どのくらいが過ぎたのだろうか。
日が暮れてから大分時間が経ち、街がカラフルに光っている。
右目が紅い少女は、今まで溜め込んできた涙を、僕の服に染み込ませた。
今まで、この細い身体のどこかに溜め込んで、彼女を締め付けていたものは、少しでも軽くなったのだろうか?
すこしずつ、しゃくりあげる声が小さくなり、落ち着いてきた。
そして、アスカさんは顔をあげた。
「・・・ごめんなさい。その、見苦しいことをしてしまって。」
ようやく泣き止んだ彼女から発せられたのは、僕に対する謝罪だった。
「それじゃあ。その、さようなら。」
歩き出した彼女の後ろ姿を見て、
ーーなんとなく、今ここでそのまま別れたら、もう二度と会えないような気がした。
「待って。」
気が付いたときには、僕はアスカさんの手を掴んで、引き留めていた。
そして、僕の口は勝手に動いていた。
「その、さ。泣いて良いから。僕の前で、思う存分弱音を吐いて良いし、だから、その・・・僕は、構わないから。」
「・・・・・・」
彼女は、こちらを向かない。
それでも、僕は想いを吐き出した。
「だからさ、明日も、ここに来てよ。まだ、歌、聴かせてもらってないし。」
「・・・いいんですか?」
ぽつりと、言葉が返ってきた。
「もちろん。だから、『さようなら』じゃなくてさ、また明日。」
「はい。・・・また、明日。」
「うん。また明日。」
彼女の後ろ姿が見えなくなった。
「はぁ。」
ベンチの背もたれに寄りかかる。
・・・流石に、明日は家に帰らないとだよなぁ。
明後日は学校があるし。
今日、風呂に入ってないし。
しかし。しかしだ。
僕は、父親に会いたくない。
しかも、丸一日家に帰らなかったから、相当に怒っているはずだ。
・・・いや、彼女も帰ったのだ。
僕には、逃げ場があるだけまだ良いか。
僕も、帰らないと。
世の中にはどうしようも無いような、避けられないことがあるのだと、今日、思い知ったばかりなのだから。
・・・帰ろう。
重たい腰を上げて、家に向かって歩き出す。
ここから家は、そう遠くない。
でも、ここにいてアイツに見つかったことがないところを見ると、ここは相当に穴場なのか、もしくは向こうがこちらにそれまでに興味がないかのどちらかだ。
帰りたくないという感情が、足取りをより重くさせる。
いつも以上に、玄関から圧迫感を感じる。
「・・・ただいま。」
考えていても仕方がないので、大人しく家に入る。
二人きりで暮らすには広すぎる家に。
玄関の辺りがとても暖かく、この時間でもまだあの人は起きていることがわかった。
「今まで、何処にいた。」
落ち着いた、低い、そして呆れが含まれた声が聞こえた。
『お帰り』の一言は、母さんがいなくなってから、この家で聞かなくなった。
なのに、『ただいま。』と言ってしまうのは、まだ、この人に僕は期待をしているということなのだろうか。
もし、そうなら。
早く、そんな感情は棄てたい。
「・・・父さんには、関係のないところ。」
「あと、お前の受ける医大はもう学校に届けを出しておいた。お前の成績なら余裕だろう。」
「なんでっ・・・」
ーーそんな勝手なことを
しかし、その言葉は口からは出なかった。
反論をしようとしたが、やめておこう。
この人は、もう何を言っても無駄だということは解ってるはずだ。
何年も前から、解りきってる。
「お前は俺の言う通りにしていればいい。そうすれば、将来職ぐらいは用意してやる。だからこれ以上面倒なことをするな。」
探すさ。自分で職ぐらい。
自立できるようになったら、正確には、大学を出たら親子の縁を切ろうと思う。
うちの父親は、結構大きい私立病院の経営者だ。
この家はそれなりの金持ちで、経済的に不自由したことはない。
医者には興味がない訳じゃあないけど、押し付けられた仕事なんてしたくない。
だから、贅沢な暮らしなんて出来なくても、僕は自由を選ぶ。
「・・・そんなの、勝手だろ。」
小さな声で悪態をついて、シャワーを浴びに行く。
暖かいシャワーを浴びても、僕の心は冷えきったままで。
そういえば、家ほど居心地が悪く思える場所もないなと、心の中で自分の居場所を否定した。
風呂場から、髪も乾かさずに自室に直行する。
明日も休みだから、いや、正確にはもう日付は変わってるんだけど、一日、あそこで過ごそうと思う。
きっと、明日もアスカさんは来ると思うし、退屈はしないかな。
・・・意識したら、どんな顔して会えば良いのかわからなくなった。
いや、考えないようにしよう。
会ったときに、成り行きで考えよう。
色々考えるには、今日は、疲れすぎた。
そのまま、自分が起きてるのか寝ているのか解らない状態で、意識は夜に溶けていった。
『世界なんて、滅びてしまえば良い』
そんな、幼稚じみた、馬鹿げた希望が、通ったことなんて知らずに。
ーこの日、人類は、文明を失った。ー
太陽嵐の影響で、世界中の発電所、人工衛星、その他電波機器の大規模破壊が起きたそうだ。
当分は、緊急時の予備発電で賄えるそうだが、予備発電で発電できる電力よりも、当然のことながら発電所復興に要する電力の方が多い。
さらに、人工衛星が壊れたことによって通信機器の類いは全てアウト。復興には少なくとも十年以上の年月がかかるそうだ。
この日から、人の生産活動は著しく制限されることとなった。
当然、通信機器がダメになっているので、この事を僕が知ったのはその次の日。
それまでは、大規模な停電と、それに伴う電波機器の一時停止だと思っていた。
「なんか、街が、静かだな。。。」
普段なら、車の音や電車の通る音などが聞こえるのだが、エネルギー不足でその辺りのインフラは停止してしまったようだ。
これによって、物流なども制限される。
人間社会を生物に例えると、今は、心配停止状態といったところだろうか。
脳死、つまりは社会が完全に停止する前に物流くらいは復活させないと世の中は終わる。
この日は、日が暮れた頃にアスカさんは来た。
今日は、彼女の右目は、紅いままだった。
連日、夜景を彩っていた光はほとんどが消え、自家発電をしている建物くらいしか明かりがついていなかった。
「だ、大丈夫でした?かなり規模が大きい停電みたいですけど。。。」
「うん。僕のところはね。自家発電をしてるし、当分は持つかなって。」
「そうですか。。。病院も同じ感じですけど、どうしても、機械が必要な患者さんの所だけ電気を通しているみたいです。」
「でもね、悪いことばかりって訳ではないみたいだよ。」
「え?」
僕は、空を仰いで見せた。
「あ、ああ!」
アスカさんも気がついたみたいだ。
これまでは、街の明かりで見えなくなっていた、でも、本当はずっと昔から存在している。
「電気が戻るまでは、この星空が見れるね。それに、この街の街灯はソーラーパネルで昼間に充電してるから、夜道もそこまで危なくはないでしょ。」
「はい。それは本当に救いでした。これでもっと晴れてたら良かったんですけどね。。。」
「・・・あの、さ。その、丁寧語、じゃなくても良いんだけど。」
「あ、これはクセなので。。。すみません。」
「そっか。うん。でも、なんか距離を感じるからさ。」
「う、えっと、頑張・・・る。」
「いや、無理しなくても良いんだよ?あくまでも、素で話せればいいなって思っただけだから。それが素なら構わないし。」
・・・逃げ場に、なれないのかな。僕は。
まあ。なれないんだろうな。逃げるのを止めない限り。
「それにしても、発電所の復興はどのくらいかかるんだろうね。早く終わってくれると良いなぁ。」
「そうですねぇ。このままだといろいろと不便ですし。」
「原因も解らないし。どうしたもんかねぇ。」
「・・・」
「・・・」
会話が続かない。
やはり、どこかにぎこちなさがある。
ほんの少し、手を動かせば触れられる距離にいるのに、心が解らない。
同じベンチに座っているけど、同じ立場には立てない。
無力感にやるせなくなる。
ああ。やだなぁ。
そのあとは、会話もなく。
星空の下で、ただ、一緒にいた。
そんな、三日目が過ぎた。
この日は、二人とも、帰らなかった。
なんとなく、僕は、彼女と一緒にいたかった。
それが、彼女も同じならなと、少し思ったりもした。
四日目の朝が訪れた。
しかし、屋外にも関わらず、朝日を見ることはできなかった。
ーこの日、人類は、青空を失った。ー
夜のうちは、雲だと思っていた。
先日の発電所の爆発の影響でなのだろう。
空を、黒い、まさに暗雲と言うべき雲が覆った。
世界中の発電所から上がった煙は、そうそう簡単には消えないだろう。
これから数日は、世界中に太陽の光が注ぐことはない。
つまり、昨日は太陽光発電で持ちこたえた建物も、おそらく今日からは維持が難しくなるだろう。
薄暗い朝日は、先日からの不安をさらに煽らせた。
そして、停電の本当の理由を人々が知った日でもあった。
「どうなるんでしょうね。これから。」
「・・・これ以上悪くなるってこともないと思うけど。」
世の中は混乱しても、この場所は、相変わらず静かだった。
ここだけ、他の世界から隔離されてるように。
「そうでしょうか。追い討ちってこともありますよ?」
「追い討ちはこの雲じゃ・・・」
彼女の前で言葉が詰まるのは何度目だろう?
でも、僕は目の前の少女から、恐怖にも、狂気にも似たような感情を覚えた。
「もしかしたら、世界が滅びるかもしれませんね。」
そういった彼女の表情は、小さな虫を水に沈めている子供のような、好奇心と残忍さの混ざったもので、とても気持ち悪いと思うのと同時に、何故か。
美しいと思った。
「・・・・・」
「冗談ですよ。・・・本気にしないでくださいね。まだまだこの世界には、未来があるんですから」
"私にはない"と、付け足そうとしたように聞こえた。
「ほら、季節的に、そろそろ入試ですよね。トーヤくんは、どこの学校を受けるんですか?」
「えっと、東京にある、国立の医大。の予定。」
『大学にも行きたい』
一昨日の言葉を不意に思い出して、「アスカさんは?」と訊き返しそうになったのを抑える。
「ええ!医大って、よくわからないですけど、すっごい頭の良いところじゃないんですか!?」
「うん、まあ、、、勉強は、出来るほうだから。。。」
明るく振る舞うその後ろに、涙がありそうで怖い。
「私は、ぜんぜん学校に行けてないんですけど、勉強だけはしてるんです。あ、でも英語が苦手で。」
「そう、なんだ。。。」
「あ!そうだ。今度少し勉強教えてくださいよ!英語、出来ますか?」
やめてよ。
もう、そんな顔で僕に笑いかけないで。
自分で自分を苦しめるようなことを言っているように聞こえて、それが辛くて。
でも、そんなのは、僕が勝手に意識しているというものだと、感情を圧し殺した。
「うーん、人に教えたことはないけど、頑張ってみるよ。」
「あ、でも、ここだとベンチしかないから勉強できないかも・・・。」
「ああ、そうだね。どこか別の場所で会う?」
「お互い携帯とか使えませんし、結局はここで集合になりそうですね。」
「そっか。そういえば、今使えないんだっけ。」
「なんか、復旧にはかなりかかるそうですよね。年単位でしたっけ?」
「まあ、もともとあんまり使ったりしてないから良いんだけどさぁ。やっぱり使えないと不便だよね。」
昨日とは違って、今日は会話は続いた。
「って、もう、こんな時間!」
「え?え?何時?」
アスカさんが腕時計を見て声をあげた。
「夜の、八時過ぎですね。」
「・・・空が見えないと、結構解らないもんだね。」
「そうですね。。。太陽が出てないので、街灯も光ってないですし。」
「そういえば、さ、帰らなくて、平気なの?」
彼女は、はっとしたような顔をしたがすぐに、
「いいんです。帰らなくても。病院も今大混乱で、多分、私のことなんて誰も気がついてないでしょうしね。」
「そうなんだ。。。そうだ、何処かに、ご飯食べに行かない?今日、まだ何も食べてないじゃん。」
ちょっと俯いたから、僕は話を変えようとこの提案をした。
お腹が空いていたし、お腹が一杯になれば、この沈んだ気持ちも少しはマシになるかなって。
「コンビニで何か買って、ここで食べません?あんまり移動をしたくないので。」
「そうだね。じゃあ、近くのコンビニに行こっか。」
その日は、コンビニで二人して好きなものを食べて、そのあと、昨日みたいに、ベンチに寄りかかって寝た。
寝るときに、星空を眺めることは出来なかった。
そして、僕らが出会ってから、五日目の朝が訪れた。
目が覚めた僕の視界に入ったのは、夜とあまり変わりのない暗黒だった。
しかし、携帯の時計は朝の時間をさしていた。
「なんだよ。これ・・・」
ーこの日、人類は、色彩を失った。ー
昨日空を覆った黒い黒い雲は、より分厚くなり、地上への光をほとんど遮断してしまった。
手の届く範囲しか見えないほどに。
昼夜の区別がつかなくなるほどに。
これほどまでに人類は、地球を穢していたのだと、人々は思い知った。
光が遮断されたため、出歩くときは光源が必要不可欠となり、弱い弱い太陽からの光では、もう、色を認識することが出来なくなった。
とても不安になり、咄嗟に横を確認する。
「よかった。」
アスカさんは、すぐそこにいた。
起こすのも可哀想だったのでしばらくそのままでいたけど、そのうち自然と起きた。
「ん・・・。え!?そんな!嘘!?」
「どうしたの?」
「あ、トーヤくん。。。ああ、良かった。。。」
物凄く慌てていたから、どうしたのだろうか?
「いえ、その、ついに、目が、見えなくなったのかと。。。」
「いや、僕の目にも多分同じ景色が写ってると思うし、大丈夫だよ。」
そっか、そうだよね。
彼女にはその可能性があるから、こうなると真っ先に自分の身体の異常を心配する。
「昨日の、雲がさ、すごく、分厚くなったみたいで。」
「・・・それで、こんなに暗いんですね。」
「うん。もう、ここから街を眺めることが出来ないや。」
こうも連続で異常事態がおこり、そして情報の入手にタイムラグが出来てしまうと、不安を無駄に煽ることになる。
そして、この頃、人類滅亡説を唱える人が出始めた。
いや、破滅的思想を持ち合わせてない人でも、この状況には終末の不安を抱くだろう。
「・・・怖いなぁ。」
昼だか夜だかわからない、色の無くなった世界で、僕はぽつりと、隣いにる彼女にも聞こえたか分からない声で呟いた。
しばらく、ときどき遠くの方で光っては消える微かな光を無言で眺めていた。
何時間か黙っていたが、ふと気になり、僕はこう呟いた。
「今って、夜なのかな?」
「さあ?空が見えないので、わかりません。」
「現実なのに、そうじゃないみたいだね。なんか、古い映画を観てるような。」
「確かに、人工的な光も自然の光も、ほとんど見えませんからね。なんだか、地球を黒い布で覆い隠してるみたいです。」
「街灯も、消えちゃったしね。・・・社会全体がだんだん死んでるみたいだ。本当に、滅びちゃったりして。」
「だから、あれは忘れてくださいって言ったじゃないですか。。。」
「ごめんごめん。でも、本当に、そう思ったんだ。」
「・・・・・」
「まあ、起きててもしょうがないからさ、そろそろ、寝ない?」
「昨日も、特に何もせずに寝ちゃいましたよね。私たち。」
「と言っても、こう暗いと無闇に歩くのは危ないよ?」
「良いじゃないですか。探検っぽくって。」
そう言って、アスカさんは鞄から自慢気にライトを取り出した。
「私、友達と探検ゴッコ、してみたかったんですよ。」
「・・・じゃあ、どっか行こうか。」
それから、僕らは歩き出した。
探検、とは言ったものの、遠くに行きすぎて帰れなくなるのも困りものなので、近所の学校に行って帰るくらいにした。
「なんか、あの、帰りません?アスカさん?」
「え?なんでですかっ。」
なんだか、ホラゲーの世界に入ったみたいだ。。。
しかも、アスカさん張り切ってるし。。。
「学校って、ここのことですか?」
おかしいな。
一応、母校のハズなのに、すごく入りたくない・・・
「あのさ、悪いこと言わないからさ、帰ろう?ね?」
「ここまで来たんですし、探検しましょうよ。」
たまには、こういうのも悪くないと自分を言い聞かせ、夜の学校に忍び込んだ。
見たところ、この異常事態。警備員などは居なかった。
「あっちって、理科室ですか?なにか出そうです!」
「何かってなに!?」
アスカさん、ホラーとか好きなのか、物凄くはしゃいでいた。
僕は正直その、ホラーとかは苦手で、物凄く情けないことになっていた。
まあ、はしゃいでいるアスカさんに手を引かれていたのは、黙っておこうかな。
熱くなった顔が見られていないとしたら、ちょっとだけ、この暗闇に感謝した。
そして、散々怯えきって疲れきったあとに、ベンチの場所に戻ってきた。
「うぅ。。。疲れた。。。」
「今日は、わがままに付き合って貰っちゃって、ありがとうございました。」
「・・・まあ、たまには、悪くないよ。」
「楽しそうな、アスカさんが見れたしね。」
「え?」
顔が赤くなったように見えたが、暗くて、よく見えなかった。
「トーヤくんって、結構サラッとそう言うこと言いますよね。・・・ズルいです。」
「ん?何が?」
「なんでもないです。」
はぐらかされてしまった。
そして、疲れたのか、すぐに彼女は寝てしまった。
肩に寄っ掛かってきたけど、暖かいし、良いかな。
今日は、もしかしたら、良い意味で日常を忘れることが出来たかもしれない。
こんな時に不謹慎かもしれないけど、楽しかった。
僕も、疲れているからか、それ以上は考えず、すぐに寝た。
そして、僕らが出会って、六日目が訪れた。
ーこの日、人類は、希望を失った。ー
連日の異常事態で、ついに、終末思想を持つ人々が破壊行動を始めた。
「もう、世界は終わりだ。」と、口々に叫びながら。
そして、彼らの行動を見て、今まで耐えてきた人たちもついに希望を投げ出し、根拠のある、世界滅亡説をほとんどの人が信じるようになった。
もう、人々は希望なんて信じなくなった。
不安による破壊はさらなる不安を伝染させ、それはやがて世界中に広がった。
今日は、アスカさんの方が先に目を覚ましたようだ。
目が覚めたときは、もう、起きていたからだ。
「トーヤくん、起きてください。。。」
「ん・・・。おはよ。」
そして、目の前の光景に目を疑った。
この光景を一言で言うなら、『地獄絵図』というのが相応しいかもしれない。
暗くてもよくわかる。
街のあらゆる所から煙が上がっていた。
炎が広がる場所もあった。
その炎に照らされ、建物が崩れているのも見えた。
久しぶりに街から賑やかな声が聞こえたけど、良い賑やかさじゃないだなんて一目で解った。
「ひどい・・・」
生まれ育った街が、崩壊していく様を眺めるのは苦痛だった。
しかし、ここから出てしまうと、僕らもあのなかに巻き込まれてしまうかもしれない。
ふと、僕の手に、冷たいものが触れた。
アスカさんの手だと気がつくのに少し間があった。
アスカさんの指が僕の手を掴む。
僕も、細い指に指を絡めた。
しばらくして、彼女が震えているのに気が付いた。
そりゃあ、怖いよな。
本当に、終わりを見てるみたいだ。
「怖がらないで。僕はここにいるからさ。」
「・・・はい。」
ちょっとでも、彼女の恐怖を和らげることができたら良いな。
なんて、そんなことを思ってた。
「よくよく考えたらさ、僕、女の子と手を繋ぐのは初めてかも。」
「う・・・意識させるようなこと言わないでください。」
「ごめんね。でも、悪い気はしないよ。」
「・・・されたらショックですよ。」
「うん。」
しばらくの沈黙のあと、とても小さな声で、彼女の声が聞こえた。
「でも、・・・・・・ありが、とう。」
やっと、丁寧語をやめてくれた。
「無理しなくて良いんだよ。」
「してないから。大丈夫。」
「そっか。ありがとう。なんか、嬉しいや。」
「このまま、世界が終わってくれれば良いのに。」
「え?」
「なんでもないよ。」
でも、まあ、彼女の言うように、このまま、世界が終わるのも悪くないのかもしれないな。
この暗闇は、いろんなことを曖昧にしてしまえるから。
「でも、僕は、、、うん。」
「どうしたの?」
「いや、幸せって、こういうことかなって。」
「だから、そういう発言はやめてって。恥ずかしいから。。。」
「なんかね、この状況だからかもしれないけど、思ったことは言っておかないと、後悔するかもって。」
「じゃあ。私は、後悔するかも。」
「なんだよそれ。僕には言いたいこと全部言って良いんだよ。」
「もし、もしも、本当に世界が滅びそうになったら、言います。それまで、それまでは、待っててください。」
「また、丁寧語じゃん。わかった。じゃあ、それまで待つよ。時間の問題かもしれないしね。」
「もう、寝ようか。くっついていれば、寒くないよね。」
「昨日も、くっついてたよ。」
「・・・尚更。問題ない、よね?」
もう、昼夜の区別がつかないから。
僕らは寝ることにした。
この、出会ってまだ六日目の関係を、なんと呼べば良いのだろう?
友達というには近すぎるような気がする。
でも、恋人というには、
ちょっと、くすぐったい。
そんな、微妙な関係かな。
でも、そんな関係が僕には心地よかった。
僕らが出会って七日目。
ーこの日、僕らは、世界を失った。ー
大きな、地震があった。
僕は、大きな揺れで目を覚ました。
「アスカさん!起きて!」
「え?」
「地震だ。かなり大きい。」
「本当に、滅びちゃうかも。世界が。」
「・・・そうかも、ね。」
街の方からは、悲鳴が聞こえる。
昨日散々壊された建物は、もはや人間を押し潰す凶器でしかなくなったのだろうか。
揺れは弱くなった。
アスカさんは、そうだ、と言うようにこう提案した。
「これから、歌を、聴きたがってた、歌を歌うよ。」
「うん。わかった。」
「それでね、もし、明日が来そうな気がしたら、私は昨日、もったいぶっちゃったことを話そうと思う。」
そして、彼女は大きく息を吸い込み、歌い出した。
「もしも明日、この世界が滅びるなら、私は 何を望むだろう?」
決して、完璧とは言えないけど、僕は、この歌が、やっぱり好きだと思った。
「この 夜空に 見えない光たちは 人達が 消してって 見えなくなった星たち」
歌ってる間にも、ときどき、余震が来た。
その都度、周囲の木は軋み、丘はくずれそうになった。
でも。歌を中断することはなかった。
そして、彼女の、おそらく、最後になるであろうコンサートは終了した。
「良かった。うん。聴かせてくれて、ありがとう。」
「・・・」
彼女は、しばらく黙ってた。
でも、意を決したようにこっちを向いて、口を開いた。
「私、トーヤくんと・・・」
そのとき、大きな揺れが来た。
もしかしたら、これが本震かもしれない。
もしかしたら、これが世界の崩壊かもしれないと思えるほど、大きな揺れ。
街からはたくさんの悲鳴が聞こえる。
木の倒れる音が聞こえる。
でも、目の前の少女は、そのまま続けた。
「トーヤくんと出会えて、良かった。その、まだ、一週間もたってないけど、すごい、大切な時間だった。」
「それに、あんなに弱音を吐いたのも初めてだったし、それを受け止めてもらえたのも、とっても嬉しかった。」
そんな、僕、そんなに立派なことはしてないよ。
「だから、正直、もっと、長く自由な身体でいたくなったし、私が普通じゃないことをもっと恨んだりもした。」
「それで、困らせちゃうと思って、言えなかった。」
顔が熱くなるのを感じた。
「ううん。逃げてたんだと思う。その、ぜんぜん、君のことは知らないし、いろいろと言い訳をして、病気のことみたいに、目を背けてたのかもしれない。」
僕は、黙って、彼女の話を聞いていた。
「でも、やっぱり、今しか言えない気がするから。。。」
「その、私、透弥君が・・・」
そのとき、メキメキと周囲にある木がどんどん折れていった。
暗闇だから、気がつかなかったけど。
きっと、逃げ場がなくなってるんだと思う。
「・・・好き、だよ。」
でも、絶望的な周囲の状況とは裏腹に、僕の顔はきっと、目の前の少女と同じように、真っ赤に染まってると思う。
やっとの思いで、僕は、声を絞り出した。
「僕も・・・彩咲歌さんのことが、好きだ。」
僕は、彼女の細い身体を、抱き締めた。
ベタかもしれないけど、この瞬間しか、ないと思った。
そして、僕らの上に、大きな黒い影がのし掛かった。
僕らの世界終了までに、どうやら、僕らの想いは、届いたみたいだった。
この日、"僕らの世界"は、唐突に、終わりを告げた。
日常を求めた少女と、日常を嫌った少年。