ZIPANG 艦娘「みらい」かく戦えり   作:まるりょう

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第十二話 呉の大和

1942年10月25日

 

 そうか、本土ではもうすっかり涼しくなった頃か、と彼女は思った。しばらくすれば紅葉の時期だ。この戦いのあと本土に戻れたなら、誰か誘って紅葉酒と洒落込みたいねぇ。ここはソロモン北部。ぎらぎら照り付ける太陽が季節感を奪い取る常夏の南太平洋だ。隼鷹は所持していた巻物を展開し、式神を召還した。

「ガ島攻撃部隊、発艦! ものども、やっちまえ!」

 魔導式により紙人形が姿を変えた零戦と99艦爆、計24機が次々と飛び立ってゆく。危なげなく上昇してゆく隼鷹隊に、さらに航空機が加わる。龍驤の攻撃隊、零戦と97艦攻が計14機である。

「うちの奴ら、お願いしますよ、先輩」

 隼鷹は隣にいた龍驤にむかってにっと笑った。

「先輩って言うの、やめーや。うちらの流派は加賀と翔鶴ちゃんみたいな堅苦しい上下関係とは無縁やで。気楽に、行こう」

 龍驤は苦笑した。第二次ソロモン海戦を無傷に近い状態で生き残った彼女は、いったん本土で補給と整備を受けたのち、再び前線に戻りこうして戦っている。彼女ら二航戦が所属する第二艦隊は今、ガタルカナル島北方に展開している。同島で死闘を繰り広げる川口支隊の生き残りを援護するため、深海棲艦基地の陸上戦力に対する航空攻撃を敢行するのだ。

「いやーしっかし戦爆連合38機といえば正規空母1隻分ぐらいにはなるかな。壮観だぜ」

 航空隊は空中で危なげなく編隊を組み、第二艦隊の頭上をフライパスしていった。

「しっかり頼むで、あんたら。陸さん達の命が掛かってるんやからな」

 2隻の空母を護衛する金剛や榛名、巡洋艦と二水戦の各艦も上を行く航空隊に手を振っていた。

 

 

第二艦隊より東方100カイリ

 

「第二艦隊、ガタルカナル攻撃隊を出撃させました。数38」

「確認しました」

 みらいは端末機の画面を操作して言った。

「海鳥、シーホークともに異常なし。深海棲艦機動部隊の航空機を感知せず」

「こちらの持っている情報通りね。SPY-1レーダーも敵攻撃隊を感知していない。エスピリットサント島付近から敵機はまばらに出入りしているけど、これは索敵機。言い換えれば、まだこちらの機動部隊を発見していない」

「さすがだ。あぶなげないね」

 みらいのとなりを航行している響が言った。

「日本艦隊近寄る深海棲艦の索敵機は、すべて位置を一航戦に報告して撃墜してもらってる。深海棲艦は機動部隊を探知できなくてやきもきしているかもね」

 

 あくまで自身の立場を維持したまま、日本海軍への支援としてみらいが貢献できる方法を考えた結果が、”機動部隊の航空管制を行う”ということであった。この時代の機動部隊はGPSも高性能なレーダーも保有していないため、敵艦隊を察知する方法は原始的な航空偵察である。そして、空母戦は先に相手の敵空母を発見した方が圧倒的に有利となるのだ。みらいの作戦はこうである。

 まず、この頃の日本海軍は機動部隊と前衛部隊を分割して戦闘海域に展開させる戦略をとっている。”監視”の駆逐艦を引き連れたみらいは前衛部隊の後方50カイリ程度のところに陣取り、本命となる機動部隊の前路を対潜警戒するとともに、強力な対空レーダーで敵機動部隊までの空を完全に把握する。死角となった左前方は、海鳥を展開させて機載レーダーでカバーする。捕捉した敵索敵機のうちで機動部隊を発見しそうなものは、脅威度の順に旗艦の空母に連絡し、直援機を派遣して撃墜してもらう。今回の旗艦は加賀だ。零戦の貧弱な無線機は通じないことが多いので、目標近くの駆逐艦娘に対空砲火を撃ちあげて誘導するようにしてもらった。それでも迎撃が間に合わない場合は海鳥か、みらいのミサイルで撃墜する。撃ち漏らした偵察機も、頑丈な戦艦主体で構成された前衛艦隊を捕捉するだけなので後方の空母は守られる。こうして深海棲艦の目を封殺することで、こちらの機動部隊が一方的に叩ける状況を作り出すのだ。

 

「みらいさんの歴史では、これから大航空戦が起こるんでしょ? 勝てるかしらね」

「ミッドウェーみたいなことには……なってほしくないのです」

 響の姉妹艦2隻もここにいる。

「えぇ。敵空母が居る以上、衝突は確実に起こる。でもこの戦闘には勝ってもらわなければならないし、誰も死なせはしない」

 

 連合艦隊の意向によって、ガタルカナル島からの撤退作戦はまもなく始まることになる。史実では凄惨な消耗を強いられた第十七軍は、ついぞガタルカナル島に上陸しなかった。もともと海軍に引きずられる形でソロモンへ駆り出された陸軍だったので、海軍が撤退を決めると話は早かった。一部反対に回った陸軍関係者も、”作戦の神様”といわれた辻政信がほうぼうの体で帰還し、転進を進言すると認めざるを得なかった。頑固な辻政信を、一体大和はどうやって言いくるめたのだろうか、みらいは疑問とともに薄ら寒さを覚えた。ともかく、現在のガタルカナル攻防戦における最大の目的は、この地でなんとか生存している川口支隊の兵士を救出することである。リコリス飛行場姫はみらいがトマホークで殲滅したが、深海棲艦の泊地と化したガタルカナル島にはいまだ多数の陸上兵力と、空母による航空兵力が跳梁跋扈している。ガタルカナル島撤退に先立って、同島周囲に展開する空母戦力を中心に破壊し、撤退作戦のための道を切り開くとともに、陸上兵力への火力投射で川口支隊がジャングルの中を撤退する時間稼ぎをすることが、今回の作戦目的である。

 

 みらいは端末機に新たにピックアップされたデータに目を通し、無線機のスイッチを入れた。対艦ミサイルランチャーに格納された、日本軍規格の魔導無線機だ。

「……こちらみらい、第二艦隊旗艦加賀へ、聞こえますか」

『こちら加賀です』

「こちらの艦載機がソロモン諸島北方、1284地点に深海棲艦の中規模艦隊を捕捉しました。重巡クラス5隻、軽巡クラス2隻、駆逐艦クラス5隻。20ノットで北上中です」

 

 

 加賀はみらいからの通信が終わるとため息をついた。この巡洋戦隊は、おそらく敵のガタルカナル島泊地にいた警備艦隊が増援に駆け付けたものだろう。護衛機がなければこちらの航空攻撃で完勝できる、と言いたいところなのだが。第三艦隊の加賀、翔鶴、瑞鶴、瑞鳳所属機の大半は、先に見つけたヲ級からなる空母部隊へ派遣したところである。第二艦隊の機体も現在はガタルカナル島へ出払っているはずだ。航空戦力でこれを叩くのは難しい。

「1284地点を北上。第二艦隊に接近しているわね。この規模は無視できない。……第二艦隊旗艦、愛宕さん」

 数度の呼びかけののち、通信のノイズの中から朗らかな愛宕の声が返ってきた。

『はぁい、愛宕です。なにかご用でしょうか?』

「1284地点に12隻からなる敵巡洋戦隊を捕捉。そちらに20ノットで接近中です」

『分かりましたぁ。水偵を触察させておきます。接近して脅威となるようでしたら、こちらの戦力で迎撃しますね。予想以上に水上戦力が多いですね……』

 

 加賀は無線機を切ると、じっと海面に視線をおろして考え込んだ。敵が多い。周囲を完全に捕捉できるみらいという目があるからだが、こうも同時に多数の敵を見つけてしまうと戦意とともに疲労感をも感じてしまう。いや、この心理的な負担は一航戦旗艦だからか。

 

 

「話は聞かせてもらったァ!」

『じゅ、隼鷹さん!?』

 加賀の愛宕に対する通信を傍受していた隼鷹が、愛宕に高らかに宣言した。

「ガタルカナル島攻撃隊を戻らせて、爆装のままぱぱっとその巡洋艦隊を叩く。収容後対艦装備に切り替えて敵空母攻撃に加勢する!」

『空母? 地上攻撃は?』

「加賀の情報だと少なくとも”鬼”級の空母がいる。航空戦力は危険さ。地上攻撃は今じゃなくてもいい。あたしらが生き残れれば、また叩きに来れるからな」

 隼鷹は無線機の周波数を変更し、自身の航空隊に繋げた。

「おぉいあんたら、地上攻撃は急遽中止だ、中止! 状況は? ……そうかー、もう爆弾落としちゃったかぁー……」隼鷹は小さくふん、と息を吐いて続けた。「まぁいい、ぐずぐずしてないですぐ戻ってきてくれ。第二次攻撃は対艦目標だ。あんたらの本領だぞ!」

 そこまで言うと、龍驤が隼鷹の隣へと滑ってきて言った。

「勝手に話を進めてるようやけど」

「不満っすか?」

「いーや、うちも同じ判断や。龍驤攻撃隊、全機帰投急げ!」

 そういって龍驤は隼鷹に笑いかけた。隼鷹も龍驤に向かってぐっと親指を立てる。

「そう来なくっちゃあ!……そうだ零戦隊、帰りに巡洋艦見つけたら機銃掃射してやれ!」

「おいおい、あんまり危険にさらさんといてやりーな」

「はっはっはっは」

 隼鷹は陽気に笑い飛ばした。

「それに零戦の20ミリだけじゃあ、どのみち水上艦にはダメージは入らへんで」

「それじゃあな……零戦隊が()()()()()()敵巡洋艦は、十一戦隊に任せる。頼みましたよ!」

『ふぇ!? わ、分かりました、榛名達は大丈夫です」

 唐突に話を振られた第三戦隊の榛名があわてて返事をした。

「大丈夫、うまくやっれるはずさ」

 そういってふたりは笑いあった。

 

 

 時速約300キロで巡航する第三艦隊攻撃隊、総勢84機の戦爆連合が青い海の上空3000メートルを巡航していた。向かうは敵主力、大型空母である装甲空母姫率いる任務部隊だ。

「……雲が多いぜ」

 陣形左翼を飛行していた零戦パイロットは呟いた。これほど雲量が多いと航空偵察にも支障をきたすはずだが、艦娘たちは常に敵機動部隊の位置が判っていたようだった。

「どうやったのかはわからんが……空の上に目がついているみたいだ」

 曳光弾が視線の端を通りすぎる。敵の戦闘機が数機、上方から突っ込んできた。艦攻や艦爆は後部機銃をばらまき右往左往する。だが練度に勝る零戦隊がすぐさまそれを仕留めた。

「敵の直衛機か……」

 ぐるぐると海面を見回す。いた、深海棲艦だ! 各機体ともほぼ同時に目標を発見し、97艦攻は高度を落とし、逆に99艦爆は急降下爆撃のため機首を上げ目標にまっすぐ向かっていった。

「……奇襲成功、か。無理に対空砲火に突っ込みたくもないし、ここで見物といこう」

 空母から慌てて発進した敵戦闘機は、高度を上げることもままならず、すでに零戦隊に叩き落とされていた。上空は静かなものだった。だが海上では、熟練の攻撃隊が深海棲艦に襲い掛かっていた。

 人間で言えば帽子に当たる航空艤装に艦爆の急降下爆撃が直撃し、発進しようとしていた護衛機ごとヲ級は爆散した。装甲空母姫は回避のために急旋回を繰り返したが、まもなく雷撃機の十字雷撃が直撃して行き足をとめる。

 しかしさらにとどめを刺そうと雷撃位置に突入した97艦攻は、直衛艦のタ級の放つ強烈な対空砲火で1機2機と落とされてゆき、決定打を与えられないまま第三艦隊攻撃隊は攻撃力を失った。

「くそ、みんなタマ切れか」

 零戦パイロットは周囲の空域を見渡し、滞空していた機体を確認した。ほとんどすべての攻撃機は魚雷や爆弾を投下した後で、数機ごとにまとまって母艦への帰投を始めている。これ以上の航空攻撃による成果はなさそうだった。だが彼は、西の空に別の航空隊が飛行していることに気が付いた。

「なんだ、あれは。敵戦闘機隊か? それとも……」

 

 絶好のタイミングで第三艦隊攻撃隊とバトンタッチしたのは、隼鷹と龍驤が大急ぎで派遣させた第二次攻撃隊だった。

 

 

 

「こちらCIC。隼鷹および龍驤攻撃隊、装甲空母姫を撃沈。ヲ級、ヌ級を含む全空母の撃沈を確認」

『こちら海鳥、敵航空機を探知せず。静かな空ですぜ』

「みらい、了解。この海域における全敵性航空戦力の殲滅に成功。敵航空機、確認されません……みらいより機動部隊へ、作戦終了を進言します」

『……空母加賀、了解。第二艦隊および第三艦隊、作戦終了します。護衛艦みらい、適切な航空管制と索敵支援に感謝します』

「どういたしまして」

 みらいは通信機のスイッチを切った。そのまま画面をスクロールさせ、彼我の損害を確かめる。

「敵艦隊、装甲空母姫以下空母3隻撃沈。戦艦1隻損傷。巡洋艦以下、撃沈6隻。その他損害多数。艦娘側の損害はほぼ無し。巡洋艦隊を追い払った榛名さんと金剛さんに損傷にならない数発の被弾、のみ。航空機は対空砲火とわずかな迎撃機によって20数機が撃墜されたけど、70機ほど撃墜された史実と比べて被害は軽微、航空戦力は健在。敵は破壊された飛行場姫の代わりに東太平洋から回航してきた空母を撃沈されて、この地域での航空戦力は消滅。戦術的にも戦略的にも、完全勝利よ」

 そこまで言うとみらいはイヤホンに付属するマイクのスイッチを切り、端末機を艤装にしまって大きく伸びをした。

「あなた達も、お疲れ様、でした」

「とはいえ、特にやることなかったわねー」

「楽でよかったのですけどね」

「……」

 響は黙ってため息をつくだけだった。いつにもまして口数の少ない響の態度は、姉妹艦の2隻に疑問を生じさせることになった。

「どーしたのよ、響。黙りこくっちゃって」

「……まいったね。やっぱりわかるものかい? ちょっと、考え事をしていてね」

「やっぱりね。話してごらんなさいよ」

 雷は言った。長年の付き合いから、響が深く物事を考えるときはこうなることを知っていた。そして姉妹艦の誰にも話ず考え込む時は、大抵面倒くさいことや、ばれたら叱られるような内容である。

「分かった。一人であれこれ考えていても仕方がない。話しておく。今、トラックには大和さんが居ないんだ」

「ん?」

「はい?」

「それは、どういう意味かしら」

 みらい以下2隻は響の言葉に注視している。学校の先生にいたずらした理由を聞かれる子供のごとく、響は言葉を選びながら続けていった。

「……えぇと、つまりだね。大和さんは今日本本土にいる、ということだ。いろいろ話を聞いてまわった。艦娘の運用予定には無かったことで、大和さん当人の希望で本土に戻っていったと。誰に聞いてもなぜだかは分からなかった。みらいさんなら知ってるかと思うんだけど」

「本土まで戻る理由なんて。呉の工廠で艤装のオーバーホールでもしてるんじゃない?」

『我々の歴史では、ミッドウェー以降1943年までは、大和が本土に帰還したことはありませんでした』

「あら、ヤナギ。たびたび助かるわ。ともかく、”私の歴史”に触れた大和がガタルカナル戦で出番がないと知って、艤装の整備や対空火器の増強をこの時期にすることを決めたのかもしれない」

『否定はできませんね』

「いや、おかしいのはここからだ。大和さんの艤装そのものは、トラックの整備施設に残っていたんだ。知りあいの駆逐艦にそれとなく聞いてまわったけど、大和さんが呉まで移動する護衛をする駆逐艦娘は、知る限りでは居ない。つまり大和さんは艦娘としてではなく、1人の人間として本土へ帰った」

 みらいは頬に指を置きしばらく考えて、言った。

「とすると、休暇?」

「えっ……私達の総旗艦の大和さんが、前線をほったらかしにして帰るなんて信じられないのです」

「うん、流石にそれはないんじゃない? 私はそう信じてるわ!」

『みらいさん。米軍ならともかく、今の日本海軍に考えているような休暇制度は無いですよ』

 みらいが頬に手を当て何気なく言った言葉はすぐに否定された。そう、日本軍の兵士というのは一度前線に出ると、基本ずっと前線に出ずっぱりという超ブラック労働環境だった。他国の軍では、一定期間前線での勤務があれば後方に帰還して休息をとれるのだが、日本の場合は部隊の再編成か負傷でもない限り内地には帰れない。そしてそれは、艦娘も同じなのである。艤装の故障や定期メンテナンス、あるいは肉体の負傷や病気が無い限り、日本に帰還するということは考えられないことだし、許可も下りないのである。

「そう。……なら、後方での戦術教育とか出張とかかなぁ? 立場は一応将校だし、海自護衛艦のこんごうさんもそういうことをしてらっしゃったわよ」

『しかし実際のところは深海棲艦への切り札である戦艦艦娘。ぽんぽん前線から引き離すということは考えにくいです』

「うん、私も違うと思う。高級将校も軒並みトラックに居るまま。大和さんは1人で、不意に姿を消した」

「ふむ……? 何かしらね。大和の動き、気がかりね。気にしてみるわ」

 みらいは首をかしげ、端末機を取り出すとメモ帳のアプリを開いて何か書きこんだ。

「て、いうか響。なんでそんなこと知ってるのよ」

「ん。ちょっとした諜報のまねごとを、ね」

「危ないのです。いち駆逐艦の私達が、必要以上に知ろうとするなんて……」

「私は、みらいさんが来て、私はこの世界に改めて興味を持つようになった。流れに身を任せたまま放っておけなくなった。知りたいんだ。あなた(未来)の存在が、私達をどこへ連れて行くのか」

 響はその瞳を、じっとみらいに差し向けた。みらいは一瞬言葉に迷ってから、こう言うしかなかった。

「……身を滅ぼさない程度にね」

「分かってるさ。少なくとも、青葉さんより目立たなければ絶対安全だ」

「ふふっ……違いないわ」

「あの人も困ったものですね」

「諜報は言い過ぎだよ」

 3人は響へ思い思いに言葉をかけて、笑いあった。

「響。何かまたあったら、教えてね」

「もちろん」

 大和はただ1人、未来を知った人だ。いや、大和だけでなく連合艦隊は何を考えているのか? みらいは監視下にあるという立場上あまり嗅ぎまわれない。だがほうぼうにアンテナを張っておく必要がある。

 

 

 

広島県江田島 海軍兵学校・女学校寮

 

 

 一日の長い訓練が終わった。艦娘候補生である数十人の少女たちは、休憩室や自室のベッドなど思い思いの場所で、くたくたの身体を休ませる。ある部屋では、ベッドの上で長い黒髪を後ろでまとめた少女が、んー、と伸びをしていた。

「あ~今日は特に疲れたぁ。誰か、足揉んでぇ~。あ、よねちゃんがいいよ」

 その少女は上に向かって伸ばした手を、入室してきた友人に伸ばし、腕をつかんた。

「なんで私が? ってもう言うのも飽きちゃったわ。よくあることだし」

「えへへ。いつも面倒見てやってるじゃないの」

「どっちがよ」

 よねちゃんと言われたその少女の友人は、三つ編みの茶髪で、黒髪少女とは対照的にはきはきとした雰囲気をしていた。彼女は苦笑しつつも、黒髪少女の足を持って親指で足の裏を押し始めた。

「あとで私にもやってよね」

「んー、もちろん。気持ちいいわ~……」

 黒髪少女はぐでーっと仰向けになり、マッサージの気持ちよさに浸っていた。彼女はしばらくして突然起き上がり、茶髪少女を見た。

「あ、そういえば訓練終わってから、上村(かみむら)さん見てないけどお、何かあったの?」

「えっ、知らないの? 噂になってるわよ」

「ほえ? どんな?」

「訓練後に1人だけ呼ばれたのよ」

「えっ、ホント!? あんなにできる人なのに、なにやっちゃったのかなぁ?」

「あの人に限って。うだつの上がらないあんたの尻ぬぐいさせられてるんじゃない?」

「えぇ~……私もう上村さんに顔合わせられないよ……」

「ふうっ、冗談よ。はい反対側の足」

 

 

 小会議室

 

 指導教官に呼ばれた上村は、想像をはるかに超える命令を受けることになってしまった。連合艦隊の重鎮のある人物が上村にじきじきに会いにきている、という話に上村は始め耳を疑った。たかがいち訓練生である自分に、遥か雲の上にいる人物が会おうとするはずがない。教官は、お前が巡洋艦娘候補生のクラスでトップの成績だから何か激励でもあるんじゃないか、と言ったが、そうとも思えない。上村は椅子に座りながら緊張していた。自分の前に机越しに置かれた椅子に、一体誰が座ることになるんだろうか。まったく落ち着かない。

 果たして、開かれたドアから現れた人物を目にして上村は度肝を抜かれた。そこにいたのはなんと艦娘のトップ、連合艦隊旗艦 戦艦大和だった。

 え。うそ、そんなバカな。来るとしてもせいぜい二水戦の田中提督あたりか、と思っていたのに。まさか上村が、自分の理想像としてあがめる”あの”大和であるとは。完全に予想外だった。

「……」

 ただぽかんと大和の顔を見るしかなかった上村に大和はにっこりと微笑みかけ、会釈をして上村の前の椅子に座った。

「教官さん」

 ふ、と大和が視線を遣ると、彼は敬礼をして退出した。教官の閉めた扉の音でやっと我に返るまで、上村はあっけに取られていたようだった。よりによって大和さんに自分の間抜け面をさらし続けるとは。上村は自身の顔に、体温が集中していくような感覚にとらわれた。

「あっ、あの……」

 言葉が続かなかった。自分ともあろう人間が、緊張と気恥ずかしさで何もできなくなっている。

「ふふ、初めまして。連合艦隊旗艦、大和です」

「あ、はい! 海兵女学校十六期、上村萩子です! ええと……」

「あなたのことはよく知っていますよ」大和は自分の唇に人差し指を当て、上村の言葉を区切った。「時間は限られています。手早くいきましょう。今日は、優秀なあなたを見込んで、非常に重要な依頼をしにここに来ました」

「は、はい。何でありましょう」

 こちこちという擬音がにあうほど緊張した上村の口から、上ずった返事が出た。大和は一呼吸ためて、次の言葉を口にした。

「……欧州に行ってくれませんか」

「……へ?」

 その言葉は、今日すでに何度目かになる予想外のことだった。数秒。

「……それは。駐在武官、と、いうことですか?」

 上村はやっとのことで聞き返した。

「いえ。43年の夏ごろにフランスに渡って、特別な任務に就いていただきたいのです」

「特別な任務……」

「そうです。シベリア鉄道を使って欧州に向かい、()()()()()()()を入手してきてほしいのです」

 どうにか心を落ち着かせようとする。だがやはり話しかけるには多大な勇気が要った。しばらく沈黙が流れた後、上村はつばを飲み込んで、口を開いた。

「……質問、いいでしょうか」

「どうぞ、どんなことでも遠慮なく」

「何故私、なんでしょうか。もっと適任となる専門の諜報員はたくさんいます。私はただの、艦娘候補生です。期待されるほどの能力もございません」

 これは事実だった。彼女は艦娘としての訓練を積んだだけで、諜報やスパイ任務に向いた訓練は一切受けていない。

「これは私達魔法使いでないとできない任務なのです。現役艦娘は前線で戦闘を続けているので、半年も戦列を離れられる艦は居ません。人的資源の豊富でない日本は諜報専門の魔法使いも居ない。だから、訓練生の中で最も技量の安定しているあなたに、私は注目した訳です」

 大和が上村に注目していた。彼女は居心地の悪い体の奥に、どことなくくすぐったいような気持ちを覚えた。

「これは極めて危険で、難しい任務になります。正直に言いましょう。失敗して海外の諜報機関に捕らえられる可能性が五分五分以上、と私は見ています。この作戦に参加することを強要しませんし、拒否したことにより不利益を被ることもありません。あなたの任意になります」

 上村の心はすぐに決まった。もとより、覚悟の上での入隊だ。その上、大和じきじきの依頼とあっては辞退するわけがなかった。

 

 

古鷹山 山頂

 

「時間がちょっと余ったから登ってみたけれど。ここに来たのも久しぶりね」

 大和は眼下に広がる呉港を見下ろした。ドックには多数の水上艦艇が入渠していた。

「あなたが拒否するわけがないと分かっているうえで、危険な任務に誘ってしまった。……ごめんなさい」

 寮の建物を見下ろして、大和は目をつむった。脳裏に焼き付いたここの風景。呉は、艦娘としても人間としても、大和が生まれ育った郷里だ。平成の時代では江田島が一般人にも公開されているらしい。あまたの人々が眺められることができるようになるのだ。呉の街には、”薄幸な艦娘”大和を始めとする、この時代を戦った艦娘や軍艦を祈念した博物館も存在しているという。

 大和は目を開けた。

「いや? はたしてそうなるのかしらね。ねぇ、『みらい』」

 


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