燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第二十四話/梅見祭

「今日は皆さんに良いお知らせがありまーす!」

 海桶屋のフロントで、センダンが両手を上げて大きな声を出す。

 

 発言をアピールするのなら、普通は片手だけを上げるのだが、センダンは両手だ。

 受付台の前に座ってマナの雑誌を眺めているヒロと、

 ソファに腰掛けて何やら難しそうな専門書を眺めていたミクリは、

 そんなセンダンをチラリと一瞥しただけで、視線をすぐに眼前の書籍へと移した。

 おそらくは、いつものくだらない話だと、二人とも分かっている。

 そうして周囲が邪険にするからこそ、センダンも両手で過剰なアピールをするのであった。

 

 

「良いお知らせがありまーす!」

 センダンはめげない。

「……どんなお知らせなんだい?」

 さすがにそれ以上放置するのも可哀想だと思ったのだろうか、ミクリが少し面倒臭そうに反応する。

「おおミクリちゃん、よくぞ聞いてくれました!

 あのね。今日は兄花島でお祭りがあるのよ!」

「祭……? 竜討祭以外にも祭りがあるのか?」

「ああ。そういえば昨年もやりましたよね」

 どうやら、今回の話は捨てたものでもなさそうである。

 ヒロも会話に加わると、センダンは嬉しそうに首を縦に振った。

 

「そうそうそうそうそうそうそう!

 毎年梅が咲く頃に小さなお祭りをするのよ。

 その名も聞いて驚くが良い、梅見祭!」

「そのまんまで驚くような名じゃありませんけどね」

「ヒロ君無粋な事言わない! 面白いんだから!

 梅を見ながら通りを練り歩いて、お団子食べたり、甘酒飲んだりするのよ」

 

「なるほど。梅の祭りか……」

 ミクリはまんざらでもない様子で、窓の外を見た。

 つられてヒロも同じ方を向くと、海桶屋の軒先に植えてある小さな梅の木が見えた。

 海桶屋に植えてある木は紅梅で、花が開いているのは半分といった所だろう。

 今年は暖冬の為に、二月下旬の現在にしては、随分と咲いている方である。

 一つ一つは小さな花だが、その存在を主張しようと精一杯広がっているおしべが可愛らしい。

 春の兆しを感じさせてくれる、美しい花だ。

 

 

 

「……なにか、研究の参考になるだろうか」

 ミクリが梅を見つめながら呟く。

「うーん。研究には無関係かもねえ。由緒ある行事じゃなくて、近年始まったお祭りだから」

 センダンが申し訳なさそうに言う。

「そうか。無関係か」

「規模も凄く小さいの。竜伐祭みたいなものを想像したらガックリくるかも。

 その実は町内行事のようなものだから、外にも告知していないイベントだしね。

 ね。ミクリちゃんも一緒に観に行かない?」

「ふむ……」

 ミクリが、梅から視線を外した。

 左手で右の肘を押さえ、右手を口にあてがって、思慮をめぐらせているようである。

 

 その様子にヒロは、色好い返事が返ってこない気がしてしまう。

 少しずつ打ち解けてきたとはいえ、彼女が兄花島に入り浸っているのは研究目的だ。

 その研究と梅見とでは、研究の方が優先度は高いに決まっている。

 しかし、一人研究に勤しむ彼女を置いて、センダンと梅を観に行くというのも寂しい話である。

 気がつけば、ミクリの返事を待つセンダンも、不安げな表情を浮かべている。

 おそらくは、彼女も同じ事を危惧しているのであろう。

 

 

「なあ、センダン」

 ミクリが考えるのを止めた。

「なになに?」

「梅見は、何時頃から始まるのだ?」

「夕方頃からだけれど……誘っておいてこういう事言うのもなんだけれど、

 ミクリちゃん、研究とは無関係でも来てくれるの?」

「そうだが」

「「!!」」

 ミクリの返事に、ヒロとセンダンは表情を輝かせた。

 それから、顔を見合わせあい、ニマァと口の端を緩める。

 ミクリの心境に、小さな変化が起こりつつあるのかもしれないのだ。

 

 

 

「二人とも、その顔はなんなんだ……」

 一方、ヒロ達の企みを知らないミクリは、ばつが悪そうに頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第二十四話/梅見祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二月の夕方は、控え目である。

 夏の夕方の如き、柿のような華やかな橙色をしてはおらず、

 その橙色を、薄い空の色で薄めたような淡さをしている。

 

 その控え目な夕方が、梅には良い。

 兄花通りに咲き並んだ紅白の梅の艶やかな色合いは、夕方の光景に包まれると映えて見える。

 梅の濃に空気の淡と、コントラストが効いているからだろう。

 通りをゆったりと歩きながら眺める夕方の梅は、日中に見るよりも特別綺麗に感じられた。

 

 

 

「まだまだ冬だけれど、どの梅も寒さに負けないように元気に咲いてるねえ」

 楽しそうな声でそう言ったのはセンダンだ。

 良い事を言うものだと思いながら彼女を見れば、団子を頬張ろうとしていた。

 結局は、花よりなんとやらなのである。

 

 兄花通りには、他にも梅を見歩く者の姿が数多く見受けられた。

 通りの民家の軒先には、大抵梅が植えられているので、場所を取り合う事もなく、皆ゆったりと観梅を楽しんでいる。

 わざわざ緋毛繊の掛かった縁台を用意してくれている家もある程で、この日の兄花通りはどこか優雅ですらあった。

 観梅している者の多くは、センダンと同様に何かしらの飲食物を手にしている。

 それというのも、民家の中には、自家製の飲食物を無料で配っている所がある為だ。

 一緒に歩くミクリも、暖かい甘酒を貰い、両手でそれを掴みながらチビチビと飲んでいた。

 

 

 

「一つ聞いても良いだろうか」

 そのミクリが、二人を見回しながら声をかけてきた。

「ふん、ほうひはほ?」

 センダンが、団子を含んだ口をモゴモゴさせながら返事をする。

 みっともないので彼女を睨んだが、あまり気にはしていないようである。

 

「センダンが何と言ったのかは分からないが、聞かせてもらうよ。

 ええと……兄花島と梅には、何か関係があるのかね?

 見た所、殆どの家が軒先に梅を植えているし、

 梅がない家も、折り紙の梅を飾っているようだが……」

「はあ、ほへほほほね」

「センダンさん、食べるの止めてから喋って下さい」

 今度は、モゴモゴを言葉で嗜める。

 モゴモゴとしても、意思の疎通が出来ないという自覚はあるようで、

 ヒロの言葉通りに、すぐに団子を飲み込んでしまった。

 

「ぷはあっ! で……ミクリちゃん、ナイスクエスチョンよ!」

 モゴモゴ、親指を突き立てる。

「ふむ?」

「ちょっとした昔話になるけれどね。兄花島はその昔、花街だったの。

 その事はミクリちゃんも、多分知っているわよね?」

「研究の際に入ってきた情報だな」

「オッケオッケ。で『花街というからには本物の花だって必要』って話になったのよ。

 街を花で飾って、お店も綺麗に見せましょう、優雅な雰囲気を作りましょう、って事ね。

 そういうわけで、花街になるのとほぼ同時期に、兄花島には梅が沢山植えられたらしいわ」

「花といえば、桜ではないのか? 桜はヒノモトの代表的な花と聞いているが」

「ミクリちゃん物知りねえ。

 そうなんだけれど、ほら、梅って香りが強いでしょ?

 だから、桜よりも梅にして香りも楽しんで貰おう、って事らしいわ」

「へえぇ」

 感嘆の声を漏らしたのは、ヒロである。

 確かに、周囲には柔らかく甘い香りが漂っている。

 思えば、梅見祭が始まった時期も彼女は知っていた。

 島の知識ならば、もはや古株の島民並に詳しいかもしれない。

 

「ちなみに兄花島の名前も梅に由来しているのよ」

 センダンはなおも言葉を続ける。

「梅には兄花という別称があるの。

 梅って、十二ヶ月の中で早い方に咲く花じゃない」

「確かに、他の花が咲くのは、大抵は暖かい春以降だな」

「でしょでしょ。早くに咲く花……つまり花の兄。

 というわけで、この島には兄花島という名前が付いたらしいわ」

「なるほど。名前一つにも歴史があるものだな」

 ミクリは合点がいったように頷いた。

 ヒロも相槌を打つように腕を組みながら、もう一度梅の花を見る。

 すると、その梅の花の奥に、人影が見えた。

 

「ん……?」

 人影は、ヒロ達に向かって手招きをしている。

 体を動かし、直接人影を見てみると……すぐにヒロは、その行為を後悔した。

 

 

 

「いやあ、ヒロ君~!」

 締りのない笑顔を浮かべて手招きするベラミ・イスナットと、

 きょとんとした表情で彼を見上げている、下級アカデミーの少女、コヨリがいた。

 コヨリは問題ない。

 コヨリは。

 問題なのは、餅男だ。

 

 

「ヒロ。呼ばれているのではないか?」

「……うん。やっぱり呼ばれているよね。気のせいじゃないよね」

 ヒロは眉間に手を当てながら、溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「梅の花びらをお兄ちゃんに届けたい?」

「うん」

 コヨリから聞いた言葉をオウム返しにすると、コヨリは子供らしく元気に頷いた。

 

「コヨリちゃんには、昨年の春まで一緒に暮らしていた兄がいるのさー」

 ベラミがコヨリの頭を撫でながら、補足を始める。

 どうやら、餅の話ではないようだ。

「だけれど、昨年の春からはロビンで住み込みで働いていてねー。

 で、そのお兄ちゃんが、梅見祭を毎年楽しみにしていたそうだから、

 せめて、花びらを届けてあげたい、ってわけだねぇー」

「そうなの。届けたいの」

 コヨリがそう言って両手を前に突き出す。

 彼女の手のひらの上には、紅白の梅の花びらが数十枚乗っていた。

 まだ梅は咲き始めで、散った花びらは殆ど目につかない。

 この少女が兄の為に、懸命に花びらを拾い集めたのだろうと思うと、

 僅かながら、胸が熱くなる感覚をヒロは覚えた。

 

 

「伝書鷹には頼めないのかい?

 あれならロビンまで一時間程で、軽量荷物の宅配もしてくれるはずだよ」

 一緒に話を聞いていたミクリがそう提案する。

「それは僕も考えたんだよー。

 残念だけど、島の伝書鷹屋さんは、今日はお休みでねえー」

「ふむ……」

 

「それじゃ、普通に郵便で送るしかないかなあ」

 と、今度はセンダン。

「ただでさえ散って痛み気味の花びらだからねえー。

 できれば、今すぐ送りたいらしいんだよー」

「ありゃあ」

 

 私案が却下されて、ミクリとセンダンは思わず唸る。

 二人とも、決して気分を害したわけではない。

 だが、大人が難しそうな顔をした事で不安を感じたのか、コヨリは慌てて皆の前で首を横に振った。

 

「ね、ねえ。もう大丈夫だよ。無茶な事言ってごめんね。

 だから、もうこのお話は終わりにしよう?」

「いーや、大丈夫だよー! なんとかなるよー」

 唐突に、ベラミが前に躍り出ながら豪語した。

 まだ何か妙案を持ち合わせているのだろうかと、少し期待を持ってしまう。

 

「このヒロ君が!!」

 なぁんだ。

 

 

 

「いや、ベラミさん、突然そんなの振られても……」

「ヒロ君、ノーは駄目よ。ノーは」

 抗議しようとしたが、センダンが会話に加わってきた。

 ヒロはなおも食い下がろうと思ったが、センダンの視線が自分に向いていない事に気が付いた。

 彼女が横目で見ているのは……コヨリである。

 コヨリは相変わらず不安げな表情を浮かべていたが、それに加えて、瞳には憂いの色も見えた。

 

 

 

(つまりは、コヨリちゃんの為にも簡単に諦めるなって事ね)

 センダンの言いたい事を把握したヒロは、目を閉じて考え込む。

 

 すぐに思いついたのは、馬で直接渡しに行く方法だ。

 だが、住所を聞いてもコヨリの兄の家をスムーズに見つけられるとは限らないし、

 下手をすれば、帰りが日付を跨いでしまうかもしれない。

 これはあまり現実的な方法ではない。

 であれば、他に良い運搬方法はあるだろうか。

 ない。

 定期船で行くにしても、待ち時間を考えれば馬とは大差がない。

 マナを原動力にした馬いらずの四輪車という乗り物も、あるにはある。

 馬とは比較にならない程の速さが出るそうで、それさえあれば楽に届けられるだろう。

 だが、まだごく一部の上流階級でのみ用いられている代物で、当然ながら兄花島には所有者はいない。

 やはり、どうしようもないのだろうか。

 目を開けて、思わず天を仰ぐ。

 薄い夕焼け空の中で、マナがささやかに瞬いていた。

 

 

 

(……いや。待てよ)

 ふと、思い立つ。

 まだヒロには選択肢が残されていた。

 手前味噌ながら、兄花島ではおそらく自分しかできない方法だ。

 

 

「なんとかなる……かもしれません。

 ちょっと、準備してみます」

 頭を下げて、皆にそう告げる。

 自分を見つめるコヨリの瞳に、輝きが戻ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 海桶屋に戻ったヒロは、裏庭の隅に建っている物置の中を漁り始めた。

 物置の中は土木道具や農具、その他にも普段は使わない物で溢れていて、

 目当ての木箱を見つけるのには、随分と時間を要してしまった。

 

「あったあった」

 嬉しそうな声を漏らして木箱を手にする。 

 肝心なのは、この中身だ。

 木箱の中身を使ったのは数ヶ月前の事だっただろうか。

 学生時代は毎日のように触れていたのに、仕事を始めるとそういうわけにもいかない。

 これからは、もうちょっと意識して扱おうと考えながら、木箱を眺める。

 

 

「へへっ」

 思わず、にやけ笑いさえ浮かんでしまった。

 

「なにを笑っているのだ……」

「うへっ!!?」

 そこへ、背後から声をかけられた。

 声を裏返らせながら反射的に振り返ると、ミクリの姿があった。

 どこか呆れたような目つきで見上げられていて、猛烈な恥ずかしさを覚える。

 物置へは一人で来たので、おそらくは木箱を探している最中に追いかけてきたのだろう。

 

「あ、いや、えっと……久しぶりにこれを扱うと思うと、ちょっと嬉しくなっちゃってね……」

 正直に白状しながら、木箱を地面に置く。

 それから、丁寧な手つきで木箱の蓋を開けると、中には十数個の小さなガラス瓶が入っていた。

 中身は完全に記憶しているので、ラベルは張っていない。

 全て、ヒロの私物のマナである。

 

「これは……全部マナか? 随分と数があるな」

「まあ、好きだからね。火、水、土、風の基礎マナは全部二瓶ずつ。

 後は光、雷、緑、鉄……レアな所で磁力、音、星、あとは……」

 ガラス瓶を指差しながら、一つ一つ中身を説明した。

 その中から、ヒロは二つの瓶を取り出す。

 そのうちの一つに、ミクリは微かに眉を上げて反応を示した。

 

「撮り出したのは、風のマナと……もう一つは記憶のマナか」

「うん。これを使えば、梅の花びらを届けられると思う」

「だがヒロ。記憶のマナは相当希少だろう?」

「うん。まあ」

「店には置いていなかったから価格相場までは知らないが、決して安くはないだろう?」

「ううん。どうだろうねえ」

 苦笑して誤魔化そうとする。

 少量でも10000レスタはする代物なのだが、それを知られれば献身性を賞賛されるかもしれない。

 それが、ヒロは嫌だった。

 確かにコヨリの事を思っての行動だが、賞賛されたくてやっているわけではない。

 それに動機の半分は、マナを使いたいという、自身の欲望だ。

 

 

「それよりミクリちゃん、そっちは準備はできたの?」

「ああ。それならすぐに終わったが……」

 ミクリが一度言葉を切る。

 片手を腰に当てた彼女は、少し不満そうな声で言葉を続けた。

 

「……私に、紙飛行機の折り方を指導させるというのは、何かの冗談か?」

「まあ。そんな所かな」

 ヒロは苦笑しながら、木箱を物置に戻した。

 

 

 

 

 

 センダンとベラミ、それからコヨリは、予定通り海桶屋のフロントで待っていた。

 ヒロ達が戻ってきた時には、三人で紙飛行機を飛ばし合って遊んでいた。

 とはいえ、センダンとベラミが熱心に飛距離を競い合い、それをコヨリが応援するような構図である。

 これでは、誰が子供なのか分かったものではない。

 

「コヨリちゃん。折り紙の準備はできたんだよね?」

「あ。ヒロお兄ちゃん」

 ヒロが声を掛けると、ミクリは小走りで近づいてきた。

 彼女が手にしていた紙飛行機は、五角形で羽が大きい独特の形状をしていた。

 胴体中央部には、糸で小袋がくくりつけられている。

 おそらくは、その中に埋めの花びらを入れているのだろう。

 

「綺麗に折れたよ。ミクリお姉ちゃん、折り方を教えてくれてありがとう」

 その紙飛行機をヒロに見せながら、彼女はミクリの方にも視線を向ける。

「……う。あ。うん」

 ミクリの返事は鈍い。

 コヨリのような少女との交流がなく、どう反応して良いのか分からないのだろうか。

 

「それじゃあ、ちょっとその紙飛行機を借りても良いかな?」

「はい、どうぞ」

 コヨリから紙飛行機を受け取ると、ポケットから風のマナの瓶を取り出した。

 蓋を開けて中身を紙飛行機に振り掛けると、薄緑色の光球が、ゆったりとした動きで紙飛行機を包んでいった。

 

「それは何のマナ?」

 いつの間にか、コヨリの後ろに来ていたセンダンが聞いてくる。

「風のマナです。これをかけておけば、紙飛行機を長時間飛ばす事ができるんですよ」

「へえ。かけるだけでいいんだ。マナって意外と簡単に扱えるじゃない」

「いやあ、そういうものじゃありませんよ」

 ヒロは得意げに言う。

 マナの講釈をできるとなると、ヒロの胸は大いに躍った。

「これだけじゃあ、効果が安定せずに墜落してしまいます。

 だから一般に、道具にマナエネルギーを用いる時は、

 事前にマナを加工したり、エネルギー変換器が内臓されていたりするんですよ。

 でも、今回はそんな準備はありませんから……」

「あー、はいはい。実演でよろしく!」

 話の腰を折られた。

 ジト目でセンダンを睨みつけるが、確かにあまり遅くなるわけにもいかない。

 

「それじゃあ、実際に飛ばしてみましょう。皆、外に出てください」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 西向きの海桶屋から出る。

 

 宿の正面では、日没を見る事が出来た。

 空の大部分はガラスのような薄群青色に染まり、橙色の成分は西の空の果てに少しだけしか残っていない。

 すなわち、陽が沈みかけているのである。

 その沈みかけた陽が、海に太い線を引いていて、海上の道の様にも見えた。

 太陽が、一日の仕事を終えて眠りに就く。

 自然の営みの一部を、はっきりと視認できる瞬間である。

 あまり口外する事はないのだが、ヒロはこの時間を内心好いていた。

 

 

 

「もうすぐ、夜になっちゃうね」

 コヨリが少し焦ったように言う。

 今は自然に見惚れている時ではなかった。

 ヒロは、コヨリを安心させようと彼女の頭を一度軽く撫でる。

 それから、中腰になって視線の高さを少女に合わせると、もう一つの瓶を差し出した。

 

「大丈夫。まだ間に合うよ。

 コヨリちゃん、この瓶の中身を頭から被ってごらん」

「うん。でも、これなあに?」

「記憶のマナって言うんだ。これを被って、お兄ちゃんの事を考えながら紙飛行機を飛ばすんだ。

 そうしたら、紙飛行機はお兄ちゃんが目的だと記憶する。

 紙飛行機が目的を記憶すれば、風のマナの効果も安定して、ロビンまでなら無事に届くはずさ」

「……ううん。よく分かんない。

 でも、やってみるね」

 コヨリは元気に頷いた。

 早速瓶の中身を頭に降り掛けると、白色の小さな光球が出てきた。

 コヨリの頭の中に吸い込まれるように、そのマナはすぐに消滅してしまう。

 

「………」

 コヨリは目を瞑って、十秒程沈黙した。

 目を開けると、早速紙飛行機を構え、思い切って海へと投じる。

 

 紙飛行機は、海上で螺旋を描いた。

 

 明らかに安定性を失った不安な軌道。

 

 そのまま海上に沈む光景が、皆の脳裏を過ぎる。

 

 だが、沈まない。

 

 海面に近づきつつ、三度程回転。

 

 それから、唐突に水面を水平飛行。

 

 機体が、風に押し上げられる。

 

 水平飛行したままで、徐々に持ち上がっていく。

 

 軌道が銀色に輝いた気がした。

 

 あれは、マナの輝きだろうか。

 

 皆、その動きに見入る。

 

 上昇。

 

 更に上昇。

 

 一度だけ、ロール。

 

 まるで別れの挨拶だ。

 

 気がつけば、紙飛行機は点のように小さくなっていった。

 

 まるで鳥のようだ。

 

 届くだろうか。

 

 きっと、大丈夫。

 

 飛んでいく。

 

 目的地まで飛んでいく。

 

 コヨリ兄の所まで。

 

 梅の花びらを携えて――

 

 

 

 

「ヒロお兄ちゃん、ミクリお姉ちゃん。それにセンダンさん達も」

 コヨリが、名を呼んだ。

 まだ目線の高さを合わせている彼女の顔を見る。

 少女は、天真爛漫の笑みを浮かべていた。

 

「今日はありがとう。きっと、お兄ちゃんまで届くよね」

「……うん。そうだね。きっと届くさ」

 ヒロも温和な表情を浮かべてみせた。

 コヨリの言葉に、胸が暖かくなるのを感じる。

 そうだ。

 この笑顔の為に、マナを学んできたのだ。

 

 立ち上がりながら、ちらと横目で他の三人を一瞥する。

 センダンもベラミも、穏やかに笑っている。

 ……だが。

 

 

「………」

 ミクリ・トプハムだけは、冴えない表情で俯いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食の時間になった。

 この日の宿泊者はミクリ一人しかいない為に、囲炉裏を囲んで皆で食べようと、彼女の泊まる部屋をノックしたが、反応がない。

 センダンと一緒に、海桶屋の中を一通り探しても見つからなかったが、これはよくある事である。

 こういう時は大抵、ミクリは外へ調査に出ているのだ。

 外は寒いので出たくないというセンダンに配膳を任せ、ヒロは一人でミクリを探しに海桶屋を出る。

 ミクリの行きそうな所を考えるが、それは無用な思索だった。

 海桶屋の目の前、夕方に紙飛行機を飛ばした場所で、ミクリは目の前に広がる光景を眺めていた。

 

 

 

「ここにいたんだ……ミクリちゃん、晩御飯だよ」

 声をかけるが、ミクリは振り返らない。

 

 彼女の傍へと歩きながら、ヒロも空と海を眺める。

 夕方の薄群青色がそのまま濃くなっていて、海上というよりは海中のような色だ。

 だが月明かりが強いからか、全体としてはそこまで暗い印象は受けない。

 ミクリの隣まで来るのと同時に、冷たい風が吹き抜けた。

 二月も終わりに近いとはいえ、まだ夜は冷える。

 コートを着てもまだ寒い、などと思いながらミクリを見て、ヒロは驚いた。

 ミクリが纏っているのは室内着のみで、コートもマフラーもない。

 それなのに、寒がる素振りを一切見せずに、彼女は虚空を眺めていた。

 

 

 

「風邪、引くよ?」

「……そうだね」

 ミクリはヒロを見ずに返事をする。

 心ここにあらず、といった風な声だ。

 何を思っているのだろうかと考えるが、すぐに答えは浮かばない。

 その代わりに、コヨリに礼を言われた時の表情が冴えなかった事を、思い出した。

 

 

「よいしょっと」

「あ……」

 コートを脱いで、ミクリの肩にかける。

 戸惑われはしたが、彼女はその行為を拒みはしなかった。

 小さく顎を引く事で礼としながら、視線をヒロに向けてくる。

 

「ミクリちゃん、夕方、元気なかったね」

 なるべく、穏やかな声を意識してそう言う。

「……ああ」

「笑いかけられて、良い気分はしない?」

「そんな事はないさ」

 小さく首を横に振る。

 それから、コートの襟を掴んで、彼女は言葉を続ける。

「……笑顔は、良いね。心が暖かくなる」

「それなら」

「でも……」

「………」

「同時に、強い焦りを感じるのだ」

 ミクリが天を仰いだ。

 

「このままではいけない。

 この暖かさに浸ってはいけない。

 私は、まだ何も成し遂げていないのに。

 まだ、両親の想いを形にしていないのに……」

 

 ああ。

 そうか。

 そういう事なのか。

 ようやく、ミクリの思考がトレースできる。

 この子は、迷っている。

 少しずつ、笑う事に近づいている。

 人の暖かさをその身に受けて、感情に変化が起こっている。

 だが、魔法という宿命は消えていない。

 その板挟みにあって、気持ちが整理できていないのだ。

 

 

 

 

 

「なあ、ヒロ」

 ミクリは天を仰いだまま、ヒロの名を呼ぶ。

「……なにかな」

「ヒロは、なぜマナの研究を止めたのだ?」

「………」

「私達の志は、似ている。だから参考にしたい」

「うん」

「ヒロは、父の影響で、生命の可能性を信じてマナを研究していたはずだ」

「うん」

「卑下するつもりはないが……それが何故、海桶屋に?」

「その事かあ」

 それは、懐かしい話だった。

 ヒロも同じように空を見る。

 マナは、今日も美しく瞬いている。

 父とその話をした夜も、同じように夜空を見上げていた事を思い出す。

 

 

 

 

「上級アカデミーを卒業する時に、なかなか就職が決まらなくて、父に今後の事を相談したんだ」

「………」

 ゆっくりと、言葉を噛み締めるように語る。

 ミクリは言葉を挟まないが、ヒロの言葉に集中している気配は伝わってきた。

 

 

「その時にお父さんに言われたんだ。『精霊を見つけ、生命の可能性を掴んだとして、それからどうしたいんだい?』ってさ。

 すぐには返事ができなかった。その後の事なんて、何も考えてなかったんだもん。

 父は、そんな僕に、自分が生命の可能性を追求する理由を教えてくれたよ」

「………」

「人が助け合う為だ。ってね。

 精霊の力が、人を良い方向に導けば、助け合う方向にレールが引かれれば、人はより幸福になれる。

 もう、精霊戦争みたいな争いも無くなる……それが、父の研究の奥底にあるものさ」

「……ふむ」

「その為には、必ずしもマナを生業とする必要は無い、とも言ってくれた。

 日常の中にも、マナの力で助け合えるような局面があるはずだ。

 まさしく、今日のような事だね」

「………」

「その言葉で、僕は自分の道を見つけたんだ。

 民宿業という、様々な人々と知り合える日常の中で、マナを生かしたいってね。

 ……まあ、偉そうな事言った所で、結局は就職できずに家業を継いだだけなんだけれどさ」

 

 そう言い終えて、頭を掻きながら笑ってみせる。

 ミクリは、まだ空を見上げていた。

 ふぅ、と彼女が小さく息を吐く。

 白い吐息が浮かび上がって、すぐに消えてしまった。

 

 

「……それでも」

 ミクリの声は。

 

「魔法は、捨てられないかもしれない」

 吐息と同じように、今にも消えてしまいそうだった。

 

 

 ふと、ヒロは思う。

 

 この子は、これからどうなるのだろうか。

 笑顔の暖かさを振り切って、魔法の道を選ぶとしよう。

 その道は、いつ終わるともしれない道だ。

 なにせ魔法は、人類が何百年も取り戻せていない奇跡なのだ。

 再現できた頃には、年老いているかもしれない。

 或いは、再現できないまま、その一生を終えるかもしれない。

 

 その時に……この少女は、おそらく独りになるのではないか。

 全てを振り切った少女には、何も残らないのではないか。

 あまりにも寂しすぎる生涯。

 それが、ミクリの可能性の一つとして存在しているのだ。

 それに気がついたヒロの心中が、急激に冷える。

 彼女の可能性が、まるで自分が経験した事のように、ヒロの心に覆い被さってきた。

 

 

「……うう」

 嗚咽が漏れた。

 細い涙が、ヒロの頬を伝う。

 慌ててそれを拭ったが、涙は止まらない。

 

「……ヒロ?」

 ミクリが視線をヒロに向けてきた。

 目が大きく見開かれていて、驚かせたようだ。

 ああ。

 当然だ。

 情けない。

 こんな少女の前で、みっともない。

 でも、涙は溢れ続ける。

 

 

「ヒロ。何故、君が泣くのだ?」

「……いけないよ……うぐっ……」

 慟哭は止まらない。

「ミクリちゃん、それは駄目だよ……」

「………」

「そんなの……寂しすぎるじゃないか……」

「……ヒロ」

 ミクリが顔を背けた。

 身を翻し、海桶屋の方へ数歩進んでから立ち止まる。

 彼女の背中が、凄く小さなものに見えた気がした。

 

 

 

 

「……私も、少し高ぶっている」

「………」

「落ち着く時間が欲しい」

「……うん」

 ヒロは頷く。

 ようやく、声に落ち着きが戻った。

 

「それと……」

 ミクリは言葉を続ける。

 彼女の言葉に耳を傾けた。

 その先は、すぐには出てこない。

 一度、二人の間を冷気が吹き抜ける。

 それを合図とするように、ミクリがまた海桶屋の方へと進んだ。

 

 

 

 

 

「泣いてくれて、ありがとう」

 歩きながら、少女は確かにそう言った。


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