ここで過ごしていて、わかったことがある。
この部屋には男が使う扉以外ないということ。
その扉は内側から開ける術はないということ。
食事は隅にある箱の中に補充されていくということ。
俺の身体は、部位を失っても生えてくるということ。
人間は、苦痛に慣れることが出来るということ。
白衣の男は、死者蘇生の研究をしていること。
その名前は、サトミだということ。
そして、ティナは、
昼も夜もない。
そんな白い部屋で生活して、どのくらいが経ったのだろうか。便宜上、"研究"の始まりを朝、その途中を昼、終わった後を夜と、俺は判断することにした。
最近は昼に妙な薬を投与されることが多く、吐き気が酷い。
「大丈夫。心配しなくていいよ。」
無理やりパックの中身を胃に押し込めて、少女の頭を撫でる。少女は不安そうに俺の顔を覗き込むが、それを笑って誤魔化した。
彼女にこんなにも強がる必要なんて無いのかもしれない。それでも、どうしてか強がってしまった。
「・・・。」
この少女の考えていることは、よくわからない。
表情が豊かな分、その後ろに隠れているものが解らない。ただ、少なくとも嫌われてはいないと、そう思いたかった。
「・・・ティナ。」
名前を、呼んでみた。
ベッドの上で、うつらうつらとしていた彼女は、ぱっとこちらの方を向いた。そんなに長い付き合いではないかもしれないし、もしかしたら出会って長いのかもしれない。ただ、俺の今の世界の、この地獄の、唯一の癒しで、依存の対象だった。
「お前、さ。親とかって、何処にいる?・・・俺は、外に、居るんだろうけどさ。」
「・・・?」
彼女は首をかしげた。
「ああ、外がわからないのか。。。えっとな、壁も、天井もなくって、すごく広い場所のことなんだけども。」
彼女は、もしかしたら、生まれた頃から、ずっとここにいるのかもしれない。あの男が、創り出した、そんな存在なのかもしれない。しかしそんなことは俺にはどうでも良かった。
「・・・そうだな。まあ、いつか、うん。約束できないけど、見せてあげられたら。」
彼女は、俺が話している間は、ずっと俺の方を向いて、その言葉に耳を傾けてくれる。それがとても心地好い。
「それでさ、俺の家族は、すごく、平凡に、まあ、父さんと二人暮らしでさ。俺の身体は、こんなんだからさ、気味悪がって母さんは出ていって。それでもまあ、幸せだったなぁ。」
それがあまりにも心地好くって、余計なことまでついつい話してしまう。
「・・・。」
彼女の指が、俺の顔に触れた。
自分が涙を流していることに気が付く。
不思議なもので、涙を自覚すると余計に涙が溢れて、いつの間にか、しゃくり挙げていた。
「いやっ、ご、ごめん。」
俺は少し恥ずかしくなって、顔を背けた。
涙を拭おうとすると、ティナが抱き付いてきた。細い腕が、弱々しい身体が、俺を包もうとした。背中から、彼女の体温が伝わってきた。薄い布越しに伝わってくる心音が、段々と速くなってくる。
それを意識したからか、俺の心音も随分と速くなって、音が混ざって、その音に身を任せて、今日は眠りについた。他に人がいないと、曖昧でも咎める者がいない。
その曖昧さが、とても幸せなことに思えた。
久し振りに、夢を見た。
なんだか遠くて、ささやかな夢だった。
皆が俺に話し掛けてくれる。でも、何故だか解らないが、その声が聞こえなかった。何を言っているのかは理解できるのに、それが聞こえなかった。顔が思い出せて、名前が思い出せるのに、声だけが、どうしても、思い出せなかった。
もう戻ることはないのだろうと、妙な予感がある夢で、夢の中で懐かしくて、途端に寂しくなって、目を背けてしまった。
目が覚めると、どうやら、床に踞るような形で寝てしまっていたことに気が付く。背中には、ティナが寄り掛かっていて、起こそうか、少しだけ迷った。
「起きたか?」
急に、部屋のドアが開いた。
このドアが開けられたのは初めて見た。
「・・・付いて来い。」
男が、俺を招いた。
「・・・。」
疑りながらも立ち上がり、男の方へと歩く。
俺が離れると、ティナも起きて、付いてきた。
初めて、この場所の、廊下を歩いた。
「・・・随分と、そいつになつかれてるんだな。」
「・・・まあ。」
男は、早足で、白い廊下を歩いていく。その後ろを、ただ付いていくと、いつもの部屋についた。
「今まで、ありがとう。君には世話になったよ。」
男は、こちらを見ることもせずに部屋の中心へと歩いていく。
「特別に、見せてあげるよ。私の
男は、いつもの端末を取り出して、それを操作した。思わず力んでしまったが、首輪からはなにも来なかった。
その代わり、男の後ろで、大きな音がして、カプセルのような、宛ら、映画のような機械が出てきた。
「・・・待っててくれ。サトミ。」
その機械に男が触れると、透明な液体の中に、保存された、と言うのが正しいのか。人間の、脳があった。
「これはね、君の、血から作った薬だよ。」
男の手には、赤黒い液体の入った、試験管が握られていた。それを、彼が機械に入れ、何かを操作する。
カプセルの中の液体が赤く染まって、脳を中心に、肉が付いていった。
「嗚呼、ああ・・・!」
男が涙を流した。
その肉塊が、次第に、人の形を創っていく。
男の目的が、叶えられようとしている瞬間なのだろう。しかし、俺には、微塵たりとも、何の感情も湧かなかった。怒りも、恐怖も、感動も、驚くほど、興味が湧かなかった。
「見ろ・・・!これが悲願だ・・・!」
男は、少女の方を見て、興奮を押さえきれない声で、こういった。
「失敗作。いや、Tー17。見ろ。彼女が、お前のオリジナルだ。」
顔だと認識できる部分に、皮膚がついていく。その顔は、齢さえ違えど、ティナと瓜二つの、美しい女性だった。
「・・・。」
「まあいい。」
怯えたように俯くティナに呆れたように、彼は溜め息をついた。そして、ポケットから端末を取り出して、俺とティナの首輪のロックを外した。
「もう、これは必要ないな。お前たちの役目は終わった。・・・明日にも、彼女は蘇る。」
首輪を触ると、それは音を立てて床に落ちた。
ずっとあった重さが消え、妙な解放感を感じた。
「・・・。」
「今、外してやるから。」
ティナは自分で首輪を外すという行為をしなかったので、代わりに俺が外してやった。首輪が外れても、ティナは何のリアクションも持たなかった。
「今日はもう、部屋に戻れ。」
俺は、ティナを連れて、あの白い部屋へと戻って行った。あの女性が蘇ろうと知ったことではないが、俺の聞き間違えでなければ、俺たちがもうここにいる必要もなければ、俺が苦痛を受ける必要もないということだ。
こんな場所、自由の身になったらすぐにでも出ていきたいと思っていたのに、不思議と、廊下を素直に歩いて部屋のドアを開けた。ドアノブというものに、随分と久しぶりに触れた気がした。
部屋に戻ると、ティナが震えていることに気が付いた。
俺が触れようとすると、彼女はびくりと身体を強張らせて、怯えのある目で、こちらを見た。
「・・・・・・・。」
ティナは、初めに出会ったときのように、部屋の隅で蹲ってしまった。しかし、その身体は、カタカタと震えている。
「ティナ・・・」
彼女の名前を呼ぶと、彼女は、ゆっくりと顔を上げて、こちらを見た。その瞳は、涙で濡れていた。
俺はそっと近づいて、彼女の頭を撫でた。
彼女の髪が手に触れる。少しくすぐったいが、優しく、彼女の頭を撫でる。
あのとき、俺の頭を撫でてくれたとき、この少女は、どんな気持ちだったのだろうか。
何に恐怖しているかは分からないが、それは、自分はあの女性のクローンだと、実感したせいなのか。あれが、彼女の、ティナのオリジナルなのだろうか。
「お前は、お前だよ。俺が名付けた、ティナだ。」
この言葉はどの程度、俺のエゴなのだろう。
たとえ、この言葉がより一層、彼女を傷付けることになったのだとしても、その言葉を、俺は口にしたかった。
彼女は、相変わらず、何も話さない。
どのくらい時間が経っただろうか。
「・・・・・。」
彼女が何かを言いたげに、口を開いたような気がした。でも、彼女は声を発することはなく、口を閉じて、微笑んだ。
そして、俺の手を引いて、あまり広くないベッドに寝転んだ。
「・・・そうだな。もう、寝よう。」
俺はベッドに腰掛けていたが、いつの間にか、横になって眠ってしまっていた。
何もついていない首元のせいか、少し、安らかに眠れたような気がした。
しかし、目が覚めると、また、俺は昼の部屋で、拘束されていた。昨日の出来事は夢だったのかと錯覚してしまったが、目隠しをされていないこと、首輪がないこと、全身にあった拘束が腕しかないこと、そして何より、目の前のカプセルがそうではないということを証明していた。
「・・・俺の役目は終わったんじゃなかったのか?」
不思議と頭は冷静で、落ち着いた声が出た。
「その予定だったんだけどね。薬が足りなかったんだ。また、作らないといけない。」
白衣の男は注射器を取り出して、俺の腕に突き立てた。
「大丈夫。血を貰うだけだ。」
雑に刺されたというのに、痛みの信号はとても微弱に思えた。カプセルの方を見ると、まだ、その女性の身体には四肢が無かった。
血を抜かれ、少しぼーっとした頭で、男のことを眺める。薬はすぐに完成して、男は昨日のように、機械に入れ、またカプセルの中の液体は赤く染まった。
しかし、一向に、その四肢が生えてくることはなかった。
「何故だ!!何故再生しない!!!」
必死の形相で叫ぶ男を、憐れみ半分、気味の悪さ半分で見ていると、男は、顔を上げ、呟いた。
「・・・そうか。足りないんだな。」
また血を抜かれるのか。そう思ったが、彼は俺の方を向かなかった。
「何処に、行くんだ?」
嫌な予感がした。
「Tー17を生かしておいて正解だった。」
男は、大きな、鉈を拾い上げた。
恐らく、俺の四肢を、何度も切り落としたそれだろう。
「・・・アイツに、何をするつもりだ。」
自分でも驚くほど、低い声が漏れた。
男はこちらを向いて、その口角を、最初に俺を伐りつけたときのように、狂った笑みを浮かべた。
「殺しはしないさ。」
この男を止めなければ。
思考も直感も、そう告げていた。
動こうとするが拘束されている手首がそれを許さなかった。動こうともがいて、自分が拘束されているのは壁だと気が付いた。
「ただ、四肢を落とすだけだ。」
「お前・・・!」
感情に火が着く。それでも、頭は冷静に、どうすれば抜け出せるのかを考えていた。
まだ、考えていられた。
「君はただ見ているだけで良いんだ。私の邪魔をするな。」
思いっきり腕を引き抜こうとしたが、手がつっかえて無理だった。手を切り落とそうにも、そもそもの両手が使えないのでは無理だ。
そうしている間にも、男は廊下へと歩いていこうとする。
「待てよ・・・!!」
怒りが焦りに変わっていく。
「あの失敗作が死んだところで、あんなクローン、代わりなどいくらでも作れる。」
その言葉を聞いたとき、脳裏に浮かんだのは、昨日の少女の、震えた姿だった。
何処から、こんな力が出たのかは解らない。頭に血が昇って、今までの、この男に対する怒りだとか憎しみだとかを全てを超えるほどの熱い、そしてどす黒い感情が沸き上がり、脳を支配した。
「っぐぁぁぁぁ!!!」
何度か味わった、手首の激痛で我に帰った。
見ると、そこに手はなかった。
それでもそんなことは気にも留めなかった。この男が散々に教えてくれた。俺の体質の異様さを。
「待てって、言ってんだろっ!!!」
最初の頃は何度祈っていたか。男の背中へと飛び付き、その顔面を殴り付けた。まだ再生しきっていない拳から血と肉が弾け飛ぶ。
「邪魔をするな!!」
再生した手で、男を組伏せる。
暴れた男の鉈が、肩にざっくりと刺さった。
しかしそんな痛みでは、呻き声も出なかった。
「俺を、殺してみろよ。」
鉈を抜くこともせず、男を脅す。
恐らく、爆弾で全身を一度に吹き飛ばされない限り俺を殺すことは無理だろう。この男のお陰で、それほどのことを思えるようになった。
「ティナに手を出すのはそれからだ。」
しかし、男は、嘲笑の笑みを浮かべた。
「・・・あの
「その言い方が気に入らねぇんだよ。」
こいつは、彼女のことを
それが、許せないというのは、俺のエゴだ。
「アレは、彼女の記憶どころか、言葉すら持っていない。それを失敗と呼ばずになんと呼ぶ?」
「・・・もういい。」
俺は、今、とあることを思い出した。
「そういえば、
肩に刺さっていた鉈を、引き抜く。
その傷は、また、すぐに消えた。
「アンタに、あまりにも斬られ過ぎたから、忘れてたよ。人は脆いんだ。」
俺は、鉈を振り上げた。
しかし、その瞬間、世界が揺れた。
「っ!?」
この場所が、音を立てて軋んだ。
バキバキと、嫌な音がした。天井が崩れた音だった。
「どけッ!!」
男が俺を突き飛ばした。
恐ろしい力だった。
「サトミ・・・!」
男は、揺れるカプセルに縋った。
崩れ落ちる天井が、そのカプセルに亀裂を入れる。
上を見上げると、どす黒く、星のひとつも見えない、月すらも見えない空が覗いた。久し振りに、見上げた空だった。
世界が、滅びてしまいそうな、不吉な空だった。
その不吉な予感は、すぐに、最悪の形で俺に襲いかかった。
それは、炎という形だった。
電気がショートしたのか、爆音が聞こえて、部屋が炎に包まれた。
「何が・・・。」
まるで、地獄のように思えた。
煙の臭いが空に吹き抜けていった。
温度差のせいか、カプセルが割れ、それを満たしていた液体が溢れた。その液体は、可燃性があったのか、炎がそれに飛び付いた。
液体は、床を広がっていく。
炎の舌は、絶望的な速さで廊下を駆け抜けていく。
「ティナ・・・!」
彼女の身が、炎に焼かれたら。
それを俺は、真っ先に想像してしまった。
俺は考えるよりも先に駆け出していた。
揺れは、気がついたら収まっていた。
気がつかずに炎を踏みつけ、足の裏が焦げた。
「ティナ!おい!!」
ドアノブを掴む。
それは、あまりにも熱く、焼けていた。
「ぅあ・・・!」
それでも、無理に手を握り、ドアノブを回した。
手が焦げ付いて、皮膚が剥がれた。
その傷も、すぐに消えた。
「ティナ!!」
部屋の中には、ティナが踞っていた。
部屋の中の熱気は、ほとんど廊下と代わりはなかった。
「・・・・!」
言葉を持たない少女は、廊下の炎を見て、怯えたように身をすくませる。
「大丈夫だ。」
崩れた天井から、外に出れるかもしれない。
その希望は、廊下の方を見たときに、潰えた。
想像していたのよりも、ずっと、炎の勢いが強くなっていた。俺なら、もしかしたら、駆け抜けられる。
でも、彼女には、それは不可能だった。
普通の人間は、あまりにも、脆い。
「クソッ!」
駄目だ。考えろ。考えろ。何かあるはずだ。
普段は嫌というほど冷静に動く頭が、彼女が絡むと何故かパニックを起こす。
そのとき、また、大きな地震が来た。
それはあまりにも大きくて、すぐに、揺れだと認識することができなかった。
「・・・!」
廊下から轟音が聞こえる。炎の腹の中にある瓦礫が部屋の出入り口を塞いだ。
続いて、なんとか保っていた、天井が、俺達の上に落ちてきた。咄嗟に、ティナに覆い被さる。
「・・・今日ばかりは、この体質に、感謝しないと、か。」
俺の背中で、ボキボキと嫌な音が鳴った。
彼女の驚いた顔に、赤い血が滴った。
脚と腕が、支えなくてはならない重さに悲鳴をあげる。
それを歯を食い縛って、抑えつけた。
俺の足を、遂に炎の舌が捕らえた。
足の痛覚は次第になくなり、苦痛は足首まで移っていく。恐らくは足は炭になったのだろう。
・・・そういえば、全身が焼けた場合、俺はどうなるのだろうか。
火が消えなければ、このまま、炭になるのか。
「あー・・・やべえな。」
瓦礫の崩れる音に、俺の呟きは掻き消された。
もう、膝の辺りまでほとんど感覚がなくなってしまった。姿勢が崩れ、ティナとすれすれまで近付く。
「・・・・。」
ティナは唇を動かした。
それでも、何の音も、その口からは出てこない。
懸命に口を動かす彼女の瞳から、涙が零れる。
少女の手が、俺の頬に触れた。
ティナの細い手を伝って、赤黒い血が流れていく。
「・・・ごめんな。。。」
瓦礫が崩れ、俺の脚を踏み潰した。
血が飛び散って、少女の服の裾に赤く滲んだ。
「ごめん。ティナ。。。」
俺は、いっそ、諦めてしまおうと思った。
彼女と共に、死のうと思った。
すっと、冷たい風が、熱風を払った。
脚を捕らえていた灼熱が、瓦礫に踏み潰されて消えた。
凍てつくような風に吹かれて、今は冬だということを思い出した。
背中に乗っていた重みが崩れ落ちた。
力尽きた身体が、少女の上に崩れた。
あの、終焉りのような空が見えた。
そこで、俺は意識を失った。
冷たい、終焉りのような空の下。
俺は焦げ臭いシーツの上で、目を覚ました。
「・・・んっ。」
起き上がろうとして、やめた。
少女の腕が、俺の首に回されていた。
彼女の寝息がくすぐったいほど、顔の距離が近かった。
「・・・助かった。のか。。。」
脚を動かそうとして、彼女の脚に触れた。
どうやら、互いに無事なことを確認して、俺は彼女の身体に腕を回した。
その体温は暖かくて、それを独占していることが、とても幸せに感じられた。
「・・・ティナ。」
名前を呼ぶと、少女のまぶたが、ゆっくりと開いた。
少し寝惚けているのか、彼女は微笑んだ。
「・・・・。」
彼女は、口を何度か動かした。
その、唇から、とても、小さな声が漏れた。
「・・・シュウマ。」
その表情は、とても、愛しかった。
Their stories begin...