約1か月後・夜 「出雲」艦内ウェルドック
「……機関始動」
ガスタービンエンジンの甲高い音が狭いドック内に響き渡る。注水され既定の深さまで張られた海水の表面が、みらいの艤装の振動と音によって細かな波を刻んだ。
「うん、ひさしぶりだけど大丈夫。体はちゃんと感覚を覚えてる」
艤装の設定を見直し、機器のシステムチェックを行っていたみらいは端末機から視線を上げて呟いた。みらいの隣では同じく自身の艤装を付け海上に浮いた明石が、みらいの艤装に搭載された、日本海軍規格の無線装置を調整していた。
欄干に肘をついてみらいを見ていた佐倉提督が、エンジン音に負けじと大きな声を張り上げた。
「リンガの時と同じだ。快調ですね!」
「機関まわりは損傷してませんからね。被弾したのは頭の部分よ。怪我ももう治ったし、大丈夫です!」
「うん、心強い」佐倉提督は軽く頷いた。「夜遅いけど、この後お時間取れます?」
「ええ、大丈夫ですよ。基本的に暇ですし」
「じゃあ修理費用請求書はその時に渡しますね」
佐倉提督は冗談とも本気ともつかないいつもの口調で軽く言い放った。
「……お金取るんですか」
「この時代の通貨は持ってないでしょう。なら身体で払って貰いますよ」
佐倉提督は能天気に笑った。このような発言にはもう慣れたみらいは、肩をすくめて言った。
「……この時代でよかったですね、提督。21世紀じゃセクハラで訴えられて首ですよ。ええそれはもう確実に。気を付けていてください、私が来た以上半年後も同じ世界とは限りませんから」
「はは、失礼しました。自重します。なんせ今後はあなたと長い付き合いでしょうから……」
結局佐倉提督は、みらいに深く関与しすぎたということでリンガ司令部を解任され、トラックでとどめ置かれることとなった。田舎の基地から一大根拠地トラックに移ったことは栄転といえばそうではあるが、佐倉提督は厄介な存在をもたらした張本人と捉えられているのか、立場が基地責任者からいち将校とむしろ下がっていると言えなくもない。実際の仕事内容はみらいに関しての連絡将校、すなわち連合艦隊とみらいとのパイプ役である。
「で、良かったんですか? リンガの龍田さんに、しばらくして帰ってくる、みたいなこと言ってたのに」
「色々やらかしたからなぁ。あの人ああ見えて怖いんですよ。首が物理的につながってるうちに逃げてこれて良かった。僕の後継はまた別の人がやるだけだから問題ないでしょう」
みらいは、龍田のことを思い出してそんな人だったかな、と苦笑した。佐倉提督自身は前の職場にあまりこだわりは無かったようだ。
「……それで? 修理費請求はただの気持ち悪いご冗談でしょうか」
「いやいや、実はマジな話でしてね。上からみらいさんの修理には大金が掛かったから作戦に積極的に参加させろ、と言ってきているんですよ。まぁその辺のことはあとで話します」
「分かりました。……システムチェック完了」
みらいの背後で艤装を弄っていた明石が、くるりと身をひるがえしみらいの前に現れた。「こっちも問題ありませんね。無線はいい感じです」明石は調整に使っていた工具を、自分の艤装にあるフックに引っ掛ける。
2人は小さく息を吐き、ウェルドックの発進扉からしんと差し込む月光の明かりに目をやった。
「……では、トラックの海へ。夜の試験航海へ行きますか」
「行きましょう。海上自衛隊・ヘリコプター搭載護衛艦『みらい』発進します!」
「日本海軍・工作艦『明石』出ます!」
2隻の少女は夜のラグーンに踊り出した。
深夜の泊地は宇宙だった。ひたすらに広い環礁は、巨大なくろがねの海洋をたたえて静かに眠っている。空を見上げると琥珀のような丸い月が、かなり高いところに静止しているのが見えた。その周りには無数の光点が無言で瞬いている。ぐるりと世界を取り囲むような天の川が、目が慣れるごとにますます輝きを増してゆく。深く暗い闇の中、水平線に寝そべるように広がる大小の島々には、ぽつんぽつんと人工の星が灯っている。
みらいと明石、2色のエンジン音はこだませず、永遠の大気へ落ち込んでいくようだ。前を行く明石の艤装から、わずかな光が漏れてくる。自身の艤装を見ると、複数のモニターや端末機が、冷ややかな色で明るく輝いている。みらいと明石の光源は海面をほのかに照らしていた。12ノットで無色の空気がやってくる。みらいにぶつかり、髪を掻き分け、肌を撫つつ後ろへ逃げる。静かな波をかき立てて宇宙の表面を分けてゆく自身の足は、青白く揺らめいていた。
「あ、夜光虫」
ぐるりと私を囲むのは、深夜の大気という宇宙。エーテルの流れを体に受けて、夜光虫の灯りはロケットの炎のよう。願わくばこのまま。私の生まれた時代まで……
「美しい夜ですね、みらいさん」
航海科妖精の一言が、みらいを現実に引き戻した。みらいは我に返って、咽頭マイクのスイッチを内線に入れた。
「あぁ、そうだみんな。私が明石さん達に修理してもらったところとか、ついでに改修してもらったところが結構あるから話しておくわ。全乗組員、傾注」
一呼吸おいて、みらいは言葉を続ける。
「まず、損傷個所。左前方SPY-1Dレーダー、スーパーバード衛星通信ドーム、NOLQ-2
「ようするに、ハリボテですね」
「NOLQ-2はもう一つあるし、衛星通信はこの時代では使えないからいいけど、イージスレーダー一面が修理できないままなのは痛いわね。……次に、127ミリ速射砲。被弾によって損傷し、射撃不可能になったオリジナルの砲身は修復不可能だった。だから、明石さんに諸元を伝えて砲身の複製を試み、一応の再生には成功。だけど所詮は旧式技術によるデッドコピー、命中率や連射継続能力の低下は免れないでしょうね」
「そういえば、主砲のシールドも変更したのですね」
「ええ。主砲塔を、あたご型護衛艦のようなステルスシールドに換装したわ。不格好だけど、端末機でシュミレートした形だからからちゃんとレーダー波を抑えてくれるでしょう。それからメインマストも可能な限り傾斜した合板で覆って、ラティスマスト化。気休め程度かもしれないけど、私のステルス能力は向上したはずよ。それから、すでに発射し終えたSSM-1B発射筒内部に、この時代の規格に合わせた無線機を設置したわ。とりあえずこれでほかの艦娘や佐倉提督などの指揮官に、同じ手段で通信できるようになった。防御面では」
みらいは艤装外殻に増設された合板に目をやった。
「VLSミサイル弾庫側面部分およびSSM発射筒周囲に、角度をつけた『シュルツェン』を装着。着発式の榴弾が命中した時に、空間装甲としてある程度爆発の衝撃を弱めることができるはず。対艦爆弾は徹甲弾が多いから、あまり効果は無いかもしれないけれど、少しでもハード面での防御力を増しておきたいから一応ね。それから攻撃面。残念ながら弾薬の補充はほぼ不可能だったわ。ただ唯一、ブローニングM2重機関銃はこの時代でも存在していたから、弾薬の融通が利きそう。バルカン砲の20ミリ砲弾もうまくいけばコピーできるかもしれないけれど、私1隻のために工場の生産ラインを立ち上げるかって考えたら現実的ではないかも。主砲弾薬は使用しているオクトーゲン爆薬が入手できないため、生産はちょっと不可能かと思う。TNTとか、現在使われてるほかの爆薬で代用するにしても、この時代の技術では最悪暴発や腔発の可能性があります。よしんばできたところで、近接信管が技術的に作れないから対地対艦用の着発式信管のみ。まぁ、使い物にならないでしょうね」ここまで言って、みらいは首をすくめた。
「……さしずめ、みらい『改』1942年型と言ったところですかねぇ」
「いっそのことヘリ甲板にでも対空機銃を増設しますかぁ」
「ばかいえ。せっかくのステルス艦なのに反射面積を増やしてどーする」
「じゃああとどこを改造できるかな?」
「酸素魚雷発射管載せるとか?」
「ならいっそのことカタパルトと水上機でも載せますか。飛行科の人はどう思います?」
「おう、C4Iシステム載せてるのなら考えてやる」
わいわいがやがや。艤装の中や甲板の上で手持無沙汰の妖精たちは好き勝手に話しているのを聞いて、みらいはついつい微笑んでしまう。約1か月ぶりに艤装を付け、水上を滑るみらいは強く思わずにはいられなかった。これこそが私だ。私の「世界」だ。もと来た時代を失ってしまった現在、この海上こそが私の帰るべき故郷なのだ。
トラック環礁外縁部
「127ミリ砲、弾種・演習用ペイント弾。赤外線カメラデータリンク、ターゲットロックオン! 撃ち方始め!」
「撃てー!」
闇夜の中で一瞬、砲口にまばゆい閃光が8回走った。初速約800m/sで大気を貫く砲弾は、次々と炸裂し海鳥が曳航する標的用の吹き流しをオレンジ色に染めた。
「演習弾、8発ともに命中」
「まぁ、悪くない命中率ね。この時代の鍛造技術で砲身をどこまで再現できるか分からなかったけど……かなり良い。ありがとう、明石さん」
「え、ええ……全弾直撃、この距離で。しかも夜なのに。さっすがですね」
「私はトリガー引いてるだけで、照準と弾道計算は全部コンピュータがやってるんだけどね」
砲術科の妖精がみらいに尋ねた。
「砲身の連続射撃試験も行いますか?」
「砲身が余計に痛むだけだから止めておくわ。明石さん、替えの砲身はありませんよね?」
「ひとつだけ作ってみた試作品だから……予備砲身は必要ですよね」
「ええ。これと同じ仕様のものを、とりあえず2、3本お願いします。とりあえず主砲はこれで良し、と。問題は矛じゃなくて楯の方ね」
みらいは端末機を取り出し、左前面SPY-1の電源を入れるとともに海鳥に航路指示を出した。
「……だめ。これじゃ使い物にならない」
端末機に表示された左前方のレーダー画面は一応映るものの、多数のノイズやありもしない光点が現れては消え、レーダー視界に移動した海鳥の機影を捉えることができなかった。
「失った視界は4分の1。低空警戒のOPS-28と、残る3面のイージスレーダーを組み合わせてどこまで空の目を補うことができるか……」
みらいは暗闇に浮かぶ海鳥の航空灯を見つめて呟いた。
「1門であれほどの投射弾数を持つ主砲に……500キロの電探索敵能力、ですか」
停泊した軽巡「綾瀬」甲板上で、双眼鏡を使いみらいを見ていた加賀が呆れたように言った。「綾瀬」艦上には、数人の艦娘と将校がみらいの試験航行を見物していた。
「あの艦が、21世紀から……ねぇ」
「加賀さんは信じますか?」
加賀の隣にいた大和が声を掛けてきた。
「信じるもないも、現にあそこに居ます」
「噂どころかみらいの姿を見てもなお、信じない立場の人も多いですけどね。長門さんなんて、今日ここに呼んでも来てませんもの。あの様子じゃ、ご立腹ですね。バカみたいな話に浮かれて、なーんて」
加賀は双眼鏡から目を離し、あの人らしい、というような視線をちらりと大和の方に送った。
「5インチ主砲1門と誘導砲弾を備えた防空艦が、21世紀の主力を務めている。この事実から持論を証明されたようで、私はむしろ愉快です」
「持論?」
「海戦の主力は、大砲から航空機に代わる。いわゆる航空主兵論です。あなた方戦艦は否定するでしょうが」
大和は欄干から身を乗り出して加賀の顔を覗き込み、様々な意味が含まれた笑いを見せた。
「いえ? そうでもないですよ。……私自身」
加賀は大和の、目の前に広がる夜の海のような瞳を見つめた。
「あなた……変わりましたね」
世界中の海にはどれだけの海流が流れ、生命が息づいているのだろうか。加賀の脳裏にはなぜかそのような疑問がよぎった。
「そうでしょうか」大和は意味深な笑みを浮かべた。数秒の無言が続いた。
「私の、そして連合艦隊の今後の計画では」
海に向き直った大和は、不意に話し始めた。
「ガタルカナルではこれ以上戦えません。2か月以内に撤退します」
「ずいぶん諦めが早いのですね」
「そうでしょう? そのままラバウルやニューギニアからの撤退も進めて戦力を温存するとともに戦線を大幅縮小。伸びきった兵站の健全化を図ります。同時にマリアナからフィリピンまでの線を要塞化して、太平洋の深海棲艦を迎え撃ち、ここで完全に撃滅させます」
大和は暗闇を見つめて淡々と言い切った。その言葉を聞いた加賀は、自身の顔に明らかな驚きの色を表した。
「我々皇軍が血を流して獲得した大地をそのままにして逃げると言うのですか! それに、深海棲艦は西にも版図を広げています。深海棲艦を撃滅するには、一度の艦隊決戦に勝ったところで意味が無い。東に進撃してゆくしか手はありません」
「ご心配なく。こちらには切り札がありますから。ひとつは未来から来た彼女。もうひとつは……ふふ、そうですね。1959年、ハルビン西部から膨大な量の石油が眠っていることが発見されること、ですかね」
「それは……?」
それが未来から手にした情報か。東南アジアと満州にある油田に頼って、持久戦を持ちかけるというのか。だが釈然としない。東太平洋に散在する深海棲艦の巣を撃滅しない限り、状況が打開できるようには思えない。と、ここまで考えたとき加賀の頭にもうひとつの可能性がよぎった。確かにこれなら、太平洋の深海棲艦を殲滅できる可能性はある。しかし国際情勢の動きを確実に読み取る能力と、高度な情報が必要だ。
「大和さん。あなたはどこまで未来を見たの」
「それは、まぁ、色々と。あまり詳しいことはまだ言えません。そのうち説明する時が来るでしょう、大丈夫ですよ。今後も期待しています、加賀さん。熟練の主力空母として、頑張ってください」
加賀はそれに何も返さず、目の前の昏い海を眺めてこう表現した。
「……この黒い海は、まるで宇宙だわ」
運命が変わってゆく。想像のつかない世界へ、否応無しに連れていかれる。めまいのような感覚の奥にある確かな位置を、加賀は感じたかった。
数日後 午前9時 トラック環礁外縁部
「第三水雷戦隊所属、第十九駆逐隊、敷波です。よろしくお願いします」
「同じく、綾波です」
「同じく、磯波、です……よろしくです」
みらいの目の前には、完全武装の3人の艦娘が立っていた。強烈な陽光の元に立つ3人は、ともに同じデザインのセーラー服で揃えていて、姉妹艦である統一感が目に心地よい。手にしている武装は連装砲と3連装魚雷管がひとつづつ。背後の艤装にコードを伸ばしたヘッドホンと両足に満載された爆雷が、今回の任務の内容を示していた。
「第1護衛隊群、護衛艦みらい、です。本日はよろしく」
初対面の年下を怖がらせても仕方ない。みらいはつとめて明るく、フレンドリーに接するようにしようとした。
「護衛……いえ、何でもないです」敷波が一瞬、みらいに目を合わせて逸らした。
「まぁ、後方での対潜哨戒だからあんまり肩ひじ張らないで、トラックにきて私の初めての任務だから、よろしく頼むわ。仲良くいきましょう」
「……」
みらいが笑いかけても愛想笑いをするだけで、何か肩透かしを食らったようだった。
警戒されてる? 仕方ない、か。
試験運転のあと、佐倉提督に言われたことを一言で要約すると、働かざる者食うべからず、ということだった。曰く、みらいの修理には、資材や修理順序もかなり優先して行われたとのこと。海軍上層部にはそれほどのリソースを割いてしかるべき存在なのか疑問視する声も多く上がっていた。「早くここでやることを見つけろ」と佐倉提督に言われたみらい自身、何か任務を見つけないと手持ち部沙汰で落ち着かなかった。佐倉提督を通じた調整の結果、トラック近海から内南洋船団航路の
しかしここで横やりが入った。一部の「みらい懐疑派」から、正体不明の艦娘を泊地近海で自由に戦闘行動させることはどうなのだ、と。いくらかのやり取りの結果、みらいが脅威ではないことを示すため、数隻の駆逐艦でみらいに同行し常時監視することとなった。建前上では、”異なる組織に所属するみらいの作戦行動に対し、こちらも艦娘を出して支援する”ということらしい。このような経緯から、みらいは今、第十九駆を従えていたのだった。
みらいは端末機を取り出し、艦内に伝わるよう言った。
「これより環礁外部に出て、トラックとポナペ……ポンペイを結ぶ船舶航路上を移動。6時間後にトラックを出る輸送船の間接護衛を行います。ポナペの予定到着時間は20時間後、そこで半日休息をとって、トラックに帰還します。総員、対潜対空警戒を厳として。ソナー員、レーダー員、異常があればすぐ教えてね。私も注意しておくけど。砲雷科、
気心しれた妖精たちに、厳しくもなるべく明るい口調で話しかけたのは、みらいがこの海原に居場所を見出したからだった。70年の時をさかのぼっても変わらない海に出ている時のみ、孤独感が一時的に薄れた。
一呼吸つくと、みらいは端末機をしまって後ろをふり向き、3隻の駆逐艦に言った。
「これからトラック環礁を出、ポナペに向かいます。陣形は私を頂点に、左右に広がる梯形陣で。いわゆる弓形陣でお願い。私が前方の潜水艦探知を行うから、もし発見したら前進して、指示するポイントに爆雷を投下して」
「了解しました」
みらいの監視として駆逐艦が配備されたことは、メリットもデメリットもあった。みらい単艦ならともかく、旧式で音のうるさい推進器を搭載している駆逐艦に至近で動かれると、水中の音が乱されてしまい、その艦の付近は水中探知の影となってしまう。例えるなら鉄道の高架したで、携帯で通話相手の声を聴くようなものである。だが、21世紀の原潜ならともかく、騒音の大きいこの時代の潜水艦が相手。通話相手はひそひそ声ではなく大声で話してくれる。探知は難しくないはずだ。それに、みらいの持つ武器がこの時代で補給できないことを思えば、”弾数縛り”のない爆雷を発射できる艦が隣にいることは心強かった。
みらいは端末機を操作して、腰部に設置された飛行甲板を起動する。シャッターを開いた格納庫から、SH-60K対潜哨戒ヘリが搬出された。作業に当たっている妖精たちは大忙しだ。
SH-60K”シーホーク”はシコルスキー社のSH-60シリーズをもとに三菱重工が独自に改造を行った機体で、対潜戦だけでなく警戒任務や輸送、対艦攻撃までこなせるなど、より汎用性が向上している。そしてみらいは、書類上ヘリの運用が主任務のDDH(ヘリ搭載護衛艦)である。SH-60Kや海鳥を運用するに必要な予備部品や、様々な装備の搭載弾数は、ほかの汎用護衛艦娘と比べてかなり充実している。必要物資の供給が絶たれたこの時代だが、機材のメンテナンスや修理もしばらくの間は大丈夫だろう。
航空科の妖精は折りたたまれていたSH-60Kのローターを展開し、エンジンの起動を始めた。19駆の3隻は、この見慣れない回転翼機にもの珍しそうな視線を送っている。始めはゆっくりと、そして次第にメインローターの回転数が上がり、彼女たちが聞きなれないT-700ターボシャフトエンジンの音が響き渡る。固定しているワイヤーを飛行科員が外し、誘導員が旗を振りあげると、ふわりとSH-60Kは浮き上がった。パイロットを務める2人の妖精は、自機をもの珍しそうに見上げている3隻の駆逐艦娘にむかって親指を立てた。
「どう? 私の艦載機よ。空中で静止して潜水艦を捕捉できるの」
一通りの発艦手順が終わったあと、みらいは3隻に向かって軽い笑みを見せた。初めて見るSH-60Kの発艦シーケンスに見とれていた3隻は我に返り、えーと、と困惑した風に視線を泳がせた。
「……まぁ、大丈夫なんだったら大丈夫なんでしょうけど」綾波が3隻を代表して答えた。
「そう……それでは、行きましょうか」
4隻の艦娘は、陽光まぶしい南洋の海面を、鋼の靴で掻き分けていった。
午後6時30分
360度の水平線を支配していた夕焼けが掻き消え、周囲はとっぷりと暗くなった。後部甲板の着艦誘導灯は、トワイライトの海原にぽつりと明かりを落としていた。SH-60Kは独特のタービンエンジン音を広げつつ、みらいに危なげなく着艦した。
「午後の哨戒任務、お疲れ様。あなた達、昼間働きづめて本当ありがとう。飛行科、明日の朝までにシーホークの整備と補給をお願い。これより夜間哨戒態勢に入ります。……シーホークが1機だけだから、シフト組んで海に常時ソナー垂らしておくことができないのよね」
みらいの常用艦載機はSH-60Kが2機である。今回はRIMPAC参加のため、特別に海鳥を搭載していたのだった。おかげで対潜哨戒に穴が空くことになってしまった。
「……」
みらいは肩越しに後ろをふり向き、SH-60Kの着艦を確認するついでに3隻の駆逐艦娘の顔を見た。彼女らはSH-60Kを見て、深海棲艦や諸外国の航空機について雑談を繰り広げていた。
みらいを監視する彼女らは、始めこそみらいを警戒して、みらいの背中にじっと視線を送るだけだったが、昼をすぎるとさすがに暇になってきたようだった。お互い、いくらかの世間話を交えたり、妖精と雑談したりして暇をつぶしていた。戦闘海域近くならぴりぴりした雰囲気にもなろうが、後方での哨戒任務では、監視任務自体は警戒員の妖精で事足りるので、艦娘自身はずっと暇な時間が続くのだ。みらい自身、片手間にセンサーの確認をしつつ、端末機で電子書籍を読んでいたのだった。
「あなた達、シーホークが気になる? ちょっと見せてあげましょうか、あまり重要なことは話せないけど」
3隻は雑談をピタリと止め、笑いかけてきたみらいに興味ありげな視線を送ったが。
「いえ……結構です」
半日も行動していれば少しは信頼できるだろうと考えていたが、いまだに自身を避けているような態度に、みらいはぶすっとして言った。
「はっきり言って……ちょっと無愛想ね。ひょっとして私と話せないの?」
「えぇ。お察しの通り、必要以上の会話は禁止されています。お話して盛り上がってきたら、ついつい機密とか漏らしちゃうかも知れないでしょう?」
敷波が答えた。彼女らの立場を考えると、当然と言えば当然である。
「そう、残念ね。21世紀から来た私なら、機密なんてお見通しなんだけど」と、みらいは端末機の画面を掲げた。
「胡散臭いなぁ。磯波はどお思う?」
「えぇ、ちょっと振らないでよ……まぁその、夢があって良いんじゃないでしょうか」
ちぐはぐな回答に、みらいはつい声に出して笑った。
「確かに、自分の存在は夢うつつのようなものね。変わり始めたこの世界の延長線上にはいないかもしれない、幽霊だ」
みらいは軽いニュアンスで受け流した。つられて笑顔になりそうだった3隻の表情に、困惑の色が戻る。
「……それを私たちはどう、受け止めればいいんでしょうか」
不意に重くなった空気を感じて、みらいは両手を合わせ、明るく3人に提案をした。
「それじゃ、こうしましょう。私がシーホーク、と言います」
「は?」
「それであなた達は、『ク』から始まる言葉を探して、次の人につなぎます。言葉の最後の文字から始まる言葉を、つぎつぎ言っていきます」
「それって要するに、しりとりなのでは……」と、綾波。
「そうよ。暇だから4人でしりとりをしましょう。しりとりなら、言葉を考えて選ぶ遊びだから、軍機を漏らしちゃうことはないでしょ」
「な、なんでするのよ」
「折角同じ作戦についてるじゃない。ちょっとした余興よ、暇だし。このまま3日間、仲が悪いままなんて気まずいわ」
みらいの提案に、敷波が笑みを浮かべて進み出た。
「んー、ま。面白いね。いいよ、やろう。ね、磯波、綾波」
「そ、その……必要以上の会話はするなって命令が」
「いいのいいの。会話はだめだけどしりとりするなとは言われてないからね」
敷波はすっかり乗り気だ。綾波も口を開いた。
「まぁ、命令厳守、おしゃべり禁止なんて堅苦しいことは、私達駆逐艦娘には合わないわね。やりますか」
「よっし! 『く』からだったね……これしかない、『駆逐艦』!」
瞬間、3人は大笑いした。一瞬何のことか分からなかった敷波も、自分の犯したミスに気づいて気まずい笑みを浮かべた。
4人は言葉をつなぎながら、すっかり暗くなった静かな外洋を進んでいった。
アルミ合金の機体外板で陽光を反射させながら、SH-60Kは低空で静止していた。機体からすぐ下にある海面は、ローターのダウンウォッシュで蜘蛛の巣のような白波が立っている。SH-60Kの機体下部から吊り下げられ、海面に浸されている物体はHQS-104ディッピングソナーである。ヘリから任意の海域に直接ソナーシステムを吊下することで、母艦推進器の騒音を気にすることなく自由に対潜哨戒できる。SH-60Kが拾った水中音は機内のソナー員が確認するとともに、母艦であるみらいにも送られ、統合的な水中データが収集される。
「みらいさん、シーホークが本艦より南方200カイリに艦隊の音紋を捕捉。第二次ソロモン海戦より帰投中の第三艦隊だと思われますが……」
水測員は語尾を濁した。
「思われますが、何?」
「史実と違い帰投する艦娘が違うようですね……艦隊編成に若干の変化が。鈴谷と思われる艦がおらず、代わりに大型艦が1隻増えています」
みらいは端末機のデータを開いた。理由には心当たりがある。修理の見返りとして、みらいは第二次ソロモン海戦についての情報開示を行った。連合艦隊は敵がどこにいて、どのタイミングで攻撃してくるかを知っている。その情報に基づいて戦闘を行ったはずだ。艦娘の被害も史実よりはるかに抑えられただろう。
「私たちの歴史では沈むはずだった、空母龍驤でしょうね」
「いえ、龍驤は別にいます。この艦は4軸推進です」
「4軸推進……ということは?」
みらいは端末機のデータベースから、これまでに拾ったスクリュー音紋のページを開いた。みらいがこれまでに拾った艦娘の情報をトレースさせていくと、該当する1隻がピックアップされた。
「……空母加賀」
南太平洋 日本海軍第三艦隊
「前路警戒機より入電、所属不明のオートジャイロ1機が本艦隊の前方に滞空しているとのことや。加賀、どうする?」輪形陣の前方に居た龍驤は、旗艦加賀に無線で伝えた。「一応日の丸がついた機体やけど。怪しいなら回避するか、零戦出して撃墜してもええで」
加賀は龍驤の警戒機に周波数を合わせ、パイロットに機体形状に関するいくつかの質問をした。返答はいずれも、付近の海域で行動していると知らされている、かの「みらい」艦載機と特徴が一致していた。みらい機ならひとまず脅威とならないはずだ、と加賀は考えた。
しかし、加賀のとなりにいた空母は、彼女のやり取りをまどろっこしく思ったのか矢をつがえた。
「零戦、出しますよ。いいですね先輩」
「瑞鶴、ダメよ勝手に……」
「だって翔鶴姉、うちら海軍はオートジャイロ機を保有してないし、ソ連やアメリカの機体がこんなとこで偵察活動してるんならなおさら怪しいし……識別するまでもないでしょ!」
加賀はあきれて通信用ヘッドホンの片方を耳から離し、横目で瑞鶴にぴしゃりと言った。
「やめなさい瑞鶴」つづいて無線機の目盛りを全艦に合わせた。「各艦に通達。前路に滞空する機体は友軍機です。我が海軍が極秘に開発・試験を行っているオートジャイロで、気にすることは無い。迎撃も航路変更の必要もありません」
それに反応したのは瑞鶴であった。
「ちょっ、本当に? オートジャイロを開発してるなんて聞いてないんですけど。なんで加賀さんだけ知ってるのよ!」
加賀はため息をついて静かに言い放った。
「旗艦ではないあなたがそれを知る必要はなかったし、私がこれ以上当該機を知る必要もない」
「何よ、えらそうに。すましちゃってさ!」
「私の復帰で旗艦を外されたからって、いちいち食ってかかるのはやめなさい」
「ん、むぅー……」
「加賀先輩……」
悔しそうに眉間にしわを寄せる瑞鶴と、瑞鶴をたしなめつつ加賀への視線に批判の色をにじませる翔鶴。彼女ら2人の技術は見るものがあるのだが、血気盛んでいかなる時も自身の勝利を確信している。その彼女たちは、慢心と疲労から負け戦になったミッドウェーを経験していない。加賀は不安に思っている。2人の性格を考えても、今回私が空母戦の指揮をしなければ、敵の情報が分かっていたとしても誰かが危なかったかもしれない。
「シーホーク、日本海軍機に接触を受けているのがわかる?」
みらいのSPY-1は、SH-60Kの上空を飛行している小型機を捕捉していた。SH-60Kの機載レーダーは水平面より下方にしか向かないため、海面すれすれでソナーを吊下していると航空機の接近が分からない。
『目視できています。こちらを攻撃してくる気配はありません』
「第三艦隊の上方には私の存在が知られているはずだから、攻撃を受ける可能性は少ないけど、念のため。私のことを知らない艦娘に、あまり姿をさらすのも良くないわ。ソナーを収容、いったん帰投して」
『了解しました』
「第三艦隊ってことは一航艦ですよね。ガタルカナルに攻撃に向かった機動部隊の帰りでしょ」
みらいは端末機から目を離すと、敷波が声をかけてきた。すでに十九駆の3隻とはすっかり打ち解けていた。いちおう情報漏洩を気にしてか言葉を選ぶ場面はあるものの、積極的に話しかけてくる。
「もしかして被害なし? 勝ち戦ですか」
「合流して出迎えましょうよ!」
綾波と磯波もにこやかに話しかけてきた。みらいは指先を頬に当てちょっと考えて言った。
「いえ、私たちは私たちで任務を全うしましょう。あんまり私の姿を皆の前にさらすわけにもいかないし、ね」
『オートジャイロ、海面への吊下物を収容して移動を始めました』
「そう。龍驤。追跡しなくていいわ、と」
加賀は一呼吸ついて思いを巡らした。のちに”第二次ソロモン海戦”と名付けられるであろうこの戦いはうまくいった。まずは、連合艦隊旗艦である大和の期待に応えられただろう。そして彼女が当然考えているであろう、「みらい」を利用する計画の一翼を担えたはずである。この先自分がいつまで無事に戦えるかは分からないが、前線で戦いつつ、加賀の横で愚痴を垂れている後輩の教導もしつづけねばならない。”引退”してしまった、赤城の分も。
「……」
加賀は何も言わず、ふたたびため息をついた。横に目をやると、瑞鶴と視線があった。
「……何か?」
なまじ練度は高いだけに、古参の自分に対する態度がお世辞にもよろしくない。一応は言うことを聞く限り、本心から加賀を嫌っているわけではないと思いたいのだが。
なんにせよ、やるべきことは多い。