燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第三話/きつね納豆の夜

 とある日の昼下がり。

 昼食を終えたヒロは、海桶屋一階奥に設けられた自室で寛いでいた。

 

 彼の部屋は、元々は物置のスペースを改装して作った、六畳のこじんまりとした畳部屋である。

 元が元だけに、客室のような艶やかな塗装は施されておらず、裏庭に向けられた小窓が一つあるだけの簡素な部屋だ。

 家具も、ちゃぶ台に収納箪笥に本棚、他には、氷のマナの力で食料品を冷蔵する個人用冷蔵庫があるだけである。

 

 

 

 

「へえ……今週の週刊スピリットの特集は、夏に向けた水のマナの活用法かあ」

 

 ちゃぶ台に頬杖をつきながら、雑誌を読む。

 マナの扱い方や、精霊の目撃情報、マナを使用した新製品の宣伝等が掲載された情報誌である。

 書店ではマイナーな趣味の棚に陳列される類の物だが、陳列されるのならばまだ良い。

 兄花島の小さな書店では扱ってさえおらず、頻繁に島とロビンとを行き来するギルドの職員に頼み込み、代わりに買って来て貰っている代物だった。

 彼の部屋の本棚には、そのマイナー雑誌がぎっしりと詰めて並べられている。

 

「金運上昇間違いなし! 驚きの声を聞け!

 金のマナが込められたお守り……かあ。この写真が胡散臭いんだよね……。

 それに、金のマナとか本当にいるのかな。……はむ」

 好物の、カップの蜜柑アイスを食べながら、パラパラと雑誌をめくる。

 ヒロの部屋は住み良いものでは無かったが、それでもそこはヒロだけの空間だ。

 その自室で、趣味であるマナに関した時間を過ごす事は、ヒロの最大の幸福であった。

 もっとも、真昼間からその幸福を味わえる現状には、いささか問題が残る。

 

 

 

 

 

「ヒロ、いるか?」

 不意に自室の外から、自分の名前を呼ぶ男性の声がした。

 聞き覚えのある声だった。

 勝手に海桶屋に入ってきて呼びつける男性の心当たりも、一人だけである。

 

「ん……?」

 声に反応し、蜜柑アイスを置いて立ち上がる。

 扉を開ければ、案の定、そこには見知った顔があった。

 

 

 

「やあゴウ君」

「よお」

 友人のゴウ・ゴダイゴは、口に咥えた煙管を取ると、気だるそうに手を上げて挨拶した。

「なんだヒロ、フロントにいなくても良いのか?」

「うん、今日もお客様はいないから」

 今日は、ではない。

 今日も、である。

 言葉に一抹の虚しさを覚える。

 

「おい、今日もいないのかよ……お前の店、大丈夫なのか?」

 ゴウが呆れた口調で言う。

 だが、言葉自体は店を案じるものである。

 

「ははは。あまり良い状態じゃないよね」

「ははは、って……しっかりしろよな、まったく。

 店番だって置いていないし。飛び入りで客が来る事だってあるだろ?」

「たまにね。フロントに呼び出しボタン置いてたけれど、気がつかなかった?」

「あれ、そうだったか?」

 ゴウが煙管で自身の頭を軽く叩いて、記憶を呼び起こすような仕草を取る。

 その都度、パーマのかかった短めの茶髪がくしゃりと潰れた。

 

「ところで、何か用?」

「そうだ、ちょっと話があるんだよ」

「話?」

「おう。時間貰えるか?」

「うん」

 時間は幾らでもある。

 ゴウを室内に通し、ちゃぶ台を挟んで向かい合った。

 ふと、卓上の蜜柑アイスが溶けないだろうか、と心配になる。

 

 

 

「これ食べながらでも良いかな?」

「ああ、構わんぞ」

「ありがと。まだあるけれどゴウ君も食べる?」

「俺は昼食ったばかりだからいい」

「お昼はまた海鮮丼?」

「よく分かったな。駄目になりそうなやつをな」

 ゴウは魚屋の息子である。

 海桶屋で提供される魚料理は、彼の店から仕入れたものだった。

「そっか。じゃあ失礼して」

 軽く目礼して、蜜柑アイスをまた食べる。

 一口で、冷気とほのかな酸味が口内に広がった。

 

 

「俺も、話の前に、これいいか?」

 ゴウが煙管を掲げてみせた。

 雁首に細やかな彫刻が入った、少しばかり高価そうな煙管だった。

「あ、うん」

「じゃあ遠慮なく……」

 返事を受けたゴウが煙管を噴かす。

 煙を一度吐き出し、余韻を味わうかのように、立ち上る煙を見上げる。

「ふう……」

「相変わらず美味しそうに吸うね」

「実際美味いからな」

「へえ。僕も吸ってみようかな」

「お前はアイスにしとけ。身体に悪いんだから吸わないに越したこたぁねえよ」

 身体に悪いと言いながら、また煙草を噴かす。

 今度は煙を見上げずに、ヒロを見ながら口を開いた。

 

 

 

 

「で、話なんだが……」

「あ、うん」

 ヒロが居住まいを正す。

「祭りの準備、手伝ってみないか?」

「祭り? 島でやるの?」

「ああ。毎年九月の終わりにやってるんだ」

「九月……」

 こめかみに指を当てながら、昨年の九月を思い出そうとする。

 宿泊客は少なかったが、仕事に覚えるのに忙しかった頃だった。

 言われてみれば、祭りのポスターを見たような記憶はある。

 だが、祭りの準備にも、祭り自体にも参加はしていない。

 

 

「昨年もやってたの?」

「やってたぞ。お前は仕事に慣れるので精一杯みたいだったから、誘わなかったけどな」

「そっか」

 もう一口アイスを食べる。

 もぞもぞと口を動かしながら、どうしたものかと考えた。

 

 話自体には興味がある。

 経験のない事だが楽しそうだし、島民と交流もしたい。

 問題点は、祭りの準備と仕事を兼ねなければならない事だ。

 とはいえ、それは他の参加者も同様である。

 

 

(いや……むしろうちの場合は、兼ねなくても良いかもなあ)

 両立を気にする程、忙しい店ではない。

 無意識のうちに、決まりの悪い表情を浮かべてしまった。

 

 

 

 

「……どうだ? やっぱりまだ忙しいか?」

 ゴウが声のトーンを落としながら聞いてきた。

「あ、大丈夫だよ。全然大丈夫。僕も参加するよ」

「そうか」

「うん。なんだか楽しそうだしね」

「どうだろうな。まあ……無理のない範囲で頑張ろうぜ」

 そう言って、ゴウは少しだけ口の端を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第三話/きつね納豆の夜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒノモト諸島の中でも、兄花島の観光地区には、木造民家が特に特に多い。

 それは、観光客向けに作られた町並みなのか、それともヒノモトの伝統を残す事が目的なのか、ヒロは知らない。

 地区の中央に引かれた兄花通りには、それらの民家が特に多く立ち並んでいる。

 清掃も行き届いており、引き締まった空間である。

 

 ほのかに温い風の吹く夜。

 ヒロとセンダンは、のんびりとした足取りでその通りを歩いていた。

 目的地は、打ち合わせが開かれる居酒屋『ちとせ』である。

 

 

 

 

 

「ええ? ヒロ君、島の祭りに参加した事ないの?」

 道中、ヒロが祭りに参加した事がないと聞いたセンダンは、意外そうな声を上げた。

「あ、うん」

 ヒロは相変わらず気の抜けた返事をする。

「なんでなんで? 子供の頃に島に遊びに来た事ないの?」

「そんな事はないですよ。年に一回は遊びに来てたかな」

「それじゃどうして?」

「遊びに来るのは夏だけでしたから。

 お父さんが上級アカデミーでマナ学を教えていて、長い休みが取れる時期が限られていたんです」

 仕方がない、と言わんばかりの表情で肩を竦める。

 

「なるほど。祭りは九月末だし、タイミングが合わなかったのね」

 納得できたようで、センダンが膝を打った。

 それから彼女は小走りでヒロの前に出ると、後ろ歩きでヒロに正対する。

「ふふん。それじゃあ、どういう祭りか私が事前に教えてあげるわ!」

 無駄に力強くヒロに指を突きつける。

 ヒロは素直に頷いて説明を求めた。

 断っても勝手に話し始める事を、彼は知っていた。

 

 

 

「よろしい。まず祭りの名前なんだけれど、竜伐祭っていうのよ」

「いきなり物々しい名前ですね」

「ちゃんと由来がある名前なのよ。とりあえずそれは置いといて……

 祭り自体はそう大きなものじゃないの。

 祭事用の広場にステージを用意して、歌ったり踊ったりのイベントがあるわ。

 その周りに、出店が十数件並ぶ位の、よくある祭りよ。

 ……メインイベントを除けばね」

「メインイベント?」

「そ。まず、収穫を終えた田畑から藁を持ち寄って、大きな竜を作るの」

「どれくらい大きいんですか?」

「サイズは大体十メートル位らしいわ。

 柱を用意してそれに絡めて、それを天に昇るように配置するのよ。こんな感じで」

 センダンは両手を頭上で合わせ、全身をくねらせた。

 どうやら、掲げられた時の竜の形状を模しているようである。

 

「……なんですそれ」

「竜の真似」

「……話はおしまい?」

「つれないわね」

 センダンは頬を膨らませた。

 

 

 

 

「凄いのはここから。メインイベントに花火があるのよ。

 竜の口に花火を仕込んじゃうの!」

 頬をすぐに萎ませ、センダンはなおも喋る。

「マナを使わずに、本物の火薬を使った花火よ。

 竜が炎を吐いているように見せてるのね」

「花火って、危なくないんですか?」

「大丈夫よ。打ち上げるわけじゃないし、吐く方向も計算されてるわ。

 防火の用意も万全みたいね」

「なるほど」

「で、花火が終わったら、竜やら廃材やらで焚き火しておしまいって流れね」

「結構派手なお祭りみたいですね」

 

 夜空を見上げながら、その光景を想像してみた。

 三十メートルと言われても、実際にどの程度大きく見えるのかが分からない。

 ただ、相当迫力のある大きさなのだろう、とは思う。

 それが、火薬を使った花火を噴き出すのだから、威圧感はなおさらである。

 実際に見てみたい、とも思った。

 

 

 

「あとは……祭りの由来なんだけれどね」

 センダンが、ヒロの横に並んで前を向きながら説明を続けた。

「今でこそ絶滅しているけれど、昔は竜って獣害の代表格らしかったじゃない」

「ええ」

「この兄花島も、竜による田畑の被害に悩まされていたそうよ。

 そこで、藁で竜を作って、それを討伐するという意味合いを込めて、祭りが開かれたらしいわ」

「竜を討伐……それで竜伐祭なんですね」

「そゆこと」

「ちなみに、センダンさんは祭りの準備を手伝った事はあるんですか?」

「祭りの参加経験はあるけれど、実は私も、手伝いの方は今年がはじめてなのよ」

「ふむ……」

 ヒロが呟く。

 そのセンダンの言葉は、ヒロにはいささか予想外だった。

 好奇心の強いセンダンなら、手伝った事があってもおかしくなさそうなのが、その理由の一つ。

 手伝った経験がない割には、竜のサイズやら安全管理やらと、随分詳しいのも気になる所だった。

 

 

 

「……あ、着いたね」

 センダンが歩調を緩めた。

 いつの間にか、通りの端まで歩いていた。

 煌々とした灯かりを放つ居酒屋ちとせは、もう目の前である。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「今年も祭りの準備が始まった!」

 貸し切りの店のど真ん中で、ウメエ・タカナは元気良く声を張り上げた。

 

 

 

 ちとせは、カウンター席が八席と、四人掛けのテーブル席が五席あるだけの、小規模な個人経営の居酒屋である。

 この日は祭事実行委員の貸切で、既に卓上には各自の飲み物や料理が並べられていた。

 打ち合わせに参加したのは二十人以上で、中年、壮年の割合が高い。

 二十代の者は七、八人といった所で、二つのテーブル席に固まっている。

 そのうちの一人であるヒロは、自分の祖母が始めた挨拶から目を逸らして、向かいの席のゴウに小声で話しかけた。

 

 

 

「……ねえ、ゴウ君」

「なんだ?」

「なんでうちのお婆ちゃんが仕切ってるの?」

「実行委員最年長だからじゃないか?」

 ゴウはウメエを見据えたままで答える。

「そっか……」

「そうだ」

 如何ともしがたいものである。

 

 

 

「いやあ、うめえ!」

 気が付けば、ウメエは挨拶の途中でジョッキのビールを煽っていた。

 

「……ねえ、ゴウ君」

「なんだ?」

「なんで乾杯してないのにお婆ちゃん飲んでるの?」

「実行委員最年長だからじゃないか?」

 ゴウはウメエを見据えたままで答える。

 今度は、どこか逃避を感じさせる目つきだった。

「そっか……」

「そうだ」

 如何ともしがたいものである。

 

 

 

 ――海桶屋の先代板前であるウメエは、今年で七十二歳になる。

 ヒロが知る限りでは、ウメエは大きな病気や怪我をした事がない。

 店の調理場も任せられはしたが、ウメエの体調に問題があったわけではない。

 後継者であるヒロの育成と、足を痛めた祖父ダイゴロー・タカナの介護が主目的の引退で、ウメエ自身は未だに健康そのものなのである。

 昔から、その健康体の生かし処を求めるかのように、地域行事の参加に積極的だった事は、ヒロも知っていた。

 考えてみれば、確かにウメエがこの場で音頭を取っていても何らおかしな事はないのである。

 

 

(……まあ、いるのは分からないでもない。そっちは良いよ。

 でも、もうちょっと、こう……ああ、良いなあ……)

 手の甲でビールの泡を拭うウメエを羨ましそうに見上げながら、嘆息する。

 

 先に一人で飲んでしまうのはずるい。

 その上、うまそうに飲むのだからなおさらずるい。

 視線を、眼前に置かれた自分のビールジョッキに移す。

 ジョッキの水滴が、ビールの冷たさを物語っている。

 思わず唾を飲み込んでしまうヒロであった。

 

 

 

 

 

「ま。準備とは言っても、流れは皆分かっとる。そうよな?」

 ウメエがビールをカウンターに置いて、挨拶を再開した。

 何名かが頷いて相槌を打つ。

 ヒロには分からない点だが、言葉を挟むタイミングではなかった。

 

 

「今日はその話よりも、別の事を考えなくちゃならんな」

 ウメエが右手の人差し指を顔の前で立てる。

 一同の視線がその指に集約した。

 

「今年の課題は一つ! 集客じゃ!

 過疎化が進む島の祭りじゃ仕方ない面もあるが、参加者は年々右肩下がりになっておる」

「そうだそうだ!」

「なんとかせにゃいかん!」

 同じくカウンター席に座る中年男性達が、ウメエに同調して気勢を上げた。

 

「今日はその為の妙案を、皆で飲みながら考えよう。

 ま、無いなら無いで構わんわ」

「そうだそうだ!」

「ウメエさん、はよ飲もう!」

 また気勢が上がる。

 つまりは、打ち合わせというよりは、体の良い飲み会である。

 

「おお。それじゃあ乾杯といこうかね!」

 ウメエがニッと笑いながら言う。

 そして、また一人でグビリ。

「………」

 もう、内心で突っ込む気力も沸かなかった。

 

 

 

 

 

「それでは、今年も祭りを無事成功させよう!」

 ウメエがジョッキを高々と掲げた。

 それに反応して、皆ジョッキを手にする。

 ようやく始まる宴に、ヒロの胸も高鳴った。

「乾杯!」

「乾杯~~!」

 皆の声が揃った。

 周囲の席の者とジョッキを当てて、待ちかねたビールを喉に流し込む。

 

「ぷはあ……」

 喉を駆ける快感に、幸福の吐息が漏れた。

 ヒロもアルコールは人並みに嗜む。

 だが、この所はたまたま飲んでいなかっただけに、久々の酒は一層うまく感じられる。

「うひゃ~っ!」

「うめえー!」

「うはあ」

「うはははは」

 各々も開放的な感想を漏らす。

 それから少し遅れて、誰かが拍手をした。

 それに応えて、全員の拍手がちとせにこだました。

 宴の始まりである。 

 

 

 

 

 

 

「ヒロちゃん、こんばんは」

 改めてビールを飲もうとした所で声をかけられる。

 声をかけてきたのは、ちとせの看板娘、サヨコ・モモトセだった。

 

「やあ、サヨちゃん」

 朗らかに笑ったつもりで返事をする。

 だが、ビールを流し込んだ直後で頬が緩んでいたからか、出来上がったのは般若のような笑みだった。

 それでも、サヨコは怖がらずに笑い返してくる。

 サヨコは、ヒロの顔を見慣れていた。

 年に一度、島に遊びに来ていた時期から、彼女とは面識があった。

 それも幼少期からだ。

 いわゆる、幼馴染である。

 

「今年はヒロちゃんもお祭りの準備するんだ」

「なんだか面白そうなお祭りだしね」

「そうなの。凄く楽しいから頑張ってね。

 私はちとせの出店があるから、お手伝いできないけれど……」

 サヨコが申し訳なさそうに言う。

 ヒロは、苦笑しながら手を左右に振った。

 それだけでヒロの意は伝わったようで、サヨコは小さく頭を下げると、次の料理を取りに調理室へと戻っていった。

 

 

 

 

「ゴダイゴん所の倅ー!」

 入れ替わるように、ウメエがテーブル席にやってきた。

 席の面々は思わず手を止めてウメエを見やる。

 ウメエは、その中からゴウの姿を見つけると、飄々とした口調で言葉を続けた。

 

「おっ、いたな。若い者の席はお前が仕切れ。

 今後も若い者に振る仕事はお前を通すからな」

「俺でいいんですか?」

 ゴウが戸惑いながら言う。

「おお、お前だ。若い者の中では一番仕事が分かっとる」

「でも、昨年は全部ウメエさんが指示してましたよね」

「私もそろそろ仕事を振らにゃあ、体がしんどいわ」

 ウメエはそう言うと、カラカラと笑い飛ばした。

 その様子から、老齢の衰えは微塵も感じられない。

 よく言うよ、という言葉をヒロは飲み込む。

 

「ヒロ。お前も分からない事はゴダイゴに聞け。ええな」

「あ、うん」

 唐突に声をかけられ、反射的に頷く。

「よし、それじゃあ妙案捻り出せよ」

 テーブル席の全員に手を振ると、ウメエは次のテーブルへと向かっていった。

 

 

 

 

 

「……それじゃあ」

 やや間があって、ゴウが口を開いた。

 チラリとウメエを一瞥すると、声量を少し落として言葉を続ける。

「まあ、適当につまみながらやろうぜ」

 そう言って、ゴウはタコワサを摘んだ。

 テーブル席の面々もそれに続き、飲食を再開する。

 ヒロも、本格的にビールを飲む前に腹を膨らませようと、ホタルイカの刺身を食べた。

 適度な歯応えと共に、蕩けるような味わいが口内に広がる。

 溜息の零れそうな旨みだった。

 

「ええと、この中で初参加はセンダンさんとヒロだけか」

 面々を見回しながらゴウが言った。

「そうなの?」

「そうみたいだな。祭りの内容は分かるか?」

「内容なら、来る途中でセンダンさんに聞いたよ。

 僕達の仕事の流れは分からないけれど……」

 ヒロはそう言うと、隣の席のセンダンを見る。

 

「ああ、美味し……」

 当のセンダンは、きつね納豆を頬張って、自分の世界に浸っていた。

 ジョッキの中のビールも、既に四分の三程減っている。

 彼女の表情には、恍惚が充満していた。

 

(狐亜人って、やっぱり油揚げ好きなのかな……)

 聞いてみようかとも思ったが、あまりにも幸せそうに食べているものなので、声をかけない事にする。

 

 

 

 

 

「そうか。じゃあ内容はセンダンさんも分かっているんだな。

 仕事の流れは説明したらキリがないし、追々話す。

 まずは、集客案だ。誰か思いついたらどんどん提案してみてくれ」

「あ、はいはい!」

 飲み食いに執心していたセンダンが手を上げた。

 一応、ゴウの言葉は届いていたようである。

 やけに張りの良い声で手を上げている辺り、この募集を待ち構えていたのだろう。

 こういう時のセンダンからは、ロクな提案は出ない。

 

 

「私、良い事思いついちゃったの!」

「またですか……」

 ヒロがジト目で言う。

「むう。いい加減その『また』っての止めようよ!」

「変な提案ばかりするのは事実じゃないですか。

 そもそも、きつね納豆食べていないで、ゴウの最初の質問に答えて下さいよ」

「そういうのはヒロ君が一緒に答えてくれるから、私はいいの!」

 

「まあまあ、二人とも……」

 ゴウが面倒臭そうな表情で二人をなだめた。

「むう。だってヒロ君がさあ」

「それより、良い事って何ですか?」

「お。よくぞ聞いてくれました!」

 機嫌を直したセンダンは、ビシッと指を突き立てる。

「ズバリ! ゴウ君ちのお刺身食べ放題ブースの設置とかどうかな!」

「却下」

 ゴウが即答する。

「ぶー!」

「ぶー! じゃありません」

「なんで却下なのよ!」

「ウチが潰れるじゃないですか……」

 ゴウが淡々と切って捨てる。

 

 

「あはは……でも、ゴウ君のお店のお刺身、本当に美味しいよね。はい」

 次の料理を運んできたサヨコが、二人のやり取りを笑いながら、皿を卓上に置いた。

 口に入れずとも味の濃さが分かる、適度に脂身の残った色濃い豚の角煮だ。

 白い釉薬の掛かった陶器とのコントラストが、味の想像を増進させてくれた。

 

「別にウチの魚だから味がどうの、って事はないと思うけれどな」

 ゴウがさっそく角煮を頬張りながら言う。

「それより、サヨコは何か案はないのか?」

「案?」

「祭りの集客案だ」

「それなら……あ。あう……」

 サヨコが提案しかける。

 だがその途中で、周囲の視線が自分に向けられている事に気がくと、口を噤んでしまった。

 頬を大いに紅潮させ、俯いてしまう。

 明らかに照れた様子である。

 

「……ああ、その前に僕も案があるんだけれど」

 ヒロが会話に割り込んだ。

 ゴウは頷いてヒロに提案を促す。

 ゴウも、サヨコの困惑した様子を察したようである。

 

 

 

「剣術興行団を呼んで、ステージイベントで模擬戦闘とかどうかな?」

「へえ。お前の事からマナ絡みの提案かと思ってたな」

「僕だっていつもマナの事考えているわけじゃないよ」

 恥ずかしそうに苦笑する。

 

「剣術興行って、普段は競技場で開かれるリーグ戦しか見れないよね。

 だからステージでやったら、選手がより身近に感じられて良いかな、って思うんだけれど」

「競技場にリーグ戦、それに選手……って事は、ロビンのプロ興行団を呼ぶって事か?」

 ゴウが上半身を乗り出しながら尋ねる。

「うん。インパクトはあると思うんだ。ただ……」

「金が掛かりそうな案だな」

「やっぱりそうだよね……」

「それに、リーグ戦の真っ最中に、休養日を裂いてくれるかというと疑問だ」

「うん」

 何分、急造の提案である。

 ヒロもその問題点は分かっていた。

 仕方がないと言わんばかりに黙り込んでしまう。

 賑やかな卓上に、一瞬の沈黙ができた。

 

 

 

 

 

 

「良い事思いついた!!」

 その沈黙がすぐに破られる。

 声の主は、言うまでもない。

 

「今日二回目ですね」

 隣で高々と手を上げるセンダンに、ヒロがそう言う。

 センダンは歯を見せて笑うと、勢い良く立ち上がって、出入口近くの周囲に人がいない場所に移動した。

 どういうつもりなのかと皆が注目した所で、彼女は腰に両手を当てて胸を張った。

 

 

「狐亜人、センダン! きつね納豆でエネルギーを補充したので、変化の一発芸やります!」

 とうとう案ですらなかった。

 

 

 

 

 

「おお、やれやれ!」

 だが、カウンター席のウメエが囃し立てた。

 それに続いて、他の者からも幾つか歓声が沸き起こる。

 センダンは両手を上げて歓声に応えると、両手で印を作ってみせた。

 店にいる全員が注目する中、センダンはゆっくりと目を瞑る。

 

「アッパラパ、アッパラパ……」

 センダンが怪しげな呪文を唱え始めた。

 やけに早口で、力強い口調である。

 だが、どこか間の抜けた文言のせいで、どうにも締まらない。

 

 アッパラパを連呼しながら、その場で足踏みするように体を回転させる。

 狐亜人特有の能力である変化を見た事がある者は、ここには殆どいなかった。

 この怪しげな儀式は変化の為に必要なのだろうかと、皆が顔を見合わせる。

 ……その瞬間であった。

 

「はいっ!」

 掛け声と共にセンダンの体が、宙で一回転した。

 そして、彼女の両足が綺麗に着地した時には……センダンの姿は、サヨコに変わっていた。

 

 

 

「おおおお!」

「はじめて見た!」

「凄い凄い!」

 大歓声と盛大な拍手が沸き起こる。

 センダンは口を大きく開けて笑い、その歓声に応えた。

 そのすぐ傍では本物のサヨコが、突然の事態に赤面し、両手で口を覆っていた。

 同じ顔なのに、なんとも対照的なものである、とヒロは思う。

 

「ははは、美人が二人に増えたのう!」

 ウメエも豪快に笑った。

「あー、ウメエさん酷い! それじゃあ私が普段美人じゃないって事になりますよ!」

 センダンはわざと頬を膨らませて抗議してみせる。

 その言葉と仕草に、一同からまた、わっと笑い声が沸き上がった。

 

 

 

「それじゃあ、もう一度!」

 気を取り直したセンダンが声を張り上げた。

 歓声の中、また印を作って目を瞑る。

「アッパラパ、アッパラパ、アッパラパ、アッパラパ……せやっ!!」

 再び変化。

 ヒロは思わず目を丸くしてしまう。

 そこに現れたのは……ヒロが最も見慣れた顔だった。

 

「ち、ちょっと、センダンさん!!」

 困惑したヒロは、立ち上がってセンダンに抗議する。

 自分と同じ顔をした者に話しかけるというのは、妙な気分だった。

 

「うわっ!」

「うわあ、怖い!」

「ヒロが二人だ!!」

「がははは!!」

 そんなヒロをよそに、口々に感想が飛び交う。

 皆のテンションは大いに高まっていた。

 

 

 

 

「よーし! もういっちょ!!」

 センダンがガッツポーズを取りながら言う。

「センダンちゃ~ん!」

「やれやれい!」

「すげえもん見せてくれ!」

「ちとせに輝く狐を見た!」

 何の事だか分からない歓声まで飛び交いだす。

 口笛を吹く者もいた。

 ちとせに熱気が篭り出す。

 

「アッパラパ!」

 アッパラパ三たび。

 だが、今回呪文を唱えたのは、ウメエの隣にいた男性だった。

 

「アッパラパ、アッパラパ!!」

「アッパラパ、アッパラパ!!」

 男性の詠唱が引き金になり、皆が呪文を唱え始める。

 センダンもそれを求めるように、調子を合わせて頭上で両手を叩いた。

 

「アッパラパ、アッパラパ、アッパラパ!!」

「アッパラパ、アッパラパ、アッパラパ!!」

「アッパラパ、アッパラパ、アッパラパ!!」

 詠唱が加速する。

 声量がより大きなものになる。

 器を箸で叩いて音を作り出すものもいる。

 気がつけば、ヒロも手拍子と共に声を張り上げていた。

 

 

 

 

 

「とぉーーーっ!!!」

 センダンの身が翻る。

 

 ちとせに、地鳴りのような歓声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――宴は二時間強で終了した。

 結局、これといった集客案は提案されず、打ち合わせは単なる懇親会で終わってしまった。

 だが、その事を案じる者は特におらず、一行は皆機嫌良く帰宅の途に就いた。

 

 ヒロとセンダンも同様に、寄り道せずに真っ直ぐ海桶屋に帰った。

 明日も予約客はおらず、今日のうちにやる仕事はなにもない。

 自室に戻ったヒロは、すぐに畳の上で横になった。

 

 布団は敷かず、目も閉じない。

 宴の余韻に浸りながら、あれはあれで良かった、と考える。

 ヒロはまだ、兄花島に越してきて一年である。

 親族のウメエに、友人のゴウやサヨコ、それに共に働くセンダン。

 親しい者もいるにはいるが、それでも、顔と名前が一致しない、或いは顔さえも見た事がない者は多い。

 個人的にも、これから共に祭りの準備をする上でも、今日の夜は有意義なものであった。

 

 

 

 

 

「ヒロ君、ちょっといい?」

 部屋の外からセンダンの声が聞こえた。

 まだ、就寝していなかったようである。

 ヒロは身体を起こし、胡坐をかく。

 

「ヒロ君、寝ちゃった?」

 またセンダンの声がする。

「起きてますよ。どうぞ」

「お。起きてたね」

 声のトーンを上げて、センダンが中に入ってきた。

 

 

 

「まだ寝ないの?」

 部屋の中を素早く見回し、就寝の気配がない事を察したセンダンが尋ねる。

 今日はそれなりに飲んだが、眠気がくる程の量ではない。

 それよりも、余韻が残っているのに、すぐに眠る気にはならなかった。

 

「ええ、まあ」

「そっか。良かった」

 センダンが言う。

「どうかしたんですか?」

「うん。……ねえヒロ君、飲み足りなくない?」

 そう言って、少しだけ首を傾け、ヒロの顔色を伺うように見上げた。

 つまりは、まだ飲もうというのである。

 意識してセンダンの顔を見れば、まだ赤らみはなく、そこから酔いは感じられない。

 思わずヒロは苦笑する。

 その苦笑はセンダンの誘いならず、自身の返答に対するものでもあった。

 

 

「良いですね。もうちょっと飲んでも良いかな、と思っていたんです」

「おお、そうこなくっちゃ!」

 センダンが力強く拳を握る。

「どうせなら、客室で飲まない? 今日も全室空いているし」

 確かに、物置を改装した自室で飲むよりは良いかもしれない。

 ヒロは頷きながら、立ち上がった。

 

 

 

 

 

 ――徳利と御猪口、それにつまみを用意して、二人して二階に上がる。

 宿泊客のいない二階は、当然ながら静まり返っている。

 照明を灯していない為に薄暗く、その暗さが静寂を強調しているような印象を受けた。

 だが、海の見える窓がある朱雀の間に入ると、窓際に差し込む月明かりのお陰で暗さは多少和らいだ。

 その明るさを求めて、二人は窓際に座る。

 

 

「はい、どうぞ」

「どうも」

 センダンが徳利を突き出したので、御猪口を差し出す。

 リズミカルに音を立てながら酒が流れ、すぐに御猪口は満たされた。

 センダンにも酒を注ぎ返し、ようやく準備が整う。

 

 

 

 

 

「へへ。それじゃあ乾杯だね」

 センダンが静かに笑った。

 ヒロも笑顔で御猪口を手に取り直す。

 軽く御猪口を当て合い、注がれた酒を飲み干した。

 喉を走る冷気が心地良く、清清しい気持ちを覚える。

 至福の一杯であった。

 

「ふぅー……美味しいね、ヒロ君」

「ええ」

 一呼吸置く。

「賑やかに飲むのも良いけど、こういうのも良いですね」

「そうねえ。月明かりの下でゆったりと飲むって、意外となかなかないものよね」

 センダンが窓の外の月を見上げながら言う。

 つられてヒロも見上げる。

 海の上に浮かぶ月は、控え目な輝きで海桶屋を照らしてくれていた。

 

 

「……ただ、客室で飲めてしまうというのは、考え物かもしれませんね」

 ヒロが申し訳なさそうに肩を竦める。

「あはは。まあ、そうかもねえ」

「もっと人気が出れば、お給料も、もうちょっと出せるんですが」

「あ。そっちは良いのよ」

 センダンの口調は軽い。

「生活するには十分な額を貰ってるわ。

 それよりも、接客のし甲斐がないのが考え物って事」

「……センダンさんって、やっぱり変な人ですよね」

「ヒロ君の顔には負けるわ」

 センダンがカラカラと笑う。

 どこか、ウメエにも似た笑いだった。

 考えてみれば、ヒロが引っ越してくるまでの間、彼女はウメエと一緒に働いていたのである。

 性格にも似たものがある二人が同じ職場で働いていれば、そういう事もあるのかもしれない、とヒロは思う。

 

 

 

「……ふむ。良い事を思いついたわ」

 笑い終えたセンダンが呟いた。

「へえ。聞きますよ」

 一応、今くらいは『また』という言葉を控える。

 お陰で、センダンは拗ねる事なく身を乗り出した。

 

「あのね。まずお祭りの日まで、お仕事を頑張るのよ」

「それはもちろん頑張りますよ」

「それでね。お客様にお祭りをアピールするのよ」

「ふむ」

「そうすればお店は繁盛! お祭りも大盛況! って事になるんじゃないかな!」

「……良いですねえ」

 ヒロは穏やかに頷く。

 無論、頑張ったから店が繁盛するものではないし、繁盛した所で、祭りに来てくれるとは限らない。

 でも、その考え方は嫌いではない。

 たまには本当に良い事を言うものである。

 

 

 

「お祭りは九月末でしたっけか」

 御猪口を床に置いて、指を折って月を数える。

 今は四月末だ。

 そこから九月末までには五ヶ月の時間がある。

 ちょうど片手の指が全て折れた。

 

「五ヶ月か。意外とあっという間よ。頑張ろうね」

 センダンが綺麗に微笑んだ。

「ええ、そうですね」

 ヒロも同じ笑顔を返す。

 酒のせいだろうか。

 それともセンダンの前向きな提案のお陰だろうか。

 なんだか、気分が良くなってきた。

 

 

(……良い五ヶ月になると良いなあ)

 ふぅ、と息を吐いて、祭りまでの五ヶ月に想いを馳せる。

 

 春が終わり、夏が終わり、秋が始まる。

 三つ目の季節の入り口までの日々は、どのようなものだろう。

 少し考えたが、劇的な出来事が起こる日々ではないだろう、と思う。

 寝て、起きて、働いて、遊んで……そんな毎日。

 でも、そんな日々で良い。

 センダンの言葉を借りれば『良い事』は、そんな平凡な毎日の中に幾つも転がっている。

 ヒロ・タカナは、そんな日常が好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでセンダンさん。それ……」

 話が一段落したところで、ヒロがつまみの皿を指差した。

「おつまみがどうかした?」

「それ、きつね納豆ですよね」

「うん」

「そんなものウチにありましたっけ?」

「他のテーブルで余ってた物を、サヨコちゃんに詰めてもらったの」

 さも当然のように言いながら、そのうちの一つを手で掴む。

 それを放り投げるように頬張ると、センダンの表情はみるみるうちに緩んでいった。

 それを皮切りに、二つ、三つと、油揚げに包まれた納豆を次々と食べる。

 

 

 

「はふう」

「……油揚げ、無茶苦茶好きですよね」

 打ち合わせの時に聞けなかった事を尋ねた。

「む? むっ」

 センダンの顔が僅かに赤らむ。

 どうやら、図星なのが恥ずかしいようである。

 

 

「む、むうー……」

 腕を組んで唸る。

 そうする事暫し。

 

 

 

 

 

「……それほどでもないと思うよ?」

 そう否定したセンダンの耳は、ぴくぴくと過敏に揺れていた。


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