仁義ある暗殺   作:絹糸

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第十話:テスト期間

 

 

 花槍有粋の得意科目は国語と社会だ。

 

 源氏物語は原文と現代訳の双方を五十四帖ぶん全て暗記しているし、古事記や日本書紀だって寝起きでも諳んじられる。

 漢字検定と日本語力検定は何年も前に一級を一発合格したし、古典の名作と呼ばれる大抵の小説は読破済み。

 俳句に川柳に短歌に都々逸と何でもござれ。

 小学生時代の百人一首大会では無双の活躍を成し遂げぶっちぎりで優勝、肝試しにおいても古典怪談をフルで頭に刻んでいる彼女は語り部として引っ張りダコになり、旅行先ではその土地の歴史や建造物の面白エピソードを素人にもわかりやすく話してガイドさんから『先輩』と呼ばれるに至った。

 仏像を一瞬でも視界に入れればそれが如来か菩薩か明王か天部かを判別でき、代表的なものだけで14種ある鳥居の分け方をもっと細かい派生系まで網羅している。

 厳密な意味での幽霊と妖怪の違いだとか、そういう民俗学的なものまで社会の一部として脳味噌に叩き込みきった彼女は、この2教科に関してだけはテストで失点を許したことがない。

 

 反対に、数学と英語は苦手科目だ。

 

 挨拶程度の日常会話にもスラングを乱舞させるガラの悪い外国人とのコミュニケーションに慣れてしまったせいで、堅苦しい文法に倣って文章を書こうとしても無意識に粗野か卑猥な内容になってしまうし、簡単な挨拶でも癖で口説き文句を付け足してしまう。

 『10個のリンゴを6人で分けるにはどうすれば良いですか?』という質問に「五人ぶっ殺して最後に残った奴が独り占めすりゃいい」とか「リンゴ? そんなもんより女喰おうぜ!」とか「10個のリンゴも6人の人間も全て私のものにすれば解決」と答えるような連中ばかり見てきたせいで、文章問題はマジメに計算しようとしても勝手に進行方向がずれていく。

 それでも元々の脳味噌は優秀な部類に入るようで、苦手といっても80~95の間を行ったり来たりくらいの成績はとれていた。

 

 親友のカルマは勉強せずとも常に自分以上の好成績を叩きだす根っからの天才肌。

 ゆえに、自分も武力のみならず知力を備えた、親友に相応しい者であらねばらないと日々精進している。

 有粋の才能量はカルマより少ないが、努力量なら圧倒的に彼女が勝利していた。

 

 

「――で、ここは先に約分しちゃうやり方と後でまとめて約分するやり方があってね」

 

 

 だからといって数学で親友に優ったことは一度もなく、こうして教えられる立場にあるのだが。

 

 学校の中間テストが迫ってきた今、殺せんせーによる『高速強化テスト勉強』なる催しが教室で開かれている。

 お得意のマッハ分身術を駆使し、生徒とマンツーマンで苦手科目を徹底的に復習していくという彼にしかできないだろう授業スタイル。

 ご丁寧に分身一体一体が教科別のハチマキを巻いていて、数英社など書かれた普通のハチマキに交じり、寺坂だけは某週刊少年誌で連載されていた忍者作品に登場する額当てを巻かれていた。

 苦手科目がありすぎて一字で表現しきれなかったがゆえの結果らしい。

 常時金欠の殺せんせーがどこのショップであのそこそこ高い額当てを購入したのだろう。

 

 

「にゅっ!? カルマくん、先生の授業を受けながら有粋さんに数学を教えつつ先生を暗殺するのはやめてください! というか器用ですね!?」

「あは、ごっめーん。つい癖で」

 

 

 いきなり変な形に顔が凹んだ殺せんせーの残像に生徒たちが驚けば、案の定、その犯人はクラスきっての悪戯少年カルマであった。

 『癖』が暗殺のことなのか有粋に勉強を教えていることなのかは判別しかねる。

 どちらにせよ、三つのことを同時に余裕の表情でこなしているあたり、この少年は本当に文句なしの天才肌だ。

 有粋も殺せんせーの英語の授業を受けながらカルマに英語を教わっているが、さすがに暗殺までする余裕はない。

 

 

「しかし有粋さん。貴方は英語が苦手というより悪手なようですね。他にも英語が“出来ない”生徒は何人かいますが、“やらかしている”生徒は貴方だけです」

「……すまん先生、『Good night』を『夢で会おうぜ、お嬢ちゃん』と訳したのァわざとじゃねェんだ。こういう言い回しの奴に教わって染み付いたのが落ちねェだけで」

「こっちのほうが凄くない? 『Are you ready?』を『貴様の分際でこの俺を待たせるとはな!』って。記号まで変わってんじゃん。ある意味通じるかもしれないけど」

「すまねェ二人とも……苦労をかける……」

 

 

 机に片肘をついて掌で顔を覆いながら、疲れたような表情で眉間にシワを寄せて項垂れる有粋。

 殺せんせーとカルマとのこの会話だけ聞いていれば有粋がかなりの馬鹿みたいだが、これでも一応英語で平均点以上をとっている女だ。

 だからこそ稀に紛れ込むエクストリーム和訳が際立ってしまい、本校舎にいた頃から英語教師に「こいつジョークのつもりで書いてんのか?」と困惑の眼差しを向けられたりもした。

 今も会話内容が聞こえたらしい座席周辺の生徒たちから驚きの目で見られている。もう一度言っておくが、決してジョークで書いているのではない。無意識にやってしまうのだ。

 

 

「有粋、国語なら平家物語を寝言で語れるくらい得意なのにね」

「いっそ英語で書かれた日本の古典作品を読むところから初めてはどうでしょう? 苦手な英語でも元が得意な国語の一部だと思えばどうにかなるかもしれません」

「なるほど、そういう変わり種の勉強法もありか」

「数学に関しては……文章問題をこなして慣れていくしかありませんね」

「とりあえず文章問題は力技で解決しないものだって意識に刷り込まないと」

 

 

 二人からの親身なアドバイスに真剣に頷く。

 この間にも殺せんせーの他の分身たちは生徒に勉強を教え続けているのだから、彼はスピードだけでなく器用さに置いても逸脱している。

 その割に格好つけると失敗しがちだったりエロ本が好きだったりと間抜けた所もあって、一概に完璧とも言い切れないのが面白い。

 カルマも殺せんせーのことを随分と気に入っているみたいだし、彼がこの教室にいてくれて良かったと改めて有粋は思う。

 

 

(何で殺されたがってるのか分かんねェし、そもそも本当に殺されたいなんて思ってんのかも謎だが……アタシの大事なカルマを救ってくれた命の恩人だ。殺せんせー。アンタが自分の死を望むってんなら、アタシは全力でそれを叶えてみせるぜ)

 

 

 感謝と殺意は相反するものではない。

 絶望を抱えて生きる人間もいれば、希望を持って死ぬ人間もいる。

 ならば感謝を手に殺す人間がいたっていいだろう。

 暗殺教室――いつか敬愛する教師を自分たちの手で殺さねばならない宿命を背負ったここの生徒たちも、きっと何人かは多かれ少なかれそんなことを考えている。

 中でも彼女の親友はその筆頭格だ。

 

 

(でもまぁ、感謝を伝える行為ァなにも暗殺だけじゃねェよな。こうして勉強教えてくれてんだから、成績上げんのも恩への報い方だ)

 

 

 標的と暗殺者、教師と生徒。

 暗殺者として標的である彼を殺すのが感謝の示し方なら、生徒として教師である彼に己の成長を見せるのもまた然り。

 学校に通っている以上、手っ取り早く成長を見せつけたいなら成績アップが一番の方法だ。

 

 とにもかくにも、今日は帰り道に英語訳の小説と数学の問題集でも買って帰ろう、と。

 静かに心に決めて、有粋はシャープペンシルを握り締めたままふっと口元を綻ばせた。

 視界の先では、楽しげな笑顔を浮かべた親友が殺せんせーに対して本日二度目のナイフを振るっている。

 嗚呼、今日も平和だ。

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

「――39.8℃か」

 

 

 体温計に映った数字を確認して、有粋は布団に寝そべったまま気怠げに呟いた。

 テスト前日にして体調不良という不運。ここで無理すれば明日のテストに響くかもしれないし、無理して登校した結果クラスメイトに感染させてしまっては元も子もない。

 この程度の発熱なら山登りくらいなんてこと無いのだが、時期も考えて、やはりここは休むべきだろう。

 

 枕元で充電器に繋がれているスマートフォンを手にとり、電話帳の一番上に登録されているカルマのメールアドレスをクリック。

 霞む視界の中で簡素に『発熱した。感染回避のために休む』と打ち込んで送信すれば、三十秒とたたないうちに『りょーかい。帰りに林檎とポカリ買ってく』という文章が返ってきた。

 

 前までのカルマなら、有粋がいないのに学校に行くのは面白味が無いという理由でズル休みを決め込み、花槍家まで看病に来たものだ。

 それをしないということは、彼は今の学校生活を楽しんでくれている。

 楽しいという感情は幸せになる上で大切なものだ。

 親友が幸せならば、有粋にとってこれほど嬉しいことはない。

 

 

「さてと、明日に向けて読み込むか」

 

 

 のそりと布団から起き上がり、私室の端の文机に広げた英語訳の雨月物語を手にとる。

 周囲の迷惑を考えて学校自体は休むが、だからといって勉強を休む気はさらさら無い。

 元から体脂肪率が低いせいで風邪を引きやすい体質なのだから、体調が悪い程度で勉強やトレーニングをサボっていてはすぐに弛んでしまう。

 

 吐いてもいいから栄養のある食材を無理やり胃に詰め込み、目眩で眠れないなら自然と睡眠欲が湧いてくるようになるまでランニングや筋トレで体を虐め抜く。

 あとは水分をとって便所にいってを繰り返して毒素を排出し、動脈の通っている部位に保冷剤でも当てておけば熱は下がってくる。

 ついでに解熱に効果のあるツボにスポールバンでも貼ってビタミンを積極的に摂取すれば、いつもの経験からいって明日には確実に平常時の体温まで戻るはず。

 

 普通に休めと人には言われるが、有粋の場合、何もせずにただ布団で療養というのは逆にストレスが溜まってしまって熱が上がる。

 だからこそ、多少のダメージが体に残るとしても普段通りに過ごして熱だけさっさと下げるのが昔から変わらぬ風邪の対処法だ。

 

 朝のストレッチの合間に雨月物語のページをめくる。

 その顔色は真っ赤で肌も心なし汗ばんでいるが、鍛えられた体幹にブレは無い。

 その力強さが、無茶をすることに慣れきっている証と思えば凛々しいよりもむしろ痛々しく。

 襖の向こうの若い衆がハラハラと心配そうな表情で見守ってしまうのも無理のない話だった。

 

 




久々の本編更新。
殺せんせーによるクラス全員への説教は結果的に聞き逃すことになった有粋。でもたぶん後でカルマくんが教えてくれます。

おそらく次の次くらいから始まるだろう修学旅行編は少々のオリジナル展開要素が入ります。
そのうちオリ主以外のオリキャラも少数だけですが出てくる予定なので、その前に原作キャラの掘り下げをできるだけやっておきたいところ。

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