Summon Devil   作:ばーれい

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第80話 裏切りの御使い

 帝国の一般市民にも大きな影響を与えた禁止令は発令から数日経過した今日この日に解除された。その影響によるものかトレイユの町中はいつも以上に賑わっているような気がしてならない。さすがに今日の今日で町を訪れる人はいないようだったが。

 

(こうして見ると、この世界にとって召喚術がなくちゃならないものだなんて思えないな)

 

 召喚術がこの世界にもたらした恩恵が計り知れないことは、これまで何度か耳にしている。しかし、ネロの視界に入るトレイユの町並みは一昔前の人間界と言われれば信じてしまいそうな程、異世界の存在を感じることができなかったのだ。

 

(だが、実際は行き来さえ可能なら即戦争になりかねないくらい険悪なんだよな……)

 

 かつてこの世界は異世界からの侵攻を受け、血で血を洗う凄惨な戦いをしていた歴史が存在する。その戦いは最終的に伝説のエルゴの王が張った結界により行き来が不可能となったことで自動的に休戦となっていた。

 

 しかし、このリィンバウムという世界には召喚術という一方的に呼び出して隷属させる技術が残ったことにより、長き戦いによって被った傷から立ち直り、発展していくことができた。召喚術はこれからもこの世界になくてはならない技術である。それがこの世界の人々の一般的な認識だった。

 

 しかし、それはあくまで召喚術を使う側の考えだ。呼ばれる方は、急に家族や友人から引き離され、隷属を迫られるのだ。正直、たまったものではないだろう。

 

「俺ならぶん殴ってるな、間違いなく」

 

 ネロがこの世界に来た時、周囲に彼を召喚した者がいなかったため、現在においても誰とも誓約すら結んでいない状態だ。しかし彼の呟きが示す通り、もしネロを召喚した者が隷属を強いるような召喚師だったら、彼の性格から考えても間違いなく顔面を殴っていたことだろう。

 

 そんなことを考えながらネロは賑やかな中央通りを歩く。もちろん視界には常にミルリーフを入れながらである。彼女は一度、中央通り沿いの店は一通り見ているはずなのだが、今日も目を輝かせていろいろなところを走り回っている。なにがそんなにおもしろいのかはネロにはわからないが、ミルリーフが楽しそうなのでよしとしていた。

 

「おいミルリーフ、そろそろ帰るぞ」

 

「はーい……」

 

 太陽の位置から、そろそろ戻った方がいいと判断したネロは、運よく目の前を走っていたミルリーフにその旨を伝えた。彼女は遊び足りないのか、少し残念そうな顔しながらも返事をする。

 

 それでも町中へ出て来て様々なものを見たことは嬉しかったようで、手を繋ぎながら帰る際には嬉々としてその時の様子を話していた。

 

「ん……?」

 

「パパ? どうしたの?」

 

 ため池を通った時、不意に自分の顔に影が差したことに気付いたネロは空を見上げると、ミルリーフもそれに釣られて空を見上げた。

 

「アロエリか……、どうやら兄貴は見つかったみたいだな」

 

 ネロの顔に差した影の正体、それは空を駆けていたアロエリだった。しかも彼女は一人ではない。隣にアロエリと同じように背から生えた翼で空を飛ぶ者の存在がいたのだ。あれが話に聞く御使いの長であり、アロエリの兄のクラウレなのだろう。

 

「…………」

 

「ん……?」

 

 その時、ミルリーフがネロの手を握る力を強くしてきた。もっとも、ネロにとってはたいして痛くもない強さだったが。

 

(なるほどな……)

 

 ネロはミルリーフがそうした理由が思い当たった。最後の御使いであるクラウレが来たということは、ミルリーフは最後の遺産を受け継いで至竜となることを意味する。それは同時にフェアや自分達、この世に生まれてから会った多くの者との別れを意味しているのだ。

 

 いくら竜の子とは言っても、ミルリーフは生まれてから一年も経ってない幼子である。親代わりの存在と別れることになって辛くないはずがないだろう。

 

 ネロは立ち止まってしゃがみ込み、ミルリーフに視線を合わせると頭を撫でながら言った。

 

「あのな、お前が至竜になっちまったって、もう二度と会えないわけじゃないんだ。会いたいと思ったら会いに来ればいいさ」

 

 竜と人、住む世界が違ったとしても、会いたい相手に会うことができないなど、あっていいはずがない。この世界の仕組みなど僅かばかりの、それも表面上のことしか知らないが、ネロはその考えを曲げるつもりはなかった。

 

「でも……、パパは帰っちゃうんでしょ」

 

 ネロが帰る場所は、このリィンバウムではない別の世界だ。帰ったら最後、フェア達以上に会うことは難しい、いや、実質不可能と言ってもいい。むしろネロが帰れることの方がイレギュラーなのだ。

 

「帰ってもまた来ればいいだろ? 理由は何であれ俺は人間界からここに召喚されたんだからな」

 

 ネロはさも簡単なことに言った。言葉だけであれば多くの者が何を馬鹿なことを、と一笑に付すだろうが、ネロが言えば不思議と真実味が増してくるのである。

 

「うん……、約束だよ。絶対、会いに来てね」

 

「ああ、約束するさ」

 

 二人ともミルリーフが遺産を継承し、至竜になるのは既に既定路線のように話をしているが、そう簡単にいかないことがわかるのはもう少し先だった。

 

 

 

 

 

 そうして忘れじの面影亭に戻ってきたネロとミルリーフを迎えたのはフェアだけだった。

 

「あ、おかえり」

 

「おう。そういや、帰ってくるとき、アロエリと一緒に誰かがここに向かったのを見たんだが、やっぱりクラウレって奴が来たのか?」

 

 ネロの言葉はクラウレが来たことへの確認のようであったが、実際は彼自身、最後の御使い来たことに疑問の余地はないと思っていたため、そのクラウレがどこにいるのか、問うているようなものだった。

 

「うん、今は他の御使い達と部屋にいるの。なんか深刻そうな顔をしてたから、重要な話じゃないかな?」

 

 御使いの長であるクラウレが不在だった間、いろいろなことがあった。特に御使いにとっても秘中の秘にあたるラウスブルグの、世界を移動できる力をネロ達に説明したことや、既にそのラウスブルグがギアン達の手から離れ、バージルの手にあることなど、説明しなければならないことは少なくない。

 

 みんなと話すときに余計な説明で時間を浪費させないための配慮なのかもしれない。

 

「そうか……。ミルリーフ、お前はどうする? 話してくるか?」

 

 御使いだけの話とはいえ、ミルリーフはいずれ先代の守護竜の全てを継承し彼らの主になるのだから、話に参加する権利があるはずだ。しかし、当のミルリーフは首を横に振った。

 

「ここにいる」

 

「そうか。……で、どうする? あいつらでも呼んでくるか?」

 

 ミルリーフがそう答えた理由をネロは問わずに、フェアにリシェルやグラット達を呼んでくるべきかを尋ねた。これまでミルリーフの継承は状況の説明も併せて全員揃った場で行っていたため、今度も呼ぶ必要があるだろうと思ったのだ。

 

「うん。でも、もうじき夜の営業も始まっちゃうし……」

 

「なら明日にでもするか? いまさら一日や二日違ったって変わりないだろうし」

 

「そうかもしれないけど……」

 

 最近は姿を見せないが、将軍や教授といったミルリーフを狙う者がいる以上、一刻も早く遺産を継承させ安全を確保した方がよいのではないか、という想いもフェアの中にはあったのだ。

 

「いや、皆にはできるだけ早めに話しておきたいことなのだ」

 

 そこにセイロンの声が響いた。声のした方を見ると、そこにはセイロンだけではなく、クラウレを含めた三人の御使いもいた。どうやら話し合いは終わったようで、すぐにでもその話をしたい様子を見ると、相当深刻な事情があるのかもしれない。

 

「いや、こちらの都合ばかり押し付けるわけにはいくまい」

 

「ですけれど……」

 

 リビエルは言葉を濁した。フェアの好意で居候させてもらっている身であるため、クラウレの言葉には理解できるが、今はそれより状況の優先すべきだと思っているようだった。

 

「それなら今日は少し早めにお店を閉めるから、その後にすればいいよ」

 

 フェアとしても内心、彼らが何を話し合っていたかは気になっていたところであり、今の話を聞くと自分達にも大きな影響を与えそうな内容だと思ったため、このような提案をしたのだ。

 

「お心遣い感謝する」

 

 それを自分達への配慮だと感じたクラウレは丁寧に頭を下げた。

 

「…………」

 

 そんなクラウレをミルリーフはまるでどんな人物か推し量るようにじっと見つめていた。

 

「これは失礼を、御子さま。御使いが長クラウレ、帰参いたしました」

 

 クラウレはその視線に気付き、自分がまだ挨拶すらしてもいないことを思い出し、ミルリーフの前に跪いて言った。

 

「う、うん……」

 

 これまで何度か御使いには今のクラウレのように傅かれたことはあるが、ミルリーフはまだこうした扱いになれてはいないようだった。

 

「……で、結局、他の奴らは呼んで来なきゃいけないんだろ? 今から行ってくる」

 

 大人しく話を聞いていたネロが口を開いた。御使いの話がどんなものかは想像がつかないが、店の閉店後に話し合いの場を持つのであれば、他の者には今の内にその件を伝えておく必要があるとネロは考えたのだ。

 

「ならオレも行こう。歩いて行くよりはずっと早いぞ」

 

 名乗り上げたのはアロエリだった。空が飛べる彼女の力を借りれば、ネロ一人で行くよりずっと早く全員に要件を伝えることができる。ネロに断る理由はなかった。

 

「ああ、頼む」

 

 そしてネロはリシェル、ルシアンのもとへ行き、アロエリはグラッドとミントに用件を伝えることにし、忘れじの面影亭を出て行った。

 

 

 

「なるほど、向こうにいたのか。通りでいつまで経っても来ないわけだ」

 

 クラウレから、ここに来るのにやけに時間がかかっていた理由がギアンのもとにいたからと聞いたネロは、若干の嫌味を込めながら言った。

 

 夜の営業後に話し合いの場を持つことを決めてから数時間後、フェアは約束通り客が途切れたのを見計らっていつもより早く店を閉めた。そしてリシェルやルシアンにも手伝ってもらい、食堂の片付けをして話し合いの場を整えたのだ。

 

 そして最初に説明されたのが、クラウレが今まで何をしていたのかということだった。

 

「でも、どうして向こうにつこうとしたんだ? あいつらは、お前の主だった守護竜を死に追いやった奴らなんだぞ」

 

「俺は、ずっと心の奥底で同胞を故郷に返してやりたいと思っていた。だからラウスブルグという手段があるにもかかわらず、それを隠していた先代にはどこかで不満を抱いていたんだ。それに気付かせてくれたのが、ギアン様だった……」

 

 既にここにいる者は全員、ラウスブルグの力を知っている。そのためクラウレもそれを前提に話をしているのだ。

 

 クラウレは当初こそ他の御使いと同じように竜の子が落ちたとされるトレイユを目指していたのだが、追手に捕らわれたのだ。そして連行されたラウスブルグでギアンに会って、同胞をメイトルパに返したいという己の真の願いに気付かされたのである。

 

 そしてその願いは、御使いである限り、先代の守護竜の意志を尊重しようとする限り、決して叶うことのないものだった。だからクラウレはそれを気付かせてくれ、メイトルパへ行きたがっているギアンに仕えると決めたのだ。

 

 たとえそれが、かつての主を、仲間を、妹を裏切る行為だったとしても、クラウレは同胞を返してやりたかったのだ。

 

「ギアン……。確か無色の派閥のクラストフ家の当主だね」

 

「ああ。……だが、そこで思いがけない事態が起こった。一人の男にラウスブルグは奪われたのだ。……もっとも俺はその時、追手との戦いで負った手傷が治っていなかったから、戦うことはできなかったがな」

 

「! バージルさんのことね……」

 

 その言葉に反応したミントが口を開くと、今度は逆にクラウレが目を見開いた。

 

「あの男のことを知っているのか?」

 

 どうやらクラウレはバージルがトレイユに来たことを知らないようだった。

 

「うむ。もっとも我らはこやつと違って、戦いはしなかったが……」

 

「…………」

 

 セイロンはバージルと唯一戦ったネロのことを見ながら言うが、当のネロは鼻を鳴らしてそっぽを向き、気付かないふりをしていた。

 

「……何か事情があるようだから、詳しくは聞くつもりはない。……話を続けるぞ」

 

 ネロとバージルが何か関わりがあることは分かるし興味あるが、今優先すべきはそれではないため、今は触れずに置くことにしたのだ。

 

「どうもあの男は御子さまの力がなくとも、城を動かせるあてがあるようだった。それを知った我らは、メイトルパへ連れて行って欲しいと頼み込むと、奴はそれを了承したのだ」

 

「ふーん、まあネロにも似たようなこと言ってたし、案外甘いのかもね」

 

 リシェルはそう言うが、実際はあくまで受け身だったクラウレの時と、自らネロに提案した時のバージルはまるで違うのだ。もっともネロに甘いと言うのはとうのバージル本人も自覚していたが。

 

「でも、それならどうしてここに来たの? 連れて行ってくれるって言うなら大人しく待ってればいいじゃ……」

 

 フェアの疑問まさしくその通りで、他の者も抱いていたものだった。

 

「俺もこれ以上御子さまを狙うことはないだろうと思っていた。だがギアン様はそう思わなかったのだ」

 

「そんな、どうして!?」

 

「ギアン様がなぜそう思ったかなど俺にはおよびもつかん。だが実際に俺はお前達の戦力の分析と、来たる最後の戦いにおいては御子様の身柄を拘束することを命じられたのだ」

 

 ルシアンの疑問に答えてクラウレはギアンから受けた命令を説明した。ギアンがこの二つの命令をクラウレに下したのは、御使いとしての立場を利用すれば、どちらもスムーズに進むと考えたからだろう。

 

 今でこそ、他の三人の御使いはクラウレが裏切っていたということに驚いてはいなかったが、最初に聞かされた時は誰も信じられなかったのだ。これはそれほどまでクラウレが深く信頼されていたという証明であり、ギアンはそれを利用しようとしたのである。

 

「……じゃあ、どうして命令に従っていないの?」

 

 ミルリーフがクラウレをはっきり見据えていった。手の内を曝すという行為は明らかにギアンに対する裏切りだ。ギアンに仕えると決めた男がする行為ではない。

 

「あなたの力がなくとも民の望みが叶うのであれば、無用な争いはせぬ方がよい。それだけです」

 

(クラウレ……)

 

 クラウレは努めて冷たく言い放ったが、セイロンには彼の心がよく分かっていた。

 

 クラウレは先代守護竜を死に追いやったギアンについたとはいえ、先代に対する敬意は嘘だったわけではない。だからその後継者たるミルリーフを争いに巻き込まずに済むのならそれに越したことはない。そう思っていたのである。

 

 しかし、同時に己が裏切り者であり、ミルリーフを利用することをよしとした自分が、それを口にする資格がないことも悟っていたのだった。

 

「その言い方じゃあ、向こうと完全に縁を切ったってわけじゃなさそうだな」

 

 ネロはこれまでの言葉遣いや表情、声色から、クラウレは完全に御使いとして戻ってきたわけではないと思ったようだ。

 

「……かもしれんな。変節漢と言われても否定できまい」

 

 メイトルパへ行くと目的は変わらない以上、先代の遺志を尊重するセイロン達とは相容れないのは自明だ。しかし同時に目的は同じでも、方法への考え方の違いから、ギアンに裏切りにも等しい行為をしているのだ。

 

「それでも今回はギアンの攻撃を阻止するという一点で合致した。今はそれでよかろう」

 

 実際のところ、バージルがラウスブルグを手中に収め、完全な稼働への道筋をつけた時点で、城の力を隠しておくという先代の遺志を守れる状況にはないのが現状だ。そのため、三人の御使いがミルリーフの身を守るのを最優先とするのは当然と言えた。

 

「もっとも、御子さまが兄者の持つ最後の遺産を継承すれば、それだけで済むかもしれんがな」

 

「そうですわね。彼らの攻撃の前に継承していれば、諦めるかもしれませんし」

 

 先代の至竜の力をよく知っているアロエリとリビエルは、楽観的に答えた。普通の人間は束になってかかっても、相手にならないくらい至竜の力は強大なのである。

 

「まあ、守らなくて済むのであれば気は楽になるな」

 

「でも、相手はいつ来るか分からないから、もし継承するなら早めにしなくちゃね」

 

 グラッドとルシアンが言葉を続けた。しかし、当のミルリーフの表情は暗かった。恐らく至竜になることへの不安でもあるのだろう。

 

「っ……」

 

 それを見て取ったネロはミルリーフの頭に手を置いて口を開いた。

 

「とはいえ、こいつも緊張してるみたいだ。心の準備もあるんだからすこしくらい待ってやれよ」

 

 ミルリーフはこれまでは粛々と継承していたため、多くの者が今回もそうだろうと考えるのは仕方のないことだ。しかしネロは、さきほどため池でミルリーフから不安を吐露されたばかりなのだ。今すぐ継承しろとは口が裂けても言えるはずがなかった。

 

「それに俺の預かった最後の遺産『守護竜の瞳』はギアン様の手にある。今すぐに継承するというわけにはいかないだろう」

 

 さすがにギアンもクラウレに遺産を持たせたまま、こちらに送り込むような真似はしなかったようだ。まあ、それを手に入れればすぐに継承することは予想できるから当然ではあるが。

 

「……うん。やっぱり今度の戦いも私達だけで勝てるようにしないとね」

 

 この話し合いが始まる前はフェアも、ミルリーフの安全を考えて早く継承させた方がいいと思っていたが、クラウレの言葉がなくとも、それはミルリーフ自身の意思を無視した形であったのに気付き、自省しながら言った。

 

「そういえば、さっき『最後の』って言ってたが、あれはどういう意味だ?」

 

 フェアの言葉に文句はなかったネロは、さきほどから気になっていたことをクラウレに尋ねた。彼はギアンから受けた命令を説明した際に、近くギアンが攻めてくることによって発生する戦いを「最後の戦い」と言ったのである。

 

 これはただ単にギアン達が次で決着をつけるという意気込みを表した言葉なのか、あるいはなんらかの制約があって次が最後とならざるを得ないのか、それぞれで大きく意味が異なるため、聞いてみたのだ。

 

「俺も詳しい理由まで知っているわけではないが……、どうもあのバージルという男から言われたようだ」

 

「ちょっと待ってくれ、確認なんだが、そもそもお前らはそのバージルって奴とどういう関係なんだ?」

 

 彼らがバージルに敗れてラウスブルグを奪われたものの、残留を認められたというのはさきほど聞いた通りだ。そのためグラッドは、ミルリーフを狙ってくるのはあくまで彼らの独断であると考えていたのだ。

 

 しかしそれが、バージルの指示によるものだった場合、話は変わってくる。先の一件ではミルリーフを狙ってはいないようだったが、最悪、今度はバージルが本気でミルリーフを狙ってくる可能性すらあるのだ。

 

 そうした考えがクラウレに伝わったのか、彼はまず結論から述べることにした。

 

「あの男の命令には従わなければならないが、これまで御子さまを狙った行動は我々の意思であり、奴はただ黙認していただけだ」

 

 その言葉を聞いて、ミントはあからさまにほっとしていた。バージルが命令していたわけではないことを確認出来て安心したのだろう。

 

 一呼吸おいてクラウレは続けた。

 

「だが、それは少し前までのこと。おそらく奴は中止命令か、それに近い命令を下したのだろう。だからギアン様は次の戦いに全てを投入するつもりなのだ」

 

 クラウレの言葉はあくまで想像のものではあったが、実際にあったことと比べても大きな間違いはなかった。このあたりの洞察力は御使いの長を務めていただけのことはある。

 

「ところで、昨日はそこまで話しませんでしたけど、向こうが全力を出すと言うことは、あの教授や将軍も出て来るんですの?」

 

 質問の形ではあったが、リビエル自身としてはレンドラーやゲックがギアンの指揮下である以上、その可能性は高いと考えていた。

 

「彼らの目的を考えれば、俺と同じようにもう戦う必要はないはず……」

 

「どういうことだ?」

 

 この件に関しては御使い達も事前に聞いていなかったため、はっきりクラウレにセイロンが疑問の声を上げた。

 

「剣の軍団も鋼の軍団も実質的にギアン様の配下だが、彼らが御子さまを狙うのはエニシアという少女のためだ。だから余計なことをせずとも、メイトルパには行けるはずなのだが……」

 

 クラウレは口にはしなかったが、その口ぶりから少女の目的もメイトルパに行くことだということは分かった。

 

「その子が、前にセイロンが言ってた姫ってことね」

 

 トレイユに来たばかりのセイロンが言っていたことをフェアは思い出した。その時以来、ほとんど話には出てこなかったが、そのエニシアという少女が形式上であっても、ギアンも含めた一団のトップなのだ。

 

「クラウレよ、その口ぶりからすると将軍達はギアンから何も聞かされてないのではないか?」

 

「……確証はない。しかしあの男と交渉していたのも、呼び出されて話をしていたのもギアン様一人だ」

 

 クラウレは断言こそしなかったものの、ギアンが意図的にバージルがラウスブルグを稼働させるあてがあるという情報を与えなかった、そう考えているということは言葉の端々から感じられた。

 

「そのあたりを心得て話せば、あるいは説得できるやもしれぬな」

 

 ギアンは将軍や教授を指揮下に置いていると言っても、それぞれの軍団員にまで命令できるわけではないだろう。つまりレンドラーとゲックさえ説得してしまえば、それだけで配下の軍団全てを無力化することができるのだ。

 

「あまり期待はせぬことだ。あの二人も簡単に信じる程愚かではないはずだ」

 

 忠告するように言う。レンドラーやゲックにとってこちらはあくまで敵なのだ。そう簡単に説得できるものではない。むしろ失敗することを前提に考えてもいいくらいだった。

 

「……ところ兄者、獣の軍団はどうなったんだ?」

 

 そこにアロエリが口を挟んできた。向こうの軍団は「剣」「鋼」「獣」の三つ。しかしクラウレは自分を追っていた獣の軍団のことは何も言わなかったため、気になったようだ。

 

「獣の軍団はあの男の襲撃時に正面から立ち向かって、ほぼ壊滅状態だ。獣皇も重傷を負っている」

 

「バージルさん……」

 

 ミントが呟いた。相手が悪魔とはいえ、彼女はバージルが戦ったのを間近で見たことがあった。まるで肩についた埃を払うかのように、表情一つ変えずに容赦なく斬り捨てていたのだ。きっとその獣の軍団も同じように殺されたのだろう。せめて苦痛のない死であったことを祈るばかりだ。

 

「ってことは、俺達が相手しなきゃいけないのは、その二つの軍団にギアン本人ってことでいいんだな?」

 

 ネロがこれまでの話から分かったことを確認する。分かっていたことだが、総数はこっちよりかなり多い。向こうも

 

「ああ、そうだ。以前ならギアン様直轄の暗殺者達もいたが、全てあの男に殺され、補充もしていないはずだ」

 

「それって、やっぱり紅き手袋の……」

 

 ギアンが無色の派閥を構成するクラストフ家の当主であることを知った時からその可能性は考えていたが、やはり紅き手袋との繋がりはあったようだ。もっとも、次の戦いではこちらの脅威にはならないようだが。

 

「っていうか、軍団一つに暗殺者を皆殺しか……。やっぱりとんでもないな、あの男……」

 

 バージルがネロ以上に強いというのは知っていたが、実際にやったことを聞くと背筋に冷たいものが走った。敵対していなくよかったとグラッドは心から思った。

 

「……それで、いつ頃仕掛けて来るの?」

 

 脱線しかかった話をフェアが戻した。向こうには時間的余裕があるとはいえないので、こちらも早めに準備を整えなければならないのだ。

 

「さすがに明日ということはないだろうが、遅くとも四、五日以内には動くと思う。時が来れば俺から伝えよう。お前達を戦いの場へ誘い込むのも俺の受けた命令だからな」

 

 クラウレの言葉を信じる限り、ギアンはトレイユに直接侵攻するという手段は用いないようだ。戦術面で見れば地の利がないトレイユへの攻撃は下策であるが、後々への影響や周囲の者に与える心理的効果を考えると、選択肢の一つではあるのは間違いない。

 

 しかし、もう後がないギアンにとってはその心理的効果に大きな魅力はなく、単純に有利な場所におびき寄せて叩くという基本に忠実なやり方になったのだろう。

 

「ふむ、兵を伏せるくらいはしてくるだろうな」

 

「いいさ。何か仕掛けてくるのさえ分かれば、いくらでも対処してみせる」

 

 セイロンは伏兵を警戒しているようだが、ネロはそうした突発的な事態への対処はお手のものであるため、たいして気にした様子はなかった。むしろ情報が洩れていることを知らないギアンの方が、ある意味で奇襲を受けることになるだろう。

 

 こうして、クラウレによって向こうの手の内を知ったが、それでも不測の事態は起こるということを、この時の彼らはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




この小説を投稿し始めてから丸三年が経ちました。ここまで続けて来られたのは読んでくれている皆様のおかげです。

三年経っても本作はまだまだ続きますが、今後もよろしくお願いします。



さて、次回は5月20日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。

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