燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第七話/昼下がりのチヌ

 海桶屋の一階中央フロアはあまり使われる事がない。

 使う機会があるとすれば、センダンのくだらない思いつきを実行する時、

 或いは、何かしらの打ち合わせをする必要がある時位のものである。

 

 この日、ゴウ・ゴダイゴの姿は、その海桶屋一階中央フロアにあった。

 

 

 

「それじゃあ、祭事実行委員の仕事を簡単に説明するぞ」

 そう言ったゴウの口調には、やや投げやりな所がある。

 胡坐をかいて座している彼は、だるそうに頬杖をついていた。

 眼前のヒロとセンダンを見据えている細くタレ気味の目にも、いまひとつ生気は感じられない。

 

 

「へいへい、ゴウ君、やる気あるのー?」

 センダンが野次を飛ばす。

 しかしながら、団扇で自身を扇ぎながら、足を投げ出して座っている彼女にも、

 ゴウの話を真剣に聞く気があるとは言い難いものがある。

 

「ありますよ」

 ゴウが変わらない口調で返事をする。

「その割には適当な構え方じゃない」

「あるけれど、暑くてしんどいだけです」

「なにそれ。頑張ってちょうだいよ」

「まあまあ、センダンさん」 

 ヒロが間に入ってセンダンを宥めた。

「暑い外を歩いて説明に来てくれたんですから、仕方ないですよ」

「ふむう」

 センダンが唸る。

 六月も下旬ともなれば気温は日に日に上がり、何かしらの涼を取らなくてはやっていられない。

 ヒロの言う事ももっともだと思ったのか、団扇をゴウに向けて扇ぎだした。

 

 

「……?」

「どぞ。どうぞ、ゴウ先生」

 センダンの喋り方は馬鹿丁寧だ。

「……いや、そこまでしなくとも」

 どうしたものかと、軽くパーマの掛かっているブラウンヘアーの頭を掻くゴウ。

「そのうち飽きるから、遠慮なく話してくれて良いよ」

 ヒロが淡々と言う。

 その一言に、異議有りと言わんばかりにセンダンはヒロを睨み付けてくる。

 団扇で他人を扇ぎながら睨み付けても、怖いものではない。

 

 

 

 

 

「そうか。それじゃあ……」

 ヒロの言葉を受けたゴウは頬杖をつくのを止めると、両手を膝の上に置いて話し始めた。

 

「まず、祭事実行委員の班は大きく四つに分かれているんだ。

 一つ目が総合。全体の統括をする班で、当日のステージ管理や会計も総合に入る。

 次に広報。案こそ全員で出す事もあるが、実際の広報作業は専属の担当者が請け負う。

 三つ目が保安衛生。当日の警備や出店の衛生管理だな。

 そして最後に設営。ブースやステージの設営や、職人さんが造った竜を設置したりもする」

「なんだか、どれも責任が大きそうだね」

 ヒロが不安そうに言う。

「そりゃあ、当然だ。どれが欠けても成り立たねえよ」

「お婆ちゃんは総務になるの?」

「そういう事になるな」

「それじゃあ私達は?」

 そう聞いたのはセンダンだ。

「俺もセンダンさんもヒロも、皆設営です。若手は大体設営に組み込まれます。

 肉体労働担当って事ですね」

「へえ。なかなか楽しそうじゃない!」

「いや、僕はそうは思いませんが……筋肉痛になりそうだなあ」

 身体を動かす事を好むセンダンと、インドア派のヒロの反応は対照的だった。

 

 

 

「で、設営の仕事なんですが……」

 ゴウの説明は続く。

「さっきも話した各種ブース用のテントやステージの設営。これがまず一番大きな仕事です。

 竜の設置もなかなか大掛かりな仕事になりますね。

 照明の設置や客席の準備といった、当日利用する物の準備も、大抵は設営班が請け負います」

「……ちょっとハード過ぎない?」

 ヒロの声は沈む一方である。

「楽じゃないが、その分人員も多いから、あまり気負うな。

 後は、祭りの最中は総合班のヘルプに入る事になる。

 後片付けもあるにはあるが……これは全員でやる事だな」

 

「今すぐやる仕事はあるの?」

「おお。それも話そうと思っていたんだ。

 実は、さしあたってする事は殆どない。今忙しいのは広報だな。

 俺達の仕事は……総務班のベラミさんが出店希望者を管理しているから、

 来月にでも、テント設営の為にベラミさんと打ち合わせに行くぞ」

「打ち合わせって、何も知らない僕が役に立つの?」

「経験しておけば、来年はこの仕事をお前に振れるからな」

「了解」

 素直に頷くヒロ。

 だが、その隣のセンダンは両腕を組んでなにやら考え込んでいる様子だった。

 

 

「……むう」

「どうかしましたか?」

 ゴウが聞く。

「……ベラミーンってまだ二十代前半じゃなかったっけ。設営班じゃないの?」

 妙な呼び方である。

 

「ベラミさんはギルドの職員ですからね。総務にいると何かと助かるんでしょう」

 ギルドは、その昔は旅人をサポートする施設であったが、現在は国の管理する観光案内所である。

 兄花島にも、小規模ながら支部が存在しており、国家公務員が勤務している。

 ゴウらが話す、猫亜人のベラミ・イスナットもその職員の一人だった。

 

「な~る」

 ぺち、と音を立ててセンダンが手を打った。

 どうやら、合点がいったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第七話/昼下がりのチヌ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて。仕事の内容はざっとこんな所だ。質問はあるか?」

 ゴウはそう言って、一つ息を付く。

「あれ、こんなものなの? もっと具体的な話があるのかと思ったわ」

「今のうちに詰め込んでも忘れるかもしれませんから、それは直前にしましょう」

「そか。それもそうね」

 センダンはあっさりと引き下がる。

 

「ゴウ君、良いかな?」

 入れ替わりにヒロが手を上げた。

「ん。なんだ?」

「祭りの当日なんだけれど、さすがにウチもお客様は入ると思うんだ」

「ま、そりゃあ祭りの日位はね」

 センダンが相槌を打つ。

 それに軽く会釈を返して、ヒロは言葉を続ける。

 

「で、お客様が来ると、僕もセンダンさんも祭りの手伝いが難しくなるんだけれど……どうしたものかな?」

「それは店の方を優先しろ」

 ゴウはあっさりと言ってのける。

「でも、そっちは人手が不足するんじゃない?」

「大丈夫だ。この間打ち合わせに来ていたのは一部だ。

 設営班はまだ他にも数十人いるから、なんとかなる。

 他の奴も、仕事に支障が出ない範囲の参加だから気にするな」

「分かった」

 少々緊張感の篭った声で返事をする。

 分かりはしたが、できれば都合をつけて当日も参加したい気持ちはある。

 それに、竜の花火を見てみたくもあった。

 

 

 

 

「他に何もなければ……ヒロ、ちょっとこれから付き合えよ」

「「ん?」」

 ゴウの突然の言葉に、ヒロとセンダンの声が重なった。

 それから、鏡写しのように互いの顔を見やる。

 

「何かあるの?」

「さあ」

 センダンの問いに、肩を竦める。

 

 

「釣りだよ、釣り」

 ゴウは右手を前に突き出し、釣竿を引くような仕草をしてみせた。

「どうせ店は暇なんだろ? 今から釣りに行くから、お前も付き合え。決定」

 相変わらず横暴である。

 とはいえ、数少ない友人の遊びの誘いである。

 店が暇なのも事実だった。

 

 

「まあ……暇といえば暇だけれど……」

 ちらり、と横目でセンダンを見やる。

 遊びと聞けば、センダンが黙ったままだとは思えない。

 ずるいだの、自分も行きたいだのと言い出すのではないだろうか。

 

 

 

「センダンさん、そういうわけで、ヒロをお借りして良いですか?

 近くの防波堤で釣りますから、客が来る事があれば、呼び戻しに来てくれて構いません」

 ゴウもセンダンの反応が気になったようで、センダンの機嫌を伺うように尋ねる。

 

「いいねえ、釣り。行ってらっしゃい」

 センダンは予想外にも満面の笑みでそう言う。

(あれ……意外と良い反応?)

 肩透かしを食らい、きょとんとした表情で頭を掻く。

 そんなヒロに向かって、センダンは力強く親指を突きたてた。

 

 

 

「釣った魚は、留守番代として私が多く食べるからね! 頑張ってくる事!」

 彼女の満面の笑みは、よくよく見れば拒否を許さぬ笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 海桶屋を出ると、島の南北に通じる道が伸びている。

 

 その道を挟んだ反対側にフタナノ海が広がっているのだが、道とフタナノ海の間には手すりはない。

 その代わりに石段があり、そこを下りて海に行く事が出来る造りになっている。

 

 釣りはその石段でも出来るのだが、ゴウは石段を下りずに南側に通じる道を歩いた。

 釣具を手にして麦藁帽子を被ったヒロも、それに続いて歩く。

 道の先には船着場があり、そこを囲うようにして防波堤が伸びている。

 ゴウに誘われた時だけ釣りをするヒロには良く分からないのだが、ゴウ曰く、近辺では防波堤付近が一番釣れるらしい。

 

 

 

「やっぱり外は暑いな……」

 前を歩くゴウが気だるそうに呟く。

 

 その言葉に反応して空を見上げるが、陽の光があまりにも眩しい為に、すぐ視線を地面に落とす。

 ただでさえ怖いと言われるヒロの目は、細める事で更に威圧感が出てしまう為、眩しいものはあまり見たくなかった。

 だが、そうしてただ歩いているだけでも、暑さは感じられる。

 地面からの照り返しもきつく、全身を包まれるような蒸し暑さである。

 人間にとっては辛い暑さでも、虫にとってはそうでもないのか、名前も分からない虫が遠くでキィキィと鳴くのが耳に届いた。

 

「もうすぐ七月だもんねえ」

「六月末でこれなら、夏が本番になればどれだけ暑いんだろうな……」

 その言葉を聞くだけで、暑さが増したような錯覚を覚える。

 夏が嫌いというわけではないのだが、やはり極端に暑い状態は好ましくない。

 麦藁帽子を被ってきたのは、正解だったようである。

 

 

 

 

 

 途中で誰ともすれ違わず、二人は防波堤に着いた。

 防波堤の奥まで進むと、ゴウが足を投げ出して防波堤に座る。

 それに習って、ヒロも隣に腰掛けた。 

 

「餌、自分で付けられるか?」

「子供じゃないんだから」

 ゴウの気遣いを笑い飛ばし、釣竿を地面に置いて糸を手繰り寄せる。

 ゴウがオキアミを用意してくれたので、釣り針を隠すようにしてオキアミを刺した。

 重りやウキは事前に付けていた為、これで準備は完了である。

 隣のゴウは手馴れたもので、ヒロが準備を終える頃には既に釣り針を海中に沈めていた。

 

 

 

「よいしょっと……ねえ、ゴウ君」

 遅れて釣竿を振ってから、ゴウの方を見る。

「あん?」

「ゴウ君ってさ。心配性だよね」

「はあ……?」

 予期せぬ言葉だったようで、ゴウの声は裏返り気味だった。

 

「昔から、事ある毎に『大丈夫か』『できてるか』って聞いてくるじゃない」

「……そうか?」

 今日だってわざわざ説明しに来てくれたし、餌の心配までしてくれるし」

「俺が誘ったんだから、そんなの当然だろ」

 怒ったような口調でそう言われるが、本当に怒っている様子はない。

 むしろ照れているのか、腰に括りつけた信玄袋から煙管を取り出すと、やや早いペースでそれを噴かし始めた。

 

 そんなゴウの様子に苦笑を零して、ヒロは視線を前に戻す。

 海上には何も浮かんでおらず、ウキは反応を示していない。

 そのまま、ヒロは海を眺め続ける。

 隣のゴウも、何も物言わずにただ釣竿を握っている。

 初夏の海を前に、二人は暫く黙って釣りを続けた。

 

 

 

 

 

 ――兄花島から望むフタナノ海は、小さくて静かな海である。

 

 まず、兄花島には海水浴場も、養殖場も無い。

 観光客も労働者も、兄花島の海では殆ど見る事がないのだ。

 

 さすがに船着場はあるのだが、連絡船は一日に三本程度、貨物船は月に一本と、船着場に姿を見せる船は少ない。

 隣のロビンの港では船の行き来が活発で、兄花島近辺もその船の航路ではあるのだが、

 その船も、兄花島からは少々離れた所をトコトコと走る程度で、視覚的にも聴覚的にも静かなものであった。

 

 だが、ヒロはそんなフタナノ海が嫌いではない。

 小さかろうと、ひとけがなかろうと、そこは海である。

 鮮やかに輝く海面が広がり、波は心地良い音を響かせている。

 夕方になれば、海に沈む陽は息を呑むような美しさを見せてくれる。

 むしろ、それだけの魅力が、小さな海に凝縮されている事が好ましいと思っていた。

 

 とはいえ、それは受け売りである。

 ウメエに聞かされた話では、海桶屋は『桶のように小さな海にも魅力が詰まっている』の意を込めて名付けられたらしかった。

 

 

 

 

 

(……嫌いじゃないけれど、釣れればなお良いよね)

 暫く海に思いを馳せていたが、その間、竿に反応は感じられない。

 海全体に向けていた視線を、ウキに向けるが、波に揺られているだけで魚の掛かりを示す様子はない。

 

 

 

「ゴウ君、ゴウ君」

 ウキを見つめたままで、ゴウに声を掛ける。

「どうした。掛かったか?」

「いや、掛からない。今はどういう魚が釣れるの?」

「うん……そうなあ……」

 ゴウは煙管をもう一度噴かせてから言葉を続ける。

 

「キス、スズキ、イワシ……あと、本命はチヌだな」

「チヌ?」

「クロダイの事だ」

「ああ、クロダイね」

「波止場で釣れる奴は小型で磯の香りがきつい奴が多いけれど、フタナノ海は綺麗だからか、そう不味くはないな。

 店で出すのはともかく、自分で食うには問題ないぞ」

「自分の分も残るくらい、釣れると良いんだけれどね」

「センダンさん、食い物には執着しそうだな」

「うん、まあ……」

 好物の油揚げ料理に限らず、食べる事が好きな女性である。

 期待に胸を躍らせている彼女に、釣果が芳しくない事を告げる姿を想像すると、気が重くなった。

 

 

 

「悩んだ所で釣れるもんじゃない。とりあえず楽しめよ」

 そんな心中を見透かしたのか、ゴウは明るく声を掛けてきた。

「ゴウ君って、釣りになるとご機嫌だよね」

「まあ、そうだな」

 ゴウはヒロの言葉を否定しない。

 普段は無愛想な彼だが、心なしか、今は口の端が緩んでいるようにも見える。

 

「釣りはやっぱり楽しいな。魚が喰いついた瞬間の手応えが楽しいよ」

「なんだか、不思議な感覚だよね」

「引っ張られているような、そうでないような、フワフワした感じがするな」

 ゴウは楽しそうにそう言うと、煙管を傍に置いた。

 

「それに、島じゃ他に遊ぶような事ってないしな」

「そう?」

「そうに決まってるだろ」

 さも当然と言わんばかりの口ぶりである。

 

「実際、遊びに行くような所ってないだろ?

 カジノや劇場なんかは当然ないし、図書館さえもない小さな島だ。

 お前も、家業とはいえ、よくこの島に就職したよな……。

 上級アカデミーでは、マナの勉強していたんだろ?」

「いや、まあ、それは……」

 ヒロが言葉を濁す。

 

 懸命に打ち込んでいたマナ学とは関係のない海桶屋で働く事に決めたのは、

 就職浪人しかけただけではなく、高齢になってきた祖父母の事が心配でもあったである。

 だが、それを口にすれば、またゴウに余計な心配をかける気がした。

 

 

 

 

「お……ちょっと待て」

 ゴウが話を切った。

 これまで片手で適当に握っていた釣竿を、両手で掴んでいる。

 もしやと思い、ゴウの釣り糸の先を見れば……ウキが上下運動していた。

 

「アタリがきた?」

「みたいだ」

 短く言い放ち、ゴウが立ち上がる。

 釣竿の先も、アタリを示すように柔らかくしなっていた。

 

 ヒロはせわしくゴウとウキを交互に見る。

 だが、当のゴウは落ち着き払っていた。

 焦ってリールを回さず、ウキの動きと両手に伝わる感覚に神経を研ぎ澄ましている。

 

 

 

「まだだ。まだ……」

 自分に言い聞かせるようにゴウが呟く。

 その言葉にヒロも落ち着きを取り戻し、視線をウキに集中させる。

 ウキはまだ上下運動を続けていたが……暫くすると、唐突に完全に海面へ潜った。

 

「よおし、喰った!」

 ゴウが声を張り上げて、リールを手にした。

 同時に釣り糸が海面を走り出すが、ゴウもそれに合わせて釣竿を動かした。

 魚に逆らおうとはせず、それでいてじりじりとリールを回し始める。

 

「どう? どんな感じ?」

「しっかり食いついてる! 任せとけ!」

 返事をするゴウのテンションは高い。

「よ、よ、よ……」

 掛け声のような声を漏らしながらリールを更に回す。

 次第に、青い海面にうっすらと魚影が浮かび始める。

 見えてきたのは楕円状の魚影だった。

 魚影は、すぐに海面まで浮かび上がったが、そこまでくると激しく飛び跳ねてゴウに抵抗する。

 

 

「チヌだ!」

 ゴウが叫びながら、竿を寄せる。

 まだ釣られまいと抵抗を続けるチヌだが、そこまで寄せられては時間の問題であった。

 釣り糸に手の届く距離まで寄せると、ゴウが素早く糸を手繰り寄せる。

 波を切る音を立てながら、チヌは高々と釣り上げられた。

 

 

 

 

「おおっし!」

「ゴウ君ナイス!」

 ゴウとヒロの歓声が波止場に響き渡る。

 磯の香りを振りまくようになおも暴れるチヌだったが、えらの辺りを押さえつけると、ようやく大人しくなった。

 落ち着いた所で改めて見る獲物は、力強く刺々しい背ビレの持ち主だった。

 陽の強い日差しが、そのチヌの鱗に反射して、僅かな眩しさを覚える。

 

 

 

「はは。30cmって所かな。まあこんな所だ」

 ヒロに見せ付けるように、ゴウはチヌを前方に突き出した。

 そんなゴウの表情は、手にしたチヌ以上に輝いているように見えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ヒロとセンダンは、客がいない時は一階の囲炉裏部屋で食事をする。

 

 囲炉裏部屋は十二畳の板張り部屋である。

 小さな囲炉裏が二つと、それを囲むように幾つか座布団が置かれており、

 囲炉裏の間には安物の小さな屏風があるだけの、大した飾り気のない部屋だ。

 それでも、ヒノモト文化の雰囲気を感じるには十分で、客からの評判は上々である。

 

 この日も、海桶屋に泊まる客はいない。

 その為、いつも通り夕食は囲炉裏部屋で食べる事になるのだが、いつも通りではない点が一つあった。

 

 

 

 

 

「……なんでゴウ君もいるの?」

「なんで、と言われましても……」

 火の灯っていない囲炉裏の傍に座しているセンダンは、斜め隣に座っている男、ゴウに声を掛ける。

 センダンの知る限りでは、ゴウが海桶屋に夕食を食べに来るのはこれが初めてだった。

 

 

「なんで?」

「いや、その……」

「なんでなんで?」

「……ちょっとヒロの株を落とすような話ですが……」

 ゴウは、決まりが悪そうな素振りを見せていたが、結局は話し始めた。

「大丈夫、聞かなかった事にするから。どしたの?」

 いまひとつ信頼し難い誓いである。

 

 

「今日の二人の釣果、チヌ二匹とイワシ二匹なんですが……あれ、本当は全部俺が釣ったんです」

「ありゃあ」

 センダンは口を押さえて抜けたような声を漏らす。

「それじゃあ、ヒロ君は?」

「ボウズです」

「ぷぷっ」

「で、俺が魚を食っても仕方ないから全部ヒロにやったんですが、

 ヒロが『ただでもらうのは忍びないから、せめて夕食を食べていってくれ』と」

「そか。それでヒロ君にお呼ばれしたってわけね」

 納得がいったように頷く。

 

 

「魚なら家でいくらでも食えますから、食べる分が減るのが気になるんでしたら、帰りますが……」

「あ、違う違う。そういうつもりで聞いたんじゃないの」

 センダンは首を横に振る。

「単になんでいるのか気になっただけ。

 ご飯は皆で食べた方が美味しいに決まってるわ。一緒に食べましょ!」

 なんの照れもなくそう言い放ち、口を大きく開けて笑いかけた。

 センダンらしい、百点満点の笑みである。

 

「……ごちそうになります」

 そう笑いかけられては、他に答えがあろうはずもない。

 ゴウは素直に頷いた。

 

 

 

 

 

「お待たせしました~」

 そこへ、ヒロが入ってきた。

 客室へ料理を運搬する時に使っている特大の盆を手にしており、それをゆっくりと床に降ろす。

 盆の上には白米、チヌの白ワイン蒸し、イワシの蒲焼、それとビールが置かれていた。

「待ってました!」

 両手を打ち鳴らし、センダンが料理を並べていく。

 三人分の食事を並べるのに大した手間はかからず、すぐに食事がセットされた。

 一人分だけ量が多めの皿があったが、それは当然の如くセンダンの前に置かれている。

 

 

「わ~お、豪勢じゃない!」

 センダンは耳を過敏に動かす。

「盛り合わせも綺麗だな。さすがは板前さんって所か」

 ゴウも関心したように頷いている。

 

 チヌの白ワイン蒸しは、炒めた黄色いパプリカとニンジンが混じっている。

 それに加えて、チヌと一緒にアサリも蒸されていた。

 カラフルに仕上がっており、白ワインとパプリカの香り特に強く、食欲をそそる。

 イワシの蒲焼は、濃口醤油で作ったタレがイワシにしっかりと絡んでいる。

 口に入れずとも味の濃さを想像させる、濃い色合いをしていた。

 

 

「これはご飯が進みそうね……ビバ、白米!」

「白米はおかわりもありますから、いつも通り遠慮しないで下さいね」

 ヒロはニコニコと笑いながら言う。

 

「ち、ちょっと! ゴウ君もいるんだから変な事言わないで!」

「でも、いつも必ずおかわりするじゃないですか」

「だってご飯美味しいんだもん! しょうがないじゃない!」

 ヒロとセンダンが他愛もない言い争いをする。

 ゲストのゴウは、そんな二人のやり取りを楽しそうに眺めつつ、三人のグラスにビールを注いだ。

 存分に冷やされたビールは、蒸し暑さも吹き飛ばしてしまう冷気を放っていた。

 

 

 

 

「二人とも、それくらいで……そんな事より早く食おう」

 ビールを注ぎ終えたゴウが言う。

「あ、うん」

「そうね。早く食べましょ!」

 ヒロとセンダンはゴウの言葉に同調する。

 くだらない言い争いよりも大切なものが、眼前に広がっているのである。

 

「それじゃあ……」

 ヒロが先陣を切って、両手を合わせた。

 二人もそれに続く。

 示し合わせたわけでもないのに、三人が三人とも笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「「「いただきま~~す!!!」」」

 腹を空かせた三人の声が、囲炉裏部屋にこだました。


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