キセキ   作:白井イヴ

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君がいた輝石(後編)

ヒカルに案内され、電車を乗り継いだアキラが到着した先は、一軒の民家の前だった。今時少なくなった、昭和の古い佇まいが残る家。

その家に掲げられた表札を見て、アキラは問う。

 

「『進藤』?……ここがキミの家なのか?」

 

「違げーよ、ここはオレのじーちゃん家。オレん家ここまで古くねーし。……お~い、じーちゃん来たぜー」

 

そう言うとヒカルは、勝手知ったる場所とばかりに、呼び鈴も鳴らさず、ずんずんと縁側のある庭の方へと歩いていく。

いくら祖父の家とはいえ、無礼にも程があるのではとアキラも思ったが、相手はあの進藤ヒカルだと思うと、軽く首を振って諦め、黙ってついていくことにした。

 

「おぉ、ヒカル。今年も来たか」

 

縁側に姿を現した老人が、ヒカルの祖父なのだろうとアキラは察する。アキラに視線を移し、老人は口を開く。

 

「今年は“一人”じゃないんじゃな?」

 

その言葉から、ヒカルは祖父にすらアキラの来訪を伝えてなかったことを悟る。

半ば勝手に連れてこられたとはいえ、自分からも一言謝るべきだろうと判断して、アキラは口を開いた。

 

「唐突な訪問、お詫び申し上げます。ボクは進藤くんと同じプロ棋士の、塔矢アキラと申します。本日は――」

 

「塔矢、アキラって……」

 

アキラの名を聞いて、固まってしまったらしいヒカルの祖父。

ヒカルの祖父――平八は、驚きから立ち直ると、慌てた口調で孫であるヒカルを問い詰めた。

 

「と、塔矢アキラって、あ、あの去年最年少で名人位を獲得した!?引退された塔矢元・名人の息子さんか!?」

 

「そうだよ。っていうか、一昨日のも、これまでの北斗杯でも、オレと一緒に出てたから顔知ってるだろ?」

 

「いや、確かに知ってはいるが……何故、その塔矢現・名人がこんなところに?」

 

直後、何かを閃いたらしく、平八はポンと平手を打つ。

 

「ま、まさか先生が直々に、ワシに指導碁を打ってくれるとでもいうのか!」

 

「違げーよ!オレがコイツを連れてきたのは、別の用事。じーちゃん、そんなに指導碁打って欲しいなら、オレが後で打ってやるって」

 

そういうと、ヒカルは祖父に背を向け、庭の片隅に建っている蔵の方へと向かっていく。

 

「じーちゃん。オレ、しばらく塔矢と蔵ん中で話してるから、邪魔しないでね。話したらすぐ帰るから、茶も菓子もいらない」

 

手をひらひら振りながら歩いていく孫の背中に向かって、平八はその態度をたしなめる。

 

「これ、ヒカル!お客様に対して失礼じゃないかね」

 

孫に叱りの言葉を続けようとする祖父に、アキラは苦笑しながらフォローを入れた。

 

「お気になさらないでください。進藤の気まぐれはいつものことで、ボクも慣れていますから」

 

「すまんな。ばーさんに何か用意させとくから、話が終わったら寄ってくだされ」

 

そう言って、平八はアキラに頭を下げた。

 

 

 

明るい外から薄暗い蔵の中へ入ると、アキラの目が一瞬眩む。

――けれど、それは一瞬のことで、目が慣れるとそこには様々な壺や掛け軸などの骨董品が並んでいることが分かった。

ヒカルは背負っていたリュックを壁に立てかけて置くと、周りにある骨董品には目もくれず、ちょうど蔵の入り口から向かって正面にある階段梯子へと、手を伸ばした。

 

「これ、古くなってるから、気を付けて登れよ」

 

まぁ落ちた所で、そう大した高さじゃないから大丈夫だろうけどさ、と言ってヒカルは慣れた手つきで梯子を登り、上の階へと姿を消す。アキラもヒカルを追って、足元に気を付けつつ梯子を登った。

梯子を上がった蔵の二階、様々な骨董品が並ぶ中に――“それ”はあった。

 

――碁盤?

 

蔵の二階に取り付けられた、明かり取り用の窓から差し込む光の下に、静置されている碁盤。一見して、他の蔵の物と同じく年季の入ったものだということが分かる。

――しいて違う点を挙げるとすれば、他の物に比べて埃を被っていないという点だろうか。誰かがこまめに手入れをしているのだろう。

ヒカルは碁盤の前にしゃがみ込むと、ポケットからハンカチを取り出し、碁盤の表面に薄っすら積もった埃を、慣れた手つきで払った。

そして『ただいま』と一言だけ口にする。

――その声色に一瞬、哀愁が帯びたのを、アキラは聞き逃さなかった。

 

ヒカルはそのまま暫く碁盤を見つめていたが、やがて立ち上がるとアキラの方へと向き直る。

そして、おもむろに口を開いた。

 

「……塔矢、オマエに聞いて欲しい話がある」

 

いつになく真剣な表情のヒカルに、アキラも自然と背筋を伸ばす。

 

「分かった。聞こうか」

 

そうは言ったものの、本妙寺の墓の前と同じく、一向にヒカルは話し出す気配がない。

アキラもアキラで、ヒカルが難しい話をするのが苦手だということは分かっているので、決して急かしたりはしない。

ヒカルが悩んでいるのは、話したいという気持ちがありながらも、どこから話してよいのやら、判断がつかないからなのだろう。

やがて――

 

「う~ダメだ!何から話せばいいのかわかんねー」

 

先ほど、秀策の墓の前にいた時と同じような台詞を言って頭を抱えると、ヒカルはくるりと身体の向きを変えた。そこから数歩ほど歩いて、蔵の壁に背中をもたせ掛ける。そして腕を組むと、難しい顔をして天井を仰いだ。

話の切っ掛けを掴み損ねているらしいヒカルを見かねたアキラは、とりあえず何か話題を振ろうと思い――ふと目の前にある碁盤に目を留めた。

 

アキラは碁盤の前まで歩みを進めると、ヒカルを真似て、碁盤の前にしゃがみ込む。そして、手を伸ばすと碁盤の表面を撫ぜた。

本カヤでできているらしい碁盤の表面は、蔵の空気と同じく、少しひんやりとしていて、心地が良かった。

 

「……この碁盤も、秀策に所縁(ゆかり)のある物なのか?」

 

そう、特に深い意味もなく呟いたアキラの質問に、天井を睨み険しい顔をしながらヒカルが答える。

 

「あ~そう。秀策の吐いた血の染みが付いてた碁盤なんだ」

 

ヒカルの思わぬ言葉に、アキラは碁盤に触れていた手を反射的に引っ込める。そして怪訝な顔をして、壁に寄り掛かったままのヒカルに視線を送った。

 

「それは、それは……随分と物騒な、いわくつきだな」

 

「まぁな。オレも最初は薄気味悪かったよ。……でもその染みが見えたから、オレは“アイツ”と出逢えたんだろうな」

 

そう言ってヒカルは、腕組みを解くと蔵の壁から身を起こした。

アキラは直感的に、これこそが、ヒカルのずっと切り出そうとしていた話なのだと悟る。

 

「“アイツ”と出逢わなければ、オレはこの道を歩いていなかった。オマエや社、塔矢先生や緒方先生に桑原先生たち。和谷や伊角さん、院生の皆。きっと誰とも出逢ってなかった」

 

アキラも碁盤の前から立ち上がり、ヒカルに身体ごと向き直って言葉の続きを待つ。

 

「“アイツ”の……“sai”の本当の名前はさ……『藤原佐為』って言うんだ」

 

そう言って、ヒカルはアキラに、saiこと『藤原佐為』についての真実を語りはじめた。

 

 

 

時々、ヒカルの説明では言葉が足りない部分に、アキラが質問をして補い、少しずつだがsaiにまつわる真実が紐解かれていく。

そうして、やっと一通りの話が終わったのは、窓から差し込む光がかなり傾いた頃だった。

再び静けさが満ちた蔵の中で、先に沈黙を破ったのはアキラだった。

 

「……なるほど。キミのしてくれた話は随分と突飛な話だが、それが真実だとすると、全ての辻褄が合う」

 

ヒカルがアキラにしてくれた話は、およそ突拍子もない話であった。

 

――曰く、かつて、平安の都で帝に碁の指南役をしながらも、汚名を着せられ、失意のあまりに入水した棋聖の幽霊が、未練の余りに千年近くも碁盤に宿っていたというのだ。

しかも過去に一度、江戸時代に蘇った際には、自分が見えた子供に代わって碁を打ってもらい、『本因坊秀策』として歴史に名を馳せたとまで言ってのける。

アキラも、相手が進藤ヒカルでなく、また彼の不思議な一面について知らなければ、馬鹿馬鹿しい、の一言と共に容赦なく切り捨てていただろう。

 

――けれど、彼とはじめて会った時に打った一局が、ヒカルの話が真実なのだろうと、アキラの中で告げている。

 

初心者同然の持ち方、古い定石。

――けれど、彼はアキラ相手に見事な指導碁を打ってみせた。

その後、再戦を申し込み本気で挑むも、今度は一刀両断されてしまった。

生まれて初めて、アキラに敗北感と屈辱を味あわせた、あの夢か幻のような対局。

 

“現代に蘇った本因坊秀策のような”とも称されたsaiの正体の顛末が、“実は本当に本因坊秀策本人でした”とはアキラも笑うしかない。

 

 

 

独り過去を回想し、内心苦笑していたアキラに、ヒカルはおずおずと声を掛ける。

 

「……塔矢、オレの話信じてくれる?」

 

アキラは腕を組みながら、さらりと答える。

 

「ボクが信じるも信じないも、キミはこれ以外の話をする気はないんだろ?キミが嘘をつくのが下手なのは、ボクだって知っている」

 

「……そっか。ありがとな」

 

そう言って、ヒカルはホッとした表情を浮かべる。

そして話疲れたらしく、碁盤の横の床に腰を下ろすと、先ほどのアキラと同じように碁盤の表面を優しく撫ぜた。

そのヒカルの様子を見ながら、アキラはふと心の中に浮かんできた疑問を口にする。

 

「……しかし、何故話すのが今なんだ?キミが『本因坊』を取ったのは去年の話だろう?」

 

その問いに、ヒカルは碁盤を撫でながら、しみじみと答えた。

 

「今年が『本因坊』取ってからはじめて迎えた、“五月五日(あの日)“だったからさ。オレ、毎年北斗杯終わった後、因島と本妙寺と、ここで報告してんの。そこで話せば、佐為にも届くんじゃないかって……そう思ってさ」

 

ヒカルは立ったままのアキラを見上げ、少し苦々し気な表情になりながら言う。

 

「でも塔矢、ガッカリしたよな?オマエがあんなに打ちたがってた佐為が、もう居ないって知ってさ」

 

「確かに、落胆した部分も少なからずあるが……」

 

アキラはそこで一旦言葉を切り、一呼吸置いて再び口を開く。

 

「saiがいなくなってしまったのは、確かに残念だが……彼はボクに『進藤ヒカル』という棋士を遺してくれた。ボクが唯一、生涯のライバルと認めた存在。……ボクにはそれだけで充分だ」

 

「……そっか」

 

アキラのその答えにヒカルは、心底満足そうに笑った。

床に座ったままのヒカルと視線を合わせる為に、アキラも碁盤を挟んで向かいの床に座り込む。

そして、ヒカルの顔を見ながらきっぱりと言い切った。

 

「ボクはこれからも、棋士としての道を歩いて行きたいと思っている。そして――その隣を歩いてくれるのが、ずっと進藤(キミ)であればいいと思っているよ」

 

その率直なまでのアキラの言葉に、ヒカルは視線を逸らし、頭を掻きながら言う。

 

「あのなー、男のオマエにそういうこと言われても、ちっとも嬉しくねーよ。そういうことは、好きな女にでも言えって」

 

アキラはムッとした口調で答える。

 

「心外だな。ボクは本音を言ったまでだよ。碁は一人では打てない」

 

「だーかーらー!真顔でそういうことを言うのが気にくわねーって言ってんだよ。全く、碁に対してはバカ正直すぎて面倒なんだよ、オマエ。この碁バカ!」

 

「な!?囲碁馬鹿なのはキミの方だろ!」

 

「なんだと!碁バカにバカって言われたくねーよ!バーカ」

 

「馬鹿に馬鹿って返すな、馬鹿!」

 

「……お取り込み中のところ、すまんが」

 

大声で言い争いはじめた二人の間へ、ふいに第三者の声が割って入る。続いて、梯子からひょいと平八の頭が覗いた。

 

「日も暮れてきたし、話を続けるにしても、そろそろ場所をうつさんか?」

 

口論を目撃された二人は一瞬固まり――それから、アキラよりいち早く立ち直ったヒカルが口を開く。

 

「……じーちゃん、いつからいたの?」

 

「ついさっきじゃ。蔵の外で声を掛けるタイミングを見計らっておったら、言い争いの声が聞こえてきたのでの」

 

平八は楽しげに笑ってから、言葉を続けた。

 

「ばーさんが淹れた茶が用意できたぞ。冷めないうちに飲まんか?」

 

「うん、分かった。今、行く」

 

蔵を去って行こうとする祖父の背中を見送っていたヒカルは、ふとある事を思いつき、二階から身を乗り出すようにして、声を掛ける。

 

「あ、じーちゃん」

 

「なんじゃ?」

 

「あとでじーちゃんの碁盤貸して。縁側でコイツと一局打つから」

 

「分かった、分かった」

 

そう言い残して、平八は去って行った。

ヒカルの隣に並び、彼の祖父の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、アキラは問いかける。

 

「そういえば、あの碁盤は使わないのか?てっきりボクをここに呼んだのは、今のキミの一局を見せる為なのかと思っていたが。あの碁盤を介してなら、どこかにいる“彼”に届くかもしれないんだろう?」

 

「うん、それはそうなんだけどさ。だって、ここは碁を打つのには薄暗れーだろ?それに……」

 

「それに?」

 

碁盤に視線をやりつつ、ヒカルは言葉を紡ぐ。

 

「オレがまだあの碁盤で打つのは相応しくない。まだ『本因坊』になったばかりだからさ。あの碁盤で打つのは、歴史に名を刻めるくらい……“秀策(アイツ)”に並んでからじゃないと」

 

「……そうか」

 

「さ、急ごうぜ。茶が冷めちまう」

 

さっさと梯子を降りていったヒカルの後を追いかけようとし――アキラはもう一度、全ての出来事のはじまりとなったという碁盤を振り返る。

碁盤は先ほどと何も変わらず――窓から差し込む光を受けて、ただ静かにそこに在った。

 

 

 

蔵を後にして、ヒカルの祖母が淹れたというお茶を飲みながら、縁側で平八に用意してもらった碁盤を挟んだ二人。

碁笥をそれぞれの手元に引き寄せた時、唐突にヒカルが口を開いた。

 

「あ、さっきの話の続きだけど……」

 

「どの話だ?」

 

眉をひそめたアキラに、ヒカルは先ほどの発言を言い直す。

 

「どっちが碁バカかって話。この一局で勝負しねえ?負けた方が碁バカ認定ってことで」

 

ニヤニヤと笑いを浮かべているヒカルに、アキラはあくまで冷静に現実を突きつける。

 

「……進藤、ひとつ忘れているようだから忠告しておこう。最近のボクらの対局結果は、ボクの五連勝だということを」

 

「今日ぐらいはオレが勝つさ」

 

そうして二人は、お互いの碁笥の蓋へと手を伸ばした。

 

 

 

そして今日も、十九路の碁盤に、黒と白の石によって宇宙が創りあげられていく。

さながら星のように。

――“彼”の遺した輝きを時折、宿しながら。

 

 

 

「キセキ」 ―完―

 




アキラが一番振り回されてますが、彼も数年間ヒカルと付き合ううちに、かなり忍耐強くなったようです。

自分なりに「ヒカルが佐為の存在をいつ話したのか」という設定を練ってみました。
結果……膨らみすぎて、こんな話ができあがりました(苦笑)

本来はアキラがメインで、行洋先生と緒方先生はおまけ程度の予定でした。
しかし「キセキ(奇蹟・軌跡・輝石)」のフレーズを思いついて、どうせなら三部作にしてしまおうと思い、半ば強引に膨らませました。アキラ編だけ妙に長いのはその名残です。

昨年末に「ヒカルの碁」にはまった時、今更何故?と疑問に思いました。
けれど、今年が20“15”年という末尾に「イゴ」のつく年であると気がつくと、それは運命に引き寄せられたとしか考えられなくなりました。
そんな“囲碁の年”の“5月5日”にこの作品を投稿することができた奇跡を、嬉しく思います。



作業用BGM:GReeeeN「キセキ」
(タイトル一致は偶然だったのですが、佐為とヒカルに合うなぁと思ったので)

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