八坂真尋は、まだ家を出て生活したことがない。
まだ高校生という未熟な年齢であるし、何より母親がムスコニウムなる超時空謎栄養素を求めるので、まだそうする事を許してはもらえないだろうし、そうするつもりもない。
両親に依存しているつもりはないが、いずれ出ていかなければならないなら、まだ家族と一緒にいたいと思う真尋である。
なので、帰省というのがどんなものなのか知識はあっても実感としては分からない。
「帰省か」
「はい帰省です。寄生、英語で言うとパラサイトブラッドではなく帰省です」
だからニャルラトホテプが久々に実家に帰るのがどんな気分なのか、真尋は少し興味がある。地球に来る以前、こいつが実家暮らしなのか一人暮らしだったのか聞いた事はないが、娘がいきなり辺境銀河の片田舎に配属され一ヶ月も経てば、会いたくなるのが人情だろう。
這い寄る混沌も人の親というわけだ……いや、その理屈はおかしい。
「で、どのくらいに出発するんだ?」
こいつらの宇宙渡航技術がいかほどの物かは知らないが、シャンタッ君では宇宙に出られないし、瞬間移動的なサムシングはこいつらの恩師の固有技能らしいし。まさか実家に帰るのにおねがいティーチャーするわけもないだろう。だったら、なんらかの公的機関を使うのだろうから、スケジュールは結構キツいのではないか。
だが、件のニャルラトホテプは。
「え? 出発ですか? なんの……ああ、デートのお誘いですか? まさか真尋さんからお誘いいただけるなんて、立てる端から折られていくフラグに、吹雪の中でも目立つように血を付けたり、ビームにしてみたり、やっと……やっとニャル子の努力が実ったんですね! いやぁ、真尋さんは強敵でしたね」
「は? 何言ってんだよお前、実家に帰るんだろ?」
「一体、いつ私がそんな事を言いました?」
わざとらしい上目遣いで見つめてくる這い寄る混沌。いつの間にかボタンを二つ外していて、白い肌と深いのかよく分からない可変式谷間を強調している。あざといな、アザトースの部下だけに。
「……少年、あまり」
「分かってるから、心を読むな! で、どういう事だ? さっき分かりました。とか言ってただろ?」
周りを見回すが、全員からNOと言えない日本人的に肯定が帰ってくる、きっと黄衣の王も「肯定だ」と言ってくれるだろう。
「うー、にゃー……だって実家まで乗り換え面倒なんですもん」
アホ毛も力なく垂れ下がるニャルラトホテプ。流石にそんな理由で両親に嘘を吐いたのはいただけない。誠意をもってネゴシエーションに当たろうと思った瞬間、何かおぞましい言葉が漏れたのを真尋の耳は捕えてしまった。
「それにうちの両親って、テンションが高くって疲れるんですよねぇ。別に嫌いってわけじゃないんですけど」
テンションが高くって疲れる? この這いテンションニャルラトホテプがそう言ったのか?
「なあ、ニャル子……お前の両親ってどんな人達なんだ?」
「えーと、そうですね……なんか兄妹みたいにそっくりでして。確か昔親戚から、家族三人共そっくり、でもニャル子ちゃんは結構おとなしい。って言われました……まあなんていうか私のアッパーバージョンと言いますか、私を究極の凄まじき混沌とするなら、両親はライジングな究極ですね」
真尋は頬が引きつっているのを感じる、さらに汗が吹き出る、どす黒い気分にまでなりそうだ。
「ですんで、私としましては帰省などしないで、真尋さんときゃっきゃうふふして過ごしたいんですよねぇ」
ニャルラトホテプは茶を啜り、肩の荷を下ろした顔をしている。
「なあニャル子、お前帰らないとまずいんじゃないか?」
もうこれで連休中は安心という戯けた幻想は。
「え? どういう事ですか」
「だってお前の両親がお前そっくりなら……」
真尋の一言がぶち壊す。
「地球に直接来そうじゃないか?」
「あー、え?」
「這い寄る混沌らしいメンタルで、恐らくお前が一番やってほしくない、母さんとの情報交換とかしかねないと思うんだが? 言っとくがそこまでやったら、僕は止められないからな」
急に娘の居候先にやってきて場を混乱させる。ニャル夫の事を筆頭に知られたくない情報が赤裸々に白日の元に公開する。もし立場が違えば、ニャルラトホテプなら嬉々としてやるだろう。
帰省したくないが、帰らないともっとまずい事態になる。思い付く限り「一番怖い」マフィアを敵に回した現状、それを理解したニャルラトホテプは。
「詰んだああああああああああああああ」
絶叫した。
「くっ……う、うぅ。確かにうちの両親ならやります、やらない理由が無い! ならば仕方ありません、帰省するしか無い! ですんで真尋さん! 私の実……」
「ノゥ」
生憎だが、そう来るのは読んでいた。ニャルラトホテプの勢いが五百キロで突っ込んで来る重トラックでも、二キロも前から察知出来ていれば避けるのは容易い。
「そんな、イエスと言ってください!」
「絶対にノゥ、悪いけど宇宙に出る事になるお前の頼みなんて、自動的にノゥとしか言わない事にしてるんだ」
「やはり真尋さんの青春ラブコメは間違っていますよ! 普通ヒロインの頼みをノータイムで断る選択肢なんて選んだらバッドエンド一直線じゃないですか。だったら、私と一緒に実家に来ないでください」
「イエス」
「馬鹿な、ノゥとしか言わないはず! うう、せっかく両親に、自慢の婿の誕生を伝えるチャンスでしたのに」
「……ニャル子、わたし一緒に行きたい。ご両親に、ニャル子を焦熱の儀式に誘って炎帝の抱擁みたいに愛した者として挨拶したい」
「はぁ? 馬鹿ですかあんた、クトゥグア星人をニャルラトホテプの母星に連れて行けますか。つかなんです? そんな一方的な久遠の絆、言葉を降魔の剣と化し断たんと欲しますよ!」
相も変わらず騒がしい連中だと真尋はため息を吐くが、クトゥグアを案じた様に聞こえてちょっと頬が緩む。不倶戴天の仇敵な種族同士だが、こいつら個人は仲のいい喧嘩友達と感じられる。
「はいはい、喧嘩しないの。乗り換え面倒なんでしょう? だったらニャル子さん早く出ないと、ね?」
「ああ、はい真尋さんのお母様。あ、そうだハスター君、ビヤーキー貸してくれませんか。あれならひとっ飛びで到着するんですが」
ビヤーキー。宇宙空間ならば亜光速で飛行出来るハスターの眷属……という名のサポートメカだ。きっと人型に変形し、劇場版ではハスターのサポートをするも巨大な敵に破壊されるに違いない。
「ご、ごめんニャル子ちゃん。あんまり宇宙にいくとおもってなかったから、いまコスモじゃないんだ」
「ああ、喚装に時間掛かりますからねあれ。せめて戦艦に搭載したら喚装コマンドが出るくらいしてほしいもんです。で、今は何の形態なんですか? 地上踏破用のストライカーです? それともまさかの決戦用のライトニングですか?」
「え? ダイバーだけど」
何故こいつは時間があまり無いと言っているのに雑談に花が咲くのか。あと戦艦ってなんだ、これ以上地球に厄介な物を持ち込んでほしくはないんだが。
「はあ! ダイバー? なんだってわざわざ据え置きのスーパー眷属大戦OGで削除された微妙な形態に」
「だ、だって……水のなかにはいれたら、ふたりきりになれるかな。って」
金髪の少年は顔をゆでダコみたいに染めて、人差し指をツンツンとしている。ハスターだけ……やめておこう。
「そ、そういえばニャル子ちゃんって地球に宇宙船で来たんじゃなかったっけ? なんかレトロな……」
「ハスター君、原作の面白さを再確認するため、とかリアルにSAN値が下がる気分を味わう。とか無かったんですよ」
ニャルラトホテプはいつの間にか幼なじみの肩を掴んで、笑顔で冬のナマズみたいに黙らせようとしていた。
「ふぅ、さてではニャル子は、ちょっと帰省の準備をしてきます……と、真尋さんのお母様」
ハスターを解放したと思ったら、今度は母親に話し掛ける。こいつは話を進めるつもりは無いのだろうか?
「なにかしらニャル子さん?」
「シャンタッ君はどうしましょうか? 確か今日、お母様は『獲物を屠る《狩人》の会』ドイツ語で言うと、イェェェェエエーガーァッ! に出席して、ハンター仲間に新たなオトモ候補としてシャンタッ君を紹介したいと仰っていましたよね?」
確かにそんな事を、何日か前に言っていた。血に餓えた(偏見)ハンターの前に、この珍妙なマスコットを連れて行って大丈夫なのか、と一抹の不安を感じる真尋である。
「ああ、そうね。でもシャンタッ君も、久々にお家に帰りたいでしょう?」
みーみー、みみー。
「なんと、シャンタッ君! いつもよくして貰ってるお礼にお母様にその身を託すそうです。関羽もびっくりの義の将に成長しましたね」
「あら、そうなのシャンタッ君? だったらニャル子さん、この子は責任をもって私が預かるわね」
みー、みー。
「よーし、いい子にしてるんですよシャンタッ君! お土産に、少尉はいらない5thルナニンジンを買ってきてあげますからね」
みーー!
なんだかよくわからない宇宙製野菜に喜ぶシャンタッ君、まだ頬が赤いハスター、自室に向かうニャルラトホテプを見て、以前よりも間合いが近くなったように思う。これが家族になるという事か。
「家族かぁ」
「……どうしたの? 少年」
結局四回おかわりしたクトゥグアが、こちらを向く。
「いや、なんでもないよクー子」
なんでこいつとの間合いだけ曖昧なのか疑問に思いながら、頬に付いたご飯つぶを取ってやる。
目と目が合う瞬間熱くなったのは、クトゥグアの熱気が漏れただけだろう、きっと。
***
そこからは早かった。まるで残り文字数が少なくなって、慌てて巻きに入ったみたいに早かった。
「では、行ってまいりますが……ハスター君、あなたを信頼してますよ? もしクー子が真尋さんに破廉恥な真似をしようとしたら、いいんちょとして歯車的小宇宙で止めるんですよ? ハッピー、うれピー、よろピクね? ですよ」
「ふぇえ!」
なんで玄関で全員が集まっている状況で、そんな前提からしてあり得ない事を言うのか。
「ほら、時間が無いんだろ。ハス太を困らせてないで、さっさと行けじゃあな」
頭を押して、ハスターから離してやる。しかし幼なじみの男女なのに色気がまるで無いなこいつら。
「ちょっと真尋さん、じゃあねなんて言わないでください、またねって言って、せめてさよならの時くらい微笑んでくださいよぉ」
「はぁ、別に遅くても明後日には帰って来るんだろ? そん時には、おかえりって言ってやるから」
既に家族の間合いになってしまったのだ、特に気負いも無く言ったのだが、何故か目元を手で隠してしまった。
「おい、ニャル子?」
「五秒待ってください、すぐ終わります!」
宣言通り、五秒で背中を向けて目を擦ったニャルラトホテプは、ニカッと笑って敬礼して。
「では、ニャル子行ってきます。ニコニコ這い寄って帰って来ますんで、ちゃんとおかえりって言ってくださいね。約束ですよ?」
そう言って駆けて行ってしまった。
「うふふ、ヒロ君も罪作りね」
「ちょっと、母さん!」
「それじゃあ私達も行くわね。さあシャンタッ君急ぐわよ、最優先事項よ」
みー!
さらに、母親とシャンタッ君も逃げる様に、終始ニヤニヤしながら行ってしまう。
「なんだったんだ」
ため息一つ。まだ昼前なのに、既に何回も吐いてる気がする。
「まひろくん、そ、そのねちょっといいかな?」
「なんだよハス太?」
「えとね、ぼく今日およばれしてて、その」
また赤くなるハスターを見て、真尋はニヤニヤしてしまう。つまりまた逢引の誘いを受けているのだ。
「いいよ、大丈夫だから行ってこいよ」
「う、うん! ありがとう」
自分の部屋に荷物を取りに行ったハスターを見ていると。
「……少年、お母さんに似た顔」
「う」
「……それと」
「なんだよ?」
「……わたしとの間接キスはどうだった?」
ああ、本当にクトゥグアの炎は熱いな。脳も心も、心臓も灼くほどに。