第1話『畜生、大地に立つ』
――拝啓、どこかで見ているかもしれない神様へ。
確かに私は、偉大な功績は残していないと思います。
普通に生まれて、普通に大人になって、普通に働いて。
学校行事やら初めてお酒を飲んだ時の悲劇やら上司との真っ向喧嘩やらはありましたが、その辺はまあ細かいイベントということで省略するとして。
大きなプラス要素はないものの、大きなマイナス要素もなかった人生だと思っています。
……いやまさかとは思いますが、『事故で死んだ=両親より先に死んだ』判定で地獄行きとかそういうことですか?
いやだからと言って、だからと言ってさぁ――――
「いいぞ、頑張れ!」
「もう少し、もう少しだ!」
「おぉ~立った、立ったぞ!……って、うわぁッ!?」
「ブルル……(執行猶予なしの畜生道はねぇでしょうよ……?)」
白く掠れた視界の中。妙に顔に風を感じながらそんなことを心の中で呟いたのはしょうがないと思うんだ、うん。
(まぁ懐かしい夢を……と言っても、まだ2ヶ月くらいしかたってないわけだが)
微睡みから覚め、周囲を見渡して現実を再確認する。
自分がいる建物は木造で、扉や窓なんてものは存在していない。自分たちがいても余裕がある程度には広いが床には藁が敷き詰められており、明らかに人間が住む環境ではないだろう。また目を覚ました瞬間の視界は若干高く、立ったまま寝ていたことがわかる。
人間ならば異常事態だ。だが、今の自分にとっては異常ではなく正常であることを理解してしまっている。
(あ~慣れねえ、この視界の広さはいつまでたっても慣れねえ……)
「(おはよう、また立ったまま寝てたわよ?)」
「(おはよう母さん。なんでだろうね? 別に不安な訳じゃないんだけどなぁ……)」
まあ嘘なんですけど。正直バレている気もするのだがそう返しつつ、広がった視界で改めて自分の体を見る。
端的に表すと大きな布一枚を被っており、そこから伸びる
――まぁ長くなってしまったが、簡潔に今の状況を説明しよう。
私は享年2×歳の一般男性社会人!
哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属の家畜動物、つまりは馬になってしまいました!!
……うん、なんでこうなってしまったのかは全然わからん。それに現実逃避を続けたい所だが、生憎とそれやってる暇あったら未来のこと考えなきゃならないのが現実である。
何故かって? 周りを見てみなさい、明らかな人工物の中で過ごしている馬だぞ?
どう考えてもサラブレッド、つまりは未来の競走馬である。
……まずい。何がまずいって、このままダラダラ現実逃避を続けていると桜肉コース一直線なのだ、それだけは避けたい。
かと言って生まれたばかりの今、何をすればいいのかもわからん。とまぁ生まれた当初からどうしたものかとず~っと考えていたのだが、そしたら1か月もしないうちに熱だしてぶっ倒れてしまったのだ。
いや、まさか知恵熱が出るほど考えちゃうとは私もビックリした。一先ずそこで深く考えることはやめ、外に出た時はできるだけ運動し続けようくらいに収めているけど。
如何せん知識がない。精々2~3か月に始まった競馬モチーフのソシャゲにどっぷりハマっていたぐらいで、その派生でリアルの競馬も春にちょっと見た程度なのだ。何をすれば効果的なのかも全く分からないのである。
「(何をぶつぶつ言ってるの?)」
「(立って寝たせいかおなかがすいたんだよ。まだ外に出れないのかな?)」
「(なら大丈夫ね、そろそろ来るわ)」
あとさっきから話しているのは今世のマイマザーである。私と同じく脚は黒毛だが、それ以外は暗めの赤褐色だ。にしても自分の子供が生まれて一か月程度でしゃべっていることに対して全然動揺しないな、器でかすぎか?
「(本当?……本当だ、おっす伊藤さん)」
「はい、おはよう。相変わらず朝から元気だね」
噂をすれば、という奴だろうか。入口から男性が入ってくるのが見えたので、馬房の中から軽く嘶いて挨拶をする。それに対して返事をした中年の男性――私達の世話をしてくれている伊藤は、通路側の柵を外しながら声をかけてきた。
「(怯えてビクビクしてるよかいいだろ? とりあえず撫でれ)」
「おーよしよし、本当に人懐っこいなぁお前は」
鼻先をズイッと近づけるとすぐに意図を汲んでくれ、鼻や額を撫でられる。ちょうどいい力加減で、これがまた気持ちいいのだ。
……あ、成人男性のプライドはどこに行ったのかって? んなもん、母乳飲む時にすべて捨て去ったよ。
「(そろそろ出してもらえる?)」
「よしよし……おっと、悪いなオニロ。それじゃクロちゃん、君も行こうか」
「(あいよー)」
マイマザーにせっつかれ、原園さんが最後の柵を外す。そして私達は連れられ、外に向かって歩き出した。
どうなるかわからんが確か現役は2歳からだったはず。ボーッとしてたら2年なんぞあっという間に過ぎ去ってしまうので、できる限りのことはしていこう。
今世の目標、それは一定以上の成績を出して悠々自適な引退馬生活を過ごすことだ。俺自身の才能なんぞわからんので、やれるだけやっておかないとな。
そんなことを考えつつ、今日も今日とてマイマザーと外で戯れるために歩き出しましたとさ。
「クロちゃん、相変わらず日光が反射してキラキラしてますねー」
「栗毛もいいけど、黒い毛も厳かな感じがして好きなんだよな。両親に似て美人さんだし、婿さん選びには困らなさそうだ」
「何言ってんすか伊藤さん、気が早いですって」
ん、今『婿』選びって言った?
へー。そういや気にしてなかったけど、私って牝馬だったんだ。気にする余裕もなかったから今初めて知ったわ。
……え、ちょっと待って。
牝馬?
つまり女の子?
つまり種付けされる側?
――――なんてこったい!!??
「やぁ、おはよう」
「羽佐間オーナー! おはようございます、こんな時間に来るのは珍しいですね?」
「ちょうど近くで仕事があってね。……それよりどうかな、オニロの子は?」
「お産からエライ目に会いましたけど、元気いっぱいですよ。今日も外で走り回ってます」
見に行かれます? そう聞かれて予定を確認すると、軽く覗くだけなら問題なさそうだ。
そう判断した男性――羽佐間は提案を承諾し、牧場スタッフの男性と建物を出る。そのまま道中歩きつつ、例の仔馬についての話を聞く。
「それで、改めてどうですか千明さん? 今は健康であることは知っているんだけど……」
「そうですね……。クロちゃん――綺麗な黒い毛なもんで私たちがそう呼んでるんですけど、彼女は色々と珍しいんです」
「と言うと?」
「妙に人懐っこいんですよね、かといって馬嫌いという訳でもない。私達にも興味津々という訳でもなく、一緒にいて当たり前のような感覚で接してくるんです」
「人慣れ、か……。有難い事ですが、まさか皆がオニロの代わりに世話を?」
「まさか。初子だというのに怯えることなく、オニロは育児をしていますよ」
それを聞いてホッとする。
たまにだが育児放棄をした繁殖牝馬の話は聞くので少し構えてしまったが、そこは流石の愛馬だ。
「それはよかった。……と、あそこにいるのが?」
「えぇ、ここからでもよく見えるでしょう?」
その言葉にうなずきつつ、放牧地際に立つ。その視線の先には、母馬――『フォールンオニロ』と一緒に駆け回る小さな暫定黒鹿毛の仔馬が見えていた。
「ああしてオニロに構ってもらえる時は一緒に走り回って、そうじゃない時は一人で動き回っているんです。走ること自体好きそうですし、きっと走ると思いますよ」
「まだ
「ハハハ……いえ、そんなことはないと思いますよ。なにせ――」
苦笑しつつそう返すスタッフの男性はそう言いながら仔馬を眺め、目を細める。その瞳に映る景色には、きっとどこかの何かが重なって見えてるのだろう。
そしてその気持ちは自分も同じだ。先代の父、その初所有馬から繋げてきた牝系であり、引き継いで開業した初年度に生まれてきた『フォールンオニロ』。
特別愛着のある子の初めての産駒ともあり、運や縁も重なったとは言えここまで特大の大博打に打って出たのだから。
「……あぁ。父親は偉大なる演出家である三冠馬『ミスターシービー』だ。期待していないなんて言ったら、大噓つきになってしまうよ」
――ヒヒィィィィン!!??
青毛の仔馬は大きく嘶き、前両脚を上げた。
……想いが伝わったということにしておこう、そうしよう。
今回のメモ
●主人公の血統について(第1回)
・父:ミスターシービー
…実在馬。言わずと知れた史上2頭目の三冠馬。
・母:フォールンオニロ
…架空馬。5年間現役を過ごし、主にオープン戦で活躍。G3にも一度出走したが、掲示板入りが精一杯だった。
➡いいから5代血統票を見せろという方向け(ガチのネタバレ注意)
【挿絵表示】
●羽佐間大樹(架空人物)
主人公が生まれた生産牧場を所有している馬主であり、冠名は『フォールン』。事情あって引退した父親から引き継ぎ、87年に開業。その年に主人公の母であるフォールンオニロが生まれる。
※当初はテンプレ的にも新人馬主にしようかと思ったが、当時のミスターシービーの種付け料を見て無理だと判断し設定変更。高すぎて笑っちゃった。
≪次回のあらすじ≫
①主人公、母離れ+人慣れ開始?
↓
②主人公、幼馴染?と戯れる
↓
③1年後、いざ育成牧場へ。そこで???と出会う。