朝、枕元に置いていた携帯のアラームが鳴るよりも早く目が覚めた。いつもギリギリまで寝ている自分がこうも早く起きてしまったのは、どうにもならないほど身体が暑かったからだ。
覚えのある暑さにああ、またかと思いながら睡眠を欲する頭に血液を送り込み無理矢理起こす。布団は見事に一人分多く膨らんでいる。規則正しく上下する布団。こう何度も侵入されながら実はそれほど悪く無いと思ってしまっている自分に苦笑しながら布団をめくった。
予想通り、そこには猫のように丸まって寝息をたてているラウラの姿がある。すぅすぅと普段の凛々しさからは想像もつかないような可愛らしい吐息を漏らすラウラ。長い銀の髪が朝の陽光を受けて綺麗に輝いている。初めて学校に来た頃はあまり手入れされていない風だったが、最近ではクラスメイトの影響か、触れば絹のように滑らかだ。
「んん……」
ラウラが陽の光を嫌がるように身体をよじる。ついでに言えば、更に自分の身体に寄り添うように丸まっている。やや乱れた無地のパジャマの首元の隙間からは、飾り気のない黒のタンクトップが見える。初めて布団に潜り込んできた時に比べれば随分とした進歩だ。
最初の頃はそれこそ全裸で布団に潜り込んで来たのだから。今でも陶磁器のように白い肌と起伏の少ないなだらかな胸、その頂点に立つ――思い出して今度は下半身がすっと熱くなって来たので思い出すのは辞めた。
ラウラに悪いと思い布団をかけ直してやる。今度はちゃんと顔を出して、だ。いつも布団を頭まで被って、苦しくはないのだろうかと思うが、ラウラはいつも構わず被って眠っている。ラウラなりのこだわりがあるのかもしれない。
静かに身体を起こして、携帯のアラームを切る。こんなにも気持ちよさそうなラウラの姿を見ていると、起こすのが無粋に思えてくるのだ。穏やかに、無垢な子供のように眠るラウラに愛しささえ感じる。そっと、ラウラの頭を撫でてやる。さらさらとした髪が手に心地よい。
「えへへ……嫁ぇ……」
夢の中でいいことがあったのか、ラウラは可愛らしい笑みを浮かべて寝言を呟いている。見た感じ、当分起きることはないだろう。ルームメイトのシャルロットによれば、いつも何かあればすぐに飛び起きるというが、この姿ではとてもそうは思えない。
さて、今のうちに朝食でも取りに行こう。ラウラを起こさないよう、静かに制服に着替え食堂へと向かうことにした。
◇
熱々のコーヒーに焼きたてのパンと目玉焼き、それとソーセージ。いたって一般的な朝食を二人分トレーに乗せて部屋に戻る。コーヒーの香りに連れられてラウラは起きてくれるだろうと思っていたが、その見立ては甘かった。
ラウラは、既に起きていた。今にも泣きそうです、という風に紅い目をさらに赤くしながらベッドの上で布団に包まっていた。
「どこに……どこに行っていたのだ、嫁よ……?」
ラウラの問いに朝食を取りに行っていた、と返すとラウラは不貞腐れたようにそっぽを向く。部屋を見ればなんとなく散らかっているような気もする。もしかしてあの後起きたラウラは俺が居ないことに気付いて辺りを探しまわったのだろうか。
「私は……心配で、心配で」
苦笑する。心配した、などと言っているが実際のところは寂しかったのだろう。ラウラはそうだ。いつだって気がつけば近くにいるし、余程のことがなければトコトコと後ろをついてくる、そんなタイプの――寂しがり屋な女の子だ。
朝起きた時に俺がいなかったから、部屋を探しまわるがひっくり返すほど荒らすこともしない姿が容易に想像できて、悪いとは思ったが微笑ましくてたまらない。
「なっ! なんで笑うのだ! 私は嫁のことを心配して……もういい! 知らん! 嫁など知らん! 知らないからな!」
それが気に食わなかったのか、ラウラはすっかり拗ねてしまった。まるで俺のことなど見たくないとでも言うように身体を窓の方へと向けてしまっている。
そんな仕草がやっぱり見た目相応の子供っぽいなと思いながら、備え付けのテーブルにトレーを置いた。チラチラとこちらを何度も伺うラウラの視線はわざと無視する。気づいていないようにしてラウラの方へと向くと、慌てて視線を窓へと向ける。本当に小動物みたいだ。ゆっくりと時間をかけてベッドに近付き、ラウラと背中合わせになるようにベッドへと腰を下ろす。
◇
背中合わせになってどれくらいだろうか。熱々だったコーヒーからすっかり湯気が消えてしまったから、それなりに時間はたっているだろう。さて、拗ねたラウラをそろそろどうにかするかと思い始めた時に、ラウラの方から
「なぁ、そっちに行っても、いいか?」
遠慮しがちなラウラの声。もちろん俺の答えはイエスだ。俺の隣に座りたいのだろうか、しかしその行動一つとっても俺に許可を求めるラウラのいじらしさである。もっとも、俺の予想はまったく明後日の方向だったが。
布団が落ちる音がしたかと思えば、ラウラは俺の膝の上へとストンと乗った。これには俺が目を白黒させた。今までラウラはこんな風に甘えてくるようなことはなかった。そんな俺の戸惑いを敏感に感じ取ったのだろう、ラウラは小さな身体をもっと小さく縮こまらせて――
「迷惑、だったか?」
――消え入りそうな声でそんなことを言った。
なんて俺は、馬鹿だ。ラウラの出生と境遇は全て聞いている。家族も兄弟も姉妹も持たないラウラが、こうやって甘えるのは本当に勇気が必要だったに違いない。甘え方を知らないラウラが、こうするにはどれだけの勇気が必要だっただろうか。
ラウラは軍人だ、でも女の子だ。それも普通の女の子よりも幼い、子供だ。
軍人らしい筋肉が付いているとはいえ、一般的な少女の体型よりも華奢で小さな身体は、今にも壊れてしまいそうに細い。膝にかかる重さも、ラウラがここに居るのか不安になるほどだ。そんなラウラに、俺はなんて馬鹿なことをしたのだろう。
ごめんな、とラウラに謝って、俺は右手でラウラの頭を撫でる。迷惑なんかじゃない、もっと甘えていいんだよと想いを込めてラウラの頭を優しく撫でてやる。そうした俺の想いが伝わったのか、遠慮がちに離れていた背中がゆっくりと自分の胸にもたれかかってきて、体重を預けてくる。やはり、ラウラは軽い。
幼い少女特有の、やや高めの体温が胸いっぱいに感じられる。ふわりと膨らんだ髪の毛からは――普段は油を硝煙の臭いばかりさせているあのラウラから――花の香りのようなシャンプーと、女の子特有の甘い匂いが俺の鼻孔をくすぐって、心臓の鼓動を早くする。俺はラウラに“女”を感じてしまっている――それを気取られないよう、慈しみようにラウラを撫でるとラウラは子猫のようにくすぐったそうに胸の中で頭を振る。そうして少し乱れた髪の毛を、今度は手櫛で優しくすいてやると「……ん」と嬉しそうでどこか艶かしい吐息をラウラは漏らした。
◇
右手はラウラの頭にあり、逆にすっかり手持ち無沙汰になってしまった左手はどうしたものかと考えながらベッドの上に所在なく置いていると、ラウラの小さい左手が甘えるように俺の左手を包みこんだ。
包み込むにはラウラの手は少し小さい。それがまた愛おしくて指を絡ませあったり握り合ったりして、互いの感触を確かめ合う。ラウラの指は白魚のように細く、柔らかくてプニプニとしている。本当に俺と同じ人類なのか不思議に思うくらいだ。
――そうしてラウラと過ごしていると、朝の予鈴が鳴った。
二人の動きが止まる。いいところで水を指す予鈴だ。ずっとこうしてラウラと過ごしていたいのに、とにかく名残惜しくてたまらない。それでも学生の本分は勉強である。仕方ない。ラウラにそろそろ行かないと、と告げると――
「今日は病欠にしないか」
――とラウラに左手を胸元に抱き寄せられた。左手からはラウラの薄くとも柔らかい胸を通して、早鐘を打つ心臓の音が聞こえる。少し赤くなった頰、熱っぽい吐息、薄桃色の唇とこちらを見上げている、潤んだ紅い瞳にかかる銀色の前髪。
こんなことを言われて、断れるわけがない。綺麗な睫毛を見ながら首を縦に振った。
「それなら連絡は早いほうがいい」
するりとラウラは俺の手とひざ上から抜けだして携帯をいじり始め、自分も担任に報告をしなければと携帯を取ると手早く通話ボタンを押した。連絡を入れると即座に「何度目だと思っている」と罵倒が飛び出してきた。反論の余地なく始まった説教の最後にラウラにも伝えておけという織斑担任のありがたいお言葉を頂いて、これは無理だと悟るしかない。
非常に名残惜しいが、直々に説教までくらったのだから。仕方なくベッドから立ち上がった俺の制服の裾は、今にも振りほどけそうな力で掴まれた。ラウラである。
「なら遅刻にしないか」
潤んだ瞳がこちらを見上げる。吸い込まれそうな紅い瞳が、俺の姿を映し出す。振り解こうと思えばすぐに出来るほど弱々しい、制服の裾を掴む力――
ああ、遅刻なら仕方ないかとベッドに座り直す。当然というようにラウラは膝の上に乗ってきて、今度は躊躇なく甘えてきた。猫のように背中と頭を胸にすりつけて、求めるように左手が踊りだす。俺の右手はラウラの頭を撫でながら、左手はラウラと指を絡ませあって撫であって。
その指がふと止まって――
「この左目――」
――そう、口にしたもののラウラには続く言葉が見つからないようだった。どうしたのだろうかと思うと預けられていたラウラの体が離れた。少しの逡巡の後に、ラウラは何かを決めたのか――あるいは辞めたのか、そのまま立ち上がってしまおうとする。
ここでラウラを行かせてはならない。そう直感した俺はラウラを半ば強引に引き寄せて、今度は向かい合わせで膝の上へと座らせる。ラウラの紅い瞳が戸惑いと恐怖に揺れていた。何も言わなくていい、そう伝わればとラウラの額が自分の肩に触れるように体を預けさせて、思いっきり抱きしめた。
抱きしめながらも頭と背中を撫でながら、ラウラが落ち着くように語りかける。その左目でいろいろ大変なことになったのは全部知ってる、でもそれも含めてラウラだから。一言、一言を噛み締めながらラウラに伝える。確かに痛い目にあったし恐ろしい目にもあった、死ぬかとも思った。それでも俺は、ラウラを守りたいと思った。
ラウラが肩から額を離すと、目には涙をいっぱいに溜め込んで今にも泣き出してしまいそう。それどころか怯えるように震えている。言おうか、言うまいか、瞳が彷徨っている。俺はそんなラウラをもう一度しっかりと抱きしめた。
そしてラウラは、覚悟を決めたようだった。
「全部、見て欲しい」
震える声でラウラはそう言った。全裸ならとうに見ているが、ラウラはそんな時でさえ眼帯を外すことはなかった。ラウラにとって左目は失敗と後悔の象徴であり、コンプレックスでもある。それを受け入れて欲しいと言葉にするのはどれだけ苦しいことなのか、俺には想像もつかない。
声を振り絞ったラウラの頭を、髪を梳くように優しく撫でると右の指先に留め具らしきものが当たる。これがきっと眼帯の留め具だろう。すると怯えたように腕に左手が添えられた。ラウラの口が焦るように開かれようとする。しかし涙が溢れそうな右目も、眼帯の下の左目も一緒に見ながら俺は言う。大丈夫、ラウラの全部を受け止めるから、と。
だから、眼帯の止め具を外した。ラウラが小さくあっと漏らす間に、眼帯はするりと床へ落ちていく。涙に塗れた紅と金の瞳が恐怖を交えて見つめてくる。ラウラの震えは止まらない、きっと拒絶されることが恐いのだ。だからラウラの紅と金の瞳を見つめながら身体をそっと抱き寄せた。
綺麗だよ、宝石みたいだ――素直な感想だった。縋りつくように背中に回されたラウラの手が力を込めると、それよりも少し強い力で抱きしめて俺は言い続ける。胸の中で溢れ出したラウラの涙混じりの嗚咽を受け止めながら、本当に綺麗だよ。ラウラは本当に綺麗だ、と何度も何度も、まるで子供に言い聞かせるように本音をぶつけていく。
そうしていたのはどれくらいだろうか。次第にラウラの嗚咽も小さくなっていった。落ち着いたかな、と思った矢先鼻を軽くすすったラウラは顔を上げずに尋ねる。「どうして私を受け入れてくれるのか?」と。だから答える、そんなことは決まっている。そもそもそれは、ラウラが決めたことなのだから。
嫁は夫を愛するものだ、そして嫁を愛するのが夫だ。そう言ってみたが、それでは伝わらなかったようで顔を上げたラウラの瞳の中で光が揺れた。
「それは、どちらが嫁なんだ」
そう問うラウラに、願うように口にする。ラウラが嫁になって欲しい、と。これは俺の本心からの願いだ。俺はラウラを守りたいと思った。そして一緒に過ごす内に、ラウラに別の感情を抱いているのも気付いた。尊大だけどいじらしく、かっこいけど可愛らしい、器用に見えて変なところでとんでもなく不器用な、ラウラを好きになっていた。
痛いほどの沈黙、その後。
「愛を……くれるのなら」
ラウラは目を瞑り、唇を差し出した。ラウラは小さく震えながら、じっとその時を待っている。ラウラがこうして覚悟を決めて待ってくれているのだ、このまま待たせるのは男が廃る。
意を決してラウラの唇へと己の唇を寄せていく。男にはない甘い香りが鼻腔をくすぐる、キメの細かい白い肌が眩しくてたまらない。自分もラウラに習って目を瞑った。先ほどよりもラウラを強く抱きしめて、唇をそっと重ねた。
◇
どこか遠くの世界のことのように、チャイムの音が聞こえる。本鈴をバックに触れるだけの短いキス。それでも永遠に思える数秒が過ぎていく。
そして二人同時に唇を離した。途端に虚無感が襲い掛かってくる。ほんの数秒であったのに、とてつもない喪失感だった。ラウラも同じだったようで、どこか寂しそうな表情である。
けれど、ラウラはキスではなくけじめをつけるように静かに言った。
「これからもよろしく頼むぞ、嫁――」
ラウラはそこで言い淀み、一転して顔を赤らめた。それがどうにも可笑しくて、釣られるように声を出す。よろしく、嫁――今度は二人で身を寄せあって、笑いあった。
――優しい陽の光が二人を包み込む、朝の一時である。
Twitterにおけるとある方とのラウラ談義で産まれた短編です。
オリ主です、決して一夏ではありません。
無論、主人公はラウラが好きな貴方かもしれません。
hisashi様、誤字脱字報告ありがとうございます。