第99話 幻獣界への道
地面に敷き詰められた石畳から何かが落ちたような軽い音が響いた。
「おっと、切れちまったか」
それを落とした男ダンテは石畳の上に落ちたアミュレットを拾い上げた。言葉通り首に掛けるための鎖が切れたせいで落としてしまったようだ。
「……しかし、こいつが切れるのも久しぶりだな」
前に切れたのは二十年以上前に兄と再会した時だ。もっともその時は、切れたというより閻魔刀で鎖を斬られたと言った方が適切だが。
何にせよダンテはこのタイミングで鎖が切れたことに予感めいたことを感じていた。
「そろそろ親離れしろってことか」
鼻を鳴らしながらやれやれと息を吐いた。ダンテの背には父の形見フォースエッジが背負われている。それを使って先ほどまで仕事をしていたのである。
彼自身の得物は父から授けられたリベリオンだが、特に理由はないが時折こうしてフォースエッジで仕事に赴くことがあるのだ。だが、そんな父の形見を持っている時に母の形見を繋ぐ鎖が切れたのである。ダンテが皮肉交じりにそんな言葉を吐いたのも無理からぬことかもしれない。
(それとも、あんたが来るのか?)
胸中でダンテは兄に言葉を投げかけた。まずダンテ自身が形見を捨てるようなことはありえない。となれば彼が手放すことになる理由としてまず考えられるのは、兄バージルだ。
どこかで生きているのは知っているが、何をしているかまでは知らない。それでもバージルならばアミュレットとフォースエッジの本当の姿を知っているし、実力的にもダンテからその二つを奪うことも不可能ではないだろう。
それは言ってしまえばかつての兄弟喧嘩の再現だが、今のダンテにはそれを茶化してやろうと思うくらいの余裕があった。
「その時はネロの話でも聞いてやるか」
フォルトゥナの事件で出会い、今は行方知れずの青年。彼が兄の息子であることをダンテは何となく悟っていた。何しろあのネロという青年の目は兄とよく似ている。おまけに悪魔の力も感じるのだからまず間違いはないだろう。
そうしたこともあるからか、ダンテはネロが行方不明になったと聞いてもさほど心配はしなかった。冒険の一つでもして、無事に帰って来ると思っていたのだ。むしろ土産の一つでも買って来るんだろうなと密かに期待さえしているほどだ。
もっともそれがまさか、異世界で兄とある意味感動の対面を果たし、一緒に帰って来るなどとは、さすがのダンテも予想できなかった。
「クソッ……!」
ネロが悪態をつく。肩で息をしながら膝をついていた。それでも頭は下げず、正面を見据えている。
「……ここまでだな」
ネロの前に立っていたのはバージルだ。ネロとは正反対に息の一つも切らしていないまま、終了を宣言した。
場所はラウスブルグの庭に当たる場所、そこで二人はちょっとした模擬戦を行っていたのだ。元はバージルが、魔人化を体得したネロがどの程度強くなったのか計るために声をかけたものである。
ネロとしても先の戦いのリベンジの意味も込めて応じたのだが、その結果が膝をつくネロと悠然と立つバージルだった。やはり力の差はまだまだ大きいらしい。
「……いやになるぜ。まさかあのおっさんみたいに強いのがもう一人いるなんてな」
座り込んだまま呟いた。ネロは自分が世界で最も強いとは思ってないが、それでも世間一般から見ると規格外の力を持っているとは自認している。そんな自分を容易く打ち倒すのが僅か数年の間に二人もいたのだ。溜息をついても仕方がないだろう。
「もう一人だと?」
「ああ、ダンテっていう奴でな。俺と同じデビルハンターだ」
言葉を繰り返したバージルにネロは名前と職業くらいはいいだろうとその男の名前を口にする。ところがそれを聞いたバージルは顔を顰めた。まるで聞きたくない名前を思いがけず耳にしてしまったような顔だった。
だが、すぐに表情を戻すと息を吐いて答えた。
「知っている。……ダンテは弟だ。双子のな」
それを聞いた思わずネロは、一瞬「は……?」と呆けるように口を開いたが、言葉の意味を理解すると今度は込み上げてくる笑いを堪えながら口を開いた。
「何だよ。世間ってのは随分と狭いな」
言われてみればそうだ。ダンテとバージルは性格こそ正反対だが、同じ髪の色をしているし顔立ちもかなり似ている。双子の兄弟と言われても何ら違和感はなかった。
そんな風にネロが考えている時、バージルはネロの言葉を聞いて少し考え込んでいた。
(この軽口……
ネロは表面上こそともかく、根はかなり真面目であることはバージルも知っている。だが彼が気になったのは、表面上の態度や言葉遣いの方だった。
ネロの生まれ育ったフォルトゥナはスパーダを神と崇める敬虔な信者が多数を占めており、そんな神の代替者として他人に救いの手を差し伸べる者も少なくない。そんなところで育ったのだから神を信じるかは別にしても、態度や言葉遣いもそれ相応のものになりそうだが、現実は見ての通りだ。
最初は色々あったのだろうと、たいして気にも留めていなかったが、ネロの口からダンテの名前が出てきたことで、それらが弟の影響である可能性がバージルの中で急浮上したのである。
(……まあ、今すぐどうこうすべき問題ではないか)
ネロがダンテのような態度や言葉遣いをしているのは気になるが、今のところ実害はない。これが普段の生活にまで弟の影響が見えるようだったら対処しなければならないかもしれないが、少なくとも今すぐに改めさせる必要はないと判断した。
そしていまだ座り込んだままのネロに言葉をかける。
「手でも貸してやろうか?」
「いらねぇ、勝手に戻る」
「そうか」
ネロの答えを半ば予想していたのか、バージルは口角を上げながら踵を返した。息子の様子を見る限り、ダンテの話をするまでは、自分に勝てなかったことに悔しさを感じている様子だった。
ならば次に剣を交わす時にはもっと強くなっているだろう。
そしてバージルはネロが大きく息を吐いて仰向けに寝転がる音を聞きながら庭を後にする。その時、何かを思い出したかのようにやれやれとため息を漏らしながら口を開いた。
「こっちは終わった。後は好きにしろ」
声をかけたのは庭の隅から先ほどの模擬戦を見ていたらしいフェアとエニシアだ。どうも二人はネロのことが心配になって身に来たようだが、さすがにバージルとネロが戦っているところに近付こうとは思わなかったらしい。
声だけを掛けたバージルはそのまま視線も合わせずに立ち去ることにしたが、それでも二人がネロの下へ駆け出す足音は耳に入ってきた。
それを聞きながらバージルはミルリーフがいる場所へ向かった。
バージルに加え、フェアとエニシアが自由にしていることから分かるように、現在ラウスブルグは移動を停止している。代わりに二、三日前に至竜となったばかりのミルリーフがゲルニカに代わっているのである。
とはいえ、ミルリーフがその役を担うのは今日が初めてであるため、不測の事態に備え念のため移動を止めたのである。かじ取り役の三人が揃っていたのはこのためだ。
至竜ゲルニカと
ただ、ラウスブルグには特段の異常は認められないため、少なくとも失敗したということはないだろう。
そのまま少し歩くと目的の場所に到着した。そこには人の姿に戻ったミルリーフと御使い達はいたが、ゲルニカの姿は見えない。おそらく既にミルリーフと交代したのだろう。
「結果はどうなった?」
「大丈夫! うまくできたよ、おじいちゃん!」
問いに嬉しそうに答えたミルリーフの言葉にバージルはぴくりと反応した。反応したのはもちろん「おじいちゃん」という表現だ。血の繋がりこそないとはいえ息子であるネロの娘である。彼女にとって父の父である自身をそう呼ぶのはごく当たり前のことなのだそうだ。
「……そうか」
さすが鉄面皮のバージル、示した反応はそれだけだった。とはいえ、ミルリーフがそう呼ぶようになってから既に数日経っているため、ある程度慣れもあるのだろう。ちなみに、おばあちゃんと呼ばれたアティは早々に先生呼びに訂正させていたが。
「御子さまは先代の全てを継承しておられる。心配するようなことはないだろう」
「ならいいがな」
至竜となったミルリーフを完全に信用しているクラウレの言葉にバージルはぼそりと返した。ミルリーフが全て継承したことは知っているが、それでもいきなり本番など博打が過ぎると判断したのだろう。特に至竜になったとはいえ、天真爛漫な性格は変わっていない。その性格がバージルを慎重にさせたことは否めなかった。
「おじいちゃん、パパとママは?」
そんなバージルの考えなど露知らず、ミルリーフはネロの場所を尋ねた。彼女は朝食を食べて以来、二人とは会っていない。きっと今日の成果を報告しに行くのだろう。
「庭だ。おそらく今もいるだろう」
それを聞くや否やミルリーフは「ありがとう!」と言い残して庭に走って行く。今までのことで少なからず疲れているだろうに、元気なことだ。
「ああしていれば、ただの子供にしか見えないのにな」
走り去るミルリーフを見ながらハヤトが呟く。一時とはいえ、とてもゲルニカの代わりになっていたとは思えないと言いたげだった。
「それはお前にも言えるのではないか? とても当代のエルゴの王とは思えなかったぞ」
「そんなのになったからって偉そうにしなきゃいけないわけじゃないからさ。なにより堅苦しいのは苦手だしな」
一応、ハヤトも自分がどういう存在なのか自覚はしているが、仲間はいつも通りの接し方だし他人にもフラットで暮らす一人程度の認識しかされていないのだ。実感湧かないのだろう。
「そうか……いや、むしろその方がいいのかもしれないな。今のエルゴの王がこの世界の人間ではないと分かれば争いの種になりかねん」
クラウレはそう言うが、実際のところ世間一般にはハヤトがエルゴの王などと名乗っても信じてもらえないだろうし、むしろはぐれ召喚獣扱いされるのが関の山だ。
「何を言っている? 先のエルゴの王とやらもリィンバウムの人間ではないだろう」
バージルが何を勘違いしているんだと口を挟むが、その言葉を聞いた二人は目を見開いて驚いた。
「え? 少なくとも俺はずっとこの世界の誰かが選ばれたものとばかり思っていたんだけど……」
「あ、ああ。俺も同じく思っていた」
エルゴの王は異界の侵略からリィンバウムを護り、後に歴史上唯一の統一国家を建国したまさに救世の英雄だ。神なき世界であるリィンバウムで唯一、信仰を集める存在なのだ。
それがリィンバウムの人間ではないとなると、下手をすれば歴史の根底からひっくり返るほどの衝撃となるだろう。
「……確かに出身が異世界だと書いていたものはなかったか」
バージルはこれまで読んだ本の内容を思い出しながら答える。同時にリィンバウムの人間であると明言されたものもなかったが、それは書くまでもない大前提だからだ。
「じゃあもしかしてそれを聞いたのって……」
「想像の通りだ」
ハヤトの言葉を肯定する。バージルはラウスブルグの情報を得たときのように何度か
「少なくとも軽々しく口にするべきことではないな。……俺もこの話は忘れよう」
クラウレはバージルの極めて重大な事実をあっさりと口にする姿勢を暗に責めた。ハヤトは己の立場がどういうものであるか弁えた言動を取っているが、この男の場合はそれがない。
一時は武力によってラウスブルグを占領したギアンに仕えたこともあるクラウレだが、それは同胞を案じてのことであり、平素の彼は理性的な戦士なのだ。戦いに際してこそ勇猛果敢ではあるが、決して自ら戦いを求めるような好戦的な男ではなかった。
「そういうことなら俺も黙っとくよ」
ハヤトも思うところはあるようだが、それは口にせずバージルの言ったことを口外しないことを誓った。
「好きにすればいい。元より人間のことなど興味はない」
そもそも、バージルのそのことを
「そう言いながら先生とかポムニットさんとか結構気にして……」
そこまで言ってハヤトは失言に気付いた。この言い方ではまるでバージルをからかっていると思われかねない。この男をからかって無事で済みそうなのはそれこそ、言葉に出したアティとポムニットだけだろう。
「あの二人は特別だ。当然だろう」
思ったより棘のない言葉にハヤトは安堵したが、直後バージルは言葉を続ける。
「貴様にも似たような者がいるだろう。それと同じだ」
「う、ま、まあ、そうだけどさ……」
まさかあのバージルからその方面の話を振られるとは思っていなかったハヤトは狼狽えながら答えた。そして、その様子をクラウレは微妙な顔つきで眺めている。
(……そうか、二人とも……そうか……)
しかし視線はどこか遠くを見ているようで、さらには羨望の色もあった。
御使いの長クラウレ、生まれてから今日に至るまで色っぽい話は何一つなし。己が人生の選択に悔いはないが、それでもハヤトとバージルの少し羨ましく思っているようだった。
現在ラウスブルグは完全にリィンバウムから離れ、幻獣界メイトルパを目指している。当然到着するまでの間はどこに行くこともできない。ラウスブルグ自体が巨大であるとはいえ、閉鎖空間には変わりなく長くいるとどこか飽きがくるものだ。
そんな中で食事は唯一の娯楽と言ってもいいものだった。
「フェアさん、こっち終わりましたよ」
「ありがとうポムニットさん。私の方も後は煮込むだけだから一息吐けるよ」
厨房でテキパキとポムニットとフェアが動く。この二人がラウスブルグの厨房を取り仕切っているのだ。どちらもこれまで料理を作ってきたため手慣れている。大人数の食事を作らなければいけない現状も軽々とこなしていた。
「それにしてもフェアさんが手伝ってくれてよかったです。私一人じゃ、どうしてもレシピが限られますし……」
特にフェアが来たのは嬉しい誤算だ。料理店を経営しているだけの腕と手際の良さを持った彼女が加わったことで、ポムニットの負担も減り、余裕もできたためレパートリーも増えたのだ。
「料理ならお店でも作り慣れてるから気にしないで。……それにしても色々あるんだね、ここ。ウチより揃ってるかも……」
ポムニットに笑顔で返す。もはやフェアにとって料理を作ることは生活の一部であるため、むしろしない方が居心地が悪いのだ。
「元々結構大きかったので、つい色々と買っちゃって……」
厨房に置かれた調理器具を眺めていたフェアに照れ笑いを浮かべながら言葉を返す。元々ここの厨房はあまり使われていなかったらしく、設備もだいぶ傷んでおり、ポムニットが使うにあたってだいぶ買い足したのである。と、そこまではよかったが、あれもこれもと言ううちに大きな料理店並みの設備になってしまったのが真実だった。
「ってことは、あの人って結構お金持ちなの?」
バージルは元々それなりに金を持っていたが、少し前にアズリアにギアンの情報を売ったことでさらに財布が潤っていた。とはいえ、それを知らないポムニットはフェアの言葉であらためて疑問になった。
「……どうなんでしょう? 島ではお金はほとんど使わないから気にしませんでしたけど、言われてみれば今回は結構買い過ぎたのに何も言われませんでしたし……」
(ポムニットさん、甘やかされてるなあ……)
彼女の答えを聞いてフェアは遠い目をした。もし無駄遣いされたのが自分であれば相手がネロやミルリーフでも怒るか小言の一つでも言うだろう。そういう意味でバージルは随分甘いようだ。
「持ってきたぞ。どこに置けばいい?」
そこへアロエリとリビエルが現れた。二人とも腕に大きな袋を抱えている。
「急にお願いしちゃってごめんね。テーブルの上に置いてくれる?」
二人が持ってきたものはフェアに頼まれた麦粉と砂糖だった。
「構いませんわ。特にすることもありませんもの」
「ああ、御子さまには兄者がついているしな」
最初はミルリーフに全員でついているつもりだったのだが、さほど心配することもないだろうというクラウレとセイロンの意見で、長であるクラウレだけがつくことになったため、二人は手持ち無沙汰だったのだ。
一応、フェアから頼み事をされる前は、城の外で暮らすアロエリの同胞達の様子を見に行っており、ずっと城の中でぐうたらしていたわけではないが。
「あ、そういえばさっきミルリーフと会ったよ。上手くいったってさ」
さきほどエニシアと共に、バージルとの模擬戦後のネロを労っていた時にやってきたミルリーフが自慢げに言っていた。「まだ生まれたばかりなのに、こんな大きなお城を動かせるんだ」と感心と同時に驚きがあったことを覚えていた。
「さすがは御子さまだ」
アロエリが口を開く。リビエルも言葉にしないまでも同じ気持ちのようで大きく頷いていた。
その二人の反応に苦笑しながらフェアはさて、と口にして持って来てもらった砂糖の袋を手にした。同じようにポムニットは小麦粉の袋を手に取った。
フェアから頼まれた時には既にいい匂いが厨房に立ち込めていたため、夕食の準備はまもなく終わるだろうと思っていたらしいリビエルはそれを見て尋ねる。
「あら? これから何か作るんですの? てっきり明日の材料かと思いましたが」
「こっちはそうですよ。ただ生地は今日の内に作って、明日は焼くだけにしてるんです」
パンを作ると言っても生地から作っていたのでは、夕食はともかく朝食に出すのは難しい。だから今のうちに生地だけ作っておくことで、朝食にも焼き立てのパンを出せるようにしているのだ。
「でもこっちは違うよ。さすがにパンとシチューだけじゃ寂しいからデザートでも作ろうと思って」
夕食の献立はパンと野菜をたっぷり入れたシチューだった。具材がたっぷりと入っており、量だけならこれまでの夕食と変わりないが、フェアはやはり二種の料理だけでは夕食としては寂しいと思ったようさ。
「それは素晴らしいですわね!」
甘い物には目がないリビエルは一も二もなく賛成した。
「あ、そうだ。せっかくだし二人とも手伝ってくれない? 余ったデザートあげるからさ」
一応、分担としてはポムニットが明日のパン生地を、フェアがデザートをそれぞれ作ることとしているが、パン生地の方は必要な量が量であるため中々大変なのだ。
「その話、乗りましたわ」
「オレも構わない。じっとしているよりずっといい」
「二人ともありがとうございます!」
デザートの余りというエサであっさりと釣れたリビエルに続きアロエリも頷いた。
そしてポムニットと共に生地をこねていると、今度はアティとクラレットがやってきた。
「ごめんね。ちょっと厨房借りてもいい?」
現在厨房では四人が作業しているとはいえ、まだ空間的には余裕があったためアティはそう尋ねた。
「構いませんけど、何か作るんですか?」
よく見るとクラレットは果実が入った袋を手にしている。二人はそれを使って作ろうと言うのだろう。
「うん。クラレットちゃんとお夜食を作ろうかなって」
買い込んだ食料の中にはもちろんお酒も入っているため、夜に飲む者も少なくない。アティもたまにバージルと飲んでおり、そのつまみを兼ねた夜食は彼女が手ずから作ることも珍しくなかった。
「ええ、私もたまにはハヤトに何か作ってあげようと思って……」
サイジェントにいる時はリプレが、ラウスブルグに来てからはポムニットとフェアが食事を作っているため、彼女が自らの手で作った料理をハヤトに振舞うことなどほとんどなかった。
ところが、普段はポムニットに料理を作ってもらっているアティから、たまには自分で作った料理を食べてもらっているという話を聞いて是非自分も、ということになったのである。
「喜んでもらえるといいですね」
「は、はい」
にこりと笑顔で浮かべたポムニットの言葉に、考えを見透かされたように感じたクラレットは顔を赤くしながらも頷くと、アティに続いていつの間にか大所帯となった厨房に入っていった。
それから数時間後、ネロは食堂で酒を飲んでいた。ただし一人ではない。向かいにはレンドラーとゲック、隣には煙草を咥えたレナードがいた。
「まさか小僧、お前とこうして酒を酌み交わすことになるとはな。最初に会った時のことを考えればこうなるとは思わなかったぞ」
酒の力かレンドラーは珍しく饒舌な様子だ。
「何だ、敵同士だったのか?」
今回の酒の席にネロを誘ったのはレナードだった。元々はレンドラーと飲もうという話になっていたのだが、その時近くにいたネロも誘われたのだ。ゲックも同じ理由この場にいるようである。
「戦ったのは事実だが、別に敵だとは思ってねぇよ」
「言いよるわ、この小僧!」
笑いながらグラスに入った酒を一口飲む。ネロの言い方は彼らを敵と見なしていない雑魚扱いとも取られかねないものだったが、レンドラーはさほど怒ってはいないようだ。
「しかし、お前さんも俺様と同じ世界の出身とはね。案外、世界は広いもんだな」
互いに簡単な来歴は知っている。ネロもレナードもお互いが生まれ故郷である名もなき世界へ帰ることを目的としていることも把握していた。それでもレナードにしてみれば、スペクタクルとはかけ離れた世界だと思っていた自分の生まれた世界にも悪魔が存在しているなど夢にも思わなかったのだ。
「向こうじゃ俺みたいのはまずいないからな」
「仕事は何してるんだ? やっぱりそっち関係か?」
「ああ。……昔は騎士をやってたが、数年前に仕事を変えてね」
興味津々に聞いて来るレナードにネロは淡々と答えた。彼も酒は飲んでいるが、まだ酔いが回るほどは飲んではいないようだ。
「何ィ、小僧、お前が騎士だと!?」
「人は見かけによらないものじゃな」
ネロの言葉を聞いた二人が声を上げた。規律に縛られた職業には向かない性格をしているネロがまさか騎士をしているとはまさに驚愕だった。
「つっても仕事は一人で回してたけどな」
「まあ、そうじゃろうな。お主なら一人の方が向いているじゃろうて」
ネロの話を聞いたゲックが納得したように頷いた。ネロの性格は集団行動には向かないが、同時に彼の強さなら単独でも任務を遂行できると判断されるのは想像に難くなかった。
「しかし、今はしてないんだろ、何で辞めたんだ?」
「騎士もなりたくてなったわけじゃないし、悪魔も何とかしなきゃならないって思ってたしな」
「立派なもんじゃねぇか。まだ若いのに大したもんだ」
レナードは感嘆したようにネロを褒めた。最初は口が悪いが腕っぷしは強い若造くらいに思っていたが、その認識を改める必要があるだろう。
「うむ、ワシが同じ年の頃なんぞ自分のことしか考えてなかったわい」
「まあいいんじゃねえか? 年取ってからでも気付けたんなら」
ネロとてあの一件という「きっかけ」がなかったら、騎士団にいて適当に過ごしていただろう。その意味ではゲックの「きっかけ」となることが起きたのがネロより遅かったというだけにすぎないのだ。
その言葉を聞いたレンドラーは口を大きく開けて大笑いした。
「言いよるな小僧!」
レンドラーはネロに辛酸を舐めさせられたとはいえ、それほど悪感情を抱いていたわけではない。むしろ小細工を弄せず正面から戦う姿勢には好感を持っていた。その上で今の言葉だ。
つまるところレンドラーはネロのことを気に入ったのである。だからか、彼はすぐ手ずからネロのグラスに酒を注いだ。
「さあ飲め! それともこれでは我輩に勝てんか?」
「言ってろ」
ネロはそう返すが、そこまで言われて何もしないわけにはいかない。一気にグラスを呷り勢いよく酒を飲み干した。
その飲みっぷりに機嫌をよくしたレンドラーが「さあもっと飲め!」と笑いながらさらに酒を注ぎ、レナードも「お、やるねえ」と囃し立てるように笑う。さすがにゲックは「若いのう」と苦笑するが止めはしなかった。
そうして、思った以上に話が盛り上がり、アルコールがほどよく四人の体を包んだ頃、ゲックが少し真面目な顔で口を開いた。
「……正直なところ、姫様は母君に会うことができると思うか?」
「何を言う、教授。獣皇や里の者もいるではないか。探し出すのも決して不可能ではなかろう」
ゲックの懸念が広い幻獣界でエニシアの母親を探し出すことだと思ったレンドラーは、ラウスブルグには幻獣界で生まれた者達のことを示した。
「……それとも別な問題かい? 見つけることはできても会うことはできない、とか」
「何を馬鹿な!? 子に会いたくない親などいるはずがなかろう」
別な可能性を思いついたレナードがそれを口にするが、すぐさまレンドラーが否定する。親が子を恨むのことあることは分かっているが、今回の場合、子とはエニシアなのだ。彼女の性格から考えても親に恨まれるなどありえるはずもない。
「そうではない、落ち着くのじゃ将軍よ。……姫様の母君のような古き妖精はこのラウスブルグのような、普通とは異なる空間で暮らしているそうじゃ。そんな閉鎖的な種族が同じ血を引くとはいえ、姫様を受け入れると思うか?」
「それは……」
ゲックの言葉にレンドラーは口ごもる。代わりにネロが即答した。
「んなこと知るかよ。会わなきゃ何も始まんねえんだから首根っこ掴んでも連れてくるしかないだろ」
目的のためなら規律も秩序も意に介さない、まさしくバージルの血を引いていることを証明するような考えだ。下手をすればリィンバウムにも大きな混乱を巻き起こすかもしれないが、ネロは必要とあらば実際にやってみせるだろう。
「おいおい、連れてくるのはあのお姫様の母親だぜ。さすがに首根っこを掴むのはマズいだろうよ」
「我輩とてそんなことはしたくないが、向こうの出方によってはやむを得まい」
レナードが冗談めかして言った言葉にレンドラーが続く。二人とも最初から強行策ありきという考えではないが、それでもネロの言葉を完全に否定しないあたり、心情的にはそれをしてでもエニシアを母に会わせてやりたいのだろう。
(やはり将軍の言うように相手の出方を見て判断するしかないじゃろうな……)
ゲックも二人と同じ気持ちなのは間違いない。それでも召喚師である以上、他の三人よりメイトルパについて詳しい彼は余計な軋轢を生みたくはなかったのだ。
それでも結局はその時になるまでどちらに転ぶか分からない。今のゲックにできることは、どうか穏やかに再会が果たされるようにと祈ることだけだった。
今回から新しい章となります。恐らく10話から15話くらいの長さになるでしょうか。
そういえば今年サモンナイト19周年、来年で節目の20周年になりますね。UXはなんとなく来年でそうな気がします。
さて、次回は1月26日か27日に投稿予定です。
ご意見ご感想お待ちしております。
ありがとうございました。