浮遊城ラウスブルグの広いバルコニーからバージルは眼下に水平線の彼方まで広がる海を眺めていた。背にはフォースエッジ、胸元には二つのアミュレットを身につけている。これは弟からその二つを受け取ってから変わらないことであった。
その三つの親の形見が揃えばかつての父の力そのもの言える魔剣スパーダを手にすることもできるのだが、彼はあえてそうはせずに分かたれた姿のまま持ち続けていたのだ。
「あ、ここにいたんですね。探しました」
「どうした?」
背後からアティに声を掛けられたバージルが振り向き尋ねた。「探しました」というだけに急ぎの要件なのだろう。だが、笑顔を浮かべている彼女の顔を見る限り、少なくとも悪い知らせではないようだ。
「たった今、ハヤト君が目を覚ましたんです!」
「そうか。クノンは呼んだか?」
彼女の表情で話の内容はある程度察することができていたため、バージルはほとんど表情を変えなかったものの、クノンを呼んだか確認するなど一応の気遣いは感じさせた。
「ポムニットちゃんに呼びにいってもらっています。あとはマグナ君とトリスちゃんも起きてくれればいいんですけど……」
「最も重傷だった者も起きたんだ。時間の問題だろう」
ハヤトも起きたのだから残る二人も、と期待をかけるアティにバージルも言外に賛成した。怪我を負っていた三人の中で最も大きな傷を負っていたのは、深い刺し傷と体の全身にまで及ぶ火傷を負っていたハヤトなのだ。その彼が目覚めたのだから残る二人もいつ目覚めてもおかしくはないだろう。
「ええ、きっとそうです! ハヤト君も後遺症はなさそうですから、しばらく休めばいつもの生活に戻れそうですね」
三人が負っていた怪我自体はバージルもクラレットやネスティから聞いただけで、ラウスブルグに運び込まれた時は既に召喚術や治癒の奇跡によって外傷は治っていたのだ。そうした治療が功を奏して後遺症は残らなかったのだろう。この点では、人間が持つ自然治癒能力を活用した人間界の治療とは異なるところだ。
一見すると外傷の治療においては召喚術等を用いた方が有用であるようにも思えるが、天使の奇跡などそうした際に使用されるものは魂へ直接働きかけるものであるため、どうしても魂そのものに負担がかかってしまうのである。今回ハヤトがなかなか目を覚まさなかったものもその影響がないとは言い切れないのだ。
「…………」
それはバージルも分かっていたことだが、今回の彼が沈黙を守っていたのは別の理由からだ。仮にこのまま順調に回復したとしてもいつもの生活に戻れるとは限らない情報を、今の彼は持っていたのだ。
「あの……、どうかしたんですか?」
もう二十年以上も共にいるアティには、バージルが話すべきどうか迷っていることが分かった。そのため彼女が遠回しに言葉にしてほしいと伝えると、バージルは一度息を吐いてから口を開いた。
「帝都にいるアズリアから無色の派閥の兵士がクーデターを起こしたとの連絡があった。本人も帝都から脱出するつもりでいるとのことだ」
それはつい先ほど連絡を受けたことだった。アズリアもあくまで速報という意味で連絡したものであり、クーデターについても指導者や規模までは今でも不明のままなのだ。というより当のアズリアも攻撃の対象になっているらしく、軍の統合本部から撤退し、追手を断ち切ってからの連絡になったようだ。
彼女は帝都を脱出してからあらためて連絡するとも話していたため、バージルは当初、無用な心配をかけないようにその連絡があってからアティに伝えるつもりでいたのだが、アティの言葉と彼自身彼女に話していないこともあって若干の引け目を感じており、今回については話そうと思ったのである。
「え……、アズリアは大丈夫なんですか!?」
「今のところはな。ただ、脱出するのは特に問題もあるまい。イスラもついていると言う話だ。……それにネロもいる」
ネロについての情報は先の連絡でアズリアから聞いたものだ。もっとも彼女自身が会ったわけではなく、弟であるイスラからの伝聞という話だったが。
ただ仮にネロがいなくとも、バージルの目から見てもアティと同じような魔剣を持つイスラがいれば、無色の派閥が相手ならばさほど苦労せずに帝都を脱出できると見ていた。その場合の唯一の不確定要素はハヤトやマグナ達を襲った悪魔が今回の帝都のクーデターを企図した者と繋がっており、かつ、その悪魔が出てきた場合なのだが、それもネロがいるという事実の前では無意味だろう。
「え? ネロ君って向こうにいたはずじゃあ……」
バージルの言葉を聞いたアティがきょとんとした顔をする。イスラがアズリアと共に行動することはさしておかしくはないが、数年前に人間界に帰ったはずのネロがいるという話はかなりの驚きだった。
「エルゴからネロに協力を求めたいという話をしていたからな。あいつがいるということはその話を受けたということだろう」
もっともバージルはこの段階では、
「それなら大丈夫ですよね?」
確認を求めるようにアティが尋ねる。バージルが何を言ったところで遠い帝都で起こっていることへの保証にはならないのだが、こと戦闘においては彼の目利きは極めて正確なのだ。アティが彼に確かめたくなるのも無理はなかった。
「ああ、問題ないだろう。それに、数日もすれば落ち着くだろうから向こうから連絡が来るはずだ」
再度アズリアから連絡が来るのは、安全を確保してからになるだろうから、早ければ数時間後には連絡がくる可能性もあったのだが、変にアティを不安にさせることもないだろうと、想定の中で最も長期になる期日を伝えた。
なにしろ彼女は、もともと何もかも背負い込もうとする性格だ。それだけに自分の手の届かないところで親友が危機に陥っている状況では気が気ではないはずだ。実際バージルの気遣いは功を奏したようで、彼女は彼の言葉を聞いてようやく安心した様子を見せた。
(雑魚共などさっさと片付けてしまえ)
それを見ながらバージルは帝都にいるだろう自身の息子に言葉を投げかけた。その内容はひどく自分勝手なものだったが、一応彼なりにネロには期待しているらしかった。
その頃、実の父親から至極勝手な要望を投げかけられたネロは、帝都ウルゴーラの歓楽街のメインストリートから少し離れた場所にある廃業した酒場にいた。店の中は椅子やテーブルこそそのまま残っているものの、どれも埃をかぶっていた。どうやらあの後、店の引き取り手もなく片付けだけされてそのままらしい。
そんな空き家と化した建物が今は帝国の将軍アズリアの臨時司令部となっていた。もっとも、司令部とはいっても帝都内でアズリアが掌握している部下はこの場にいる者だけなのだが。
「イスラ、よくこんなところ知っていたな」
机を並べ直しひとまず椅子に腰掛けたところでアズリアが口を開いた。彼女達をこの場所に案内したのはイスラだった。周囲の目を気にすることなく、話し合える場所を得られたことは望外の喜びだったが、それ以上にアズリアはイスラが営業すらしていない店の場所を知っていたことに感心していたのだ。
「僕は姉さんと違って時間があるからね。それにここは少し話題になったところだから余計に印象に残っていたんだよ。数年前に――」
「死体が見つかったんだろ、悪魔の」
ネロがイスラの言葉を遮って答えた。ここは偶然にも数年前にネロがウルゴーラを訪れた時に悪魔を始末した場所でもあったのだ。それを聞いたイスラは呆れと納得が混じったような笑いを浮かべて口を開いた。
「なるほど。あれをやったのは君だったんだ」
「ああ、前にあんたと会った時からさらにちょっと前くらいの時だったぜ。……でよ、その時引き渡したギアンがなんでここにいやがるんだ?」
先の軍の統合本部で会った時にはイスラが
ネロから視線を向けられたギアンはアズリアに目を向ける。自分で説明しても構わないか、と無言で尋ねていたのだが、アズリアは自分で説明するつもりでいた。
「それは私から話そう。単刀直入に言えば彼から無色の派閥の情報を得ているんだよ。その見返りにある程度の自由を与えている、まあ言ってしまえば取引のようなものだな」
「なるほどね、そういうことか」
ネロが頷いた。ギアンに対してあまりいい印象を持っていないとは言っても、別段ネロは刑罰を求めていたわけではない。きちんとした理由を説明されれば何も言うことはなかったのだ。
ただ、ネロは気にしていないが、これは明らかに帝国の法に対しては限らなく黒寄りのグレーなのである。アズリアが帝国軍内でも有数の功を上げた将軍であり、国民にも名の知れた存在であるから黙認しているに過ぎなかった。
「まあ、派閥への忠誠心なんかないから僕にとってはありがたい話だよ。もっともどこに行くにも監視付きだけどね」
「それは諦めた方がいいだろうね。取引こそしたとはいえ、君が無色の派閥であることは変わりないんだから」
ギアンの皮肉を込めた言葉をイスラはばっさりと切る。多くの場合、ギアンの監視は不測の事態に備えて魔剣
無色の派閥は裏切り者には特に厳しい。かつては死を持って裏切りの罪を贖わせることなどよくあることだった。今でこそ勢力の衰えからそんな余裕はなくなっているが、裏切り者が派閥の有力家系であるクラストフ家の当主であれば話は別だ。なりふり構わず命を狙ってくる可能性があったのだ。
幸いにして現在のところ、そのような事態には至っていないが。
「ともかく彼については納得してくれたようだし、この話はここまでだ。本題に入るとしよう」
イスラの言葉にギアンが反論しようとしたところで、アズリアが止めに入った。ネロが納得した以上、余計な話をする余裕はないということだろう。アズリアは続けて控えていた軍服を着た男に言った。
「ウィル、状況の説明を」
「はい、将軍。……統合本部で最後に確認した情報によれば、帝都内の軍施設及び貴族街に無色の派閥と思われる集団が襲撃されているということです。ただ、もう数時間以上前の情報なので、実際は既に制圧されていると考えられます」
アズリアに促され発言した軍人はウィル・レヴィノス。帝都の軍学校を首席で卒業した才子で、その後、陸戦隊に配属された後も優良な軍人であったため、アズリアの養子になったのである。もっとも当初は長男であるイスラの養子にという話になったそうだが、当のイスラが軍に籍をおいていない自分よりも姉の養子に、という話になったのだった。
「奪回は無理だね。とりあえず部隊に戻ることを第一に考えた方がいい」
「僕も同感だ。これだけの規模となると向こうも限界近くの戦力を投入しているはずだ。他の都市まで制圧する余裕はないだろう」
ウィルの言葉を受けてイスラとギアンは即断した。今の彼らは個人の戦闘力は高いものの軍施設や貴族街を奪回し、それを維持するだけの数が絶対的に足りていないのだ。まずは帝都から少し離れたところに駐留するアズリア麾下の部隊「紫電」のもとに戻るべきだと主張したのだ。
「その方針で異論はない。問題はどうやってこの帝都を脱出するかだ」
「出入りできそうな場所は全部抑えられているはず。突破は可能かもしれないけど、応援を呼ばれるのがオチだろうね」
「それなら俺が陽動でもしてやるよ」
ネロは今こそアズリア達と行動を共にしているものの、本来は別の目的を持っているのだ。それに彼女達は帝都近くの部隊のもとに行くというが、ネロは日没までにキリエとコーラルのもとに戻らねばならない。いつまでも一緒にいるわけにはいかなかった。
「陽動って何をするつもりなんだい? まさかどこかで大暴れするつもりじゃないだろうね」
「似たようなもんかもしれねぇな。要は向こうを混乱させてやればいいんだろ? それに俺にも確かめたいことがあるし、どっちにしろいずれは別行動になるしな」
ギアンの質問に口角を上げて答えた。彼のことは納得したとしても、ネロにはもう一つ気になることがあった。陽動ついでにそっちも確認しようと考えていたようだ。
「別行動? なんだ、一緒には来ないのか?」
「まあな、連れもいるし」
ネロの発した単語に反応したアズリアに言葉を返すと、彼女はすまなそうに謝罪の言葉を口にした。
「そうか……、変なことに巻き込んで申し訳なかった」
「いいって別に。一応こっちも借りみたいなもんもあるしよ」
数年前、トレイユでイスラに場を取りなしてもらったおかげで無駄な戦いにならずに済んだのだ。ネロが陽動を申し出たのもその返礼も兼ねてのことだった。
「ここから出たらどこに行くつもりなんだい?」
「とりあえずはトレイユだ。後は何も決まってねぇけどな」
ギアンの問いに答えながらネロは椅子から立ち上がった。
キリエも連れている以上、このまま野宿を続けるわけにはいかない。そのため、一度トレイユのフェアのもとへ顔を出すつもりでいた。その後は帝都で起こった反乱の影響にもよるが、コーラルに付き合う必要もあるのではないかと考えてはいた。もっとも状況が流動的である以上、現段階で判断できることではなかった。
「そうか。……もし、エニシアに会ったら……いや、なんでもない」
トレイユならばエニシアもいるのではないかと思いギアンは口を開いたが、途中で口を噤むと、それを見たネロが肩を竦めながら言葉を返した。
「伝言しなくて正解だぜ。言いたいことがあるなら自分の口で言えばいい」
今のギアンはかつてトレイユでミルリーフを巡って戦ったときのように妄執に捕らわれているような印象は受けなかった。帝国軍に引き渡される前にエニシアと言葉を交わして何か思うところがあったのか、それともこの数年間帝国軍と行動をともにした視野が広がったのかは分からないが、今の彼ならエニシアともうまく話せるだろう。そう思ったからこそネロはそう返したのだった。
「……ああ、そうさせてもらうよ」
「おう。……それじゃあ、俺は行くから後は適当にここから逃げろよ」
期待通りのギアンの返事に軽く笑みを浮かべたネロはそのまま彼に背を向けて酒場から出て行った。
それを無言で見送ったアズリアは残った三人に向けて言った。
「……こちらも準備を整えておけ。動きがあったら行動を開始する」
「しかし、本当に一人で大丈夫なのでしょうか?」
状況の説明をしてからずっと口を閉じていたウィルが尋ねた。ギアンはともかくこの場にいるのは自身の上官であり、義母でもあるアズリアとその弟であり叔父でもあるイスラであるため、口を挟むことに躊躇いがあったのである。
そんなウィルの疑問にイスラが答えた。
「彼の強さはよく分かっているから、心配は無用だよ」
イスラ自身ネロと戦ったわけではないが、先ほどの統合本部での戦いで
そしてそれは実際に戦ったことのあるギアンもよく分かっていることだった。
「その通り。それに本人がやると言ってるのだから任せればいいのさ」
「二人もそう言っているし問題ないだろう。……しかし、そのあたりは父親譲りなんだな」
イスラとギアンの意見を聞いたアズリアが苦笑しながら言った。
「彼の父親とお知り合いなんですか?」
「ああ、まだ私が海戦隊の指揮を執っていた頃からのな」
「それは……」
アズリアが昔を懐かしむように答えると、ウィルは何とも言いにくそうな顔をして言葉を詰まらせた。軍学校を優秀な成績で卒業した義母が最初に配属されたのは現在所属する陸戦隊とは異なる海戦隊だった。そしてその後、海戦隊の任務で大きな失敗をし、陸戦隊の国境警備部隊の指揮官として異動させられたのはウィルも知るところだ。それだけに言葉によっては過去の失敗を揶揄してしまう恐れもあり、なんと言えばいいか考えあぐねているのだ。
「……随分と長い付き合いですね」
やっと考え付いた言葉は苦しまぐれのありきたりの言葉だった。もっとも、気を遣って言葉を選んだことはアズリアにはお見通しであり、彼女はそんなウィルに笑いながら言った。
「そう気を遣わなくていい。失った代わりに得たものもある。人生何があるかわからないものさ」
アズリアは魔剣の護送という任務を失敗し部下も失ったものの、代わりにアティやバージル、島の面々との繋がりを得た。
彼女は国境警備隊へと異動となった時点でそれ以上の昇進は半ば諦めていたが、エルバレスタ戦争の折にバージルの応援もあり悪魔の侵攻を僅少の被害のみで退けることができた。その功績によって帝国軍初の女性将軍の座を手に入れたのだ。
さらに昨今の無色の派閥及び紅き手袋の捜査においてはバージルから情報の提供があり、さらには彼の手引きでギアンという派閥幹部の協力者も得ることができたのだ。そんな波乱万丈な人生を歩んできたアズリアの言葉には不思議な説得力があった。
「……はい、肝に銘じます」
ウィルが大きく頷いて答えた。このあたりの聞き分けの良さが彼の強みでもあるのだろう。アズリアは少し口角を上げるとあらためて命じた。
「よし、ならば準備を急げよ。ネロの方も動き始めるだろう」
空き家の中で帝都脱出の準備を整える。そのため、外でこのクーデターの首謀者が帝国の緊急放送システムを使って世界に檄を発していたことなど知る由もなかったのである。
廃業した酒場を出たネロは自身の右腕を頼りに大通りを進んでいた。武装蜂起した側は帝国の市民感情を考慮しているのか、襲撃したのは先ほどの軍施設のようなところだけだったらしく、いまだ繁華街は平時のように賑わっていた。もしかしたら軍施設での戦闘に伴う音も訓練か何かだと考えられているのかもしれない。
「おかげでこっちは楽だけどな……」
誰にともしれずネロが呟いた。もし敵側が市中にも兵士を放っていたら身を隠しながら進むことになっていただろう。
そんなことを考えながら、黙々と歩いていると不意に後方から凛とした声が聞こえてきた。
「帝国の人民よ、無より生じしこの世界の果てまで響き渡る我が声を聞くがよい!」
振り返ると、すぐ近くのスピーカーのような伝声装置から聞こえてきた声だとわかった。さらに後方の広場のあたりでは映像を出力する装置もあったようで、空中に映像が出力されているようだった。もっとも、さすがに遠すぎてどんな人物が映っているかまでは分からなかったが。
「これからの支配者は自分だって意思表示かよ。気に喰わねぇな」
音声はもともと設置されたスピーカーから流れて来るため、これはもともと帝国が作り上げたシステムを利用しているということだった。逆を言えば、それを可能にするだけの施設等を制圧したということであり、実質的に帝都内の実権は全て彼らが握ったという証左でもあった。
実際、彼が語るのはいかにこれまでの摂政アレッガや彼の亡き後に政治を司った者達がいかに腐敗していたかということ、そして幼いとはいえそれを看過した皇帝マリアスにも責はあるとし、彼の帝位を剝奪すると宣言したのだ。
ただ、それを聞いている者は「そうだ」「そのとおりだ」と声を上げる者もいた。声には出さずとも内心思っている者はさらに多いだろう。特に摂政アレッガの死後は税が増えるだけでなく、その取り立ても厳しくなっていたのだ。かといって生活がよくなるわけではない。むしろ税が増えたことによって生活は苦しさを増すばかり、不満も溜まっていく一方だったのだ。
「頭が変わったってよくなるとは限らないんだがな」
そんな彼らをネロは若干冷めた目で見た。この国で暮らしていないため、彼らの苦しみは理解できないからこそ出た言葉ではあるが、同時に当事者から一歩引いた目線で見たからこその言葉でもあった。
「まあいいさ、まずはこっちだ」
そう呟いたネロはポケットに突っ込んだ右手に意識を集中した。先に悪魔の力の原因を確かめ、その後アズリア達を逃がすための陽動を行うことにしていたのだ。
もっとも、その二つが全く別な関係にあればの話なのだが。
その場から離れたネロは、立ち止まり音声や映像に集中する聴衆を避けながら進み、貴族街に入る。そこは少し入ると先ほどまでの市街地とは異なり、帝国軍の軍服とは異なる鎧を着て武装した兵士達が巡回していた。ウィルの説明通りである。
(まだ先か……仕方ねぇ、大人しく進むとするか)
ここで騒ぎを起こして敵に逃げられるなど御免だったネロは巡回の兵を避けながら進むことにした。幸い貴族街の建物はどれもネロの身長以上の塀で囲われているため、身を隠すところに困ることはなかった。さらにはここでは鬱陶しい演説が続いているため、足音を悟られる心配もない。
さすがに真っすぐ進むことはできなかったものの、悪魔がいるとは思われる建物はかなり間近に迫って来ていた。
(随分とデカイところだな。場所からして議場みたいなところか……)
その想像は当たっていた。右腕が感じる悪魔はあの帝国の政治の中心である議場から感じていたのである。
ネロは議場の塀まで近づくとそれを跳び超えた。そして庭に着地すると同時にもう一度跳躍する。今度は議場の屋根の上に跳び移ったのである。フォルトゥナの大歌劇場の四倍以上の大きさがある議場を馬鹿正直に歩いて回るつもりはなかったのだ。
もっとも、これ以上どこかを探す必要もない、目的の人物はすぐ近くにいたのである。
「大当たり、だな」
ネロは近くにあった採光用の天窓から部屋の中を見て呟いた。中には豪奢な服を着た貴族らしき者が数人倒れており、最も奥には一人の黒髪の男が演台に立って熱弁を振るっていた。ここまで聞こえてくる声と唇の動きから見る限り、この男が伝声装置を用いて演説していた者に違いなかった。
だが、それ以上にあの演説する男からは悪魔の力が感じられた。さらにその周囲からもいくつかの力を感じたのである。
「にしてもあの時の奴がこんな大それたことをするとはな」
ネロはその男を見たことがあった。かつてフェア達とシルターン自治区まで旅行に行った時に、貴族街の屋敷で悪魔を始末した時に邂逅した男だ。その時は悪魔の力は感じなかったが、そもそも悪魔を暗殺に利用するする奴だ。何らかの魔具を手に入れたか、あるいはかつての魔剣教団の幹部のように悪魔の力をその身に宿したのかもしれない。
いずれにせよ、ターゲットは目の前にいる。やらない理由はなかった。
そしてネロは天窓を蹴破ると、室内に飛び込んで行った。
その直前、室内では演説が佳境に差しかかり、映像を通して民衆の高揚が伝わってきたのか弁舌の熱さを増していた。そして男は最後に拳を胸の前で握りしめながら宣言した。
「我が名はレイ――歪んだこの世界を正すため造物主より力を授かった新たな王、真聖皇帝レイである! そして我が帝国はこれより世界をあるべき姿へ戻すため、リィンバウムの全ての国家に宣戦を布告する! なおも歪んだ世界に固執する者は力を持って我を打倒してみせよ! されど我は一切の容赦なく歯向かう者全てを打倒し、世界を掌握する!」
新たな帝国皇帝が世界に宣戦を布告した瞬間、ガラスが割れる音が響き渡った。レイが注意を窓の方に向けようとした瞬間、彼の目の前にある演台にネロが降り立ち、ブルーローズを突き付ける。
レイが目を見開くのと、ネロが引き金を引くのは同時だった。銃声が響き、二発の銃弾が皇帝の頭を貫いて血を噴き出させる。
ほんの数瞬前までレイの演説を聞いていた帝国の市民にとっては何が起きているかわからなかった。ただ、これまで演説を中継していた映像には、次の瞬間、返り血で真っ赤に染めた顔で振り向いたネロの顔が映ったのだった。
そして、新たな真聖皇帝レイの始めた戦争の公式に記録される最初の戦死者は、当の皇帝自身となったのだった。
やめて!ネロのブルーローズで撃たれたらレイの魂まで消滅しちゃう!
お願い、耐えてレイ!あんたが今ここで消えたら、ミコトとの因縁はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、出番が増えるんだから!
次回「皇帝レイ死す」。デュエルスタンバイ!
……一度やってみたかったネタができて満足です。
さて、次回投稿は12月になります。
ご意見ご感想評価等お待ちしております。
ありがとうございました。