数日後 夏島・海軍病院
一大根拠地トラック島の海軍病院は、ヤシの木に囲まれて今から見るとレトロな風情の木造の建屋であった。
中に入ると、治療されていた数人の傷痍軍人や艦娘に混じってみらいが訪れた目的である少女がベットの上で座っていた。
「あ。みらいさんがお見舞いに来てくれたのです」
彼女の隣に椅子を置いて座って彼女と話していた少女が先に挨拶をかけてきたため、みらいも2人に返した。
「おはよう、電さん。暁さん、怪我の具合はどう?」
みらいはできるだけ明るく話しかけるようにつとめた。
「ん……多分。みらいさんこそ、頭と左目」
暁は口元にわずかな笑みを浮かべて言葉を濁し、みらいの頭に巻かれた包帯と眼帯に目をやった。
「私は大した傷じゃないから、気にしないで。失明するわけではないわ。暁さんもその分なら平気と思う」
「その……私の代わりに怪我させちゃって、とってももうしわけないと思うわ。あたし自身長い間戦線離脱しないとだし……」
暁がたどたどしく呟いた。
「ん? 全然気にしてないのよそんなこと。失われるはずだったあなたの命を救うことができた。私はそのことが本心から嬉しいと思ってる。これは事実よ。大丈夫、怪我なんて時間がたてば治るの。生きて帰ってこれた限り、私の怪我もあなたの怪我も、そしてつらいという思いも……時間がすべて、必ず解決してくれる。だから今は何も気にせず、ゆっくり時間をかけて養生してていいのよ」
本当に時間が経てば治るのか? 症状がいつまで続くのかみらいには分からない。だが暁にはそう強調して伝え、隣の電にも目をやった。病院に彼女がいるのは、偶然同じタイミングで見舞に来たからではない。捕虜となっていた時のトラウマで精神が不安定な暁を放ってはおけないと、姉妹の3人が持ち回りで暁に付いて見守っているのだ、ということをみらいは響から聞いていた。響は暁の精神状態をことさら心配していたようで、みらいに一度相談していたのだった。
「そういえばみらいさんはここで艤装を修理しているのですか?」
電が話題を変えようとみらいに質問した。
「ええそう……明石さんに治してもらってるの。あの人すごいのよね。機械オタクっていうか」
「おたく?」
「その、すごく詳しくて。なんていうかメカニックに対する愛を感じたわ。あの人のおかげで私の艤装も完全に修理されちゃいそうよ」
「あ、明石さんに会ったんですか。確かに、すごいけど変わった人なのです。そういえばこの前、夕張さんが……」
3人はしばらく明石と夕張に関しての笑い話に興じた。精神的に衰弱している暁も、このひと時だけは1人の普通の少女に戻れたようだった。
明石の工廠の話をしているとみらいにふと疑問が浮かんできた。
「あ、そういえば暁さんの艤装を見かけなかったけど、明石さんの工廠入りしてるのかしら?」
「ううん、私のは……本土よ」
「大破してたから、航空便で日本に持って帰ってメーカー修理だそうです」
付け足した電に暁は小さく重く呟いた。
「……ねぇ、やっぱり修理が終わったら付けて出なきゃダメなのよね」
「怖いの?」電が暁の手に手を重ねて聞いた。
「よくわかんない。どう思えばいいのかな?」
暁は自分をあのような目に合わせた艤装と、どう向き合うことが出来るのか分からないようだ。ここは海軍病院だ。今は忘れて養生していても、入院しているここが海軍病院である以上自身の使命からは逃れられない。
「私の方が早く修理が終わるから、あなたが出ることになった時は付いててあげる。上に掛け合ってもみるわ。……そういうことは今は気にしないでいいのよ。大丈夫、安心してて」
みらいは暁の頭にそっと手をやった。包帯の上から、応急処置の時怪我をしてなかった部分を思い出して撫でてやった。暁が戦列復帰した際には、上層部が最大限彼女の精神状態を尊重するよう、大和に進言してみよう。みらいが実戦での協力をほのめかせてやればある程度は通るはずだ。多少の借りができても、せっかく救った彼女を日本軍のスパルタ指導の犠牲には、させたくない。
日本陸軍と海軍の対立は非常に激しく、「日本は陸軍と海軍で戦争しながら片手間に深海棲艦と戦っている」と揶揄されるほどであった。だから海軍の根拠地に陸軍参謀が交渉に行くというのは、敵地に進出するようなものである。しかるに辻政信がトラック基地に行く時、事前に諜報関係者を送り込んでいたとしてもなんの疑問もない。
辻は海軍の言動を訝しんでいた。あれほどまでにいけいけどんどんだった海軍が、ガタルカナル島の戦力をどうも過大評価しているようなのだ。それもどこからか持ち込まれた資料が元になっているようだった。さらに、正体不明の艦娘らしき人物の報告が上がっている。また山本五十六がわざわざ時間を割いてまで会談した人物がいたらしい。陸軍は独自に艦娘一覧表というものを作成し、常に探りを入れていた。戦略兵器である艦娘を海軍が独占していることに対して、陸軍が危機感を抱いていたからだ。たとえ艦娘が極秘に徴兵されたとしても、その存在はすぐに陸軍情報部に知られるようになる。
これらの情報が結びつき、辻は陸軍が放置するには危険な存在が1人いるという結論を確信するに至った。そして、その人物は現在、ここトラック海軍病院に居るとの報告を受けたところだった。
「いざ中央突破、敢行せん!」
辻は病院正門に立ち、1人で小さく宣言して足を踏み入れようとした。瞬間、視界外から聞き覚えのある声がかかった。
「あら、辻参謀ではないですか」
声の主、艦娘大和がふいと建物の陰から全身を現した。
「陸軍さんが私たちの病院に何かご用でしょうか?」
大和が疑問を持っていることを強調するかのように、差していた日傘が傾いた。
この小娘、私を監視していたか。さてなんと答えようかと一瞬考え、口を開いたが、その言い訳が喉から出てくる直前、大和が意味深な微笑みとともに発声した。
「ちょうどよかったです。実は、お話ししたいと思っていたことがあるのですよ。もしよろしければ今から来ていただいて……あっ、ごめんなさい。海軍病院にご用があるのですよね。辻参謀がお会いしようとしている海軍関係者を待たせてはいけませんよね。相手はどなたか、存じ上げませんが」大和はそう言って病院の建造物を大仰に見上げた。
やはり海軍は艦娘に関したことで隠しておきたいことがあるようだ、この大和のわざとらしい素振りで辻はそう確信した。応じるかどうかで逡巡したものの、すぐに結論は出た。どうせ彼女の監視下で諜報活動はできない。
「……いや、結構。どうせ大した用事ではない。参りましょう」
楓島沖・支援母艦「出雲」艦内
海軍が巡洋艦を改造し艦娘用工作艦に造り替えた「出雲」の存在は、辻もある程度は知っていた。陸軍の人間にとっては不思議な存在感のあるその「出雲」艦内通路を、辻は大和に先導されて歩いていた。近代化改装によって内装は小奇麗になったようだが、やはり旧式艦ではなにか無理があったのか迷路のように思える通路は狭苦しい。時おりすれ違う時に敬礼をよこしてくる当直の水兵が肩にぶつかりそうで、辻はうっとおしく感じていた。
「このようなへんぴな場所に連れてくるとは……陸軍人の私で本当に良かったですかな?」
こんなところに連れてきたということは、ほぼ間違いなく彼女の部下「艦娘」に関する話だろう。そう思ってカマをかけてみたら、予想外の質問が帰ってきた。
「辻参謀。あなたはその聡明なる頭脳で日本の未来を想像したことはありますか?」
「未来……だと? 知れたこと。日本は大東亜の盟主となって世界を席巻しているでしょうな!」
いつもの調子で豪快に言い放った辻に対し、大和はある扉の前で立ち止まって振り向いた。
「……根拠はございますか」
「根拠ですか? 大和魂の力ですな。断じて行えば鬼神も退く。確たる信念をもって戦い続ければ、いずれ怪物どもも殲滅できるに違いありません」同じく立ち止まって冷笑する辻の、大和に対する視線は、無言の非難が含まれていた。「しかし、怪物と最前線で戦う艦娘の頭ともいえる貴官がそのような弱腰では困りますなぁ」
「……情けない。陸軍の鬼才、作戦の神様にしてはお粗末すぎます」
「なに?」
「どうぞ、この部屋の中に」
大和は目の前の扉を開け中へと促した。電気がつけられ辻は室内を見回すと、油臭い室内には工具や作業用機械、艦娘規格の小型主砲などが棚や机の上に雑に並べられていた。「出雲」の存在価値である、艦娘向けの工作室のうちのひとつのようだ。大和が事前に人払いしたのか、この部屋を普段の職場としている明石という「工作艦」はおらず、無人だった。部屋の中央付近には現在この工作室を占拠し修理されているとみられる艤装が鎮座していた。それは中央に置かれた艤装固定装置に応急的に繋がれていることから、日本海軍とは規格の違う艤装だと推察された。
「巡洋艦級……見慣れない艤装だ。拿捕した海外のものですかな」
「いえ、大日本帝国滅亡の象徴です」
夏島島内
「今日はありがとう、なのです。おかげで暁ちゃんも元気が出たと思います」
電が言った。彼女は、みらいが現在仮の住まいとしている宿舎に帰り着くまで、みらいを見送りに来ていたのだった。
「いえ、どういたしまして。暁さんのお見舞いに許可が出てよかったわ。ここでは私が何をするにも許可がいる」
「大変なのですね」
「まあ、ちょっとはね。佐倉提督に日本海軍とのパイプ役をやっていただいてるから、あの方には感謝ね。不真面目なように見えて、意外と丁寧だし依頼もきっちり通してもらえるのよね」
電はくすりと笑って言った。「みらいさんは帝国海軍に編入されたいとは思わないのですか?」
「そんな気はないわ。こっちの考え方に慣れないの、戦略があまりに違いすぎるもの。私が所属″している″自衛隊は専守防衛なのよ」
「専守防衛?」
「他国とは戦争しない、海外に出動しない。自衛隊がその兵力を投入するときは日本が侵略された時だけ。私は、この理念に従って活動している……」
「その理想は素晴らしいと思うのです。日本がそんな国になるまで、いろいろあったのですね」
「ええ、いろいろね」
数秒の沈黙ののち、電は口を開いた。
「……みらいさんは、この先私たちはどう戦っていくのが一番だと思うのですか?」
「戦線の縮小よ。ソロモンや南洋諸島から撤退してオーストラリア軍に任せる。日本はボルネオ島・フィリピン・グアム・マリアナの線あたりまで防衛線を下げるのよ。現状じゃ補給線がいっぱいまで伸びてて、深海棲艦の攻撃で補給路がずたずたにされるから」
「撤退……ですか」
「ただ、歴史の大きな流れでみると、本当にこれが一番なのかは断言できないのだけどね。なんにしても帝国主義の時代はきっと終わる。植民地は独立して、抑止力の時代が来る。どの選択をとれば結果的に一番死者が少なくなるかなんて誰にも分からない。でも、私は一人でも多くの人を救いたい。短絡的な考えだったと思われるかもしれないけど、でも目の前で死ぬ運命にある人たちを放ってはおけない。国家が戦力を持ついちばんの目的は、人命救助のはず。……残念ながら、この時代で同意してくれる人はほとんどいないと思うけどね」
みらいは半分自嘲気味たため息をついた。だが電はその言葉を聞き驚いたような表情をうかべ、そして満開の花のような笑みで言葉を発した。
「ううん、電はみらいさんと同じ考えなのです。出来るだけ多くの人を、できれば沈んだ敵も助けたいのです。みんなに、そんな考えは甘いって言われ続けてきたから、未来のひとが同じ考えなんて、とても嬉しい……」
「そういえばあなた、最初に会ったときにそんなこと言ってたわね。深海棲艦がなぜ突然現れて私たちに攻撃してきたのか、分からない。でも人間のように知能を持った存在ならば、出来れば殺さずに済ませたいのは確か。たとえ達成することが難しくても、理想を持つことは大事よ」
「えへへ。私の考えをそんな風に言ってくれる人は初めてなのです。でも実際には問答無用で攻撃してくるから、平和的に解決できないのですけどね」
みらいは自分と共通の理想をもつ電と談笑しながら、やはり孤独感を感じていた。結局、理想は理想なのだ。深海棲艦と殺し合いしなくて済む世界を志望しながらも、あくまでそれは実現しえないと割り切っている。この時代の彼女たちに平和な世界は存在しない。迫り来る深海棲艦を自身の持つ全力で撃退しないと、彼女たち艦娘の未来はない。別の選択肢など考える余裕はない。そのような世界だ。
「私なら、できるかな?」みらいはぽつりとつぶやいた。「深海棲艦の攻撃を遥か手前で探知できる私なら、考える余裕がある。状況によっては、殺し合いを回避する選択肢を用意できるかもしれない」
「どうやるのですか? 降伏してもらえる深海さんがいるのならいいのですけど」電が遠慮がちに言った。
「……ん、無理かな」
ここまで話すとみらいの宿舎に着いたので、2人は別れた。
「70年後の″日本国″からやってきた使者、その名は『みらい』」
「70年後……何を言っている」
「大日本帝国はあと数年で崩壊します。あなたにとってはおとぎ話でしょうが」
辻は大和の意図が理解できなかった。彼女のような立場の人間がそのような与太話を口にするとは。息を飲んで大和の顔色をうかがったが、彼女は極めて冷静に、まるで大きな歴史書をひも解いて読んでいるかのような表情で置かれた艤装に冷たい視線を送っていた。その表情の下にひそめているのは?
「そういえば……東南アジア方面で正体不明の艦娘が報告されていましたな」
「ええ、私はその正体不明の艦娘、みらいに出会いました。そして、彼女の持つ70年分の圧倒的な情報に……触れました」
大和はす、と手を伸ばしその艤装に触れた。日本海軍のどの艦娘でもない独特な艦体色をしたその物体。全体的なバランスは悪く装甲も薄そうで、どこか頼りなさげに思えた。艤装内側にはいくつかテレビジョンのような画面が存在していることが目を引くが、このような複雑な機械類は艤装に存在しえないはずだ。おそらく、未来の技術で作られたとうそぶくための飾りであろう。海軍の人間が陸軍をだますためにこれほど手の込んだものを作っている場面を想像すると、辻にふつふつと怒りが湧いてきた。
「貴様……?」
このくだらない話を一発怒鳴って吹き飛ばしてやろう。と、大和の方を向いた辻は絶句した。
「ここは海軍艦内ですので、お静かにお願いしますね」
大和は左手人差し指を唇の前に持って行き、艶やかに微笑んだ。辻は彼女を前にして何も言葉を発することができなかった。大和の右手が把握した拳銃は、辻の胸を目指していた。
「あなたは運よくこの戦いを生き延びることができるのですが、無駄な徹底抗戦を繰り返し続けたあなたのおかげでどれほどの皇軍兵士が無駄死にを強いられることでしょう」
いきなり胸元に突き付けられたが、喉に重しとなってのしかかる。今何か言おうとしたことが霧散していった。
「もしここであなたが『事故死』しちゃったら、何人の人間の命が救われるのでしょうね」
大和の微笑んだ顔に世間話をする時のような軽さが交わる。撃つはずがないという確信が、辻の激情を決壊させた。
「こ、この女狐め……そのような精神で前線で戦っている兵士に対し恥ずかしくは無いのかァ! 情報だ物量だと、それは勝敗を決めるものにあらず! 限りがある物量に対し人間の精神力は無限大である! 必勝の信念こそがわが大和民族の……」
「ここまで来ると盲信ですね」
大和は半歩だけ進み、辻の眉間に銃口を突き付けた。辻の演説はここで途切れた。
「残念です」
撃鉄を起こす。
辻はぞっとした。いつの間にか、大和の顔から昆虫と遊ぶ子供のような笑顔が消えていた。彼女の表情を支配しているのは、情動を持った無表情だ。辻が見た大和の顔は、次の瞬間、自身の判断で引き金を引くことなどためらわない意思が滲み出していた。
「その必勝の信念でこの弾丸を避けられたら、無限の精神力を信じましょう」
「……!」
辻は大きく目を見開き、息が続かなくなった。70年後とは何の話なのか。誰が何の目的で目の前の艤装を作ったのか。何故このような目に合うのか。
大和は引き金を引いた。静かな空間にかちん、という小さな音が響いた。音に驚いた辻はへたり込み、地面に尻餅をついてしまった。
「艦娘大和は、1945年に撃沈されるはずでした。ですが、歴史は徐々に変わりつつあります。この先何が起こるか、誰にも予言はできません」大和も正座で座り込み、辻と同じ視線の高さで語りかけた。「あなたは今、生き延びました。ひとつ辻参謀にお願いしたいことがあります」
「な……何を」
「一木支隊とともにガタルカナル島の攻撃に参加し、そしてどうか死なずに帰ってきてください。ガ島の戦いで一体何が起こっているか、そこでの出来事、彼我の戦況を頭にとどめ、あなたが何を見たかを参謀本部にありのまま知らせてください。『作戦の神様』たるあなたが見た世界がどのようなものだったか、しかと上申してください」
「……」
大和は辻の目をじっと見つめている。双方の視線が合わさったまま、数秒の沈黙が流れた。
「いいですか、大切なことは生き残ることです。勝ち負けは博打です。たとえどのような事があっても生還し、的確な判断を下すことで多数の皇軍兵士の命を温存し、結果的により多くの戦果を挙げることができれば、あなたの名は英雄として後世に長く伝えられることでしょう」
「な、何が命だ、お前は今私を」
「いやぁだ、大切な陸軍の参謀さんを撃つわけないじゃないですか。怒鳴られそうで怖くて、取り乱してしまってすみませんでした。このことはご内密に、お願いしますね」
「と、取り乱して……」
大和に深々と頭を下げられた。辻はもう何も言うことができなかった。
「辻中佐。大丈夫、あなたならたとえどのような場所でも生き残ることができるでしょう。私はあなたの力を、信じていますよ」
そういって大和は、すこしひやりとするほどの甘い笑顔を見せた。大和は立ち上がり、辻に手を差し伸べた。辻の手が、大和の柔らかい掌を掴んだ。
この間思考が麻痺していた辻の脳内もじきに目まぐるしく稼働をはじめ、「出雲」から帰還するとすぐ今後の方針や作戦について考え始めた。しかしそれからしばらく、その脳内にはしばしば大和の言葉がちらつくようになった。
「お、青葉っちじゃん、おひさ~。訓練終わり?」
重巡用の艤装管理施設から出てきた青葉に対し、松葉杖で体を支えた少女が小さく手を振った。
「あぁ、鈴谷さんじゃないですかぁ、お久しぶりです。お察しの通り定期訓練が終わったところ。魚雷にやられたようだけど、お加減はどうでしょう」
「まーどうにか。ダメージは大体”靴”が吸ってくれたからね。片足骨折、それと下半身に打ち身切り傷やけどぐらい」
鈴谷は包帯に巻かれた足に目をやった。不幸中の幸いなことに、後遺症の残るような怪我は無かった。だがしばらく杖なしでは歩けないし、傷跡が残るかもしれない。
「まぁ、お大事にしてね。ちょっと時間、良い?」
「いーよいーよ、おかげでしばらく休暇だから。ていうか、また取材とやらをするつもり? ま、いいけど。青葉っちの方は?」
「青葉はこの前のソロモン海戦で結構活躍したから、そう面倒くさい訓練はしばらく無し。鈴谷さんは何してたの?」
「ちょっとね。艤装の修理はどのくらいかかるかなって、ここに」
そう言って鈴谷は施設の壁にもたれかかった。
「と、いう訳で質問いいかな? 鈴谷さんは……」
いつもの調子でとうとうと話そうとする青葉の口に人差し指を向けて鈴谷が言った。
「まって。当てて見せようか。艦娘『みらい』のこと。でしょ?」
「ご名答。まぁ、鈴谷さんが無線越しに会話した相手が噂になってる訳だし、それ以外に無いよね!」
「まぁね。あの人、自分で未来から来たとか言っちゃってるけどサムいよね」
「おりょ? 鈴谷さんは信じない派なんですか」
「誰が信じるかってーの。一応自分ら兵学校出じゃない。理屈でモノを考えること、は教えられたよね。そんな非科学的なこと、信用するほうがどうだって。鈴谷の予想では外国の諜報艦だね。青葉っちも気を付けといた方が良いよ。ネタをすっぱ抜くつもりが、逆に機密盗まれないようにね」
「海外の諜報艦、か。それにしてもかなり好待遇だし、大和さんによれば非常に高い対空火力で数十機の深海棲艦の戦爆連合を返り討ちにしたとかなんとか……」
青葉は手帳に視線を落としながら疑問を呈した。
「口で言うだけなら何とでも言えるっしょ。実際に深海棲艦の艦載機がいくつ撃墜されたかなんて、あの場に居なかった私らはわかりっこないし。私には大和さんや上層部があの人と口裏合わせてるんだと思う。特殊任務で日本海軍との連絡作戦とかに就いているんだよ。そう考える方がよっぽど自然だと思うな。そう考えるとドイツかイギリスあたりの特務艦かな? アメリカとは何かと仲悪いしぃ」
「海外には存在自体公表されていない大和さんが、彼女に協力していることは確かなんだけど……諜報艦だとしたら不自然なところが目立つんだよなあ」
「大和さんもいろいろと謎が多い艦娘だからねぇ。どっちかっていうと怖くて聞けないって方だけど」
鈴谷は怪我人とは思えない明るさでけらけらと笑った。
「やっぱり、極秘の連絡任務だというのを隠すための嘘が、未来から来たっていうのは無理がないかな?」
「んー……ま、今の私が知るべきことではないし、割とどうでも。青葉っちはどうなの? 信じる派?」
「中立ですよ。メディアというのはmidium、中道を意味します。私はあくまでみんなの意見を集めるだけだから」青葉はそう言って持っていたペンをくるりと回した。
「そりゃあ、不自然な点も多いと思うよ? でもそれいっちゃったら、一番非合理的なのはあの艦娘が時間を移動してきたぁ、なんて狂言をことを信じることでしょ。大和さんが噛んでるんだったら、砲弾撃墜した話も時限信管を使って口裏合わせたんだろうし、空襲回避も噂で聞くぐらいの機動性があれば出来ないことではないしね。高性能な艦娘ってだけで、あくまで私らの延長線上、この時代にいるわけ。ま、お偉方も艦娘も、自分らの立場に居れるだけの良識があれば、タイムスリップなんて信じないだろうけどね……」
そういって鈴谷は肩をすくめた。
「そのうえで、自身の立ち回りかたも解ってる。はず」
「これは……」
面白いことになってきた。一通り話し終えて鈴谷と別れた青葉は、ネタ帳をぺらぺらとめくって感想を漏らした。護衛艦みらいの存在を信じる派と信じない派で認識の違いができてきている。もっとも、大半の関係者にとってまだ風の噂レベルの存在で、判断保留という層が一番多い。
意見を聞いているうちに、彼ら彼女らの新たな一面を見られたという精神的充足感が満たされていくのを感じた。青葉は、これほど面白いネタを供給してくれるみらいの存在を半ば無意識に好意的に捉えた。
「もっとみらいさんが動いて多くの艦の前で戦ってくれれば面白いのにな。よし、今度は29dgの子たちに聞いてみよう!」
そういうや否や、青葉はくるりと身をひるがえし駆けて行った。
支援母艦「出雲」
明石は艦内の工作施設で分解された筒状の物体とにらめっこをしていた。その物体の先端をピンセットで弄り、ルーペで拡大し、細かい部品と悪戦苦闘していた。
「ふぃ~、これはだめだ。細かすぎて疲れるわ。ラムネでも飲んで休憩しよっと」
明石は大きく伸びをすると、部屋を出ていそいそと炭酸ガス発生装置のある部屋に向かおうとした。こっそりとシロップを持ち込み、水に溶かして炭酸ガスを吹き込んだ”ラムネ”を飲むことが「出雲」での明石の楽しみのひとつになっていた。
「ご苦労様です。精が出ますね」
「あっ、大和さん。お疲れ様です」
明石は廊下で大和に出会い、驚き敬礼をした。
「休憩ですか? 炭酸でも飲みます?」
大和は氷水の入った小さいバケツを持っていた。大和はそこから2本のガラス瓶を取り出し、うち1本を明石に差し出した。ありがとうございます、と明石は礼を言ってよく冷えたそれを受け取った。
明石は廊下の壁にもたれかかり、ラムネ瓶を小さく振って銀のあぶくを覗いた。
「それで、何を聞きたいんですか? 内地製のラムネを手土産に、わざわざこの艦にまで連合艦隊旗艦殿が何の御用でしょうか」
明石は大和に疑問を投げかけたが、内心わかっている、という風に得意げな笑みを見せた。
「ええ……みらいは、本当に未来から来たのか。あなたの視点からどう思うのか、知りたいわ」
明石は左右に視線をやった。廊下には扉が並んでおり、中に『出雲』当直の人間が居るかもしれない。人に聞かれたくない話だ。
「廊下で話すのもなんですし、私の工作室に来てくださいな」
「これは何だと、思いますか」
明石が指示した机の上。そこにあったのは、太ったダーツの矢のような形の、白い色をした物体だった。2本あるうちの1本は明石の手によって分解調査されたようで、非常に細かい機器が先端から露出していた。
「……何かの噴進弾のようですね。みらいが深海棲艦に主張していたサジタリウス、でしょうか」
「射手座ですか、間違いないです」明石はくすっと笑った。「みらいさんが言うところでは……」
明石はラムネ瓶を机の上に置いた。その物体はラムネ瓶より一回りほど大きいぐらいの物体だった。戦艦娘用の砲弾と比較しても遜色ない直径だ。明石は机の上に手をついて、そこにクリップで雑に纏められた書類のひとつに目を通した。
「スタンダードSM-3。艦娘発射型の弾道弾迎撃”ミサイル”。音速の8倍まで加速して、宇宙空間から落下してくる敵国の戦略兵器に直撃させる」
「……」
明石は大和の顔にちらりと視線をやった。驚くどころか表情ひとつ変えないのは、こんな話を信じざるを得ないほどの光景でも目撃したというのか?
「まったく、信じられない話ですよね。何もかも規格外、もっとましな嘘をつけって。宇宙から攻撃する兵器なんて、どんな国にも造れない」
「……あなたなら、その話が本当かどうか検討をつけることができるのではないでしょうか」
「えぇ。弾体に内包されている爆薬や魔導推力の量を計算してみたのですが……理論上可能な値が導き出されました。荒唐無稽なこの話を否定するものは、ただひとつを除いてありませんでした」
「ただひとつ?」
「姿勢制御のジャイロが見当たらないことです。いかにしてこの弾体を安定させるのか……? ただ、代わりに……なのかどうか分かりませんが、微小なシリコン片が綺麗に並べられた金属板からなる部品が見つかりました。ただこれを分解しても、何がどのように機能しているのかさっぱり。皆目見当つきません」
「それは、今の時代の既存の国家が、何かの理由で未来から来た艦を偽装するために思わせぶりな部品を搭載しているだけ、という可能性を否定できるものでは無いのですか?」
「だと、私は思いたかったのですが」
「?」
明石はぐい、と大和の顔に迫って少し小さな声で言った。心なしかその声は震えているようだった。
「顕微鏡で見ないと分からないほどの、この金属板。その表面にここまで精緻な加工を施す技術は、この地球上のどこにもありません」
「どこの国にも?」
「どこの国も、絶対に。ドイツまで技術研修に行った私が言うんだから間違いないですよ」明石はハッと自嘲するように息を吐いた。「正直に言うと、すごく悔しいです。日本一の艤装エンジニアだって誇りが、木っ端みじんですよ。ただでさえこれなのに、この前、機関調整する時に見せられた彼女の端末機。テレビのような画面ひとつで、私らじゃ数時間かかる艤装の調節と魔力の最適化を数分で終わらせることができる。その画面は紙をめくるかのように、指ではじいて動かしてく。一瞬で機関出力や弾薬残量、レーダーソナーの情報からダメコン具合まで、好きな項目を確認することができる。ノート一冊分もない体積の中には、図書館一件分の資料が詰まっている……」
みらいの艤装を構成する技術について自分の意見を話す明石は、こう見えても日本一の艦娘エンジニアである。その彼女が自信を喪失するほどの高度な機能を聞いて、大和の確信が内側から肉付けされてゆく。みらいがどこかの国の諜報艦で、21世紀から時間を渡ってきたと騙っているという″懐疑派″の言う可能性は、これで潰えたと断定して間違いなさそうだ。
「……」
大和は一歩進みだす。机の上の″ミサイル″をじっと見つめ、思いを馳せた。おそらくみらいは、これを使って大和の主砲弾を撃墜し、40機の攻撃隊を返り討ちにしたのだろう。ガタルカナルで見た彼女の力の片鱗が、いまここにあった。
「明石さん」
「あ、はい」明石は流暢に続けていた考察を止めて返事した。
「エンジニアのあなたには、彼女の正体を推測することは難しいかもしれません」
「いえ。『彼女は今より技術が発展した未来で生まれた。1隻の艦娘が時間を超えて、この時代にやって来た』。こう判断する以外に選択肢は存在しません。これが私の結論です」明石は首を振って開き直ったように言った。
「私の判断と同じだわ。強大な力を持った未来の1隻が私たちの前に現れた。これは事実でしょう。彼女が、私達の力になってくれることを祈っています。そのために、できる限り協力していきましょう」
明石はラムネの瓶を掴んで、机のドライバーを取り出して力を加え瓶のビー玉を押した。大和も玉押しを使って瓶を開ける。明石がラムネ瓶を大和の前に掲げると、大和もそれに応えた。
「21世紀の欠片を見ることができたのを、記念して」
「彼女が私たちの力になってくれることを祈って、未来に乾杯……ふふ。炭酸ですけどね」
内側にはあぶく、外側には水滴をたたえた、その瓶を持つ手はひんやりとして気持ちがいい。渦中の人の得物を前に。さわやかな酸味が2人の喉を潤していった。