大悪魔ベリアルが引き起こした人と悪魔の戦いから二年。最も大きな被害を被った聖王都ゼラムは既に往時以上の賑やかさを見せていた。破壊された家々は再建され、焼き尽くされた導きの庭園にも新たに草木が植えられて以前と変わらぬ美しさを取り戻している。
しかし、ベリアルによって破壊された城だけはその限りではない。一部はようやく再建のための工事が始まったものの、まだ大半は無残な姿を晒したままだった。
これは聖王が民のことを考えて居城の修復より、ゼラムの街の修復を優先するという判断を下したためだった。
そのゼラムへバージルとアティは二年ぶりに訪れていた。
「もうすっかり元通りですね」
「あれから二年だ。よほどの無能でなければ当然だろう」
再興された街並みを見て自分のことのように嬉しそうに言ったアティにバージルは皮肉るように答える。彼の言葉からは若干冷たさを感じるかもしれないが、本人にそんな気はなく、アティも全く気にしていない様子だ。むしろこの二人にとってはこれが普通なのだろう。
あの戦いから二人の関係は変わった。リィンバウムには人間界における入籍のような社会的にも明確な線引きはないため、恋人か夫婦かを断じることはできないものの、そのような関係であることは当人たちも自覚しているところだった。
それは二人が自然と腕を組んでいることからも見て取れる。実際はアティがバージルの腕を抱きしめているような状態なのだが、あのバージルがそれに何も言わないのだから、実質的にその行為を認めているのと同義だろう。
「もう少し時間ありますよね? 少し寄って行きませんか?」
アティは導きの庭園を見ながら提案した。二人はこれから尋ねるところがあるのだが、まだ昼前で時間の余裕もあり、せっかく二年ぶりに来たのだから寄ってみたくなったのだ。
バージルも特に反対する理由はなかったので「構わん」と答え、庭園に行くことにした。
「もうポムニットちゃんも着いたでしょうか?」
庭園のベンチに並んで腰掛け、途中で別れたポムニットのことを話した。
「早ければ今日か明日にも着くだろうな」
今回のゼラムにはポムニットは同行していなかった。帝国に着くまでは同じ船に乗っていたが、彼女はそこで降りて友人のミントが派閥の任務で赴任した帝国のトレイユという町に向かったのだ。
しかし実際のところ、ポムニットは二人と一緒に行くことを遠慮したのだろう。今回のゼラムへの旅は、これまでのようにバージルとポムニットで行くはずのものだったのだが、せっかく関係が進展したのにバージルとの時間を取れないアティのことを不憫に思った島の者たちによって、半強制的に彼女の同行が決まったのである。
ポムニットはそれを分かっているからこそ、あえて同じ友人に会いに行くという用事を作ったのだ。
「……あの子にも気を遣わせちゃったんですね」
「……だろうな」
二人はポムニットや島の者たちにも気を遣われていたことには気付いていた。それでもアティがそれを受け入れたのは、やはりバージルと二人きりのという状況に憧れに似た想いを抱いていたからだった。
「みんなには悪いって思いますけど……」
アティはそこで言葉を切って、左に座るバージルの肩にこてんと頭を乗せ、寄りかかる。両腕はさきほどと変わらずバージルの右腕を体の前で抱きしめたままだ。
「こういうの、好き、です」
決してアティは島での暮らしに不満があるわけではない。自分にとっての天職だと思える教師の仕事をしながら好きな人とともに暮らしているのだ。不満などあるはずもない。
それでも、こうして二人きりでゆっくりと過ごすのは、いつもとは一味違った幸福を味わうことできるため、アティとしても文句はなかった。
「……そうか」
傍からはいつものような抑揚のない声に聞こえるが、アティにとってはそこに込められた感情を読み取ることは難しくない。
「バージルさん」
バージルの感情を読み取ったアティは彼の名前を呼び、腕を一段と強く抱きしめる。もし彼女に犬の尻尾がついていれば、今頃すごい勢いで振っていることだろう。
そもそも、バージルは普段の寡黙さやポーカーフェイス、さらには戦いでの容赦のなさのせいで、冷徹非情と見られることが多い。もちろんそれは一面の真実ではある。彼は情を排した判断を下せる合理主義者であり、妥協を知らない完璧主義者でもあるからだ。
しかし、テメンニグルでの一件では弟ダンテと感情剥き出しの戦いを繰り広げたことからも分かるように、このバージルという男は特定の相手には直情的な一面もある。さすがにあれから年月を重ねたこともあり、己の感情を誰にも分かるような形で出すようなことはないが、彼にとって特別な存在であるアティに対しては感情を見せることは少なくなかった。とはいえ、大半は今のようにアティくらいしか気付かないような形でだが。
そしてそれは二人にとって予想外にいい結果をもたらしていた。
アティは自分より他者を優先する傾向がある。献身的と言えば聞こえはいいが、結局は自分を削る行為にほかならない。しかし、バージルから自分を想うストレートな感情をぶつけられたアティは、彼に甘えてもいい、強がらなくてもいい、我慢しなくてもいいのだと気付いたのである。
普段はアティが献身的にバージルに尽くし、時にはバージルがアティを甘えさせる。その関係が二人には思いのほか合っていたのである。
導きの庭園で二人の時間を堪能した後、二人は再建中の城の前の広場にいた。今回の旅の目的である蒼の派閥が作成した二年前の戦いのまとめた報告書を受け取りに来たのだ。ちょうど昼時の広場には、城の修復に携わっている者たちをメインターゲットに見据えた屋台がいくつか出ており、さながら小さな市場の様相を呈していた。
派閥は二年前の戦いが終結した時からベリアルの一件、そしてその裏で暗躍していたレイムについての調査、編纂作業を続けていたのだが、それが最近になってようやく最終的な報告書が完成したとの連絡を受け、ここまで来たのだ。その報告書は最高機密とまではいかないまでも機密文書には相違ないため、島まで送ることはできず、それを受け取るためにゼラムまで足を運ぶ必要があったのである。
バージルはベリアルの一件はもちろんのこと、レイムの件にも多少ながら関わっていたため、やはり彼の性分として全てを知っておきたいと考えていたのだろう。
「それにしても随分時間がかかったんですね」
待ち合わせ場所に指定された城の前の広場で待っている間、アティはバージルに話しかけた。二年もかかるほど大変な作業だったのかと、少し驚いている様子だった。
「原因はレイムの方にあるだろうがな」
ベリアルの方はサプレスで戦力を整えてからこのリィンバウムに姿を現したということは既に分かっている。サプレスでの過程を調査することは難しいため、そちらの一件についてはリィンバウムにおける戦いに関する記述が主となることは想像がつく。それなら生存者も少なくないのでこちらの編纂作業は難しくはないだろう。
しかしレイムの方は、バージルが知る限り二十年近く前から暗躍していたはずだ。それにデグレアの元老院がまるごと屍人と化し、操られていたことも鑑みるとかなり大きな規模だ。それほどの一件を調べ上げるのは相当な難事に違いなかっただろう。少なくともベリアルの方とは比べものにならないくらい厳しかったに違いない。
「そのレイムっていう人、悪魔なんですよね? 何を企んでいたんですか?」
バージルもポムニットもレイムと会ったことはあるが、アティだけは一度もなかった。話だけは以前にバージルから聞いてはいたのだが、それでも聞かされたのは行動だけであり、その目的はいまだに分からなかったのだ。
「さあな。どうせ、世界を支配するとか、その程度のことだろう」
バージルは適当に答えた。随分と手の込んだことをやっていたのだから、それくらいのスケールはあるだろうと勝手に考えていたのだ。
「世界の支配、ですか……」
言葉を繰り返す。どうもスケールが大きすぎてイメージがつかめない様子だ。そもそもそのレイムは、片手で数えるくらいとはいえバージルと会ってその力を見せつけられたはずだ。にもかかわらず時機を窺わなかったのはなぜだろうか。寿命がないに等しいサプレスの悪魔であるなら、機を待つという選択肢もあったのではないか。それともどうしても待てないという理由があったのだろうか。アティにはそんな疑問が浮かんでいた。
そんなことを考えていた時、心中で浮かんだ「寿命」という言葉で少し前から考えていたことを思い出した。
「……あの、少し気になったことがあるんですけど、バージルさんって寿命は……」
いきなり話が飛んだように思ったが、バージルはアティの気にしていることが理解できた。それは彼の寿命のことだ。彼女自身は
しかし、半人半魔であるバージルの寿命がどれくらいのものか想像もつかないだろうし、彼自身も彼女にそんな話をしたことは一度もなかったため、アティは今からいずれが逃れられない別れが訪れるかもしれないと思っているのかもしれない。
「俺は悪魔として生きることを選んだ。今さら寿命で死ぬわけがないだろう」
しかし、バージルにとっては愚問だった。半人半魔であるから単純に考えれば悪魔のように不老ではないと思えるが、彼の考えは違った。バージルは選択によって変わると確信していたのである。そのため、悪魔として生きることを選択し続ける限り寿命などないのだ。
反対に弟のダンテは、テメンニグルでの言葉を聞く限り、悪魔として生きることはないだろう。半人半魔として持って生まれた力を自覚しつつも、最終的に弟は人としての終わりを望むだろう。バージルが人の心と力を併せ持った悪魔だとすれば、ダンテはその正反対の存在と言えるのだ。
「……少なくともお前よりは生きるさ」
バージルはさきほどの言葉に付け加えるように言う。決して不死身というわけではないが、今の彼とまともに戦える存在は全ての世界を含めても片手の指で足りるだろう。そもそもバージルは自分が誰かに敗北するなど、魔帝を含めたとしてもありえないと考えていたのだ。
「約束ですからね。……ずっと一緒、ですよ?」
「お前が死ななければな」
冷たい言葉のようにも取れるが、実のところバージルの言葉は死ぬまで一緒にいると宣言しているのに等しかった。
それから少しの間待っているとようやく目的の物を持った人物が現れた。
「あら? もしかしてもしかして待たせちゃったりする?」
「まあ、少し遅れちゃいましたからねぇ」
現れたのは酒の匂いを漂わせたメイメイと、にこにこと笑顔を浮かべているパッフェルだった。パッフェルの手には鞄のようなものが下げられていた。
「二人で持って来るか、随分と厳重なことだな……」
メイメイもパッフェルも蒼の派閥に所属している召喚師ではなく、総帥のエクスと関わりのある人物なだけだ。しかし逆に、その二人が持ってきたということは、この書類に関してある疑念が浮かんでくる。
「にゃはは。まあ、そう思うのは当然よねぇ」
「これが総帥から預かってきたものです」
へらへら笑うメイメイとは真逆に、パッフェルは至極真面目な顔で、鞄から書類の束を取り出してバージルに手渡した。
「てっきり派閥の人間が持ってくると思っていたが……」
「それがね、派閥は今も人手不足なのよ。……二年前の戦いで国を動かしていた人も犠牲になったでしょ。だからその穴を埋めるために派閥も召喚師を出向させているのよ。だからこんなお使いみたいな仕事を任せる人がいないってわけ」
ベリアルに破壊された城には、当時、政務に携わっていた者がおり、彼らの多くは城の崩壊に巻き込まれ命を落としたのだ。それによって発生した人的損失は蒼の派閥や金の派閥からの人的支援によって補われていたのだが、二年たった今でもまだ続いているようだ。
「……それだけが理由とは思えんな」
ぺらぺらと報告書を流し読みしながらバージルが呟く。それに書かれていた記述には手書きで補足されたような箇所がいくつか見られた。バージルに渡すことを承知のうえで書き込んだのだから、それを行ったのはエクスあたりに違いない。
そして配達役にパッフェルを、そしてメイメイまで同行させたのは、万が一にも報告書が奪われることがないように、という考えがあったのかもしれない。
「さあ? メイメイさん頼まれただけだから」
「あはは、私も答えは差し控えさせていただきます」
しらを切っているのか、本当に知らないのか判断に困るメイメイの態度だが、乾いた笑いを漏らしたパッフェルは何か知っているのかもしれないと思われるような態度だ。バージルを相手に隠し通せる自信がないのかもしれない。
「……まあいい」
しかしバージルは、それ以上に追及の必要性はないと判断した。誰がどんなことを書き込んでいようと、最終的に判断するのは自分自身なのだから問題はないと考えたのだ。
(…………)
そんな時、アティはバージルの隣でパッフェルのことを見ていた。アティがパッフェルと会ったのは、まだ彼女がヘイゼルと言う名の暗殺者だった二十年近く前のことだ。無色の派閥と共に島に来たものの、バージルによって意識を失い、派閥に見捨てられた彼女は半ば自暴自棄になっていたのだ。
一応、スカーレルやウィゼルの協力もあって、そうした考えを改めさせることができたと思っていたし、二年前にゼラムに来た時にも、バージルからパッフェルについて話を聞いていたのだが、やはりこうして直に会ってみると改めて安心できた。
(……よかった)
少なくともパッフェルが以前のような境遇にないことを悟ったアティは心中で息を吐いた。
しかしアティは自分からパッフェルに声をかけることはしなかった。あれからもう二十年経っているから、もう覚えていないだろうと思ったのだ。それは寂しくもあったが、同時に彼女が前を向いて生きていること証でもあるだろうと思った。
「あの、アティさん、ですよね……」
「え……? お、覚えていて、くれたんですか……?」
やや自信なさげだったが、パッフェルが自分の名を呼んだことにアティは驚き、目を見開いて呟いた。
「もちろんです、忘れられるわけないじゃないですか。……だって、あなたや彼は私にとって大切な恩人なんですから」
パッフェルの人生は苦難とともにあった。それでも救いがなかったわけではない。
暗殺者としてではない、別な生き方を選ぶ勇気をくれたアティ。本人にその気はなかったにしても、組織の追手という過去の呪縛を破壊してくれたバージル。
この二人がいなければ今の自分はないと、パッフェルは断言できた。
「ありがとう。覚えていてくれて。すごく、嬉しいです」
先ほどは彼女が前を向いて生きていてくれるなら忘れられていてもいいと思っていたが、それでも覚えていてくれるのは素直に嬉しかった。
「お礼を言わなくちゃいけないのは私の方。……本当にありがとうございました」
「い、いえ、こちらこそ」
感謝の気持ちを伝えるために深々と頭を下げたパッフェルに、アティも同じように頭を下げた。互いに頭を下げ合う奇妙な光景ができたが、どちらともなく、クスっと笑い出した。
「さぁて、再会の挨拶も済んだところで、……先生、ちゃんと剣のこと、この人に言った?」
思い出したようにメイメイは、報告書に目を通していたバージルを指さしながらアティに尋ねた。メイメイは少し前から、剣の名前についてアティに相談を受けていたのだ。
「い、いえ。機会がありませんでしたし、その……気恥ずかしくて……」
「え~!? せっかく頑張って考えた名前なのに……。っていうか、恥ずかしいとか今さらじゃない? やることやってるでしょ?」
「な、なな、何を言ってるんですか!? それとこれとは関係ありませんっ!」
からかわれていることは分かりつつも、内容が内容だけにアティは顔を真っ赤にしながら答えた。
「にゃはは。ごめんなさいね、あまりにも幸せそうだったからついからかってみたくなっちゃたのよ」
そうあっけらかんと言い放ったメイメイは、用事は済んだとばかりに踵を返した。実に楽しそうに「それじゃアタシ帰るから」とだけ言うとさっさと歩いて行った。
そしてパッフェルも一言挨拶を口にする。
「今日は会えてよかったです。……旦那さんと仲良くね」
「も、もうっ!」
最後の最後に放たれた言葉に、アティは顔を赤くして抗議するが、パッフェルは全然堪えていないのか、柔らかな笑顔で去って行った。
「……用は済んだ。今日の宿でも探すぞ」
そんなアティをいい加減慣れろと思いながら見ていたバージルは、いつまでもここにいても仕方ないため、当面の目的を提示した。先ほどから少し報告書を読んでいたが、やはりしっかりと読むにはどこか腰を落ち着ける場所の方がいいのだ。
「うぅ、はい……」
そうしてバージルはまだ顔が赤いままのアティに手を引き、街中へと歩いて行った。
ところが、何とか宿を確保することができたのは日暮れ前だった。昼頃から探し始めたので、ほぼ半日ほどかかった計算になる。
既に時刻は深夜と言っていい時間だ。夕食をとって、しばらく報告書を見ていたらこんな時間になってしまったのだ。
「それにしても随分時間かかっちゃいましたね。宿も高いところになっちゃいましたし」
ベッドに座ったアティの言葉通り、なかなか空いている宿が見つからなかったため、これまで宿泊してきたところに比べ、かなり高級なところに泊まることになったのだ。さすがに要人が泊まるような最高級のところではないが、それでもいつもの数倍の値段はするようなところである。
もちろんサービスは値段相応のものであり、料理は一品一品手が込んでおり、質、量ともに申し分なかった。
「そうだな。……しかし、武闘大会とやらのためにここまで人が集まるとはな」
今回うまく宿を確保することができなかったのはゼラムで開催されるという武闘大会が原因だった。
「まあ、ここでは初めての開催ですし、商品も商品ですしね」
武闘大会はカジノや歌劇などあらゆるレジャー施設があるゼラムでも、これまで行われてこなかったものであり、それが聖王家主催で開かれるというのだから話題にならないはずはない。おまけに優勝者には聖王家から望みのものを与えられるというのだから、見物客のみならず参加希望者も相当の数に上るだろう。
「ところで、バージルさんは参加しなくてよかったんですか?」
少しいたずらっぽくアティは尋ねた。
「くだらん。そんなものに興味はない」
武闘大会とは言っても所詮は見世物に過ぎないと切って捨てた。そもそもバージルが出場したとしても、彼を満足させるような相手とは戦えるわけがない。勝利が決まりきっている上に、遥か格下との戦いを強いられるなど、いくら望みが叶うとしても出ようとは思えないのだ。
そうしてしばらく、メイメイから受け取った報告書に目を通していると再びアティの声が耳に入った。
「あの……、メイメイさんから言われた剣のことなんですけど……」
先ほどから思い悩んでいた様子を見せていたことにはバージルも気付いていたが、どうやらメイメイが言っていたことのようだ。
「何だ?」
彼女は顔を少し赤くしながらも真面目な口調だったため、バージルも紙の束をテーブルに放り投げ、アティの方に視線を向けた。
「じ、実は剣の名前を変えたんです!」
「ようやくか……それで名前は?」
アティの言っている剣というのは
ただ、いくら時間がかかったとはいえ、名前を伝えるのに恥ずかしがる必要はないはずだ、バージルはそう考えていた。
「ウィスタリアス、っていいます。名付けたのはメイメイさんですけど、他にもいくつかの候補の中から私が決めました」
「…………」
さすがにそれで終わりではないだろうとバージルは無言で続きを促した。
「王国時代の言葉で、意味は『果てしなき蒼』というそうです」
そこでアティは言葉を切った。そして恥ずかしそうに顔を伏せながら口を開いた。
「あなたと同じ『蒼』、です」
「なるほど、な……」
それでようやく彼女が魔剣の名前のことを言い出せなかった理由を理解した。いくらバージルとアティは以前より一歩踏み込んだ関係になったといえ、いや、むしろそうなったからこそ言い出しにくかったのだろう。さすがに、新しい名前は想い人を連想する言葉にしました、などとあのアティが言えるはずがない。
「まあ、悪くない名だ」
そして、アティの話を聞いていたバージルは率直な感想を口にした。彼は「果てしなき蒼」という言葉からは生命の源たる海を現すように感じており、穏やかで心優しい彼女の人柄には相応しいだろう。それにバージルは、彼女が
「あ、ありがとうございます」
てっきり「好きにしろ」などと肯定も否定もしない言葉が飛んでくるものだとばかり思っていたアティは、バージルの肯定的な言葉に驚きつつも礼を返した。
「……俺はそろそろ寝る」
報告書を読むために点けていた明かりを消したバージルは、アティが座っているベッドに横になった。
「あ、私も……」
そう言ってアティはバージルの隣に潜り込んだ。二人で寝ても狭さを感じないほどのベッドは大きくふかふかだ。料理だけでなくこうした部屋の家具も宿泊料金相応に高級品なのだろう。
ちなみにバージルとアティが同衾するのはこれが初めてではない。そもそもバージルは、自分とアティのような関係の男女は共に寝るものだと思っていた。実際、父と母がそうだったのだから、当然のことだと考えていたのである。
対してアティも、当初は恥ずかしさや嬉しさで緊張していたのだが、バージルと一緒に寝ること自体には抵抗がなかったので、慣れてしまえばこれが当然と思うようになったのだ。
それからしばらく部屋にはいつからか、甘い空気が漂い始めていた。
ちょっと遅めの新婚旅行みたいなものです。一応、中編くらいの長さなので甘いばかりではありません。
さて、次回は9月10日(日)の投稿を予定しています。
ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。
ありがとうございました。