Summon Devil   作:ばーれい

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第75話 宵闇の大捕物

 アロエリが起こした騒ぎも収まり、忘れじの面影亭には穏やかな夜を迎えてようとしていた。ブロンクス姉弟と出かけていたらしいフェアは、帰ってきてすぐ厨房で夕食の準備に取り掛かっている。

 

 シリカの森で取ってきたキノコや野菜などを使い、手際よくスープを作っているフェアに、ネロは今日の騒ぎについて話していた。その時は不在にしていたとはいえ、フェアも全くの無関係ではないため一応話しておくことにしたのだ。

 

 ちなみにその場にはミルリーフもいたのだが、疲れていたのかすうすうと穏やかな寝息を立てて眠っている。

 

「それにしても、随分大変だったんだね。リシェル達と出かけて正解だったかな?」

 

「笑いごとじゃねぇって、勘弁してくれよ……」

 

 それを聞いたフェアはくすりと笑いながら言った冗談交じりの言葉に、ネロは座っていた椅子の背もたれに体重をかけながら言う。

 

「不貞腐れないでよ。これでも私はネロに感謝してるんだよ」

 

「そうかい、そりゃなによりだ」

 

「もー、信じてないでしょ!」

 

 フェアの言葉をまるで信じてないような様子で適当に答えたネロの態度に、彼女は頬を膨らませながら怒りを露にした。

 

「これまで何度も助けてもらってるし、今日だってあいつらと戦ってくれたし……、口には出さなかったけど、嬉しかったんだよ」

 

 ネロに感謝していることを信じてもらえないのは悔しかったのか、フェアはその理由を口にした。とはいえ、素直に口にするのはやはり恥ずかしかったのか、少し顔を赤くていたが。

 

 それを聞いたネロは普段のような人を食ったような笑みではなく、優しげな笑みを浮かべながら言う。

 

「気にするな、俺が好きでやってることなんだ」

 

「う、うん……」

 

 そのネロの姿にフェアは、不覚にもどきりとしてしまい、俯いてネロから顔をそむけた。

 

 これまでは特に意識したことはなかったが、実際のところネロの容姿はかなり端正だ。整った顔立ちにフェアよりも銀色かかった髪。普段から愛想もなく皮肉屋な態度をとっていなければ、もっと多くの女性から好かれても不思議ではない。

 

「……どうした?」

 

 気恥ずかしさから彼の顔を直視できないでいるフェアを、不思議に思ったネロが立ち上がり声をかける。

 

「な、なんでもないっ、なんでもないから!」

 

 しかし近づこうとするネロを、フェアは顔の前で両手を大きく左右に振ってそれを遮る。

 

 その時のフェアの大きな声でミルリーフは目を覚ましたようで、二人を交互に見て尋ねた。

 

「パパ、ママ……喧嘩してるの……?」

 

 ネロはともかく、フェアはネロが近づくのを拒否していたため、見方によっては喧嘩しているともとれなくはない。

 

「あー、心配すんな、別に喧嘩なんてしてねぇよ」

 

「ほんとに?」

 

「ほ、本当よ! ただ、ちょっと……そう! 味見をしてもらおうと思って!」

 

「…………」

 

 いくらミルリーフを安心させるためとはいえ、言い訳ならもっともマシなものを考えろと、ネロは無言を貫きながらも心中で呟いた。

 

「ほ、ほら、味見して」

 

「おう……」

 

 フェアは自身の言葉が嘘ではないと証明するため、煮込んでいたスープを小皿にすくい、机越しに差し出した。ネロはそれを受け取ると一口で飲み込んだ。

 

「……うまいな」

 

 あまりおいしさを表現する言葉を持っていなかったネロは、ありきたりな表現で感想を言うしかなかったが、それは間違いなく正直な感想だった。

 

 フェアが作ったスープは、材料に野菜やキノコしか使っていないはずなのに、驚くほどの旨みが出ていた。それにおいしさもさることながら、どこか心に染み入るような優しい味でもあった。

 

「ほんとに?」

 

 感想を聞いたフェアが安心したように肩をなでおろした。さすがに料理で生計を立てている以上、人が食えないものを出すことはありえないが、それでも美味しいかどうかは不安だったようだ。

 

 初めて作ったということもあるが、材料も野菜中心のため、どうしても肉や魚を使った料理と比べ印象は薄くなりやすい。そこでフェアはあえて濃い目の味付けではなく、野菜が持つ甘さを活かした素朴な味にしてみたのだ。

 

 ネロの反応を見る限り、その選択は間違っていなかったようだ。

 

「嘘だと思うなら自分で飲んでみろよ」

 

「うん、そうしようかな」

 

 作る過程で味見は何度かしているが、完成形となってからはしてなかったフェアは、返された小皿を受け取ってスープを一口飲んだ。

 

(うん、ネロの言う通りいい感じ! ……あれ? これって間接……)

 

 スープはまさしくフェアが目指していたものとなっていたため、文句はなかった。しかし、ネロが使った小皿で自分もスープを飲んだという事実は、ようやく落ち着いてきたネロに対する意識を、思い出させるには十分だった。

 

「っ~!」

 

 赤くなる顔をネロに見られないように、そして一刻も早く心を落ち着けるためにフェアは、スープの入った鍋を無心になってかき混ぜる。その様子をネロは不審な目で見ていた。

 

「パパとママばっかりずるいよー! ミルリーフにもちょうだい!」

 

「え!? う、うん!」

 

 そこへミルリーフがカウンターまで来て声を上げた。本人にその意図はなかっただろうが、その言葉はフェアにとって助け舟となった。

 

 急いで小皿にスープをよそって渡す。ミルリーフは猫舌なのか、ふうふうと息を吹きかけ十分に冷ましてから、スープを飲んだ。

 

「おいしい! おいしいよ、ママ!」

 

「ふふ、ありがと、ミルリーフ」

 

 どうやらミルリーフの口にも合ったようで、嬉しそうに声を上げた。フェアも同じように答えた。

 

「ふむ、何やらいい匂いがするな」

 

「おう、そっちの話は終わったのか?」

 

 そこへセイロンが階段を下りてきた。ネロは挨拶代わりに片手を上げて、アロエリとの話が終わったのか尋ねた。

 

「はっはっは、全く骨が折れたぞ」

 

「だがその様子じゃあ、説得は上手くいったみたいだな」

 

 大仰に笑うセイロンにネロが尋ねた。苦労したのは事実のようだが、セイロンの顔からは疲れの色は見て取れない。むしろ苦労に値する結果を勝ち取れたと誇らしげだったため、上手く説得できたと思ったのだ。

 

「うむ、なかなかに……」

 

「ああ、ネロ、そこにいましたの。部屋にいなかったから出かけたのかと思ってましたわ」

 

 セイロンが説得した時の様子を離そうとした時、アロエリを連れたリビエルがネロを呼んだ。彼女が言うことも分からないことではない。ネロは食事やみんなで集まる時以外、食堂にいることは少ないのだ。

 

「そいつは悪かったな。……で、なんか用か?」

 

「ええ、きちんお礼を言いたくて。……と言ってもわたくしではなく、アロエリですけど……」

 

 そう言ってリビエルは隣にいる同僚の背を押す。そのおかげかアロエリは歩き出したが、どうもその足取りは重そうだった。ただ、少し前までの焦ったような雰囲気は消えていた。

 

「だいぶ落ち着いたみたいだな。よほどこってり絞られたか?」

 

「…………」

 

 軽口を叩くネロとは正反対にアロエリは無言だった。しかし何も喋ろうとしないわけではない。むしろ、どう言葉を出したか思い悩んでいるようだった。

 

「言っとくが、さっきのことに礼なんかいらねぇぞ」

 

 中々言葉を口にしないアロエリに、ネロが先手を打った。彼がアロエリを止めたのはミルリーフのためであって、彼女のためではない。そのため礼を言われる筋合いはないと思っているのだ。

 

「そ、そういかない! きちんと礼を言わなければオレの気が済まないんだ!」

 

 冷静になってみれば、勝てる見込みのない戦いに、守るべき御子を巻き込もうという、御使いの使命を蔑ろにした己の行いに、アロエリはひどく後悔していた。だからその時の自分を止めてくれたネロに礼が言いたかったのだ。

 

「……ああ、そうかい」

 

 めんどくせぇ奴だ、と愚痴りながら、ネロは半ば諦めたようにそう言った。こういった相手にいくら張り合っても疲労が溜まるだけだ。どうせこちらには害はないのだから好きにさせることにした。

 

「とにかく! さっきは助かった、礼を言う。……そ、それだけだ!」

 

 赤い顔をしながらアロエリはそれだけ言って、踵を返した。

 

「うん、それじゃあ仲直りもできたし、みんなでご飯にしよう!」

 

 そこへフェアの声が食堂に響く。どうやら作っていたのはスープだけではなく、夕食の準備も同時に進めていたようだ。舌を巻くほどの手際の良さだ。食事処としての忘れじの面影亭を実質的に一人で運営させているだけのことはある。

 

「善哉善哉、ちょうど腹も空いてきたところだ」

 

「ええ、いいタイミングですわね」

 

 セイロンもリビエルもフェアの料理を楽しみにした様子でテーブルにつくが、アロエリだけはその場に立ち止まったままだった。

 

 そこにミルリーフが歩み寄っていき、手を取りながら声をかけた。

 

「一緒に食べよ?」

 

「御子さま……」

 

 ミルリーフの言葉を聞いて逡巡した様子を見せたアロエリだったが、すぐ小さな声ではあったが「……はい」と迷いを振り切ったように答え、セイロン達が座るテーブルに座った。

 

 そしてフェア達は微笑みながら、アロエリという新たな仲間を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 同日、日がすっかり落ちて太陽から降り注いでいた光に代わり闇が地上を支配している頃、バージルは帝国の首都ウルゴーラにいた。

 

 帝都ウルゴーラは皇宮や元老院、軍学校が存在し、都市としての規模も帝国最大クラスのまさしく帝国の中枢というべき場所だ。

 

 その町並みは聖王都ゼラムより整然としており、都市計画に従い順調に開発・整備されてきたように見受けられる。聖王国や旧王国と比べれば歴史の浅い帝国が、今では他の二国に匹敵する国にまで登り詰めることができた理由が、このウルゴーラからも垣間見えるだろう。

 

 しかし同時に、些か画一的すぎる点も見受けられ、見る者に殺風景な印象を与えるのも帝都の特徴だった。このあたりは、町並みから都市の歴史と伝統を感じさせるゼラムとは正反対だ。

 

 バージルがいたのはそんな帝都ウルゴーラの近郊部だ。この辺りは中心部に住むことのできない低・中所得者が多く住む地域であるため、近くの歓楽町もそうした者を狙った比較的リーズナブルな店が多いのだ。

 

「やはり帝都に奴らの拠点があるとはな。灯台下暗しとは言うが……」

 

「その様子なら、奴の情報は正しかったわけか……」

 

 歓楽町の端に作られた帝国軍の駐在所でバージルと話していたのは、帝国軍初の女性将軍として有名なアズリアだった。

 

「その通りだ。……もっとも、その内の一つについてはこちらでも相当の疑いがかかっていたらしいが……」

 

「なんであれ、後は最後の詰めだけだ。しくじるなよ」

 

 バージルがここでアズリアと話しているのは、偶然の積み重なりが原因である。

 

 そもそも彼が帝都にいるのは、試運転のつもりでラウスブルグを動かしたのが始まりだった。

 

 ラウスブルグは世界の移動だけでなくただ城を動かすだけでも膨大な魔力が必要になるのだが、ギアンがサモナイト石を魔力へ変える術を持っていたため、今回はそれを利用することにしたのだ。

 

 そうして移動先が帝都になったのが一つ目の偶然であり、二つ目はそこでアズリアと会ったことだった。

 

 ギアンから彼の知る知識の提供を受けたバージルだったが、その真偽について、特に無色の派閥や紅き手袋の拠点の情報については、強く疑念を抱いていたのだ。

 

 そのためバージルは、ギアンの情報が正しいか確認してみようと考えたのである。殊に現在のアズリアは国境警備部隊だけでなく、父の跡を継いで無色の派閥や紅き手袋を取り締まる部隊を率いていた。彼女はバージルの知る中で真偽を確かめるのに最も適した人物なのだ。

 

 そうしてアズリアの持つ情報と照らし合わせてみると、あっさりとギアンの情報は信頼性の高いものであるわかった。そしてそのついでに、帝都の拠点を全て潰そうと二人は考えていたのである。

 

 もののついでという軽い流れで潰されるなど、無色や紅き手袋にとってはたまったものではないだろうが。

 

 もっともアズリアは、バージルが来ていなかったとしても、近いうちに一斉摘発を行う予定だったため、結局のところ、早いか遅いかの違いに過ぎないのだが。

 

「分かっている。もうじき三つの拠点すべてに兵の配置も完了するはずだ」

 

「数が足らないという話だったが、あてはついたのか?」

 

 最初に聞いた話によれば、アズリアが動員できる戦力では全ての敵拠点の周囲に兵士を置くことはできないということだったが、彼女の口振りでは解決したように思える。

 

「そうだ。自由騎士団の連中が、手を貸してくれてな。……聞けばお前のことも知っているらしい。後で顔でも見せてやったらどうだ?」

 

 自由騎士団とはマグナやトリスの仲間の一人であったシャムロックが、聖王家の後ろ盾を得て創設した、使える主を持たず人々を守るために戦う騎士団のことだ。当然、破壊活動を行う無色の派閥や、それと協力関係にある紅き手袋とは敵対関係にある。

 

 そしてその自由騎士団には、シャムロックだけでなくバージルの知る者も何人か在籍しているので、アズリアが言ったのはその誰かのことだろう。

 

「嫌でもこれから会うことになる。その必要はない」

 

「まあ、いまさらお前が戦うことについては何も言わんが……、せめて周りへの被害は出来る限り抑えてくれ」

 

 この制圧戦にはバージルも参加するつもりだった。別に包囲する人員が足りないという話を聞いたからというわけではなく、単純に暇つぶしを兼ねた情報収集をしようという考えに基づいたものだった。

 

 ただ、それを心配しているのがアズリアだった。もちろん心配とは言ってもバージルの安全などではなく、周囲への被害だ。五年ほど前の悪魔との戦争で、アズリアが見たような戦いを帝都でしようものなら、想像するだけで恐ろしい被害が出てしまうだろう。彼女としてはそれだけは避けたかったのだ。

 

「もとより無駄な破壊は好まん。不要な心配だ」

 

 心外だ、とばかりにバージルは鼻を鳴らしながら席を立った。やろうと思えばアズリアが想像したようなことも容易いが、そもそもバージルは合理主義者だ。不要な被害を出すつもりはなかった。

 

 そして臨時指揮所に定めた駐在所を出て行くバージルを見送ったアズリアのもとに、配置完了の報せを受けた兵士が到着した。

 

 それは、作戦開始が秒読み段階にあることを示している何よりの証だった。

 

 

 

 いくら帝都ウルゴーラが大きな都市とはいえ、一つの都市に複数の拠点があることは非常に珍しいことである。とはいえ、派閥や紅き手袋にとってもこうせざるを得ない理由があるのだ。

 

 それは悪魔が現れるようになったことだった。

 

 かつては無色の派閥も紅き手袋も、人里離れた場所に拠点を持っていた。しかし、その中の大半を占める小規模の拠点は悪魔に対抗できるような戦力は備えておらず、実際に悪魔の餌食となった事例も少なくなかったのだ。

 

 そのため組織の立て直しにあたり、都市部の拠点への集約化を進めたのである。これならば騎士や軍人が勝手に悪魔と戦ってくれるため、悪魔への防衛戦力を準備しなくて済むが、同時にリスクもあった。

 

 それは集約し大きくなった拠点が落とされると、その損害も影響も大きくなることである。

 

 これについて、苦肉の策として立案されたのが、同一都市内に複数の拠点を置くことだったのだ。それにより、拠点陥落のリスクを減らすことができたのだが、逆をいえばそれだけ人目に触れる機会も多くなるため、騎士や軍人にはこれまで以上に注意を払う必要があったのだが。

 

 もっとも、そうして整えられた帝都の拠点も今や風前の灯火であった。

 

「へぇ、こっちから来たんだ」

 

「イスラか、お前もいたのか……」

 

 自身の担当する拠点の近くへ来たバージルを迎えたのは、数年ぶりに会うイスラだった。彼もアティと同じく、魔剣紅の暴君(キルスレス)を持っているせいか、容姿は最初に島で会った時から変わっていない。

 

「姉さんが国境とこっちを行ったり来たりでまともに指揮を取れないから、僕が代わりを務めているだけさ」

 

「……そうか」

 

 バージルは興味もなかったのでそれ以上は聞かなかったが、実のところイスラが率いている部隊も、その実質的な指揮官であるイスラを除いて、帝国軍に所属しているわけではなかった。

 

 部隊の方は無色の派閥など国家間で暗躍する組織を、取り締まる目的で一年ほど前に設立されたばかりであり、その構成員には蒼の派閥の召喚師や元聖王国の騎士だったものもいたのだ。イスラが居なければ帝国の一部隊とさえ認められないよう構成だったのだ。

 

 しかし、そこからも分かるように、内情は聖王国と帝国の合同部隊と表現して差し支えないだろう。

 

 もっとも当然のことながら、それを指摘されても聖王国は無関係を貫き通すだろうが。

 

 帝国軍上層部はそんな部隊の存在を、当初は認めたがらなかった。しかし、先の戦争で悪魔を撃退した英雄であり軍の名門レヴィノス家の出身であるアズリアと、その弟でレヴィノス家の長男であるイスラの二人が指揮官であること、そして少し前に設立された自由騎士団の活躍が帝国でも知れ渡るにつれ、その存在が持ち上げられるとともに、帝国軍への信頼が揺らいでいることもあり、その活動を認められたのだ。

 

「そんなことより、ここは全部任せちゃっていいんでしょ?」

 

「ああ。余計なことはするな」

 

「はいはい、それじゃ、こっちは――」

 

 イスラの言葉を遮るように、月を隠している暑い雲を切り裂くような光線が断続的に発射された。ちょうどバージルが来た方向からだ。

 

「開始の合図……」

 

 ぼそりイスラが呟くのと同時に、バージルはその場から姿を消していた。

 

 それと同時に目的としていた拠点が炎に包まれた。いきなり建物全体を包み込むように炎が現れたのだ。明らかに普通の炎ではない。

 

(これで逃げ道はない、楽なものだ……)

 

 それを発生させたのはバージルだった。炎獄剣ベリアルを使い、ゼラムで悪魔が現れた時に使ったような炎の壁で全体を包んだのだ。

 

 この炎は炎獄の覇者が纏っていた炎と同質のものであり、質量を持ち合わせた炎なのである。大抵の生物は触れるだけで跡形もなく燃え尽きるだろうし、仮に熱に耐えられても質量で阻まれ、抜け出すことはできない非常に厄介な性質を持っているのだ。

 

 しかしそんな炎も、主を阻むようなことはしない。バージルは悠々と炎の中をくぐり抜け、建物の中に入った。

 

(やはり幹部もおらず、雑魚も少ない……、さっさと片づけるか)

 

 ギアンからの情報によれば、ここは紅き手袋の拠点となっている。しかし、どうやら幹部はいないようだった。

 

 紅き手袋の幹部の多くは普通の人間とは異なる魔力を持っている。亜人や鬼人などの類なのか、あるいは召喚兵器(ゲイル)や融機強化兵のような一種の改造人間かは不明だが、少なくともただの人間ではないのだ。

 

 実際にゼラムで殺した毒笑婦(ヴェノア)を始め、バージルがこれまで始末してきた幹部もそうだった。要は、そういった特殊な魔力の持ち主がいなければ紅き手袋の幹部はいないと判断して間違いなかった。

 

 そんなことを考えている間に、建物の中にいた構成員たちは全員息絶えていた。バージルは一歩たりとも動いていないし、ベリアルも振るっていない。全て幻影剣で始末したのである。バージルがいるこの部屋には誰もいないが、他の部屋に行ってみれば、いくつもの刺殺された死体が転がっていることだろう。

 

「…………」

 

 踵を返すと同時に建物を囲っていた炎の壁が消失する。もう逃げる者もいないため、不要になったのだ。そしてバージルは入ってきたと同じように、悠々とエアトリックで出ていった。

 

「全て片づけた。後は任せる」

 

 そして入った時と同じようにイスラの横に姿を現すと、それだけ言い残してバージルはその場を去って行く。まだ作戦が開始してからほとんど時間は経っていない。もし他の拠点に幹部がいても今から向かえば間に合うと考えたのだ。

 

「了解了解」

 

 もうバージルのやったことには驚かなかったイスラは一言返事すると、バージルのしたことに驚きを隠せないでいる部下達に手で合図した。ただでさえ、バージルの出した炎の壁で目立ったのだ。大声を出して、これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかない。速やかに撤収する必要があった。

 

 イスラは頭の中でそれまで段取りを整理していた。

 

 

 

 バージルが次に訪れた拠点は、先ほどより二回りほど大きな四階建ての建物だった。そしてそれを囲んでいるのは、装備から見て帝国軍ではないようだ。おそらくアズリアが言っていた自由騎士団の者達だろう。

 

 一応、帝都に来ている騎士はバージルのことを知っているという話だったが、少なくとも周囲を囲んでいる騎士にバージルが知っている者はいなかった。あるいは既に中に突入したのかもしれない。

 

 バージルは建物に視線を向けると、その中に一つだけ人間とは異なる魔力を感じた。四階建ての最も高いところからだ。

 

「……ここは当たりだな」

 

 口元を僅かに歪めながら言った。その魔力はおそらく幹部のものだろう。つまりここは、帝都にある拠点の中でも中核と呼べる拠点なの。それだけに、ここにあるものを全て、そのままの状態で手に入れたいところだ。万が一、燃やされてしまったのでは目も当てられない。

 

 したがって、余計な時間など与えずに始末するしかないのだが、感知した魔力で判断する限り、突入した騎士達の大半は一階で戦っている。一部の者こそ二階まで進んだようだが、やはりそこで戦闘になって先に進めないでいるようだ。

 

 彼我の戦力差からこのままでも多少時間はかかっても最終的に制圧こそできるだろうが、紅き手袋の重要な書類は処分されてしまう可能性が高い。一刻も早くそれを抑えなければならなかった。

 

「…………」

 

 そう判断したバージルの動きは速かった。即座に閻魔刀を使い次元斬を幹部がいるところへ叩き込む。それが終わるのとほぼ同時に、その場へ向かうべく大地を蹴った。

 

 もちろん目的の場所は建物の中であるため、壁が行く手を阻むのだが、ギルガメスを装着したバージルは事もなげに左腕を壁に叩き付けた。

 

 当然、壁は打ち砕かれ、大小に分かれた残骸はまるでスポンジのように軽く部屋の中に飛び散っていく。そうした破片は吹き飛ぶ様子こそほとんど質量を感じさせないが、その実、相当の重量を持っていた。それはさほど大きくもない破片が頭部に直撃した一人の暗殺者が、背後の壁に真っ赤な血の花を咲かせたことからも明らかだった。

 

 しかし、いまだ部屋の中にいる十人ほどの者達は、幹部が殺されたことをすら理解することはできていなかった。それほどの刹那の間に起こったことだったのである。そして彼らはそのまま、自分の身に何が起きたかすら分からぬまま死んでいったのだ。

 

 バージルは部屋の中に突入した時には既に幻影剣を放っており、着地した時点では全ての暗殺者に魔力の刃が突き立てられていたのである。

 

「Humph, Too easy...」

 

 バージルは呟く。そして物言わぬ死体だけが散乱している部屋の中を見渡した。とりあえず燃え跡のような何かを処分した後はない。どうやら彼らが余計なことをしでかす前に始末できたようだ。

 

「……先に下の奴らを片づけるか」

 

 それでもこの建物の全てを制圧できたわけではない。他の場所にも機密文書がある可能性は捨てきれないため、まずは階下で自由騎士団と戦っている者を始末することにした。

 

 彼がそう決断したことで図らずも紅き手袋は、降りていくバージルと、上がっていく騎士団に挟撃される形になったのだ。ただでさえ騎士団に圧されているのだ。正直たまったものではないだろう。

 

 バージルはほとんど人のいない四階と三階を悠然と進み、二階まで降りていく。そこで戦っている騎士の数は最初に感知した時より多くなっているようだ。それだけの騎士がこの建物に突入したということだ。

 

 双方の声と打ち合うような金属音が響く中、バージルは手近な者を閻魔刀で斬り伏せながら進んでいた。さすがに騎士を殺すつもりはないため、目視できる場所以外では幻影剣を放つような真似はしていない。その代わり、閻魔刀の冷酷無比な刃が血飛沫を上げていた。

 

「なるほど、俺を知っているというのは奴のことか……」

 

 長い廊下でまた一人敵を両断したバージルは、その奥で見知った者が剣を振るっているのが見えた。間に何人もの敵がいるが、あの格好といい、身のこなしといい、数年前に会ったルヴァイドに違いなかった。確かに彼なら自分のことを知っていてもおかしくはない。

 

(とりあえず廊下にいるのさえ斬れば終わったようなものか)

 

 かなりの人数がいたこの拠点も、現在、戦っているのはこの廊下にいる者達くらいで、後は逃走する者が何人かいるだけだった。

 

 そのためバージルは戦いを終わらせるべく、閻魔刀を構えて一気に廊下を駆け抜けた。

 

 すれ違いざまに斬撃を叩き込まれた敵は、バージルが最後に閻魔刀を鞘に納めた瞬間、いくつかの肉片に分かれて大量の血液をあたりにまき散らした。

 

「なぜ、ここに……?」

 

 その段になって、ルヴァイドはようやくバージルに気付いたらしく、いつも冷静沈着な彼らしくない驚きの声を上げた。

 

「……上の奴らは片づけた。後始末は任せる」

 

 しかしバージルはその質問には答えず、これより先にあるのは死体のみであることを伝えた。

 

 ルヴァイドは、バージルが自分達にも気付かれず上まで行ったのか不思議に思ったが、すぐにその考えを打ち消した。これまでの数少ない邂逅から、この男には常識が通じないことを知っていたのだ。

 

「ああ、後は任せてもらおう」

 

 もとよりここの制圧はルヴァイド率いる騎士に任されていたのだ。それはバージルが介入しても変わりない。むしろ、その介入によってこちらの被害が減り、迅速に制圧できたことを鑑みれば、歓迎こそすれど非難する必要はないだろう。

 

「ルヴァイド様。一階の制圧、完了しました」

 

 そこに年若い騎士を従えたイオスが現れた。その言葉を聞く限り、今もルヴァイドの副官をしているのだろう。

 

「なら作戦終了だ。……こちらの被害は確認できているか?」

 

 まだ上の階が存在するにもかかわらず、作戦の終了を宣言したルヴァイドに一瞬、訝しむような視線を向けたイオスだったが、近くにいたバージルの姿を見て、ルヴァイドが宣言した理由を悟り、頭を切り替えて彼の質問に答えた。

 

「負傷者は複数名いますが、現在のところ死者はいません。おって詳細を報告いたします」

 

 打てば響く答えを聞いてルヴァイドは頷いた。数の上ではこちらの方が圧倒的で、奇襲に近い攻撃だったとはいえ、狭い室内での戦闘だったのだ。戦死者がいないだけで御の字といったところだろう。

 

 そしてイオスの側に控えていた少年にルヴァイドは声をかけた。

 

「アルバ、お前は休んでいても構わんぞ」

 

 アルバはまだ騎士となって日が浅く、他の騎士と比べても実戦経験も少ない。自由騎士になる前から、旧王国最大の軍事都市デグレアの「黒の旅団」の指揮官として活動していたルヴァイドやイオスと比べれば雲泥の差だ。

 

 そのため身体的にも精神的にも疲労が溜まっていると考え、そう提案したのだ。

 

「大丈夫です! おいら、疲れていません!」

 

「そうか……、ならこれまで同じく、イオスについていろ」

 

 アルバは、サイジェント騎士団から指南役として招かれたレイドと共に自由騎士団に所属した見習いだ。彼を預かったルヴァイドはイオスのもとに配置し、騎士としてのありようを学ばせていた。

 

 イオスは優秀な騎士であると同時に、元は帝国の親衛隊に所属しており、各種作法にも通じている。師事する相手としてはこれ以上の適任はいないだろう。

 

「はいっ!」

 

「ならば、動ける者を集めろ。それとゼルフィルドも呼んで来い」

 

 大声で返事をしたアルバはイオスの命令に従い、騎士を集めるため駆け出した。

 

 ゼルフィルドは建物に突入せずに、周囲を固める騎士の指揮を執っていた。だが、もはや敵の逃亡を心配することはないため、呼び戻してその能力を上の階の調査をする際に役立てようと考えたようだ。

 

「……それでは、後は我々に任せてもらおう」

 

 ひと段落ついたところでルヴァイドが言った。

 

「任せる。……だが、上にある書類や本の類は全て回収しておけ」

 

 バージルにはこのまま上に戻り自分で調べるという選択肢もあったのだが、結局は情報さえ得られればいいのである。そのため、後で書類や本自体を提供させればいいと思い直したため、必要なものの回収だけ命じることにした。

 

「なぜだ?」

 

「ここには幹部らしき奴がいた。重要な情報を持っている可能性がある」

 

「なるほどな……、了解した」

 

 バージルの言葉で疑問が氷解したルヴァイドは、イオスに視線を送り無言で命令を下した。

 

(念のため、あの女にも言っておくか……)

 

 それを受けたイオスが大きく頷いたのを見ながら思考する。今回の作戦はアズリアの指揮の下で動いていたものの、自由騎士団は全く別個の組織だ。そのためルヴァイドに伝えたとしても、彼が自由騎士団に言われたことだと判断して、アズリアに伝えない可能性があった。

 

 それにバージルはラウスブルグを居城として、当面の間は帝国にいるため、アズリアから情報等を受け取れるようにした方が楽なのだ。そのためには、今の内にアズリアへ話を通しておく必要があるだろう。

 

 そう判断したバージルは、ルヴァイド達の横を抜けアズリアがいるだろう臨時指揮所へと向かって行った。

 

 どうやら彼がラウスブルグへ戻るのはもう少し時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




大捕物(ただし生存者は少数)



さて、次回は3月25日(日)の投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。

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