サイジェントに再び悪魔が現れた。それはようやく平穏を取り戻し始めていた住民を、恐怖のどん底に突き落とすのには十分だった。
どうしようもない悪意と暴力に晒された彼らは、ただ大切な者を失っていく悲しさから、憎しみと怒りを募らせるしかなかった。ただし、その対象は襲いかかってくる悪魔ではない。
憎しみと怒りの矛先となったのは、自分達を守ってくれない領主と召喚師、そして騎士団だった。領主と召喚師は騎士団に守られた城に籠り、住民のことなど顧みずに安全の生活をしていることが我慢ならなかったのだ。
そして騎士団には以前よりも早いペースで数を増していく犠牲者に「何のための騎士団だ」と声を上げたのだ。
連日、城の前に集まり憎しみと怒りのままに罵声を浴びせていく人々は、悪魔にとっても、それを召喚する者にとっても、まさに格好の標的であった。
「ひどい……」
城の前の広場にはいくつもの死体が倒れており、辺り一面が血の池地獄と化していた。
広場は既に立ち入りが制限されていたが、遠巻きに見るだけでも犠牲者の数が、両の手足の指では足りないことは分かった。
彼らは皆、悪魔に殺されたのだ。領主に声を上げるため集まり、その不満から一部は暴徒寸前で、もはや騎士団との激突も時間の問題となった時、悪魔が現れたのだ。
ただでさえ、一色触発の緊張した状況だったのだ。そこに悪魔が現れたとあっては、もはや表現できないほど混乱を極めていただろう。
連携して悪魔にあたれば悪魔にも勝利できる騎士団の面々も、この状況では満足に連携もできず、個々に戦うしかなかった。
そのため、これまでで最も多い犠牲者という最悪の結果をもたらしてしまっていたのだ。
「やはり、ここは終わっているか」
「バージルさん……」
後ろから声をかけられたポムニットが振り返る。
今回悪魔が現れたのは四ヶ所。そのうちの一つはフラットが住み込んでいる孤児院の近くだったため、アティは悪魔の対処とリプレ達の無事を確認に向かった。
バージルは孤児院とこの広場以外の二ヶ所の対応に行っており、そちらが片付いたため、最後の一つであるここに来た。もっとも悪魔が既にいないことは分かってはいたが、買い物に行ったはずのポムニットが、ここにいるようだったので来てみたのだ。
「何を呆けている? 終わったなら戻るぞ」
「……はい」
ポムニットは買い物の最中にこの広場から、大勢の人々が血相を変えて逃げてくるのを見て、様子を見に来たのだ。
逃げる人々の邪魔にならないよう遠回りをしてきたため時間がかかり、来た時には既に悪魔は倒されており、広場の周囲は騎士団によって立ち入りが制限されていた。
ポムニットが悪魔に殺された人を見るのはこれが初めてではない。しかし、何度見てもあの光景は慣れそうになかった。
二人は主がいなくなった「告発の剣」亭に戻った。アキュートの面々も行方不明となった以上、店を閉めてもなんら問題はなさそうだが、スカーレルは毎日掃除などの日常管理を行っていた。
それにはポムニットやアティも手伝っており、実質的にこの「告発の剣」亭が仕事場となっていた。
「あら、おかえり、そっちは片付いたようね」
スカーレルが二人を迎えた。店の中には既に戻っていたらしいアティと一人の少女、三人の子供がいた。
「あ……、お邪魔してます」
その中の最も年長らしい少女が言った。ただ、バージルはその少女との面識がなかったため、彼女たちのことをスカーレルに尋ねた。
「誰だ、そいつらは?」
「ふふ、先生のお客さんよ。……そうだポムニット、あなたも手伝ってくれる? これからお昼作るから」
「わかりました」
スカーレルは暗い顔をしているポムニットのことを気にしたのか、彼女に手伝いを頼んだ。何かしていれば気も紛れるだろうと気を遣ったのだろう。
そのことはポムニットも理解していたが、スカーレルの好意をありがたく受け取ることにした。いつまでもウジウジしていてもしょうがないのだ。どこかで折り合いをつけるしかない。
バージルはいつもここに来た時に座っているカウンター席に陣取り、アティに声をかけた。
「それが前に言っていた奴らか?」
例のフラットの孤児院でアティが気にかけていた者達のことを思い出した。今回悪魔が現れたのが孤児院の近くだったため、連れてきたのだろう。
「ええ、そうです。悪魔に襲われそうだったので、とりあえずここに連れてきました」
アティが孤児院を訪れた時、悪魔はすぐそこまで迫っていた。幸いすぐに倒したため犠牲者も怪我人も出なかったが、あと少し着くのが遅かったら最悪の事態になっていたかもしれない。
そう感じたアティはリプレに無理を言って、三人の子供たちと一緒にここまで連れてきたのだ。
少なくともここなら自分も近くにいるし、スカーレルもいる。そしてなによりもバージルがいる。この街で最も安全な場所と言っても過言ではないのだ。
ちなみに子供の名は、活発そうな女の子がフィズ、彼女の妹でいつもぬいぐるみを抱いているのがラミ、唯一の絆創膏をした男の子がアルバと言った。三人とも現状に大きな不安を抱いているようだった。
「すいません……」
バージルの機嫌が悪いように見えたのか、リプレが申し訳なさそうに謝った。もちろん当の本人は別に気を悪くはしていない、いつも通りである。もっともバージルの顔は、見る人によってはいつも機嫌が悪そうに見えるかもしれないが。
「こいつが決めたことだ。好きにすればいい」
この店は自分のものではないのだ。ここにいるのにわざわざ許可を取る必要などない。
「そうよ、ここの人達には言っておくから、しばらく居なさいな」
実際スカーレルはラムダからアキュートが不在の時の管理を頼まれていた。当初は彼らがいない間に客が来ても怪しまれないようにという理由だったが、悪魔が現れるようになってからはフラットと協力体制をとったため、彼らとの連絡・調整役も頼まれていたのだ。
そのためアキュートとは顔が利くのだ。もちろん彼らはフラットの仲間であるリプレ達をここに置くことを断りはしないだろう。ラムダは冷徹ではあるが、優しい男なのだ。
「でもずっとお世話になりっ放しっていうのも、悪い気がして……」
「そうねえ……それならあなたも手伝ってくれる? 何か簡単なものでも作ろうかと思っていたのよ」
このあたりスカーレルはさすがだ。役割を与えることでリプレが気を遣わなくともいいように振舞っている。こうした言動は一朝一夕に身に着くものではない。豊富な人生経験があるからこそ為せることなのだろう。
リプレが料理を手伝うために厨房へ行くのを見たアティは、今度はバージルを見ながら尋ねた。
「こっちは悪魔を倒すことはできましたけど、それを呼んでいる人を見つけることはできませんでした。……バージルさんの方はどうでした?」
今回、アティの第一の目的はリプレと子供たちの無事を確認することだった。そのため悪魔を召喚しているだろう無色の派閥の者を見つけることはどうしても後回しにしなければならなかった。
召喚される悪魔を倒し続けることは所詮、対症療法の域を出ない。この事態を打開するには召喚する者を倒すといった抜本的な対策が必要だった。
「一人は始末した。もう一ヶ所の方は悪魔を倒しただけだ」
悪魔が現れてから最初に向かった場所は、すぐに行けたため召喚した人間に逃げる暇を与えず始末できたが、さすがに二つ目に赴いた場所では多少時間が経っていたこともあって、派閥の者は周囲の逃げ惑う住人に紛れてしまっていたようで、見つけることは出来なかったのだ。
「……殺したんですよね?」
おそるおそる聞くアティにバージルはさも当然のように答えた。
「当然だ」
悪魔が召喚されれば十中八九、何の罪のない者が命を落とすことになる。命令を下している無色の派閥も話し合いに応じるような相手ではない。もはや四の五の言っている場合ではない事くらい理解している。それでもアティはいまだバージルのやり方に納得できないでいた。
それでも今、サイジェントの街を守っているのは紛れも無くバージルだった。たとえ本人に守る気はないにしても、彼が悪魔を倒していなければ既にこの街の住人の半分は死んでいたかもしれない。皮肉なことではあるが、それは無視できない事実なのである。
「…………」
それが分かっているからこそアティは何も言うことができなかった。それでもアティはどうしようもない無力感を感じていた。
そこへポムニットが、スカーレルと共に作った温かいスープを配りに来たのだ。
「先生はがんばっているじゃないですか」
「え?」
思っていることが顔に出ていたのか、そう言われてアティはきょとんとした。
「……私は、何もできませんでした。何度も悪魔に殺された人を目にしても戦おうなんて思えなかった……、でも先生は違います。みんなを守ろうと必死に戦っているじゃないですか」
ポムニットはもう、体に眠るサプレスの悪魔の力をコントロールすることはできる。しかし、戦闘を忌避する彼女では、よほどのことがない限り力を行使することはなかった。
それは彼女自身が自分の力が好きではないためであったが、決してそれだけではない。ポムニットは戦いで自分の力を必要とされてはいないと思っていたのだ。事実、恩人であるバージルもアティもポムニットよりもずっと強い。島にいた間もその二人に加えて護人もいたため、ポムニットの力が必要とされる機会はなかったのだ。
「……でもね、やっぱりすごく悔しいよ……もっと他の方法があったんじゃないかって思っちゃうの」
頭では理解できても、心が納得できないのだ。命の大切さを誰よりも知るアティだからこそ、命が奪い奪われていく現状は、他の人以上に辛いものだった。
「それでも、やってきたことまでは否定しないでください。先生がいたからあの子達は助かったんですよ?」
スカーレルに配られたスープを飲んで緊張が切れたのか、肩を寄せ合って寝息を立てている子供達を見ながら言った。
「そうです。先生が助けてくれたから私達はこうして生きているんです」
スカーレルから任され、手際良く料理を作っていたリプレもポムニットに賛成した。
「……ありがとう」
スープを一口飲んで礼を言う。体だけでなく心も温かくなった気がした。二人の言葉はアティの心に響いたのだ。
決して納得できたわけではない。悔しさがなくなったわけではない。それでも、いや、だからこそ自分にできることをこれからも続けていくと決心したのだ。
もちろん全てを救えるとは思わない。しかしそれでも、一人でも救えるのであればやらない理由はどこにもないのだ。
そんなアティの様子を見たスカーレルがいつになく真面目な顔をして口を挟んだ。
「センセ、張り切るのはいいけど、何もかも自分で背負い込んじゃダメよ」
スカーレルは、アティが全てを背負い込もうとする癖があることを知っていた。どんな時も自分で解決しようとしては体が持たない。いつか背負った重みで潰れてしまうのではないかとスカーレルは心配しているのである。
「大丈夫ですよ。バージルさんも手伝ってくれるみたいですし」
手伝うとは言っても、これまで通りに悪魔と戦うだけである。それでも悪魔による犠牲者は、何としてでも防がなければならない現状を考えると、バージルの行動はこの上ない助けであることは間違いなかった。
もっとも、バージルにも彼なりの理由があったからこそ行っていることではあるが。
しかしスカーレルはそう捉えてはいなかった。確かにバージルはこれまでもサイジェントに現れる悪魔を倒していたが、今回、再び現れるようになり、以前にも増して積極的に倒しているように思えたのだ。
「あら、引っ張られパなしかと思ったら、しっかりと手綱は握っているのね、やるじゃない」
その理由をスカーレルはアティにあると考えたため、そう言った。
なにしろ、あの論理的で利己主義なバージルに協力させているのだ。
「ち、ちが、違います!」
「…………」
必死に否定するアティとは違い、バージルは無視を決め込んでいた。今のスカーレルのような相手にいくら否定しても意味はない。余計からかわれるのがオチだ。
「それなら、センセの魅力で骨抜きにしちゃったの? 意外とヤルわね」
「み、魅力って……」
スカーレルの冗談めかした言葉を真に受けたアティは顔を赤く染めて黙り込んだ。
「否定的にならなくても大丈夫よ、センセはまだまだ魅力的だから。……二人もそう思うでしょ」
スカーレルに同意を求められたポムニットとリプレはこくこく頷いた。
なにしろアティは実年齢はともかくとして、見た目はバージルと出会った時と大して変わらない。ポムニットと並んでも同年代にしか見えないだろう。
「そ、そんな……」
言いつつアティは視線をバージルの方へ向ける。さすがにバージルがそんなことで協力することはないと思っているが、それでも自分のことをどう思っているのかは気になる。
あらためて見るバージルは確かに最初に会った時と比べ、より精悍さが増しているとアティは感じた。年齢的にはもう壮年と呼ばれてもおかしくはないが、少なくとも容姿からはまだ二十代といっても通じるだろう。
「……何だ?」
バージルは自分に視線を向けているアティに声をかけた。
「え? あ、バージルさんは若く見えるなーって……」
「人のことは言えんと思うがな」
バージルもアティの年齢に言及する。彼女の年齢は自分とたいして変わらないはずだ。にもかかわらず容姿が変わっていないのは魔剣の影響かもしれない。
「えへへ……そうですか?」
バージルの言葉を褒め言葉と捉えアティは少し照れくさそうにはにかんだ。
アティも女性の端くれだ。若く見てくれることは素直に嬉しい。それも気になっている人からであれば尚更だ。
もっともバージルはそんな意味で言ったのではないが。
「はいはい、そのへんにしてそろそろご飯にしましょ」
二人のやり取りに笑いながらスカーレルが言った。その手にはパスタとサラダを持っている。さきほどから作っていた料理はこれだったようだ。
この二種の料理にスープも合わせれば、なかなかどうして立派な食事になった。
たとえどんな時でも腹は減る。それは人間として当たり前の生理現象だ。だが、リプレや子供達は仲間がいなくなって不安で食事も喉を通らないかもしれない。しかし、こんなときだからこそ食事をとるべきなのだ。食べることは生きることでもあるのだから。
「はあ……はあ……」
ハヤトは肩で息をしながら振り下した剣を鞘に戻した。他の仲間たちにも視線を向ける。どうやら戦いは終わったようだ。
「ハヤト! 大丈夫ですか!?」
クラレットが駆け寄ってくる。ハヤトに大きな怪我はないが、戦闘でついた小さな傷はいたる所にあり、彼女は召喚術でその傷を癒していった。
そもそもフラットはバノッサ率いるオプテュスと戦っていたのだが、その時にバノッサが放った召喚術の直撃を受けた後、次に目を開いた時にはこのよくわからない場所にいたのだ。
そこで待っていたのはリィンバウムの
既に今の結界は召喚術によって綻びが生まれ、そう遠くない日に結界は破れてしまうのだ。
その話を聞いたハヤトは新たな
そのために今まで戦っていたのだ。ロレイラルからは機械兵士エスガルド、シルターンからは鬼道の巫女カイナ、メイトルパからは剣竜ゲルニカ、リィンバウムからはハヤト達と同じ姿の戦士達。
サプレスの者こそいなかったが、それでもかなりきつい戦いだった。
「見事だ……」
リィンバウムの
「お前の示した力は
「我らはお前を認めよう」
「その証として
「受け取るのだ。新たな
言葉から推測すると、どうやらその声の主も
「これが……
ハヤトは自分の中から力が溢れて来るのを感じた。まるで無限にも思えるほどの大きな力だ。しかし、どこかこれまで使ってきた力と似た感じがした。
「我らはお前と誓約しよう。我らの全てをもって
リィンバウムの
誓約の成立を確認した他の
「
「魔の物?」
ハヤトが疑問を口にした瞬間、まるで地震のようにこの世界が揺れ始めた。突然のことに仲間達が驚きの声を上げる。
「案ずるな。役目を果たしたこの場が消えようとしているだけだ」
その言葉と共にハヤトの意識は一瞬暗転した。
「ここは……戻ってきたのか?」
気が付くとハヤト達は見慣れた南スラムにいた。もう
(魔の物、か……あいつらみたいなものかな)
結局それが何なのか聞くことは叶わなかった。しかし、ハヤトは魔の物がサイジェントに現れた悪魔であるように思えた。
「ハヤト? どこか痛みますか?」
考え込んでいたハヤトを心配したクラレットが顔を覗き込んできた。
「え? あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけだから」
「私達のことも頼ってくださいね。全部一人で解決する必要なんてありませんから」
「そうだぜ。いくら
クラレットに続きガゼルが言った。
「ああ、分かってるって!」
ハヤトは二人の言葉に頷くと共に、自分は一人ではないことを思い出した。この頼もしい仲間と一緒ならどんな困難だって乗り越えられる、ハヤトはそう信じているのだった。
第29話いかがだったでしょうか。
ご意見ご感想お待ちしています。
ありがとうございました。