新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。
ただでさえここのところ更新遅れているのに、さらに遅れてすみません。
引っ越しでばたばたしててパソコン開ける暇なかったのですが、さらに明日から10日ほど家にいませんので、感想への返信につきましてはさらに遅れることになりそうです。
前回から引き続きさらにおまたせし続けで申し訳ありませんが、なにとぞご理解いただけると助かります。
まあ、なにはともあれ、うっかりシリーズは佳境、今回の話で第五次聖杯戦争編中章は無事終了となります。次回に外伝をひとつ挟むことになりますが、それが終わり次第終章に物語は入ります故、気長に付き合ってくださると助かります。
それではどうぞ。


35.ごめんね

 

 

 

 桜が養子に出されたのは、かれこれ11年も昔の話だ。

 全ては桜のためだと言われて、桜とはもう会ってはいけないと、もうわたしの妹でもなんでもないのだと告げられて、それでも最後の繋がりのように、わたしのお気に入りのリボンを押し付けたあの日のことはよく覚えてる。

 素直じゃないわたしは、いつか利息をつけて返しなさいとそう要求した。

 それを聞いて、確かに桜は笑ってた。

 あの日、あの時。

 2人の短く長い語らい。

 これが、最後としても、もう姉と名乗る資格はなかったとしても、それでもわたしは桜との最後の繋がりが絶たれる事は嫌だったのだろう。

 だから、同じ高校に入ってきた桜が、わたしが贈ったリボンをまだ身につけてくれていたことが嬉しかった。

 でも、笑顔を失くし、わたしの知っているあの子じゃなくなっていったあの子のことは哀しかった。

 暗く、笑わない間桐桜。

 見つめていた、いつだって遠くから。

 だから、いつもは笑わない桜が、ある姉弟と接する時だけは笑顔を取り戻すのが嬉しくて、羨ましかった。

 ほっとしていた。

 嗚呼、この子は笑えるんだって。

 ねえ、桜。

 貴女の苦しみに今まで気付かなくてごめんね。

 

 

 

 

 

        

  ごめんね

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 ざくりと、太ももに鋭い刃が通るような痛みが走る。

 熱くて、力が抜けそうになるのを、ぐっと無事な右足に力を込めてわたしは耐えた。

 傷口から魔力が奪われるのを感じる。

 桜はもう大丈夫なはずなのに、何が起こったのか、瞬時には判断が付かず、そのまま踏みとどまって睨みつけるようにぐっと前を見据えた。

 そしてそこで見たもの。

「……貴様ら、なんということをっ、なんということをしてくれた!!」

 桜の顔で、桜とは思えぬ憤怒の表情をした、老人の声が醜く木霊する。

 それを聞いて、理解した。

 これは、桜じゃない。間桐臓硯。

 聖杯戦争を作り出した当事者の1人であり、500年を生きる化け物。蟲を操る魔術師の大家。

 それが今の桜の身体を操るものの正体、マキリ・ゾォルケン。

 老人は醜く顔を歪めながら、憎悪の言葉を吐く。桜の顔をして。

 それがたまらなく不快だった。

「よくも台無しにしてくれた。もう良い、貴様ら、生きてはここから帰さぬ!」

 いいながら、怒りのままにゾォルケンは桜の身体のまま指を振るう。

 それが合図だったのだろう。

 ブワリと蟲が飛び出すと同時に幾多もの影が躍った。

「くっ」

 自前の宝石で蟲を焼き払う。

 桜の身体をいまだ完全にのっとったわけではないのか、影の攻撃は先ほどまでの無意識な桜のソレよりも狙いは甘い。だからこそ、ギリギリで攻撃をかわすことも不可能ではなかった。

 ギリと、先ほどから何度も魔術を重ねて使ったためか、身体中を軋むような痛みが走る。

 けれど、こんなところで負けてなんてやるものですか。

 わたしは、太ももに負った傷すら無視して、宝石を放つ。蟲が焼け爛れた。

「凛、心臓だ!」

 突如、アーチャーが叫んだ。

「間桐桜の心の臓にそいつの本体はいる!」

 刹那の理解。

 桜の心臓に居るという間桐臓硯、一秒ごとに確実に肉体の所有権を奪われていく桜。

 そして奪い乗っ取る老獪。

 ならば、わたしの取るべき選択もまた1つしかない。

 だから決めるのも動くのも迷いなんてどこにもなかった。

 

 一直線に走る、走る、奔る。

 憎悪に顔を歪ませて、醜悪な老人は桜の顔のまま蟲と影を操る。

 わたしに届くより先に其の攻撃はアーチャーとアーチェのヤツになぎ払われる。

 だからわたしは、ただ真っ直ぐ走ることが出来た。

 桜だけを見つめて、桜の姿をした敵だけを見据えて。

 そして、そのままわたしは手に持っていたそれを振り上げ、真っ直ぐに桜の、妹の心臓に向けて刺し込んだ。

 剣が、まるで初めから決められていた予定調和であるかのように、ズブリと音を立てて桜の体に吸い込まれる。グチリと、肉を断ち、血に濡れる感触。生命の紅き水がわたしの手を濡らす。

「ぁ……か、ぁああっ」

 顔を寄せればキスさえ出来そうな至近距離から声ならぬ悲鳴が届いた。

 けれど、それはもうわたしの心を揺らすものじゃない。

 桜の身体は奪わせない。誰にも奪わせない。

 たとえ桜が死のうとも、それでも桜の尊厳を守るためにも、絶対にソイツは殺さなければならなかった。

 心臓を穿たれて尚、醜く歪んだ顔でわたしを見やる怪物を倒すために。

 何があっても、こいつだけは倒さないといけなかった。

 桜の命を、その身体を弄び、今日までこの子を苦しめてきた間桐臓硯。逃がすわけにはいかなかった。

 故にわたしはその呪文を唱える。

 宝石細工の儀式用の短剣、アゾット剣。

 宝石魔術を修めた見習いの課程を終えたことを証明する証であるそれには、10年分のわたしの魔力が込められている。それを解き放つための言葉を口にした。

「last」

 桜の心臓につき立てられた魔力が爆発する。

 とっさに逃げられるような時間は与えなかった。だから、わたしは間桐臓硯の死を確信した。

 だけど、それは同時に桜の死をも意味する行為だってことも理解はしていた。

 あの時、あの一瞬、桜の身体が間桐臓硯に乗っ取られかけていると理解したあの時、わたしのこの手で殺さないといけないと思った。

 他の誰でもない、わたしじゃないといけないって、これは姉のわたしの役目だからって。

 だから、わたしは妹の心臓に剣をつき立てた。

 先ほどまで救うとか言ってたくせに、身勝手かもしれない。

 でも、どうしようもなかった。

 あんな老人に操られて、身体だけが生きるよりは、それなら桜でまだあるうちに殺してやることだけが救いで、そうじゃないと疑ったら殺せなかったのだから。

 だから3秒前の自分の判断を後悔なんてしたりはしない。

 だけど、だけど……。

 ……だから、何よ。

 そうよ、確かにあの老人を逃がしちゃいけないってそう思った。

 なんとしても殺さなきゃいけないって、それで結果として桜が死んでも、乗っ取られて身体だけが生きるよりはマシなんだってそう思った。

 だけど、大切な人の血に濡れる感触も、肉を絶つ感触もそれでなくなるわけなんてないのよ。

 はは、馬鹿ね、わたし。本当、救いようがない。

 どんな言い訳を並べ立てたって、わたしが桜を殺したってことには代わりがないのに。

 そう、認めればいい。

 わたしは、他の誰でもないこの手で桜を殺した。

 

「……桜ッ」

 くたりと、糸が切れた人形のように桜の身体が沈む。

 ぐしゃりとわたしの足も沈んだ。

 視界がぼやける。

 目頭が熱くて、仕方ない。

 あ、もう駄目だ。虚勢はこれ以上続けられない。

 涙が滲む。止まらない。

 ボロボロと、この戦いの前の桜のようにわたしもまた泣いていた。

 ポカリとした喪失感と悲しみに心が痛みを訴えていた。

 覚悟はしていたはずなのに。

 たとえ桜を殺す結果になったってそれを受け入れようってそう思っていたのに、なんで涙が止まらないんだろう。いつからわたしはこんなに弱くなったんだろう。

 どうして、自分でやったのに涙が止まらないのだろう。

 父さんと母さんの葬式の時だって、こんな風に泣いたりはしなかったのに。

 わたしが1人になったんだって、突きつけられたあのときだってこんな風には泣いたりしなかったのに。

 くしゃりと顔が歪む。

 大粒の涙が頬を濡らして、視界がぼやけた。

「桜、ごめんね」

 引き攣った喉から、意味のない謝罪が続く。

 11年間、忘れたことなんてひと時もなかった。

 ただ遠くからずっと見守っていた。見守るだけの日々だった。

 桜が間桐の家で受けたのだろう、その苦しみも悲しみもわたしは何1つ知ることはなかった。

 そうね、思えばわたしは大抵のことが上手くいった。大抵のことならなんでも出来た。

 だから、あなたの苦しみなんてわかるはずもなかった。

 父が死んでも、母が死んでも、あの家で1人になっても、だからって不自由なんてしたことはなかった。

 いつだって、そんなわたしでも手を差し伸べてくれる人はいたし、大抵の事は1人でもわたしは出来たから。

 そうよ。

 あなたの苦しみはわかるわ、辛かったのね桜なんて、わたしが言ったって嘘くさいだけじゃない。

 だから、わたしにはそんな言葉はかけられなかった。

 だって事実、わたしにはあなたの苦しみも絶望も10分の1さえ知ることは出来ないのだから。

 どうして助けを待っていたのに来てくれなかったのかってあなたは言ったわね。

 でも、でもね、桜。

 あなたは信じないかもしれない。わたしの事薄情な姉だって思っているかもしれない。

 それでも、それでもわたしはあなたの幸せを願っていたのよ。

 あなたが幸せにやっていけているなら、それならどんなにわたしの修行が辛くても苦しくてもなんてことないんだって、平気なんだって馬鹿みたいに本気で思っていたの。

 こんな幕切れが欲しいわけじゃなかった。

 たとえもう姉と妹として語り合えなくても、それでも生きていたら、きっといつか共に笑える日が来るんじゃないかって、そんな希望を抱いていた。いつかの子供の頃のように。

 あなたを忘れたことなんてなかった。誰よりも幸せになって欲しかった。

 いつも笑顔であってくれたらってそう願っていた。

 桜、わたしのたった1人の血をわけた妹。

 こんな形でしか幕を引けない、こんな形でしかわたしはあなたを救えない。無力なわたしを赦して。

 

 悲しみにゆるやかに思考が濁っていく。

 そんなわたしを前に、よく通る声変わり前の少年であるかのようなアルトの声が届いた。

「凛、まだだ!」

「……え?」

 無力に落ち、忘我の(てい)でただ涙するわたしに向かって、アーチェの叱咤が鋭く飛ぶ。

 それに、ノロノロと反応を返して、わたしは自分より大分長身の、彼女を見上げた。

「僅かにまだ息がある。大丈夫だ、桜はまだ救える。君は、あの宝石を持っているのだろう?」

 言われて、家宝だろうペンダントに視線を落とした。

「心臓の蘇生だ。今なら間に合う。君なら出来る。自分を信じろ」

 そういって、薄く笑って、アーチェは桜の頬を優しく撫でた。

 それに徐々に思考が現実へと戻ってくる。

 家宝だろうこの宝石には確かに莫大な魔力が込められている。

 これを使えば、確かに人1人の心臓の再生くらいなら手を尽くせば可能かもしれない。

 その心臓の再生自体が高難易度の術だということを除けば、アーチェの言っている事は不可能じゃなかった。

「……これ、成功したら時計台に一発入学レベルよ?」

「何、凛なら問題ないさ」

 まだ涙の止まりきらぬ目のまま、内心の不安を隠すように軽口染みてそう口にしたわたしを前に、気負いなく、どことなく皮肉気な表情をして肩を支えてくれるアーチェに安堵を覚える。

 其の絶対の信頼を込められた言葉は、まるで確信をもってかけられたかのようで、気弱になっていたわたしの心に自信を取り戻させるものだった。

 もう迷うことなんてない。

 一秒ごとに桜は確実に死に近づく。なら迷っている暇すら惜しい。

 わたしは例の家宝である宝石を翳して、心臓の蘇生を開始した。

「……桜」

 わたしの愛しい妹。

 たとえあなたにどう思われてもいい。

 憎まれ、罵倒されたって構わない。

 それでもいいから、だから、死なないで。

 まだわたしは、肝心の本当の気持ちを何1つあなたに伝えていない。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 最初の邂逅の時よりも苛烈に、容赦なく、彼女の攻撃は続けられた。

「ほらほら、どうしました? これしきにも対応出来ないのですか? あはは、愚鈍ね」

 憎しみをもって歪められた、嘲笑めいた笑い声が周囲に響く。

 けれど、それに応えるような余裕もなく、わたしは無様にも転がるように身を守りながら、その針金の槍から身をかわした。

「……ぁ、は、ぐ」

 息が荒れる。今頃はランサーはバーサーカーとの戦闘の最中だろうけれど、そっちを気遣うような暇なんてない。

 殺されないように、致命傷を負わないようにすることだけで精一杯で、ほかの事を考える余裕なんてない。

 そもそも、わたしとこの子はどちらも針金使いで、かつ彼女は炎使いでもある。

 魔力量だって、この聖杯戦争の正規の小聖杯である彼女と、既に聖杯の器じゃない、アオザキの人形体であるわたしとじゃ雲泥の差が生じている。わたしの不利は当然といえば当然だった。

 これがこの10年の安穏な日々の代償といえばそうなのかもしれない。

 アインツベルンがわたしを憎んで殺そうとするのだって、理解している。

 だって、事実この子の言うとおりわたしがアインツベルンを捨てた裏切り者だっていうのは本当のことなんだから。だから、怨まれるのは、あの城を出た時から覚悟して然るべき事柄だった。

(だけど、だけど……!)

 裏切り者だって命を狙われるということそれ自体は別にいい。

 とっくにいつかこんな日が来るってことくらい覚悟していたんだから。

 でも、だからってわたしだって無抵抗に殺されてやる気なんてサラサラない。

 わたしは、生きなきゃいけないんだから。

 わたしには士郎がいる。

 シロもいる。

 あまり言いたくないけど、父親のキリツグだっている。

 わたしが死んだら家族が悲しむとかそれもあるけど、でもそれ以上にわたしは大好きな家族を守るためにも生きなきゃいけない。

 士郎とシロは同一人物の別人。

 それを知ったのは10年前、まだわたしが本来の「イリヤスフィール」の体にいたときのこと。

 この世界の士郎は真っ直ぐな良い子に育ってくれたけれど、それでもわたしがいなくなったら歪まないなんて、シロみたいにならないなんて保障はどこにもない。

 危うくて歪で、可哀想で可愛いシロ。

 彼女のことは大好きだけど、それでも士郎まで同じ道を辿らせるわけにはいかないの。

 ゴルゴタの丘を越えて歩むのは彼女1人で終わらせなきゃいけない。

 シロだって士郎にそんな道を背負わせたくはないはずだから。

 だから、わたしが士郎をそうならないように守らなきゃ。

 だって、わたしはおねえちゃんだから。

 お姉ちゃんは弟を守るものだから。

 それに血の繋がりなんて関係ない。一番大事なのは心と、その在り方。

 だからわたしにとってはあの子は敵で、士郎たちは身内。

 彼女がわたしと双子のような存在だろうと、同一の遺伝子を持つ存在だろうと関係ない。

 わたしは、そんなことで殺されてなんてあげない。

 わたしは、弟達を守るためにもこんなところで死ぬわけにはいかないんだから。

 

形骸よ、生命を宿せ(shape ist Leben)!」

 手持ちの針金で大鷹を作って、向かってきた炎の弾丸に当たらせる。

 ジュウ、と針金は融け爛れながらも、わたしの命じるとおりにレイリスフィールと名乗ったあの子に向かって襲い掛かる。それをあの子は、塵を払うように、針金の刃で一閃して払った。

「本当に嘆かわしいものね」

 心底落胆するような声で、冷酷無慈悲な貌のまま、ぽつりと彼女は言う。

「アインツベルンを捨てておきながら、アインツベルンの魔術にしか頼れないの? 虫唾が走るにも程があります。よくもまあ、おめおめとそのような恥知らずな真似が出来ますわね。厚顔無恥もここに極めりと言ったところかしら」

 言いながらも、欠片も容赦はなく、彼女は炎を撃ちこみながら、淡々と己の行うべき動作を続けた。

形骸よ、生命を宿せ(shape ist Leben)

 先ほどのわたしと全く同じ呪文をキーに、彼女は袖下の腕に巻いていた針金から大虎を作り上げる。

 体長二メートルにも及ぼうというその風体、そんなものを瞬時に錬金術で作り上げてしまった彼女の力量に、かつては己にも出来たこととはいえ、知らず息を呑んだ。

「さあ、お喰らいなさい」

 それを合図に針金で作り上げられた大虎が襲い掛かる。

「きゃぁああっ!」

 猛々しく虎はわたしの首元目掛けて飛び込んでくる。

 抵抗しようとするも追いつかず、それでも僅かに逸れたその牙は、わたしの右肩へと突き刺さった。

 ブチブチと、鋭い痛みと共に、肉が引き裂かれる音がした。

「まあ、そんな風に血まで出るなんて、随分とよく出来た木偶人形だこと」

 冷ややかに告げられる彼女の言葉と、熱く燃え滾るような痛みの走る肩。

 それにクラリと眩暈を覚えそうになる。

 そんな自分を圧して、わたしは錬金術で作られたその大虎を手元の針金で縛りに掛かろうとした。

 けれど、そんな抵抗も虚しく、大虎の前足がわたしの鳩尾を蹴り飛ばした。

 わたしの身体が宙に舞って10m程飛んでから地面にたたきつけられる。

 あまりの痛みに呼吸困難すら覚えてわたしは呻く。

 息が上手く出来なくて、耳鳴りがした。

 けれど、それにただ転がって寝込んでいられるほど状況は甘くなくて、錬金の虎は馬乗りになってのしかかり、わたしの左手を引き裂いた。

「ぁ、ぐ、ぅぁああッ!」

「あら、良い声ね」

 苦しい呼吸の中、喘ぐように搾り出した悲鳴を前に、昔のわたしとよく似ている顔立ちの少女は無感動にそんな言葉を並べる。

 続いて、左足、右足と順に虎の爪がわたしの肌を引き裂いた。

「ぅ……! い、ぁあ」

「命乞いはしないのですか。意外ですね」

 視線を感じた。

 まるで鳥かごの中の鳥を観察でもされているような錯覚。

 それに嘲るような言葉。

 アイリスフィールお母様とこのレイリスフィールと名乗った『妹』は声がよく似ている。

 けれど、どうしようもなく違う。

 だから、あまりにお母様と同じで違いすぎるこの言葉や空気は、まるで死んでしまったアイリスフィールお母様への侮辱のようで、わたしは次々加えられていく痛みに耐えながら、ギっと有りっ丈の力を込めてピンクドレスの少女を睨んだ。

 リン、と彼女の身につけている髪留めの鈴が鳴る。

 ゆるやかに、少女の口元が笑みを描く。

 瞳は相変わらず無感動に蔑むような眼差しながら、それでもそれは確かに笑みだった。

 くつりと、笑いながら少女は言う。

「ええ、それでいい。命乞いなどしていたらとうにわたしは貴女を殺していた。そんなのはつまらない。気概があるようで嬉しいわ。そうね、褒めて差し上げましょうか。それは唯一の貴女の美点だと。だから、こんなことで、壊れないで下さいね?」

 ガッと、また前足で虎はわたしを蹴り飛ばした。

 二転三転してわたしの身体は転がっていく。

 途中何度か地面で頭を打ったせいか、血がだらりと流れた。

 痛みは既に麻痺し始めて、意識もまた朦朧としはじめている。

 それにこのままではヤバイのだと強く自覚して、右手に爪が食い込むほど握り締めることで意識を保とうとした。腕の感覚は遠い。

「私、この再会するまでの間に色んな方法を考えていたのです」

 淡々と冷酷な声で言葉をレイリスフィールは紡ぐ。

「貴女をどう殺そうかしら。どう殺せば私は満足出来るのかしら、と。貴女のお気に入りのあの小蝿を生け捕りにしたあとミートパイにして貴女にその肉を食べさせるというアイデア、悪くないと思ったのですが、どうやらそんなことをする時間的猶予はないみたいですから。それに拘って本末転倒を招いてもいけませんし、ええ本当に悩みましたのよ?」

 私は、本分を忘れたりなどはしませんから。貴女と違って。

 そうぽつりと耳に届くか届かないかの声で囁くように付け足しながら、レイリスフィールはクスクスと冷たく感情の伴わない笑い声を上げて、其れから言った。

「ねぇ、姉様(あねさま)もお判りかしら。随分と貴女のサーヴァント苦戦しているようですよ。まあ、如何に呪いの槍をもっていようと、それを使う暇がなければ宝の持ち腐れといったところかしらね。消えるまでそれほど時間はかからないでしょう」

 何を言いたいの、と口だけ動かして尋ねる。

 声は出なかったけど、それで伝わったようだった。

 残酷な笑顔を浮かべながら、相も変わらず冷酷無慈悲な目でわたしを見下ろしながら、彼女は続けた。

「腹上死など如何(いかが)? バーサーカーに犯されぬき、魔力を全て吸い上げられ、そうして屈辱と絶望に顔を歪ませながら死んでくださいな。そうすれば、私も少しは気が晴れると思いますから」

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 心臓蘇生の魔術は成功した。

 そこだけを見れば『桜』は助かったといえるのだろう。そう、あくまで桜の体は。

「……凛」

 低い女の声が夜の森に響く。

 いつの間にか隣に来ていた舞弥さんがそっと桜の手を握っていた。

 それを疲労した目で見ながら、わたしは告げる。

「手は尽くしたわ」

 夜の闇にその言葉は虚しく響いた。そう、虚しい。

 桜を苦しめた間桐臓硯はもういない。それでも、桜は目覚めない。

 肉体的なものではなく、精神的なものが桜の目覚めを阻んでいた。

 桜は人を殺した。

 本来優しいこの子にはそんな自分の行いが許せなかったんだろうとそう思う。

 そう、優しい子だった。だから、きっと自分が赦せない。

 桜は、罪悪感で心を閉ざした。

 いや、もしかすると、間桐臓硯に乗っ取られた時には既に桜の心は粉々に散っていたのかもしれない。

 どちらかはわからない。

 桜じゃないわたしにはわからない。

 それでも。

「わたしは、信じるわ」

 そう自分に思わせるためにも口にした。

「桜の心は生きている。今はまだ眠っているだけ。目覚めるのは明日か1年後か10年後かそれはわからない。それでも、わたしは桜はいつか必ず帰ってくるって信じてる」

 もしかしたら、永遠にこのまま眠り続けるかもしれない。

 そんな可能性に気付かないわけでもなかったけれど、それでもわたしはそう言った。

「そうだな。私もそう思う」

 フッと、哀しげに優しげに憂いを帯びさせながら緩く微笑み、右隣に座るアーチェもわたしの言葉に同意する。

 弟妹たちにやるそれのように優しく桜の髪を梳きながら、彼女は僅かに微笑んだまま言う。

「桜は昔から、その儚げな見た目よりもずっと強かった。なにより(あね)がついているんだ。きっと、彼女とて戻って来れるさ」

「シロ、貴女とて桜とは実の姉妹のように仲良くしていたと記憶していますが」

 ふと、淡々とした調子で黒髪黒服の女性がそんな言葉を溢す。

 それに苦笑しながら、首を横に振ってアーチェは言った。

「いや、所詮私は他人だ。けれど、凛がついているのなら、きっと桜は大丈夫だろう」

「そういうこと、言うのやめなさい」

 アーチェの言葉はわたしへの信頼が見える言葉だ。

 だけど、それでもわたしはその言葉を見過ごすわけにはいかなかった。

「アンタと桜が他人なんて、桜が聞いたら怒るわよ。桜はわたしの妹だけど、別にアンタの妹であってもいいじゃない。嫌なんて言わせないわよ」

 桜が笑顔を見せるのは衛宮の姉弟の前だけだった。

 朗らかな桜の笑みは悔しいけどわたしのものじゃない。

 きっと舞弥さんの言葉通り仲良くして、可愛がっていたんだろう。

 だから桜は衛宮姉弟の前では笑う。

 そんな笑顔を見る権利を持っている奴が、他人だなんて言葉で桜を放り出すなんて許せるはずなかった。

 けれど、言われた当人は意外だったのか、良く見るとわりと童顔な顔立ちに驚きを乗せ、鋼色の瞳を丸くしてやや戸惑いがちにわたしの目を見ている。

 ふん、と鼻を鳴らしながらわたしは続ける。

「桜の姉がわたしだけじゃないのは悔しいけどね、でもわたしが堂々と桜に姉と名乗れる立場じゃないのもわかっているのよ。きっと、桜が苦しんでいる時一番支えてきたのはあんた達姉弟だった。でも、もういいわ。だって、未来はこれから紡げるんだもの」

 そっと、体温が戻った桜の白い手を握る。

 小さく細い手。

 この手にどれだけの恐怖と苦しみを抱えてきたのだろうか。

 目覚めない桜が答えることはない。

 でも確かに生きている。

 それだけは確かだった。

 そしてそれで十分だった。

「そうだな」

 そんなわたしの想いを口に出した言葉以上に理解したかのように、柔らかくアーチェの声が耳に届く。

 それに思わず嬉しくなって、不敵な笑みをわたしは浮かべた。

 太ももの傷もほぼ癒えている。

 すっくと立ち上がりながらわたしは言う。

「さて、いつまでもこんなところにいるわけにはいかないわ。そろそろ……」

 そう続けようとした時だった。

 先ほどまで霊体化していたと思ったアーチャーがばっと前に立つ。

 紅い背中が前に広がった。

 同時に隣のアーチェも桜を庇うようにその身を眠りについている妹にかぶせた。

 いつかも見た、宝具の雨が降る。

 まるで現実味のない悪夢であるかの光景、それはスローモーションのように展開された。

「全く、つまらん。興ざめだ」

 ゆったりと、男の声が響く。

 黄金の気が夜に閉ざされた森を包みこむ。

「さて、久しいな、贋作者(フェイカー)

 そう、いつの間にやら現れた金髪赤眼の魔性が、まるで森の主のように佇んでいた。

 

 

   NEXT?

 

 


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