燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第二十二話/ギャンブラー達の新年会

 一月も中旬になると、海桶屋への客足はようやく落ち着きをみせた。

 海桶屋のみならず、兄花島全体への観光客が減少した為である。

 それでも、毎日一組、二組の客が泊まりに来る辺り、景気はそう悪いものではない。

 昨年の今頃は、落ち着くを通り越して、完全に閑古鳥が鳴いている状態だった。

 

 

 

(とはいえ……ミクリちゃんは、最近じゃ『お客様』って感じじゃないなあ)

 この日の昼下がり。

 フロントの受付台で頬杖をつき、もう片手で虹の卵を弄りながら、ヒロはそんな事を考える。

 彼の視線の先には、フロントのソファに腰掛けて雑談しているセンダンとミクリの姿があった。

 

 昨年末から、ミクリが海桶屋に泊まりにくる頻度は大分増えていた。

 魔法の研究について詳しい話は聞いていないのだが、精霊の伝承に関する話が多く聞けているらしい。

 マナも観測したいとの事で、おそらくは今年の冬の間は、こうして足しげく通ってくれるとの事である。

 彼女が長く滞在してくれるのは、もちろん嬉しい事だ。

 客室も、当分は満室にならないだろうから、特に問題はない。

 

 

 ミクリ絡みで悩ましいのは、ミクリを笑わせる計画だけである。

 

 あれから、ヒロとセンダンは事ある毎にミクリを笑わせようとしてみた。

 特にセンダンの入れ込み具合は、相当なものである。

 普通に冗談を言ってみたり、くだらない事を言って苦笑を誘ってみたり、あえて酷く寒い駄洒落を飛ばしたり。

 それらの試みに対し、ミクリよりも先にセンダンが大笑いして、笑いの誘発を誘ってみたりもした。

 だが、結果は全敗なのである。

 

 

 

「あっぱらぱびろ~ん」

 センダンが、わけの分からない事を口走しった。

 いや、分からないのだが、分かる。

 もう何を言っても効果がないので、今度は不条理な笑いを誘おうという算段だろう。

 だが、笑いのハードルが高すぎる。

 

「なんですかそれ」

 ミクリが淡々と突っ込む。

「……いや、特に意味はないわ」

「そうですか」

「うん。……その、なんか……ごめん」

 しゅん、とセンダンの耳が垂れ下がる。

 さすがに今の冗談らしき発言では、当然の自爆である。

 だが、哀愁を漂わせる落ち込みようには、少しばかり同情したくなった。

 

 

 

「ヒロ」

 だが、当のミクリはそんなセンダンに構いもせず、ヒロに声をかけてきた。

 

「うん、なにかな」

「前から気になっていたのだが、その卵は何なのだ?」

「あ、これ?」

 ミクリの言葉を受けて、ヒロは卵を弄るのを止めた。

 それと同時に、卵をくれたウィグの姿が脳裏を過ぎる。

 きっと、今も元気に、この大陸のどこかで人形劇を開いている事だろう。

 そう思うと、ヒロの声は自然と笑い混じりになった。

 

「これは、前に泊まった人形使いのお客さんから貰ったんだ」

「ふむ。珍しい色だね」

「なんでも、失われた都で発掘された卵らしいんだ。

 いつ頃の卵とか、詳しい事は何も分からないんだけれど、

 この色を見ても、なんだか普通の卵じゃなさそうだよね」

「失われた都、か……」

 ミクリの声が少し低くなった。

 立ち上がり、受付台の前まで来て卵を凝視する。

 

「ミクリちゃん、失われた都を知ってるの?」

 センダンが息を吹き返して尋ねる。

「もちろんだよ。大抵はガラクタしか発掘されないものだが、

 ごく稀に、歴史の謎を解いてしまう世紀の遺物が見つかる事もあるらしいな」

「へえー、世紀の遺物かあ。案外これもそうだったりして」

 そうであれば、面白い。

 新年の忙しさで忘れていた卵への好奇心が、またヒロの中で頭をもたげ始めた。

 

 

 

「……良かったら、これについて調べてみても良いだろうか?」

 ミクリが、まだ卵を見ながら言う。

 特に異論はない提案である。

 自分達とは違う視点や人脈を持つ彼女が調べれば、何か分かる事があるかもしれない。

 

「いいよ。持って帰って調べてくれても良いよ」

「持って帰っても良いのか? 割れるかもしれないが……」

「それが、この卵は随分と頑丈で割れないんだ。やっぱり普通の卵じゃないんだろうね。

 割れるなら、もっと早くに誰かが割って中を見ているだろうし」

「なるほど」

 ミクリが頷く。

 

「ちなみに、これ、魔法に関係がありそうなの?」

「いや、分からないが、多分関係ないだろう。

 単なる好奇心と思ってくれて構わない」

「そっか。大事な戴き物だから、あげるわけにはいかないけれど、

 中身は僕らも気になるから、好きなだけ調べてくれて良いよ」

「そうか。そういう事なら借りよう」

 

 そう言って、ミクリは卵を掴む。

 手の上で暫し眺めた後、それは彼女のポケットへとしまわれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第二十二話/ギャンブラー達の新年会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、ヒロは夕食を作らなかった。

 ちとせで、島の若者が集まっての新年会があり、夕食はそこで代用できるからである。

 この所の夕食は、客に出す料理の余り物で済ませていた為に、一緒に新年会に行くセンダンは、夕方から大いにはしゃいでいた。

 

 ヒロとセンダンは、それで良い。

 だが『宿泊客』がいれば、そうはいかない。

 その点、今日はどうなのかというと、海桶屋に泊まるのはミクリ一人だったのだが……最近の彼女は『宿泊客』とは言い難かった。

 

 確かに海桶屋の客室を利用しているし、宿泊料も貰っているのだが、彼女からは特別料金として雀の涙程度の料金しか受け取っていない。

 その代わり、他の客の目がない時には、掃除や料理を手伝ってもらったりしているし、夕食もヒロらと同様の賄い物だ。

 この状態は『居候』とでも言うのが適切かもしれなかった。

 

 

 

 

 夜の兄花通りを三人が歩く。

 兄花島の夜はただでさえ明かりが少なく、暗い。

 冬になると夜闇の色が濃くなって、一層暗さを増す。

 だがこの日は、陽が落ちるのと同時に降り始めた雪のお陰で、比較的明るい気がする夜ではあった。

 明朝になっても積もる事のなさそうな、ささやかな雪ではあるが、それは夜闇の中でしっかりと己の色を主張している。

 

 

「ふふふ~ん♪ いやー、ちとせに行くの、久しぶりよねぇ~」

 その先頭を歩いているセンダンが、鼻歌を歌いながら呟いた。

 時折、軽快なテンポで体を一回転させ、その都度彼女のコートの裾がはためいて、降り注ぐ雪を吹き飛ばしている。

「サヨコの店、だったね。今日はどんな集まりなんだ?」

 一方のミクリは、寒さに堪えるように、コートの中で身を丸めながら聞く。

 

「今日は新年会よ。観光地区の若い人達が集まっての飲み会」

「という事は、ゴウや、ええと、名前を思い出せないが……ギルドの猫亜人も来るのか?」

「ゴウ君は来るわね。むしろ親だし。ギルドの猫亜人というと、ベラミンかな。

 ベラミンは多分こないんじゃないかなぁ」

「ちょっと待ってくれ、センダン。親とは……?」

 ミクリが怪訝そうな表情になる。

 ヒロも、突然のセンダンの発言に思わず目を丸くした。

 

「親って、父親、って事ですよね? 僕も何も聞いてませんよ?」

「あ、あー。そうか、昨年はヒロ君いなかったか」

「ええ、昨年はちょうど風邪引いて欠席でしたけれど……

 え? もしかして昨年のうちから子供が?」

「ノンノン!! 違うわ、その親じゃないのよ。ややこしくてごめんね」

 センダンが両手を合わせて謝る。

 どうにも、彼女の言っている事の意味がよく分からずに、ヒロは無意識に首を傾げる。

「その親じゃない……? センダンさん、詳しく話してください」

「うんうん。この勘違いをこじらせちゃ大事だからね。それはいけないよね」

 一番こじらせそうな者が、知ったような口を利く。

 

 

「で、どういう事です?」

「親といっても、ゲームのカブの親なのよ。カブ、知ってる?」

 その言葉に、一瞬野菜の蕪が脳裏を過ぎる。

 だが、前後の言葉からして、それは別の『カブ』である事がすぐに分かった。

 

「ええと……あれですか? 花札を使ってやる賭け事のカブ?」

「そうそう。実は新年会の途中で、そのカブを余興でやるのよ。

 昨年もやってたんだけれど、ヒロ君はいなかったから知らないわよね、って事だったの」

「なるほど」

「で、それを取り仕切ってるのが、ゴウ君なの。これでオッケー?」

「ええ、分かりました」

 目礼しつつ返事をする。

 それから、隣を歩くミクリを見る。

 彼女はヒロとは異なり、何やら考え込んでいる様子だった。

 

「ミクリちゃん、話の内容、分かった?」

 同じくミクリの様子に気がついたセンダンが尋ねる。

「あ、うん。それは分かった。……しかし、賭け事か……」

「そっか。そこが心配だったのね。参加は任意だから大丈夫よ」

 センダンが明るい声で言う。

「やりたい人だけやる遊びだからね。

 ミクリちゃんはやらなくても大丈夫、大丈夫」

「……そうか」

 ミクリが頷く。

 その声は、どことなく元気がないように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ちとせのガラス戸を開けて、中に足を一歩踏み入れると、店内の十分に暖められた空気がヒロらを包んだ。

 雪降る冬の夜の屋外とは対照的な暖気に、思わず幸福の吐息が漏れる。

 横に目を向けると、小型のマナストーブが置かれていた。

 すぐに暖まれるようにという気遣いなのだろう。

 そこで長々と呆けているわけにもいかないので、戸を閉めて店内を覗き込むと、既にヒロら以外の者は来ているようだった。

 参加者の中には、ゴウの顔も見える。

 向こうもヒロに気が付いたようで、軽く手を掲げて挨拶をしてくれた。

 

 

 

「あら、いらっしゃいませ」

 サヨコが小走りで近づいてきた。

 エプロン姿の彼女は、穏やかな笑みを浮かべながらペコリと頭を下げる。

 

「サヨちゃん、こんばんわ」

「いやー、お待たせお待たせー!」

「……こんばんわ」

 ヒロらがサヨコと挨拶を交わす。

 その三人目の声を受けて、サヨコの表情はパッと明るくなった。

 

「あ、ミクリちゃんも来てくれたんだ」

「うん。夕食がてらにね」

「そうなんだ。お父さんが作る料理が口に合うと良いけれど……」

「サヨコの父は、どういう料理が得意なんだ?」

「何でも得意だけれど、特に美味しいのは煮物かなあ。あとで頼んでみる?」

「考えておこう」

「宜しくね。本当に美味しいのよ」

 サヨコはそう言うと、頬に手を当てながら目を細めた。

 

 

(……仲、良いなあ)

 そんな二人の様子を、ヒロは興味深そうに眺める。

 

 前々から思っていた事だが、サヨコはミクリに対して物怖じしていない。

 気の小さいサヨコにしては、珍しい事である。

 ミクリもまた、人と関わる余裕がないというわりには、サヨコを邪険にしない。

 やはり、同性で年齢も近い事が理由なのだろうか。

 社では精霊の話もしたというし、相通じるものがあるのかもしれない。

 

 

 

「サヨコちゃん、その子誰ー!?」

「わっは! 可愛いじゃん!」

「島の子じゃないよね? まだ十代?」

「もぐもがもご……?」

 不意に、近くのカウンターから聞こえてきた男達の声が、ヒロの意識を引き戻す。

 既に来ていた新年会の参加者である。

 竜伐祭の時にはヒロと同じく設営班として務めていて、皆気の良い男達だった。

 

 

「ミクリ・トプハムだ。海桶屋で少々世話になっていてね」

 ミクリは無表情で淡々と返事をする。

 無表情さも相まって、冷たい反応ととられてもおかしくはない。

 だが、男達はその反応に色めき立った。

 

「おぉー! クールでいい子じゃん!」

「ヒロ! お前、なんで隠してたんだよ!」

「ねねね! ここ、ここ! 俺の隣に座わんなよ!」

「枝豆食べよう、枝豆! すっごく美味しいんだよ! 枝豆!!」

 どよめきと共に、矢継ぎ早にミクリに声を掛ける。

 一方のミクリは、微かに眉をひそめてたじろぐような仕草を見せていた。

 この予想外の大歓迎には、さすがに困惑しているようである。

 

 だが、そんなミクリの姿を覆う者がいた。

 

 

 

「はいは~い、そこの男共は、な~んで私には歓声を上げないのかな?」

 笑顔を浮かべながら、仁王立ちで男達の前に立ち塞がるセンダンである。

 だが、耳は彼女の心中の何かを示すように激しく振動しており、口の端は微かに揺れていた。

 明らかに、ただの笑顔ではない。

 

「あ、あっ」

「いえ、その」

「ごめんなさい」

「枝豆……」

 男達が一斉に消沈する。

 それに満足したのか、センダンはミクリの方へ振り返ると、今度こそ普通に笑ってみせた。

 笑顔の意味が分からなかったのか、ミクリは微かに首を傾げている。

 だが、ヒロには分かった。

 先程の笑顔の半分は、ミクリの防波堤で出来ていたのだろう。

 

(で、残りの半分は、普通に怒っていたんだろうな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ヒロら三人は、空いているテーブル席に着いた。

 腰を落ち着けると、木製椅子の上に敷かれた座布団が柔らかく心地良い。

 三人ともビールを頼むと、サヨコが構えていたかのように即座に出してくれた。

 

 

 

「それじゃあ皆、新年おめでとう。乾杯!」

「「「「「かんぱ~~い!!!」」」」」

 

 ビールが行き渡ると、ゴウが早速乾杯の音頭をとった。

 あっさりとした音頭だったが、それに続く乾杯の大合唱が場を盛り上げる。

 その景気の良さに押されるように、ヒロはビールを一気に煽った。

 店内の暖かさとは対照的な冷気が喉を駆け抜けて、なんとも爽快である。

 満足いくまでその温暖差を楽しんでからジョッキをテーブルに置くと、同時に隣のセンダンが勢い良く手を上げた。

 

「サヨコちゃん、おでんちょうだい! いつもの八つ!」

「はい、すぐに用意しますねー」

 サヨコが小さな声ですぐに答える。

 

 この速さ、しかも八つだ。

 センダンが、そこまでおでん好きだとは知らなかった。

 隣の彼女を一瞥すれば、口の端が緩みきっており、尾はぶんぶんと激しく左右に振られている。

 それ程までにもおでんが待ち遠しいのだろうか。 

 

 

 

「はい、お待たせしました」

 サヨコが手早くおでんを皿に盛って運んでくる。

 センダンの前に置かれたその皿を、首を伸ばして覗き込む。

 疑問は瞬時に解決した。

 同時に、この構成をおでんと言って良いものなのだろうかという疑問が沸く。

 

「センダンさん……」

「なに? 私今からおでん食べるのに忙しいんだけれど」

 あからさまに面倒臭そうな口調で返事をされる。

 

「厚揚げ八つって、おでんと言って良いんですか?」

「おでんじゃなきゃ、何なのよ。厚揚げだっておでんでしょ?」

「いや、そういう事ではなく……」

 言葉に詰まる。

 その反応を受けて、センダンは話は終わったと解釈したのか、早速厚揚げをかじった。

 

「んん~っ♪ これこれ! 冬の居酒屋はこれよ! だしの染み込んだ厚揚げ、さいっこう!!」

 センダンの目尻が限界まで緩む。

 適当に咀嚼してから飲み込み、天を仰いで嘆息を漏らす。

 なんとも幸福感溢れる表情である。

 おでんの定義についてもう少し突っ込みたい所だったが、そんな表情を見せ付けられては、ヒロの考えも変化する。

 

「センダンさん」

「今度はなに? まったくもう!」

「それ、一つくれませんか?」

「ふむ」

 値踏みするような目つきで見てきた。

「いいわ。一つだけね」

「どうも」

 彼女の許可を得て、テーブルを越えて箸を伸ばす。

 

「ていっ」

 箸を持つ手が、センダンの手に叩き落された。

 さっき、一つくれると言ったばかりである。

 無言でセンダンに抗議の視線を向けると、彼女は小さく首を横に振った。

 

「特別価格、一つ1000レスタになりまーす」

「壁に『おでん 150レスタ』とあるんですが……」

 

 横暴なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「よし、そろそろ始めるか」

 

 新年会が始まって三十分程経った頃である。

 ゴウがおもむろにそう呟き、空いているテーブルに席替えした。

 それ以上、何も説明していないのに、センダンを含む三名が同様に立ち上がってゴウを追う。

 事前に話を聞いていなければ、何の事だか分らない。

 おそらくは、センダンの言っていたカブが始まるのだろう。

 

 

「ヒロはやらないのか?」

 向かいのミクリ尋ねてきた。

「うん。やった事殆どないから。ミクリちゃんは?」

「ルールは知っているが、似たようなレベルだよ」

「そっか。じゃあ、やらないんだね」

「……いや、観戦くらいはしようか」

 

 意外な発言だった。

 賭け事にはまったく興味がなさそうな印象を持っていたが、実際にはそうでもないのだろうか。

 ミクリもまた立ち上がると、ゴウらのテーブルへと向かって行った。

 こうなると、取り残されたような気持ちになってしまう。

 遅ればせながら、結局はヒロも腰を持ち上げた。

 

 

 

 

「なんだ、ヒロとミクリもやるのか?」

 移動先のテーブルの奥に陣取ったゴウが尋ねる。

 テーブルには、酒の入った小型の(かめ)が一つと、銀の柄杓が幾つか置かれている。

 ゴウは、その柄杓の一つを手にして、テーブル中央に置いた甕から酒を汲み出し、各自のコップに注いでいた。

 柄杓から酒が流れ出る音は、小気味が好くて、聞いていて気持ちが良い。

 ゴウの周囲では、参加者達が順に花札をシャッフルしていた。

 どうやら、もう間もなく始まるようである。

 

「いや、僕らは見るだけだよ」

「そうか。まあ、どっちにしても座れよ。酒汲んでやるから」

 言われるがまま、センダンの隣に二人して腰掛ける。

 ちょうどそのセンダンが花札をシャッフルし終えた所で、花札はゴウの手元に戻ってきた。

 ゴウは柄杓を煙管に持ち帰ると、花札を軽く叩きながら、面倒臭そうに息を吐く。

 

「さて……皆分かっちゃいる事だが、賭け事だから、一応ルールを再確認しておくぞ」

「ういー」

 誰ともなく適当な返事をする。

 

「二枚、もしくは三枚の合計値の一の位が、9に近い奴から順に強いゲームだ。

 一枚目はオープンになっている場札から選ぶ。

 二枚目は伏せた状態で各々に配る。

 その時点の値から判断して、オープンの三枚目を貰うかどうか決めてくれ。

 特殊役は面倒臭いから説明なし。よし、終わり」

「ちょっとゴウ君、説明乱暴すぎない?」

「そう言われても、参加者は皆分かっているじゃないですか」

 センダンの抗議に、ゴウは頬杖を突きながら首を横に振る。

「じゃあさ、賭けの対象はいつも通りでいいの?」

「ああ、それがありましたね……。

 ええ、最初に持ち点が無くなった奴が、その時一番勝っている奴の今日の飲み代を払うって事で」

 金を直接賭けるわけではないのである。

 ヒロが想像していたよりも、幾分健全なギャンブルだった。

 

 

 

「よぉし、そうと決まれば絶対に勝つわ!

 ゴウ君、今日こそはいつもの借りを返すからね!

 おでん代、がっつり払ってもらうから!」

 そう告げて、擬音が聞こえてきそうな力強さでゴウを指差す。

 

「センダンさんは、いつも負けるのかい?」

「おう。顔に出やすい人だからな」

 ミクリの質問には、ゴウが答えた。

 言われてみれば、センダンにポーカーフェイスとは無理な話である。

 もっともだ、と言わんばかりにヒロは何度か頷いたが、

 隣のセンダンが刺すような視線を向けてきたのに気づいて、頷くのはすぐに止めた。

 

 

 

 

 

 ……そんなわけで、カブが始まった。

 カブは、運と戦略性も重要ではあるが、観察力もまた求められるゲームである。

 

 例えば、相手が三枚目を貰うかどうかを長考していれば、その時点の手は6辺りの可能性が高い。

 次の札を貰うにせよ、貰わないにせよ、その値を軸に推測する事が出来る。

 その様な悩む素振りを見せずに三枚目を貰ったとしても、三枚目の値を見た時の表情で、値の良し悪しを推測する事も出来る。

 更に言えば、それら全てが演技で、全く見当違いの値となっている可能性だってある。

 

 その様なゲームなのだから、やはりセンダンは弱かった。

 開始直後の数ゲームこそ、勝ったり負けたりが続いていたものの、更にゲームが増えるにつれ、センダンの持ち点はじわじわと減っていく。

 他の参加者二人はやや勝ちにやや負け。

 センダンの負け分を丸ごと取るように勝っているのは、親のゴウである。

 

 

 

「むむむ」

 センダンが唸る。

 伏せられた二枚目を手元に寄せて、それと場札の一枚目を交互に見ている。

 横からヒロも覗き込むと、値の合計値は5であった。

 確かに悩む値ではあるが、それをクッキリと表情に出してしまうのは好ましくない。

 流石の彼女も、その反応を読まれている事は理解している。

 だが、勝負に熱くなるあまり、その事を毎度失念しているのだろう。

 

 

「……もういっちょ!」

 威勢の良い声でコールが掛かった。

 ゴウが、センダンの反応を観察しながら札を寄こしてくる。

 ルール上、配られた時点でオープンとなるその三枚目の値は……6。

 すなわち、一の位は1だ。

「……!??」

 流石に言葉こそ洩らさなかったが、センダンが目を見開いて仰天する。

 だが、その反応で大方の値は参加者に伝わってしまった。

 とはいえ、この値では伝わろうが伝わるまいが、負けは決したようなものである。

 二人の子が5と6、ゴウが9。

 カブの手で、ゴウの勝ちとなった。

 

 

「むむむう……」

「悪い手だとは思いましたが、インケツじゃないですか」

 ゴウが札を回収しながら呆れたように言う。

 その言葉を向けられたセンダンの前には、ちとせのマッチ箱が一つだけ置かれている。

 マッチ箱は、持ち点代わりとして使われていた。

 すなわち、センダンの持ち点は、残り1点。

 言うまでもなく、次に負ければ敗退確定となる。

 

「顔に出る上に運も落ちちゃ、これまでですね」

「……まだよ。今日の私には、まだ奥の手があるんだから!!」

「へぇー、なんでしょうかね?」

 ゴウがおざなりな口調で言う。

 彼の表情には、勝利を確信した余裕が満ち溢れていた。

 

「きーっ! 絶対勝つんだからね!

 勝負よ。選手交代、ミクリちゃん!!」

「「「「「ええっ!?」」」」」

 その宣言に、ゴウが仰天したような声を漏らす。

 それはヒロやミクリを含む他の面々も同様であった。

 

 

「センダン、それは一体……」

 ミクリが珍しく表情を変え、狼狽した様子で尋ねる。

「言った通りよ。私の代わりにミクリちゃんにやってほしいの」 

「そう言われても殆ど経験はないし、勝つ保証もないのだが」

「負けても構わないわ。このまま私がやったって負けるから。ね、お願い!!」

 センダンが少し首を傾けながらウィンクする。

「………」

 ミクリはすぐに返事をしない。

 だが、センダンは返事を待たずに、今度はゴウの方を向いて不敵な笑みを浮かべた。

 実にころころと表情が変わるものである。

 

「で……ゴウ君も受けてくれるわよね?」

「まあ、金自体を賭けてるわけじゃありませんし、それ位は構いませんよ」

「よし。決まりっ!」

 センダンが片腕でガッツポーズを取った。

 他の参加者二人も、何度か小さく頷く事で同意を示してくれている。

 だが、まだ肝心の一人の許可が出ていない。

 それを忘れるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

「ミクリちゃん」

 なるべく優しい声を心掛けて、ヒロがミクリに声をかける。

「うん?」

「勝手に盛り上がられてるけれど、嫌だったら遠慮しないでいいからね。

 センダンさんが進めている話なんだからさ」

「………」

 ミクリは、何も言わない。

 ただ、ヒロを見つめるような視線を送ってきた。

 

 

 センダンとて、勝つ事だけが目的でこの様な提案をしているわけではない、とヒロは思っている。

 ミクリに加わって貰えば、ゲームを楽しんで貰えるだけではなく、参加者達とより深く交流ができる。

 その結果として、彼女が笑ってくれるかもしれない。

 その可能性は確かにあるだろう。

 だが、ミクリの意思を軽視して加わらせれば、逆効果となる可能性もまたある。

 ヒロは、それを危惧していた。

 

 

(この間の、ご両親が亡くなった話をした時のミクリちゃん、寂しそうな瞳だった……)

 ミクリの瞳を見つめ返しながら、ふと、そんな事を思う。

 

 ミクリには、笑って欲しいのだ。

 一人の人間として。

 一人の友人として。

 似た志を持つ者として。

 それが、ヒロの気持ちである。

 その為にも、今回のような些細な事で心を閉ざされるわけにはいかないのである。

 

 

 

 

「……ヒロは、よく気を遣ってくれるな」

 ミクリが沈黙を破った。

 笑ってはいない。

 だが、少し前の狼狽した様子は消えていた。

 

「いや、そういうつもりじゃ……」

「……だが、今回は無用だ」

「え?」

 ミクリの言葉の意味が、瞬時に飲み込めなかった。

 だが、何も特別な事を言っているわけではない。

 

「えっと……それは、つまり……参加したい、って事?」

「うん。実は、少し加わってみたかったのだよ」

 ミクリの瞳の奥が、きらりと輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ! ゴロンパ!」

「ミクリちゃん、またカブじゃないの!!」

 

 参加者達の声が、テーブル周辺に響き渡る。

 彼らが驚くのは、これで何度目になるだろうか。

 

 今回のミクリの手は、5・6・8のゴロンパで、一の位は9のカブ。

 親であるゴウの値の8を一つ上回る手である。

 それが、もう何度も続いている。

 ミクリに選手交代してから、彼女は殆どのゲームを制しているのである。

 

 それだけ連勝を重ねるからには、当然ながら相当の運気がミクリに流れていた。

 微妙な手で勝負したら、他の参加者がそれ以下であったり、

 逆に三枚目を貰えば、結果、好手が揃ったりと、ミクリの決断が次々とハマっているのである。

 

 だが、それだけではない。

 ミクリは、ゲームの最中に完全なるポーカーフェイスを貫いていた。

 ただでさえ表情が乏しいのに、意識して無表情になられてしまっては、他の参加者は全く状況を読み取る事ができない。

 ミクリの前に参加していたセンダンが分かりやすかった分、悉く調子を狂わせている始末であった。

 

 

 

「……ミクリちゃん、強いわね……」

 ミクリの前に詰まれたマッチ箱を見ながら、センダンが口をあんぐりと開けて呟く。

 いつの間にやら、ゴウに取られていた持ち点は回収しており、彼との得点差は殆どない状態となっている。

 はじまりの一勝、二勝こそミクリの肩を叩いて歓喜していたセンダンも、ここまで勝ち星が重なると、もはやただ驚くだけであった。

 

「うん、さっきから全然負けていないよね。なんでそんなに勝てるの?」

 ヒロも頷く事で相槌を打つ。

 それに反応したミクリは、首だけヒロの方に向けると、少しだけ肩を竦めて見せた。

「いや……単にオープンになっている札を参考にして、勝ち筋を探っているだけだよ」

「場札が参考になるの?」

「極端な話だが、場に8が三枚、1が一枚であれば、山札に8は1枚しかない。

 すなわち、場札の1に賭けても、次に8がきてカブになる可能性は低いだろう?」

「まあ、そうだろうけれど……」

 確かに理屈ではその通りだが、今ひとつ納得できない。

 それ位に、今のミクリは勝ちまくっていた。

 

 

 

「ぐう……」

 一方、親のゴウは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 実際には苦虫ではなく、咥えた煙管を強く噛み転がしていて、時折ガリガリと金属を引っかくような音が聞こえていた。

 普段、感情を昂ぶらせるような事のないゴウにしては、珍しい表情である。

 勝利確実の状況をここまで返されたのが、それだけ悔しいという事なのだろう。

 

「おい、サシだ」

 ゴウが咥えていた煙管を離す。

 テーブルの横に置いていた酒を一気に煽り、それでも足りなかったのか、

 甕の中の酒を柄杓で直接飲んでから、キッとミクリを見据えて告げる。

 

「次の勝負は、俺とミクリのサシで勝負だ。勝者総取りの一発勝負だ」

「ほう」

「同条件でやる為に、今回は俺も場札を選んで勝負させて貰う。

 無理を言った分、負けたらセンダンさんだけじゃなく、ミクリの分も払ってやる。どうだ?」

「私は構わないが」

 ミクリはそう言いながら、他の参加者に視線を移す。

 ゴウの勢いに飲み込まれたのか、それともそこまで勝負に執着はないのか、彼らは少し引いたような様子で頷いてくれた。

 

 

 

「よし、決まりだ」

 ゴウが低く短い声で言う。

 それから、手早く札を切り始めた。

 その機敏さと表情は、周囲に微かな緊張感を生み出す。

 飲み代を賭けただけの勝負とはいえ、この一戦で勝敗が分かれる状況に、各々は自然と口を噤んでしまう。

 

「………」

 ゴウが黙って場に四枚札を置いた。

 

 9、4、5、5。

 

 ヒロは、自分が賭けるつもりで考えてみた。

 カブになる可能性だけを考慮すれば、4は好ましくない。

 二枚目で5がきてカブになる確率が、他の数字よりも低いからだ。

 次に9と5だが、これも5の方がカブの確率は低い。

 とすると、最後に残るのは9となる。

 

 この9は、カブの可能性が高い上に別の可能性も秘めていた。

 実は、二枚目で1を引けば、9・1でクッピンという特殊役になり、カブをも上回る事が出来る。

 場に1が出ていないという事もあり、狙う価値は十分にある手だ。

 特殊役という意味では、クッピンを上回る4・1のシッピンという手もある。

 ただし、この場合は通常のカブを狙い難いというデメリットと天秤に掛けなくてはならない。

 

 この状況をどう判断するのだろうか。

 ヒロはそっと隣のミクリを一瞥する。

 彼女は、目を閉じて勝負手について考えているようだった。

 だが、数秒程で目を見開き、普段よりも幾分目を細めながら、マッチ箱を手に取った。

 

 

 

「これだ」

 マッチ箱が4の上に置かれる。

「剛毅だな」

 ゴウが不敵に笑う。

「そうだろうか?」

「ああ。俺は遠慮なくいかせてもらうぞ」

 ゴウがマッチ箱を掴む。

 やはり、9の上に置かれた。

 

「それじゃあ……」

 互いの場札が決まった所で、ゴウが二枚目の札を伏せて出す。

 出揃った所で、二人とも中を覗き込む。

 その瞬間を見落とすまいと、ヒロは二人の表情を凝視していたが、彼には特に変化は感じられなかった。

 

「……勝負」

「俺もだ」

 二人とも二枚での勝負を宣言する。

 どよめきこそ起こらなかったが、見守る面々の表情には驚きの色が見える。

 そして、二人の手が二枚目に伸び……

 

 

 

 

 

「どうだ、クッピンだっ!」

「シッピン」

「げええええっ!??」

 

 ゴウが、内臓が飛び出るような声を捻り出した。

 ヒロも目をひん剥いて、開かれた札を見つめる。

 ゴウの手は9と1、ミクリの手は4と1。

 この大一番で、二人とも特殊役を引き……そして、またミクリが僅差で上回った事になる。

 こうなると、恐れ入る他ない勝負強さであった。

 

 

「いやぁっほぉう! ミクリちゃん、さいっこう!!」

「せ、センダンっ?」

 センダンがミクリに抱きつく。

 思わず体を強張らせるミクリであったが、センダンを引き離したり、逃げ出そうとする事はしなかった。

 微かに頬を赤らめて困惑しているような表情こそ見せたが、センダンを拒んではいない。 

 

「……負けた」

 その横で、ゴウがカックリと肩を落とす。

 他の参加者二人が気休めの言葉を掛けたが、ゴウの耳には届いていないようである。

 

 勝者には、女性が抱きついて祝福。

 敗者には、野郎が慰めの言葉。

 勝負後まで、明暗はくっきりと分かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 新年会は、それから約一時間後に終わった。

 

「ミクリ。次は頭っからお前と勝負だ。良いな」

「構わないよ。いつでも相手になろう」

 ちとせの軒先で、ゴウとミクリが再戦を誓い合う。

 ヒロは、二人から少し離れた所から、その光景を見守っていた。

 

 三人分の料金、特にセンダンのおでんラッシュを支払っていながら、ゴウの表情にはどこか晴れ晴れとしたものがあった。

 ミクリは、やはり笑ってはいない。

 だが、表情に暗さは感じられない。

 口にした言葉も、友人を作る事に抵抗を覚えている彼女にしてみれば、好ましいものである。

 

 

 

 

「ね、ヒロ君」

 隣で同じく二人を見守っているセンダンに声を掛けられた。

「はい?」

「……笑ってはくれなかったね」

「ええ」

「……でも、悪くはないよね」

「ええ」

 短い返事を返す。

 それだけで、言いたい事は十分に伝わっている。

 

 

 焦る事はないのだ。

 こうして、少しずつミクリを解してあげれば良いのだ。

 そうすれば、いつかこの少女は笑ってくれる。

 その時は、どんな笑顔を見せてくれるのだろうか。

 ミクリの笑顔を想像すると、自然とヒロの表情も綻んでしまった。

 

 

 

 

 

「ね、ヒロ君」

 また声を掛けられる。

「はい?」

「笑った顔、怖いよ」

「ほっといて下さい」


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