燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第八話/西部地区さんぽ

 この日のロビン中央広場の活気は、ちょっとしたものであった。

 

 

 ロビン中央広場は、ロビンの都においても人口密度が高いエリアである。

 それは、都市の主な通りに隣接している立地が理由となっている。

 すなわち、中央広場にいる者は、通行を目的としている事が多い。

 

 だが、この日は違う。

 この日の中央広場の一角には、半径五メートル程の仮設ステージが設けられていた。

 中央広場では、頻繁にステージイベントが開かれている。

 この日はそのイベント……とある歌手のライブの為、歩行者ではなく観衆が押しかけているのである。

 ライブの開始時刻が近づいており、ステージ上には吹奏楽器を手にした楽隊が待機している。

 あとは歌手の登場を待つだけで、ステージを半円状に囲んだ観衆は大いにざわついている。

 そして、その観衆の中には、ヒロとセンダンの姿があった。

 

 

 

 

 

「こんなに観客がいるとは思わなかったわ。さすがだわあ……」

 センダンが、独り言とも、隣のヒロに声を掛けているとも取れる調子で呟く。

 観衆の密集具合は相当なもので、肩肘を回せば隣の観衆に触れてしまいそうだ。

 背伸びもままならい状態で、少々の息苦しささえも感じるものである。

 そして、その密集具合はヒロの周りでも同様であった。

 

「ねえねえ、センダンさん、皆僕を怖がらないよ」

 ヒロがニコニコしながら言う。

 ヒロに限っては、その密集が逆に嬉しいようである。

「ま、これだけ混んでりゃね」

 一方のセンダンは気だるそうに肩を落とす。

 彼女は、観衆の密集よりも、密集具合を喜ぶヒロに呆れていた。

 

「僕の顔も少しは温和になったのかな」

「そんなわけないでしょ。皆気に留めてないんじゃないの?」

「そっか。ライブを待ち侘びているみたいだしね」

「そうそう。……ん、そろそろ時間かしら」

 センダンが、ステージの傍に設けられている時計を見る。

 釣られてヒロも時計を見ると、時刻は午後四時ちょうどを指していた。

 いつの間にやら、ライブの開催時刻である。

 

 

 

 

 

「やあやあ、皆、待たせてしまったね!」

 仮設ステージ裏から男性歌手が現れた。

 男性にしてはやや高く透き通った声の持ち主である。

 

 歌手の登場に合わせて、楽隊がなにやらアップテンポな曲を演奏し始めた。

 観衆も、盛大な拍手と歓声で男性歌手を迎える。

 ステージ周辺のボルテージが、急激に強まった。

 

 だが、男性歌手の声は、その活気の中にあって、よく通った。

 その男性歌手……ナポリ・フィアンマの人気の理由が、ルックスに限らない事を証明する、良い声だった。

 

 

 

「ナポリさーん!」

「待ってました!」

「ナポリー!!」

「新曲、早く聞かせてー!!」

 

 観衆達が思い思いの歓声を飛ばす。

 観衆の男女比率は3:7で女性という所だが、男性の歓声も女性に負けず劣らず聞こえてきた。

 ナポリも、観衆を見渡しながら、笑顔で手を振ってその声に応えている。

 海桶屋で見せた笑顔とは少し異なった、見る者を虜にしてしまうような、芸能人としての貫禄が備わった笑顔だった。

 

 

「やっぱりナポリさんの人気、凄いわね」

 大歓声に圧倒され、センダンが目をしばたたかせる。

「うん。これ程とは知らなかったよ……」

「人気歌手というのも納得だわ。あ、こっち見た!」

 

 センダンの言葉通り、ナポリは、ヒロらの方向に視線を向けていた。

 そのままヒロらの方を数秒眺めたナポリは、僅かに口の端を上げて、ウインクを飛ばした。

 この日、ヒロとセンダンがナポリの新曲発表ライブを聞きに来たのは、ナポリから直筆の招待状が届いた為である。

 その経緯を踏まえれば、そのウインクはヒロら二人に『よく来てくれた』という意を込めて送られた可能性が高い。

 だが、他の観衆は当然その様な経緯は知らない。

 

 

 

 

 

「キャーーーーッ!」

「ナポリさーーん!」

「ナポリ様ーー!!」

 

 もはや、悲鳴も同然の歓声である。

 自分にウインクが飛んできたと解釈した周囲の女性観客の湧き上がりには、凄まじいものがあった。

 

 

 

 

 

「お、おおう……」

「あはは……」

 思わず、乾いた笑いが零れる。

 圧倒されるしかない二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第八話/西部地区さんぽ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ライブは三十分程で終了した。

 だが、その短時間のライブでも観衆は大いに湧き上がった。

 ライブの余韻に浸っていたのか、それとも何らかのサプライズを期待したのか、

 仮設ステージ周辺からは、なかなかひとけが引く気配がなかった。

 

 

「というわけで、待ち合わせは離れた場所にさせてもらったのだよ。すまないね」

「いえ、これくらいでしたら全然大丈夫ですよ」

 

 歩きながら頭を下げるナポリに、ヒロは手を横に振って答える。

 ヒロらに届いた招待状には、ライブ後の待ち合わせの場所として、中央広場西出入口が指定されていた。

 ライブが終わり次第待ち合わせ場所に向かい、それから三十分もしないうちに、ナポリは姿を現していた。

 

 

 

「……それにしても、それ、似合わないわ」

 センダンがナポリの顔を見上げながら言う。

「うん? それと言うと……」

「そのサングラスの事ですよ」

「ふむ、これの事か」

 ナポリが納得したように頷く。

 

 待ち合わせ場所に来た時のナポリは、変装と称してサングラスを掛けていた。

 丸型のグラスで、テンプルは野暮ったい太さである。

 長身で顔立ちが良いナポリには似合っておらず、どこか胡散臭ささえ醸し出してしまうサングラスだった。

 

「似合わないという事は、それだけ変装が上手くいっている、という事だよ」

「それは確かにそうなんですが」

 センダンが眉をひそめる。

 確かに、一見ではナポリだとは分からない。

 分からないのではあるが……

 

 

 

「ずばり、目立つ!!」

 ビシッと指を突きつけて言い放つ。

「むう……」

 ナポリは唸るだけである。

 この日の日差しはそれほど強くなく、太陽も間もなく沈み始める時刻とあって、

 彼らの歩いている通りには、他にサングラスを掛けているような者はいない。

 その上、掛けているサングラスが不似合いであれば、反論のしようがない点だった。

 

「ううん、そんなに目立つかな?」

 ヒロもナポリの顔を覗き込んで首を傾げる。

「目立つわよ。そもそもヒロ君と一緒に歩いてるんだから、目立つ×目立つで、目立つ目立つよ」

 わけの分からない計算式を口にする。

 だが、センダンの言葉通りである。

 変装したナポリと強面のヒロ、珍しい顔つきの二人が並んで歩くと、どこか異質な雰囲気が出来上がっていた。

 

 

 

「はいはい、どうせ僕は強面ですよだ……」

 ヒロは口を尖らせるが、反論はしない。

 センダンの指摘を否定しようとしてもヤブヘビである。

 その話題から逃れるように、周辺の風景を眺めた。

 

 ヒロ達の歩いている通りは、ロビンの西に位置する港方面に伸びる市場通りだ。

 市場の名に違わず、道の両面には露店が立ち並んでいて、少々狭い通りである。

 それぞれの店に並んでいる商品はバリエーション豊かではあったが、

 貿易船が運んでくる異国の衣服や装飾品、郊外の農村で収穫された食料品、

 それから、その食料品を用いた軽食の販売が目立っていた。

 

 旅行雑誌にも掲載される観光スポットで観光客は常時多いのだが、

 夕方のこの時刻になると、地元の者も夕食の買い出しに訪れる。

 ナポリのライブ会場程ではないにしても、大手を振って闊歩出来るような所ではない。

 だが、店員の客を呼ぶ声は力強く、声を掛けられる客もまた楽しそうに商品を眺めている。

 実にエネルギーに満ち溢れた通りなのである。

 

 

 

 

 

「やっぱりここは活気がありますね。懐かしいな」

 ヒロが目を細めながら言う。

「ヒロ君はここに来た事があるのかい?」

 とナポリ。

 

「学生の頃はロビンに住んでいたんです。西部地区には結構足を運んでたんですよ」

「ほう」

「食材が安いから、市場通りは学生にはありがたかったです。

 それに、地下の書店にもよく出かけていました」

「勤勉だったのだね」

「いえいえ、とんでもないです。買っていたのはマナの本ばかりでしたよ。

 確かに、学校ではマナを勉強していましたけれど、本は殆ど趣味目的で買っていました」

「では言い直そう。さすがはヒロ君だ。今日、こうして付き合って貰っている甲斐があるよ」

 ナポリは歯を見せて笑いかけ、言葉を続ける。

 

 

 

「手紙に書いていた事を、覚えているかね?」

「ええ。なんでも相談事があるそうですね」

「いやあ、相談という程大それた事ではないのだがね。マナ絡みでちょっとね」

「マナ絡みですか」

 ヒロの声が少し大きなものになる。

 その反応を予想していたのか、ナポリは苦笑を零した。

 

「やあやあ、さすがに食い付きが良い。

 実は、今日は母の誕生日なもので、プレゼントを贈ろうと思っているのだよ」

「それはおめでとうございます。プレゼントで僕に相談という事は……」

「うむ。マナをエネルギーにするキャンドルを送ろうと思っている。

 実はキャンドルは購入済みなのだよ。露店で良いデザインのアンティークを手に入れた」

 ナポリが手にしていた鞄を掲げた。

 そのキャンドルがここに入っている、という事らしい。

 

「ところが、キャンドルのエネルギーになる火のマナが切れてしまっていてね。

 かといって、デザインが気に入っているから、他のキャンドルを買い直すつもりもない」

「なるほど、そこで、火のマナを買いたいと?」

「察しが良いね。そういう事だ。

 私もマナに関する仕事をしているが、直接マナを買った経験はない。

 そんな私が買おうとしても、質が良くない物を買ってしまいそうでね」

「でしたら、お手伝いしても大丈夫なんですが……」

 ヒロの口調はどこか申し訳なさそうである。

 

「ご存知の通り、マナの仕入れや注入は基本的に業者がやるものです。

 僕も研究の一環で扱った事はありますが、所詮はアマチュアです。

 絶対に間違いを犯さないとは断言できませんが……」

「その時はその時だ。ヒロ君が責任を感じる事ではないよ」

「………」

「実は、今回手に入れたキャンドルは古すぎて、既にメーカーは潰れているんだ。

 なので、メーカーには頼めないのだよ。どうかね、引き受けてくれるだろうか?」

「……分かりました。お役に立てるよう頑張ります」

 はにかんで答える。

 こうして、マナの事で頼られるのは気分が良かった。

 予防線は張ったが、それはそれとして、絶対に良いマナを選んでみせようと、内心強く意気込む。

 

 

 

 

 

「ありがとう。……ところで、センダン君は?」

 ナポリがヒロの隣を見た。

 ヒロも首を回すと、そこを歩いていたはずのセンダンが見当たらない。

 

「あれ? さっきまで歩いていたはずなんですが……」

 慌てて周囲を見渡す。

 すると、その様子が何か品物を探しているように見えたのか、近くの露店の女性店員が近づいてきた。

 

「お兄さん、食べ物でも探しているのかい? だったらパンはどうだい?」

 恰幅の良い中年の女性店員である。

 相当使い込んでいるであろう撚れたエプロンを纏っていて、人の良さそうな笑顔を浮かべていた。

 初見でヒロを怖がらない辺りは、さすが接客業に従事する者である。

 

 女性店員は、二、三口で食べ切れそうな小さなパンが盛られた籠を手にしていた。

 それを『さあお食べ』と言わんばかりに、ヒロに突き出している。

 そろそろ夕食時という事もあって、パンの香ばしい香りの誘惑はなかなかに手ごわいものがあった。

 

 

(センダンさんとパン、本当にセンダンさんの方が大事かな……?)

 少し悩んでしまう。

 二つを天秤にかけてみたが、どうにもパンが重い。

 だが、ナポリに迷惑が掛かるという要素がセンダン側に加わる事で、天秤は一気に傾いた。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、ちょっと人を探しているだけで……」

「あらそうかい。残念だねえ」

「ふぉうよぉ。ふぉんなに美味ふいのに」

 

 女性店員の背後から、更に声が聞こえた。

 はっきりとしない発音。

 そして、聞き覚えのある声である。

 

「……なにやってるんですか、センダンさん」

 女性店員の背後にいたセンダンをジト目で見る。

 その言葉に振り返ったセンダンは、パンを頬張っている最中だった。

 

「ふぁい?」

「とりあえず食べてから話して下さい」

「むぐ、むぐぐ……ぷはっ! えへへ、だってお腹空いたんだもん」

 センダンが恥ずかしそうに笑う。

 やっぱり、この人は年下なのではなかろうかと思う瞬間である。

 

 

 

「財布はヒロ君に預けてたよね。とりあえず、お金出してー」

 あっけらかんとした物言いである。

「はいはい。いくら出せば良いんですか?」

「パン三つ分」

「三つも食べたんですか?」

「ううん。一つしか食べてないよ。ヒロ君とナポリさんの分も」

「いや、僕達は……」

「食べないの?」

 センダンが聞く。

 パンの香りは魅惑的だ。

 お腹も、空いている事は空いている。

 露店の棚に積まれたパンの山が、ほのかに赤みがかかった日差しによって、輝いているように見えた。

 

 

 

「むう……」

「ねえ、食べないの?」

 センダンがもう一度聞く。

「……食べます」

 陥落の瞬間である。

 

「やあやあ、良いじゃないか。私も一つ頂くよ。店員さん、三つ分の料金だ」

 ナポリもヒロに続いてそう言う。

 彼は、ヒロが財布を取り出すよりも先に、三人分の料金を女性店員に手渡してしまった。

「わ、悪いですよ、ナポリさん!」

 ヒロはナポリに駆け寄り、自分達の料金を渡そうとする。

 だが、ナポリは手のひらを縦に突き出してそれを制した。

 

「良いんだ。マナの目利きをしてもらうんだから、パンの一つや二つ、出させてくれ。

 今日は夕食も私が奢らせてもらうよ。港に良い店があってね」

「いや、さすがにそれは……」

「いいじゃないのヒロ君」

 なおも食い下がろうとするヒロに、センダンは明るく言ってのける。

 それから、彼女はぺこりとナポリに頭を下げた。

 

 

 

「ナポリさん、ありがとうございます。今日はごちそうになります」

「やあやあ、これくらい大した事はないさ」

 ナポリの歯が光る。

 ナイススマイル、ここに極まったりである。

 

「……すみません、ナポリさん」

 ヒロもナポリに一礼する。

「本当に構わないよ。それよりマナの件、宜しく頼むよ。

 この先のスラムで売っているんだ。

 買ったら、その足で港まで抜けて夕食にしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「……いらっしゃい」

 スラムの片隅にあるマナ店の店主の挨拶には、やる気が感じられなかった。

 

 見た目から察するに七十代か、八十代か、いずれにしても店主はかなりの高齢のようである。

 頭も禿げ上がっていたが、髪が一本たりともない辺り、禿げているのではなく剃っているのかもしれない。

 そんな店主は、挨拶と共にヒロ達に一瞥をくれただけで、店奥の椅子から立とうとせず、足を机の上に投げ出して新聞を読んでいた。

 

 

「ヒロ君、入る前に、店の看板見た?」

 センダンが小声で聞いてくる。

「見ましたけれど、なにか?」

「『マナ勉強堂』って書いてあったけれど、全然勉強してくれる気配はないわね。手強そうだわ、こりゃ」

「マナは一般には殆ど売られていませんから、値切るのはなかなか難しいでしょうね」

 苦笑しながら肩を竦める。

 とはいえ、確かにセンダンの言う通り、気難しそうな老人ではあった。

 

「ちゃんとした品なら値段は気にしなくて良いさ。ヒロ君、すまないが宜しく頼むよ」

 ナポリがそう言ってヒロの肩を叩く。

 ヒロは頷いて答えると、まず店内を見回した。

 

 店の照明はマナが切れ掛かっていて薄暗い。

 マナの販売店がこれでは、雰囲気のみならず、品質面でも、不安を抱いてしまうものだった。

 店内には、所狭しと引き出し付きの棚が置かれており、通路は並んで通る事ができない狭さとなっている。

 その引き出しには品名が書かれたラベルが貼られていた。

 中にはマナが入っているという事だろう。

 マナの中でも比較的需要が高いからか、火のマナのラベルは店の入口近くの棚に張られていた。

 

 

 

「お爺さん、中を見ても構いませんか?」

「……構わんよ」

 相変わらず愛嬌がない。

 だが、こういう店で愛嬌良く商品を薦められても、それはそれで胡散臭い。

 変に構えずに済むのは良い、と思いながら引き出しを開ける。

 引き出しの中には古ぼけたガラス瓶が四つ入っていた。

 

「へえ、綺麗ね」

 ヒロの背後からセンダンが引き出しを覗き込み、感嘆する。

 どのガラス瓶も、赤々と静かに輝く火のマナが入っている。

 そのうちの一つを手に取ると、手のひらに穏やかな暖かさが広がった。

 

 マナは、消耗品である。

 マナエネルギーを用いる道具に組み込まれたマナは、

 そのエネルギー源として一定期間働いた後、自然消滅してしまう。

 だが、そうして消費せずとも、数年間放っておけば、やはりマナは自然消滅する。

 この店のマナが、ガラス瓶越しにも暖かいという事は、まだ寿命がくる気配がない事を意味していた。

 

「ふむ」

 一つ頷いて、ガラス瓶を振る。

 マナは意思があるかのように、大きく上下に浮いてみせた。

 これもまた、良品の証であった。

 

「キャンドルはマナの加工が必要なタイプですか?」

 振り返って、ナポリに尋ねる。

「いや、底の窓からマナを入れれば、それだけで使えるようだ」

「という事は、加工のし易さは気にしないで良いんですね。

 でしたら、このマナで良いと思いますが、どうしますか?」

「ヒロ君がそう言うのなら、そうしよう」

 ナポリはそう言って、手を差し出した。

 その手にガラス瓶を手渡すと、ナポリは店主のもとへ歩いた。

 

 

 

「これはいくらだろうか?」

「……八千レスタ」

 足を机から降ろした店主が、ガラス瓶をちらと見ただけでそう告げる。

 相場よりも若干高めの価格だった。

 ナポリが料金を取り出す所を後ろから見ていると、その視界の先で店主がこちらを見ていた。

 

 

 

「そこの怖い顔したお兄ちゃんや」

 店主が目を睨むように細めながら声をかけてくる。

 ヒロ以外の誰に掛けられた言葉でもない。

「あ、はい」

 抜けた返事をする。

 反射的に喋ると、いつも言葉に力が入らない。

「これ、お兄ちゃんが選んでいたね」

「そうですが……」

「マナは詳しいのかね?」

「一応、上級アカデミーで勉強していました」

「ふぅん」

 興味があるともないとも取れる曖昧な口調である。

 店主との会話はそれだけで終わった。

 

 

 

 

 

「はい、八千レスタ」

「……ほらよ」

 最後まで無愛想だった店主に料金を支払い、店の外に出る。

 ヒロが提案して、正しく動作するかを念の為にここで確認する事にした。

 

 ナポリが取り出したキャンドルは、細工が施された真鍮の燭台に、蝋を模したプラスチック性の点灯パーツが付けられている。

 底に火のマナを入れると、マナの輝きが蝋の先端に集中して、赤く強く光る仕組みである。

 買ってきたばかりのガラス瓶の蓋を開けて、キャンドルの底から注入すると、点灯パーツはすぐに輝いた。

 

 

 

「勉強堂さん、値段はともかく、質は勉強してくれてたわね」

 センダンがそう言って笑う。

 それにつられて、ヒロとナポリも顔を見合わせて大いに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 買い物を終えた三人は、その足で港へ向かった。

 時刻は午後七時前で、空の七割は夜の群青色に染まっている。

 スラムを三十分も歩かないうちに着くとの事なので、港まで出れば、ちょうど陽が完全に沈む頃となる。

 向かっている店で出てくる料理の話を主にしながら、三人は黙々と歩き続けた。

 

 

 

(……それにしても、密集してるなあ)

 二十分程歩いた所で、ヒロは周囲を見回す。

 

 周囲に立ち並んでいるのは、百年前の艦隊戦争の際に建てられた兵舎跡が主だ。

 それらが隙間なく立ち並んでいて、非常に圧迫感を感じる。

 密集しているだけではなく、兵舎の上に通路やまた別の兵舎が建っている、歪な町並みだった。

 なんでも、戦時中の動乱で、想定外の増築が多発した事が原因らしい。

 

 だが、古くいびつではあるが、建物として機能していないわけではない。

 家々からは照明の光が漏れていて、そこからは生活感が感じられる。

 またロビンの観光政策の一環で、スラムは清掃も行き届いている。

 スラムという名前こそ付いているが、ヒロ達の歩く道は、不安を煽るような道ではない。

 

 ただし、横道に反れた場合は別である。

 大きな道を歩くには問題ないのだが、稀に伸びている路地に進むと、土地の者でなければ迷子になってしまう。

 それだけではなく、そこはひとけが無い為に、物取りが出るとも言われていた。

 

 

 

 

 

「ヒロ君、怖くなーい?」

 センダンがにやにやしながら声を掛けてくる。

 どうやら、からかっている様である。

 

 

「怖くありませんよ。港に通じるこの道なら、治安は行き届いてますから」

 自分に言い聞かせるような、落ち着いた調子で言う。

 実際、周囲には他の歩行者が何人もいて、隠れて悪事を働けるような道ではなかった。

 

「えー、本当かなあ。本当に大丈夫かなあ?」

「港を利用する観光客も使う道ですから。変に冒険しなければ問題は無いです」

「むう……ヒロ君が怖がらなくてつまらなーい」

「なんで怖がらなくちゃいけないんですか……」

「私が楽しいからに決まってるじゃない」

 酷い話である。

「……まあ、良いわ。ヒロ君が一緒なら強盗に襲われる事もないだろうし」

「それ、どういう意味ですか」

 ヒロが眉をひそめる。

「言わなくても分かるでしょ? 強盗の方が怖がって逃げて行くって事!」

「ははは。それは言い得ているかもしれないね」

 センダンの言葉にナポリが軽く笑う。

 ナポリにまで笑われては、どうしようもなかった。

 

 

 

「むう……」

「そう拗ねないの。頼りになるってつもりで言ってるんだから」

「まあ、そういう事にしておきます」

「あ、でもあれよね。ヒロ君、お祭りも設営じゃなく保安班の方が向いていたかもね」

 

「祭り?」

 その言葉に反応したのはナポリだった。

「九月末に兄花島でお祭りをするんです。竜伐祭ってお祭りで、ちょっと派手な花火もありますよ。

 参加者が少なくて寂しいから、予定が空いていれば、ナポリさんも遊びに来て下さい」

「その時は是非海桶屋にご宿泊を~♪」

 ヒロが説明し、センダンが宣伝する。

 

「ふむ……」

 ナポリはそれだけ返事をすると、なにやら考え込むようにして顔を伏せた。

 だが、その顔はすぐに前方へと向けられる。

「……お、抜けるね」

 いつの間にか、スラムの端まで来ていたようである。

 百メートル程前方には海が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「いやっほー、海だーっ!」

 海など毎日見ているというのに、センダンが勢い良く走り出す。

 苦笑しながら、ヒロも小走りでセンダンを追いかけた。

 

 スラムを抜けると、真っ先に目を奪われるのは、やはり海上である。

 陽は殆ど暮れており、鮮やかに輝くような日没の海ではなく、薄暗く光る海だった。

 海上では、その薄暗さを飾るようにしてマナが輝いている。

 一隻の船が港を離れた直後で、汽笛を鳴らしながら離れていくのも見えた。

 

 

 

「ヒロ君、あれは何?」

 海沿いまで駆けたセンダンが、波止場の奥を指差した。

 彼女の指差す数百メートル先には、薄暗くてはっきりとは見えないが、レンガのような物で造られた建物が建っていた。

 塀に囲まれており、これまで眺めてきた兵舎跡よりも格段に良い建物のようである。

 

「あれは、元海軍本拠地だったと思います」

「将校さんが使うような所?」

「ええ」

「あそこにも人が住んでいるのかな?」

「さあ、そこまでは」

「それじゃあ、今度冒険しに行ってみようよ」

「お断りします」

 センダンと会話を交わしながら、彼女の隣まで歩く。

 隣に並ぶと、センダンはちらりとヒロを見て、首を傾けて笑いかけた。

 

 

 

「兄花島から見る海とはちょっと違うね」

「どの辺りがですか?」

「ううん……」

 海を眺めながら唸る。

「……兄花島の海は静かね。でも、ここには生活感があるわ」

「生活感、ですか」

 センダンの言葉を繰り返す。

 それ以上は何も言わずに、夜に染まりつつある海を眺めた。

 

 何本も伸びている船着場に波が定期的に打ち付けられ、小気味良い音がする。

 その波止場には、兄花島とは違って何隻もの漁船が泊まっている。

 皆、今日一日存分に働いた疲れを癒すように、海上で波に揺られていた。

 去り行く船は貿易船のようである。

 多くの品物を積んで、どこかの港へと向かうのだろう。

 後方からは、建物の光が微かに差し込んでいる。

 耳を澄ませば、その光のもとにいる人々の声が微かに聞こえてきた。

 おそらくは、海沿いに並んでいる飲食店から漏れる声だろう。

 

 センダンの言う通り、この海には生活感がある、とヒロは思う。

 今日という日を無事終えたという哀愁の篭った生活感だった。

 

 

 

 

 

「二人とも、こっちだよー」

 後方から、ナポリの声が聞こえた。

 振り向くと、ナポリはまだスラムを出たばかりの所にいた。

 

 

 

「……行こっか!」

「そですね」

 二人は笑い合って、ナポリのもとへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「やあやあ、この子ったら。私はもう誕生日プレゼントを貰うような歳じゃないわよ」

 ナポリに案内されて入った店の初老の女性店主は、

 そうは言ったものの、キャンドルを受け取ると幸福そうな笑みを浮かべていた。

 ナポリと同じ亜麻色の髪には白髪が混じっているが、艶のある髪だ。

 笑顔は品良く、キャンドルを早速飾る所作はゆったりとしている。

 年齢は関係なく、美しい女性だった。

 

「やあやあ、何を言ってるんだい、母さん。プレゼントに年齢は関係ないよ」

 カウンター席に腰掛けているナポリが、カウンターの奥に立つ店主に軽やかに笑いかける。

 彼はまだサングラスを外していなかった。

 店主も、その事を指摘する様子はない。

 変装とは言っていたが、もしかすると趣味なのではないか、とヒロは思う。

 

 

「それにしても、ナポリさんも言ってくれれば良いのにねえ」

「夕食を取る店の店主が、ナポリさんのお母さんって事を……ですか?」

「そそ。びっくりしちゃった。……ずずっ」

「センダンさん、音、音」

 ヒロとセンダンは、ナポリの後ろのテーブル席に腰掛けていた。

 二人が注文したシーフードパスタは、大きな海老がふんだんに使われて豪勢である。

 クリームソースも濃厚で、食欲をそそる味だ。

 食い意地の張っているセンダンが荒く掻き込むのも、無理はない。

 

 

 

 

 ――ナポリの母の店『海猫亭』は、海沿いの建物の地下に位置する、こじんまりとしたレストランだった。

 だが地下とはいえ、ナポリの母の趣味であるキャンドルが幾つも飾られた店内は非常に明るい。

 ステンドグラスの内装や木製のテーブルも美しく、ナポリの母同様に綺麗な店だった。

 

 店は既に満員で、ナポリらの話を耳にした客が、祝福の言葉や拍手をナポリの母に送っている。

 店の造りこそ間逆だが、店自体の雰囲気は、サヨコのちどりにも似たものがあった。

 

 

 

「貴方達もありがとうね。うちの子が色々と迷惑をかけたみたいで」

 親子の会話がひと段落したのか、ナポリの母が、カウンターの奥からヒロ達に声をかけてきた。

「いや、僕達は……」

「ヒロ君、謙遜は禁物だよ。僕からも改めて礼を言うよ。今日はありがとう」

 ナポリ、キラリ。

 

 

「いやあ、ははは……」

「そうだ、ヒロ君。一つ提案があるのだが」

 ナポリが両手を打ち鳴らす。

「九月に、兄花島で祭りがあるのだったよね」

「ええ、そうですが」

「もし機会がありそうなら、そこで、僕に歌わせて貰えないだろうか?」

「「ええっ!??」」

 ヒロとセンダンの声が重なった。

 

 

「う、歌わせてって、それはつまり……」

「うん、ステージイベントとしてね。集客に悩んでいるのだったら、微力ながら力になりたいんだ」

 その言葉を受けて、今日のライブを思い出す。

 微力なんてものではない。

 間違いなく大盛況する。

 

「そ、それは嬉しい提案ですけれど、でも……」

「迷惑でなければ、是非」

 ナポリの表情は真剣そのものだ。

 本気で言っている事が伺える。

 

「………」

 ヒロは下を向いて言葉を失う。

 本当に良いのだろうか、と思う。

 ナポリの方から頼んでいるとはいえ、彼はプロの歌手である。

 本来であれば、云百万という金を積んで依頼すべき人なのだ。

 しかし、ナポリが来てくれれば、これ程心強い事はない。

 

 

 

 

 

 

「ヒロ君」

 前に座るセンダンが声をかけてきた。

 その声に反応して、顔を上げる。

 センダンは、ただ満面の笑みを浮かべていた。

 

「はい」

 その笑みだけで、ヒロの決意は固まった。

 センダンに笑顔を返し、それから、その笑顔をナポリに向ける。

 

 

 

 

 

 

 

「ナポリさん、宜しくお願いします」

「うん、良い祭りになると良いね」


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