新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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 ばんははろ、EKAWARIです。
 お待たせしました34話です。間桐家編も大分佳境に入ってきました。
 ではどうぞ。


34.姉と妹

 

 

 

 近いうちにまた、こんな日がやってくることはわかっていた。

 わたしがわたしである限り、そして彼女が彼女である限り避けては通れない道だと。

 それでも、こんな時にだなんて。

 ごめんなさい、ライダー。

 貴女に頼まれたこと、果たせないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

  姉と妹

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 眩しいほどの陽光が冬の割りに温暖な気候の冬木の朝を飾っている時刻、けれど其の麗らかな陽気とは裏腹に鬱々としたものを抱えながら、俺は台所に立っていた。

 グツグツと鍋が煮立つ音がして、淀みなく手を動かしつつも、この心に映し出されるのは、この手で調理されていっている朝食の数々ではなく、昨晩のイリヤとの会話のほうだった。

 

            

 * * *

 

 

「……士郎、あのね、よく聞いて。桜は、いえ、桜があの影なの」

 昨日のライダーとランサーの戦闘が終わった後に、問うた俺への返答にイリヤはそう答えた。

 影とは、シロねえが追っているアレのことだというのは、其の答えを聞いてすぐに理解したけれど、それでも、桜が影本人であるという其の言が信じられなくて、俺は「嘘だろ?」と思わず呆然とした態で呟いた。

 イリヤは気まずそうに僅か黙ると、意を決したように、イリヤは「士郎、とりあえず今日はもう帰りましょう、ね?」そういって帰路につくよう俺を促した。

 精神的なショックからだろう、こくりと俺は頷いてその彼女の提案に従う。

 イリヤも俺もランサーもそれ以上その件に触れるでなく、まるで何事もなかったかのように、ただ、淡々と日常を甘受しているかのように振舞いながら、衛宮邸までの長く短い道のりを歩く。

 そうやって家への門をくぐった。

「ただいま」

 そんな言葉がこの場にはふさわしいとは思えないのに、イリヤは俺がそういうと、ほっとしながら「うん、ただいま」そういってほのかに笑った。

 まだ何も答えない。

 ただ、日常を求められているような気がしたので、自分の心を落ち着かせるためにも、俺は風呂へと行った。

 それをイリヤが咎めることはなかった。

 そうして俺が風呂から上がったとき、イリヤはどこか観念するように「ついてきて」そういって居間に通した。

 そこには舞弥さんとシロねえ以外のメンバーが全員揃っている。

 とはいっても、親父は相変わらず眠りについていたけれど。

 兎に角にも、全員集まってから話すほどの大事な話らしい。おそらくは先ほど後回しにしていた話なのだろう。

 そう俺は理解して、腰を下ろした。

 そうしてイリヤは口を開く。

「ね、士郎。色々話す前に1つ聞いていい?」

 綺麗な赤い瞳に緊張を宿した表情でもって彼女は俺を見つめる。

 それに少し罰が悪く尻が落ち着かない心地で俺は答える。

「なんだよ」

「なんで、士郎は来ちゃったの?」

 それは咎めるような悲しむような複雑な感情が絡まった言葉で、来るなといわれていたのに飛び出したことについて、俺は自分が間違ったことをしたとは思っていなかったんだけど、それでもこんな風にイリヤに言われると、悪い事をした気分になって思わず罪悪感に胸を焼かれ、項垂れた。

 そんな俺を見かねてか、フォローするようにセイバーが口を開く。

「それは、私が行って下さいとそうマスターにいったからです。マスターのせいじゃありません」

「セイバーが?」

 僅かに怪訝気な顔になって神妙にイリヤはセイバーを見た。

 本当かどうか疑っているんだろう。

 そんなイリヤの視線を前にも、セイバーは怯むでもなく、いつもどおりの落ち着き払った、外見に似合わず、まるでずっと年上の大人のような貫禄を帯びた声音と表情でもって続ける。

「はい。家の守りは私1人で十分でしたから。だから追うように私が言ったのです」

「士郎、そうなの?」

 確認するように、イリヤは俺を見やった。

 確かにセイバーが言ったことは嘘じゃない。けれど本当とも言い切れない。

 何故ならセイバーは俺の気持ちを汲んでくれただけだ。

 セイバーが俺を庇ってくれている其の気持ちは嬉しいけど、だけどこれは俺の意思でやった行動の結果なんだ。セイバーのせいには出来ない。

 だから、静かに首を横に振ってから俺は答えた。

「いや、セイバーのせいじゃない。俺が望んで外に出たんだ。シロねえを放っておけなかったから。でも、結局イリヤに迷惑をかけたみたいだ。そのことは謝る」

 そういって頭を下げる俺を前に、イリヤは仕方なさそうにため息を1つこぼして、「勝手な行動は褒められないけど、悪気はなかったみたいだし。過ぎたことだもの。もういいわ」そういって、俺の頭をポンポンと撫でた。

「そのかわり、もう勝手な行動はしたら駄目なんだからね」

「ああ。悪かった、イリヤ」

 苦笑しながらそう答える。

 少しだけ、ちょっと怒っているイリヤが可愛いななんて思ってしまった自分が、不謹慎だな、なんて思った。

 

「じゃれているところ悪ぃが」

 一呼吸ついたところで、今の今まで黙っていたランサーが、若干気怠げにしつつも口を開く。

「そろそろ本題に入ったらどうだ。そのために呼んだんだろ?」

 其の言葉にはっとして、俺は気分をいれかえながら、真っ直ぐにイリヤの紅い瞳を見据えた。

「なぁ、イリヤ。桜があの影ってどういうことだ」

「……そのままの意味よ」

 それに、僅かに答えづらそうに瞳を伏せて、けれど口調だけは淀みなくイリヤはそう続けた。

「あの影が桜で、桜があの影。桜は隠しておきたかったみたいだから、士郎に言わなかったけど、慎二じゃなくて、桜こそが間桐の後継者なの」

「……なんだって?」

 中学からの友人だった間桐慎二の妹で、今まで自身にとっても可愛い妹みたいな存在だと思ってた後輩の、新たに知らされた真実の一端を前に、俺は思わず槌で頭を叩かれたかのような衝撃を受けた。

 間桐の後継者ということ……それが示すもの。

 つまり桜は魔術師だったってことか?

 まさか、と普段の桜を知っている俺の理性が否定の文句をかける。

 けれど、これまでの情報を統合して考えると、そも屋上で接した時の慎二の様子や言動とかを考慮してみても、それはありえることだと同時に納得せざるも得なかった。

「そして、ここからが本題」

 ぽつりと、呟かれたイリヤの声に、はっと俺は我を取り戻す。

「ランサーの腕は一応治癒魔術をかけてはいるけど、表面がくっついただけでまだ完全回復したわけじゃない。だから、今日はもうこのまま休むけど、明日の夜にはわたしたちもまた桜を追う事にするわ。だけど、士郎、それについてくるのは姉としてもわたしは許可しない。ううん、絶対に士郎は来ちゃ駄目。来たら許さない」

 それは確固たる意思でもって紡がれた言葉。

 だけど、それは、ついてくるなってことは、俺1人だけ蚊帳の外にいろってことだ。

 イリヤやシロねえが戦っているのに、いや、桜がそんな状態だっていうのに、俺だけが部外者だなんて、そんなのは認められるわけがない。

「なんでさ、イリヤ。俺はそんなに」

「士郎」

 頼りないのかと続けようとした俺の言葉を遮って、強くイリヤは俺の名前を呼ぶ。

 言い聞かせるように、哀しげに。

「桜の気持ちも考えてあげて」

 そうイリヤは、どこか泣きそうな声で呟いた。

「桜は、きっと士郎にだけは知られたくないし、見られたくない筈だから。だから、お願い。桜のためにも士郎だけは動いちゃいけないの」

 それは……。

「士郎が、他の誰を敵にまわしても、世界を敵にまわしても桜を取る覚悟があるっていうのなら、わたしだって止めないわ。でもそうじゃないでしょう? 世界の全てと引き換えにしてでも、例えばわたしを犠牲にしてでも助ける覚悟がないのなら、士郎が桜の前に姿を晒すってことは、桜を傷つけるだけなの」

 それは、其の言葉は、そんな言い方はズルイ。卑怯だ。

「桜はきっと、あんな姿に変わった自分を士郎に見せるくらいなら、死んだほうがマシだって思う筈だから。それくらい、桜にとっては耐え難いことなのよ」

 でも、俺だって桜のことが……。

「だから、桜のためにも、士郎。あなたは此処にいなさい」

 

 

  * * *

 

 

「…………クソ」

 ダンと、八つ当たりをするように力を込めて肉を切り落とす。

 自分の無力さが苦しくて悔しくて、歯噛みする。

 こんなことをしている場合じゃないという焦りがあるのに、何も出来ない。そのことが辛かった。

 桜を助けたいと思う。

 でもそう思って動くこと自体が桜を傷つけるのだとイリヤはいう。

 ならどうしろっていうんだ。

 俺は、此処でただ帰りを待つしかないっていうのか。みんなが戦っているのに、それを知っているっていうのに。俺だけが此処でのうのうと待つしかないっていうのか、クソッ。

 ふと、先日の会話を思い出す。

 影を追うといって出て行ったシロねえ。

 結局昨日帰ってくることはなく、ただ「心配するな」とだけ留守電に入っていた。

 シロねえは、あの影の正体が桜だと知っていたんだろうか?

 いや、違うか。

 知っていたからこそ、シロねえはあんなことを言い出したんだ。

 シロねえも、桜の事は実の妹のように可愛がっていた。

 だからこそ……。

(なんだよ……結局知らなかったのは俺だけってことじゃないか)

 なんで、どうしてこう俺は無力なんだ。

 俺に出来るのは、シロねえやイリヤを信じて待つことだけなのか。

 

 朝食を作りつつも、そんな思考に没頭していた時だった。

「マスター」

 ふと、清涼な声が耳に届いて、それがセイバーのものだと悟り、俺は今までのやり場のない憤りを伏せて、笑顔を作ってから後ろを振り向いた。

「ああ、セイバー。どうしたんだ?」

「いえ……微力ながらなにか、お手伝い出来ることはないかと」

 そう控えめにいってくれる金紗髪の少女には少し心配げな色があった。

(ああ、駄目だな) 

 セイバーに心配をかけるわけにはいかない。

 シロねえがいない今、この家の台所は俺が預かっているんだから。

 彼女にはこんな顔をしないでいてほしい。

 だから、これ以上心配をかけないように微笑みながら、先ほどまでの鬱々とした心を隠し、いつも通りの声を出来る限り作って、手伝いたいという彼女に指示を飛ばした。

「ああ、ありがとな。なら、そこにある大皿を二枚もっていってくれ」

「了解しました。マスター」

 そういって、コクリと頷き、指示した大皿を二枚手に取ったセイバーだったが、ふと神妙な顔をして暫し俺の顔を何か言いたげに見つめる。

「セイバー?」

 そう俺が呼ぶと、セイバーは少しだけ戸惑うような仕草を見せた後、それでもその形の良い唇を開いてこう告げた。

「マスター、余計なお世話かもしれませんが、無理して笑うことはないと思います」

 其の言葉に一瞬虚を突かれた。

「あなたは生身の人間で、なによりまだ子供だ。辛い時は辛いといっても、誰も怒りはしません。いいえ、逆に寧ろそうして無理をするほうがイリヤスフィールは怒るとそう思います」

 ゆっくりと俺に言い聞かせるように、どことなく物悲しく、けれど優しく語られた其の言葉に、俺は思わず胸が詰まった。

 僅かに唇が震える。5秒ほどの沈黙。

 喉に唾液が絡みついて、上手く喋れない。

 そんな錯覚を押し殺して、深呼吸をするように俺は言葉を紡いだ。

「……ありがとう。セイバーは優しいんだな」

「いいえ……そんなことは。それより早く朝食にしましょう。きっと皆マスターの作る料理を楽しみにしています」

 そんな俺の変化の機微には気付いているだろうに、気付かないフリをして、セイバーは日常を思い起こさせる言葉を連ねる。

 それが、セイバー流の気遣いだとわかって、俺は今度こそ本心からの微笑を口元に浮かべて、「ああ、行こうか」そう笑った。

 ―――待つしかない身なら、せめて桜が帰ってきた時、暖かく迎え入れる場所だけでも守ろう。

 先ほどまで、あんなに鬱屈した気持ちだったのに、今度はそう素直に思えた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 あれから丸1日が経過した。

 舞弥と合流した私達は、互いに情報交換を重ね、結局のところそれ以上探索に行くでもなく、遠坂家で一夜を重ねた。

 舞弥が語ったことは掻い摘んで説明すると以下のような内容だ。

 曰く、影に1度は引きずりこまれたこと、それを助けたのは意外にもかの神父言峰綺礼であったことなど、驚かせられる話も多々あったが、そういう風に情報を共有出来たというのは大きいだろう。

 そうして本日、2月12日の昼過ぎ、舞弥は冬木中に放っている使い魔の動向を通して、桜の現在地を捕捉した。

 場所が判明したのならば……と、凛は今すぐにでも駆け込みたい様子だったが、こんな時間から動けば目立つ。

 なにより、確認したところ今の桜は一箇所にとどまったまま、移動はないのだという。

 だからこそ慎重に重ねて、夕方になったところで私と凛、もう1人の私と舞弥の4人はその場に向かうことにしたのだ。

 桜が居たという場所は、市街地ではなく、アインツベルンの森の片隅にある廃墟だ。

 何故そんな場所を選んだのか、何故そんな人気のない場所にい続けているのか、それらは不可解ではあったが、それでも桜自身になんらかの変化があった可能性は高いと見えた。

 もしかしたら、凛が遭遇したという時と違い、言葉は通じるのかもしれない。

 勿論、これは楽天的な見方であり、盲信するにはあまりに危険な考えだ。

 そう思いつつも、舞弥の運転する車の中でそんなことを思う。

 けれど、きっとこの中で一番心揺れているものがいるとすれば、それは凛だ。

 そんな確信を持ちながら、私達は到着を待った。

 そして確かに、桜は其処にいた。先日との確かな変化と共に。

 

 黄昏時、夜と昼の狭間の時刻。

 世界は朱に染まり、長い影が人々の背後から伸びていく。

 このような刻限を魔の境界として、逢魔が刻と呼ぶのだろう。

 間も無く夜のベールが天空を覆い出す。

 そんな中で、幼き時に引き離された姉妹は、数日振りの再会を果たした。

「桜……」

「…………姉さん」

 白く染まった髪、呪詛を描いたような白い肌を覆う紅き文様、同じくまるで闇のような赤に染まった瞳に、黒く淀んだ負の魔力で作られた黒き闇の衣装。

 私自身が目にするのはこれがはじめてだが、間違いなく変わり果てた色を背負った間桐桜の姿がそこにはあった。

 全てを呪う闇の女王。

 けれど、果たして其の評価はあっているのだろうか。

 傷つき、怯え、悲しみに覆われた其の瞳には僅かながらも知性の輝きがあり、それは確かに私もよく知る少女の顔だった。

 伝え聞いた、全てを呪うかのような異形とは違う。

 此処にいるのは弱く儚い、巨大な力を持て余した1人の傷ついた少女だ。

 ゆったりと、震える唇で桜は言葉を紡ぐ。

「わたしを殺しにきたんですか?」

 それに、答えたのは凛でも私でもなく、私の隣に立つ黒衣の女だった。

 彼女は闇の少女に向かってスッと手を差し伸べながら、桜の言葉を否定する。

「いいえ。桜、あなたを救いにきました」

 真っ直ぐに桜の顔を見ながら舞弥はそう言い切った。

 それをしっかりと理解して聞いていたのだろう、見る間に桜の目元が緩み、ポロポロと大粒の雫をこぼし始める。其の間も、桜の影は後ろで蠢いていた。

「……どうして、わたし、わたしは、あなたに、ひどいことしたのに」

 ごめんなさいという代わりのように涙を流しながら、桜は泣きじゃくるようにそう舞弥に向かって言葉を溢す。それに舞弥は痛々しそうに柳眉を寄せながら、桜を見つめる。

「桜……」

「ごめん、なさ……い。ごめ……わた、わたし嬉しかった。でも、駄目です。駄目なんです、わたし……。もう、おさえてるけど……ッ無理なんです」

「桜、あなた……」

 ポロポロポロポロと、無垢なまでの涙を溢しながら語る桜は、まるで小さな子供のように頼りなくて、これが冬木中を騒がせた捕食者の正体だなどと、きっと後ろの影がなければ誰も思わなかっただろう。

 信じなくていいものなら、私とて信じたくはなかった。

 それほどに弱々しく泣きながら、今度は私を見て桜は言葉を続けた。

「今なら、わかり、ます。シロさん、は……先輩と同じだったんですね。ふふ、馬鹿だなあ、わたし。いままで、気付かなくって、嫉妬とか、して……」

 それに、桜が私の正体を知ったということを理解したが、それでも目前の少女にかける言葉はない。

 果たして、こういう時はどういう言葉が相応しいのか。

 永い時の果てに、憎まれ口や皮肉ばかり長けてしまった自分が少しだけ恨めしかった。

 桜はそんな、私の僅かな戸惑いに気付かぬ様子で、泣きながら続ける。

「ね、シロさん、お願いです。先輩には言わないで下さい。罰は、なんでも受けます、だから……わたし、わたし、それでも士郎先輩にだけは、知られたくないんです」

 ガタガタと肩を震わせ、青白い顔で泣き声を押しつぶすように桜はそんな嘆願をした。

「桜」

「お願いです、言わないで、言わ、ないで。言わ、ないデ。センぱいに、だけは言わ、なイで」

 桜の感情の揺れを表すかのように、影が蠢く。

 それに、もう1人の私はその攻撃がいつ来てもマスターである凛を庇えるようにと、警戒を強めつつ油断しないように構えていた。

 異常で哀れたる間桐桜。

 あまりに其の姿は弱々しく哀しくて、そんな彼女に誰も告げる言葉をもたない。

 否、この状況で何を口にすればいいというのだろうか。こんな、今にも消えそうな少女を相手に。

 そんな中で、1人芝居のように涙声の少女の声は続く。

「姉さん、ねえ、姉さん」

「……なに、桜」

 作っているかのように、硬質で冷ややかにすら聞こえる声で凛は桜の声に答える。

 近くで見れば、凛の肩が震えていることがわかっただろう。

 だが、そんな姉の様子にすら気付けないのか、桜はボロボロと涙を流しながら、言った。

「わたしを、殺してください」

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、わたしは弟を置いて、今日もまたランサーと共に家を出る。

「なぁ、嬢ちゃん」

「なによ」

「本当でそれでいいのか?」

 其の言葉には本当はわたしだって桜に遭遇したくないんじゃないのか? とか、士郎を本当に置いていっていいのか? なんてことを指しているように思えて、わたしは苛立ち混じりにランサーのいるほうに視線を向けた。

 そんなわたしを見ながら、やれやれとでも言いたげに青い髪の槍兵はぼやくように言葉を吐き出した。

「それで、嬢ちゃんが本当に後悔しないってんなら、俺も別にいいんだがな」

「呆れた。先日の時もそうだったけど、意外とお節介ね。あなたは自分の心配だけしてなさい。其の右腕、戦闘にとりあえずの支障はないって程度しか回復してないことくらい、自分でわかってるんでしょ」

 実際問題として、昨日の戦闘は石化の魔眼への対抗と対軍宝具の使用などで魔力消費が多かった上に、右腕の負傷は深刻なレベルだった。

 最も、元々エーテル体で構成しているサーヴァントだから、魔力さえあれば致命傷でない限り回復は可能だけど、それでも昨日の今日だ。修復は8割完了しているとはいえ、完全回復しているとは言いがたかった。

 だからそれを配慮するのはマスターとして当然の思考だと思う。

 だというのに、ランサーは意外そうな目で私を見ながら次のようなことを言った。

「お、なんだ、心配してくれてんのか?」

「調子に乗らないで。わたしは、足手纏いは困るっていってるだけなんだから」

「は、こりゃ手厳しい」

 まあ、嫌いじゃないけどななんて寧ろ嬉しそうにいってくるこの青い狗を見ていると、殴りたくなるような気持ちが沸いてくるのは当然の性だと思う。

 だから苛立った気持ちのまま、わたしはランサーを置き去りにするように家を出た。

 

 とりあえず、わたしとランサーが選択出来る行動は2つ。

 桜への接触を図ることと、言峰を見つけ出し倒すこと。

 どちらにせよ街の捜索は不可欠。

 わたしの魔眼を使えば、冬木の街中に目を作り、そこから見つけ出すという方法も取れたけど、この人形の身体を手にしてからは、それも魔力消費の関係で少しだけ厳しくなったし、何よりそんな真似をすればあの子に気付かれる。

 いずれはあの子とも決着をつける気はあるけど、今のわたしが抱えている優先順位は別だ。

 それに、拠点を知られれば士郎たちを巻き込む可能性もないわけではなかった。

 だからこそ、心当たりのある場所を中心に足頼みの捜索になる。

 けれど、数時間ぐらい捜索した時、ある不審にも気付いた。

 影がいないのだ。

 毎日、どこかしらで被害を出していたはずの影が気配すら見当たらない。

 どういうことだろうと思いつつ、新都までの道を霊体化したランサーを連れて歩く。

 そして、第四次聖杯戦争が決着した彼の爪あとが残された土地で、わたしはまだ会う気はなかった彼女との再会を果たした。

「この結界は……!」

 見間違うはずもない、アインツベルン式で張られたソレが指し示すもの。

 此処を拠点にしているのが誰なのかは其の結界が否応なく正体を語っている。つまり、ここにいるのは。

「まあ、邪魔者もなく出会えるなんて。これも1つの幸運とでも言ってしまえばいいかしらね」

 ゆるやかに耳朶を打つのは、10年前に死んだアイリスフィールお母様とよく似ていて、だけど確実に違う冷酷無情な淑女の嘲るような声だった。

「ごきげんよう。そして永遠にさようなら。貴女を殺す日をずっと心待ちにしていましたわ、姉様(あねさま)

 以前出会った時、わたしの妹と名乗った少女レイリスフィールは、一礼しながら、そう無慈悲に告げた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 襲撃を受けたのは数日前のこと。あの日、あの時の桜の様子はよく覚えている。

『なんで怒っているんですか? ひょっとして、わたしを殺す気なんですか? 先輩。酷いなぁ。酷いですよ、先輩。わたし、ずっと待ってたのに。助けてもくれないくせに、酷いなぁ。酷い、酷い。わたし今まで我慢してきたの馬鹿みたいじゃないですか』

 あの日桜はそういって、狂ったように笑っていた。

 其の目には正気を思わせるものはなく、それを見てわたしは桜を始末しないといけないと強く思ったのだ。

 あの時の桜は、誰が見ても手遅れなのだとそう判断しただろう。

 だけど、なのに……。

 この子は今、なんて言った? 「わたしを、殺してください」? それもそんなほっとしたような微笑を浮かべながら? まるで、救われるといわんばかりの顔をして?

 まるで子供の頃の、あの別れの日のように、ボロボロと頼りなげに泣きながら、そのくせ今度は笑って自分を殺せと桜はいう。

 そんなの……冗談じゃないわ。

 そう、冗談じゃない。

 だから、わたしは。

「桜、甘えるのは大概にしなさい」

 意識して冷酷な声を出してそういいきった。

 わたしの言葉を受けて、桜の紅色に変色した目が驚きかショックだかに見開かれる。

 それに胸が痛むわたしもいるのは事実だ、だけどそんなことは関係ない。

 傷ついた顔は見せてあげない。

 少しでも気を抜けば震えそうになる。そんな身体を押して、わたしはしっかりと2本の足で地面に立つ。

 決して弱みなんて見せない。見せてはいけない。

 わたしは弱音なんて吐かない。

 だって、わたしは遠坂凛だ。

 そして桜の姉なのだから。あの子の前でそんなみっともない真似は晒せない。

 だから、だからこそ私は冷たいとすら聞こえる言葉を吐き続ける。

「さっきから黙って聞いていれば、あなた、不幸に酔っているだけじゃない」

 きっとこの言葉で桜は傷つくだろう。もしかしたらわたしを恨むかも知れない。

 だけど、それでもわたしは言わずにはいれなかった。

「今まで散々人に迷惑をかけておいて、自分は楽になろうなんて勝手だわ」

 いえ、誰でもない、他でもないわたしだからこそ、言わなきゃいけない言葉だった。

 だってわたしはこの子の姉だから。

「ねえさ……」

 絶望したように桜の瞳が見開かれる。

 唇なんて血の気を失ったように青い。それでもわたしは言葉の刃を突きつけることをやめることはない。

「……決めた。わたしはあんたを殺さない。殺してなんてあげない。桜、あんたはね、自分で殺した人々の分も生きて償わなきゃいけないの。だからわたしはあんたを殺さない」

 桜、幼くして別れたわたしのたった1人の妹。

 ずっと、見ないふりをしていただけで、忘れたことなんてなかった。

「嫌だって泣いて喚いても聞かないわ。わたしは、ううん、わたし達はね、どんなに嫌がろうとアンタを救うわ。だから、覚悟なさい」

 そんな哀しい顔で殺してなんて言わないで。

 この世は哀しいことだけじゃない、それはあなたも知っている筈でしょう。

 ずっと、ずっと―――愛してるわ、桜。

 

 カタカタ、カタカタと桜の身体が揺れる。

 歯はガチガチで、恐慌状態に陥ったように桜は自分の身体を自分で抱きしめながら、信じられないものを見るようにわたしを見ていた。

「どう、して、なんで、なんで……ェ!ひぅ、ぁァァああーーー!」

 桜の感情の昂りに応える様に、制御をなくして影が暴れる。

 元より廃墟だった建物はバラバラに引き裂かれた。

 其の瓦礫に巻き込まれるより先に、アーチャーはわたしを、アーチェは舞弥さんを抱えて瞬時に脱出を図る。

 崩落する廃墟、それを受けても傷1つなく、影に守られるように桜はそこに立っていた。

 わたしもまた、アゾット剣と宝石を片手に、怯むことなく真っ直ぐ其の姿を見る。

 泣きじゃくる桜。

 もう其処に意思はなく、影はただわたしたちを捕食せんと蠢く。

 気付けば其の手に、いつもの双剣ではなく黒き大弓を抱えて、アーチャーは矢を射がけながら、わたしと舞弥さんに影の攻撃が極力届かないようにと誘導しながら戦っていた。

「桜、キツイお仕置きになるわ。覚悟なさい」

「やだ、やだ、ヤダヤダヤダ。もう、やメてッ!」

 泣き咽ぶ桜の激しさに釣られるように、手当たり次第の影の攻撃も増す。

 それを宝石で弾き、軽量化した身体で走りながら避けつつ、ただ桜に向かって正面から突っ込んだ。

 そして、桜の目前20m。

 確かにそれを見た。

 嗚呼、大丈夫だ。そうよね、わたし自ら陽動をかって出たんだからこれくらい当然よね。

 影が迫る。

 このまま棒立ちだったら喰われる。

 だけど、わたしはそれを確信して、駄目な可能性もあるのに、信頼して微笑み、「桜」と、優しげな声で妹の名を呼んだ。

「……ぇ?」

 きょとんと、桜が目を見開く。次の刹那、それは決まった。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 そんな、ハスキーな女の声と共に、紫色に輝く歪な形をした短剣が桜の背後に突き刺さった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 桜の無尽蔵な魔力の件や、桜の変わりようからそれがアンリ・マユと繋がったからこそ起こったことなのではないかという疑念を抱いたのは、つい先日のことだった。

 間桐の家は御三家の1つであり、英霊であるサーヴァントさえ従える令呪システムを構築した魔術の大家だ。

 あの500年を生きる怪物、間桐臓硯ならば桜を聖杯として改造することも不可能ではないのではないだろうか。

 いや、あの妖怪がそれくらいやってのけれる存在だろう事は、間桐家について調べていたら想像できる想定の範囲内のことだった。

 そして桜が聖杯に改造されてアンリ・マユと繋がっているという、そんな途方もない仮説の確信が高まったのは、舞弥の報告を聞いてからのことだった。

 合わせて、凛から齎された情報を聞けばその疑いはより強まった。

 だからこそ、賭けではあったが、ルールブレイカーの使用で桜は元に戻せるのではないかとそう思ったのだ。

 そして、その読みはあたった。

 

 気配を殺し、魔力を抑え、凛やもう1人の私が注意をひきつけている間に背後に回りこみ、契約破りの短剣を私が突き刺す。それが桜を救出する場合取るべき作戦であった。

 そしてそれは成功を収め、凛の喉元数センチまで迫っていた影は、桜が契約から開放されると同時に霧散した。衣服すらなく裸体のまま地面に沈もうとしている桜を前に、私は投影した布を投げる。

「桜……」

 緊張が抜けたのだろう、緩み、ほっとした声を出して、凛は桜に駆け寄ろうとした。

 だが……。

「凛!! まて、近づくな!」

「え? きゃああ」

 ざくりと、突如として沸いて出た影が鋭く私の腹と、凛の太ももを貫く。

「……貴様ら、なんということをっ、なんということをしてくれた!!」

 激怒し、怒りに震える桜の口から、しわがれた老人の声がした。

 

 

  NEXT?

 


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