燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第五話/二十年剣士

「タコか……」

 ヒロが呟く。

 

 まな板の上に、タコの足が一本。

 ゴウの魚屋『ゴダイゴ』で今日の魚を仕入れた時に、オマケして貰ったタコである。

 

 大振りの足で、刺身にすると食べ応えがありそうで良い。

 見た目は少々グロテスクな足だが、口に入れれば歯応えが良く実に美味である。

 昔の人がこれを食べようと思い至らねば、現在では、知る人ぞ知る珍味扱いだったかもしれない。

 それはつまり、この日の宿泊客の胃袋に、タコが入らなかったかもしれないという事だ。

 ついでに、ヒロ達の胃袋に、おこぼれが入らなかったかもしれないという事だ。

 

 

「ありがとうございます、昔の人」

 昔の人はいないので、タコに向かって合掌してから、一礼。

 頭を上げて、ようやく刺身包丁を手にした……その時である。

 

 

 

 

 

「ヒロ君、ヒロく~ん!!」

 厨房の外から、センダンのけたたましい声が聞こえてきた。

 センダンが騒ぎ出すのは、いつもの事である。

 その大半が『良い事思いついた』だ。

 実際にはちっとも良くなく、ろくでもない事なのだが、センダンとしては良い事を思いついているつもりである。

 

 

「はいはい、どうしました?」

 包丁をまな板の上に戻して厨房を出る。

 周囲を見回すまでもなく、センダンがどこにいるのかは分かった。

 二階に通じる階段から、ドタドタと激しい足音がする。

 

「ヒロ君!」

 二階からセンダンが駆け下りてきた。

 普段であれば、ここから『良い事を思いついたの!』とくる所である。

 だが、この日はそうではなかった。

 センダンの表情には、畏怖の色が見えた。

 

 

 

 

「……何かありましたか?」

 様子の違いを察し、ヒロは真剣に聞く。

「今日泊まっているお客様、ええと……」

「オズマ・ダッタンさんですか?」

 今日の唯一の宿泊客の名を出す。

 少し皺の目立ちだした壮年の男性で、非常に気さくな人だった。

 内容までは覚えていないが、受付の際に何かジョークを口にして、向こうから交流を図ってくれた記憶がある。

 

 

「そう! そのオズマさんが、ランニングに出てたわよね」

「ああ『体を動かすのは日課だから』と言ってましたっけか」

「で、帰ってきたオズマさんと、さっき二階ですれ違ったのよ」

「はい」

「運動後だからか、オズマさんのシャツが撚れていて、ちょっとだけ胸元が見えちゃったのよね」

 そう言って、センダンは少しだけ口篭る。

 その先を本当に言って良いのか、彼女なりに考えているようだった。

 

「それで……?」

「……あのね」

 だが、意を決したようで、センダンの口がゆっくりと動く。

「胸元に……刀傷があったの」

「はあ……? 刀傷、ですか?」

 予想外の言葉に声が裏返りかけた。

 

 

「本当よ! 胸元に大きな古傷があったの!」

「刀傷とは限らないんじゃないんですか? 事故の跡とか」

「ううん……それは、そうかもしれないわ。

 でも、もし刀傷だったとしたら、もしかしたら……」

「もしかしたら?」

「……怖い仕事をしている人なのかも」

「まさか」

 首を左右に振って否定する。

 今日初めて会う客だが、とても『その手の人』には見えなかった。

 

 

 

「で、でも……」

 センダンがなおも食い下がろうとする。

 だが、その彼女の言葉を押し潰すように、唐突に天井が揺れた。

「わ!」

「わわっ!」

 二人して、反射的に肩を跳ね上げる。

 一瞬ではあったが、重い衝撃だった。

 思わず顔を見合わせあい、揃って天井を見上げる。

 

 

 

「ヒロ君……」

「……僕、一応、様子見てきます……」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「お客様、少し宜しいでしょうか?」

 客室の外から、ヒロが声をかける。

 その声に反応して、部屋の中から物音がした。

「おう、宜しいぞ~」

 すぐに軽い調子の返事が返ってくる。

 勢い良く扉が開き、中から汗をかいているオズマが出てきた。

 

 

 

「よう、どうかしたか?」

「お客様、お取り込みの所申し訳ありません。

 何か物音がしたようですが、どうかされましたか?」

 オズマの顔色を伺いながら尋ねる。

 

「物音ってか?」

「ええ。何か重いものが落ちたような……」

「……あー!」

「何か思い辺りが?」

「悪い、これが響いちまったみたいだ!」

 オズマは軽く頭を下げながら、右手を前に出す。

 彼の右手にはダンベルが握られていた。

 

「ダンベル……」

「これを取り出した時に、ちょっと手を滑らせて落としちまってな」

「とすると……筋トレか何かをされていたのですか?」

「その通り。ダンベルで他にやる事ないわな」

 目の前のダンベルに、ヒロは安堵する。

 どうやら、センダンの危惧は杞憂のようである。

 

 

 

「しかし、本当に悪かったな。一応落ちたのはバッグの上で、床に傷は付いてなかったはずだが……」

「であれば大丈夫だと思います。運動熱心なのですね」

「おう。俺の仕事は身体が資本だからな」

 そう言うと、オズマはダンベルを床に置いた。

 それから、腰を落とし、右手で握り拳を作ってそれを前方に突き出してみせた。

 何かの姿勢を見せてくれているようである。

 どこかで見た事がある気はした。

 だが、思い出せない。

 

 

「その姿勢が、お客様のお仕事でしょうか?」

「うむ。……ああ、そのお客様っての止めてくれよ。敬語も程々で良いんだ」

「しかし……」

「俺、堅苦しいの駄目なんだ。なっ?」

 オズマがウインクしてみせる。

 実にフランクな男だった。

 そのウインクに、ヒロも頬の筋肉を緩めて頷く。

 

「……分かりました。じゃあ、その姿勢でする仕事って、どんな仕事なんですか?」

「おお! よくぞ聞いてくれました!」

 オズマが姿勢を戻し、大きく胸を張った。

 表情も、どこか自慢げに見える。

 

「俺の仕事は剣術だよ、剣術。

 ロビン剣術興行団員、オズマ・ダッタンたぁ、俺の事だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第五話/二十年剣士

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣術は、現代においてはスポーツとして普及している。

 それも、並の普及具合ではない。

 スポーツといえば、二人に一人は剣術を連想する位に、剣術は市民権を得ている。

 それ程までに普及した要因は、剣術のプロスポーツ化にある。

 

 百年前の隣国との戦争……通称、艦隊戦争が終結した頃に、剣術はプロスポーツとしてリーグ発足した。

 当時は娯楽が少なく、刃を落とした1kg弱のショートソードを用いて剣の腕を競うこのスポーツは、爆発的な人気の獲得に成功した。

 

 そして今では、国内の主要都市は大抵一つ、都市によっては二つ以上の剣術興行団を抱えている。

 リーグには、それらの剣術興行団が十四チーム属している。

 ワンシーズン一年間、試合に勝つ事で獲得できるポイントの総数を競うのである。

 

 

 

 

 肝心の競技内容だが、一回の興行は二部に分かれている。

 前半はショーパート。

 あらかじめ決められた型通りに剣を振い合い、華麗な動きで観客を魅了する演武。

 その他、一応は台本無しで戦うものの、寸止めにする事を義務付けられた模擬戦が、ショーパートに該当する。

 ショーパートの試合では、ポイントを得る事はできない。

 チームにとって、ショーパートの目的は、若手の顔見せや修練である。

 

 本番は、後半の点取り試合だ。

 攻撃して良い箇所は防具のある場所に限られてはいるものの、模擬戦とは違って剣は振り下ろされる。

 無論、誤って防具のない箇所を叩いてしまう事も日常茶飯事で、そうなれば模擬刀とはいえただでは済まない。

 怪我人が出る事も多々ある試合なのである。

 点取り試合は10人対10人で行われ、抜き勝負ではない為に、一人が一戦のみ戦う。

 試合に勝てば固定値のポイントを得る事が出来るのだが、後半の試合程ポイントは高い為に、編成が重要となる。

 そうした得たポイント総数でその日の勝ち負けを決める事はなく、リーグの順位はあくまでも、全日程の総ポイント数で決まる。

 

 

 

 

 

 ロビン剣術興行団の競技場は、ロビン東部に存在する。

 内乱時代に作られたコロシアムを模して建てられた、円形の競技場だ。

 この日、ヒロとセンダンは、その競技場の観客席に初めて足を踏み入れていた。

 

 

「あまりお客さん、入ってないんだね」

「そうみたいですね。もっと活気がある印象でしたけど……」

 席に着いた二人は、観客席を見回しながらぼやく。

 

 客の入りはまばらで、最大で二万人が収容できる客席は、一割程しか埋まっていない。

 平日の昼間であれば仕方がないのかもしれないが、それにしても少なかった。

 だが、少ないといえども、その観客達の表情は明るい。

 スケジュール表を見るなり、今日の組み合わせについて雑談に興じるなり、

 めいめいが試合を待ちわびているようだった。

 

 

「オズマさんの出番は午前中でしたっけか」

 入場口で貰ったパンフレットを開く。

 売店で購入したフライドポテトを頬張りながら、センダンもパンフレットを覗き込んできた。

 

 パンフレットには、ショーパート、点取り試合それぞれの開催予定時刻と、

 参加する団員の詳細なプロフィールが、写真と一緒に掲載されている。

 オズマの名前は、午前中に開かれるショーパートの項目に掲載されていた。

 

 

「オズマ・ダッタン、三十五歳。右利き。ロビン西部地区中級アカデミー卒。ヒロ君の先輩?」

「いえ、僕は中央地区中級アカデミー卒です」

「了解。ええと……流派はフーバー流、昨年度成績140試合中25試合出場8勝17敗。

 妻子有り、趣味飲酒、好きな言葉……うわあ、個人的な事も書かれちゃうのね」

「お客様あっての興行だし、選手の事はなるべくアピールしたいんでしょうね。

 その割には、あまり入ってないようですが……あ、選手が入ってきたみたいですよ」

 

 

 

 

 場内に、軽快なファンファーレが鳴り響いた。

 同時に選手入場口が開き、客席に囲まれたフィールドに、一名の審判と二名の選手が入場する。

 

 選手は二人とも、胸当て、グリーブ、小手、兜の軽装備を纏っていた。

 いずれも、ロビン剣術興行団のシンボルカラーである青を基調とした塗装が施されている。

 兜のせいで顔が見え難いが、凝視してみれば、そのうちの一人がオズマである事が分かった。

 

 

『御来場のお客様、本日はロビン剣術興行団対サノワ剣術興行団の試合にお越し頂き、誠にありがとうございます』

 風のマナの力を用いた拡声器から、女性アナウンサーの流暢な声が聞こえる。

『本日の試合に先立ち、主催であるロビン剣術興行団のショーパートを開始致します。

 模擬戦第一試合は、オズマ・ダッタン対ライル・カーライル……』

 

 アナウンサーが選手の名前を告げると、観客達から拍手が生まれる。

 特に、最前列の良い席に座った観客の拍手はさかんだった。

 ヒロとセンダンも、他の観客に倣って手を叩く。

 それが収まりだすのと同時に、長く低いサイレンの音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「始まったね!」

 センダンが少しテンションを上げながら言う。

 ヒロはフィールドを凝視しながら頷いた。

 そこでは、オズマとライルが、既に腰を落として模擬刀を向けあっていた。

 

 

 

 ――剣がもっとも重宝したのは、内乱時代である。

 近代ほど飛び道具が発展していない当時では、攻撃・防御共に接近戦が想定され、剣は主要武器として用いられてきた。

 敵の鎧を破壊する事を目的とした重厚な剣が愛用され、それを扱う剣術も一撃に重きを置いた流派が多い。

 

 これが、艦隊戦争の頃には事情が変わる。

 軍艦の砲台は当然の事、陸上戦でもマナを用いた重火器が発展し、兵士には運用・回避能力が求められた。

 その為、機動力を低下させる重装甲は用いられなくなり、それは剣にも影響を及ぼす。

 すなわち、相手を斬る事だけが目的となった剣には、軽く小振りな物が用いられるようになったのだ。

 剣術もそれに習い、モーションの小さなものが主流となる。

 

 そしてその流れは現在にまで続く。

 現代剣術の基礎は、艦隊戦争の頃から広まった小回りが利く剣術なのである。

 

 

 

 

「ふっ!」

 ライルが強く息を吐き、70cm程の模擬刀を突き出す。

 だが、オズマはその一突きを軽く払った。

 振るわれる剣は互いに機敏な動きで、挨拶代わりの衝突に小さな歓声が沸く。

 

 

「ライル、お返しだ!」

「ええ、どうぞ!」

 オズマの一声にライルが反応し……次の瞬間、オズマの剣は舞った。

 

 上段、中段、下段の三連撃が、本当に寸止めできるのか不安にさせる勢いで繰り出される。

 もっとも、その三連撃は剣術の基本中の基本で、ライルは難なくそれを捌く。

 

 オズマは踏み込み、次に上段三連撃。

 これも基本技で、ライルは捌く。

 オズマは続けて再度の上段三連。

 やはりライルは捌ききる。

 だが、ライルは徐々にフィールド奥へと押しやられていた。

 

 基本技の連続は、応用技に繋がる。

 あえて容易に捌ける基本技を続け、相手の防御意識が薄らいだ所で奇手に出るのだ。

 無論、大抵の選手にはその奇手も警戒されるのだが、それはそれで相手の精神力を削る事が可能である。

 ライルが押しやられるのも、奇手を警戒して足が下がった為だった。

 

 

 

 

 ――後退。

 

 更に後退。

 

 ライルを追い詰めるのに比例し、オズマの剣が速さを増す。

 

 剣を振るいやすい、中段や下段の割合が増える。

 

 剣がぶつかり合う度、二人の汗が撥ねる。

 

 ひたすら払うライル。

 

 だが、払うだけでも、それなりに体力は消耗する。

 

 次第にライルの動きが鈍る。

 

 払う事も叶わず、迎え撃つだけになる。

 

 その衰えをオズマは見逃さない。

 

 控えていた上段の構えを取る。

 

 勢いに任せて、ライルの剣を叩き落す事を目的とした一撃――

 

 

 

 

「そこです!!」

 ライルの気勢が上がったのは、その時だった。

 

 低下していたはずの動きが、再び機敏さを取り戻す。

 剣を振るうまでに時間の掛かるオズマの上段攻撃よりも先に、

 ライルの剣が横薙ぎに振るわれ……そして、オズマの胴の真横で止められた。

 

「いいいっ?」

 予想外の動きに、オズマは目を見開いて動きを止めた。

 一方のライルは、してやったりと言わんばかりに口の端を緩める。

 ライルの『疲れたふり』が成ったのである。

 

 

 

 

 

「勝者、ライル・カーライル!!」

 審判が声高らかにライルの勝利を告げる。

 観客達からは祝福の拍手が湧いた。

 

「あちゃあ、オズマさん、負けちゃったね」

「惜しかったですね。押してたと思ったんですけれど……」

 オズマの敗戦に、二人は勝者に拍手を送りつつも少し肩を落とす。

 だが、勝ち負けは抜きに、それはなかなかに興奮を覚えさせる一戦であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 オズマからは、事前に関係者用パスを貰っていた。

 

 コロシアム内には選手専用の食堂があり、試合後のオズマはそこにいる事が多い。

 いつでも遊びに来てくれ、という旨の言葉を受けていた二人は、模擬戦終了後に専用食堂に向かった。

 途中、試合を控えた選手と何度かすれ違いつつ食堂に辿り着くと、既に出番を終えたと思われる選手が数名寛いでいた。

 オズマは入り口付近の席にいた為に、すぐに見つける事ができた。

 

 

 

 

「よぉ、二人とも! 本当に来てくれたのか!」

 同じくヒロとセンダンを見つけたオズマが手招きする。

 誘われるがままにオズマと同じ席に着いて、飲み物を注文した。

 注文を受けた初老の女性店員がにこやかな表情で『オズマちゃんは友達が多いねえ』と言ってカウンターの奥に戻るのを見届けると、オズマは早速ヒロ達に向き直った。

 

 

「いやあ、よく来てくれた! 俺ぁ嬉しいぜ。ありがとう!」

「誘ってくれたんですから、当然じゃないですか」

「そうですよー。こちらこそありがとうございます!」

 二人が頭を下げる。

 オズマは、いやいや、と手を横に振ってそれを制した。

 

「いいんだよ、これくらい。タコ刺しのお礼だ。

 それより、二人一緒に来て民宿は大丈夫なのか?」

 

 ちっとも大丈夫ではない。

 こうしてロビンに来れたのは、今日も予約客がいないからである。

 二人とも、苦笑いしか浮かべる事が出来なかった。

 

 

 

 

 

「そ、それより、模擬戦見ましたよ! 惜しかったですね~。

 あのままオズマさんが勝つと思ったんですけれど……」

 センダンがなんとか話題を変える。

「いやあ、あれは完全に誘われてた」

 だが、オズマは肩を竦める。

「と言いますと?」

 ヒロが説明を求めた。

 

「ライルの奴、俺が早めに仕掛ける事を見越して、大振りを誘ったんだよ。

 俺はおっさんだし、大してスタミナはねえから、実際、短期決着狙いだったんだ」

「へえ、全然分からなかった……そんな駆け引きがあるんですね」

「おお。剣術って結構奥深いんだぞ。午後の点取り試合は更に面白いからな」

「点取り試合って、午後からの10対10の試合の事でしたっけ?」

「そうだ。ヒロは観た事あるのか?」

「実は競技場に来る事自体初めてで……」

「そっかあ。それじゃあ是非観ていけよ! すげぇぞぉ~」

 申し訳なさそうに言うヒロの肩を、オズマは親しく叩いてくれた。

 

「ええ。その予定です。どういう所に注目したら良いんですか?」

「そりゃあやっぱり、パワーだな」

「パワー、ですか?」

「おう。点取り試合に出るような選手は、大抵二十代後半の若い奴なんだがな。

 やっぱり近代トレーニングって奴の効果かねえ。皆パワーがある。

 速さや技術もあるんだがな。やっぱり目を引くのはパワーだ」

「ふむふむ」

「剣が弾き飛んだり、とにかく迫力があるからな。

 派手で楽しいから、楽しんでってくれよ」

「………」

 ヒロは無言で頷いた。

 

 

 オズマの言葉で、ふと思い至ったのである。

 試合前に見たパンフレットに記された選手情報。

 点取り試合の選手は、オズマが言う通り二十代の者が多かった。

 シーズンの得点に絡むのだから、有力な若い選手を起用するのは当然の事だ。

 

 だが、オズマはどうなのだろう。

 昨年度の点取り試合出場数は少なかったし、出た試合も負け越していた。

 オズマ自身、もうスタミナはないと言っている。

 すなわち、オズマはロートルなのだろう。

 であれば、彼は今、どの様な心境で点取り試合を薦めてくれているのだろうか。

 

 

 

 

 

「オズマさんは点取り試合には出ないんですか?」

 だが、聞いた。

 センダンがズバリ聞いてしまった。

 好奇心に満ちた表情をしている辺り、オズマの現状には考えが及んでいないようである。

 

(わわ!)

 内心激しく動揺しながら、どう会話を丸め込もうかと考える。

 だが、ヒロが喋る前に、オズマが先に口を開いた。

 

 

 

「俺はロートルだからな。点取り試合じゃ戦力にならねえんだ」

 オズマは苦笑している。

 あまり深刻に考えているようではなかった。

 どうも今回は、センダンのように気軽に聞くのが正解だったようである。

 とはいえ、ヒロは何と言って良いのか分からなかった。

 

「ええ? あんなに軽々と剣を振ってたのにですか?」

「ありゃプロなら誰だってできるさ。

 身体能力は基本的に、もう若手には敵わねえんだ」

 オズマの表情には、相変わらず悲壮感はない。

 

「……でも、やっぱり点取り試合やりてえよなあ。おらぁ悔しいよ」

「若手に敵わない事が、ですか?」

 センダンが尋ねる。

 さすがにセンダンも状態を察したのか、声のトーンは抑えられていた。

 

 

 

 

「いや、違う。チームに貢献できねえ事が悔しいんだ」

 オズマは首を横に振った。

 

 

「俺は中級を卒業したらすぐプロになったんで、今年でとうとう二十年選手なんだよ。

 なのに、一度も優勝した事がねえんだ、ちくしょうめ」

 冗談めいた口調。

 だが、事実なのだろう。

 ヒロも、ロビンが剣術興行団の優勝に湧いた記憶はない。

 

「いつも首都のゼダ剣術興行団員が優勝をかっさらっちまってな」

「凄く強いチームでしたよね?」

「そうそう。俺がプロになった年から七連覇してるんだぜ? すっげえ選手ばっかりなんだ」

 ヒロが尋ね、オズマが答える。

 リーグの盟主とも言える存在で、普段は剣術興行に興味がない者でも知っているチームだった。

 

 

 

「とまあ、そんなわけだ!」

 オズマが自分の両膝を叩く。

「そんなわけで、俺は二十年間、ろくにチームの力になっちゃいねえんだ。そいつが悔しくてな」

「そんな事は……」

「いいや、リーグ優勝できなきゃ同じ事なんだ」

「………」

「だがな!」

 オズマが前のめりになりながら、愉快そうに言う。

 子供のような笑みを、彼は浮かべていた。

 

 

 

「点取り試合に出て優勝に貢献する事は、まだ諦めちゃいねえ。

 幸い、今年はチームの調子も良いしな。

 その為には、演舞だろうと模擬戦だろうと、しぶとく続けて機会を掴むぜ、おらぁよ!」

 力強い宣言だった。

 その言葉が偽りでない事を表すかのように、オズマの瞳は力強く見開かれていた。

 その様子に、ヒロもセンダンも胸を撫で下ろす。

 

(……かっこ良いな)

 同時に、ヒロはオズマの姿勢に感銘を覚える。

 自分も、三十代になったら、彼のようにありたいと思う。

 

 

 

「はいはい、お待たせさん」

 そこへ、女性店員がヒロとセンダンの飲み物を運んできた。

 飲み物のみならず、カツカレーも運んできた彼女は、料理をオズマの前に置く。

 どうやら、ヒロ達が来る前に頼んでいたようである。

 

「う~し、俺は飯を食わせてもらうぜ!」

 オズマは告げると、まずおしぼりを取る。

 既に汗は流していたようだが、彼はおしぼりで真っ先に顔を拭いた。

「ぷっはぁ~」

 品のない息を漏らす。

 

(……かっこ悪いな)

 やはり、彼のようにありたくないと思う。

 

 

 

 

 

「それじゃあいただき……あん?」

 カレースプーンを握ったオズマの手が、途中で止まる。

 荒々しい足音が廊下から聞こえてきた。

 それに反応し、皆が食堂の出入り口に視線を向ける。

 足音の主は、すぐに姿を現した。

 

「はあっ、はあっ……お、オズマさんはいるか!?」

 食堂に駆け込んできたのは、当然ながらヒロが知らない男だった。

 身長はヒロ並に高く、年齢は二十代後半位に見える。

 

「あり? そんなに慌ててどったのよ、ゴリマネージャー」

 オズマが手を上げて返事をする。

 ゴリと呼ばれたその男はオズマの姿を見つけると、暫し息を整える事に専念してから、口を開いた。

 

 

 

「大変だ、オズマさん! 午後に出る予定だったチョーが、試合前練習で足を捻った!

 監督が、代わりにオズマさんを点取り試合に出すって……!!」

 

「!!」

 オズマが険しい表情で反射的に立ち上がる。

 機会は、早くも巡ってきたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、なにこれ……午前中とは大違いじゃない」

「やっぱり点取り試合が本番、って事なんでしょうかね……」

 ヒロとセンダンは、午後の競技場の光景に圧倒されていた。

 それは、午前中とはまったくの別物となっていたのである。

 

 

 まず、客の入りが違う。

 午前中に一割程しか埋まっていなかった客席は、点取り試合の開始直前には八割以上埋まってしまった。

 競技場の外や廊下を歩いて客席に向かっている者も多く、客席は更に埋まるものと思われる。

 

 着席している者の多くは、チームグッズの青い旗を掲げていた。

 それが一帯となる事で、これから入場する選手達にエールを送ろうとしているのだ。

 黄色いグッズを掲げるサノワ剣術興行団のファンもいるにはいたが、アウェイだけに数は少ない。

 

 競技場内に設置された飲食店やグッズショップにも、人だかりが出来ていた。

 フィールドには、どの生物をモチーフにしたのか想像し難い毛むくじゃらのマスコットが先行して入場しており、観客の歓声を扇動していた。

 どこもかしこも、熱気に満ち溢れている。

 

 

 暫くすると、選手入場口が開いた。

 午前中と同じく、ファンファーレに合わせて参加選手が入場してくる。

 ファンファーレが落ち着くと、入れ替わるようにして、観客席最前列に陣取った応援団が金属製の笛を吹き始めた。

 一つ一つは素朴な音色だが、固まる事によって、心臓を振り動かされるような振動を感じる。

 選手のみならず、観客に対しても、これから始まる試合への興奮を高めてくれる音色だった。

 

 

 

 

 

 選手入場が終わると、午前中と同じアナウンサーが試合の開始を告げた。

 第一試合の選手二名が、フィールド中央に足を進める。

 そのうちの一人がオズマだった。

 同時に、客席の中からぽつぽつとどよめきが沸く。

 

 

「おい、チョーじゃないぞ。パンフレットじゃ第一試合はチョーじゃなかったか?」

 ヒロ達の近くの席から、若者の声が聞こえる。

「チョーは試合前に怪我したらしいぞ」

 付近の席から、また別の声がした。

 どこで耳にしたのか分からないが、ファンの間の情報とは早いものだ、とヒロは思う。

 

「怪我かあ。軽いと良いな」

「代わりにいるのは誰だ?」

「ええと……オズマだな。オズマかあ……」

「なんでライルを使わないんだ?」

「ライルはサノワの選手と相性が悪いからなあ」

「だからって、なあ。オズマか」

「まあ、第一試合だから落としても、そこまでは……」

 

 

「オズマさん、人気ないのかな」

 センダンがフィールドを見ながら寂しそうに言う。

 状態を考えれば、仕方がないのかもしれない。

 だが、オズマを応援したいという気持ちは、周囲に抑えられるものではない。

 むしろ、オズマの心境を知っているからこそ、ヒロは叫ばずにはいられなかった。

 

「オズマさーーーん!!!」

 唐突に、腹の底から声を出した。

 客席には相変わらず雑多な声が充満していたが、どれも歓声ではなく、観客同士の会話である。

 それだけに、ヒロの声はよく通った。

 どうやらオズマの耳にまで届いたようで、彼は僅かに模擬刀を掲げて返事をしてみせた。

 

 

 

「……ヒロ君」

「あ、うん?」

「そんな大声、初めて聞いたわ……」

 一方、隣の席のセンダンは呆気にとられていた。

 気がつけば、周囲の観客も、突然の歓声に驚いてヒロに注目している。

 

「あ、いや……ははは……」

 ひたすらに照れ笑いをするより他ないヒロであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 試合が始まった。

 

 模擬戦とは異なり、点取り試合は一試合三本制で、二本先取した方が勝者となる。

 パンフレットには、第一試合のサノワ側の選手名はジェフ・オルレアンと記されていた。

 短評曰く、凄まじいラッシュを得意とする、サノワの売り出し中の若手との事である。

 突然の対戦相手の変更で、想定していなかったオズマを警戒してか、ジェフは時折牽制するだけで積極的には仕掛けない。

 オズマも同様にジェフの出方を見ているようで、試合は静かな立ち上がりとなった。

 

 

 

「はっ!!」

 フィールドに気合の声が轟く。

 先に勝負手を仕掛けたのはオズマだった。

 

 中段左、中段右を四セット連続にした八連撃。

 ジェフはその攻撃をかわさず、防ぎにかかる。

 ゆったりとした試合展開が一転し、両者の剣は忙しくぶつかり合い、競技場には金属音が立て続けに響き渡った。

 その八連撃を打ち終えた所で、オズマは再び中段を狙わず、上段攻撃に変化する。

 

「きたっ!!」

 観客の誰かが叫ぶ。

 だが、ジェフの反応は早かった。

 バックステップで、横薙ぎの上段攻撃を難なく避ける。

 オズマの変化は、勝負手とはいえ、典型的な変化の一つである。

 点取り試合に出るレベルの選手に、そうそう通用するものではなかった。

 

 

「本命はこっちだっ!」

 だが、オズマはなお吼える。

 彼の剣は振り切られず、ジェフを正面に迎えた所で止まっていた。

 オズマが力強く踏み込む。

 体重を右足に乗せ、その勢いを右手に握った剣に移す。

 地面と水平になった彼の剣が、ジェフの兜目掛けて鋭く伸びる。

 痛烈な刺突は、そのままジェフの兜を捕らえ……なかった。

 

 

 

 

 一際甲高い金属音が鳴り響く。

 オズマの剣は空中へと弾き飛ばされた。

 

 

 

 

「うへっ!?」

 刺突の姿勢のままで、オズマは目をぱちぱちと瞬かせる。

 自らの剣が、ジェフの剣に弾かれたのを認識するのに、彼は少々の時間を要した。

 

 審判がジェフの一本先取を言い渡し、同時に観客席からは溜息が漏れる。

 それは、一本取られた事を惜しみ悔やむというよりは、諦めに近いようなものだった。

 やはりオズマでは駄目なのか、という声もぽつぽつと聞こえてくる。

 ヒロ達は、剣を拾うオズマを黙って見守る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 オズマとジェフが再び向かい合い、第一試合二本目が始まる。

 もうジェフは様子を見ようとはしなかった。

 開始と同時に、餌に食らいつく野獣のように激しく攻め立てる。

 一撃一撃には時折隙が混じっているのだが、それを分析する間を与えない連続攻撃だった。

 

「く、ううっ……」

 オズマはそれを必死に凌ぐ。

 防ぎ、避け、ひたすらに防戦に専念する。

 ジェフは追撃の手を緩めない。

 攻撃。

 更に攻撃。

 攻撃箇所を散らし、ひたすらに打ち込み続ける。

 

 剣術訓練で覚える典型的な組み合わせであれば、同時に受ける型も存在する為に、オズマも防ぎやすい。

 だが、ジェフの一連の攻撃はランダムに組まれている。

 ジェフの筋肉と剣の動きを見て、肉体を反射させ防ぐより他ない。

 そうしているうちに、オズマの動きが少しずつ鈍る。

 ライルが見せたような、相手を誘う疲労ではない。

 本物の疲労が、オズマの全身に重く圧し掛かっていた。

 

 そのまま押し切られて、ゲームセット。

 あまり好ましくなく、それでいて可能性の高い展開が、多くの観客の脳裏を過ぎる。

 ヒロにも、その展開は想像できた。

 

 

(オズマさん、せっかく出番が巡ってきたのに……このままじゃ……)

 ヒロは無意識に唇を噛み締め、拳を握る。

 

 もし負けてしまったら、オズマの出番はもうないのかもしれない。

 二十年間、前向きに取り組んでいるのに、その努力は実らないのかもしれない。

 相手も同じような努力はしているのだ。

 それが勝負の世界というものだろう。

 では、仕方がないのか。

 それで良いのだろうか。

 良いわけがない。

 一人のファンとして、それは受け入れられない結末だ。

 

 

 

 

 

「オズマさーん!」

 不安を打ち消すように、彼は歓声を張り上げた。

「頑張ってー!」

 隣のセンダンもそれに続く。

 

「オズマー!」

 またオズマを呼ぶ声がする。

 ヒロとセンダンは顔を見合わせた。

 その声は、彼らの声ではない。

 遠くの客席から聞こえてきた、年配の男性の声だった。

 

「オズマ、凌げ!」

「諦めるな、オズマー!」

「オズマ!」

「オズマ!」

「オズマ!」

 ヒロとセンダンの声が合図となったかのように、怒涛の歓声が堰を切って溢れ出した。

 試合前は起用を嘆いていたはずの観客達が、一斉に声援を送り出したのである。

 

 オズマを呼ぶ声が、円状の競技場にこだまする。

 声は競技場を回るようにして響き、うねりを上げてオズマの耳に届く。

 

 

 

 

 

「ぬあああああああああっ!!」

 剣を握るオズマの手に、相手を見据えるオズマの瞳に、もう一度力が篭った。

 無作為なジェフの攻撃を、ありったけの力を混めて迎撃する。

 両者の手に重い衝撃が伝わり、二人とも上半身が後方に弾かれる。

 

「だりゃああああっ!!」

 だが、オズマは踏み込んだ。

 衝撃によって後方に弾かれる上半身を、下半身で強引に引っ張る。

 ジェフも、それを呆然と待ち受けるわけではない。

 剣を構え、迎撃の態勢を取ろうとする。

 普通に打ち込んでは防がれる状態だった。

 

 

「甘いっ!!」

「ぐ、っ……?」

 次の瞬間、ジェフの膝は地に落ちていた。

 オズマは、普通に打ち込まなかったのである。

 本来であれば刀身で打ち込むべき所を省略し、そのまま柄頭でジェフの胸当てに打ち込んだのである。

 

 

 

 

 

 どわあ、と荒波のような歓声が流れた。

 ヒロは力強くガッツポーズを取り、センダンは腕を回して歓喜の声を上げる。

 審判がオズマの一本を告げ、二人は決着の三本目の為に三度向かい合った。

 

 

 

(おお、この歓声、やっぱり気持ち良いねえ……)

 

 ジェフと相対しながら、オズマは大歓声に浸る。

 剣を握る彼の右手は、だらりと下げられていた。

 腕までもが歓声に弛緩していたのではない。

 純粋に、力が入らないのである。

 

 

 

 

(勝負ってのはやっぱり甘くねえや。打ち込む時に手首捻っちまった……)

 

 審判が三本目の開始を告げる。

 先にジェフが構え、オズマも遅れてゆらりと剣を構えた。

 

 

 

 

(このまま終われば『負けたけれど努力した』って所か……おらぁ、そんなの嫌だぜ……!)

 

 ジェフは打ち込んでこない。

 一方のオズマは、足を前に進める。

 重々しく剣を突き出す。

 

 

(勝って、ポイント取って、そして優勝する……!!

 俺は、その為に戦ってんだ!

 模擬戦も日々の練習も、全ては優勝の為のものなんだ……!!)

 

 オズマの余力が、振り絞られた――

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――数日後の朝。

 海桶屋のフロントに座しているヒロの所へ、センダンが朝刊を持ってやってきた。

 

 

「ヒロ君、朝刊のスポーツ欄、もう読んだ?」

「いや、まだですけれど……」

「では、これを授けよう。ははは」

 センダンが胸を張って朝刊を差し出す。

 別に彼女が購買しているものではなく、威張られる謂れはない。

 

 ヒロは苦笑しながら新聞を受け取り、スポーツ欄を開く。

 紙面では、ロビン剣術興行団が昨日の試合で多数のポイントを獲得し、リーグ上位に付けている事が報じられていた。

 試合結果、専門家の解説、選手のコメント……幾多の記事の隅に、目当ての記事はあった。

 

 探していたのは、模擬戦の結果である。

 第一試合、オズマ・ダッタン対メア・タラスコ。

 勝者、オズマ・ダッタン。

 オズマの結果は、たった二行だけで報じられていた。

 

 

 

「まだ模擬戦かあ」

「この間の試合に勝った時は『そのまま点取り試合に定着か』なんて言われてたのにねえ」

「怪我した選手がすぐに復帰できたみたいですしね」

 仕方ない、と言わんばかりにヒロは肩をすくめる。

 

 シーズンは、まだ長い。

 チームが再びオズマを必要とする時が来るだろう。

 そして、オズマはそれに応えてくれるだろう。

 二人とも、そう思っていた。

 

 

 

「オズマさんが点取り試合に上がったら、また一緒に応援に行こうね」

「あまりお店が暇すぎるのも考えものですけれど」

「んじゃ、私一人だけで観てくるわ」

「センダンさん、それはずるいと思いますよ……」

 

 ヒロの抗議に、センダンは悪戯っ気の篭った笑顔を返すのであった。


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