Summon Devil   作:ばーれい

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第115話 赤き影の暗殺者

 聖王都ゼラムにある蒼の派閥本部に三人の召喚師が足を踏み入れたのは昼過ぎだった。

 

「ここに来るのもしばらくぶりだなぁ、ファミィさんのところにはこの前いったけど」

 

「マグナ、それは蒼の召喚師としてどうなんだ?」

 

 弟弟子の呆れた物言いにネスティが頭を抑えながら答えると、今度は妹弟子のトリスが口元の笑みを抑えながら口を開いた。

 

「そうよ、マグナ! 私はなんかちょっと前にも報告に来たんだから」

 

「僕に五回も直された報告書を持ってな」

 

 ネスティはトリスにも厳しい視線を送る。この妹弟子はもう何年も派閥の任務を受けているが、当然その報告書も書かせているのだが、一回で合格を出せるようなものは出せず、何度かネスティからの校正が入るのが常だった。

 

「た、大変だな……」

 

「まあ、トリスのことはいいとして、君の方はちゃんとやっているんだろうな?」

 

 他人事のように呟いたマグナにネスティが言う。トリスとは派閥の任務で共にいるから分かるが、マグナとはたまに同じ任務に任じられるかレルム村に行った時にしか会っておらず、あまり彼の近況は把握していないのだ。

 

「そりゃもちろん。学園の方も上手くいってるし、最近は悪魔も出ないから平和だしな」

 

「そういうことを聞いているんじゃない。いいか、村での君の立場は派閥の代表のようなものだ。いくら知り合いが多いとはいえ、あまり情けないところを見せては派閥の沽券にもかかわるんだ」

 

 マグナは普段アメルと共にレルム村に住んでいる。名目上は村に派遣された蒼の派閥の召喚師ということになっているため、ネスティの言葉も一理あった。いくら村長が共に暮らすアメルの祖父アグラバインであり、自警団の長も共に戦った仲間でもロッカであろうとそれは同じなのだ。

 

「わかってるって、ちゃんと定期的に報告もしてるよ」

 

 新しいレルム村は、はぐれ召喚獣達が集まる開拓村のようになっている。だが、そうなることができたのも金の派閥が出資しためであり、事実、村に集まった様々な種族の子供を預かる学園の長は金の派閥議長の家系に連なる者が就いていた。

 

 そのため外面だけ見るのなら金の派閥の影響が色濃い村と見なすことができ、蒼の派閥としては金の派閥への牽制と村への影響力確保という名目でマグナという召喚師を派遣した、という筋書きになっているのである。だからこそ、他の町に派遣された召喚師以上に定期的な報告が義務付けられているのだ。

 

 ただ、実際のところレルム村の再興に関しては両派閥のトップも合意した上でのことであるため、マグナの役目も名目上とは異なり、両派閥や村の面々との調整役が主なっているし、派閥から他の任務を受けることも少なくなかった。

 

「わかっているならいいが……、そうでなくとも君は――」

 

「まあまあネス、まずは報告を済ませちゃおうよ。あんまり遅くなるとアメル達だって困るしさ」

 

 お説教が長くなりそうだと思ったトリスがネスティの言葉を遮った。

 

 アメルは今、マグナとトリスの護衛獣と共に買い物に行っている。レルム村は再興したとはいえ、全てを自給自足で賄えるわけではない。時折、行商人は来るため日用品の類は買えるものの、今日のようにゼラムなど近場の都市に来た時は普段は中々見ることのできないものを買うのである。

 

 そうした経緯もあり意外と買う物は多くなるため、マグナとトリスの護衛獣は荷物持ちも兼ねてアメルに同行させていたのだ。

 

「……仕方ない、今はそういうことにしておこう」

 

 彼女とは付き合いが長いネスティはトリスの思惑に気付かないはずがなかったが、それでもその言葉には一理あったため説教ひとまず打ち切って指定された部屋に行くことにした。

 

 そうして数年前まではよく目にした本部の姿を見ながら三人は会議室に着いた。ドアを開けて中に入ると会議室の中には既に人がいた。蒼の派閥でも数少ない師範の称号を持ち、ネスティの義父でもラウル・バスクだった。

 

「すいません、遅くなりました」

 

「いやいや、まだ約束の時間にはなっていないよ。わしが早く来過ぎただけなんじゃ、気にすることはない」

 

 義父とはいえ、公私を厳格に分けるネスティが頭を下げると、ラウルは優しげな笑顔を浮かべて言ったが、やはり以前と比べると随分年を取ったようにも見える。数年前のエルバレスタ戦争で蒼の派閥も多くの有能な召喚師を失った。その影響でラウルもまた激務が続いているのかもしれない。こればかりは経験がものを言うため、若い召喚師を増やしたところで如何ともし難いのだ。

 

 そしてラウルは三人に席に着くと促すと口を開いた。

 

「それにしても二人とも、随分頑張っているようだの。君達の出した報告書はいつも目を通しておるよ」

 

 そうラウルに褒められたマグナとトリスは嬉しそうに笑った。ラウルはマグナやトリスにとっても父親のような存在なのだ。

 

「もちろんネスもじゃ。よくトリスのこと支えてやっているようじゃな」

 

「いえ、そんな……」

 

 あまり褒められることに慣れていないネスティが答える。しかしマグナとトリスの手前、すぐに話を戻すことにした。

 

「……それで、ラウル師範。今回はどのような話なんでしょう? 僕やトリスだけじゃなく、マグナまで呼ぶなんてしばらくなかったはずですが……」

 

 今回ネスティとトリスがマグナと共に来たのは派閥からの指示があったからだ。一応、これまでにマグナと共に任務を命じられたこともないわけではなかったが、それは派閥の任務を受けるようになって最初の頃だけのことだった。それはそうした任務に慣れていない二人に仕事を覚えさせるという意図があったもので、それから何年も経った今、同じことをする必要はないはずだ。

 

「それなのじゃが、実は帝国の方で怪しい動きがあっての」

 

「怪しい動き?」

 

「うむ、何年か前に帝都で悪魔を使った暗殺騒ぎがあったのは覚えておるか?」

 

 首を傾げるトリスにラウルが尋ねた。するとネスティが頷きながら言った。

 

「ええ、よく覚えています。当時の帝国摂政アレッガも犠牲になったという話ですね?」

 

 その話が彼の耳に聞こえてきたのは、ちょうどトリスとともにレナードをバージルのもとに送り届けて聖王国に帰ってきた頃だった。当時は聖王国でも悪魔が現れること自体かなり少なくなっていたため、その事件は悪魔の恐ろしさ再確認させながら国中を駆け巡ったものだった。

 

 余談ではあるが、一時は悪魔による被害が少なくなっていることから軍備の縮小を望む声が過半を占めていた聖王国上層部だったが、この事件がきっかけで、悪魔への有効な対抗手段である銀製の武器の騎士団への装備が進められることになったのである。それをバージルから聞いてきたネスティは思いがけず配備が進んだことに随分と驚いたものだった。

 

「そう、それじゃ。一時は落ち着いたと思っておったのじゃ、また帝都の方で何人もの貴族が殺されたという話が入ってな」

 

「それじゃあ、また悪魔が?」

 

 マグナの疑問にラウルは首を横に振って言った。

 

「そうとは限らん。無色の派閥も活動を活発化させているとも聞く。そちらの可能性もあるじゃろう」

 

「……なるほど、それを調べるのが今度の任務ということですか」

 

 義父の言葉を聞いてネスティは今回の仕事の内容を悟った。確かにこれなら自分達だけでなくマグナも呼んだことに納得がいった。調査が目的とはいえ、今回は戦いになる可能性も低くはない。いくらトリスやネスティが腕利きとはいえ、さすがに二人では限界があるのだ。

 

「危険な任務になるかもしれん。断ってもいいんじゃぞ」

 

 ラウルは師範としてではなく、父親として三人に言った。しかし既に三人の心は決まっていた。

 

「心配してくれてありがとうございます、ラウル師範。でも大丈夫です。やります」

 

「うん。それに、これでも荒事は慣れてるからね」

 

「そういうことです、義父さん。まさか二人だけに任せるわけにもいきませんからね、僕も行きます」

 

「そうか……。すまないな、三人とも」

 

 三人の返答を聞いたラウルがそう言うと、少し間を置いて、今度は師範の立場として口を開いた。

 

「……今回の任務には帝国軍のアズリア将軍に協力をもらうことになっている。帝都で落ち合い、情報を得た上で調査を行って欲しい」

 

 帝国軍のアズリアとは以前から無色の派閥に関して協力関係にある。これまでも相互に情報の提供や国内での便宜を図ってきた間柄なのだ。そのため今回も無色の派閥の関与が疑われるため、彼女に協力を要請したのである。

 

「アズリア将軍かぁ、確か先輩たちの結婚式にも来てましたよね?」

 

 ラウルが出した名前にマグナは覚えがあった。現在はラウルと同じ師範にあり派閥の幹部となっている二人の先輩、ギブソンとミモザの結婚式にも出席しており、多少なりとも話をしたことがあったのだ。一応、それ以前にも顔を見たことはあったが話はしておらず、この時に初めて会話をしたのである。

 

 帝国初の女将軍という肩書に負けない威厳と風格を備えていたが、それ以上に驚いたのはあのバージルと二十年来の知り合いだったことだ。やはり偉くなる人はやはり普通の人とは少し違うのだなあ、とマグナは思ったものだ。

 

「そのとおりじゃよ、マグナ。なにしろ将軍との協力関係の構築に尽力したのはあの二人じゃからな。当人たちも何度も帝国に足を運んでいたと聞いておるしの」

 

 話自体を提案したのはアズリアであり、聖王スフォルトも興味を示したものだったが、それを具体化させたのは、蒼の派閥から聖王国の行政機関へ出向していたギブソンとミモザだったのだ。

 

 結果的には最初にアズリアが提案したような新たな組織を作ることもできず、表向きは帝国軍と蒼の派閥と金の派閥の協力体制を構築する程度に留まったが、それでも長年政治的には対立が続いていた帝国との間で協力関係を構築することができただけでも大きな変革だと言ってよかった。

 

「すごいことしてたんだなぁ、先輩たち……」

 

 トリスがラウルの話を聞いて声を漏らした。今の彼女の立場はその先輩がかつていた立場と同じなのだが、自分が同じことを出来るかと聞かれると、なかなか頷くことはできないだろう。

 

「分かりました。……ところで派閥の準備はいつ頃に?」

 

 感心するマグナとトリスを尻目にネスティは実務上必要なことを尋ねた。派閥が命じた任務である以上、道中困らない程度の旅費は出るのだ。ただ、それでも組織である以上、勝手に金を支出するわけにもいかないためどうしても準備をするのに数日を要するのである。

 

「五日もあればできるじゃろう。それまではゆっくり英気を養ってくれ」

 

 ラウルから今後の見通しを伝えられると三人は頷き、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 本部を出た三人はアメル達との待ち合わせ場所である導きの庭園に向かって歩いていると、不意にネスティが難しい顔をしながら二人に言った。

 

「しかし、今回の話には何か裏がありそうだな」

 

「どういうこと、ネス?」

 

 兄弟子の言葉の意味が分からずトリスが尋ねた。

 

「考えてもみろ、前の暗殺騒ぎの時は調査任務なんて誰もやっていなかっただろう。それなのに今回はその命令が下った。おまけにいくら無色の派閥に関しては協力関係にあるとはいえ、帝国軍もここまで表立って協力するという話になっているんだ。裏がないと考える方が不自然だ」

 

 確かに先の悪魔による暗殺騒ぎは当時の摂政、実質的な帝国の最高権力者が殺されたにもかかわらず、蒼の派閥はあくまで静観するだけに留まったのだ。摂政の殺害を防ぐことができなかった帝国軍がその矜持から派閥の調査を断ったと考えることもできるが、それならなぜ今回は協力のするのか、という疑問が生まれるのだ。

 

「それじゃあ、これが罠だって言いたいのか?」

 

「そうじゃない。だが、今回はいつものような任務とは思えないだけだ」

 

 否定的な口調で言ったマグナにネスティは首を振った。

 

「うーん、こんな時先輩はどうするかなぁ……」

 

「この前会った時の話じゃまだ城の方に行ってるみたいだし、今から会うのは無理かもなあ」

 

「いいじゃんマグナは。私なんかあの結婚式のあとに一回しか会ってないんだから!」

 

「結婚式か……」

 

 それを聞いたネスティが顎に手を当てた。何か思うところがあるようだった。

 

「あ、なにネスってば、自分も結婚したくなったーみたいなこと思ってたりするの?」

 

「君はバカか。そういう話じゃなくて、その時は確かアズリア将軍は来ていたことは覚えているか?」

 

 茶化すトリスの言葉を一刀両断すると、ネスティは今しがた考えていたことを口にした。彼の記憶では見たのは一度だけであり、話もしていなかったので、本当に来ていたか自信を持って言えなかったのである。

 

「ああ、それなら俺が覚えてるよ。少し話もしたから間違いない」

 

 その疑問にマグナが答えるとネスティが続けて疑問を口にした。

 

「あの時は確か、総帥やファミィ議長も来ていたはずだが、姿が見えなかった時がなかったか?」

 

「……あー、もしかしたらそうだったかもしれない……確か、その時はファミィさんを探してたけど、見つからなかったんだよな……、帰り際にはいたけどさ……」

 

 ネスティの言葉にマグナは額を抑えながらその時のことを思い出す。レルム村の復興には金の派閥の強力なバックアップ、とりわけファミィ議長にはいろいろと便宜を図ってもらっているため、改めてお礼を言おうと思い探していたのだ。ただ、彼女はなかなか見つからず、娘のミニスも居場所がわからないとのことだったので困り果てたが、帰り際にようやく見つけることができたのだ。

 

「たしかにそう言われればファミィさんも総帥も最初と最後くらいしか見てないや。なにしてたんだろう?」

 

「その三人が何か相談でもしていたとも考えられるが……」

 

 蒼の派閥の総帥と金の派閥の議長、さらに帝国軍の将軍が密談をしていたのであればきな臭い話になりそうだが、ネスティはどこか釈然としなかった。帝国とはいまだ政治的な対立は続いているが、無色の派閥絡みでは協力関係にあるため、そのあたりの理由をでっち上げればその三人が一堂に会するのは不可能ではないはず。あえてあの場で機会を設ける必要はないのだ。

 

「あ! そう言えばバージルさんが総帥と一緒にどこか行ったって先生が言ってたんだ!」

 

 トリスが声を上げた。珍しくバージルと一緒ではなかったアティに声をかけたとき、彼女がそう教えてくれていたことをようやく思い出したのだ。元々バージルとエクスは知り合いだと聞いていたため、特に気にもならず記憶の奥底に埋もれていたのである。

 

「っていうか結婚式に来るっていうイメージはないよなぁ、バージルさんって……」

 

「うんうん、むしろ『なぜ俺がそんなのに出なければならん』とか言いそう!」

 

 苦笑いしつつ言ったマグナの言葉に、トリスはバージルの口真似をしながら答えた。すると俯いて考え込みながら聞いていたネスティが何かに思い至ったように顔を上げた。

 

「……二人の言う通りかもしれない」

 

「どういうこと?」

 

「もともとあの人は結婚式に出るためじゃなく、話し合いを持つために来たのかもしれないってことだ」

 

 バージルは自分達やハヤト達はともかく、結婚式の主役たるギブソンやミモザとはほとんど接点がなかったはずだ。サイジェントで無色の派閥が乱を起こした一件で顔は合わせたらしいが、それでも結婚式に呼ぶほどの間柄とは到底言えない。

 

 だからこそネスティは、バージルが来た目的はアズリアとともにエクスやファミィとの話し合いを行うことにあるのではないか、と推測したのだ。

 

「仮にそうだったとしても何だって言うんだよ? どうせ話の中身は悪魔絡みだろうし、心配することもないだろ」

 

 マグナ首を傾げた。バージルが関わる以上、議題は彼が口を出せる悪魔に関することになることはマグナも理解していた。それだけに気にすることもないだろうと思ったのだ。

 

「別に危険性が上がるという話じゃない。……ただ、今回はそれ以来、初めての悪魔が絡んだ任務なんだ。いつも以上にしっかりと調査した方がいいだろう」

 

 ネスティもマグナ同様にエクスたちに疑念を抱いているわけではない。ただ、任務の特異性から考えてこれまで以上に詳細な報告を求められることにもなりかねない。それに対応できるように、これまで以上に入念な調査をしたほうがいいと思ったのだ。

 

 それに対しマグナとトリスが頷いた時、ちょうど三人は待ち合わせ場所の導きの庭園についたのだった。

 

 

 

 

 

 導きの庭園でアメルと四人の護衛獣と合流した三人はレルム村を目指してゼラムを出た。昼を少し過ぎたくらいに出たなら、十分に日が高いうちに村に到着するのが常だったが、今日に限っては大量の荷物を抱えているせいか、いつもりずっと時間がかかっていた。

 

「思ったより遅くなっちゃいましたね」

 

「でも、いっぱい買えたよ……」

 

 先頭を歩くアメルの言葉にハサハが答えた。意外と力仕事には慣れているアメルはともかく、ハサハも他の者より少ないながらも荷物を手にしていた。反対に多くのの荷物を持っているのは最後尾のレオルドだ。機械兵士だけに文句ひとつ言わずに黙々と運んでいた。

 

 そんな中両手に袋を下げアメルとハサハのすぐ後ろにいたトリスは息を荒げながら口を開いた。

 

「さすがに買い過ぎたんじゃないの……、ねぇ、レシィ、ちょっと持ってくれない……?」

 

「えぇ!? そんなこと無理ですよご主人様ぁ」

 

 話を振られたレシィが弱音を吐いた。とはいえ、彼も隣のトリスと同じように両手に荷物を持っている。いくら主の命令とはいえ、トリスの分まで村まで持っていけるわけがない。

 

「トリス、みんな持っているんだ。君だけ我儘言うんじゃない」

 

 彼女のすぐ後ろに位置するネスティは兄弟子らしくそう言うが、実のところこの中で最も体力がないのは彼なのだ。トリスの前だけに顔には出さないが、腕はだいぶ疲労していた。この分では明日は筋肉痛になるのは目に見えていた。

 

 そんな二人のやりとりを聞いていたマグナも一度立ち止まって、もう少し先にある村を見て呟いた。

 

「にしても日がある内に村に着けるのかな……」

 

「間モナク日没デス。現在ノ歩行速度デハ日没マデニ到着スルノハ難シイカト思ワレマス」

 

「いっとくが俺は今以上の速さで歩くつもりはねぇからな」

 

 マグナの疑問に彼に追いついたレオルドが答えると、今度は隣にいるバルレルがぴしゃりと言い放った。彼としては今以上の速度を出すつもりはないようだが、それは主であるマグナも同じことだった。

 

「分かってるって、俺だって早く歩くつもりはないよ」

 

 そう答えてマグナが歩き始めた時、一番前を歩いていたアメルが振り返った。

 

「マグナー、あんまり遅いと置いてっちゃいますよー!」

 

「あ、ごめんアメル、すぐ行くよ」

 

 少し遅れ気味のマグナ達を気にしたアメルがそう言うとマグナは首を振って謝るが、アメルは逆にそのままの姿勢で目をひそめた。

 

「あれ? どうかしたの?」

 

「い、いえ、なんでもないです」

 

 トリスに声を掛けられたアメルは首を振って心配無用だと伝えると、すぐに前を向いて歩き始めた。

 

 

 

 そのまましばらく歩くと、とうとう日が地面に落ちようとしていたが、まだレルム村までは距離があった。やはり日没までには到着できなかったのだ。

 

「雲も出てきたし、灯りを準備した方がいいかもしれないな」

 

「分かったよ、ネス。みんな、準備するからちょっと待ってくれ」

 

 ネスティの言葉を聞いたマグナが声を上げる。確かに空には雲が広がり始めており、月を覆い隠そうとしている。このままでは月明りもない中を歩くことになりかねないのだ。

 

「それじゃ少し休憩しよう、休憩!」

 

「ええ、そうしま――マグナ、後ろ!」

 

 両手の荷物を地面に置きながら言ったトリスの言葉にアメルが振り返って同意しようとしたとき、マグナの影に小さな赤い二つの点が浮いていることに気付いた。先ほど彼の方を見た時も一瞬見た気がしたのだが、気のせいではなかったようだ。

 

「え? うわっ!」

 

 アメルの言葉に反応してマグナが振り向いた瞬間、自身の影から鋭い槍のようなものが突き出された。

 

 幸い、直撃を受けることはなかったが、それでも太もものあたりを掠め、そこから血が流れ出ていた。そしてマグナの影にいる何者かは、すぐに槍のようなものを戻すと、彼の影から出ていき、その姿を変えていった。

 

 姿は豹のような四足の獣を思わせるものとなり、さらにこれまでのように地面に張り付く影ではなく、実体を持って現れたのである。

 

「こいつ……悪魔か……!」

 

 マグナは自身を襲った者の正体を本能的に悟った。

 

 シャドウ。それがこの悪魔の名前である。

 

 だが、シャドウの変化はそれだけに留まらなかった。名前の由来ともなった影を想起させる漆黒の体が赤く変色していったのだ。もちろんそれが、ただ体の色を変えただけと思うような愚か者はこの場にはいない。

 

「トリス、村に今の状況を伝えてくれ!」

 

 この悪魔がどれだけ強いかが分からない以上、自分達だけで戦うのは余りにも危険だと考えたネスティが声を上げると、トリスは隣にいる護衛獣に伝えた。

 

「うん! レシィ、お願い!」

 

「は、はいぃ!」

 

 トリスの命令を聞いたレシィが一目散に村に向かって走りだした。あまり戦闘が得意ではない彼にとっては、それが現状で主に貢献できる唯一のことなのだ。

 

「ハサハも一緒に行ってくれ!」

 

「わかった……」

 

 マグナもハサハに声をかけてレシィの後を追わせた。彼女はレシィほど戦闘が苦手ではないが、まだ幼い彼女を悪魔と戦わせるには抵抗があったのだ。

 

 その時、言葉を発したのを隙と見たのかシャドウは空中に跳躍すると、体を巨大な刃に変えて回転しながらマグナに向かって来た。

 

「くっ……!」

 

 足の痛みからか、回避が間に合わなかったマグナは悪魔の斬撃を剣で受け止めたが、想像以上にその一撃は重く、思わず苦悶の表情を浮かべた。

 

「こっちががら空きだぜっ!」

 

 だがそれを好機と見たバルレルがシャドウの横にまで接近すると、愛用の槍を悪魔に突き立てる。しかし、それがシャドウに直撃した時、光を放つ盾のようなものが現れ、槍を押し返すと同時に盾と同じような光を放つ矢を何本も放ってきた。

 

「チィっ……! クソッたれが……」

 

 バルレルが悪態をつきながら下がる。だが膂力よりは速さに優れているバルレルといえど、その全てを避けることはできなかった。致命傷こそ受けなかったが、一本は腹を貫き、その他にも何本もの矢が体を掠めたのだ。

 

「バルレルっ!」

 

「早く下がって! レオルド援護を!」

 

 護衛獣に駆け寄るマグナにトリスが声を上げた。負傷した状態であの悪魔とまともに戦うことは難しい。だから今は二人が離れられるよう時間を稼ぐ必要があったのだ。

 

「了解、あるじ殿」

 

 トリスの命を受けたレオルドが銃撃をシャドウに集中する。しかしそれは一発も悪魔に当たらない。軽く身を翻し、弾丸を回避してみせたのだ。本来レオルドは近接戦闘を主として開発された機械兵士だが、それでも射撃の狙いは正確なのだ。にもかかわらず銃撃を軽く避けるシャドウの俊敏さは極めて厄介だといえた。

 

「これならどうだ! コマンド・オン、ボルツテンペスト!」

 

 ネスティはシャドウの動きを見て、コンセントのプラグが角のように生え、指代わりにもなっている機界ロレイラルの召喚獣エレキメデスを呼び出した。呼び出されたエレキメデスは周囲に大量の電気を放出する。

 

 悪魔の動きが銃弾を避けるほど素早いなら避けられないほどの広範囲を攻撃しようというのがネスティの考えのようだ。

 

 さらにそこへトリスが追撃の召喚獣を呼び出した。

 

紅蓮の騎士(フレイムナイト)、全部燃やしちゃって!」

 

 呼び出した右腕に火炎放射器を装備した機体が放電のされている場所めがけ炎を浴びせる。その姿が見えなくなるほど強烈な電撃と猛火が悪魔を包みこんだ。

 

「じっとして! すぐ治しますから!」

 

 一方、何とか悪魔の近くから脱したマグナはアメルの力で、先にシャドウから受けた傷を癒していた。

 

「なかなか厄介だぜ、あの野郎……体中を変な呪文みたいので覆ってやがる」

 

 既にマグナから魔力を供給されて傷を癒していたバルレルが電撃と猛火に包まれている悪魔を見ながら言うと、アメルから傷を癒してもらっていたマグナが言葉を返す。

 

「なら、剣とか槍みたいな直接攻撃は効かないってことか」

 

「いや、そうでもねぇぜ。あれは守るためのものじゃなく、カウンターを狙うものだ。さっきの俺の一撃だって一応効いてるはずだ」

 

 バルレルがニヤリと笑いながら言った。先ほど攻撃を加えたときの感触から、確実にあの悪魔に打撃を与えたと確信している様子だ。

 

「なら、やりようはあるってことか」

 

 アメルによる治療を終えたマグナが立ち上がる。もう太ももからは痛みも違和感もない。最近は出番がなかったとはいえ、癒しの奇跡の力は衰えていないようだ。

 

「気を付けてくださいね」

 

「ああ、大丈夫さ」

 

 アメルの言葉に頷いたマグナは大剣を構え、バルレルとともにトリス達のもとへ戻って行った。

 

 同じ頃、猛撃に曝されていたシャドウも動きを見せた。最初の時のように影として地面に溶け込むと、二体のロレイラルの機体が放っている電撃と猛火を易々と掻い潜りトリスの傍まで接近したと思うと、今度は巨大な口のような姿に変わると、それを横に大きく開いてトリスに牙を剥いた。

 

「ヤラセハシナイ!」

 

 だが間にレオルドが入ると銃から換装していたドリルでシャドウの攻撃を阻止した。機械兵士だけに膂力は悪魔に負けておらず、そのままレオルドを噛み砕こうとしたシャドウと競り合っている。

 

 そこにバルレルとマグナが走り込んできた。

 

「喰らいな!」

 

 バルレルが先ほどと同じく三叉の槍をシャドウに打ち込むと、やはり先と同じように光の盾が現れ、そこから魔力作られた矢が放たれる。だが、バルレルは何も考えなしに攻撃したのではなかった。

 

「守れ、晶壁の聖霊(グリムゥ)!」

 

 マグナが召喚したサプレスの精霊がバルレルの前に現れ、魔力の矢を防ぐ。それ自体の威力はさほどではないせいか、あまりの高位の召喚獣を用いずとも防げたようだ。

 

 バルレルの攻撃を受けたシャドウは赤い体を翻しマグナから距離を取った。見た目の上ではダメージを与えたようには見えないが、同時にマグナ達もアメルのおかげもあり大きな傷はなかった。

 

「どうする? このまま一気に決めちゃおうか?」

 

「いや、それは応援が来てからだ」

 

 トリスの提案をネスティは断った。強力な召喚獣を呼び出すのであれば、やはりそれ相応の魔力と意識を集中させる必要がある。まだ、悪魔も余力を残しており、戦力も十分かどうかさえ分からない現状で、そんな隙を晒すようなことはしたくなかったのだ。

 

 それにレルム村にとの距離を考えれば、もう少し時間を稼げばレシィとハサハが自警団の者を連れてやってくるだろう。そうすれば多少リスクのある攻撃もしやすくなるという考えもあった。

 

「ならあたしの魔力を使って、ネス」

 

 それならば、とトリスは言う。先ほどのように手早く撃てる召喚術をトリスの魔力を使って強化するのである。この召喚支援(サモンアシスト)と呼ばれる簡易的な儀式を用いた召喚術は、これまでの任務でも何度か使用しており、二人にとっては普通の召喚術と何ら変わりなく使うことができるのだ。

 

「ああ、いくぞトリス! コマンド・オン、ギヤ・メタル!」

 

 召喚したのは彼が長年愛用するロレイラルの召喚獣裁断刃機(ベズソウ)だ。元は戦闘用の機体ではないのだが、トリスが供給した魔力が限界以上の能力を発揮させていた。

 

 装備された刃を回転させながら突進する。シャドウはそれを迎え撃った。体を巨大な口に変えて、回転する刃を打ち砕かんとしたのである。

 

「レオルド、援護して!」

 

 トリスはレオルドに命令する。一見、拮抗しているかのように見える裁断刃機(ベズソウ)とシャドウだが、いつまでも悪魔の力に耐えられる保証はないし、動きが止まっている今なら銃撃を当てられるだろうという思いもあった。

 

 そしてその目論見は当たった。レオルドの射撃は動きの止まったシャドウに面白いように当たり、裁断刃機(ベズソウ)の回転刃を押し留めていた牙を崩したのである。

 

 それにより遮るもののなくなった裁断刃機(ベズソウ)はシャドウを横一閃に斬りつけたのである。

 

「よしっ!」

 

 ようやく悪魔に与えたクリーンヒットを見てトリスは快哉を叫んだ。

 

 そして力なく倒れたシャドウにも大きな変化があった。

 

 これまでは赤い体を包み攻撃に対しカウンターを行っていた呪文のようなものが霧散したかと思うと、影のような体から魔力を放つ球体が現れたのだ。

 

(あれが奴の弱点か……!)

 

 マグナの考えは正解に近かった。あの球体こそシャドウのコア、いわば本体なのである。影のような体をいくら攻撃しても、コアさえ無事ならこの悪魔は死なないのだ。

 

 だが、そんな最重要部を無防備に露出させるなどこの悪魔がするはずがなかった。

 

「っ! トリス、ネス!」

 

 シャドウに攻撃を仕掛けようとしていたマグナは悪魔から出た小さくも赤い円形の影のようなものが二人に向かって行くのを見て、咄嗟に二人に飛びかかり強引に立っていた場所から動かした。

 

 その一瞬の後、先ほどまでトリスとネスティが立っていた場所に細長い赤い槍のようなものが突き立ててあった。あの円形の影から現れたものだとは考えなくとも分かる。影のような体を行動不能にしても、そう簡単に接近を許してくれそうになかった。

 

 そして当然のように悪魔の攻撃は先ほど銃撃を加えてきたレオルドにも及んだ。

 

「バルレル、レオルドを!」

 

「分かってる! さっさと動きやがれ、このデカブツ!」

 

 バルレルが声を荒げてレオルドを蹴り飛ばしたのと、槍が突き上がって来たのはほぼ同時だった。しかし完全に回避できたわけではなく、レオルドの脚部が槍に貫かれてしまった。機械兵士である以上、命に関わることはないが行動に支障をきたすのは明らかだ。

 

 だが、それ以上に問題なのは、この一連の攻撃だけでシャドウが影の体を元に戻していたことだ。それは先ほどまでの攻撃が全て無駄に終わったことを意味していた。

 

「せっかくチャンスっぽかったのにな……!」

 

 マグナが立ち上がって大剣を構える。好機を逃したことを悔やむのは後にして、今はこの悪魔をどうにかするのが先決だ。

 

「来ました! みんな来ましたよ!」

 

 そこにアメルが声を上げた。視線はレルム村の方角だ。十人を超える者がこちらに向かって来ているのが見える。

 

「やっと来た!」

 

「あとはもうちょい時間を稼げば……」

 

 待望の援軍が目に入り、希望が湧いてきたトリスとマグナが声を上げる。だが援軍を目にしたのは何も彼らだけではなかった。

 

「バカ野郎! 油断すんな!」

 

 レオルドと共にマグナ、トリス、ネスティからは少し離れたところにいたバルレルが、低い声で唸るように吼えたシャドウを見て叫んだ。

 

 だが、その一瞬の判断が命取りとなった。

 

 シャドウは地面を蹴ったかと思うと、これまで以上の速さで一気に三人との距離を詰めた。そして体を地面に沈めたかと思うと、一瞬で膨れ上がり正確に体を槍のように伸ばした。

 

「え……?」

 

 そしてマグナが意識を失う寸前に見たのは、自身とトリスの胸を貫く赤い槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




赤いシャドウは前話のブリッツと同じく常時、死に際の暴走状態のようなものです。

さて、次回は9月7日か8日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。

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