1942年11月初頭 ガタルカナル島北方100キロ
『……NOLQ-2に反応。敵哨戒の水雷戦隊が使用するレーダーだと思われます』
CICからの報告に耳を傾け、みらいは指示を出した。
「トレースして、電波発信源の特定を。海鳥とのデータリンクで取得した情報から、深海棲艦の使用しているレーダー波の特性を個艦ごとに記録しておく。無線通信も記録しといてね」
『海鳥はもう
「身長の関係で、艦載レーダーで見通せる距離は意外と近いから。仕方ないわね」
みらいの体に吹き付ける風が、普段より涼しく感じられる。みらいは今、単艦行動をしていた。一週間ほど前にあった南太平洋海戦で、みらいの航空管制能力を目の当たりにした艦娘か司令部の誰かが、みらいを使った深海棲艦への隠密偵察を強く進言したらしい。実際、遠距離からレーダーと逆探を用いて深海棲艦を電子的に把握することができる艦娘はみらいだけだった。分岐した戦史の世界で、みらいの持つ知識通りに深海棲艦が動く保障はない。みらい自身としても深海棲艦の動きをはっきりと知りたいため、電子偵察任務を承諾した。その際みらいは、ステルス能力を生かすために単艦行動を希望したが、以外にあっさりと認められた。
これまでの護衛任務や南太平洋海戦の結果から、みらい懐疑派の発言力が低下しているのなら良いことなんだけど、ね。
『ところで、ソロモン諸島の島々に微弱な電波発信源があることに気付いておられますよね?』
みらいは端末機の表示を切り替えて、CICに画像を示した。
「これ。日本軍の基地がこんなところにあったっけ、と思ってたけど。これは深海棲艦の通信と同じ周波数ね。
『ええ。十中八九、そうでしょう』
「気になる点は。日本軍の勢力圏下であるはずの場所からも、発信されている」
『諜報の深海棲艦が後方に浸透している間接的証拠ですね。沿岸地域で人類側の動きを把握する、早期警戒のネットワークがソロモン諸島に張り巡らされています』
続いてみらいは端末機から、ライブラリデータから戦史に関連する項目を呼び出した。
「これ、私の持っているデータと大幅に違うんだけど。私達の史実より、はるかに多くの監視員が活動している」
端末機にふたつの画像が並べられた。片方は戦史のデータから呼び出したもので、もう片方が、みらいが逆探知した電波発信源だ。逆探知した発信源を現す光点の方が、戦史データのものより遥かに多く、日本支配下の島嶼沿岸にまで存在していた。
「史実より増えたのかしらね……」
『深海棲艦の監視員の捕捉は容易ではありません。たった数体が海の中から沿岸に上陸し、密林に隠れて情報収集をします。日本軍の防諜能力の限界から、これまでその存在が過小評価されていたのかもしれませんよ」
みらいはため息をついて、呆れたように言った。
「……新事実。元の世界で論文書けるわ」
日本海軍の艦娘達はソロモン付近での行動に、みらいの持っていたデータを生かしていた。そのデータをはるかに超える監視員の存在が露呈したことで、今後の活動に大きな影響を与えることになるのは間違いない。
「コーストウォッチャーを確実に殲滅しないと、日本軍の行動が筒抜けよ。……仕事が増えたわね」
『確実に捕捉できるのは、我々だけですからね』
「いったん、帰投しましょう。今回集めたデータは、ガタルカナル島撤退のための作戦に活用されることになるわ」
「みらいさん、お帰りなさい!」
頭の真上で太陽が照り付ける頃、トラック環礁の外縁部の海上でみらいに向かって駆けてきた彼女に、みらいは大きく驚かされた。
「暁さん!? もう艤装着けて動けるの?」
暁はみらいの前まで駆け寄ると、みらいの前でくるっとひと回転した。
「なんとか、大丈夫。怪我はとっくに治ってたんだし、艤装もやっと修理が終わったの。……あんなことがあったけど、やっぱり艦娘はこうやって水に浮かんでないと、調子が出ないわ。あそうだ、響ー! 遅いわよ!」
暁は後ろを振り返って大きく手を振る。
「はぁ、はぁ……暁が速すぎるんだよ。みらいさん、お帰り。修理したての艤装付けて、巡航の調整をやっていたところだ」
響はみらいの前までやってきた。肩で息をしている。
「響さん。暁さんの様子」
ふたりは暁の方に目をやった。暁はふたりから少し離れたところで、海面を蹴ったり、回転したりして遊んでいる。
「今日は調子いいみたいかな。艤装を付けて、どうなるか心配してたんだけど」
「良すぎる気もするんだけど。暁さんが。これですべて元通り、ってわけではないから」
「……私達は、戦えればそれでいい」
みらいは響に何か言い返そうとしたが、その前に暁がみらいの方を振り返って言った。
「みらいさんは今回の任務、大丈夫だった?」
「え、ええ。一応ね。ただ敵の哨戒陸兵が多いから、どうにかしないと……って」
「ソロモンの大きな戦いはまだあるってことかい」
隣の響が質問した。
「こないだの機動部隊戦で深海棲艦の航空戦力は壊滅したから、制空権は確保できた。でも、予定していた対地攻撃が不十分だし、撃ち漏らした深海棲艦も若干残ってる。川口支隊を救出するには、もう一度艦娘を動かさないとね……」
3隻の艦娘は環礁内の静かな海面を滑り、夏島沖に停泊中の出雲の前までやって来た。艦娘の艤装を収容できる大規模な施設は、いずれもみらいの存在を秘匿するために使用できない。みらいが夏島の宿舎で生活できるようになった今も、無関係の者を払える出雲のドックに、みらいの艤装は収容されている。それは日本海軍の艦艇に、みらいの艤装が”人質”になっているということを意味する。
「さて、とりあえずここまで帰って来た訳だから、いったん別れましょう。私は偵察してきたことについてまとめてから、上層部に報告しないと……」
みらいがすべて言い終わらないうちに、暁がぐずったように口を開いた。
「そーよ、早く行こ、行こ。夜になっちゃうから……」
暁は響の腕を引っ張る。響は暁の手を受け流して困惑しているようだった。
「そんなに焦らなくてもまだ日は高いよ」
「いーから、じっとしてたら時間がもったいない、からさ……。ん、みらいさん、またね!」
暁は手を振ると、響に構わず艤装収容施設に向かい始めた。響もため息をついて、みらいに軽く会釈するとそのあとを追いかけて行った。みらいはしばらく、暁の背中を見つめていた。
『……治っていませんね』
CICの妖精の声だ。
「ええ。まだ不安定ね……」
戦艦土佐艦内 連合艦隊司令部
「では、皆様。これから今回の偵察によって得られた情報を報告いたしますが、どうぞ配布しました資料をご覧ください」
みらいはその言葉から、電子戦によって収集された一連の情報の報告を始めた。とうとうと話しながら、みらいは周囲を見渡す。報告を聞いていたあまたの艦隊司令や参謀、艦娘大和の手元には、みらいが艤装付属のコピー機で印刷したレジュメがあった。彼らは皆、大和でさえも、みらいが配布したそれをさも興味深そうに見つめていた。
その資料の内容は、電子的に捕捉されたコーストウォッチャーの概算位置、海鳥が撮影した各種の高解像度写真、観測できた深海棲艦の航路や発する電波の周波数などであった。みらいの報告もそれに沿って続く。報告が撮影したカラー写真のページに差し掛かると、提督たちの口から驚きの声が漏れた。みらいには、このような戦後の技術を部分的に見せることで、自身の優位を維持しようという考えがあった。
「……以上のことが、今回の偵察作戦によって判明しました」
一通りの報告を終え、みらいは息をついた。話が終わってしばらくの間、そこにいた皆がじっと考え込んだ様子で資料を見つめる時間が流れた。
「あなたは」最初に口を開いたのは、大和だった。視線が大和に集中する。「この
みらいはつばを飲み込んだ。それはここにいる全員が知りたがっていることだ。
「私は、自身による沿岸諜報部隊の制圧を、ガタルカナル撤退作戦『ケ号作戦』の開始直前に行うことを具申いたします」
大和はよく見せる、複雑な感情を内包した表情をじっとみらいに向けたまま。
「それはあなたではないと不可能なことでしょうか?」
「……ええ。逆探を用いて敵の発する通信を高精度に捕捉することは、私にしかできませんから」
それを聞いて意味深な笑みを浮かべた大和は、知っていたはずだ。そのことをわざわざ質問して言わせるということは、周囲の提督にも必要性を理解させるためだろう。みらいはしばらく沈黙し、他のあたりさわりのない質疑応答をこなし、もうそれ以上質問が来なくなると、みらいは再び口を開いた。
「私がケ号作戦に参加するに当たって、ひとつ条件があります。駆逐艦娘暁を、ケ号作戦に参加させないようにしてください。肉体や艤装の怪我は治癒しましたが、精神的にはまだ不安定です。また長期間療養の直後であり、練度の点から見ても大規模作戦に投入することはまだ危険であると判断します」
その言葉に、複数人の提督がみらいの方を向いた。部外者たるみらいが、連合艦隊の細かな部隊編成に口を挟むというのはなかなかに場違いなことかもしれない。
「……分かりました、考えましょう。ただ」そういってみらいをじっと見つめたのは、山本五十六だった。「あなたはどこまで、第三者でおれるでしょうかね」
みらいは心臓を冷たい手で握りしめられたようだった。必要な情報伝達は終わり、それではお願いしますとだけ言うと、それ以降口をつぐんだ。
深夜 みらい自室内
「あぁもうまいったなぁ……」
みらいはベッドの上にうつぶせに寝転がり、足をじたばたさせた。傍らに数人の妖精を召還させて、話し相手とさせている。
「われわれの弱みを、見透かされていますね」
”どこまで第三者でいられるか”――明言はしなかったが、今後はみらいの希望通りに要求が通るとは限らない、ということだ。連合艦隊は、みらいと対等に関係を持たなくても構わない現状を理解している。みらいの能力があれば日本海軍は圧倒的有利に作戦を進められる。みらいの能力がなければ損害は遥かに増えるが、みらいはそのことを望んでいない。つまり、みらいが連合艦隊に対して掛けられる圧力は、限定的なのだ。
「暁さんはすぐさま前線に駆り出されるでしょうか?」
枕もとに座っていた数名の妖精が尋ねた。
「そこまであからさまなことはしないと願いたいけど……今回は連合艦隊の運営をひっかきまわす私に釘を刺したかっただけ、だと思いたいわ。とにかく、私は自身の信じる道を進み、選んだ任務に全力をもって当たるだけよ」
みらいはぐっと体全体の力を入れると、ベッドから上半身を起こして妖精たちを見下ろし、宣言した。
「コーストウォッチャーの索敵網を殲滅しないとソロモンからの撤退が察知される。そしてそのサーチ&デストロイは、私にしかできない」
1942年11月12日午前 南部ソロモン諸島海域
「み、みらいさん」
暁がみらいの手を強く握った。その瞳にはみらいに対してすがるようなものが含意されている。
「大丈夫、日が暮れるまでには帰ってきてあげる、絶対。響もここにいるし。たとえ私の姿が見えなくなってしまっても、常に対艦ミサイルの射程内で行動するから、安心して。あなたに近づく深海棲艦がいたら、吹っ飛ばしてあげる!」
みらいは暁に微笑みかけた。暁もそれを受けて、ぎこちない笑みを浮かべる。姉妹艦とは一緒だとはいえ、やはり海上にぽつりと置き去りにされることに恐怖を感じているようだ。一度捕らわれの身になったトラウマは、未だ癒えていない。
「暁のことは、まぁ任せてくれ。敵警戒網の中の単独突破および監視網破壊任務。極めて危険な作戦だけれど、みらいさんの力なら」
みらいから離した暁の手をそのまま握った響は、みらいに言う。
「えぇ。トラックで修理した後初めての攻撃任務だけれど、肩慣らしにはちょうどいいわ。それじゃ、また午後に」
みらいは笑顔で2隻に軽く敬礼をすると、海面を強く蹴って進みだした。ガスタービンエンジンの音が周辺に響き渡り、みらいに風が吹き付けはじめた。何人かの艤装の妖精は後ろを向いて、暁と響に手を振っていたりした。
『ずいぶん強気ですね』
「ま、あの子たちの前で悲観的になってもしょうがないからね。総員傾注。これより戦闘区域に突入します。30ノットを維持したまま、敵地上兵力の特に濃密な部分を巡航しつつ、敵監視網通信所への直接攻撃および
「ねぇ、響。このままみらいさんが帰ってこなかったら、どうなるのかな」
予想外の言葉に、響は思わず暁の顔を見た。暁はとろんとした視線を海面に向けていて、何を考えているのかを汲み取るのは難しい。
「……日没までには必ず帰ってくる」
響は言い聞かせるように言った。
「考えてみたら分からないじゃない。みらいさんはいきなりミッドウェーで現れて、アナンバス諸島で私たちに出会った。よくわからない世界からふっと現れて、またふっと消えてしまうかもしれないのって。考えたら怖いよ……」
響はそれを打ち消す根拠を探そうとしたが、そんなものはどこにもない。
「私よく思うのよ。みらいさんはみんなで見ていた幻覚なんじゃないかって。ミッドウェーの負けで現実から逃げ出したくなって、その時からありもしない人を信じ込んでるんじゃないかって。はっきりしないの」
「それは……」
言葉が続かない。非合理極まりないみらいの正体は何なのか、実際のところ誰にも分かっていないのだ。21世紀から突如現れた存在を信じられるのならば、海軍関係者全員が半年間幻覚を見続けていたなんてありえないと、誰が断言できようか。アナンバスと同じ太陽が、頬に照り付ける。
「じゃあ、私は……みらいさんに助けられた私は、本当の私なの? 本当に私は助けられたの? こうしてるのもすべて、
「暁!」
響は思わず暁の肩をつかんだ。暁の顔は赤く、大粒の涙がひとつふたつと肌を滑っていった。
「暁……!」響はそのまま、姉艦を抱きしめた。「大丈夫、暁の体温がこうして感じられているんだ、確かに生きてる。夢でも幽霊でもない。そして、信じよう。みらいさんは帰ってくるはずだ。無事な姿で、微笑んでくれるはずさ……!」
『目標、ノヴェンバー12、電波源、通信』
「了解ノヴェンバー12、照準……撃ち方始め!」
みらいの艤装前部の速射砲は、2発の砲弾を撃ちだした。10数秒後、別々の角度で飛翔してきたその2発は同時に着弾し、一撃で通信を担当している深海棲艦をミンチにした。
『目標制圧。……次の目標、オスカー94、電波源、対空』
ふたたびみらいの指揮によって砲弾が撃ちだされ、まもなく目標となった対空レーダーはその役割を終えることになった。
『周辺地域に電波源無し。敵監視網およびレーダー個体の制圧を完了』
「了解。全部隊のデフコンを4に。速やかにこの海域から離脱します」
一条の航跡を残して海面を疾走していたみらいは、沿岸から遠ざかる方へと航路を変えた。
「……敵監視所は大混乱か」
『まるで通り魔ですね』
みらいの独り言に、CIC妖精は笑って返した。どことなくアナンバスを思い出す光景のソロモンの沿岸で、みらいはこの世界に来たばかりのころを思い出していた。あのころに出会った響とは、いまだに付き合いが続いている。それどころか、なにかと任務ごとについてまわっている仲になっている気がする。みらいにとって彼女たちの存在は、すでに他人の範疇を超えているのかもしれない。
「そういえばアナンバスで、軽巡天龍がこの時代への関わりを避けようとする私に『時代劇の映画でも見ているよう』って言ったわね」
『大喧嘩になってましたね』
みらいは気恥ずかしそうに苦笑して、言葉を続ける。
「でもすでに、私にとってもこの世界はまぎれもない現実になっちゃった。もちろん、何とかして帰らなければならないんだけどね。私は自身の立場を変えることはできない。この時代に交わることもできない」
風に広がる髪を手ですき、深呼吸をした。私は1942年の空気を吸っている。あたりを見回すと周辺には島や岩が多く、かなり入り組んだ地形となっていた。島々が周囲に散らばっている。
「……それにしても、障害物が多い。対水上レーダー(OPS-28)で良く見通せな……」
そう言いかけた時、連続した鈍い金属音が響いた。みらいの大して厚くない魔導防壁が火花を散らす。
「なっ……銃撃!? 見張り員!」
『左方向、艦種不明小型艇です! 申し訳ありません、岩影で確認が……』
見ると明らかに深海棲艦である黒い個体が複数、数キロ先の岩礁に隠れつつ銃撃をこちらに放っていた。みらいは舌打ちして、なれた手つきで端末機のデータをHMDに呼び出した。左足に力を入れて、大きく右に弧を描く。
『目標接近、速い、40ノット!』
『赤外線カメラおよびレーダー情報より艦種特定、PT子鬼です! 周囲の島影に多数、突っ込んできます!』
「魚雷艇か、厄介ね!」みらいは艤装から火器管制のトリガーを取り出して叫んだ。「速射砲エンゲージ! パッシブソナー出力最大、魚雷来るわよ! エンジン緊急出力! あんな小物外洋には出てこれない、全速で離脱を図ります!」
ガスタービンの高音がいっそう大きくなり、モーター音とともに速射砲が旋回する。周囲のPT子鬼は10隻以上で増加中、島影からどんどんと姿を現し続けている。みらいの方へ目標を見定め、全開で真っすぐ突っ込んでくる。腹に抱えているのは2本の対艦魚雷。直撃すれば装甲の薄いみらいにとって致命傷になる。
みらいのHMDに、《127mm砲照準完了》の表示が投影される。最もみらいに近づいているPT子鬼に向けてトリガーを引こうとした瞬間。
(キャッハハ……キャハハハッ……キャハハッ)
――笑い声!?――
一瞬。意表をつかれ、トリガーを引くタイミングを逃してしまう。
『ターゲット、魚雷発射ー!』
「しまった、回避!」
舵が一杯に切られ、サイズに反して非常に機動性の高いみらいは、間一髪のところで回避に成功する。みらいがトリガーを引くと、目標を自動追尾していた速射砲は、魚雷を放ったPT子鬼に砲弾を直撃させ粉砕した。だが速射砲の次のロックオンよりも早く2隻目、3隻目の魚雷が放たれ、みらいに高速で向かってくる。
『左右より4本、挟撃!』
みらいは先ほどとは別方向に一杯の舵をとる。だが向かった先にも、1本の魚雷が迫っていた。
『魚雷直撃コースです!』
「くっ……速射砲俯角最大、魚雷を砲撃! 間に合え!」
みらいからほんの数十メートル。海面に当たって炸裂した127ミリ砲弾の衝撃波は、真っすぐみらいに向かっていた魚雷の信管を叩いた。大きな爆発によりできた水柱に、みらいは突っ込んだ。
小型高速艇によるイージス艦への肉薄攻撃。みらいは”イージス艦コール襲撃事件”を思い出していた。2000年にイエメンで起こった、アルカイダが小型ボートで敢行した自爆攻撃だ。この自爆攻撃で米イージス艦コールの横腹には大きな穴が開き、彼女は3年間のドック入りを余儀なくされた。高価な戦闘艦の大きな弱点は、こういった”Cheap kill”とよばれる沿岸域での小型艇による奇襲なのだ。偶然だが、深海棲艦はみらいの盲点を突くことに成功したのだ。
水柱を突破したみらいの目の前で、複数のPT子鬼群が踊るように機関砲を放ち、魚雷を乱れ撃ちしていた。さらにレーダーには、背後からもPT子鬼が接近していることが示されている。速射砲1門では捌ききれない。小型艇は優れたレーダーをもつイージス艦でも接近されるまで探知は難しく、ミサイルによる自動迎撃も不可能なのだ。
「ブローニングM2およびファランクスCIWS、マニュアル射撃モード! バルカン砲での迎撃を! 弾幕張って!」
ファランクスCIWSや、小型艇対処用の機関銃までもが火を噴き始めた。みらいの前後から高レートで放たれた20ミリ砲弾が、ミシンの縫い目のように海面に水柱を立たせ、それにとらわれたPT子鬼が引き裂かれる。速射砲の精密な射撃で、さらに1隻PT子鬼が爆沈した。だが四方八方から40ノットで迫りくるPT子鬼群には、焼け石に水だった。乳児のような2本足で滑らかに海面を動き回り魚雷を斉射する様子は、まるで水子の霊が戯れるようだ。
「速射砲、魚雷を迎撃!」
海面が魚雷の爆発で盛り上がる。みらいは全力で回避し、バランスを崩して海面に手をついた。水飛沫が指を濡らす。
「あ……っぶない、なまじ無誘導なんだから!」
至近距離からの十字雷撃、デコイも使用不可能で経験どころか訓練さえしたことのない雷撃回避を、バランスを崩し危険なほどの急旋回の連続で繰り返す。同時に、1艇また1艇とPT子鬼が砕かれてゆく。
突如CIWSのバルカン砲射撃が止まった。
『CIWS、残弾無し!』
みらいはすぐさま艤装後部の収納区画に手を伸ばすと、そこからみらいの個人携帯火器を取り出した。89式小銃だ。なれた手つきで安全装置を連射に入れると、主砲とは別のPT子鬼へ銃撃を開始した。
「火力が……足りない!」
89式小銃の5.56ミリ弾は装甲貫通力が3ミリである。理想的にはPT子鬼の持つ構造材程度のアーマーを抜き内臓部に損傷を与えられるのだが、遠距離による貫通力低下と回避機動による弾の散らばりからか、ダメージが思うように入らない。みらいは魚雷接近の警告で大きく全力で旋回し、バランスを崩しそうになりながらも銃を握りなおして別の一体に照準する。発砲に関わらずPT子鬼はみらいを馬鹿にする様にケタケタ笑い魚雷を放つ。
「こいつらは……!」
みらいは本能的な恐怖を感じ、銃弾を叩きこむ。同一目標に30発を撃ち尽くし、すぐにマガジンを交換する。さらに発砲。
『魚雷接近!』
CICが叫び声を上げるまで、みらいのすぐそばまで魚雷が来ていることに気が付かなかった。みらいは雷跡を確認すると、銃口を下げて小銃弾を叩きこんだ。
水柱が立ち上がった。
『やけにならないで、無茶しないでください!』
「分かって……る!」
そういいながらすぐ隣に並走するPT子鬼の存在に気付く。まるで岸辺の子供が豪華客船に対するかのように、みらいに無邪気に手を振ってきた。その行為を認識するより前に、みらいはそれに89式小銃をむけた。銃弾を受けたPT子鬼は気管を潰されるかのような声にならない音とともに、海面に崩れ落ちた。
「っ……!」
みらいは何も声に出さず、酸味の交じった感情をどうにか飲み込んだ。継続した発砲で89式小銃の銃口は真っ赤に焼けている。さらに接近する雷跡を視認、体を傾けて回避するとともに海面に銃口を漬けて強制冷却させる。艤装の甲板に山と積もった速射砲の空薬莢がガラガラと音を立てて海に落ちる。みらいは疲弊した体に力を入れて、姿勢を立て直した。
キャッキャと黄色い笑い声に振り向くと、4艇が突っ込んできていた。真後ろはみらいの死角だ。
『後方からいち集団、これでラストです!』
「可変ピッチスクリュー後退角最大、減速!」
『えっ、は、はい!』
海水を強制的に掻き分け、艤装の靴から大きな飛沫を飛ばす。急減速しほとんど一瞬で静止したみらいを、4艇のPT子鬼が追い越した。速射砲と89式小銃がそれを撃ち抜き、まもなく海面は静かになった。
「……戦闘終了」
みらいは肩で息をしながらそれだけ呟くと、たった今自分が撃破したPT子鬼の残骸を見つめる。周囲の海面にはちらほらと残骸が浮き、赤い色の混ざった油が覆っていた。あるものは鉄くずの交じった挽肉になり、あるものは生体部分がピクピクと痙攣していた。それらはついさっきまでケタケタ笑いながら海面で踊り、みらいに明確な殺意を向けていたものだ。
「海自に入った時点である程度は覚悟していたわけだけれど」
それらは明らかに人間の幼児に近似していた。身体はそのまま、頭部のみが深海棲艦独特の構造に乗っ取られているみたいだ。深海棲艦の占領した島嶼に居た住人はどうなったのであろうか。みらいは手を両目に当てて呟いた。
「気味悪い……」
『……みらいさん、はやく離脱しましょう』
「分かってる」
ため息をつき、みらいは足で海面を蹴って再び滑りだした。それ以降、その海域は再び静寂が支配した。もはや動かなくなったPT子鬼の残骸は、波に洗われひとつまたひとつと海の中に飲み込まれていった。
戦闘海域から離脱しても、みらいに残る気持ち悪さはぬぐえなかった。人間に無理に似せた存在を、アサルトライフルで”射殺”したという感触だ。みらいはずっと無言で航行していた。その猛烈な疲労感も、暁と響が視界に入ると無理にでも押しとどめなければならなかった。
「みらいさん! 良かったぁ、帰ってきてくれて!」
会合地点に近づくと、暁がみらいに駆け寄ってきてハグをした。つばを飲み込み戦闘後の感情を顔から隠し、みらいもできる限りの笑顔で迎えた。
「やっぱり、あなたが帰ってきてくれるって信じてよかったのよね!」
「え、ええ。そうね、ただいま」
響、暁はひとしきりみらいにねぎらいの言葉をかけると、3隻はトラックへと向かい始めた。
「……それにしても。暁は、すっかりみらいさんになついたのかな」
「んえ? そうかなぁ、ただまぁみらいさんを信頼することにしたの。一緒にいられたら海にいても、多分大丈夫だから」
その言葉にみらいはあいまいな笑顔で返す。あまり強く依存が続くというのも問題なのである。
「ひとりでいるのがちょっと、怖いかな。みんなといればきっと大丈夫」
「……ならいいけど」
みらいがちいさな微笑みを見せるとほぼ同時に、みらいのレーダーが遥か先を行く艦隊を捕捉した。戦艦比叡・霧島からなる、ガタルカナル島砲撃へと向かう挺身艦隊だ。
「……そのあなたの仲間たちが、今トラック島を出撃して南下しているのが見えるわ」
「見える……って電探か」
「今回も勝てるかなぁ?」
「深海棲艦の早期警戒網がこれで壊滅したから、奇襲には成功するはず。ガタルカナル島の陸軍部隊の援護射撃はできるでしょうし、周囲に存在する残存艦艇も彼女らの敵ではないでしょう。彼女らなら大丈夫、私たちにこれ以上できることは無いけど。健闘を祈りましょう」
その言葉を聞き、少しだけ間を置いて響がみらいに質問した。
「……南ソロモンから次々と撤退を始めて、これからの戦況はどうなるんだろうか」
「ん……南が静かになれば、今度は北かな。ソロモン諸島、ニューギニア、トラックと、撤退を続けていくのなら。日本とアメリカの交通路を遮断したい深海棲艦は、生まれた余力をアリューシャン方面に向けるかもね」
「そうだとしたらみらいさんは……やはりそこへ向かうのかい?」
「まだ分からない。けど、上層部に言ってはみるつもりよ」