまうほど、ネロの実力は確かなものなのだ。

 

 その言葉にフェアは頷くと、ミルリーフを抱え上げる。ネロは少しずれていた自身のコートをもう一度フェアに深く被せ直し、前はミルリーフに持ってもらった。ぴったり前を閉めるとミルリーフは何も見えなくなるため、僅かに隙間を開けてそこから覗いている。

 

 フェアは顔の大部分は隠れており、夜間ということも相まって接近されなければ顔を判別することはできないだろう。これで準備は整ったわけだ。

 

 ネロはフェアを後ろに連れ、正門から堂々と屋敷の中に入った。これほど広大な屋敷なのに門番の一人もいないとは、不用心というよりここの怪しさを際立たせていた。

 

「さて、やるか」

 

 そして正面の入り口の大きな扉の前に立ったネロはレッドクイーンを左肩に乗せながら呟くと、見るからに高級そうな扉を口元に笑みを浮かべながら蹴り飛ばした。

 

 ネロの剛力で蹴られた扉は蝶番が外れて真っすぐに吹き飛び、正面にいた悪魔に激突してもなお勢いを衰えずに、そのまま壁にぶつかり大きな亀裂を作ってようやく止まった。

 

 屋敷の中にいた者達は一瞬静まり返り、吹き飛んだ扉と、次いでそれを吹き飛ばしたネロを見た。見た目は着飾った人間のように見えるが、どれも既に悪魔に憑りつかれている。少なくとも視界に映る十数人の中に本当の人間はいないようだった。

 

「大当たり、ってとこだな」

 

 これだけの規模だ。偶然に悪魔が湧いたというわけではないだろう。周辺の住宅街も混乱している様子はなく、雇われたと言っていた男のことも考えると、何者かが意図的に悪魔を呼び出して使役している可能性すらある。

 

 目的こそ不明だが、どうせよからぬことを企んでいるのだろう。悪魔を利用しようとしている者は往々にしてほとんどがそういう輩なのだ。

 

 扉から数歩ほど歩くと悪魔も状況を飲み込めたようで、次々と醜い真の姿を露にして襲いかかってきた。ネロはレッドクイーンを肩に担いだまま柄を捻りイクシードを燃焼させ、悪魔を迎え撃つ。

 

 最初に向かって来た二体の悪魔を横に薙ぎ払うと、前に打って出た。ネロは敵が来るのを待つより自ら攻めるほうが性に合っているのだから当然である。

 

「行くぜッ!」

 

 突進したネロは再び薙ぎ払うように得物を構えると、言葉と共にクラッチレバーを握る。大量の推進剤を噴射しながら加速したレッドクイーンの斬撃は推進剤の噴射口から出た炎を纏い、悪魔の体をいとも容易く両断した。

 

 次いで周辺の悪魔にも無差別に斬りかかる。悪魔が本当の姿を現さず襲いかかってきていたら、見る者によってはネロによる無差別の虐殺にしか見えなかったかもしれない。それだけネロの強さは圧倒的で、悪魔の抵抗など全く寄せ付けてなかった。

 

(あいつら……無事だな)

 

 レッドクイーンを悪魔に突き刺し、それをハンマーの頭に見立てて他の悪魔を殴りつけながら、先ほど蹴り破った扉の方を見る。フェア達はやはりネロのことが心配だったのか、陰からこちらを見ていた。

 

 それを確認したネロはボロ雑巾のようになりながらもレッドクイーンに突き刺さったままの悪魔を払い捨てると、残り一体となった悪魔へ悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばした。

 

 そしてまとめて引き寄せた悪魔をレッドクイーンでまとめて斬りつける。依り代となっている人間の体重がレッドクイーンから伝わってくるが、ネロの力の前ではそんなものは障害にすらならなかった。

 

「こんなもんか」

 

 この場にいた悪魔をあっさりと殲滅したネロは、レッドクイーンを担ぎ直して呟いた。既にこの屋敷はおろか周囲からも悪魔の存在を感じないが、先ほどのように雇われた人間が潜んでいる可能性があるため、得物を背に戻すことはしないでいるようだ。

 

「終わった……?」

 

「悪魔の始末はな」

 

 フェアが入り口の陰から出てきて尋ねた。できる限り悪魔の死体を視界にいれないようにしているのか、少し俯いている。なにしろ悪魔と言っても依り代は人間の体なのだ。赤い血も流れているし、肉も散乱している。

 

 いくら夜で視界が悪いとはいえ、この屋敷は豪華なシャンデリアがあるせいか、さきほどの酒場より遥かに明るいのだ。

 

「じゃあ、次はどうするの?」

 

 ネロの言い方から、まだ一件落着とはいかないことを感じ取ったフェアが続いて尋ねる。

 

「一応、この中を調べるつもりだ。こんなところで何をしてたかくらいは分かるかもしれないしな」

 

「分かった。……あと、これ返しとくね。この中じゃ着てても仕方ないだろうし」

 

 ここまできた以上、最後まで付き合うつもりだったフェアは特に文句はないようで、姿を隠すために被っていたネロのコートを返しながら言った。

 

「まあ、確かに誰もいないと思うけどよ。もしなんか気配でも感じたらまた渡すからな」

 

 ネロも今のところ屋敷の中から人の気配は感じなかった。さすがに気配は悪魔のように感じられるわけはないが、少なくとも殺気を見逃すようなことはないだろう。ネロはそう考え、コートは自分が着ておくことにしておくことにした。

 

 そしてコートに袖を通したネロはフェアとミルリーフを伴って、屋敷を調べ始めた。

 

 この屋敷自体は外観から見るに三階建てだが、とにかく巨大だ。今しがたネロが悪魔と戦った正面の吹き抜けのホールも大きかったが、それでも半分にも満たない面積だろう。恐らく部屋の数は十や二十どころではないだろう。

 

「上から行くの?」

 

 一階の部屋には目もくれず階段を上るネロにミルリーフにネロが答える。

 

「ああ。偉い奴は上にいるのが多いからな」

 

 そうでなくとも一階には悪魔がいたのだ。もし誰かがこの屋敷で何かを企んでいるとすれば、最も悪魔から遠い三階にいる可能性が高いだろう。

 

「それにしても、すごい豪邸だね。周りの建物よりも立派だったし、どんな人が住んでたんだろ……」

 

 三階まで来る間、ずっと周りを見ていたフェアが呟いた。たぶんシャンデリアや壁に掛けられている絵一つの価格で、フェアの稼ぐ金の何年分もするだろう。こういう屋敷を持っている人間は、庶民とは住む世界が違うことを改めて感じさせた。

 

「さあな」

 

 ネロはぶっきらぼうに答える。状況から考えてこの屋敷の主が黒幕のようにも思えるが、逆に場所を利用されただけで既に殺されている可能性もある。いずれにしても、これが明らかになれば帝国を揺るがしかねない事件になるだろう。

 

 答えつつネロは適当な部屋の中を覗いた。中は明かりもついておらずしばらく使われた様子もなかったため、それだけで扉を閉めた。

 

「さて、次は……」

 

 相当ある部屋を全部見て回るには一つ一つに時間をかけることはできない。そのため、一目見てその部屋を詳しく調べるか判断することにしたのだ。

 

「あ、あのお花枯れてるよ」

 

 ミルリーフが廊下に飾られた花瓶を指さして言った。それに挿してある花は花弁が力なく萎れており、色も茶色へと変化していた。

 

「ほんとだ。水入ってないし、これが原因かな?」

 

 近づいて花瓶を見たフェアは水が入っていないことに気付いた。おそらく水分不足が枯れた原因だろうことは容易に想像できる。

 

(こりゃ、もう死んでる可能性が高いな……)

 

 ネロは心の中でこの屋敷の持ち主の末路を悟った。もし持ち主が存命なら誰かに花を交換させるか片付けさせているだろう。それをしていないということは、既に殺されている可能性が高いということだ。

 

 そんなことを考えながらネロは黙々と部屋を調べる作業を続けた。

 

「ここにも何にもないね」

 

 ネロが開けた扉からフェアも室内を覗く。先ほどから六部屋ほど調べてきているがどれも外れだった。これで三階に残された部屋は残り二部屋だ。

 

「ねぇパパ。次はこっちを見てみようよ」

 

 半ば冒険気分のミルリーフは残り二つとなった部屋の内、一つを示した。

 

「わかった。こっちだな」

 

 その部屋からは特に気配も感じなかったため、ネロは先ほどと同じような調子でドアを開けた。

 

 だが部屋の中は無人ではなかった。正面の壁にある窓が開けられており、そこに身を乗り出すようにしている人間がいたのだ。外を見ているためその顔を見ることはできなかったが。

 

「……!」

 

 反射的にブルーローズを構えるが、ネロは撃てなかった。相手が悪魔ではなかったためだ。悪魔なら一切の容赦なく叩き潰すネロだが、さすがに問答無用で人間を撃つことはできなかった。

 

「…………」

 

 ネロの気配に気付いたのか、何者かが振り向いた。しかし窓から月光が入ってきていて逆光になっており、ネロの位置からは顔こそ確認することはできないが、黒髪の若い男ということは分かった。

 

 その一瞬後に男が振り向いたことで起きる不都合をネロは気付いた。ネロの左隣にはフェアがいる。彼女の姿が男に見られる恐れがあった。

 

「ちっ……」

 

 咄嗟にネロはブルーローズを持った左手でフェアの顔を隠した。替えが効くとはいえ服が見られるのはやむを得ないが、顔を覚えさせるわけにはいかない。

 

 しかし男はネロの態度には興味がない様子で、素早く懐からマッチのようなものを取り出すと、火をつけて床に向かって投げつけた。

 

 床にはあらかじめ可燃性の何かが撒かれていたのか、部屋の中は激しく燃え出し、室内にあった家具にどんどん燃え移っていく。その様子を確認した男は窓から身を投げ出した。証拠の処分を確認した上での逃亡なのは明らかだ。

 

「くそっ……、フェア、ミルリーフ、そこにいろ!」

 

 このままあの男の思い通りに終わってたまるかと、ネロは炎の中に突っ込んだ。

 

「パパ!」

 

「ミルリーフ、だめ!」

 

 ネロの後を追いかけようとするミルリーフをフェアが抱き止めた。いくら彼女が至竜の子だからと言っても、まだ親から全てを継承していなため、体も人間より少し頑丈な程度なのだ。炎の中に入って無傷とはいかないだろう。

 

 もちろんフェアもネロのことは心配だったが、心の底では彼なら何とかしてくれるのではないかとも思っていた。

 

 そしてその期待に応えるべく、ネロは炎の海の中でレッドクイーンを横に薙ぎ払った。その際に発生した強烈な剣風によって炎は消し飛び、一瞬で鎮火した。

 

「よかった……」

 

 ネロの無事な姿を見て安堵したようにミルリーフは息を漏らす。しかし、ネロは先ほどの厳しい表情のまま、いくつかの本や書類が適当に置かれていた本棚とその横のテーブルを調べ始めた。

 

「こいつは……」

 

 色々な本を見ていたネロは、テーブルの上に置かれていた一冊の本を確認して呟いた。炎のせいで下半分は一部が燃え落ちていたり、黒く焦げたりしているが何とか読める部分はあったのだ。その中には手書きで人の名前らしきものが羅列してあった。それを考えるとこれは本というよりノートやメモ帳といった方が正しいかもしれない。

 

「何かあったの?」

 

「ここに書いてある名前、誰のことか分かるか?」

 

 本をフェアに見せながら尋ねた。フェアは自分の知っている名前がないか、目を凝らしてページをめくるが心当たりのある名前は見当たらなかった。

 

「ごめん、知ってるのはないみたい」

 

 ほとんどトレイユから出ないフェアだ。皇帝などのよほどの著名人ではない限り、知っている名前は知り合いのものくらいなのだ。もっともそれは一般的な帝国の国民であれば、当たり前の水準でフェアが特に著名人の名前に疎いわけではない。

 

「そうか、まあ仕方ねぇ」

 

 これに書かれている者が誰なのかは不明でも、これが唯一の手掛かりなのは変わりない。とりあえずその本を持ち帰ることにして懐にしまった。

 

「これからどうするの?」

 

「もう一つの部屋だけ調べたら戻ろうぜ」

 

 三階で手がかりを見つけたため、念のためこのフロアの全ての部屋だけは見ておきたかったのだ。

 

 ちなみに言葉にはしてなかったが、ネロは宿に戻る前にあの男に見られたフェアの服装を何とかするつもりでいた。さすがにトレイユでは服を変える必要はないだろうが、せめて帝都やシルターン自治区にいる間は服を変えておきたかったのだ。

 

 

 

 そうしてもう一つの部屋に移動した三人はその中を調べていた。どうやらその部屋は寝室らしく、大きなベッドにクローゼットなどの家具が据えつけられている。

 

「ここもしばらく使われていないみたいだよ」

 

 フェアが部屋の中を見ながら言った。ネロも部屋の中を見ていたのでそれには気付いていたのだが、念のためクローゼットの中も見ておくことにした。

 

 早速それを開けると中には多くの服が入っていた。どれも女物の服だ。どうやらこの部屋の主は女性だったらしい。

 

 それらを見たネロは一つ思いつくことがあり、すぐにそれを口にした。

 

「おいフェア、服脱げ」

 

 ネロの言葉を聞いたフェアは最初「へ?」と言葉を漏らし、その意味を理解していないようだったが、部屋の中にある大きなベッドを見てどういうことかを理解した。

 

「な、ななな、何で!?」

 

 激しく口ごもりながらフェアは自分の体をネロから隠すように抱きしめた。

 

 もしかしなくとも勘違いなのだが、ベッドを見てしまったフェアは()()()()ことだと勝手に思い込んでいるようだった。

 

「何をそんなに焦って……ああ、そういうことか。俺が言いたいのは服を変えろってことだ。ガキが色気づくなよ」

 

「こ、子供扱いしないでよ!」

 

 自分がとんでもない勘違いをしていたことに気付いたフェアは苦し紛れに返した。

 

「あー、はいはい。分かったからさっさと着替えてくれ」

 

「……じゃあ、後ろ向いてて」

 

「は……?」

 

 ネロとしては着替える間は部屋を出ているつもりでいたため、フェアの言葉を全くの予想外だったのだ。

 

「いいから向こう向いてて!」

 

「はいはい。これでいいだろ?」

 

 先ほどの勘違いのせいで冷静さを欠いていたフェアはネロの言葉も聞かずに叫んだ。それを見たネロはにやれやれといった様子で肩を竦めると、大人しく窓の方まで移動して外を眺めていることにした。今のフェアに余計なことを言っても逆効果だと悟ったらしい。

 

 フェアはそれを確認すると、今しがたネロが見ていたクローゼットの中を確認する。見るからに貴族らしいフリルのたくさんついたドレスも数多くあったが、彼女が選んだのはそれらよりもやや簡素なものだった。

 

 貴族にとっては夏場のような暑い時期に着るものなのかもしれないが、フリルのついた服など煩わしくて仕方ないとしか思ってないフェアにしてみれば、ちょうどよいものなのだろう。

 

「うわ、すっごいやわらかい……」

 

 いくら簡素とは言っても、やはり貴族が着るものだ。生地一つとっても相当な高級品であることであることは手触りだけで分かった。

 

(さて、さっさと着替えて……)

 

 いつまでもネロとミルリーフを待たせるわけにも行かない。手早く終わらせようと今来ている服に手をかけた時、ちょうど窓から外を見ているネロの姿が目に映った。

 

 いくら後ろを見ていると言っても、これから彼の前で服を脱ぐことには変わりない。恥ずかしくないわけがなかった。

 

 それでも着替えないわけにはいかない。ネロに後ろを向いているように言ったのは他ならぬ自分なのだ。

 

(よ、よしっ! 女は度胸よ!)

 

 意を決してフェアは服を脱ぎ始める。ネロはじっと外を眺めていて、ミルリーフも興味深そうにクローゼットの中にある服を熱心に見ている。そのため、部屋の中は着替える衣擦れの音だけが響いており、それが余計にフェアの羞恥心を煽った。

 

「ああ、そうだ。ちょっといいか?」

 

「な、なに?」

 

 言い忘れていたことを思い出したネロが視線はそのままに声をかけると、フェアが焦りながら答えた。ちょうど服を脱ぎ終わったばかりで、夜のひんやりとした空気に包まれていたところに声をかけられたため驚いたのだ。

 

「一応髪型も変えとけよ。それに帽子もあったみたいだからそれも被っとけ」

 

 あの男には顔や頭部は一瞬しか見られていないはずだが、ネロは過剰ともいえるほどフェアのことを気に掛けていた。一瞬とは言え姿を見られてしまったことに責任を感じているのかもしれない。

 

「わかった、そうする。もうちょっとそのままだからね」

 

 大人しく頷くと、着替えを再開した。簡素な造りだけあって着ること自体は僅かの時間でもできるようで、ネロもそんなに待たせることはなかった。

 

「もういいよ、ネロ」

 

「思ったより早かったな」

 

 ネロが振り向くと白にピンクのスカートを合わせたドレスを着たフェアがいた。髪も降ろしており、いつもとは違った印象を受ける。このまま喋らなければ貴族の令嬢としても十分通じるかもしれない。

 

「どう、かな?」

 

 恥ずかしそうに手を前で組んで、もじもじさせながらフェアは尋ねた。

 

「わぁ……、すっごく綺麗だよ」

 

「ああ、意外と似合ってるな」

 

 素直に褒めたミルリーフとは違い、ネロは一言多かった。

 

 フェアは普段から活動的で、服もそれに合わせたように動きやすさを重視したものだ。そんなフェアの姿に見慣れていたから、いきなり深窓の令嬢のような服を着て、それがかなり似合っていたのだから、自分から着ろと言ったことであっても少々面食らったようだ。

 

「意外と、ってなによ」

 

 失礼な、と言わんばかりにフェアは頬を膨らませる。しかし、そんな姿も絵になっていた。

 

「そんなに気にするなって、似合ってるのは嘘じゃないんだ」

 

 悪びれる様子もなく肩を竦めた。それを見たフェアはもう一言なにかを言ってやろうとしたが、それよりネロが口を開くのが早かった。

 

「後は帽子だな。……せっかくだ、俺が選んでやるよ」

 

 そう言うとすぐにいくつかの帽子を手に取って、フェアの頭の近くまで持っていく。実際に身に着けた時の印象を見ているようだ。

 

「…………」

 

 意外と真剣な眼差しで帽子を選んでいるネロを見ると、フェアはそれ以上何も言えなくなり、大人しく選ぶのを待つしかなかった。

 

「ミルリーフ、これとこれどっちがいいと思う?」

 

 ネロは両手に帽子を持ったままミルリーフに尋ねた。迷っているのは、白い帽子と、ドレスより薄いピンクの帽子だった。白い帽子には同色のリボンが付けられており、ピンクの帽子にはそれより若干濃い色の花飾りが一つあしらわれていた。

 

「うーんと……、ママにはこっちが似合うと思うよ」

 

 両方を見比べながら少し悩む様子を見せたミルリーフだったが、すぐに一方を選択した。ネロはそれをフェアに被せると大きく頷いてみせた。

 

「確かに今の恰好にはこっちの方が似合うな」

 

「うん! ぴったりだよ!」

 

 ミルリーフが選んだのはピンクの帽子の方だった。それを身に着けたフェアはますますおしとやかなお嬢様のように見えた。もっとも、中身はおしとやかさとはかけ離れているが。

 

「そ、そう? ありがとね」

 

 満更でもない様子でフェアは少し照れたようにお礼を言った。

 

「さて、服も着替えたし帰るか」

 

 完全な解決とまではいかなかったが、もうあの悪魔達の犠牲になる人はいなくなるのは確かだ。それだけでもここまで来たのには意味があるだろう。

 

「うん。……っていうか今更だけど、これ勝手に持って帰っていいのかな?」

 

 フェアが疑問を呈した。いくら持ち主は悪魔に殺されている可能性が高いからといって、勝手に持っていくのは泥棒と一緒ではないか。

 

「報酬代わりだよ。これだけで悪魔を始末してやったんだ。安いもんだろ」

 

「そうなのかなぁ……」

 

 フェアは納得していない様子だった。

 

 しかし、ネロが仕事として受けた悪魔狩りの報酬は、スーツケース一杯の札束というのも珍しくないということを考えると、ドレス一式というのは破格の安さに違いない。

 

「それにお前だって狙われるのはイヤだろ? ここで服を変えるのが一番安全なんだから、そんなこと気にするなよ」

 

 さらにネロは付け加えた。あの男がフェアは狙うつもりがあるのかは不明だが、楽観的な予想で動き取り返しのつかない事態を招くより、用心には用心を重ねた方がいい。人の命はなにものにも代えられないのだから。

 

「う、うん……」

 

 完全に納得したわけではないようだが、それでも服を着替える必要性は理解できたらしい。フェアとて危険に晒されたくはないし、仲間を巻き込んでしまうのだけは避けたかったのだ。

 

 そうして屋敷から出た三人は周囲を警戒しながら裏門から出ると、繁華街まで急いだ。

 

「誰にもつけられちゃいないか……」

 

 屋敷を出てからずっと周囲に注意を払っていたらしいネロが呟いた。少なくとも近くには屋敷周辺にはあの男の仲間はいないようだ。ネロとしては尾行されていた場合、人の多いこの繁華街辺りでなんとかするつもりでいたのだが、その必要はなさそうだった。

 

「ふぁ……」

 

「眠い?」

 

 大きなあくびをしたミルリーフにフェアは聞いた。いつもならとっくに寝ている時間だし、そうでなくとも今日はずっと歩きっぱなしの上、悪魔の一件で張り詰めていた緊張感が一気に解けたせいで、眠気が出てきたのだろう。

 

「うん……」

 

「ネロごめん、抱っこしてもらっていい?」

 

 できるなら自分で抱き上げたいところだが、あいにく着替え前の服を持っているので難しかったのだ。

 

「ああ」

 

 当然ネロもフェアの手が空いてないことは知っていたため、片手でミルリーフを抱き上げた。人間離れした力を持つネロならミルリーフ程度は軽いものなのだろう。

 

 そうして急ぎ足で宿まで戻ると、ミルリーフはネロの胸に体を預けるようにして寝入っていた。

 

「あ、寝ちゃってたんだ」

 

「そりゃそうだろ。変なことにも巻き込んじまったからな」

 

 ネロはミルリーフを慎重にベッドに降ろしてから口を開いた。彼の腕に抱きあげられているときは、決して安眠できる体勢とは言えなかったはずだが、それだけ疲れていたということだろう。

 

「この子、ネロがいなくなった時はすごく心配してたんだよ」

 

「悪かったよ、反省してるって」

 

 フェアの言葉にネロはばつが悪そうに言葉を返した。今にして思えば同じ部屋の二人には事情を説明しておいた方がよかったかもしれない。結果的には何事もなく終わったものの、ネロとしては反省点が残る結果となったのは確かだ。

 

 それを聞いたフェア「なら許してあげる」と言いながらくすりと笑う。だが気になることでもあったのか、そのまま言葉を続けた。

 

「ところで今日のことってお兄ちゃんとかに言ってた方がいいのかな?」

 

 いずれあの屋敷にも酒場にも誰かが立ち入ることになるのは間違いない。だが、そこで起きたことまで正確に明らかになるとは限らない。ネロに殺された者達が悪魔だと分からなかったら、ただの大量殺人事件として処理される可能性もあるのだ。

 

 だから、せめて軍人のグラッドには伝えた方がいいのではないかと思ったのだ。

 

「……いや、やめといたほうがいいな。むしろ今日のことは誰にも話すな。もちろんリシェル達にもな」

 

 少し考えてから答えた。リィンバウムは人間界よりも悪魔の存在が認知されているのは知っている。だからわざわざ言わなくとも悪魔の仕業だと分かるだろうという考えがあった。

 

 それに、グラッドを信用しないわけではないが、この一件にフェアやミルリーフが関わっていたと知られる可能性は徹底して排除したいという思惑もあったのだ。

 

 それがネロなりの、巻き込んでいしまった責任の取り方だった。

 

「わかった。ネロがそう言うならそうする」

 

 悪魔に関する知識はネロの方が詳しい。だから今回は特に疑問にも思わず彼の言葉に従うことにしたのだ。

 

「おう。……それじゃ俺は寝るからな」

 

 言うべきことは言ったネロは、コートをテーブルに投げ捨てるとすぐに自分のベッドに横になった。

 

「あ、もう……、ちゃんと畳まなきゃダメでしょ」

 

 そう言ってフェアはテーブルに放り出されたコートを手に取って、部屋に備え付けられているクローゼットの中にしまい込んだ。

 

 それが終わるとフェアもさすがに眠気が出てきたのか、すぐにベッドに入った。

 

 生まれて初めて悪魔を見た日にも関わらず、フェアもミルリーフも普通に眠ることができた。それは紛れもなく幸運であることに間違いなかった。

 

 

 

 

 

「あんた、その服どうしたのよ?」

 

 朝起きて早々にリシェルと会ったフェアは、出会い頭にそう尋ねられた。一晩で友人が昨日までとは髪型も変わっていたのだから、気にならない方がおかしいだろうが。

 

 フェアとしてはいつもの服装に戻りたかったのだが、ネロから「トレイユに戻るまではその服でいろ」としつこく言われていたので、着替えられなかったのである。

 

「あ、これは昨日――」

 

 そこまで言ってフェアは、昨日のことはリシェル達にも話すなと言われてたのを思い出した。危うく口にしてしまうところだったが、すんでのところで思い出したようだ。

 

「昨日?」

 

「か、買ってもらったの! ネロに! 昨日の夜!」

 

 少し焦っていたのかフェアはぶつ切りに言い放った。

 

「昨日の夜?」

 

「う、うん! 帝都まで行ったの!」

 

 買ってもらったと言うのは出まかせだが、昨日の夜にネロと帝都にいたのは嘘ではない。もちろんそれは、部屋から姿を消したネロを見つけた後のことでありミルリーフも一緒だったのだが、リシェルがそれを知る由はなかった。

 

「あらなによ、デートでもしてきたの?」

 

 帝都はここからそう遠くはないし、昨夜はまだ夜になったばかりの時間にそれぞれの部屋に分かれたため、夜に出かけたとしてもそれほど不思議ではない。だが、二人きりとなれば話は別だ。

 

「そんなわけないでしょ、ミルリーフもいたんだから」

 

 二人きりで行ったと勝手に考えているらしいリシェルに事実を突き付けた。昨夜はそんな色っぽい話ではなく、帝都に巣食う悪魔との戦いなのだ。フェア自身が戦ったわけではないが、精神的疲労はかなりのものだった。

 

「でも、その服は買ってもらったんでしょ?」

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 悪魔のことを誤魔化すための出まかせとはいえ、ネロに買ってもらったと言ったのは他ならぬフェア自身、それゆえ、今さら否定することはできなかった。

 

「ならよかったじゃない。悪い気はしてないんでしょ?」

 

「ま、まあ、そりゃあ、ね」

 

 服自体を選んだのはフェアだが、帽子だけはネロとミルリーフが選んでくれたものだ。嬉しくないわけはない。その様子を見たリシェルはにたりとした笑みを浮かべた。

 

「なんにしても、あんたが楽しんだようで何よりよ。ここに来て正解だったわね」

 

「……うん。ここに来てよかったよ」

 

 そもそも今回シルターン自治区まで出向いたのは日頃酷使している体を休めるためだ。その目的を達成したかと問われると微妙なところだが、フェアとしてはシルターン自治区に来た甲斐はあったと思っていた。

 

 シルターンの料理を随分と食べることができたこともあるが、それ以上に今まで知らなかったネロの一面を知ることができたことが大きかった。

 

 ネロとはそう遠くない未来に別れることになるだろうが、今回のことはきっと自分の記憶にずっと残っていくだろう。

 

 フェアはそう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




これでサブイベント編は一息つき、次回から本筋に戻ります。とりあえず4編は100話になる前に決着がつく見込みです。

次回は10月28日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。

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