霊界サプレスに存在する悪魔。この悪魔はバージルの知る悪魔とは全く別の存在である。サプレスの悪魔は実体を持たずリィンバウムに召喚された時はマナを使って体を構成するが、魔界の悪魔は基本的に己の肉体を持っているのだ。
そして、もう一つ大きな違いがある。それは悪魔に関する認識である。人間界では一般的に悪魔の存在は認められていないが、このリィンバウムでは悪魔はサプレスに住む存在として広く知られているのだ。それ故、召喚獣として召喚されることも珍しいことではなかった。
もっともサプレスの悪魔は、過去にリィンバウムや幻獣界メイトルパに侵攻を企てたことからも、決して人間に対して友好的な種族ではない。召喚師が呼び出した悪魔に殺されることも少なからずあるのだ。
そうした召喚師のいない召喚獣のことを「はぐれ召喚獣」と呼ぶ。召喚師がいなくなる理由は前述の他にも様々あるが、はぐれ召喚獣となってしまった者の多くは悲惨な目にあってしまうのが現状であり、中には無差別に人を襲う存在になってしまう者いる。
はぐれ召喚獣のような、急に生まれ故郷から見知らぬ世界に呼び出された揚句、二度と故郷に帰ることは叶わない存在が生まれてしまうのは、召喚術の大きな弊害と言えるだろう。
これからバージルが戦おうと考えている旧王国で暴れ回っている悪魔の群れも、元々はこの世界に召喚された召喚獣だということも考えれば、召喚術の弊害は召喚獣だけではなく、人間にも害を齎すものなのだ。
ちなみにバージルもリィンバウムに呼ばれた身であるが、彼を呼び出した召喚師が誰なのかすらわからないので、はぐれ召喚獣という区分になるだろう。見た目は人間と同じなので気付く者はいないが。
「さて、あとは待つだけだ……」
とある町の外れにある宿の一室で、窓から外を眺めながら呟いた。バージルは数日前までは聖王国北部にある闘戯都市グライゼルにいたのだが、そこで悪魔の軍勢が旧王国北端の国境を越え東に向かっているという情報を得た。
そのためバージルはここにやってきた。次に悪魔が狙うとすれば、聖王国北西部に位置し旧王国北端から最も近いこの町だろうと予想してのことだった。
何気なく外の景色を眺めていると、町を出て行く一人の人間の男が目に入った。一見するとただの一般人のように思われるが、その身に纏う魔力は明らかに人間のものとは異なっていた。
「あの男……」
手ぶらにもかかわらず、その人間は町の外に出て行ったきり戻ってくる様子はなかった。やはり何かあると感じたバージルは彼の正体を確かめることにした。
バージルが泊まっている宿屋から出た時には、既に目的の人間の姿はなかったが、その魔力はしっかり記憶に留めていたため問題なく追いかけることができた。
町を出てしばらく目的の男に向かって街道に沿いながら歩いていたが、魔力は街道から外れた方向から感じ取れた。どうやら近くの森の中に入ったようだ。
バージルも森の中に足を踏み入れる。この辺りの森は背の高い木々が生い茂っているため、太陽光を遮っているため昼とは思えない暗さだった。
しばらく森の中の道なき道を進むと、大きく開けたところに出た。そこには一軒の大きな館が立っていた。しかし、壁からは蔓が伸び、いたる所にひび割ができている。はっきり言って人が生活できる場所とは思えなかった。
だが男の魔力はこの館の中、それも地下の方から感じられた。こんな人目につきにくいところで何をしているのだろうか。
果たしてこの館で何が行われているのか、調べてみることにした。
(悪魔が現れるまでの暇つぶしにはなりそうだ)
薄い笑みを浮かべながら中に入って行く。
館の中は埃がたまっており、何年も使っている様子はなかった。一階の部屋を一つずつしらみつぶしに探したのだが、どの部屋も壁やベッドなどの家具も含めて使用に耐えられないほど傷んでおり、部屋としての体裁すら整えていなかったのが事実だった。
こうした状況から考えて、この館に人が住まなくなってから相当の時間が経過していることは想像に難くない。どうやらバージルが追って来た男は少なくとも館の持ち主ではなさそうだ。
館が男の物であるならば、部屋を廃墟同然にするとは考えにくく、住む場所として使うつもりがないのならそもそも家具などは置かないだろう。
やはり、あの男は勝手にこの館を使って「何か」をしているのだ。
その「何か」はわざわざ町から離れたこんな場所の地下で行っているのだから、人目についてはまずい事だということは容易に考えつく。
(見てみるか……)
こうまでして秘密裏に行っている事とは何なのか、バージルは確かめてみることにした。
しかし、既に一階はあらかた調べ終わっている。その時には地下への階段などは見つからなかった。
簡単に調べたところで見つからないようなところに隠してあるか、あるいは館の中ではなく外に入口があるのかもしれない。だが、バージルにはもはや、それを探す気はなかった。
男の魔力は真下から感じられる。どこにあるのかすら見当がつかない入口を探すよりも、手っ取り早く最短経路で行くことにしたのだ。
そう決断し、衝撃鋼ギルガメスを呼び出し体に融合させる。そして床に拳を向けた。
一瞬の静寂の後、腕に込められた衝撃を解き放った。
数キロ先にも届いただろう凄まじい轟音が周囲に響き渡りる。
人間界の物質より遥かに強靭な魔界のそれで造られた地獄門すら粉々に打ち砕いた一撃だ。ただの石でできた床を打ち抜くなど児戯にも等しいことであった。
数百キロの重量はあるだろう打ち抜かれた石の塊と共に、地下へと落下する。真下にいた男を下敷きにする形で。
(やはり人間ではないか……)
下敷きになり白い髪が血で赤く染まった男を見下ろす。普通の人間なら間違いなく圧死するような石の塊に押しつぶされているのにもかかわらず、この男は意識すら失っておらずバージルを睨みつけていた。
その様はまるで死体が意思を持ち動いているかのようだ。もしかしたら悪魔に取り憑かれているのかもしれない。
「あれは……」
ふと視線を背後に向ける。
そこにはいくつもの機械が置かれ、大小の魔法陣がいたるところに描かれており、その中心には大人の身長ほどある円筒状の透明な容器が二つ置かれていた。中は液体で満たされており、人間と思われる赤子が入れられていた。
恐らくこれが、館で秘密裏に行われていたことだろう。男の目的はこの赤子を造ることだったのだ。そのために、この館の地下に機械を運び、魔法陣を描いたのだ。
確かにこの男は高い魔力を秘めているようだが、それを考慮してもたかが二人の赤子を造るためだけに、ここまでの環境を整えるだろうか。
もしかしたら見た目や魔力ではわからない何かがあるのかもしれない。
「あれは何だ?」
赤子の正体を確かめるためには、造った本人であろう男に聞くのが一番だ。
「…………」
何も喋るつもりがないのか、そもそも声を出すことができないのか。理由は分からないが、男は何も言葉を発しなかった。ただ先程から変わらず、怒りの形相で睨みつけるだけであった。
対してバージルはまるで路傍の石を見るような顔で見ていた。
男が何も言うつもりがない事を悟るとゆっくりと赤子の方へ近づいていった。男が何も語らないのなら直接調べるだけだ。
バージルは容器に手を伸ばす。その時だった。
(この魔力は……)
この館から西の方角に人のものとは違う魔力が多数感じ取れた。おそらく件の悪魔の軍勢だろう。彼らの移動速度はバージルの予想よりも随分早かったようだ。興味の赴くままにこんなところに来たのは失策だったかもしれない。
しかし、ここにきたことで得るものもあった。
目の前の男、いや「悪魔」のことだ。
無様に石の下敷きになっている者は見た目こそ人ではあるが、その正体は悪魔で間違いないだろう。なにしろこちらに向かってくる悪魔の軍勢と同種の魔力を発しているのだから。
人に化けた悪魔がすること言えば、古今東西どこの世でもろくでもないことと相場が決まっている。二人の赤子もそのための道具なのだろうと、バージルはあたりをつけた。
その企みを今ここで叩き潰すのは容易い。幻影剣を数本放てばそれだけで絶命するだろう。
だが彼はあえて、この悪魔には手を出さないことにした。
このリィンバウムという世界に来てもう二年になるが、大きな力を持つ敵とは全くと言っていい程、戦うことができないでいる。
魔剣スパーダという父の振るった比類なき力を手に入れる機会は既に失われ、更なる力を得るには己を高めるしかないのである。ただ、それにも己の力を試し、確認するための練習台が必要なのだ。
今回あの悪魔の軍勢と戦うことにしたのも、悪魔の戦闘技術を見たいという考えもあったが、力を試す練習台にもなるだろうという計算もあったのだ。
そして今、将来の練習台になることを期待して、人に化けた悪魔を見逃すのだ。
「所詮石の下敷きになるような愚か者の考えだ。わざわざ調べる必要もあるまい」
石に下敷きにされている無様な姿を揶揄するような挑発の言葉を残し、バージルは穴の開いた天井から去って行った。その場に憎悪を募らせる悪魔を残して。
館を出たバージルは、悪魔に先回りするために急ぎ森を駆け抜け、なだらかな丘陵地に辿り着いた。のどかな風景が広がる様子からは、まもなくここが戦場になるとは想像もつかないだろう。
この地にはもうすぐ悪魔の軍勢が押し寄せる。
もはや急ぐ必要はない、あとはこの場で悪魔を待ち構えればいい。そう判断したバージルは腕を組み、瞑想しながらその時が訪れるのを待った。
「……来たか」
およそ三分ほど待ち目を開くと、数百メートル先に大量の悪魔が雲霞のごとく迫っていた。草と土に覆われた大地を黒く塗りつぶすその様は、さながら穀物を食い荒らすイナゴの大群のようだ。
もっとも悪魔が食い荒らすのは人間であるため、イナゴよりも遥かに害悪だろう。
それほどの悪魔の群れを見てもバージルは一切動じなかった。魔力の大きさから、大多数はヘル=プライドにも劣る存在ということは分かっている。ただ、群れの中に一体だけ大きな魔力の持ち主がいた。おそらくはその悪魔こそが集団を統率するボスだろう。
もっとも大きな魔力とはいっても
悪魔の軍勢との距離は既に百メートルを切るところまで接近していた。間違いなくバージルの姿が見えているにもかかわらず速度を落とさないのは、そのまま蹂躙できると考えているからだろう。
バージルは組んでいた腕を解き、戦いの開始を宣言するように左手の親指で鍔を持ち上げた。
生来、彼は無駄な破壊を好まない性格である。それゆえ彼がその強大な力を振るっても、一撃一撃に力を集約し攻撃の余波を発生させないようにしていたため、周囲への被害はほぼなかった。
しかし、今回の相手が大地を覆い尽くさんばかりの大量の悪魔であったため、彼は力を集束させず、むしろ力を拡散させるように戦うことにした。
その結果が目の前の光景だった。
地面には、まるで地割れのような数キロにも渡る閻魔刀による斬撃の痕跡が刻まれ、ギルガメスの一撃では月面を想起させる巨大なクレーターがいくつも造られていた。
これら全てがバージルの攻撃の余波の産物だった。
「まだだ、まだ足りないな」
己の力の一端を確認したバージルは言った。
かつて、魔剣士スパーダが魔帝ムンドゥスに反旗を翻し、彼の率いる強大な悪魔の軍勢に立ち向かった時も、今のバージルと同じように戦っていたに違いない。魔帝すら封印してしまう程のスパーダの力ならばそれこそ一振りで千や万の悪魔を切り捨てることすら容易いだろう。
そんなスパーダから、彼と弟は剣術等の戦い方の基本を叩きこまれたのだ。教え方は戦いの中で学ばせるという、非常に悪魔らしく厳しいものであり、その際に父の力は嫌という程体感してきた。
だからこそバージルは理解できるのだ。こんなものでは全く及ばない。父を、スパーダを超えるためにはもっと力が必要だ、と。
「……まあいい、次だ」
いろいろと思うところはあるが、一通り自身の力量の確認は終了した。後はもう一つの目的を果たすだけだった。
すなわち悪魔の戦闘技術を見ることである。
そのためバージルは全ての攻撃を止め、辺りは数分前までの静寂を取り戻した。
しかし次の瞬間、既に当初の二割ほどとなった悪魔の軍勢は、バージルの常軌を逸した力に恐怖を感じたのか雪崩を打って逃げ出した。
「無駄だ」
言葉と共に幻影剣が彼の軍勢を包囲するように降り注いだ。まるで、逃げることは許さないと言わんばかりに。
逃走を封じられ悪魔たちに残された道は、恐怖に駆られがむしゃらにバージルへ襲いかかるだけだった。半ば自我を失った彼らから戦闘技術を見ることは叶わないだろう。
もはやバージルは何の価値も見出していなかった。
残された悪魔は彼の手により三十秒とかからず殲滅された。
「…………」
目を閉じ、ゆっくりと納刀する。
そして、戦場だった場所を一瞥する。もはやそこに動くものはいない。夥しい程の悪魔も全て物言わぬ屍となり果て、マナで構成された体は時間と共に霧のように消えていった。
だが一部にマナがその場に残っている場所があった。そこは悪魔の中でも一際大きな力を持つ者がいたあたりだ。
「生きていたか、あるいは……」
バージルはそこへ向かっていく。
攻撃に巻き込まれ死んだと思っていたのだが、どうやらまだ生きているようだ。それが彼の者の力によりバージルの攻撃を凌いだのか、あるいは悪魔特有の能力や技術により死を免れたのは分からない。
もっともバージルにとってはどちらでもよかった。己の力で生き延びたのなら、もう少し練習台になってもらうだけであり、能力か技術で生き延びていたとしても、悪魔の技術を見るという当初の目的は果たせるのだ。
もう少しで目的の場所に辿り着くというところで、倒れ伏していた悪魔は立ち上がった。
その容姿は比較的人間に近いものの、背中の黒い羽根と頭部の赤黒い大きな角、青紫色の肌が人間とは異なる存在であることを証明していた。
先程よりだいぶ回復しているように感じられる。魔力で何かをした形跡はない。おそらく悪魔が元から持っている能力なのだろう。
「待て、待ってくれ」
「……何だ?」
「あ、あんたもニンゲンじゃないんだろ? な、だったらオレと一緒に来ないか?」
何を言うかと思い話を聞いてみれば、これまで戦っていた敵の勧誘を始めた目の前の悪魔にバージルは呆れていた。
「興味ない」
溜息をつきながら答えた。それを聞いた悪魔は先程までの態度を豹変させた。
「だったら死ねぇ!」
言葉と共に悪魔は己の能力を使用した。その力は他人の生命力を吸収する能力である。この能力で悪魔はバージルから受けた傷を周りの生命力を奪うことで回復させたのだ。
そしてその力はバージルに対しても効果はあるようだ。もっとも悪魔が生命力を吸収する速度より、バージルが生命力を回復させる速度のほうが早いため、この能力だけで彼を死に至らしめるのは不可能だが。
「貴様がな」
あまりに己の力を過信している愚かな悪魔にバージルは閻魔刀で胴体を両断し引導を渡した。
人間なら即死する状況だが、マナで構成された仮初の肉体を使っているためか、まだ死んではいないようだ。
「馬鹿な……な……ぜ……」
なにが起こったか理解していない悪魔には何も答えず、バージルは背を向けた。
「……士スパーダ…………は
その言葉に反応しバージルは咄嗟に振り向いた。そこには先程と変わらずあの悪魔がいたが、どうも様子がおかしかった。視線は空中をさまよい、瞳は何も映していない。悪魔はまるで操られているかのように話し続けた。
「ど…………こ……界を…………い」
そこで言葉が途絶えた。どうやら悪魔が息絶えたからのようだ。
(スパーダに
バージルは今の話した相手については予想がついた。
おそらく今の悪魔の体を使い、彼に話しかけたのは
だが、悪魔の体が既にまともに話せる状態でなかったからか、
唯一辛うじてに聞き取れた言葉は「スパーダ」と「
しかし、同時にそれは収穫でもあった。スパーダと
(今後はその二つの関係を調べてみるか)
歩きながら今後の方針を決めた。
既に日は山に隠れ、直に辺りは夜の暗闇に包まれるだろう。そして空には月が昇り、歩き続けるバージルの行く先を淡い光で照らしていた。
第15話いかがだったでしょうか。
ご意見ご感想お待ちしております。