燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第二十三話/モコモコに乗って

 二月に入って間もない平日。

 まだまだ冬の冷気は厳しい日は続き、この日も、正午を過ぎたのに大して気温は上がってこない。

 空を見上げれば、鈍色の雲が空を覆っていて、その色のせいでマナの輝きも見難かった。

 気持ちの良い天候とは言い難く、また気分の悪い話を聞く事になるかもしれないのだから、

 マナ勉強堂への階段を一人で上るヒロの足取りは、決して軽快という類のものではなかった。

 

 

 

「お邪魔します」

 店の扉に手をかけると、ずしりと重い気がした。

 こんなものだっただろうか、と思いながら店の中に足を踏み入れる。

 

 店内には、以前来た時と同様に棚がひしめき合っていて、中には売り物のマナが詰まっている。

 だが、今日はこのマナに用事があるわけではない。

 できれば、純粋にマナを見に来たかった。

 そう思うと、ますます気持ちが消沈しそうになってしまい、慌てて軽く頬を叩き、その考えを吹き飛ばす。

 それから、店の奥を凝視する。

 相変わらず薄暗い店内だが、さすがに日中ならば、しっかりと見通す事ができる。

 そこには、椅子に腰掛けて新聞を読んでいる店主……すなわち、ミクリの祖父がいた。

 

 

 

「………」

 もちろん、店主もヒロの入店には気がついている。

 近づくヒロに一瞥をくれたが、自分から話しかけてこようとはしない。

 だが、読んでいた新聞は畳んでしまい、近くの棚の上に置いている。

 まるっきり無視されているわけでもないようだ。

 

(あれ? 暖かい……)

 店主に近づくにつれ、身体が暖かくなる事に気がついた。

 店主の傍には、年季の入った鉄製のマナストーブが置かれているので、その効果だろう。

 それも、単純に暖かいわけではない。

 体の芯を直接刺激してくれるような、穏やかな暖かさだ。

 これが安物のマナを使っていると、単純に気温を上げるだけで、時には暖かさを通り越して暑さを覚えてしまう。

 

 

 

「ストーブのマナ、良い物使っているんですか?」

 店主に尋ねる。

 笑いながら尋ねようかとも思ったが、笑顔に自信はないので止めておいた。

「……分かるかね」

 店主がヒロを見上げながら口を開く。

 店の雰囲気だけでなく、店主の無愛想さも以前と変わってはいない。

 

「ええ。安定した暖かさを感じます。安物じゃありませんよね?」

「エンヤ火山で採れるマナを使こうておる」

「凄く良いマナじゃないですか。そう言えば前に買わせて貰った火のマナも高品質でしたよ」

「質だけは拘っとるからな」

 

 店主はそこで、一度言葉を止めた。

 ヒロも、世間話をしに来たわけではないので、それ以上話を膨らませようとはしない。

 静かな店内には、掛け時計が針を刻む音だけが響いている。

 その音を無意識に数えつつ、どう話を切り出したものか、と考え込む。

 

 

 今日、店主に聞きに来たのは、ミクリの事だ。

 ミクリからは、祖父である店主と共に暮らしてから、まだ間もないと聞いている。

 だが、それでもヒロらよりは長い付き合いだろう。

 それに加えて、店主はミクリの唯一の血縁者だ。

 ヒロらよりは、ミクリとの繋がりが深い人物である。

 ミクリの笑顔について一度話を聞いておきたかった。

 

 

 

 

「……最近、邪魔しとるようじゃの」

 店主が口を開いた。

 確認するまでもない、ミクリの事である。

 

「いえ、邪魔なんて事はありません。ミクリちゃんがいると楽しいですよ」

「楽しい……?」

 店主が目を見開き、睨むようにヒロを見る。

「ええ。考え方には共感できますし、それに良い子ですし」

「………」

「ミクリちゃんが笑ってくれたら、もっと楽しいと思うんですが」

「……そうじゃな」

 店主は肩を落としながら呟く。

 その声に張りはなかった。

 やはり、彼の前でもミクリは笑わないのだろう。

 

「……お兄ちゃん、名前はヒロといったな?」

「知っているんですか?」

「名前くらいは聞いとる」

 そう言って、店主は腰を持ち上げた

 全身を晒した彼は、思いの外小柄に見える。

 背中が多少曲がっているからかもしれないが、それを差し引いても、ミクリよりも更に小さいかもしれない。

 

 

 

「……ヒロ。ワシには、負い目がある」 

「………」

 店主が語り始めた。

 ヒロは返事をしない代わりに、真剣な眼差しを彼に向ける。

 

「ワシの息子夫婦……すなわち、あの子の両親を殺したのは、ワシのようなもんじゃ」

「交通事故なんでしょう?」

「ワシが勘当しなければ、事故に遭う運命もなかった」

 店主の声が沈む。

 表情こそ平穏を維持しようとしているが、声は明らかに消沈していた。

 

「そんな事言っていたらキリがありませんよ……」

「他人はそう言ってくれる。だが、本人はそう割り切れんものじゃ」

「………」

 それ以上、ヒロには慰めの言葉が思い浮かばない。

 ヒロには、店主のような経験をした事も、大事な人を亡くした事すらもない。

 その様な自分が月並みな言葉を口にしても、店主の力になれないような気がしてしまう。

 

 

 

「じゃから、ワシはまだあの子との距離を掴みきれておらん」

「………」

「あの子に笑顔が残っているとしたら、ワシよりも君達の方が近いと思うのじゃよ」

「そう、ですか」

 

 本当に自分達の方が近いのだろうか。

 ミクリにはまだ笑顔が残っているのだろうか。

 それも、ヒロには分からない。

 だが……やる事には何の変わりもない。

 彼女の心を解し続けるのみだ。

 そう踏ん切りをつけて、ヒロは頷いた。

 

 

 

「……分かりました。やれるだけ、やろうと思います。

 でも、店主さんも少しずつ、ミクリちゃんとの距離を縮めてあげて下さい」

「ワシもか」

「だって、大事な血縁者じゃないですか」

「……そうじゃな」

 店主は、かみ締める様に呟いた。

 

 

 

「……もう魔法の世間体等、どうでも良い。

 あの子に笑って貰うために、ワシも頑張らねばな」

 

 店主のシワだらけの頬が緩んだ。

 考えてみれば、店主の笑顔を見るのも、これが初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第二十三話/モコモコに乗って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒロ君、遅い!!」

 営業中の書店ロレーヌの中に入るなり、待ち構えていたような怒声がヒロを襲った。

 その声の主、カナ・ナバテアは、目をきつく吊り上げ、

 他の客の視線も気にせず、五分程遅刻したヒロを責め立ててくる。

 

 マナ勉強堂は予定通りの時刻に出たのだが、ロレーヌに来る途中に工事中の道があった為の遅刻である。

 それに対しては素直に申し訳ない、と思う。

 今日は、カナの上級アカデミー合格を祝いに来たのに、主役を待たせてしまったのだから尚更だ。

 

「ごめんごめん。ちょっと大事な所に寄っていてさ」

「寄っていた所って?」

「マナの店」

「趣味じゃないの!」

 またカナが怒る。

 返す言葉もない。

 

 言葉選びを間違えた事を自覚しながら、次の言葉を必死に考える。

 他の客の迷惑を訴えても、それどころではないだろう。

 それならば……

 

 

 

「あー、えっと……そう、そんな事より、合格おめでとう!」

「え?」

「上級アカデミー合格。それも学科は油絵でしょ?

 相当競争率は高かったろうに、現役合格なんて凄い事だと思うよ」

「あ……う、うん。ありがとう。

 ……そうよね。凄いでしょう! もっと褒めても良いのよ!」

 丸めこまれたナナは、満足げに胸を張った。

 

 思わず苦笑しながら彼女を見ていると、少しばかり背が高くなっているような気がした。

 顔も少し細長くなり、ブロンドヘアーが映えて見える。

 考えてみれば、もう十五歳の誕生日は迎えて、成人しているはずである。

 身体的な成長は、まだ二十歳頃までは続くだろう。

 だが、今は特に変化が顕著な年頃なのだ。

 数か月会わないだけで大人びても、おかしい話ではない。

 

 

 

「ごめんね、ヒロ君。カナが騒がしくて」

 店の奥からナナも出てきた。

 普段着の上に、緑色のエプロンを纏っている。

 他の店員も同じエプロンを纏っている所を見ると、どうやらこれが制服代わりなのだろう。

 

「やあ、ナナちゃん。僕は大丈夫だよ」

「そう? そう言ってくれると助かるわ」

 ナナが首を傾けながら微笑む。

「なんせ、この子ったら、今日をずっと楽しみにしていたのよ。

 ヒロ君にお祝いしてもらうんだ、ステーキ食べるんだー、って」

「お、おおお、お姉ちゃん!?」

 カナが途端におたおたし始めた。

 どうやら、本当の事らしい。

 この少女には、思っていたよりも慕われているようだった。

 

「へえ。それは嬉しいな。美味しいと良いね」

 ヒロは微かに頬を赤くしながら、それでも平穏な口調で言う。

 確かに照れ臭さはあるが、カナのように狼狽する程の事でもない。

「……! さ、さっさと行こう!

 モコモコ便貸し切ってて調教師さん待たせてるんだから、

 これ以上遅くなっちゃ悪いわ!」

 だが、カナはまた怒ったように早口でそう言い放つと、身を翻して店の外へと出て行ってしまった。

 後に残されたヒロとナナは、カナの突然の退出に暫く呆けてしまう。

 やがて顔を見合わせると、どちらからともなく苦笑が零れてしまった。

 

「はははっ。なんだか、慕われてるのかな……」

「ふふっ。そうね。ヒロ君には大分懐いていると思うわ。

 ……それじゃあ、私もお店を社員さんにお願いしてくるわね」

「分かった。先に外に出てるね」

「うん。なるべく急ぐわね」

 そう言って、ナナはゆったりとした足取りで歩きだした。

 これでも、彼女なりには急いでいるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 モコモコ便は、大陸主要都市には大抵備わっている交通機関である。

 

 モコモコという、全長三メートル程の毛むくじゃらの獣が幌を引く乗り物で、個体毎の専属調教師が操縦をしてくれる。

 獣とは言っても、モコモコは草食動物で非常に温厚な生物である。

 それでいて、その毛むくじゃらの外観は愛らしく、純粋に愛玩動物として飼っている者もいる程だ。

 場所を取る事と、最高速度は馬には遠く及ばないというデメリットはあるものの、

 馬に比べると非常に頑丈で、一日中幌を引き続けても疲労知らずというメリットを生かし、

 大きな道を持つ都では、低速の交通機関として用いられている。

 この日ナバテア姉妹は、ロビン内を移動する為に、そのモコモコを半日貸し切ってくれていた。

 

「こいつの名前は、プウってんでさ!」

 モコモコ便の調教師は、ヒロらが来るなり、挨拶代わりにそう告げた。

 今日幌を引いてくれる個体の名前らしい。

 せっかく名前を知ったのだから顔も見ておこうと、乗り込む前にプウの顔を見ると、

 ヨーグルトのようなとろんとした瞳をしていて、いつ眠りだしてもおかしくなさそうだった。

 

「……大丈夫かしら?」

「……大丈夫じゃない?」

「……大丈夫だといいね」

 三人とも、プウの面構えと間の抜けた名前に、何らかの不安を抱いてしまう。

 だが、いざ乗って走り出してみると、プウは安定した動きでロビンの町中を走ってくれた。

 

 

 

「モコモコ便に乗るのも久しぶりだわ」

「僕も学生時代以来だな。何年ぶりになるだろうね」

 ナナと雑談を交わしながら、外の景色を眺める。

 

 

 モコモコ便は、中央地区の端の、瀟洒な建物が立ち並ぶ通りを走っている。

 そこはマス目状に道が伸びていて、マスの中には、コンクリート製の建物と石造の建物が半々位で建ち並んでいた。

 店の種類は、ブティックや宝石店、セレクトショップ……

 品が良く、それでいてヒロには縁のなさそうな店が目立っている。

 

 それらの店に、店外に出てきて客引きをするような店員はいなかった。

 道行く人々も、声を張り上げて雑談に興じるような者はいない。

 市場通りのような、活気のある所ではないのだ。

 

 だが、これはこれで良い、とヒロは思う。

 形の整った建造物の人工美と、落ち着きのある人々が生み出す洗練された空間は、心を高揚させてくれる。

 ヒロにとっては見慣れた町だが、見慣れていようと、都の中心部にいるのだという高揚感は色褪せない。

 

 気が付けばヒロは、人差し指で膝を叩いてリズムを取っていた。

 ここまでテンションが高いのは、おそらく町中を走っているからだけではないだろう。

 久々にナバテア姉妹と会えた事。

 彼女達と遊びに出かけている事。

 そして、カナが上級アカデミーに合格した事こそが、何よりも自身のテンションを上げているのだろう、とヒロは思った。

 

 

 

 

「ところで、まだ夕食には早いよね?」

 外を眺めるのを切り上げて、二人に尋ねる。

 まだ陽は傾きだしたばかりで、夕方にもなっていなかった。

 

「予約している時間もずっと先だしね。それまで、ちょっと付き合ってもらうわ」

 ヒロの問いには、カナが答えてくれた。

「と言うと、なにか予定があるの?」

「ええ。この近くの劇場で出し物があるから、それを観に行きましょう」

「出し物か。今は何をやってるんだろうなあ」

「それは着いてからのお楽しみね。愉快な事は確実よ」

 カナが楽しそうに笑う。

 もちろん、ヒロはヒロで楽しみだ。

 だが、今日の主役のカナが笑っているのは、何よりも好ましかった。

 

「誘拐? あら、誰が? そんな話は聞いていないけれど……」

「お姉ちゃん、ユウカイでなく、ユカイね」

 カナが即座に突っ込んで、話に落ちがついた。

 

 

 

「皆さん、随分盛り上がってますなあ。そろそろ着きますよ」

 不意に、幌の外でモコモコを操っている調教師が声をかけてきた。

 そういえば、モコモコの名前は聞いたのに、この調教師の名前は聞いていなかった。

 

 そんな事を考えながら、もう一度外を覗くと、煉瓦造りの古い建物が視界に入った。

 中央地区と東部地区の境にある、築百年を越える古劇場である。

 劇場の古さを少しでもカバーしようと、看板だけは派手で大きなものが立ち並んでいる。

 それだけ目立つ事に加えて、モコモコ便が低速であった為に、ヒロはその看板の内容を視認する事ができた。

 

「あっ……!」

 呼吸のような声が漏れる。

 

 出し物は複数で構成されているようで、題目と演者の名前が書き連ねてある。

 その中には、ウィグ・キーシの名がひっそりと書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 劇場の内装は、レトロ感が溢れるものとなっていた。

 装飾はアールデコ調に作られており、色の褪せたメタリックな幾何学模様が歴史を感じさせてくれる。

 予算がないのか、それともあえてそのままにしているのだろうか。

 どちらにしても、建設当初の装飾がそのまま残っているのだろうようだった。

 まるで絵本の世界に入り込んだようで、ヒロは物珍しそうに周囲を見回しながら赤い生地でできた椅子に座る。

 流石に椅子は、比較的新しいもののようで、スプリングが適度に効いていて座り心地は悪くない。

 

「ほぼ満席ね。前売り券買ってて良かったわ」

「うん。大人気なんだねえ」

 カナの言葉に頷きながら、今度は他の客に視線を移す。

 客席の数は百前後という所だろうか。

 人形劇という出し物の為か、客席には家族連れの姿が大分目立って見えた。

 大声を出して騒ぐような子はいないものの、劇場内には劇を待ちわびる好意的なざわめきが広がっている。

 そういえば、ウィグの名を気にするあまり、今日の演目をしっかりと見ていなかった事を思い出す。

 何が始まるのだろうか、と思った所で、ちょうど場内のブザーが鳴り響いた。

 

 

 

 

『皆様、大変長らくお待たせ致しました。

 これより、第一演目【スラムの旅烏】を開始致します。

 操者、ウィグ・キーシ。語り、アマクマ・コギョウ』

 

 女性のアナウンスの流暢な声が、開演を告げる。

 ウィグの名を聞いた瞬間、ヒロは小さく身震いした。

 観客席の照明が落ちると、ざわめきは暗闇に飲み込まれるように消沈してしまう。

 ヒロも居住まいを正し、照明の残っている奥のステージを凝視すると、すぐに舞台袖から黒子姿のウィグが現れた。

 背中には、海桶屋でも見た箱を背負っている。

 顔は見えないが、それで良い。

 

 ウィグは、暖かい拍手を受けながらステージ中央までやってくる。

 深々と頭を下げると、箱を降ろして中から手早く一体の人形を取り出した。

 大きめの若い男性の人形のようで、衣服は所々ほつれた粗末な物だ。

 最も印象的なのは瞳で、色のついたガラスでもはめ込んでいるのか、生命感を感じさせるエネルギーがあった。

 

 

「ようこそ、ようこそ皆様おいで下さいました!

 わたくし、名をウェインと申しやす!」

 唐突に、低い男の声がした。

 声の主は、ステージの隅にある台の前に腰掛けていた。

 度の強そうな丸眼鏡を掛けた、堀の深い顔つきの中年男性である。

 

 一瞬、この謎の男が勝手に自己紹介を始めた事を不思議に思ったが、すぐに理由は分かった。

 台の前には『アマクマ・コギョウ』の張り紙がしてある。

 そして何よりも、男の語りに合わせてウィグが人形を操っている。

 すなわち、人形劇のセリフは、あの眼鏡男が担当するという事なのだろう。

 

 

「ロビンに生まれ、スラムに育ち、

 流れ者の実父を持ち、ならず者の義父に育てられた、

 由緒正しき下町人間でごぜぇやす!」

 

 語りのアマクマが、威勢良く喋る。

 同時に景気をつけるようにテーブルを叩くと、人形がそれに合わせて、オーバーな動きでガッツポーズを取った。

 語りの勢いとウィグの操作は、見事な一致を見せてくれて、観客席では早速小さな歓声が湧く。

 ヒロもまた、久々に見るウィグの劇に見入りながら、ふと彼と別れた時の事を思い出した。

 

 確かウィグは、劇に声を付けてくれる相方を探しに出ていたはずだ。

 あのアマクマという男が、見つけ出した相方なのかもしれない。

 そうであれば、ウィグは、自分達の世界を作り上げつつあるのだろう。

 そう思うとなんだかヒロまで嬉しくなってきた。

 

 

「ようあんた、困った事があるって本当かい!?

 俺が力に……ふん、仕事がない?

 ああ、そいつだけは力になれねぇ。無職なのは俺も同じでさぁ。はははっ!!」

 

 ステージ上では、劇が進んでいる。

 ヒロは知らない話だったが、人間味溢れる主人公の言動が愉快な喜劇だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 全公演が終了した後、観客があらかた帰るのを見計らってから、

 係員にウィグの知り合いである事を告げると、係員はあっさりとウィグに取り次いでくれた。

 

 

「これはこれは。ヒロさん、お久しぶりです」

 まずはウィグを握手を交わしてから、ロビーのソファに腰掛ける。

 久しぶりに聞くウィグの声は、やはり小さくて掠れている。

 だが、その声には確かに充実感が満ち溢れていた。

 

「ええ、お久しぶりです。喋っても大丈夫なんですか?」

「調子は相変わらずですが、少しでしたら。ところで、今日はセンダンさんは?」

「それが、留守番なんです」

 ヒロは申し訳なさそうに首を横に振る。

「実は、ウィグさんの事を知らずにたまたま来たもので。

 知っていたら誘ったんですが……」

「それは残念です。今度は私が直接海桶屋に伺いますよ」

「是非お願いします。『ヒロ君ばかりずるい』と責められますので」

 センダンのセリフの所は、声真似をしてみた。

 やや早口気味でテンションの高い声は、自分でも驚く位に上手く再現できた。

 ウィグも同感だったようで、思わず、二人で顔を見合わせて笑い合った。

 

 

「でも、ヒロ君のお知り合いがいるなんてびっくりしちゃったわね」

「ホントホント。縁ってあるものよねえ」

 ヒロらの隣に腰掛けるナバテア姉妹が、感慨深そうに頷く。

 ウィグは、その言葉に反応して二人の方を向いた。

「私も、係員の方から『ヒロという恐い顔をした人が来ている』と聞いて驚きましたよ。

 恐い顔と言われれば、人違いという事もありませんしね」

 冗談めかした喋り方である。

 そのお陰で、ナバテア姉妹もくすくすと小さく笑った。

 三人が打ち解けているのは良いのだが、ヒロとしては少々複雑な心境である。

 

 

 

「あ……っと。そうだ。ヒロさん、あれはどうなりました?」

 ウィグがまたヒロの方を向きながら、そう言った。

「あれ、と言いますと?」

「虹の卵ですよ。まさかとは思いますが、孵りましたか?」

「ああ、その話ですね」

 ヒロは、ぽん、と両手を打つ。

 

「残念ながら、相変わらず孵っていません。

 僕とセンダンさんとで調べましたけれど、何の卵かも分かりませんでした」

「そうでしたか。ちょっと気になっていたのですが、やはり分かりませんか」

「でも、調べる手段が尽きたわけじゃないんですよ」

 そう言いながら、ミクリの顔を思い浮かべる。

 魔法の研究で忙しい彼女は、まだ卵についてはろくに調べていないはずだ。

 つまり、これから何か分かる可能性も十分に残っている。

 

 

「実は、友達にとても頭が良い女の子がいまして。

 今はその子に卵を貸し出して、時間がある時に調べて貰っているんです」

「ほう、なるほど」

「仕事が忙しいみたいですから、何か分かるとしても相当先でしょうが……。

 でも、不思議ですよね。あんなに綺麗な卵なんだから、一つや二つ、情報が残っていても良さそうなものですが」

 

「あの……ヒロ君、ちょっと待って」

 そこで、ナナが会話を遮った。

 ナナはこめかみに人差し指を押し当て、目をうっすらと瞑っていた。

 何かを思い出すように頭を小さく揺り動かし、それから片目だけをそっと開く。

 

「自信ないけれど……うん。多分あれ。

 私、その卵の事、知っているかも……」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 夕食は、町外れにある個人経営のステーキハウスで食べる事になった。

 店も周囲の路地も小さく、モコモコに長く待ってもらう事は難しかったので、モコモコにはそこで帰ってもらった。

 今日半日世話になった毛むくじゃらの生き物を見送ってから、店の方を見る。

 木造の外壁に絡まる蔦と、大きな屋根が特徴的な建物で、雰囲気は良い。

 中に入ると、よく磨かれたテーブルが橙色の照明を反射していて、小さいながらも明るい店だった。

 

 更には、ウェイトレスである老婆の物腰が非常に柔らかかった。

 今日がナナの合格祝いである事を告げると、老婆は自分の事のように手を叩いて喜んでくれ、

 注文を確定させる前に、食前酒をサービスで出してくれた。

 店構えもサービスも、とても暖かい。

 これで、これから運ばれるステーキが美味しければ、百二十点満点。

 近所にあれば、また行きたくなるような店である。

 

 

 

 

「その卵の事かどうかは、分からないんだけれども」

 注文を終えると、まず話を切り出したのはナナだった。

 

 向かいに座るヒロは、じっとナナの目を見つめる事で言葉の先を促す。

 ナナに心当たりがあったとは、迂闊という他ない。

 書店を営む彼女の下には、何らかの情報が入ってきてもおかしくないのである。

 だというのに、彼女に確認をしなかったのは、古書店巡りをした時にロレーヌだけは離れた所に建っていた為。

 つまりは、ヒロの怠慢だった。

 

 

「随分前に、お店に売られてきた絵本に、虹の卵が描かれていたのよ」

「絵本? 古文書とかじゃなくて?」

「ええ。大分新しい絵本で、少なくとも何百年も前に描かれた代物じゃないわ。

 普通の古本屋さんに並んでいてもおかしくなさそうな、ただの絵本」

「絵本かあ。それで、内容は?」

「それが……ごめんね。買い取る時に中身をパラパラと眺めただけだから、殆ど覚えていないの」

「ありゃ」

「ただ『風と砂の国にある虹の卵は、手にした者の気持ちに応えて孵る』というような事が描かれていた気はするわ。

 覚えているのは、本当にそれっきり。何が孵るとか、なんでそんなものがあるのかとか、全然覚えていないわ」

「その本は、まだあるの?」

「残念だけれど、すぐに売れちゃったわ。作者名も題名も覚えていないの」

「……なるほど」

 ヒロは、背もたれに体を預けながら腕を組む。

 

 風と砂の国、という言葉は興味深い。

 失われた都の特徴とぴったり噛み合う言葉だ。

 土地と、卵の特徴。

 この二つが偶然一致するとは、少々考え難い。

 そうすると、卵を孵らせるには気持ちが必要なのだろう。

 だが、気持ちというだけでは漠然とし過ぎている。

 どのような気持ちを持てば良いのか。

 心に思うだけで良いのか。

 応えるとは、誰が応えるのか。

 ヒントを得たはずなのに、謎は深まったような気がする。

 

 

 

「……ヒロ君、随分と考え込んでるね」

 ナナの隣に座るカナが声を掛けてきた。

 その一言で、ヒロは気持ちを切り替える。

 今日は、彼女の合格を祝いにやってきたのである。

 卵の事は、帰ってからゆっくりと考えるべきだろう。

 

 

「いや……ごめんね。もう大丈夫だよ」

「大事な事なんでしょ? 別に気にしないで良いわよ」

 カナの声に不服さは感じられない。

 本心から言ってくれているのだろう。

 

「ううん。本当に大丈夫。

 それより……えっと、ここに……あった。はい、これ」

 ヒロは、椅子にかけたコートのポケットに手を入れて、中から縦長の小さな木箱を取り出す。

 それをカナの前に置くと、カナはきょとんとした顔付きで首を傾げた。

「なにこれ?」

「合格のお祝いだよ。絵道具は自分で選ぶだろうから、万年筆をね」

「えっ? わ、私に?」

「他に誰がいるのさ」

 そう言って笑う。

 

「あらあら。この箱は千年万年筆じゃない?」

 ナナが木箱に書かれた文字を見ながら言った。

「ナナちゃん詳しいね」

「お仕事柄、文具も少しは詳しいから。

 マナが濃い千年森で採れた木から作られたから、長く握っていても指が疲れ難いのよねえ。

 良かったわね、カナ。とても良い物よ」

「………」

 気がつけば、カナは木箱を見下ろすようにして顔を伏せていた。

 ナナの声にも反応を示そうとはしない。

 もしかすると、彼女の気に入らない物だったのかもしれない。

 不安になったヒロは、カナに声をかけようと口を開きかける。

 

 ……だが、勢い良く顔を上げたカナが、それを遮った。

 

 

 

「ありがとう、ヒロ君!」

「わ、わっ!?」

「私……私、すっごく嬉しい!!」

 胸の前で両手を組みながら、カナは歓喜の言葉を口にする。

 瞳をマナのようにキラキラと輝かせ、口を大きく開けて、顔全体で笑う。

 どこか、センダンにも似た、何の恥じらいもない笑顔だった。

 

「そっか。気に入ってくれたのなら良かったよ」

「うん。勉強で辛くなっても、これを見て頑張る!

 ありがとう! 本当にありがとう!」

 何度も礼を述べながら、宝物を扱うかのように、両手でしっかりと木箱を握る。

 そこまで喜んで貰えるとは思っていなくて、ヒロは照れを隠すように頭を掻いた。

 

 

 

 

「なんだか盛り上がっているようですねえ」

 そこへ、ウェイトレスの老婆が盆を持ってやってきた。

 足取りこそゆったりとしているが、料理の乗っている盆を持つ手に震えはない。

 

「ステーキ、出来ましたよ。息子が腕によりをかけて作りました」

「あらあ。これは美味しそうねえ」

 ナナがテーブルに置かれるステーキを見て、小さく拍手する。

 香ばしい香りを漂わせるステーキは、味の濃さを示すような焦げ茶色をしている。

 かけられたステーキソースの輝きが、一層肉を美味しそうに見せてくれた。

 付け合せの野菜も彩り豊かで、目で味わうとは正しくこの事である。

 

 

「それじゃあ」

 ヒロがそれだけ言うと、ナバテア姉妹は頷いた。

 小さなグラスに入った食前酒を手にし、皆で前に突き出す。

 

 

 

「ナナちゃんの合格を」

「お祝いしまして」

「あ……えっと……乾杯!」

 

 三人のグラスは、軽やかな乾杯の音を立てた。


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