Summon Devil   作:ばーれい

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第126話 奸計

 リィンバウムの各地の一定規模以上の都市や町が悪魔による攻撃を受けた現状にあって、唯一攻撃を受けていなかった都市、帝都ウルゴーラ。だがそれは、偶然に攻撃の対象を免れたのではなく、アズリア達の想像通り、その首謀者が帝都にいるためだった。

 

「作戦の第一目標は達成、ですが、第二目標の成功率はおよそ二割です、陛下」

 

「二割か。やはりあの程度の悪魔ではな」

 

 恭しく頭を下げるオルドレイクに言葉を返したのは、昨日ネロによって頭を撃ち抜かれたはずのレイだった。以前と変わらぬ姿で玉座に腰かけ、階下にいる部下たちからの報告に耳を傾けていた。

 

「やむを得なきことかと。しかしながら、これで国内外のほぼ全ての勢力はしばしの間行動を封じられるでしょう」

 

 彼らが敵と認識する勢力の支配下の都市や町には全て悪魔を送り込んでいる。撃退されたとしても少なからず被害は受けているだろうし、再攻撃の可能性を考えればまず原因の究明ではなく、被害の復旧と防衛戦力の整備に努めるはずだ。つまりそれが整うまで彼はフリーハンドで行動できることを意味するである。

 

「ほぼ全て、か……。動くとすればどこの者だ?」

 

 だが、レイはオルドレイクの言った「ほぼ」という言葉が気になったようだ。昨日のような不覚を取らぬためにもあらゆる可能性を考慮したいのかもしれない。

 

「帝都を脱出したアズリア将軍の部隊でしょうね。既に本隊と合流していますし、各地へ伝令を飛ばしているようです」

 

 それに答えたのはメルギトスだった。オルドレイクが先の悪魔にリィンバウム全土一斉攻撃の戦果の分析を担当していたのに対し、彼は帝国各地の情報収集を任されていたのだ。そして残存する帝国軍の中で最も厄介と言えるアズリアと彼女の麾下の部隊については特に注意を払って動向の把握に努めていたのである。

 

 麾下部隊と合流したアズリアは速やかに帝国各地へ伝令を派遣し、事態の把握に努めているようだった。また、自身や部隊が攻撃の対象となっている可能性を考慮し、都市や町から離れたところに駐留したこともあって、悪魔の攻撃を受けることはなかった。結果として残存する帝国軍の中で唯一無傷の部隊となっているのだ。

 

「早ければ今日にも動き出すでしょうな。場合によっては先手を打たれる可能性もあります」

 

 オルドレイクは頭の中でアズリアに帝国内の情報が伝えられる時期をはじき出して言った。情報を得た結果、アズリアがどのような手を打つかは分からないが、もしも彼女が帝都奪取を計画した場合、こちらの次なる計画が達成する前に戦うことになりかねなかった。

 

「それはいけませんねぇ、私にお任せいただければいかようにもしてご覧に入れますが」

 

 メルギトスが薄ら笑いを浮かべながらレイに進言した。人間など容易く壊滅できると言わんばかりに自信があるのだろう。

 

「捨て置け。来るなら迎え撃てばよい。どうせあれを止めることなどできはしないのだからな」

 

 だが、レイはメルギトスの提案を受け容れなかった。たとえ彼女らが帝都に攻め寄せてくるとしても、彼らの次の計画の要たるものを傷つけることなどできはしないという自信があったからだ。

 

「メルギトスよ、あの小僧はどこにいるのだ?」

 

 レイが言葉を切ったところでオルドレイクが尋ねた。現時点における最大の脅威は、一度はレイを殺した男ネロである。それだけにその動向はアズリア以上に把握しておかなければならないのである。

 

「トレイユですよ。とはいえ、昨夜以降の動きは掴めていないので、もう後にしているかもしれませんね」

 

 ネロの動向を探る重要性はメルギトスにも十二分に承知していたが、それでも実際に動向を調べるのは彼が召喚したサプレスの悪魔が主であったため、どうしても限界はあった。特にネロの場合、監視しているのを悟られればそこから付け入られる危険もあったため、どうしても安全を重視したものにせざるを得ず、その結果動向の調査も不確実なものとなったのである。

 

「トレイユか、そこはあの小僧が数年程前に滞在していた場所のはずだ。仲間でもいたか……」

 

 オルドレイクが推測を口にする。数年前、トレイユを中心にした至竜をめぐる争いについては彼も把握している。もっとも、当時はまだこうして蘇っていなかったため、どうしても大雑把な情報しかなかったが。

 

「……使えるかもしれんな」

 

 部下の推論を耳にしたレイは呟いた。その時、彼の脳裏に浮かんでいたのは、数年前に帝都で自らの障害となる貴族達を、悪魔を用いて殺害していた時のこと、レイは一度ネロと鉢合わせしている。そして、その時のネロは窓から逃げたレイを追っては来なかったのだ。

 

 当初はなぜ追ってこなかったのか不思議に思っていたのだが、オルドレイクが仲間の話をしていたのを聞いて、あの場にはネロ以外にも二人いたことを思い出したことで、一本の線で繋がった。彼はその二人の安全を考えて追っては来なかったのだ。

 

 ネロは仲間の安全を優先する性格ならば、付け入る隙はある。

 

「メルギトス、トレイユへ向かい先の一件の関係者を生け捕りにせよ」

 

「なるほど、人質というわけですか。古典的ですが、意外と効果的かもしれませんね。……ただしそれは、あの男がいなければ、という条件の上でですね?」

 

 メルギトスは頭を下げつつも、確認をとることを忘れない。いくら以前より力は増したとはいえ、ネロと戦って勝てるとは思えなかった。にもかかわらずレイが攻撃をさせるつもりでいるならば、大人しく従うわけにもいかない。

 

「攻撃の判断は貴様に任せる」

 

 その言葉を聞いて口元に笑みを浮かべたメルギトスは頭を下げた。だがそれとは対照的にオルドレイクがレイに向かって口を開いた。

 

「しかし、それではここの戦力に不安が残りますが……」

 

 オルドレイクとてレイの作戦自体には不満はない。ネロを無力化できるなら多少リスクのある選択肢を選ぶのもやむを得ないことではあるが、一番問題なのはリスクを認識していないことなのだ。

 

 現在こちらが保有する戦力は、無色の派閥の兵士に加え、量産され始め一定の数がそろい始めた召喚兵器(ゲイル)、それに誓約者(リンカー)調律者(ロウラー)と戦ったブリッツやシャドウなどの悪魔が少数である。

 

 作戦の性質上、最も強力な戦力である悪魔を使うことはないにせよ、それでも兵士と一定数の召喚兵器(ゲイル)を引き抜かれるはずで、当然その分帝都の防衛戦力が不足することになるのだ。

 

 そうした理由があったからこそ、彼はあえて進言をしたのでだった。

 

「シャリマの悪魔を使う。まだ余裕があるはずだ」

 

「はっ」

 

 その言葉を聞いてオルドレイクは再度首を垂れる。シャリマの使役する悪魔は他の悪魔とは異なり、剣や銃の性質を持ったような人工的な悪魔である。また召喚するのも魔界からではなく、疑似魔界とでも言うべき異空間から呼び出すのである。

 

 それらを発見したシャリマによれば、悪魔も疑似魔界も人工的に作り出されたものだと言うことだが、なんにせよ悪魔が彼らの言う「神」からの供給に頼っている現状においては、貴重な戦力に変わりなかった。

 

「そういえばまだ彼女は戻られないのですね」

 

「放っておけ、あのような女狐なぞ」

 

 メルギトスはいまだ姿を現さないシャリマのことを口にすると、オルドレイクが嫌悪感を隠さないまま吐き捨てた。そこからも分かるように彼はシャリマにいい感情を持っていなかった。

 

 彼女が任された帝都内の治安維持を配下のバジリスクという猟犬のような悪魔に任せたのはいいとしても、許せないのはレイに対しても時折、品定めするような目線を向ける時があることだ。この世界をあるべき姿に戻す「神」の使徒に向けていい視線ではない。

 

「この場はここまでだ。シャリマには我から伝えよう。」

 

 そんなシャリマに対する悪感情がレイにも伝わったのか、この場は解散となった。そしてオルドレイクもメルギトスも自らの務めを果たすべく踵を返して戻って行った。

 

 

 

 

 

 バージルが聖王国で悪魔を殲滅した日の夜、彼はラウスブルグの自室で、アズリアからロレイラル製の無線機による連絡を受けていた。こうして彼女から連絡を受けるのは昨日に引き続き三度目であるが、バージルとしてもラウスブルグにいながら断片的とはいえ、帝国内の情報を入手できることはありがたかった。

 

「やはりそちらでも悪魔は現れたか」

 

 アズリアから帝国内の状況を聞いたバージルは納得したように頷いた。聖王国の複数の都市で悪魔の襲撃を受けていると知った時から、聖王国だけに留まらないのではないかと思っていたが、やはり想像の通りだったようだ。

 

「ああ、もっとも帝都だけは別だ。あそこには悪魔は一切現れなかったらしい」

 

「帝都か。クーデターの首謀者とかいう新皇帝はネロが殺したと聞いたが、まだ奴らに占領されているのか?」

 

 帝都でクーデターが起こったこと、その首謀者で新皇帝を名乗ったレイという男がネロに殺されたことは前回のアズリアから連絡があった時に聞いている。しかしその後、クーデターが起こった帝都がどうなったバージルには何の情報も入っていなかったのだ。

 

「……あの後どうなったかは不明だ。しかし、まだ占領下にあるのは確かだ」

 

 帝都の内情はアズリアも偵察からの報告でしか把握していない。その偵察兵も警戒が厳重な帝都から多くの情報は得られないでいるのが実情であり、悪魔がいる可能性もあることからアズリアも兵には無理をしないよう厳命していた。

 

 そのため、結局のところ確かなのは帝都がいまだクーデター側の支配下にあることくらいだった。

 

「ならば悪魔をけしかけたのはそいつらの仕業だ。恐らく首謀者もまだ生きているはずだ」

 

 アズリアの言葉を聞いたバージルが即答した。帝都がいまだクーデター側の支配下にあって、悪魔の攻撃を受けていないのならばまず間違いない。同時にいまだ魔帝ムンドゥスが表立って動いていないということは、今しばらくの間はクーデターを起こした組織に利用価値を見出しているために違いない。

 

「あれで生きているだと……、それも悪魔の力なのか?」

 

 断言したわけではないといえバージルが言う以上、レイが生きている可能性を認めないわけにはいかなかった。

 

「ああ、そうだ」

 

 短く返事を言った。より正確に言えばレイが生きていると言っても二つの可能性が考えられる。一つはもともと悪魔の力を宿していたことで、死を免れた可能性だ。これは単純に半ば悪魔と化しているから頭を撃ち抜かれた程度では死ななかったというわけだ。

 

 そしてもう一つは魔帝によって創造された可能性だ。魔帝の力ならば人間程度なら容姿も記憶も完全に同一のものを創り出すことができるのである。ただ、新たに創造されたのであれば「生きている」という表現は正しくないのかもしれないが、アズリアのように敵対している者からすれば同一人物と考えても何ら問題はないだろう。

 

「それは我々でも勝てるのか?」

 

「相手にもよるが、戦いようによっては勝てるだろう。もっとも、相手が一人で来るとは思えんがな」

 

 バージルが「勝てるだろう」と言ったのは、あくまでレイ一人と戦った場合の話だった。一人が相手ならたとえ相手が悪魔化していたとしても、召喚術やイスラの持つ魔剣の力を駆使すれば確かに勝てるかもしれない。だが、向こうが一人で向かってくるなど現実的な想定とは言えなかった。

 

「……やはりあいつに頼むより他ないか」

 

「ネロのことか」

 

 アズリアは個人名を言葉にしたわけではないが、この流れで出てくる名前とすればバージルかネロしかいないことは自明である。その上で彼女は、バージルが現在動くつもりはないことを知っている一人でもあるため、事実上ネロ一人に絞られるのである。

 

「反対なのか?」

 

「それはネロが決めることだ」

 

 ネロは実の息子とはいえ、数年前にトレイユで会うまでは一度も会ったことなどなかったし、そもそも、もう子供ではないのだ。いくら父親とはいえ、子の生き方に口を挟むべきではないだろう。バージル自身、己の好きなように生きてきたためなおさらだ。

 

 とはいえ、アズリアとはもう長い付き合いだ。さすがにそれだけで終わらせるのもあれなので、少しばかりネロの情報を伝えておくことにした。

 

「……ただ、トレイユには知り合いがいるようだ。ネロがそれを放ってお前達についていくかはわからんがな」

 

 今もトレイユもいると思われる者の中でバージルが言葉を交わしたことがあるのは、共に人間界に行ったフェアやエニシアとずっと前に蒼の派閥の依頼を受けた時に同行したミントくらいではあるが、それ以外に何人かの知り合いはいたはずだ。一応、トレイユには少し前からミルリーフも遊びに行っているが、彼女は普段はラウスブルグにいるため、バージルの認識としてはトレイユにいる者の中には入っていなかった。

 

 いずれにせよネロもそうした仲間がいたからこそ、帝都を離れてからトレイユに向かったのだろう。そして、そんな者がいるトレイユを離れてアズリアとともに帝都に向かうとは中々思えなかった。クーデター騒ぎと悪魔の襲撃で帝国中が騒然としている現状ではなおさらだ。

 

「だが、帝都には元凶がいるのだろう? それを倒すことは彼にとっても意味があるはずだ」

 

「その言葉はネロに言うことだな。決めるのはあいつだ」

 

 アズリアは反論するが、もとよりバージルは議論などするつもりはなかった。ネロが反対するならその時に聞かせてやればいいと言わんばかりに断じた。

 

「……そうだな。そうするとしよう。……だが、最後に一つ聞かせてくれ」

 

 これ以上は暖簾に腕押しと、アズリアは自身を納得させるしかなかった。だが、それでも、どうしても確認しておかなければならないことがあった。

 

「お前のやろうとしていることは本当に我々にも利することなのか?」

 

 バージルが何年も前から、この世界を狙う強大な悪魔を討つための計画に基づいて動いているのはアズリアも知っていた。だが、その詳細は彼女はおろかバージルと最も親しい仲であるはずのアティにすら伝えられていないのだ。

 

 彼からは「この世界の人間にとっても損な話ではない」と言われているが、バージルの思惑通りに進んでいるとして、少なからぬ人間が悪魔に殺されている現状が正しいとは思えなかったのだ。

 

「前にも言ったが、俺がやろうとしているのは十の犠牲を二か三に抑える程度のことだ。それ以上は知ったことではない」

 

 確かにバージルの言葉は間違いではない。この世界を狙っている魔帝ムンドゥスはバージルさえいなければ、もうこの世界を支配下に置いていてもおかしくはない力と勢力を持っているのだ。彼というたった一人の存在だけで、魔帝の制圧計画は大幅な変更を余儀なくされたと言っても過言ではないのである。

 

「『それ以上の犠牲を減らしたければ貴様らがやればいい』……前にもそう言われたのだったな」

 

 一、二年前、蒼の派閥の幹部の結婚式に出席するという名目で。バージルと蒼の派閥の総帥エクス、さらに金の派閥の議長ファミィまでもが集った場にアズリアもいたのである。

 

 その時に、バージルが彼の進めている計画の概要のみが伝えられたのである。そしてその時にも彼は今しがたと同じ言葉を言ったのだ。ここまでの悪魔による犠牲はバージルにとっては許容範囲内のことでしかないのである。

 

「そうだ。命が惜しければ逃げればいいともな」

 

 一見挑発の言葉のように聞こえるが、バージルにはそういう意図は一切ない。彼の計画通りに進めば、何の力もない人間でも三割の確率で生き残れるのだ。確率としては決して悪くはない。少なくとも悪魔との戦いの中に身を置くよりもずっと高い確率で生き残れるだろう。そのためバージルは逃げるという選択肢は合理的だと捉えており、アズリアに言ったのも、アティの友人である彼女を考えてのことだったのだ。

 

 そうしたバージルの考えはアズリアもよくわかっており、彼なりの分かりにくい配慮に苦笑しつつ答えた。

 

「……そうは言うがな、これでも軍人なんだ。今更逃げるわけにはいかない」

 

「ならばネロを説得できるように力を尽くすことだな」

 

 バージルの言った「十の犠牲を二か三に抑える」というのはあくまで彼一人の力で実行できる範囲だ。そこにネロが加わるのならもっと犠牲を少なくすることができるだろう。

 

「無論、そのつもりだ」

 

 それこそがアズリアの狙いであり、彼女は決意を新たに力強く答えたのだった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、一応の平穏が保たれているトレイユで、ネロは庭のベンチに座りながらじっと何かを考えるように正面を見ていた。もちろん彼の考えているところはこれからのことだった。

 

(手がかりも何もなしじゃ動くに動けねぇ……いや、仮にあったとしても今の状況じゃあ……)

 

 目下ネロの当面の目的は今この世界で何が起きているのかを探ることだった。那岐宮市での悪魔の出現、帝都でのクーデター騒ぎ、そしてトレイユに現れた悪魔の群れ。それぞれが繋がっているという証拠はないが、それでも人間界やこの世界に何らかの重大な事態が起きていることは分かる。

 

 だが、それがわかっていても現状、ネロは動きようがなかった。手がかりがないというのも理由ではあったが、それ以上に大きいのは悪魔による再攻撃の危険があるからだった。

 

 先の戦いでは大きな被害こそ出なかったものの、それはネロが悪魔の大部分を相手取ることができたからだ。そうでなければいくらコーラルやミルリーフといった至竜がいたとしても被害をここまで抑えることはできなかっただろう。逆を言えば現状、トレイユの防衛はネロがいるからこそ成立するものでしかないのだ。

 

 その事実がネロをトレイユに縛り付けているのである。手がかりを探しにトレイユを離れたところに悪魔の再攻撃があったのれば最悪の結果を招きかねない。

 

 ネロのような者が代わりにとはいかなくとも、先に襲来した悪魔に抗する程度の戦力がいなくては、トレイユを離れることもままならないのだ。

 

 いつまで考えても答えの出ない問答を、心中で繰り返すネロのもとに一人の男がやってきた。

 

「よう、邪魔するぜ」

 

 そう言ってネロの隣に座ったのはフェアの父、ケンタロウだった。

 

「ああ」

 

 ネロは短く答える。もともとケンタロウに初めてあったのは、昨日の悪魔を撃退した後のことではあったが、実際に言葉を交わしたのは今が最初だった。

 

 一応彼がどんな人物であるかは娘のフェアや妻のメリアージュから聞いてはいた。もっともフェアは父親に対してあまりいい感情を抱いてはいなかったようなので、そうしたフェアの悪感情に由来するものを除けば、もう一人の娘であるエリカの病を治す手立てを探すためだけに、幼いフェアを残して出て行ったのだ。

 

 それを聞いてネロは、自身が赤子の頃に孤児院に預けられたことを思い出したが、フェアの境遇はそれよりも厳しいものだっただろうと思った。ネロは孤児院に預けられたとはいえ、物心ついたときにはそれが当然だったと思っていたのだ。それに同じ境遇の子供もいたし、叱られてばかりだったが院長であるシェスタもいた。そして何よりキリエやクレド、二人の家族がいてくれたのだ。

 

 対してフェアが一人残されたのは物心ついた後だ。一人になってもケンタロウなりに生活のことは考えていただろうし、リシェルやルシアンという友人もいて大丈夫だと判断したのだろうが、それでもまだ幼い子供を一人家に残すというのはネロも違和感を覚えた。もっともそれは、保守的な価値観を持っているフォルトゥナで生まれ育ったせいかもしれないが。

 

 なんにせよ、ネロはこのケンタロウに思うことこそあったものの、それは積極的に会話する理由はならなかった。

 

 だが、ネロにはなくても自らその隣に腰かけたケンタロウには話をする理由があったようだ。

 

「すまねぇ、メリアージュから聞いた。お前には面倒をかけさせちまった」

 

「……ああ、そのことか。ならやったのは俺の親父だ。頭を下げるならそっちにしてくれ」

 

 ケンタロウが頭を下げて礼を言ったことにネロは心当たりがなかったが、彼の言葉を改めて頭の中で反芻させてそれらしいことに思い至った。もっともそれは、自身がしたことではなかったが。

 

「いや、そうじゃねぇ。あいつの……フェアのことだ」

 

 その言葉を聞いてケンタロウの言わんとしていることがようやく理解できた。確かに以前の至竜の件は、親の視点から見れば子供を守ってもらっていたと考えてもおかしくはないかもしれない。

 

「別に面倒なんて思ったことはねぇよ。俺だって無関係じゃなかったんだ。……それに一番苦労していたのはあいつなんだ。あいつにも何か言ってやれよ」

 

 そこまで言うつもりはなかったが、思わず口に出てしまった。至竜の件で生活に係る一切を負担していたのはケンタロウの娘であるフェアなのだ。自分に言う前にまず彼女と話すのが筋だろうと思ったのである。

 

「いや……何つーか、話しづらくてな」

 

 ケンタロウが困ったように頭を掻く。自分のいない間に成長した娘は自分とは口をきこうとすらしなかったのだ。それが自業自得だとはわかっていてもどのように対応していいかわからなかった。

 

「めんどくせぇ奴だな」

 

 その思いが思わず口にでた。ネロ自身、実の父親と会ったのはほんの数年前だが、バージルはそんなことなど思いもよらなかっただろう。それに比べればどうしても優柔不断に見えてしまったのだ。

 

「まあ、話したくなら無理強いするつもりはないけどな」

 

 とはいえ、それはあくまでケンタロウとフェアの親子間の問題であり、他人が口出するようなことではない。それに生まれてから一度も会わなかった自分たち親子と単純に比較できるものでもないだろう。幼い頃までは一緒に暮らしていたからこそ、発生する軋轢もあるはずだ。事実フェアがケンタロウに対して言葉は、そうしたところから出たものだった。

 

「話したくないわけじゃ……」

 

 ケンタロウの言葉の途中、フェアから声をかけられた。

 

「あ、ネロ、ここにいたんだ」

 

 ちょうど話題となっていた彼女が店の方から呼びに来たのである。彼女はちらりと横にいる父親に視線を向けたが、何も言葉はかけなかった。彼女のこれまでの父親に対する言葉から考えれば憎まれ口の一つでも言いそうだが、先の悪魔が襲来した後に、父と再会して以来一度も会話をしていなかったのだ。

 

 フェアの性格から考えて、言いたいことはあるのだろうが、まだ落ち着いたとは言えない現状で自分の感情ばかりを優先することはできず、さりとて、母や妹と同様の態度をとることはできなかった結果が、この無視に近い態度だろう。

 

「どうした?」

 

「帝国軍の人がネロに会いに来たんだけど……」

 

 フェアが店の方に視線を向けながら答える。ここからでは誰が来たのかは分からないが、彼女の様子を見るに何故ネロを訪ねてきたのかと疑問に思っている様子だった。

 

「俺に会いに来た、ねぇ……」

 

 心当たりがないわけでもなかった。ネロが現在トレイユにいることを知っている帝国軍の軍人はアズリア達だけだ。そのため訪ねてきたのはアズリア自身か、彼女が派遣した使者である可能性が高いだろう。

 

 問題は理由であるが、ネロはそれについては深く考えず席を立った。あれこれ考えるよりここに来た者に聞いた方が早いだろう。

 

「わかった、ちょっと会ってくる。……ああ、そうだ」

 

 フェアに返答するのと同時に、ついさっき彼女の父親と話していたことが頭をよぎり、彼女ら親子に話をする機会を作ってやることにした。

 

「お前の親父が、話があるんだとよ。ちょうどいいからここで話ていけよ」

 

 ネロの言葉にフェアだけでなく、ケンタロウも目を見開いて互いの視線が交差するが、すぐに気まずくなって顔を逸らした。

 

 その様子に先が思いやられると思いつつも、フェアの肩をたたきながら声をかけた。

 

「周りのことなんか気にして腹の中に溜め込むよりは、全部吐き出しちまった方がいいぜ」

 

 ネロもフェアがケンタロウを露骨に無視していたことは気づいていたし、その理由も察しがついていた。とはいえ親子間のことだからと、先ほどケンタロウに言ったように口出しは控えていたのだ。ところが、ケンタロウも話すきっかけを探しているようだったので、そのお膳立てをしたのである。

 

「え、ええ!?」

 

 驚いてネロのことを見返すフェアを先ほどまで自分が座っていたところに移動させると、ネロは来客のところへ向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は9月下旬の投稿予定です。

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ありがとうございました。

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