新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。

今回は空の境界より、今までも名前だけ出ていた蒼崎橙子さんがゲスト出演。……まあ、Fate原作でも桜ルートで蒼崎橙子の事について少しだけ語られるからクロスものといっていいのかはわからないので、クロスと思えばクロス、クロスじゃないと思えばクロスじゃないってことで1つ。
まあ、まだ序章のうちは一応コミカル要素もあるっちゃありますが、この辺からぐいっとダーク街道への道に片足踏み込んでいる気がします。まあ、まだ序の口だけどな。


04.崩落の足音

 

 

 

 血塗れの手で、銃を握る。

 正義の味方なんて言葉を呪文に在った、かつての自分を捨てて、家族のために銃を握る。

 これが正しいことなのかはわからない。

 父さんを撃ち殺したその時から、そんな資格は消えたと思っていた。

 だけど、妻と娘を持ち、聖杯よりも娘をとったその日から、正義の味方という大義名分も消え去った。

 だからこそ僕の余生は僕自身のためではなく、家族のために在る。

 そもそもあの理想は元から破綻していた。

 そして叶う事もない。

 けれど、完全に父親としての在り方のみを選ぶのならば、冬木など捨てればよかったのだとそれも分かっていた。

 悲劇が起こるだろうことをしって、逃げなかったのは僕の弱さ。

 そう、僕の未練。

 僕は……中途半端だ。

 

 

 

 

 

  崩落の足音

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 それは、今から10年ほど前の事。

「まさか、かの高名な『魔術師殺し』が私に会いたがるとはな」

 ぎぃ、と椅子に腰掛けた怜悧な顔をしたその女……封印指定の人形師、蒼崎橙子は、油断のない笑みを薄く口元に浮かべて僕を見ていた。

「それで、なんの用だ? 今度は私の命でも取りにきたのか?」

 からかうような声。警戒は全く解いてないのに、この態度。

 だが、それに付き合うつもりもない。

「連絡した時にも言ったはずだが」

 淡々と、言葉を続けた。

「僕は客としてきた。当代最高の人形師、蒼崎橙子にしか頼めない依頼だ。それに……魔術師殺しはもう、廃業した」

 その言葉に、女の眼差しがどこか変わる。

 あまり、大きな変化ではない。

 それでも、本質を見極めるかのように女の目が細められる。それを、たじろぎもせずに受け止めた。

「……だろうな。全く、なんだその身体は。何をしたらそうなる。いや……余計なことだったな。私には関わりがないことだ。まあ、いい。客というのなら、聞いてやる。それで、私に何を望む?」

 腕を組んで、女は僕を見た。

「人形師蒼崎は、本人そのものの人形をつくれると聞いた。だから……僕の娘の新しい身体を作ってほしい」

「娘、だと?」

 意外なものを聞いたかのように、橙色の髪をした女は軽く目を見開いた。

「そう、普通の人間のように成長し、生きていける肉体を。とりあえず前金として1000万用意した。金はいくらかかってもかまわない。造ってほしい」

「まて、貴様の娘は、何だ(・・)?」

 鋭い声で、人形師は切り込む。

「僕の娘は、アインツベルンのホムンクルス、次世代の『聖杯』だ」

 その言葉に、一瞬の沈黙が部屋を包んだ。

 ついで、く……と、はき捨てるように女の低い笑いが漏れる。

「はは……いいだろう。その依頼引き受けてやる。その代わり、その『娘』の身体は私に渡せ。千年の名家、アインツベルンの最新型ホムンクルスなのだろう? それも、人の血を継いでいる上に『聖杯』ともなれば、私も興味深い」

 それが代価だと、女は言った。

 

 それからも年に1度の頻度で僕は、娘のイリヤを連れてこの人形師の元へと通った。

 話すことは少ない。元々そういう間柄じゃない。

 あくまでも僕とこの女の関係はビジネスライク的なものだ。馴れ合いなど発生するはずもなかった。

 それでも時は進む。当たり前のように、無情に。そして、僕が余命1年だと診断したのも、気まぐれのように僕の身体を視たこの封印指定の人形師だった。

 互いにもう、会うことはないと思ったからか。おそらく最後に僕が戦いに身を投じることに気づいていたからか、人形師は錠剤がつまったビンを放って僕に渡した。

「餞別だ」

「……これは?」

「私が調合した魔術薬だ。其れを飲めば一時的に昔の能力をお前は取り戻せるだろう」

 ただし、そう前置きして、女は酷く冷めた目で見据え言い切った。

「代償に服用したものの生命力を奪う。……そのビンの中身を全て飲み干してみろ、お前は明日には死体になっているだろうな」

 まあ、使うか使わないかはお前次第だ。と、そうぼやいて、女はタバコの煙をたゆらせた。

「いや、ありがとう。今の僕にはとても助かる」

 そう、告げると女は、哀れんでいるような、蔑んでいるような、複雑な目をして「本当、お前は馬鹿だな。衛宮切嗣」とそんな言葉を呟くように吐いた。

 それが今から約2ヶ月前のこと。

 それがこの人形師との別れだった。

 

『キリツグは馬鹿みたい』

 人形師(あおざき)に言われるまでもない。(イリヤ)にもそう言われた。

 だけど、僕にはこれしかない。

 馬鹿でもいい。

 愚かでもいい。

 それでも、手段があって何もしないなんてことには耐えられそうになかった。

『キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ』

 その娘からの問いの答えはいまだ見つかっていない。見つからないままに、その期限がきた。

 

 

 げほ、と咳を一つ。

 身体が凝り固まっている。顔を上げれば、パソコンの上だ。

 作業中にそのまま眠りに落ちていたらしい。

 いくら疲労していようと、昔はこんなことはありえなかった。そんなところにも今と昔の差を感じる。

 背中には毛布が1枚。

 ああ、シロがかけてくれたんだな、と思って苦笑する。起こしてくれればよかったのに。

切嗣(じいさん)

 今まさに考えていた対象の、低いハスキーな女の声がかかる。

 シロは、いつもどおりの黒いシャツに黒いスラックスの上に赤いエプロンを身につけて現れた。

「起きたのか。食事は、とれそうか?」

 その声に心配気な色が見えて、苦笑しながら、手を振って大丈夫と意思表示をする。

「病人扱いはしないでほしいなぁ」

「そう思うのなら、顔を洗ってきたまえ。……自分が今どんな顔をしているのかわかっていないというのは重症だぞ」

 言って、そっとタオルを差し出された。

 反論したい気がしたけれど、本当に心配気な鋼色の瞳とぶつかって、そのまま大人しく言うことを聞くことにする。

 そうして洗面所について、鏡を見上げ「ああ……」と思わず言葉を漏らした。

「これは、シロが言うだけあるなぁ」

 落ち窪んだ目の下に隈を作り、やせ衰えたような自分の顔は、まるで幽鬼のような有様で、口元には僅かに黒い血がついていた。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 キリツグもやってきて、シロとわたしと3人で昼食を囲う。士郎は今は学校だ。

 10年の生活ですっかり聞きなれた虎の咆哮も絶えてから随分と長い時間が経っている気がしている。

 実際は1週間も経ってないはずだけど、いつの間にかわたしも大河を相手に随分と心を許していたらしい。

 いないことがこんなに寂しいものだと感じる日がくるなんて思わなかった。

 静かに食事を続ける。

 わたしも、キリツグもシロも昼食時に騒ぎ立てるタイプじゃないから、つつましく昼は続く。そうして、食後にそっと、シロが人数分の紅茶を配って、そうして3人揃って魔術師の顔をして向き合った。

「昨日……いや、今日というべきだね、の深夜1時ごろ、新たにサーヴァントが呼び出されたみたいだ」

 切り出したのはキリツグ。

「そう、これで6人ってわけね」

「そうだね」

 相槌をうつキリツグ。

 シロは、どことなく居心地悪そうに眉をしかめただけで言葉を挟まなかった。

 

 我が家の方針は随分と前に決まっていた。

 聖杯を聖杯戦争のどさくさにまぎれて破壊する、それを最終目的に、出来れば傍観を貫く、というもの。

 サーヴァント七騎が潰しあっている隙に……残り二騎が互いの相手を努め、こちらの相手を出来ない隙にでもどさくさに紛れる形で破壊に向かう。という、そんなシンプルな作戦だ。

 この作戦がうまくいくのならば、こちらが蒙る被害も、聖杯破壊に使う火力ぐらいで最小限に抑えられるだろうし、上手くいくのならば、士郎には聖杯戦争のことを知ってもらう必要もなくなる。

 聖杯戦争が始まってからも、終わってからも、これまで通りを続けることが出来るだろう。

 とはいえ、人生何がおこるかわかったものではないし、なにより、聖杯戦争には7人の魔術師が必要だし、冬木にいる魔術師の数や、参加しようと他所からくる魔術師の数などもたかが知れているわけで、わたしか士郎が聖杯に選ばれてしまう可能性もあった。

 その場合は、当初の予定のような最低限の労力でなんとかする……なんて甘い考えが通じるはずがなく、下手をすれば、こちらが呼び出してしまうサーヴァント自身も敵にまわる危険性があるし、自分たちの周囲にも被害が及ぶことは想像に難くない。部外者ならばまだしも、当事者となると言い逃れは難しいのだから。

 それら万が一の事を考えた上での根回しに、キリツグとシロはここ数日奔走していた。

 

 だけど、杞憂にすむかもしれない、と自分の手にも士郎の身体にも聖痕(れいじゅ)の兆しがいまだ出ていないことを思って少しだけほっとする。

 だけど、大分前から聖杯戦争の兆しはあったのに、まだ6人。

 最後の7人目が召喚されるまでは気を抜けない。

 もしもの時は、士郎ではなくわたしがマスターになる、と決めていたけど、でも、無駄な足掻きかもしれなくても、それでも士郎には何も知られたくなかった。

 

 2年前、士郎に聖杯戦争のことを話そうとしたキリツグとシロを止めたのはわたしだ。

 だって、士郎にはこんな魔術師同士の諍い、関わって欲しくない。

 知った以上、士郎の性格ならどうあっても関わってしまう。それがわたしには嫌だった。

 どうせ、聖杯はどさくさ紛れに壊すんだ。当初の予定通りだったら、知る必要なんてなくなるし、それに、士郎にこんな馬鹿げたゲームのことは知られたくなかった。

 わたしはいい。

 だって、わたしは元はアインツベルンの聖杯だった。元から関係者だから、だからいい。

 でも、士郎は……そうでないでしょう?

 士郎。

 わたしの可愛い、血の繋がらない弟。

 陽だまりのような笑顔が似合う弟にはこんな世界には飛び込んでほしくない。

 何もしらないでいい。

 わたしが守るから、だからずっと、ずっと笑顔でこの家にいてほしい。「おかえり」なんて笑いながらわたしを出迎えてくれたら、それだけでいい。

 シロと士郎が、同一人物だということは知っている。

 全然違う人生を送って、もう完全に別物になっていても、それでもシロは士郎の可能性の一欠けら。

 大好きで(歪で)、優しくて(自虐的で)、何処かボロボロで(そんな所が大嫌いで)、自分よりも他人のほうが大切なんて、そんなどうしようもなく愚かで欠陥(バグ)だらけの可愛い(いもうと)

 己の理想に裏切られた、反英雄の守護者。

 シロだってわたしは大切だし、大好きだと思っている。

 でも、それでも、士郎がシロのようになる事だけは、どうしても嫌だった。

 そうなってほしくない。だから余計に、士郎が聖杯戦争なんかに関わるのはどうしても嫌だったのだ。

 だから、2人に頼んだのだ。

『士郎にだけは言わないで』と。

 わたしが守るから、士郎のことはわたしが守るから、だから言わないで。と。

 でも、それでもどうしても誤魔化しきれなかったら、その時は、わたしがわたしの口から士郎に全てを話すから。

 だから、言わないで。

 キリツグはそんなわたしを見て、『イリヤ』と名を呼んで、それからとても静かな声で『覚悟はあるんだね』そう問いかけた。

 こくりと、わたしは頷く。それをみて、シロは一言も口を挟まなかった。

 多分シロはわたしとは逆に、士郎に聖杯戦争のことを最初から話すつもりで、その上で魔術を教えていたんだと思う。それでも、わたしの意を汲んで何も言わなかったのだ。

 ちゃんとわかっている。これはわたしの我侭。でも、わたしはそのことを後悔してはいない。

 だって、わたしは、お姉ちゃんだから。弟は守らなきゃ。

 

「シロ、本当にキャスターは放っておいても大丈夫なのかい?」

 切嗣がそんな言葉をシロに投げかける。それに、現実に引き戻された。

「ああ。あの魔女は易々と人の命を奪うまでの真似はすまい。アレはなんだかんだといいつつ甘いからな。問題は時が経てば経つほど膨大な魔力を溜め込み、自分の神殿内では魔法の真似事すら可能となることだろうが……あの女は冬木のセカンドオーナーの怒りに触れる。私達が手を下さずとも、凛が始末をするさ」

「凛を随分と買っているのね」

 その淡々とした中にも信頼が透けて見える言葉に、少しのからかいを込めてそう口にしてみる。

「まあ……おそらく、今回も彼女が召喚したのは、『私』だろうしな。やりようはいくらでもあるだろう」

 その返答に、胸が痛んだ。

 下手をすれば、それは、男の姿のほうの『エミヤシロウ(アーチャー)』が敵にまわるかもしれないということなのだから。

「それに、魔力の無駄遣いなど出来るほどの立場ではないだろう? 私たちは」

 それは、その通りだ。

 シロは今は受肉した元サーヴァントだけれど、聖杯の泥とアインツベルンの呪いを受け、かつては相当に弱体化していた。年月を経るごとに少しずつマシにはなっていったようだけれど、それでも今の彼女の力は、英霊全盛期の2割が限度。

 並みの英霊と対するにはあまりに不利だし、戦ったところで、人間よりはマシでも、長くは保たないだろう。

 それに今の彼女の魔力量を思えば、彼女の主戦闘スタイルである宝具の投影に関して、使い慣れた干将莫耶でもない限りは難しいのだ。今まで溜め込んできた奥の手でも使わぬ限り、通常の宝具を投影することは、今の彼女には負担が過ぎる。

 夫婦剣以外の他の宝具を投影しようと思えば、物にもよるが、精々1日に1つか、2つくらいが限度だろうか。

 それに、魔力供給のラインが繋がっているキリツグ自体、彼女に魔力を渡すような余裕はないのだ。

 もうずっと、キリツグからシロに魔力は供給されていない。

 今はキリツグとシロのラインは、シロを現世に結びつける鎖役としてしか機能しておらず、シロは魔術礼装を通して大気中から集めた微妙の魔力や、食事や睡眠などといった本来英霊がする必要がない原始的な方法を通して、それで今の自身を補っている。

 もしも、彼女が受肉しておらずに、魔術礼装からの魔力だけを頼りにしていたら、きっととっくに自分の身体を維持出来ずに座に帰っていたことだろう。

 わたしたちの聖杯戦争における方針が、終盤まで動くことなく、傍観に徹しようというふうに決めた理由にはそこらへんの事情もある。

 だから、今日もまだ、行動を先送りにして、何度も繰り返してきた話し合いをそのまま続けていた。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 その日、俺は久しぶりに弓道部へと顔を出した。

「あ、士郎先輩」

 よく知っている、ここ2年間ですっかり見慣れた後輩に声をかけられ、手を上げてよっと挨拶をする。

「桜、お疲れさん。差し入れもってきたんだけど、美綴のやつは?」

「美綴先輩は、会議です。わ、レモンの蜂蜜漬けですか」

 嬉しそうにほころんで言う桜に、こちらも嬉しくなって笑って、「たまにはいいだろ?」と言ってから、聞きたかったことを口にする。

「桜、今日慎二の奴が来ていなかったんだけど、何か知らないか?」

「え、と……兄さんですか」

 内気な後輩は、戸惑ったような声で言う。

「その……わたしにも、にいさんのことはわからなくて……ごめんなさい」

「いや、いいよ。聞いてみただけだからさ」

 桜が気にしないように、笑って手を上下にふる。それから、ふと気になった別のことを口にした。

「そういえば、桜、最近うちに来ないけど、どうしたんだ? もしかして……シロねえと喧嘩したのか?」

 シロねえと桜は仲良しで、喧嘩しているシーンなど見たことなかったから、可能性は低いと思うけど、他に理由も思いつかなかったので、ついそんな風に聞く。

「いえ、そんなのじゃないです」

 まさか、と慌てて桜は首を横に振る。

 それから、ちょっとした家の用事で……なんていいながら、桜はごにょごにょと聞こえるか聞こえないかの小声で締め切った。

「そっか。桜がこないと寂しいな」

 思わず、本音をぼやくように漏らす。すると、桜は瞬時に頬をぼっと赤く染めて、俯いた。

「? 桜、どうかしたのか? もしかして、風邪をひいたんじゃ……」

「いえ! そんなんじゃないです。わたし、丈夫ですから、風邪なんてひかないです。士郎先輩は気にしないでください!」

 なんて、赤い顔をして言われてもあんまり説得力がないんだけど、桜は結構強情だったりすることも知っているから、「そうか、でも無理だけはするなよ?」なんて、無難な言葉をかける。

「はい、先輩、心配してくださってありがとうございます」

 そうぺこりと可愛らしくこの後輩はお辞儀を一つした。

 と、そろそろ退散したほうがいい時間だろうか、そう思って俺は、最後に桜に一声かけることにする。

「桜、今夜うちに飯食べに来いよ。桜が来るとみんなが喜ぶ」

 桜は、戸惑った顔で俺を見ている。

 それを見て、笑いながら「約束、な?」と言うと、桜は戸惑いがちに、それでも控えめな笑顔を浮かべて、「はい、じゃあ今夜お邪魔します」と言って笑った。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

「どう? ここなら見通しがいいでしょ、アーチャー」

 マスター……名前を聞いてその正体も思い出した。かつて、自分が人間としてこの街で生きていた時に、憧れ、魔術の師匠となった女性、遠坂凛の並行存在だ、が、新都のセンタービルの上でそんな言葉を私にかける。

「…………はあ。将来、君とつき合う男に同情するな。よくもまあ、ここまで好き勝手連れ回してくれたものだ」

「え? 何かいった、アーチャー?」

 凛はとくに気にしていない顔で、風に飛ばされる髪をかき上げながら、そんな言葉を返す。

「素直な感想を少し」

 言ってから、再び街を見下ろした。

「これなら最初からここにくればよかったな。そうすれば手間もかからずにすんだ」

「なに言ってるのよ。確かに見晴らしはいいけど、ここから判るのは町の全景だけじゃない。実際にその場に行かないと、町の作りは判らないわ」

「そうでもないが」

 彼女は私のクラスが弓兵(アーチャー)であることを忘れているのだろうか。なので、簡易にクラススキルのことについて説明をする。

「そうなの? それじゃあここからうちが見える、アーチャー?」

「いや、流石に隣町までは見えない。せいぜい橋あたりまでだな。そこまでならタイルの数ぐらいは見て取れる」

「うそ、タイルって橋のタイル…………!?」

 そうやって素直に驚く姿が、年相応の娘で、当時の遠坂はこんなに子供だったのだろうか、とそんなことをぼんやりと思った。このあたりは年を取ったことで感じる若い頃との感覚の違いという奴だろう。

 それからも他愛無い会話を、この年若いマスターと一言、二言続ける。

「……?」

 ふと、視界に違和感のようなものが襲う。

 何かが、『違う』。なにがだ? 今、確かにこの視界の端に、目を離せぬ何かが映った。

 橋だ。

 冬木大橋のアーチの上。そこに、暗闇に溶け込むようにして、その女は立っていた。

 どくり、と擬似心臓が嫌な音を立てる。

(誰だ、あれは……!)

 漆黒の上下を身に着けた、褐色の肌の女だ。

 背は高く、白髪を赤い髪飾りを1つつけて結わえている。闇にとけていながら、同時に酷く目を引く矛盾した女。その鋼色の目が、確かにオレの目とかち合った。

 その目は確かに、『やはり来たか』そう告げている。

(知らない、あんな女など知らない)

 皮肉気に口元を吊り上げて、こちらを見据えるその表情(かお)は、いつか鏡で見た自分の顔にそっくりで、嫌悪のあまり吐き気がした。

(あんな女など知らない……!)

 そうだ、女だ。オレじゃない。性別が違う。姿も違う。なのに、なんだ? この感覚は。

 まるで、これはそう……エミヤシロウ(もうひとりのわたし)を見てしまったかのようではないか。まるで、同一の存在がそこにあるからこそ生まれる世界の修正力が働いているかのように、あれは認めてはいけないものだと、身体が警報を打ち鳴らす。

 これは、一体どういうことだ。

 あんな女はいなかった。あんな女は知らなかった! オレが参加した聖杯戦争に、あんな女などいなかった!!

 ひょっとして、私はとんでもない思い違いをしているのではないか……?

 この時代は、私の望みを叶えてくれるその時ではなかったのか……?

 ずっと、ずっと願っていたその機会。座から自分を解放するための一縷の希望。

 過去の自分を殺す、その願い。

 だが、もしこの世界に過去のオレがいなかったら……いや、いても全くの別物であったらどうする?

 そう、もしや最初から、召喚されたその時から既に狂っていたのだとしたら……嫌な想像に歯を食いしばった。

 女はもう、橋にいない。

 幻だったかのように、暗闇に溶けた。

「アーチャー……?」

 心配気なマスターの声が響く。

「どうしたの? ……酷い顔色よ」

 その言葉に衝撃を受けた。

 私の鉄面皮は完璧だったはずだ。内心の動揺を表に出したつもりはかけらもなかったのに。

「なんでもない。凛、そろそろ戻らないか」

「ええ、そうね……」

 凛はまだなにかを追求したそうだったけれど、それでも何かを問うことはなかった。

 気遣わせてしまっただろうか。

 でも、今はそんな凛の気遣いがなにより有り難かった。

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

 ぽすり、と身を自室のベットに投げ出す。

 億劫で何も考えられない。

 胸にぽかりと穴が開いて、言葉も、涙すら、出てくることはなかった。

 判っていた。過ぎた願いだって。でも、今まではよかったのに、なんで、どうして私は最後の居場所までなくしてしまうのだろう。

 ただ、わたしは、あそこに在るだけでよかったのに。

 酷薄な顔だった。

 魔術師の顔だった。

 怖かった。本当に怖かった。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 過ぎた幸せを願ったから、きっと罰が当たったんだ。

 思い出すのは、ほんの3時間ほど前の……別れ。

 

 私は、間桐の血を繋ぐためのものだから、聖杯戦争に参加させられるであろうことはわかっていた。

 私は、その為に間桐に貰われてきた子なのだから。

 でも、嫌だと、どうしても嫌だと思って、駄目元でおじいさまにお願いをしたんだ。

「ふむ、良かろう」

 そんな、思わぬ許しの言葉がもらえて、わたしは、わたしが呼び出したサーヴァント、ライダーを兄さんに預けて、これであの人たちと戦う必要もないのだと、そんな風にほっとした。

 でも、私は間桐だから、だからせめてもの戒めに聖杯戦争が終わるまでは衛宮の家に顔を出すのもやめよう。そう思った。

 それは、凄く辛い。

 だって、私は衛宮の家(あそこ)が大好きだったから。

 間桐の家に貰われてきて、ずっと痛いことに耐えてきた。

 わたしが痛がれば痛がるほど、喜ばれてそんなふうにずっと扱われて、そのうちご飯にも毒が盛られて、全部が痛いことだらけだった。苦しくて苦しくて、でも助けを求める相手だってどこにもいなかったんだ。

 でも、あの家の人たちは、笑って、わたしを出迎えてくれるから。まるで、本当の家族みたいに私を受け入れて、そうやって笑ってくれるから。

 ご飯がおいしいと思うのも、私が心から笑えるのも、あの家だけだった。

 わかっている。

 おじい様に聞いていたから、しってる。

 衛宮は前回の聖杯戦争の実質勝者の家なんだと。いつも微笑んで皆を見守っているおじさまは、魔術師殺しとかつて呼ばれた暗殺者なんだって、ずっと聴いてきた。

 優しくて、綺麗で、いつも微笑みながら私に手を差し伸べてくれるシロさんだって……本当は……でも、それでも、みんなあんまりにも優しいから、わたしはいつしか自分が受け入れられているんだって、ここでは必要とされているんだって、そんな怖い錯覚をしちゃったんだ。

 そうなんです。わたし、甘えていたんです。

 本当は、もう駄目なのに。

 少なくとも、聖杯戦争が終わるまで近づいちゃいけないって知っていたのに、なのに。

 士郎先輩の笑顔を見て、行ってもいいかなと、そんな馬鹿なことを思っちゃったんです。

 本当、わたし、馬鹿ですよね……。

 魔術師の家で育てられていても、士郎先輩は、一般人です。だから、何もしらなかっただけなんです。

 なのに、勘違いしちゃったんです。

 聖杯戦争中(こんなとき)でも、あの家は間桐桜(わたし)を受け入れてくれるんだって、そんな愚かな勘違いを。

 士郎先輩は笑って出迎えてくれました。

 シロさんも控えめに微笑みながら、でもわたしにやっぱり手を差し伸べてくれました。

 でも、イリヤ先輩は少し悲しそうな憐れみを瞳に浮かべて、士郎先輩にあわせて表面だけをいつもどおりに、そんなふうにしてわたしに接したんです。

 そして……おじさま。

 いつも、優しかった衛宮のおじさま。笑って、桜ちゃんよく来たねってそういってくれたおじさま。

 でも、今日見たその目は……恐ろしい光を秘めていて、士郎先輩が見ていないところで、それは顕著に、瞳で語っていました。『なんで、来たのか』と。

 ああ、わたし、来てはいけなかったんですね。馬鹿な私。

 本当、なんでこんなになるまで気づかなかったのかな。

 

 士郎先輩は何もしらない。だから、笑う。陽だまりみたいな笑顔で、汚い私に微笑む。

 ……それが、今日ほど辛いことはなかった。

 そうして、家に帰る私を「見送るから」といって出てきたおじさま。

 にこにこと、いつもどおりに何も知らない士郎先輩たちに手をふって、まるで好々爺みたいな笑顔を浮かべて家族と別れて、そして門の外に出て……がらりと変わった。

 ゾッとするほど、怖くて冷たい目。魔術師(ひとでなし)の……眼差し。

 これが、今までのおじさまと同じ人物だなんて、まるで悪い冗談みたいで、冷や汗がどっと背中を流れた。

「桜ちゃん、どうして君は来たのかな? 今がどういうときか知っているんだろう。間桐のご老人に頼まれでもしたのかい?」

 かちり、とライターで火をつけて、タバコを口にしながら、酷薄な声音でおじさまはそんな言葉を言う。

「シロは君は無害だから、放っておけというけどね、それを素直に聞くわけにはいかないんだよ。僕は……父親だから」

 だから、家族を守るためには、害をなす要素を排除すると、この見知っているようで見知らぬ魔術師は語る。

「……おじ……さま」

 声が震えて、上手く言葉がしゃべれなかった。

「君が間桐の後継者なんだろう? なら、わかっているはずだと思うけど」

 次はない、とその闇より深い黒の目は語る。

「僕もね、シロや士郎たちが悲しむ姿は見たくないんだ。桜ちゃん、君はわかってくれるよね(・・・・・・・・・)?」

 それは、次に来たらわたしを殺す、ということ。

 がくり、と膝が崩れた。

 わかっています。

 ええ、わかっていました。

 たとえ、胎盤としてしか扱われていなくても、それでも私は間桐の後継者で、とっくに汚れていて……わたしは、ただのおじい様の飼う蟲の一つに過ぎないんだって。

 錯覚をしていたんです。

 人間の女の子みたいな、錯覚を、していたんです。

 わたし、この家では人間になれるって、そんな錯覚をしていたんです。

 楽しいって、心から思えるのはこの家だけでした。

 ごめんなさい。馬鹿でごめんなさい。

 ぼろりと、涙がこぼれた。

 おじさまは……魔術師殺し、衛宮切嗣はもういない。

 誰もわたしを見ていない。体内から見張るおじい様以外誰も見ていない。

 ぼろぼろ、涙がこぼれる。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたし、家族でもなんでもなかったんです。そんなことに今まで気づいていなかったんです。

 まるで道化(ピエロ)。でも、そんなことにすら気づいてなかったんです。

 でも、こんなところにいつまでもいたら、誰かに見つかるかもしれない。せめて、何もしらない士郎先輩にだけは見っとも無い姿は見られたくない。

 ぐしゃり、涙をぬぐって、蟲の巣窟(まとう)への道をおぼつかない足取りで辿った。

 

 そうやって家に帰って、シャワーを浴びて、そうして、ベットに身を投げ出して、それから、嗚呼と気づいた。

「そっか……わたし、何もないんだ」

 最初から、私には何もなかったんだ。

 なんで、気づかなかったのかな。

 あまりにも幸せな夢を見ちゃったから、きっと罰が当たったんだ。

 嗚呼、もう、いいかな。

 疲れた。凄く、疲れた。

 いいんです、わたし、遠坂先輩みたいにはなれませんから。

 ただ、士郎先輩の陽だまりみたいな笑顔だけを思い出す。

 きりり、と胸が痛んだ。

 

「痛いなぁ……」

 

 何が痛いのかすらわからず、ただそう呟いて私はそのまま眠りに落ちた。

 其れが崩落の足音だったということに、わたし自身気づくこともないまま、運命(フェイト)は残酷に刻を刻むだけ。

 それは、わたしにはあずかり知らぬことだったけれど、第五次聖杯戦争最後のマスターが現れるのは、この次の日のことだった。

 

 

  NEXT?

 


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