Summon Devil   作:ばーれい

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第53話 永遠の絆

 ベリアルの亡骸を背に人の姿へ戻ったバージルに残ったのは、虚しさだけだった。いくらベリアルを殺したとて失われた命は戻らない。残された者にできるのは、せめて丁重に弔うことだけなのだ。

 

 かつて母にそうしたように。

 

 そう考えてアティの方を見る。

 

「っ!」

 

 その変化に気付いたバージルは彼女の傍に走った。アティの傷がだんだんと回復してきていたのだ。

 

 彼女の近くまでくると、手にしていた碧の賢帝(シャルトス)の刀身が元に戻っていた。ここに来たときは根元からまるっきり失われていたというのに。その上、魔剣から感じる力も以前よりも大きくなっている。

 

 この碧の賢帝(シャルトス)は一度バージルの手で砕かれ、彼の力を宿した魔具として再生した過去がある。

 

 ただ、魔具自体が悪魔であれば再生したのも納得できるが、碧の賢帝(シャルトス)は魔具とは言っても魔力を宿した物質に過ぎない。それゆえ人の手で修復することはできても、魔具自身に自動で修復する力はないはずだ。

 

 しかし、実際に碧の賢帝(シャルトス)は修復している。それを可能としたのはバージルが真魔人となった時に解放した魔力だった。それを碧の賢帝(シャルトス)が吸収し、かつて粉々に砕けた状態から再生したように刀身を蘇らせたのだ。

 

 これはバージルの魔力が碧の賢帝(シャルトス)にも宿っていたからこそ、可能だったことだ。もし、バージルが魔剣を砕いていなかったら、そして碧の賢帝(シャルトス)をアティに渡していなかったら、きっと彼女の命は失われていたに違いない。

 

 もっとも、どんな理屈があろうとバージルにとってはたいしたことではなかった。彼にとって一番重要なのはアティの命がまだ失われていなかったことなのだから。

 

「…………」

 

 大きく息を吐いた。先ほどまで感じていた虚しさはいつのまにか消えていた。

 

(とりあえず戻るか……)

 

 さすがにアティをこのままにしておけないため、そう判断したところで背後の方から悪魔の気配を感じた。サプレスの悪魔が三体いるようだ。

 

「……よほど死にたいらしいな」

 

 その正体に見当がついたらしいバージルはそう言いながら振り返った。顔は無表情のままだが、今のバージルを一目見れば明らかに気分を害しているのを見てとれた。

 

 悪魔は姿を隠しているのかバージルの視界には入っていないが、姿を隠しても魔力をどうにかしなければ、この男相手には無意味だ。実際にバージルは悪魔が恐怖から震えているのが手に取るように分かった。どうやら先ほど彼が言った声が悪魔に聞こえたようだ。

 

「…………」

 

 バージルは無造作にベリアルの屍に右手をかざした。するとそれに反応したように、燃え尽き、ただの黒い塊と化した炎獄の覇者から光の球が出てきた。そしてそれは、吸い込まれるようにバージルの右手に収まった。

 

 その光球はベリアルが魔具へと転じた姿だった。悪魔が魔具になるのは己が認めた相手に魂を捧げることで変化するのだが、それ以外にもう一つ方法がある。それは魂が敗北を認めた時だ。

 

 かつてバージルがベオウルフを魔具にした時と同じだ。絶大な力で悪魔を魂から屈服させ、魔具としたのである。

 

 そして取り込んだ魔具を右手に持った。現れたのはバージルに合わせて縮小した、ベリアルの持っていたものと似たような無骨な造りの大剣だった。そして、少しばかりそれに力を込めると大剣から炎が噴き出し刀身全体を覆った。それはベリアルが纏っていた炎獄の炎と同質のものだった。

 

 そうした点から考えるとこの大剣は「炎獄剣ベリアル」と呼ぶのが相応しいだろう。

 

 そのまま、最も近くにいた悪魔の所へエアトリックで移動する。そこにいたのはガレアノだった。となると残りの二体はビーニャとキュラーだろう。

 

「待っ……!」

 

 バージルは不運な悪魔が何か言う前にベリアルを腹に突き刺した。すると剣が纏っていた炎がガレアノに移り、その体を焼き尽くさんと燃え上がった。

 

「……! ……!」

 

 ガレアノは体を捩って苦しそうにもがきながら悲鳴を上げているようにも見えるが、声帯をやられたのかバージルには何も聞こえなかった。それにしても恐ろしいのはこの炎だ。これは物質としての性質を併せ持つ魔界の炎なのだ。振り払うことはできない上に、拘束具のように体の動きまで制限されるのだ。

 

 とはいえ、その苦しみは僅かの間だった。数秒でガレアノの体は骨も残さずに燃え尽きたのである。これが下手に力を持った存在なら苦しむ時間が長くなったことだろう。その点でこの悪魔は己の矮小な力に救われたため、運がよかったようだ。

 

 それでも炎はその場に残ったままだった。どうやらそれにはバージルの意志が反映されるようで、彼が望む限り場に残り続けるようだ。それを確認したバージルは次の悪魔を刈るべく、再び移動した。

 

 キュラーの上方に現れると今度はそのまま兜割りを繰り出した。所詮は依り代の体でしかない悪鬼使いの体は豆腐のように容易く両断された。そしてそのまま大剣を地面に叩き付けると爆発を起こした。

 

 当然、バージルにはダメージはないが、至近距離からの爆発を受けたキュラーは跡形も残っていない。

 

「ヒッ……!」

 

 続けざまに同胞を殺されるのを見たビーニャは、もはや戦意を失いかけているのか顔に恐怖を浮かべてあとずさった。

 

 しかし彼女が連れていた三体ほどの魔獣は唸り声を上げて飛び掛かってきた。

 

 バージルは炎獄剣を逆手に持ち替えるとそのまま地面に突き刺した。するとバージルを中心に猛烈な勢いで火柱が立ち昇った。これを受けたのが、ただの魔獣だったため火柱に飲み込まれ消滅したが、これがもっと頑丈な悪魔だったのなら宙に打ち上げられていただろう。

 

 おまけにこの火柱もバージルの意志で残すことができるようだった。

 

 もはや万策尽きたビーニャにバージルはベリアルを突き出しながら地を蹴った。ダンテも使う単純な突きだが、彼ら兄弟の放つこの技には巨大な悪魔さえ吹き飛ばす力が込められているのだ。

 

 それが魔剣に宿る魔力と反応し、炎が大きく燃え上がり剣とバージルを包み込んだ。一本の炎の槍となった一撃がビーニャの体に突き刺さり、同時に炎も襲い掛かった。

 

 バージルの繰り出した攻撃はどれも、この程度の悪魔を殺すにしては明らかに過剰すぎる威力だった。三体とも塵も残さず消えてしまった。

 

 しかし、おかげでこの炎獄剣ベリアルのことはよく理解できた。最初に持った時から大方できることは分かっていたが、父からも教わった通りやはり実際に使ってみるのが一番なのだ。

 

 魔具の試用も兼ねた掃討を手早く終わらせたバージルは、改めてアティを運ぶべく彼女のもとに向かった。

 

 

 

 

 

 魔界の悪魔とともにリィンバウムへと侵攻したサプレスの悪魔は、彼らの頂点に立つベリアルが敗北すると算を乱し、散り散りとなって逃げ出していった。もともと強大な力を背景に、半ば脅された形で従わされていただけであるため、脅した張本人がいなくなれば従う理由などないのだ。

 

 しかし、魔界の悪魔は最後の一体に至るまで聖王国と戦い続けた。結果的にそれがサプレスの悪魔たちを逃がすための時間稼ぎとなったのは否定できない事実だった。

 

 それでも聖王国は、人間は、勝利した。それは紛れもない事実だった。たとえ相手が下級悪魔だけだったとしても、人間が異界からの侵攻を打ち破った事実は変わらないのである。

 

「はあ……」

 

 しかし、その勝利の立役者の一人である蒼の派閥の総帥であるエクス・プリマス・ドラウニーは、執務室で大きなため息をついた。見た目はかなり若く見える彼だが、今はまるで疲れ切った老人のように背もたれに体を預けていた。

 

 エクスが見ていたのは今回の戦いの第一次報告書だ。

 

 「第一次」とついた通り、これに書いてあるのはかなり限定的なものだ。ただ、戦いからまだ三日しか経っていない状況で作られたものであるため、仕方ないところもあるだろう。

 

 とはいえ、比較的調査が容易な大平原での戦いにおけるこちら側の被害については、詳細が記載されていた。こちらの戦死者は総戦力のおよそ五割。軍事的には組織的戦闘能力を喪失し、全滅と判断される程の被害だ。

 

 実際に戦いの終盤では、個人での戦闘か、少数での戦闘を余儀なくされていたことからも、ほぼ指揮系統は崩壊していたと見るべきだろう。

 

 しかも、これだけの犠牲を出しながらゼラムの街々のみならず王城への攻撃までも許してしまった。幸いなことに聖王は大平原におり、その他の王族もあらかじめゼラムから脱出していたため、聖王国の存続に関わる最悪の事態は避けられたが、崩壊した部分にいた者の生存は絶望視されている。

 

 その上、被害はこれだけに留まらない。これにゼラムで悪魔に襲われた人々と倒壊した建物も加わる。

 

 特に導きの庭園から北側に扇状に広がる範囲は、まるで斬り刻まれたような瓦礫で埋め尽くされ、無事な建物など一つもなかった。高級住宅街などは文字通り全滅したのだ。

 

 幸い派閥の本部はその被害を免れたが、正直言ってエクスでも、いまだ被害の推定すらできないでいた。

 

「勝っただけでも、よしとするべきなんだろうね……」

 

 力なくうなだれながら呟く。エクスはメイメイからゼラムに現れた強力な悪魔がバージルによって倒されたことは聞かされていたのだ。もしも彼が現れなかったら被害はもっと大きなっていただろう。いや、彼女が語った悪魔の力を考えると、そもそもこちらの勝利すらありえなかったかもしれない。

 

 それからすれば悪魔に勝利しただけでも喜ぶべきだろうが、人というのは失ったものが大きければ大きいほど、簡単に納得できるものではないのである。

 

 そこへかつての弟子の一人で、今では派閥の議会の長を務めているグラムス・バーネットがやってきた。

 

「総帥、準備が整いました」

 

「うん、わかったよ」

 

 短く答えたエクスは席を立ち、グラムスと共に部屋を出た。

 

 これから向かうのは王城だ。聖王は辛うじて無事だった城の一角で居を構えているのだ。

 

 金の派閥のファミィ議長も召集されたという話だったため、そこで話し合われる議題は十中八九今後のことに違いない。聖王に委任され実際の統治の行ってきた者たちの多くが崩壊に巻き込まれたため、執政にしろ、戦災からの復興にしろ、今の聖王国は人間が不足しているのだ。事実、内々に派閥からの人材の派遣が可能か打診されていた。

 

 蒼の派閥としてはそれには全面的に応じるつもりでいた。そもそも今回の悪魔の侵攻に備えて、聖王家を含めた各所に働きかけを行っていたのは他ならぬエクスなのだ。最初に始めた者として協力を惜しむつもりはなかった。

 

「彼らの内諾はとれた?」

 

「ええ。最後まで関わらせてほしいと残念がっていましたが、最終的にはラウルに説得させました」

 

 二人の話はその派遣する人材に及んだ。そのほとんどは任務を解かれることに何ら不満を抱いていないようだったが、ギブソン・ジラールとミモザ・ロランジュだけは今の任務が終わってからにしてほしいと願い出たのだ。

 

 二人の任務は召喚師の連続失踪事件の調査だった。それにはどうやら、かつてリィンバウムに侵攻したサプレスの魔王メルギトスが関わっていたらしく、後輩のためにも何とか最後までやり遂げたかったようだ。

 

「残りは彼らじゃなくともできるからね」

 

 そのメルギトスも禁忌の森で滅んだということで、あとはその足取りを追っていくだけの作業だ。派閥の機密に関することだけに誰でもいいわけではないが、少なくともギブソンやミモザでなければならないという理由はない。

 

「しかし……よろしいのですか? その後をライルとクレスメントに任せるというのは」

 

 ライルの一族も、クレスメントの一族も召喚師にとって都合の悪い事実を隠すための生贄として利用され、迫害されてきたと記録されている。それが知られてしまうのではないかとグラムスは案じたのだ。

 

「構わないよ。もう彼らはある程度知っているだろうし……。それに、もしかしたら僕たちも知らなったことが明らかになるかもしれないしね」

 

 彼らが禁忌の森で真実の一端を知ったことはパッフェルから聞いている。そこまで知ったのなら、その先の真実まで気付くのは時間の問題だ。エクスはもう彼を真実から遠ざけるのは無意味だと考えたのである。

 

「総帥がそうおっしゃられるのであれば……」

 

 グラムスはエクスの心中を慮ってこれ以上、口を出さないことにした。ただでさえ、この少年のような老人は激務の続く日々を送っているのだ。それを補佐するのが己の務めだと、あらためて心に刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 港町ファナン。ここは大平原に押し寄せた悪魔による被害こそなかったため、ゼラムに比べ比較的落ち着きを取り戻していた。外に逃げていった住民も徐々に戻ってきており、いつもの活気を取り戻すのもそう遠いことではなさそうだった。

 

 そこの港ではサイジェントに帰るハヤトとクラレットをマグナたちが見送っていた。

 

「すまない。できるなら最後まで手伝いたかったんだけど……」

 

 ハヤトは、まだゼラムは復興の道半ばなのに離れてしまうことを悔いているようだった。

 

「気にしないでください、ハヤト先輩。こっちは俺たちが何とかしますから。早く戻ってあげてください」

 

 彼を元気づけるようにマグナは答えた。そもそも二人が急に戻ることになったのは、サイジェントが悪魔に襲われたという情報が入ったからだ。恐らく大平原から逃げ出した悪魔だと思われるが、街中にまで入り込んだらしく、かなりの混乱があったらしい。

 

 一応、戦いは終わり仲間にも怪我人はいなかったというが、さすがに街中にまで入り込まれたのはただならぬ事態だ。今後もこういったことが起こる可能性は捨てきれないし、戦えない者も少なくないフラットのためにも二人は戻ることにしたのだ。

 

「すみません。後はお願いします」

 

「謝らないでください。大切な人のことが心配になるのは、あたしにもよく分かりますから」

 

 申し訳なさそうに謝るクラレットにアメルが言った。彼女もレルム村が襲われた際に消息不明となっていた祖父が生きているのを知って、マグナたちに無理を言って会いに行ったことがあったのだ。だからこそサイジェントに残した仲間を案ずる二人の気持ちが痛いほどよくわかった。

 

「そろそろ時間だよ」

 

「ああ、もう会えないわけじゃないんだ」

 

 トリスとネスティが乗船を促した。それを聞いた二人が船に乗り込んで間もなく船は動き出した。マグナたち四人は別れを惜しみながら、船が見えなくなるまで手を振って見送った。

 

「……トリス」

 

 その帰り道、ネスティはトリスを呼び止めた。

 

「なに? どうしたの?」

 

「例の任務、本当に受けるのか? マグナと同じようにレルムの村の復興を手伝ったって構わないんだぞ」

 

 彼らが派閥から命じられた任務、それはギブソンとミモザが行っていた調査を引き継いで行うことだった。メルギトスに絡んだことだったため、自分たちに白羽の矢がたったのだろうとネスティは推測していた。

 

 ただ、その任務を受けるのをマグナは渋っていた。

 

 ネスティが理由を聞き出すと、マグナはアメルと共にレルム村を復興する手伝いをしたいということだった。ゼラムも城や高級住宅街を中心に大きな被害を受けたため、レルム村の復興は後回しになる可能性は低くない。だからこそ少しでも力になりたいのだろう。

 

 その気持ちはネスティにも分からなくはなかった。だからこそ、この任務の話を持ってきた義父であり、師でもある蒼の派閥の幹部ラウル・バスクに自分一人に命じるように頼み込んだのだ。

 

 しかし、それをどこからか聞いたトリスが自分も受けると言い出しだのだ。

 

「別にいいでしょ。……それに二人の邪魔はしたくはないし」

 

 トリスの視線の先には仲良く並んで歩いているマグナとアメルの姿があった。

 

「……なるほど」

 

 それを見てネスティは彼女の言わんとしていることが理解できた。さすがにあれを見ても何も感じぬほど鈍感ではない。

 

「それに、ネスもあたしが一緒の方がいいでしょ?」

 

 トリスが意地悪な笑みを浮かべてネスティの顔を覗き込んだ。

 

「……そうだな」

 

「うぇ!?」

 

 いつものように「君はバカか?」と返されるだろうと考えていただけに、思いがけないネスティの言葉にトリスは変な声を上げた。

 

「どうした? それとも君は僕と一緒にいるのは嫌なのか?」

 

 先を歩く弟弟子を見習って、少しばかり自分に素直になってみたネスティだったが、トリスの予想外の反応に驚いてしまった。

 

「分かってるくせに、そんなこと聞かないでよ……」

 

 赤くなった顔を見られたくなかったトリスはネスティの腕に抱き着きながらそう答えた。

 

 先を歩くマグナとアメルは二人の微笑ましい様子を見ながら言葉を交わしていた。

 

「やっぱり仲いいですねえ」

 

「ほんとだ。見せられる方の身にもなって欲しいよ」

 

 初々しい二人の様子に、見ているだけのマグナまで恥ずかしくなってしまいそうだ。

 

「ふふっ、それじゃあ、あたしたちは手を繋ぎましょうか?」

 

「そうだね」

 

 そう言って手を差し出すアメルにマグナは迷いなくその手を握った。

 

「あったかいです」

 

「アメルの手もね」

 

 そう言って二人は向かい合ってもう一度笑った。

 

 

 

 

 

 ゼラムのバージルの居宅は人がいなかったためか、幸いなことにこの家は悪魔による被害は免れていた。そしてそこの一階ではポムニットとミントが話していた。

 

 その内容はあの戦いの最中に知られたポムニットの出自についてだ。

 

「そっか、そうだったんだ……」

 

「うん……、黙っていてごめんね。……やっぱり嫌われるのが怖くて……」

 

 ポムニットは悪魔と人の間に生まれた存在であること、父は顔も分からず、母とは死別し、バージルやアティに助けられ今の自分があることを嘘偽りなく、正直に話した。

 

「やっぱり、ちょっとショックかな……」

 

「そう、だよね……」

 

 ミントの言葉にポムニットは俯いた。予想していたことはいえ、やはりそう言われると辛いものがある。

 

「あっ、そうじゃなくて! やっぱり私のことを信じてもらえなかったのがショックなだけで、あなたがどういう生まれでも、私にとって大事な友達なのは変わらないよ」

 

 自分の言葉が間違って理解されていることに気付いたミントは慌てて否定した。別に彼女はポムニットがどういう生まれでも、それで態度をあらためようとは思わなかった。大事なのはポムニットが大事な友人だということだ。その事実の前には出自など問題にはならないのだ。

 

 その考え方は召喚師にしては珍しいものだが、彼女の先輩がこれと似た考えを持っているのだから、ミントもそれに影響されたようだ。

 

「ミントさん……」

 

 顔を上げてミントの顔を見る。

 

「もう、そんな顔しないで。私も驚いたのは本当なんだから、これでおあいこだよ」

 

「うん……、ありがとう」

 

 その言葉でようやくポムニットは笑顔を取り戻した。

 

 

 

「そういえば、ポムニットさんはいつまでここに?」

 

 ようやくいつもの関係に戻った二人はポムニット作ったお菓子を食べながら、話を続けていた。その中でミントが尋ねたのだ。

 

「う~ん、たぶん先生が目を覚まして、体調が戻るまではいると思うけど……」

 

「……まだ、目を覚まさないんだ?」

 

 ミントがアティと会ったのは、あの戦いの中での僅かな間だけだ。それでも自分の命を救ってくれた恩人のことを心配するのは当然のことだった。

 

「うん……。でもバージルさんもメイメイさんもじきに目が覚めるって言ってるから大丈夫!」

 

「よかった……。でも、それならもうすぐ会えなくなっちゃうね。私もここから離れるだろうし……」

 

 少し残念そうにミントが言う。

 

「え……? どこかに行くの?」

 

 召喚師が住んでいる場所を離れるのは、派閥の任務などでの派遣がほぼ全てを占める。そのため、ミントも何らかの仕事を命じられたのかと思ったのだ。

 

「詳しい話はまだなんだけど……、帝国のトレイユっていう宿場町に行くことになると思うの」

 

 その話が内々にミントにもたらされたのは、いざ命じられたらすぐに出発できるように準備しておけという配慮からだ。派閥に拠点を置ける任務ならそんなことをする必要はないが、さすがにゼラムを離れる必要がある任務の場合、いろいろと準備が必要であるため、慣例としてこうした配慮がされているのだ。

 

「そっか……、でも帝国ならここよりは近いから、遊びに行くからね」

 

 島からは聖王国に行くより帝国の方が近い。もっともたとえ遠くなってもポムニットは遊びに行くつもりだったが。

 

「……ありがとう」

 

 何の躊躇いもなくそう言ってくれることに嬉しくなる。ポムニットもミントもこのゼラムで、距離が離れたくらいでは切れない強い絆で結ばれた生涯の友を得たのだ。

 

 

 

 

 

 アティが眠るベッドの横でバージルは微動だにせず、彼女の目が覚めるのを待ち続けていた。

 

 既にあの戦いから四日が経過しており、彼女の体の傷は癒えている。

 

 それでも体の奥深くまで刻まれたダメージがこれまでアティを眠りから解放することはなかった。

 

(アティ……)

 

 心中で彼女の名前を呼ぶ。たった一人の人間にここまで心を揺さぶられるとは、かつての自分が見たらなんと思うだろうか。

 

 しかしバージルは、ようやくスパーダが、父が、魔界を裏切ってまで人間についた理由を理解できた。

 

 あの時の、ベリアルに怒りを見せた時のことを思い出す。かつての自分が理解できなかっただろうが、今の「己」を自覚しているバージルはその怒りの源泉たる感情まで理解できた。

 

 それはバージルが気付こうとしなかった、人を想う感情だった。大切に想う人を傷つけられ、その感情が爆発し怒りへと転じたのである。

 

 それを理解した時、彼は父が人間を守るために戦った理由が分かったのだ。かの伝説の魔剣士も、今のバージルが抱いているのと同じ感情を抱いたのだろう。だから人間に与した。それだけのために魔界を、己の生まれ故郷の全てを敵に回したのだ。

 

「俺には……お前が必要だ」

 

 それが分かったからこそ、バージルはアティに目を覚まして欲しかった。全てを理解しても、彼女が目を覚まさなければ意味などないのだ。

 

「あ、う……バージル、さん?」

 

 バージルの願いが通じたのか、アティはゆっくりと瞼を開いた。

 

「……ようやく、起きたか」

 

 バージルは努めて、いつもの自分らしく無表情で素っ気ない言葉がかける。先ほどの言葉をアティにかけなかったのは彼なりの意地だろうか。

 

 それでもバージルの瞳は素直な反応を示し、いつの間にか握っていた手から、抱いている想いがアティに流れ込む。

 

 それを可能にしたのは、バージルの力が宿る碧の賢帝(シャルトス)のおかげだと思われるが、そんなことは二人にとってどうでもいいことだろう。

 

(バージルさん……)

 

 バージルの自分に対する想い。それはアティにとって、どうしようもなく嬉しいものだった。感極まったのか、思わず涙が頬を伝った。

 

「どうした?」

 

 急に涙を流したアティを真剣な顔でバージルが見る。人によって委縮してしまうような鋭い視線だが、アティはそれを受けてようやく悟った。

 

(そっか……私、ずっと……)

 

 この人に守られてきたんだ。そう思った。

 

 アティの胸にはまだバージルから預けられたアミュレットが輝いている。それに自分の中からは、バージルの力をより強く宿った碧の賢帝(シャルトス)の存在が感じられた。

 

 アミュレットはバージルがずっと身に着けており、間近で彼の魔力を浴び続けたため、少しずつ魔力を帯びていったのだ。そして碧の賢帝(シャルトス)も同じくバージルの魔力を宿していた。きっとこの二つの魔力に守られたからこそ、アティはベリアルの一撃を受けても、命を失わずに済んだに違いない。

 

 そうして自分を守ってくれたこと、バージルの想いを知ったこと、アティはバージルに言いたいことが山ほどあった。しかし、それをいちいち口にするのはどうにも煩わしかった。

 

 だからアティはストレートに自分の想いを伝えようとした。

 

「バージルさんっ……」

 

 名を呼び抱き着き、バージルに口付ける。それが今のアティの想いを最も正確に伝える方法だったのだ。

 

 だが、思った以上に疲労が溜まっていたのか、力が抜けベッドに倒れそうになった。

 

「あっ……」

 

 しかしそうはならなかった。バージルが彼女を支えたのだ。

 

 息がかかりそうな距離で見つめ合うバージルとアティ。

 

 そしてその距離はさらに短くなる。

 

「んっ……」

 

 どちらから距離を詰めたのか、それは二人にしかわからないが、その一瞬後には二人の距離はゼロになった。

 

 二人にとって永遠に等しい時間が過ぎた後、ゆっくり顔を離した。

 

 そしてアティは嬉しさに涙を浮かべながらずっと言いたかった自分の気持ちを口にした。

 

「好き、大好きです……」

 

 バージルは答えない。しかしその代わりにアティをきつく抱きしめた。

 

 アティもバージルの背に手を回し、幸せそうに体を預け、目を閉じて、もう一度口付けた。

 

 本日三度目、通算四度目で、ようやくキスの味がわかったような気がした。

 

 

 

 

 

 バージルは長い長い遠回りの果てに、ようやく本当に守りたい大事なものを見つけた。

 

 それは今、彼の腕の中に確かに存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

第3章 激動の時代 了




第3章完結です。何とか一つの到達点は描けたのかなと思います。

そして結果的に3日連続更新になりましたが、楽しんでいただければ幸いです。

さて次回からは、4編に入るか、その前に関係が進んだバージルとアティの砂糖の吐くような話でも挟むか、悩んでいるところですので、少しの間お待ちください。

それでは、ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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