バージルの卓越した戦闘技術は生まれつきのものではない。父から学んだものだった。
かの魔界最強の魔剣士スパーダから直接教えを受ける。それはある意味光栄なことなのかもしれないが、その内容は筆舌に尽くしがたいほど苛烈なものだった。
彼は父の力に憧れ、目指していたため黙々とこなしていたが、弟はそうではなかった。冷徹な悪魔の顔を見せながら自分達を鍛えるスパーダに少なからず恐怖を抱いていたのかもしれない。
その苛烈な教えが今のバージルの戦闘センスや体の動きといった基本的な部分を鍛え上げた。しかし父は閻魔刀の使い方は教えてくれなかった。今バージルが閻魔刀を用いて使う技は、全て自分で磨き上げたものだ。
使い方を教えてくれなかった父に対して疑問がないといえば嘘になる。しかし己の技が磨き上げられるたび、閻魔刀の剣筋が鋭くなるたび、自分の力が増していることを実感してきたバージルにとって、既に気にするようなことではないのだ。
あるいはそれが父の狙いだったのかもしれないが、もはや真実を知る術はない。今はただ、より強い力を求めるだけだった。
「雨、なかなか止みませんね」
外は強風を伴った大粒の雨が昨夜から降り続いていた。そのため学校は休校となり、アティもポムニットも家の中にいた。
さすがにバージルもこの天気の中、外に出る気は起きず、瞑想をして過ごしていた。
「せっかくですし、昨日貰ったお茶を淹れますね」
一通り家の掃除を終えたアティが言う。
「あ、お手伝いします」
ポムニットはしていた宿題を閉じて手伝いを申し出た。
「……もらおう」
バージルはピクリとも動かずに答える。それを聞いて二人はお茶を淹れに台所へ行った。このお茶は昨日アティがヤードから貰ったものらしい。最近の彼は教師をしている傍ら、趣味が高じて茶葉を作ったようで、そのお裾分けとのことだ。
しばらくしてアティが湯呑を手に戻ってきた。
「お待たせしました、どうぞ」
目の前のテーブルに置かれたお茶をバージルは手に取ると、独特の香りが鼻孔を刺激する。そして口に含むと茶特有の苦みと渋みが広がる。しかしそれだけでなくその中に甘みとうまみも感じられた。
「ほう……」
思わず感嘆の言葉が漏れた。お茶には詳しくはないバージルだが、それでもうまいと思った。
「おいしいですか?」
「ああ、悪くない」
さらに湯呑を傾けるバージルを見ながらアティは微笑んだ。
「そういえばバージルさんって、よくさっきみたいに瞑想してますよね、あれってどういう効果があるんですか?」
ふとした疑問を尋ねたアティにバージルはお茶を飲みながら答えた。
「体内の魔力を操り、そして練り上げることでより強い力に耐えられるようになっていく」
「あの、それって……私もできますか?」
話を聞いていたポムニットが口を開いた。
「どうしたの?」
「……できるなら私の力をコントロールできるようにして、みんなと外で遊びたいんです」
彼女の言葉でアティは思い出した。たびたび一緒に外で遊ぼうと誘われていたポムニットが、それを断っていたことを。彼女の悪魔としての能力は生命力を吸い取る力だ。しかし本人も使いたくはないので全くコントロールできておらず、本能からか自分の身に傷を負った時に勝手に発動してしまうのだ。
「あれではできんが、力のコントロールくらいは教えることができる。……ただし、それに耐えられるかは知らんがな」
「……お願いします、それを教えて下さい」
己の力をコントロールすることは決して簡単なものではないだろう。それでもポムニットはバージルに教えを請うことを選んだ。
いくら悪魔の力を嫌っていようと一生自分について回るのだ。誰かの命を奪ってしまうことに怯えながら生きるより、それをコントロールして自由に生きたい。
ポムニットと共に学んでいる学校のみんなは、それぞれの種族特有の力を自然に使いこなしている。自分と同じくらいの年齢の子にもできたのだから決して不可能ではない。そう考えたのだ。
「私からもお願いします」
四界の住人の力について、アティが知っているのは表面上の知識だけだ。それだけでポムニットの助けになることは難しい。
一応、狭間の領域には悪魔はいるが、意思疎通できるような存在ではない。
おまけに人とのハーフとなるとアティでもほとんど知識がないのだ。
正確には少し違うとはいえ、同じ人と悪魔のハーフであり、自在に悪魔の力を操るバージルに頼らざるを得ないのだ。
「……いいだろう」
果たして彼がポムニットに教える気になったのはただの気まぐれか。あるいは彼女に思うところがあったのか。それとも例の感情について知るために自分らしくないことをしてみる気になったのか。それはバージルにしかわからなかった。
数日後、昨日まで降り続いた雨はすっかり上がり、嘘のような青空が広がっていた。そんな中バージルとポムニットは島の南岸の砂浜に来ていた。
力のコントロールについて教えるという約束を果たすためである。
「力の出し方は分かっているか?」
少し離れて向かい合ったポムニットに尋ねた。現在の彼女がどこまで悪魔の力を扱えるか確認するためである。
「……分かりません」
予想通りの答え。随分と悪魔の力を忌避していたのだ、しょうがないことだろう。
「以前俺の前で使った時は、随分傷を負っていたな」
「…………」
顔を後悔で歪めながら無言で首を縦に振った。バージルの前で悪魔の力を使った時、ポムニットは傷だらけであった。悪魔の力はそれを癒すために、母の命を奪った。その時のことを思い出したのだ。
「ならば、まずはお前の力を引き出すとしよう」
言葉と共に一瞬でポムニットに接近し、彼女を軽く小突いた。
もっともそれはバージルの感覚からのことだ。ポムニットからすれば凶暴な召喚獣の一撃を受けたに等しい。もちろんバージルにポムニットを殺す意思などない。今の一撃は彼女の力を引き出すためにしたことだ。
そのため当然ながら彼はかなり手加減をしていた。正直もっと力を込めていても死にはしなかっただろう。
この程度バージルが父から受けた教えに比べれば優しすぎるくらいだ。スパーダの教えはこの比ではなかった。いくらバージルが当時から、並みの悪魔とは比較にならないほど強靭で頑強な肉体を持っていても、いつ死んでもおかしくないほど厳しいものだったのだ。
「思ったより簡単に発動するようだな……」
角から光を放つポムニットを見る。どうやら傷を負ったことで無意識の内に、生命を吸収する能力を使っているようだ。自分から生命力を吸収しているのを感じる。
普通の人間ならそれで命を落とすかもしれないが、バージルには無用の心配だった。いわば大海からスポイトで水を吸い取るようなものなのだ。
「今の感覚を忘れるな、それがお前の力だ。……さあ、その力で向かって来い」
ポムニットがゆっくりと立ち上がる。たとえ傷が癒えても精神的なダメージが彼女を蝕んでいた。
バージルがポムニットに近付いていく。距離が縮まるにつれ、彼女の顔に刻まれた恐怖の色が強くなっていく。
そして遂には耐えられなくなったのか、後ずさりながら首を横に振った。
「や、やだ……やだぁ」
ポムニットが首を横に振ったのは、悪魔の力を使い、生命を吸収する感覚があまりにおぞましかったというのもあるが、それ以外にもバージルが怖いという理由もあった。
普段の彼も冷徹で表情一つ変えないが、今は最初に村で会ったとき以上に怖かった。正直彼女はそんなバージルと相対するのが怖くなったのだ。
「貴様が怖いのは俺か? それとも自分の力か?」
「両方、です……」
弱々しくも正直に呟いた。
「話にならんな、自分の力がどういうものか理解しなければコントロールなどできるわけがないだろう」
バージルとてその身に宿る悪魔の力を最初から使いこなせていたわけではない。父の地獄のような教えによって力を自在にコントロールできるようになったのだ。その教え方にしても最初は、自分達の力がどういうものか身を持って理解させるところから始まったのだ。
単純に知識や技術を伝えるだけなら話は別だが、力をコントロールさせる方法を教えるとなれば、バージルはこのやり方しか知らないのだ。
「…………」
口を噤む少女に冷たく言い放った。
「……仕方ない。先程と同じように悪魔の力を引き出すしかないな」
「ひっ……」
ポムニットが恐怖を見せる。彼女はバージルが冗談を言うタイプではないことを知っている。だから彼が本気だということが理解できた。
バージルが歩を一歩進めるたび、心なしか彼の纏う殺気が強くなっていくような気がした。
「あ、う……」
そしてついに目の前に来た時、ポムニットはへたり込んでしまった。それをバージルは何の感情もない瞳で見下してた。
先程のように軽く吹き飛ばさそうと手を伸ばした時、その腕をポムニットが掴んだ。
「うああああああ!」
限界を超えた恐怖が生存本能を刺激したのか、角から光を発しながらポムニットは叫び声を上げて、バージルにがむしゃらに突っ込んできた。まだ子供とはいえ悪魔の血を継ぐポムニットの力は既に人間を超えていた。地面を殴れば亀裂を入れ、金属すらも砕く程だ。
「……それでいい」
バージルは彼女を片腕で受け止める。それも薄く笑いながら軽々と。
ポムニットは自分自身の力を使っている。たとえそれが半ば意識を失って本能だけで動いていようと、次に意識を取り戻した時には、己の力がどんなものか理解できていることだろう。バージルがそうだったように。
バージルの教導はようやく始まりを迎えたのだった。
「あ……う……」
ポムニットは重く感じる瞼をゆっくり開く。疲労からか瞼は随分と重く感じられた。
目を開けた先には最初に来たときとは違い、同じ赤い空が広がっていた。太陽の位置も。ここに来た時は太陽東の空にあったのに、今は西の空から水平線に隠れようとしていた。
「目が覚めたか」
倒れ伏したまま声のした方へ、太陽とは逆の方向へ目を向ける。そこには背を向けたバージルが赤く染まる海を眺めていた。
彼の周りには小さなクレーターがいくつもある。バージルとポムニットの戦いでできたものだ。
泥のように重い体を起こす。さすがに立ち上がる気力はなかった彼女はじっとバージルを見つめながら、さきほどまでのことを思い出していた。
(本当に、私が……)
はっきりいって自分がさっきまでしてたことが現実とは思えない。あのバージルと戦うなど普段の自分ならぜったいにありえないことだ。
しかし体を襲う疲労感が、現実であることを彼女に思い知らせた。
「少しは自分の力を理解できたか?」
「……はい」
ほとんど無意識の中で体を動かしてはいたが、ポムニットは自分が力をどう使って、バージルと戦っていたか詳細に覚えていた。
大地を砕く怪力でバージルに戦いを挑み、受けた傷は生命を奪う能力で癒す。そんな自分の中の力を彼女は身を持って理解させられたのだ。
それこそが、普通の人間では持ち得ない力。
それこそが、大切な母の命を奪った元凶。
頭では理解していたものの、悪魔の力が己の中に存在することを具体的に体感したことで、ポムニットはようやくそれが自分の一部であることを認めた。認めるしかなかった。
「私、ようやく自分と向き合えました。ずっと嫌いだったこの力も、悪魔の血も、私の一部なんですね……」
自分がどのような存在か、それを知るには自分と向き合うしかない。しかしそれは一見簡単なようで難しい。特に否定したい部分であれば尚更だ。
ポムニットは否定したい部分と半ば強制的に向き合わされることになったのだ。間違いなく辛く厳しいものだろう。
「自分と向き合う、か……」
彼女の言葉をバージルは反芻した。そこに何を思うのか、背中からは計り知れなかった。
「……どうしたんですか?」
「何でもない。……じきに日が暮れる、帰るぞ」
ポムニットの疑問には答えず、海に背を向けて歩き出した。
しかし一向にポムニットは立ち上がる気配を見せない。
「何をしている。さっさと行くぞ」
「あ、ちょっと立てなくて……、先に行ってください。少し休んでから戻りますから」
いくら悪魔の血を引いているとはいえ、ポムニットはこれまでまともに戦ったことすらなかったのだ。そんな彼女が何時間も休みなしで戦い続けたのだ。体が言うことを聞かなくなっても不思議ではない。
「……しかたないか」
溜息を吐きながら呟いたバージルがポムニットを脇に抱えた。
突然のことに驚きつつもポムニットは礼を言う。
「あの、ありがとうございます」
自分の体を抱えている彼の手に触れる。同じように人とは異なる存在の血を引いているのに、自分とは違う、まるで普通の人間のような手。
思えば容姿も普通の人間のようだ。カイルの話では悪魔としての姿にも変わるという話だったが、もしそうなったら一体彼は、どれほどの力を持っているのだろうか。
しかしきっと彼のことだ、どれほどの力を持っていようと苦も無くコントロールしてしまうのだろう。
これまでポムニットはバージルのことを恩人として見ていた。どん底まで落ちるだけだった自分を救い、多くのものを与えてくれた大切な人。彼と出会わなければ学校に通えることも、友達ができることもなかっただろう。それどころかまともな生活なできたかどうかすら怪しい。
それが今では彼は恩人というだけではなく、憧れも抱いていた。人のものではない力を容易く操るその姿にポムニットは憧れたのだ。大きな力はなくてもいい。でも、いつかは彼のように自分の力をコントロールできるようになりたいと思ったのだ。
目指すべき自分の姿を見つけた者が成長するのは早い。きっとポムニットが悪魔の力を操れるようになるのも時間の問題だろう。
アティの家に戻り夕食を済ませたバージルは、砂浜で海面に浮かぶ月を眺めながら考え事をしていた。
「自分と向き合う……」
再びポムニットの言葉を繰り返す。
彼女が言いたかったことはわかる。彼女は自分の力がどういうものか、理解することをそう表現したのだろう。
この言葉を聞いた時、バージルは唐突に思ったことがある。
(俺は自分と向き合ったことがあるのだろうか)
悪魔としての自分となら飽きるほどある、そう断言できる。
だが、人間としての自分ならどうか。
「……今からでも遅くはない、か」
独白し彼は向き合うことにした、人間としての自分に。
バージルがかつて家族と共に住んでいた家は、最寄りの町からも随分離れた所にあった。そのため友人はおろか知り合いもいなかった。
しかし何も思い出がないわけではない。
父に褒められたこともあった。母が手作りした服を貰ったこともあった。弟と一緒に遊んだこともあった。
もちろん楽しいことだけではない。父の厳しい教えを受けたこともあった。母に怒られたこともあった。弟と大喧嘩したこともあった。
父と母と弟。それが幼いバージルの世界の全てだったのだ。
それでも不満は一切なかった。それでバージルは幸せだったのだ。
「……そうか」
ようやくわかった。あの感情が何であるか。全てが繋がった。
バージルは父を、母を、弟を愛していた。
だから母を失った時は悲しかった。スカーレルと話をした時もポムニットの母の姿を見た時も、無意識に自分の母と重ねてしまったため、悲しみが呼び起こされたのだ。
彼はこれまで伝説の魔剣士スパーダと気高き母エヴァの血を引いていることを理解し、納得もしていた。だが同時に自らを人間と自称することはなかった。力のない人間の血を引いていると認めることができなかったのだ。だからあの感情が人間らしい悲しみであることがわからなかった。
そして彼はようやく認める。自分が人の血を引いていることを、人間らしい感情を持っていることをバージルは魂から認めたのだ。
(……だが)
しかし、そこまでだ。
確かに己は悪魔と人間の血を引いた半人半魔として生きてきた。だが、それは母が悪魔に殺されるまでだ。あの時バージルは人間の部分を切り捨て封印したのだ。そして残ったのは悪魔の部分だけ。
その証拠に母が殺された時、バージルは泣かなかった。一滴の涙も流さなかった。弟はわんわんと泣いていたというのに。
代わりにバージルの中に芽生えたのは、悲しみを塗りつぶすほどの巨大な、力なき己への憎悪と、際限なき力への欲求だった。
(今にして思えば、この時からなのだろうな……)
同じ血を分け、同じように育ってきた弟と決定的な違いが生まれたのは。
それからバージルは悪魔として生きてきた。何者も及ばない父スパーダの力を手に入れるために、父の足跡を追って、テメンニグルを起動し、弟と戦い、敗れ、偶然か必然かこの世界に辿り着いた。
悪魔として生きてから、彼は一度たりとも涙を流していない。そしてこれからも流すことはないだろう。もはやバージルが人として生きていくことはありえないのだ。
あの時バージルは悪魔として生きることを選んだ。それは自分が人間の血を引いていることを認めた今でも、後悔していないし、その選択が間違いだとは思わない。
しかしだからといって、今のような自分を見つめ直すこと自体が無駄だとは思わなかった。
これまでのバージルは潜在的に母を失う前の自分と、悪魔として生きてきた自分を明確に区別してきたのだろう。過去のことを必要以上に客観視していたのもこのためだ。
いわばこれまでの彼は、母を失ってから生みだされた存在にすぎないのかもしれない。
だが今回、自分と向き合ったことで、今の自分は父スパーダと母エヴァ、そして弟ダンテと共に幸せに暮らしていた自分がいるからこそ、成り立っていることを理解した。
それは欠けていたパズルの最後のピースが見つかったに等しい。全てを自分の一部として認め、受け入れたのだ。
もはやバージルは自らの内面に不快になることはないだろう。
人一倍頑固で強情な彼はようやく「己」を見出せたのだ。
思ったより筆が進んだので早く投稿できました。
この小説にとり重要なテーマであるバージルの変化を描いてみた第20話いかがだったでしょうか。
ご意見ご感想お待ちしております。
なお、次回はおそらく今回ほど早く投稿はできないと思います。ご理解ください。