雷が落ちた場所に立っている悪魔の容姿はフロストと似通っていた。おそらくフロストの近種、魔帝に創造された悪魔の一種だろう。もっともフロストのように氷で造られた爪や鎧はないが、代わりに鋭利な爪と角を持っているため、よりトカゲに近い姿となっていた。
しかし悪魔は魔帝へ反逆したスパーダの血族がいるにもかかわらず攻撃してくる気配はなかった。ただ周囲を探るように首を振るだけだ。
ある意味では絶好の機会ではあるが、護人達は至近へ落ちた雷の音と閃光で攻撃する余裕はなく、バージルはいつも以上の冷たく、そして鋭い視線で喚起の門を睨んでいた。
「…………」
もちろんバージルが見ているのは門ではない。その先にいる元凶だ。
おそらく一時的にリィンバウムと魔界が繋がったからだろう。悪魔が現れた瞬間バージルは、元凶であろう存在の力を感じた。そしてそれこそが悪魔の出現が人為的に行われたという証拠であった。
通常、悪魔が人間界に現れる際に感じ取れるのは、出現する悪魔の力だけだ。魔界との境界が薄れるにしても、地獄門のような点に手段を用いるにしてもその他の悪魔が介在する余地はありえない。
ただ一つの例外を除いて。
「人間界の次はこの世界か――」
その例外こそが今回の一件の真相だとバージルは確信していた。
つまりは力ずくで境界を薄くし、悪魔を送り込んだのだ。当然それほどの芸当ができる存在など限られている。父はもちろん弟も可能だろうが、彼らがこんなことをするはずがないことくらい分かっている。無論、自分自身もありえない。
そうなると彼の知る限り、魔帝ムンドゥスか覇王アルゴサクスしかありえない。
しかしバージルは、その正体をはっきりと感じ取っていた。
それは彼にとって全ての元凶、討ち滅ぼすべき仇敵。
「――ムンドゥス」
背筋が寒くなるような低い声と、全てを切り裂くような鋭い殺意が発せられる。
バージルがその名を呼んだ瞬間、目の前にいた悪魔は金属が擦り合うような不快な雄叫びをあげた。先程まではバージルが目の前にいるのにもかかわらずきょろきょろとあたりを見回していたのが嘘のようだ。
もしかすると何かを探していたのか、あるいは目が見えないのかは分からないが、少なくともこの悪魔はセブン=ヘルズとは比較にならない存在であることは明らかだった。
雄叫びをあげた瞬間、悪魔は魔力の籠った雷をその身に纏い、一瞬にして姿を消した。そしてその代わりと言わんばかりに周囲に電撃が走る。
(電撃を操り姿を変えているのか……まさしく、
自分に殺意剥き出しの悪魔を前に、バージルは思考を切り替え、冷静に敵を観察する。
雷と化したブリッツの移動速度は、もはや人の目では捉えられない領域に達していたが、バージルの目にはその姿がはっきりと映っていた。
そもそも彼自身もエアトリックという超高速の移動手段を持っているのだ。雷速で動き回るブリッツの動きを追うことは難しいことではない。
バージルに飛びかかろうとブリッツが姿を現した瞬間、閻魔刀の斬撃が悪魔に叩きこまれる。
「ほう、鎧代わりにもなるのか」
全力には程遠い一撃とはいえ、セブン=ヘルズ程度なら容易に消し飛ばす斬撃を受けても傷一つつかないブリッツに感心したように声をかけた。どうやら体を纏う電撃は鎧として役割も持っているらしい。おまけに地面には電撃で焼け焦げたような跡ができている。鎧にはカウンター機能のようなものも付いているらしい。
ブリッツは再びその身を雷に変え、辺りを飛び回り始めた。
「持っていろ」
少し離れたところにいたキュウマに遺跡で手に入れた本を投げ渡した。戦闘で傷でもついたら元も子もない。
そしてバージルも姿を消した。正確にはエアトリックでブリッツを追い始めたのだ。
数瞬の後、空中で叩き落されたのか仰向けに倒れ込みながらブリッツは現れ、同時にその正面にはギルガメスを着けたバージルが右腕を構えながら降り立った。
それでもいまだに電撃の鎧は健在だったため、大したダメージを負っておらず、体をばねのようにして起き上がった。
しかしその瞬間、ブリッツの腹にギルガメスのボディーブローが突き刺さった。
バージルの力を溜めこんだその一撃は、電撃の鎧を剥ぎ取るには十分過ぎる威力を発揮した。そして鎧をはがすだけでは終わらず、その凄まじいエネルギーは悪魔の重量級の巨体を空中へ打ち上げた。
ギルガメスの一撃の大部分は鎧で吸収されたといっても、撃ち込まれた一撃はなお強力で、悪魔は受け身を取ることもできず大地にダウンした。
それでも、すぐに起き上がろうとするところはさすが悪魔、さすが魔帝謹製の精鋭といったところか。
だがしかし、起き上がった瞬間に、今度は二連回し蹴りを叩き込まれた。防御もできずほとんど無防備の状態でそれを受けたブリッツは森の方へ吹き飛び、何本もの木を折ったところでようやく止まった。
もはや満身創痍になりながらも、よろよろと立ち上がったブリッツは、体を仰け反らせながら最初のものとは比較にならない、空気を震撼させるような咆哮を上げた。
すると身に纏う電撃が赤いものへと変わり、体色も赤く変化していった。
赤色への変化と比例するようにブリッツから感じる力も増していく。残された命を一気に燃やして瞬間的に力を増強しているのだろう。
「最後の悪あがきか……、愚かな」
もはや何もしなくとも、三十秒とかからずブリッツは死ぬだろう。幻影剣を数本打ち込むだけでも終わるはずだ。
しかしバージルはそのどちらも選ぶつもりはなかった。
「You will not for get this my power」
その言葉はブリッツではなく、悪魔をこの地へ送り込んだ魔帝ムンドゥスへ向けられたものだった。
そして両手で持った閻魔刀を、ゆっくりと大上段に構える。
ブリッツも最期の一撃を叩き込むべく体を赤い雷光へ変えてバージルへ突進した。
その突進が当たる直前、バージルは魔人化して閻魔刀を振り下した。凄まじい魔力の暴風が辺りに吹き荒れ、空を覆っていた黒雲が吹き飛んだ。
数年前にもこの島で魔人化したことがあるが、その時でもこうはならかった。これはバージルの力が増しているのことの証左なのだ。
スパーダの血族に相応しいその力は、ここより遥か遠くの離れたところにいる魔帝ムンドゥスにも届いただろう。
当然ブリッツ程度に対抗できるはずがない。そもそも魔人化する前からバージルに圧倒されていたのだ。
振り下された閻魔刀の一撃は、赤い電撃の鎧ごとブリッツの体を紙のように両断し、二つに分かれた悪魔の体はそれぞれ森の中へ転がっていき、最期に轟音を響かせながら爆発した。
既に魔人化を解いていたバージルは、数年ぶりに力を解放した余韻を味わいながら閻魔刀を鞘に納めた。
(さて、後はムンドゥスがどう動いてくるか、か……)
しかし、バージルは知らない。力を見せたことで仇敵に大きな影響をもたらしたことを、そして、弟の一助となっていたことを、彼は知る由もなかった。
ブリッツを始末したことでひとまず今回の調査は終了となり、それぞれの集落に戻ることにした。
悠々と帰ってきたバージルを最初に出迎えたのは大急ぎで戦いの準備をしていたアティだった。
「え……バージルさん?」
目を丸くしてバージルの名を呼んだ。
彼女は学校で授業していたのだが、急に空が黒雲に覆われ、雷が落ちたかと思うと突然
一通りアティの話を聞いていると、そこへポムニットがやってきた。洗濯物を取り込んでいたのだろう、手には大きなカゴを持っている。
「あ、おかえりなさい」
「ああ」
「先生が随分心配してましたよ。でも、無事でよかったです」
どうやらポムニットはあまり心配していなかったらしい。紛いなりにもバージルと戦ったことがあるため、彼の力は骨身に染みているからだろう。
「あの、それで何があったんですか?」
「悪魔と戦っていただけだ」
アティの質問に短く答えた。彼女が感じた異変はどれも例外なく、バージルとブリッツによって齎されたものだ。
「また、悪魔ですか……」
顔を顰めながら呻く。バージルの言う「悪魔」が彼女の知っている悪魔でないことは理解していた。あの悪魔とは二度と出会いたくはなかった。
バージルの言う悪魔は、戦うこと自体が目的であり死ぬことすら恐れていない、そんな感じがした。そのため話し合いは通じず、出会ってしまったらどちらかが死ぬまで戦うしかない。
それは戦うことが好きではないアティにとって想像以上に辛い事なのだ。
「あの、悪魔ってはぐれ召喚獣でも出たんですか?」
話がうまく飲み込めていなかったポムニットがおそるおそる尋ねる。
「あ、えっと、バージルさんが名もなき世界から来たってことは知ってる?」
ポムニットはそのこと自体をバージルから聞かされたことはないが、少なくともリィンバウム出身ではないことは薄々感じていたので頷いた。
「名もなき世界にも悪魔がいるらしくて、それが現れたの」
「バージルさんもその悪魔なんですよね?」
「そうだ」
確かにそれなら自分とは全く違うのも当然だとポムニットは納得した。
「……どうして急に現れたんでしょう?」
数年前の遺跡の一件以来、悪魔が現れることはなかったにもかかわらず、何故急に現れたのか。その当然の疑問をアティは投げかけた。
「さあな」
そうは言うものの自分なりの仮説は立ててある。誰かを説得できるような証拠こそないが、バージルはほぼ間違いないだろうと考えていた。
しかし、それを話そうとは思わない。
たとえ魔帝が侵攻を企んでいることを知ったとしても、アティ達にできることなど何もない。それほどに魔帝ムンドゥスの力は強大なのである。あの父でさえ殺すことはできず、封印するしかなかった程だ。この世界の人間ではどうすることもできないだろう。
何もできないのなら魔帝の存在は知らない方がいい。唯一対抗できる自分自身が知っていればそれで済むことだ。
だがそうは言っても、バージルはリィンバウムを守るために戦うつもりなどない。あくまでも目的は魔帝の討滅なのだ。
しかしどうやって魔界に行くか、まったく当てがないのは問題である。向こうがこちらに侵攻してくるならそれでいいが、そう都合よくいくとも限らない。魔界へ行く方法を見つけておくに越したことはないだろう。
「また、出て来るの?」
ポムニットが少し不安そうに言った。バージルがいる限り大丈夫だと頭では理解しているが、それでも不安を消すことはできないようだ。
「……これまでのように、全く現れないというのはありえないだろうな」
今後のことについてはバージルも計りかねていた。こればかりはムンドゥスのさじ加減一つなのだ。すぐにでも悪魔を送り込み侵攻するのか、時間をかけてでもリィンバウムと魔界を繋いでから侵攻するのか、あるいは四界から侵攻するのか。魔帝は自由に決めることができる。
これを予測するのはいかにスパーダの血族といえど不可能である。
しかしムンドゥスがどの選択肢を選んでも、魔界との境界が薄れたのであれば、これからのリィンバウムにはまず間違いなく悪魔が現れるようになるだろう。それは割れたガラスが元に戻らないように、たとえこの瞬間にムンドゥスが滅んでも避けられないことなのだ。
「私、みんなと相談してきます……!」
彼の言葉から事態の深刻さを悟ったのか、アティは顔を青くしながら出かけて行った。
「大丈夫だよね……?」
バージルの袖を引きながらポムニットは彼を見上げた。
「今はな」
彼女の言う「みんな」が誰なのか見当つかないが、今回の一件では怪我人は誰一人でていないのは間違いない。しかしこれから先どうなるかはわからない。
「…………」
もしかしたら大切な人を失うかもしれない、その可能性を思い知らされたポムニットは自分の居場所がなくなるような恐怖を感じ、バージルのコートの袖を掴みながら震えていた。
「……誰かを失いたくないなら力をつけることだ」
似たようなことをアティにも言ったが、それは誰よりも力を渇望してきたバージルだからこそ言える言葉なのだ。
「力……」
繰り返す。ポムニットが持つのはサプレスの悪魔の力、生命を奪う力だ。ところが彼女はそれをずっと忌避し続けてきた。
最近始めたバージルとの訓練によって、向き合うことができたが、それでも自分から積極的に考えようとはしてこなかった。
しかし彼女はついに生まれて初めて、自らの意思で悪魔の力について考えているのだ。
それはポムニットが少しずつでも成長している証なのかもしれない。
バージルがブリッツと戦ってから二十日ほど経った時、彼はアティに連れられて集いの泉にやって来ていた。呼ばれた理由は、悪魔について話して欲しいとのことだった。
既にこの島では二度、悪魔が現れている。どちらも悪魔の出現を察知したバージルが、速やかに始末したため、大事には至っていない。
しかし、この先ずっとバージルが島にいるとは限らない。これからのことを考え、悪魔への対策を練っておこうと思うのは至極当然のことと言えるだろう。
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
「先生から話は聞いていると思いますけど、あなたの言う悪魔について教えて欲しいんです」
集いの泉には護人のほかにミスミやフレイズ、クノンの姿もあった。
「……何から説明すればいい?」
悪魔についてといっても具体的に言ってもらわなければバージルも説明のしようがない。
「そうね……、まずは悪魔はどこから来ているの?」
「魔界からだろうな」
人間界に出現した悪魔が、更にリィンバウムに現れたという可能性も僅かながらにあるが、尋ねたアルディラが求めている答えはそうではないだろう。
「魔界?」
アティが疑問の声を上げた。バージルから多少は悪魔のことを聞いたことはあるが、その時には聞かなかった言葉だ。
「悪魔の故郷で、人間界とは境界で隔てられた世界だ」
「隔てられているんなら、なんでこっちに出てこれるんだ?」
「境界とはいっても実際は網のようなものだ。力の弱い奴らなら潜り抜けることができる。……もっともそういう奴らはこっちに来れても、依り代がなければ体を維持できんがな」
「それでは、以前この島に現れた者達はそういった類の存在ということですか」
確認するようにフレイズが言った。
「そうだ。しかし中には例外もいる。貴様らも遺跡で戦っていただろう」
「それって……あの氷を使う悪魔のことですか?」
アティの問いに頷く。フロストは魔帝が人間界侵攻のために創造した悪魔だ。そのため人間界でも依り代なしでも体を維持することができる。
「それにしてもなぜ今回だけ、こう何度も現れるのじゃ?」
今度はミスミが疑問の声を上げた。
「前回は境界が薄まっていたのは短時間だったのだろう。だが今回はいつ戻るのか見当もつかん」
以前は遺跡に寄生したインフェスタントが際限なく引き出し続けた魔力のせいで境界が薄まっていたため、原因が取り除かれた時点で境界も自動的に元に戻ったのだが、今回は直接境界への干渉だ。それも最上位の悪魔であるムンドゥスの力を受けたのだ。
果たして元に戻るのはいつになるのか、いや、それ以前に元に戻るかどうかすら定かではなかった。
「それが事実なのであれば、なおさら対策を急がねばなりませんね」
「ああ、思ったよりヤバそうだ……」
早急な対策の必要性を感じたキュウマの言葉にヤッファが同意した。無論その他の者達にも異論はなかった。
「実際に現れるのはどんな悪魔が想定されますか?」
クノンの問いかけにバージルは少し考えたから答えた。
「……セブン=ヘルズあたりだろうな。」
境界が薄れただけで大悪魔のような強力な存在が現れることはまずない。そのため、彼らが戦うのは境界をくぐり抜けられる下級悪魔になるだろう。
下級悪魔は数多く存在するが、セブン=ヘルズとの戦い方を心得ていればその他の悪魔はその応用で対抗できる。それは依り代を必要とする関係上、下級悪魔の攻撃方法が限られてくるためであり、セブン=ヘルズ自体が多様な攻撃方法を持つ種で構成されているためでもある。
「セブン=ヘルズ……? 以前現れた者のことですか?」
「正確には奴らの総称だ。全部で七種類いる」
バージルは次々と名前と簡単の特徴を伝えた。
「どいつも雑魚だ。攻撃される前に、剣でも魔力でも使ってさっさと始末すれば問題ない。……貴様らが注意を払うべきはヘル=ヴァンガードだけだ」
ヘル=ヴァンガード。セブン=ヘルズを統べる存在であり、見た目こそ似ているがその力は下級悪魔とは比較にならない。
「なにか他と違う特徴はありますか」
「他の悪魔より一回り大きな体をしている。見分けることは容易いだろう」
そこで言葉を切った。既に話すべきことはほとんど話し終えている。
「あとは実際に戦ってみることだ」
それだけを言い残してバージルは集いの泉を後にした。
これ以上この場に残っても彼がすべきことは、もはやなにもないのだ。
悪魔との戦い方を聞かれる可能性はあるが、そもそもバージル自身、戦技の基礎も悪魔との戦い方も全て実戦の中で身につけたものだ。誰かに戦い方を教えられるとは思っていない。
バージルはあくまでも自分のために戦うだけだ。ただ、そう思っていたとしても自分の戦いを見るなとは言わない、真似をするなとも言わない。自分は自分で他人は他人、それが彼のスタンスなのである。
つい先ほどまで雲一つなかったのに、ものの数分で空は分厚くどす黒い雲で覆われようとしていた。まだ昼前だというのに辺りは暗くなり、まるで世界の終末を予感させるような変化だ。
それでも集いの泉では明かりを灯して悪魔への対策が話し合われていた。
バージルは一度、視線を泉の方へ向ける。その瞳に何を見ているかはわからない。
僅かの間そうした後、自嘲気味に鼻を鳴らすと歩き出した。
帰るべき、場所へと。
第2章 放浪 了
すごく久しぶりの戦闘回でしたが、いかがだったでしょうか。
この話を持って放浪編は終了となり、次回以降は原作1,2の時間軸へ移ります。
ご意見ご感想お待ちしております。
ありがとうございました。